2011年06月04日

菅内閣の支持率が低い理由

同じように大衆のご機嫌取りをやっているように見える小泉さんと菅さんだけれど、世間の評価は全然違う。ふたりとも、永田町周辺での評判は同じように悪いけれど、支持率の違いはどこにあるのだろう。

菅さんの手法は、大衆の気配は読むけれど、そこから先が一方的。大衆との対話がない。会見もやらないし、世の中に語りかけることもない。ときどき思い出したように被災地訪問などをやるけれど、これらも「何をしに来た」とか言われて、天皇陛下とは受け取られ方が全く異なる。

何が悪いのか。ぱっと思いつくのは情報の流れの一方通行具合。小泉さんの時は、小泉さんも、竹中さんも、それなりにテレビに出たりして、なぜ痛みがともなう構造改革が必要なのかを繰り返し説明して、理解を求めていた。ところが、菅さんは「こう決めました!」の一点張り。一所懸命空気を読もうとしている頑固爺さんみたいだ。そして、それは、菅さんの個人的な判断を押し付けているだけに見えてしまう。いろいろな行動も行動原理がわからないから、何から何まで唐突に見える。「どうせ行き当たりばったりでやってんだろう」と勘ぐられる(実際はどうなのかすら不明)。

政治主導がなぜ必要かって、それは、官僚主義が良くないから。じゃぁ、官僚主義のどこが良くないかって、大衆との会話がないことが最大の問題点のはず。政治家は大衆とのパイプがあるから、会話がないなんてことはなく、きちんと生活者との接点を持って、生活者と対話をしながら政策を立案し、官僚を使ってその実現を図ってくれるはず、との期待があったはずだ。

ところが、菅内閣の政治主導は、菅内閣が主導するだけ。主体が官僚から政治家に移っただけで、対話は相変わらず存在しない。これじゃぁ、支持が得られないのも当たり前だ。

あぁ、どこかで見た構図だなぁ、と思い返すと、サイエンス・コミュニケーションで展開されているのと一緒。サイコミは科学者が独りよがりな自説を押し付ける一方で、「こんなに面白いのになんでみんな聞いてくれないんだろう」と不思議がっている。菅内閣も多分、「生活者の視点に立って政策立案しているはずなのに、なぜ支持率がアップしないんだろう」って思っているはず。両方共、いわゆるコミュニケーション能力不足である。

僕の周りの研究者を思い出してみると、「あーーーー」と思う。多くが、自分が正しいと信じていて、「俺についてこい」っていうタイプ。自分がわからないことについてはオーソリティを探してきて、そいつに引っ張ってもらいたい。基本的に、見るのは上方向ばかり。

そうか、総じて東大卒の勘違い君たちに見受けられる官僚主義に、菅内閣の不人気の原因があるのかも知れない。勘違い君たちの思想は、「俺は正しい、俺は間違えない」という根拠のない自信だったりする。加えて、「愚民には理解出来ないから目をつぶってついてこい」と思っている。特に一番最後の奴が厄介。それが、菅内閣には色濃くて、小泉内閣ではそうでもなかった、と。でも、不思議なのは、菅直人って東工大なんだよね。東大へのコンプレックスを抱えているうちに、東大的な官僚主義に染まっちゃったのかな。「俺が決めるから、愚民どもはそれにしたがえ」って。あるいは、理系独特のコミュニケーション能力不足なのかも知れない。

そういえば、昨日の参議院予算委員会でもこんなやりとりがあったっけ。

「責任を引き継ぐとはどういう意味か」
「言葉通りの意味である」
「辞任するという意味か」
「言葉通りの意味である」

分かりやすく相手に伝える、という意思が全く感じられない。これは委員会での質問者に対する回答だけれど、その向こうにいるのは1億3千万人の国民である。菅直人は、国民に向かって「言葉通りの意味だ」を繰り返し続けたのである。

原因についてはいろいろ考えられるけれど、要すれば、菅直人は生活者を信用していない。生活者を信用していない人間が、生活者から信頼されるはずがない。

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