先日、芸術家の卵(絵画系の芸大生)と飲み会をやった。早い話が合コンだ。でも、話の内容は結構まじめ。「興味のないひとにどうやって作品を観てもらうか」とか、「村上隆さんは芸術をきちんとビジネスにしていて凄い」という話をしてきた。
この間のエントリーについても意見を聞いてみようかな、と思って、「科学って面白い?」と聞くと、「全然面白くないし、興味もありません」と。そうでしょうとも(笑)。続けて、今度は総統閣下シリーズの「買い占めするならカネ送れ」を見せてあげたら大受け。その上で、「こういう感じでサイエンスを語られたらどう?」と聞いたら、「見たい、見たい」との返事。嘘じゃないよ。思ったとおりの返事が来て嬉しくなった(笑)。
要は、世の中なんてこんなもの、ということ。ブログの記事には立花さん(以前からサイエンスコミュニケーション的な活動を個人的に支援している人で、僕も前から良く知っている)がコメント欄で「でも、頑張っている人もいます」的な主旨のことを書いていたけれど、それは論点がずれてるんだよね。やっている人がいる、とか、頑張っている、とかが問題じゃない。活動として成功しているか、成果を挙げているか、役に立っているか、生活者のニーズに適合しているか、ということ。僕は成功していないと思っている。それだけのことなの。成功している、うまく行っていると思っているならそれまで。引き続きがんばってください。僕はどうでも良い。ただ、つまんないことに税金を使ってくれるな、とは思う。やるならボランティア(笑)とか、民間資金で是非やっていただきたい。日本にはお金がないんだから、迷惑はかけんなよ、と。
さて、件のエントリー、「これまで誰も書かなかった「サイエンス・コミュニケーションに求められるもの」」は、僕にしては物凄く親切に、まとめまで書いてあげた。非常に分かりやすいから、一々追加の説明も必要ないでしょ。と、言いつつ、もう一度親切に言葉を変えてあげているんだけどね、この文章は(笑)。
新潟とか、いくつかの地方大学の似非科学否定クラスターの研究者達がはてブを付けているけれど、こいつらについては、以前大御所が飲み会で言っていた「あいつらは一人ひとりでは何の役にも立たないけれど、数だけはいるんですよ。そして、似非科学の否定には結構数が大事なんです。だから、馬鹿だとは思っているけれど、一応表面上良い関係を保つことにしています」っていうのがもう的のど真ん中を射ているわけで、でも僕はそいつらと仲良くする気はさらさらない。30前後になっても研究とゲームとネットサーフばかりやっていて、10年後は何をやっているのか楽しみですねぇ、という感じだ。こちらも、要は、どうでも良い。
直後に書いたバイオ市場25兆円の話も同じ。僕は事実をきちんと把握して、分析して、「このままではだめですよ」と発言した。僕は政治家でもなければ役人でもない。為政者じゃないんだから、これ以上はどうにもならない。でも、とにかく5年前に、大臣たちがいる(実際には大臣の代理だったかも知れないけれど)オフィシャルな場で、「このままではダメです」と警告をしてあげた。全ての日本人で、僕だけだよ、僕が知る限り、きちんと無理だって発言したのは。感じていたのはもちろん僕だけじゃないよ?っていうか、バイオの関係者はほとんど「こりゃぁ無理だろうな」って思っていたはず。でも、それを黙っているのが日本の社会なんだよ。「放射線レベルが非常に高くなっていました(←過去形なのが重要)。ごめんなさい」「販売できないはずの野菜が流通に乗っちゃってました(←過去形なのが重要)。一週間前から分かっていました。ごめんなさい」って、今だってこんなニュースばかりじゃん。「バイオバブルがはじけました」っていう日本総研の人の話はそのとおり。でも、大勢のみんなは、バブルだってわかっていて、見ないふりをしたんだよ。今わかった話じゃない。何故見て見ぬ振りをしたのかって?その方が予算が取れるからでしょ。その方が業界にお金が落ちる。先がどうなるかが問題じゃない。自分たちの業界に税金が投入されることが重要だったんだよ。行政の市場予測って何のためにあると思っている?あれは、財務省に説明するための道具なんだよ。「三菱総研が25兆円と予測しています」って、でも、その数字を考えたのは経産省だし、BT戦略会議のバイオテクノロジー戦略大綱策定に当たって指示を出したのは内閣府だ。業界はお役所に頭を下げて、「その調子でどんどん予算を取ってきてください」って、御輿を担ぐ。そして、ガケから落っこちるって分かっているのにアクセルを踏み続けた。さすがにここ数年、25兆円の数字を出す人はほとんどいなくなったけれど、おかげでガケから落っこちた人たちがたくさんいるわけだ。
#落っこちた人たちの多くも僕から見たらタックスイーターだけれど、とにかく僕達は「税金がどういう仕組みで再配分されているのか」をきちんと見ていく必要がある。有効に活用されているかチェックする必要がある。ただ、それはそれ。ちょっと本筋から離れるから、もとに戻す。
ダメな奴にダメって言わない、うまくいきそうにないことをその通り言わない、失敗しているのにそれを認めない、予測なんてでっち上げだったのに見て見ぬふりをする。これが日本の国民性ってやつなんでしょ。
だから、科学が「面白いんだ!」「大事なんだ!」っていう奴らは、そのまま頑張れば良い。それが心地良いなら、そのままでどうぞ。僕は僕で、僕の中の正義に従うだけです。つまんないんだ、大事じゃないんだ、っていうのが認識できたとしたら、「じゃぁ、なんで科学を教えなくちゃならないんだ?」ってことになる。学者が増えたほうが数撃てるようになるから?科学技術系の予算が増えるから?両方ともありそうだけれど、基本的には「教えたいから」なんじゃないの?でも、教えられる側は別に興味がないんだよ。ここまで認識できて初めて、スタート地点に立てる。科学は面白くないし、科学は大事じゃない。でも、それがエンターテイメントのフォーマットに乗るなら楽しんでもらえる。もし話を聞いてもらいたいなら、理解してもらいたいなら、その工夫をしたら良いんじゃないの?ということ。そして、これはマーケティング手法の話。もちろん、エンターテイメント以外のアプローチだってあるはず(おっぱいだって可能性のひとつ)。あくまでも、僕の提案がエンターテイメントっていうだけのことだ。
百歩譲って、科学が面白くて、大事だったとしても、だからってそれが売れるとは限らない。良いものが売れるんじゃない。上手にマーケティングしたものが売れるんです。
モノを売ったことのない理系の学生には難しすぎますかね?これがわかっていれば、就職活動だって楽勝なはずなんだけれど(就職活動は自分を企業に売り込むマーケティング活動)。いや、もちろん、付け焼刃じゃだめなんだけれどね。2年ぐらいをかけてじっくり考えなくちゃだから、就職活動は。
ということで、もう一度まとめてあげよう。
1.科学は大事でも、面白くもないことを認識すべき
2.サイエンス・コミュニケーションしたいのは、研究者サイドの都合
3.つまらないものを受け取ってもらうには、付加価値をつける必要がある(美味しくない生野菜にドレッシングをかけるようなもの)
#納得しない奴はどうでも良い。じゃぁ、サイエンス・コミュニケーションでちゃんとメシを食っているタックスイーターじゃない奴を見せてみろ、ということ。
#ニューヨークとワシントンにある二つの自然史博物館には興味があって、自腹で(←はい、今、大事なことを書きましたよ。役所のお金で視察に行ったりする奴とは一緒にしないでね)両方共観てきたけれど、確かによくできている。そして、人気があるのもわかる。また、そのコンセプトを真似して日本に導入しているところがいくつかあるのも知っている。お手本にするのは良いけれど、あのコンセプトが真の成功を収めるためには、ハレの場(博物館)の整備だけじゃダメだよね。
#ちなみに科学はカネにはなると思うよ。でも、カネにする奴らには、別にサイエンスコミュニケーションなんていう啓蒙活動は不要だと思う。
#もう、ほんとに税金泥棒、税金乞食って嫌だよね。でも、震災のおかげで彼らへの税金供給はかなり絞られるでしょ。兵糧攻めで絶滅して欲しい。世間のチェックも厳しくなってほしい。