2011年03月08日

拝啓 ITメディア様

この度は、拙著「Twitter後のネット社会〜コミュニケーション中毒患者の処方箋〜」を取り上げていただきまして大変ありがとうございます。貴重なスペースを割いていただき、恐悦至極に存じます。

コミュニケーション欠乏症の現代人へ――アゴラオリジナル書籍が配信開始

さて、著者という立場からこんなことを申し上げるのは大変僭越ではございますが、ひとつだけ、お願いがございます。

折角ご紹介いただきました記事なのですが、拙著のご紹介文におきまして

「コミュニケーション欠乏症」に陥ってしまった現代人にひとつの処方せんを提示しようとしている。


という記述があるかと存じます。著者の私といたしましては、拙著で述べたかったところは全く逆でありまして、過剰すぎるコミュニケーションの中で忘れているものがないか、という問題提起を行ったつもりでおりました。このような誤解を生んでしまったのはひとえに私の筆力不足、能力不足ゆえであると海より深く反省している次第ではありますが、もし可能であれば、ご紹介いただいた文章の内容につきまして今一度ご確認いただきまして、拙著との整合性がとれているかどうかについてご検討いただければ幸甚でございます。

敬具



17:09追記
署名記事ということもあり、また元原稿の西尾泰三氏をツイッター上でフォローしていることもあったので、直接

ありがとうございます!削除されてしまったので先ほど再アップしておきました!ところで、別途こちらもアップしておりますので、是非ご一読いただければ幸いです(著者より)。→ http://ow.ly/49Seu  RT @makeplex: 悪ノリ感もあるけど、総統やりますね。


とRTさせていただいたところ(ちなみに西尾泰三氏のつぶやきは僕の著書に対してではなく、僕が作った総統閣下MADに対してのもの)、次のように返信をいただきました。

makeplex 5:03pm via TweetDeck
@Amidalachan 過剰すぎるコミュニケーションが現代人のコミュニケーション欠乏症候群から生じたものと考えれば、「忘れているもの」というのがそうした方のコミュニケーションに処方せんになり得るという認識ですが、いかが… (cont) http://deck.ly/~fxRex


なるほど、コミュニケーションは十分なはずなのにそれで満足できず、さらなるコミュニケーションを求めるような層を「コミュニケーション欠乏症」と称したのか。それはそれでありうる表現ですね。

「欠乏症」は、依存症の人間に対しての供給が不足して起きる場合(=禁断症状)と、健常の人間に対しての供給が不足して起きる場合があるので、「これは違う」とは断言できないのか。じゃぁ、僕が勝手に加筆しておきます。

過剰なコミュニケーションの中でコミュニケーション依存症となり、新たなコミュニケーションを模索している、いわば「コミュニケーション欠乏症」に陥ってしまった現代人にひとつの処方せんを提示しようとしている。


こんな感じで。要は、「欠乏症」という単語から受けるイメージが共有できなかったってことですね。僕がこの単語から受けるものは、健全な状態に対して不足する、というものだったので。

ツイッターって、便利だよね(笑)。そして、「ほら、ツイッターは便利だろう?」と思った方は、是非「Twitter後のネット社会」をお手元にどうぞ。よろしくお願いいたします。

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「買い方がわからない」という方は、こちらをご参照ください。

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