2011年03月07日

唐山大地震 -想い続けた32年-

touzan


試写会で観てきました。

地震国に住んでいるものとして、中国の地震映画がどんなものなのかと非常に興味深かったのですが・・・・。

事前に「泣ける、泣ける、催涙弾映画だ」と煽りに煽られたわけですが、結果から言うと僕は泣けませんでした。ただ、別につまらないわけではないです。じーんとくる場面も何度かありました。

では、なぜ泣けないか。まず、脚本がちょっとずさん。感動的なシーンの盛り上げ方がヘタなんですね。あ、せっかくいい場面なのに、そういう本を書いちゃうのか・・・みたいなことが何度もあって、涙が寸止めされた感じです。これはもう、勿体無いのひとことに尽きます。

映像的に言うと、画像はかなり粗く、またところどころフォーカスが甘い場面もあって、質的にはあまり良いとは言えません。音響効果も今一歩な感じです。ただ、これは鑑賞した環境が悪かったせいかも知れません。地震のシーンは派手さこそないものの、結構地震っぽく見せていました。特撮が凄ければ良いというものでもなく、適度だったと思います。また、被災時のシーンは多分大量のエキストラを動員したんだと思うのですが、さすが人の多い中国です。これらのシーンの出来は非常に良かったと思います。

物語のポイントとなるひとつの「セリフ」の、処理の仕方もちょっと気になります。そこには32年の重みが存在するはず。それがすっ飛んでしまうのがこれまた寸止め感を増大させます。どうしても比較してしまうのが「ソフィーの選択」で、そこで描かれた重さと、この映画での重さにあまりにも落差があって、評価を落とさざるを得ません(ただ、「ソフィーの選択」がDVD化されていないこともあって、この名作を観たことがない人も多いのかも知れませんが。午前十時の映画祭でもやらないし・・・)。

それからもうひとつ、実母、義母、義父との関わり方に関する描写が物凄くライトで、すっと終わってしまったのも残念でした。

さて、こうした「あっさり感」の向こうから何が見えてくるか、なんですが、どうしてもプロパガンダ色、国威発揚色が拭えません。片腕を失っても若くして実業家として大成功するもの、医学部へ進学しながら途中で退学して行方が分からなくなるもの、地震で被災したと聞いて取るものも取り敢えず、すぐに救助隊として駆けつけるもの、被災地で献身的に働く軍人、軍人をとても尊敬し大事にするもの、伴侶を失ってもきちんと一人で生きていくもの、こういった色々な登場人物が、どうも嘘くさいというか、「中国は昔からこんなに開かれている自由の国でした。人民が一体となって、素晴らしい国を形成しています」というPRに見えてしまい仕方が無いのです。もちろん、本当にそういう国なのかも知れず、そのあたりは中国人の友達に話を聞いて確認してみないことにはなんとも言えないのですが。やはり、となりの国と言っても米国よりもずっと遠いのが中国なんじゃないかと思います。上に挙げたようなひとつひとつの人間ドラマがもっと濃密なら、こういった印象は残らなかったと思います。そのあたりが一番残念なところでした。

俳優さんたちの演技は結構良かったと思います。

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