2011年04月19日

タイムカプセル的備忘録

大学時代からのスキー友達の女性がいる。彼女は都内で働いているのだけれど、2月末に連絡が来て、「3月にスキーに行こうと思うが、どこが良いか」ということだった。ちょうど彼女の会社が関係しているスキー大会が長野であったので、「どうせならそこに行けば?」と勧めておいた。その大会は3月9日だったので、10日に「どうだった?」と連絡すると、「仕事の都合で来週にした」との返事だった。そして地震である。20日頃に「それで、先週は行ったの?」と質問のメールを送ったけれど、返事はない。おそらく、「それどころじゃない」ということなんだろう。実は、僕が知っている限りで彼女はこれに類することを以前に一度やっている。結婚が決まって、「二次会をやるから来て下さい」と言われ、出かけて行ったらなぜかお通夜のような飲み会をやっている。どうしたのかな?と思ったら、結婚が延期になって、でもお店のキャンセルができなかったので、仲間内で飲んでいる、とのことだった。結婚の延期の原因は9.11である。海外勤務の新郎が9.11で忙しくなって、帰国できなくなったらしい。その後、婚約は解消になって、彼女はまだ独身のままである。

一方で、別のガールフレンドの話。彼女は僕のガールフレンドの中では屈指の美人さんで、頭も切れる。酒もそこそこにいけて、明るくて、いわゆる非の打ち所のない奴だ。彼女と知り合ったのは彼女が25ぐらいのときだったと思うけれど、以後、一年に2度か3度、時々飲みに行ったりする間柄だった。彼女にはずっと彼氏がいたけれど(同じ彼氏ではない)、彼女は「30までお互いが独身だったら結婚しようと話している友達がいる」と言っていた。ふうん、と思っていたのだけれど、去年の後半だったか、「30になったので、結婚することにした」と連絡が来た。式は来年の2月頃、相手は例の婚約者(?)とのことだった。そして今年の3月に、「そういえば、今週末、嫁に行きます。二次会を東京でやるけれど、来ませんか?」というメールが来た。さすがに「今週末」でホイホイ出かけていけるほど暇な生活をしているわけでもなく、「残念だけど調整がつかないから、あとで個人的にお祝いするよ」と返事をしておいた。式は、3月の5日だったか、6日だったか。後日彼女に「写真を見せろ」とメールしたら、「浦安の結婚式場だったので、今、バタバタしていて(多分液状化騒ぎの影響だろう)写真が手元に届かない」とのことだった。結婚式が一週間遅かったら、今頃どうなっていたことやら。でも、結果論として、彼女は何も問題なく結婚式を挙げることができた。そして、多分何度人生をやり直しても、やはり震災の前に結婚式を挙げるのだろう。これは運ではない。

さて、前者と後者、どちらが良いのか、ということである。「明日でも良いことは、今日やらない」と、「今日やれることは今日のうちにやっておく」の二つの生き方である。ぱっと聞けば、普通は後者を選択するだろう。だけど、よーく考えて見れば、一概に後者とも言い切れない。たとえば、前者は離婚の危険性はないけれど、後者にはある。離婚しないで済んだから良かったね、ということになるのかも知れない。人生は終わってみなければわからない。

この前者と後者は、別の言い方をすれば保守と革新でもある。失敗をおそれ、現状の維持を目指すか、失敗を恐れず革新を目指すか。そうやって言葉を変えると、実は多くの日本人が潜在的に前者なのだろう(意識的か、無意識的かは別として)。

話は変わるけれど、先日、ネットで「ここへ来て、手のひらを返したように菅内閣を批判する奴らがいるが、お前らが投票したから菅内閣なんだろう。おれは民主党には投票していない。民主党に投票した奴らは反省すべきだ」という意見を見かけたが、これなどは典型的な馬鹿だと思う。なぜなら、今の東電の社長が「黒ひげ危機一発ゲーム」よろしく、単に運が悪かったのと同じで、たまたま政権にいたときに未曾有の危機に瀕しただけのことなのだ。多分、自民党内閣であっても同じ質の(同じ内容ではない)危機に瀕したはずである。なぜなら、政権が誰であれ、津波は起きて、原子炉の電源は全て失われていたはずだからである。そして、「対応が良ければこんなにひどい事にはならなかったはず」というのもちょっと違うと僕は思う。おそらく、だけれど、今回の事故の主たる原因は、長く続いていた原子力村の支配構造にある。その村民たちは、東電、保安院、経産省、安全委員会、政治家、学者といった面々で、東電の社長や内閣総理大臣とは異なり、こちらは長い時間かけてつくりあげられ、そして地震がなければこれからもずっと安泰なはずの組織だった。原因が総理大臣の資質とは無関係なのだから、事故はやはり起きたはずなのだ。そういう意味では、菅総理大臣は東電社長と同様、運がない。そして、これを以て民主党という選択をした国民を避難するのも間違いである。なぜなら、選挙にあたって、こんな災害を誰も想定していなかったからである。民主党を選択した革新派の人々を、現状を以て「お前らのせいだ」と論ずる保守派は我田引水も甚だしい。保守は単に運が良かっただけだ。

ただ、今は違う。地震から一ヶ月以上が経過し、災害は徐々に天災から人災に変わりつつある。そこで徐々にクローズアップされてきているのが、政府与党の、主として情報公開関連の拙策である。昨日も、「浪江町は放射能がこんなに強いです。退避したほうが良いです」みたいな話があったけれど、こんなことは昨日、今日わかったことではない。なぜなら、3月21日以降、主だった放射能の供給は行われていないのだ。つまり、その日以降(あるいは、大気中の線源が落ち着いた25日以降、データはこちら参照)、状況は全く変わっていない。政府は一ヶ月、浪江町を放置したのである。その間に被曝した総量は多いところで30ミリシーベルトを超えているそうだ。すでに浪江町では発がんリスクが3%アップしているのである。

政府の情報発信が稚拙だという指摘は、これだけにとどまらない。小さいところで言えば先日僕が指摘した「PDF問題」まであるし、東電の英語サイトの充実っぷりとか、小さいところから大きいところまで多岐に渡る。そして、この対応の悪さが国民の不信感を煽り、風評被害を発生させ、国際的な信用の低下を招いている。

僕は、国民の「民主党」という選択を、今でも正しかったと思っている。それはなぜか。政権与党の経験のある政党が自民党だけ、という状態は明らかにいびつだからである。経験のない政党がまともな政策を打ち出せるわけがない。良く笑いの種にされるマニュフェストに幸福実現党のマニュフェストがある。その内容は本当に素晴らしいものだ。ただし、実現の可能性は非常に低い。極端にいってしまえば、「税金は撤廃、公務員はすべて廃止、年金は完全支給、皆保険の負担率は10%に引き下げ」みたいなことが実現できるわけがない。現実とのすり合わせが必須なのだ。しかし、政権与党になってみなければ、何ができて、何ができないかはわからないままになる。民主党政権になる前は、「やったことのある自民党」と、「やったことのないその他の野党」しか存在しなかったのである(細かい例外はあるけれど)。特に二大政党制を目指すなら、この状況は早急に解消する必要があった。できれば、平時に。今になって思えば、政権交代があと4年早ければ、という感じである。しかし、ここでたら、ればを言ってもどうしようもない。保守派が今になって「民主党に投票した奴らが馬鹿だから」というのが全く的はずれなのと同様、「政権交代がもう少し早ければ」というのも意味がない。地震は起きてしまい、政権は民主党なのだ。

しかし、広がりつつある人災についてはなるべく小さくしたい。今のままの民主党では、この流れにストップはかからない。それから、ひとつ重要な点は、「政権がただ自民党に代わっただけでは何の解決にもならない」ということである。「適切な災害対策ができる」という視点は、「民主党か、自民党か」という対立構造とは全く異なる。それがわかっているから、何もできないと自覚している谷垣自民党総裁は全く動き出そうとしない。火の中の栗を拾いたくないのは当たり前だ。今求められているのは、真の意味での民主政治への脱却なのである。官主導でもなく、民意を無視した政治家の主導でもない。世の中に沢山転がっている小さな力を上手に集めてきて利用する政治だ。官僚と、そこにつながる御用学者、政治家が密室で決めて、大衆を導くこれまでの「官僚主義」とは違う。実際、僕が見てきた役所には、「国民は馬鹿だ。俺こそが正しいのだから、俺が導く」というタイプの役人がそこそこの頻度で見受けられた。しかし、若手を中心に、「国民の代表として、国民の利益代表としてどうしていったら良いのか」を真剣に考えようとしている官僚たちもたくさんいる。そして、「国のために少しでも協力したい」と考え、工夫し、行動している人たちもたくさんいる。評論家だって、もちろん役に立つ。池田信夫さんやら、上杉隆さんやら、色々な人が色々な立場で主義主張を繰り広げてくれているわけで、彼らだって「議論したいからちょっと来てくれ」と、公開の討論の場を用意すれば来てくれるはずである。「原発は廃止すべし」「じゃぁ、電力不足はどうする」「ガマンしろ」「我慢していたら経済が滞る」「国債を発行しろ」「それは負担の先送りだ」・・・・いくらでも、結論が出るまでやってみれば良い。ただ、単に主張を押し売りするだけなら、「○○をよろしくお願いいたします」と連呼するだけの迷惑な選挙カーと一緒だ。きちんと議論を整理して、結論に誘導する必要がある。評論は評論で良いのだが、今は行動プランまで行き着かないと意味がない。議論を透明化し、その上でみんなで考え、結論を出せば良い。

役者は揃いつつある。それをサポートする技術的なバックグラウンドも整備されつつある。あと必要なのは、国民の力を信じて、それを上手に利用していこうと考えるリーダーの登場なのだと思う。それはおそらく菅直人ではない。谷垣禎一でもない。小沢一郎でもない。選挙で当選したらあとは自分で決める、というタイプの政治家ではないのだ。しかし、原口一博とか、河野太郎がこういう資質を持っていたとして、彼らがリーダーになれる制度を日本は持っていない。折角保守主流の日本で改革の一歩を踏み出して、さぁ政界再編、新しく、世代間格差の是正に向けた動きを創りだしていこう、という大事なときに天災に見舞われて、ピンチが続いている。

3−0で負けている9回の裏、ツーアウト満塁。打順はピッチャー。期待できる代打が何人かいる。ところが監督がベンチ裏に引っ込んで采配を振るわない。監督候補はいるのに、彼らはネット裏で観戦している。彼らがベンチに入る方法はない。

このままではゲームセットだ。

でもまぁ、それでも良いのか。石原都知事に投票するような人、公務員、大企業の社員(特に管理職以上)といった人たちは、ゲームセットでもそれほど困らないし、そういう層がこの国では過半数を超えているのだから。とばっちりは、岩手、宮城、福島、茨城あたりを中心とした被災者と、若者に行く。30年後に「東北、関東でがんの発生率がアップしています。これは福島原発の放射能漏れの影響と思われます。ただ、2015年以後にそれらの地方にお住まいの方にはただちに影響が出ることはありませんので、ご安心ください」というニュースが流れるのだろう。

とりあえず今できることは、「こうするべきだ」という意見を残しておくこと。またどこかで原発が吹っ飛ぶかも知れず、奇跡的に政界が再編されるかも知れない。そのときに慌てて考えをまとめるよりは、今のうちに書いておいたほうが良い。

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この記事へのコメント
緩衝材として最後にちんことかうんことか欲しかった
Posted by 男の不安は怒りと直結する at 2011年04月19日 17:08
> 緩衝材として最後にちんことかうんことか欲しかった

それが切込隊長にはあって僕にはない芸風なんですよね。

折角総統閣下シリーズでおっぱいぷるんぷるんの修行を積んだので、これから頑張ろうと思います。日々精進。ご意見多謝。
Posted by buu* at 2011年04月19日 17:18