2011年04月20日

ネットをふらふら

「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩

微妙な記事。内容は正しいのに、冒頭で「風評被害」についてきちんと定義せず、むしろ広義に捉えて朝日新聞の主張する「風評被害」を受け入れているように書いてしまっているのが惜しい(後半まで読むと、筆者のスタンスは必ずしもそうではないことがわかる)。「深刻な風評被害」の段落をなしにすればもっと良い記事だったのに。


「御用学者」とは誰のことか 西田亮介

別にとりたてて新しいことが書いてあるわけでもなく、どうということもない記事。なぜくだらなくなってしまったかといえば、「「御用学者」とは誰のことか」と大上段にふりかぶったくせに、最終的に著者なりの「御用学者」の定義付けが行われなかったから。「そんでもって、斑目は御用学者なのかよ?そうじゃないのかよ?」という質問に対する回答が用意されていない。

そもそも、学者の仕事とは何かって、科学的な事象や社会的な事象を観察し、自分の考察を詳らかにする人のことでしょ。考察にあたって、「このお金は役所からもらったから」とか言って内容を変えたり、都合の悪いことに言及しないのはおかしい。学者は、データに対して謙虚でなくちゃ。そうじゃない学者はクズだし、データに対して謙虚じゃない場合、その理由が自分単独のエゴなら捏造者、理由が権力者であれば御用学者、ってことだよね。

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この記事へのコメント
「科学的な事象や社会的な事象を観察し、自分の考察を詳らかにする人のこと」というのは、かなりナイーブな理想論では? 学者さんも市場主義下での生存競争にさらされていますから、彼らの仕事は、「自身の市場での評価を極大化すべく手を尽くし、生き残る事」と考えるべきでしょう。データに対して謙虚な姿勢を続けていたのでは生き残れない市場環境であれば、そのような学者さんは淘汰されるか、姿勢を変えて生き残るか、のどちらかになります。buuさんが言うところの理想的な学者を正しく評価する機能を市場が持たない限り、そんな学者さんはなかなか出てきませんよ。未熟な市場主義にさらされているが故にデータに対する謙虚さを維持できない学者さん達を、「御用学者」として一括りにできるのか、という問題提起が、引用されているブログの趣旨と考えます。私は一括りにしてよいと思っており、生き残っているほとんどの学者が、程度の差こそあれ「御用学者」の要素を持っていると思います(black or whiteではありません)。それ故、まれに存在する真の(理想的な)学者さんからのメッセージは本当に貴重です。
Posted by U at 2011年04月20日 23:43
> まれに存在する真の(理想的な)学者さんからのメッセージは本当に貴重です。

僕は真の学者しか学者として認めません。それだけのことです。
Posted by buu* at 2011年04月21日 00:38