2011年05月09日

牛肉ユッケと原発の違いを池田信夫さんの主張をもとに検討してみる

ずっと長いこと死人が出なかった。死人が出たと言ってもレアケースだ。だから、今回のケースをことさら重大視して、これまでの体制を全部見直すのは過剰反応じゃない?

これ、対象が原発でも、牛肉ユッケでも、成り立つんだよね。でも、何か受ける印象が原発と牛肉じゃ全然違う。何が違うんだろう?

僕たちは、放射線を物凄く嫌う。放射線が自分たちの設計図である遺伝情報を直接攻撃するから?自己保存の根源的な部分を攻撃するから?でも、遺伝のしくみがわかるだいぶ前から、人間は放射線が大キライだ。放射線が見えないから?でも、大腸菌もサルモネラ菌も目には見えない。

放射線を研究していた科学者たちが軒並みがんで死んでしまってから以後、僕たちはずっと放射線が嫌いだ。そういう長い歴史の中で、意識の中に刷り込まれているのかも知れない。ただ、それにしても人類の放射線嫌いはなかなかに普遍的で、それは子供たちが軒並みプリキュアが好きだったり、仮面ライダーが好きだったりするのと同じである。どこかに「放射線って生理的に嫌だよね!」と思わせる何かがあるに違いない。

そんなことを考えていたら、ヒントは今や原発大推進派に転じた池田信夫さんの発言の中にあった。曰く、「原発ではこれまでに2人しか死んでいない。だから、自動車よりもずっと安全だ」。これは事実なんだよね。自動車よりもずっと安全な飛行機を人間は恐れるし、飛行機よりもずっと安全な放射線を人間は恐れる。「飛行機は怖いから自動車で行きます」なんていうのは統計的に考えれば全くナンセンスなんだけれど、実際にはそういう人って結構いると思う。自動車と飛行機の違いは、地面についているかどうか。それと、死ぬまでの時間。死ぬまでの時間って言うのは色々なんだろうけれど、僕の想像だと、「うわーー、操縦不能だーーー。墜落するー−−」とか、「テロリストに操縦桿を奪われました(涙)。今、どこに向かっているかわかりません」とかが想定事例で、絶望してからそれが現実になるまでに結構時間があるわけです。一方で、自動車の場合。「やべっ」どん。終了。この、「死に至るまでの時間」っていうのが恐怖感を作り出すんじゃないのかな。原発の場合、これが凄く長いわけです。今浴びた放射線で20年後にがんになるかも。この時間は自動車よりも飛行機よりも飛躍的に長い。

それから、絶望の度合い。自動車を運転している経験が長ければ、一度や二度、うわっ!という経験があるはず。僕が一番やばかったのは、常磐道を走っていたときに、追越車線上にビールのケースが落ちていたとき。前の車が突然それをよけたせいで、僕は逃げることができなかった。100キロでビールケースに突っ込んで、相当にやばかった。ただ、乗っていた車がZだったおかげか、なんとか安定を取り戻し、バンパーがぶち破れるぐらいの被害で済んだ。こんなことをそれぞれに経験しているんじゃないだろうか。うわーーーーっとなって、でも何とかなった、というのが。ところが、飛行機で「操縦不能!!!」ってなった場合には、なんかいかにも助からなさそうだ。「ビルに突っ込むー」というのも生存は難しそう。「逆噴射ーーー」だともしかして、と思うけれど、自動車に比較すると大分絶望感が漂う。そして、原発。「あなた、がんです」。これも、生存率が高くなったとはいえ、やっぱりちょっと絶望感が漂う。

もうひとつ、どうも池田さんの発言がすっと腑に落ちないところとして、全部を「死者」で判断していることがある。生きているのと、死んでいるのと、放射線の被害は二つにひとつではない。自動車事故だって、無傷、軽傷、重傷、死亡ぐらいの分類があるわけで、それは放射線でも同じだ。では、例えば「ちょっとでもDNAに傷がついたら『けが』とカウントします」としたらどうなるか。これはもう、福島だけじゃなくて関東一円も、宮城も、あたり一面けが人だらけということになる。ただ、そのうちのほとんどは自然に治ってしまう。でも、けがには違いがないし、そのうちの当たり所の悪かった人は白血病になったり、がんになったりする。今回の原発事故では、潜在的な負傷者は4000万人ぐらいだろう。こう考えると、原発事故の被害者は自動車に比較して格段に多い。都民だって、「うわー、放射線浴びちゃっているよ」って思っているわけで、「日常浴びているのの2倍程度ですよ」って言われても、「じゃぁ、トータルで3倍じゃんっ!」と思うわけだ。一方で、ユッケ。ちょっとお腹の調子が悪いなぁ、というのは人間良くあること。僕なんか、自分が乳糖不耐症で牛乳を飲むとお腹の調子が悪くなるということに気がついたのは40歳を過ぎてからだ。いつから乳糖不耐症だったのかすらわからない。おまけに、ブログに「牛乳飲んだ時にお腹の調子が悪くなるんだよね」って書いて、読者に「あんた、乳糖不耐症だよ」って教えてもらったくらい。そのくらい、お腹を壊すのは日常的なことだ。ただ、お腹を壊して、その結果死んでしまうというのは滅多にない。だからみんな、お腹をこわすことには非常に寛容だし、また、そのくらいで死ぬなんて滅多にないということも知っている。実際にはお腹をこわす原因菌にも色々なものがあって、ヤバいものは相当にヤバいわけで、O157とかO111とか、少ない数の菌で感染、重篤な症状を起こすものもあるけれど、逆に言えば重篤じゃないケースは全部ノーカウントである。つまり、日常的な下痢は日常的な放射線に対応し、不幸にも死者が出てしまうようなO111とかは原発事故によって発生した放射線に対応することになる。今回のユッケでは患者110人、重症22人、死者4人だが、放射線では関東4200万、福島200万、宮城200万、合計4600万人(ただし、群馬の200万人は除外したほうが良いかも知れず、その場合は4400万人)ぐらいが余計に被曝した計算である。

ということで「死に至るまでの時間」「やべっ!となった場合の絶望の度合い」「軽傷も含めた場合の被害者数」という3つの要素によって、「原発怖い!ユッケとは違う」っていう総合的なイメージが形成されているんじゃないかな、と思う。だから池田信夫さんがいくら「これまで死者はたった2人。今回も誰も死んでない」と一所懸命頑張っても、「そりゃ、違うでしょ」って思われちゃうんだと思う。

え?僕?そりゃぁユッケは食べるけれど(もちろん焼かずに)、原発はない方が良いです。ただ、電気も大事。事故が起きない原発が理想(当たり前)。

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この記事へのコメント
あれ、イメージで判断すると間違えることがあるから数字から判断したいんじゃないんですか?
数字よりも市民の直感的なイメージを優先させるのであれば、ウコンは体によさそうですしコラーゲン食べたらお肌ぷるぷるになりそうですよ。
Posted by ya at 2011年05月10日 01:26
> あれ、イメージで判断すると間違えることがあるから数字から判断したいんじゃないんですか?
> 数字よりも市民の直感的なイメージを優先させるのであれば、ウコンは体によさそうですしコラーゲン食べたらお肌ぷるぷるになりそうですよ。

どこの、なんの話ですか?
Posted by buu* at 2011年05月10日 01:29