2011年06月10日

6ヶ月点検の完了を待つ時間

僕のツイッターのタイムライン上に「村上春樹のよさが、さっぱり分からないでいる。どのへんがいいの?」という文章が出てきた。それで、「どんだけ読んだのよ?」と聞いてみたら、「ノルウェイの森だけ。エッセイは読んだ」とのこと。

この返答から分かることは3つ。
1.つぶやき氏が「よさがさっぱりわからない」のは「村上春樹」ではなく「ノルウェイの森」であること。
2.才能を認めるというのは多分嘘。エッセイだけ読んで村上春樹の才能がわかるわけがないし、また、ノルウェイの森を読んだだけで才能がわかるとも思えない。もちろん、それだけの読書経験があるなら別だけど、読書経験がある人間なら、簡単に「才能を認める」などとは言えない。才能を認めると書いたのは大衆を敵に回すに当たっての自己防衛手段、保険に過ぎない。枝野の「ただちに」と一緒。
3.求めているのは多分「よさを教えてくれる」ことではなく「私も」という同調者が現れて、自分の価値観を肯定してもらえること。

その後、件のつぶやき氏は「伊坂幸太郎もわからない」としている。僕はこの結論にだけは同意するけれど、多分そこに行き着く経路は僕とは全く異なるはず。伊坂幸太郎氏のダメな所はこちらに書いたとおり。

ゴールデンスランバー

僕のような理系の人間でも漱石、太宰、芥川、安吾あたりはほとんど全部、また、近代文学の代表作もほとんど読んでいるわけで、そのくらいの読書量の人間にとっては伊坂幸太郎の文章というのは本当に辛い。それは、小説のフォーマット部分(文体とか、構成とか)のレベルが低いから。かくいう僕も所詮は理系。だから、例えば宮部みゆきと東野圭吾の文体上の優劣などはわからないわけで、僕のレベルはその程度でしかない。つまり、自分より上にある対象の優劣など、わかるわけがないのだ。今の読書のペースでは、多分この状況は変わらないだろう。件のつぶやき氏がどのあたりで伊坂幸太郎を気に入らないのかは不明で、それを推測するにはつぶやき氏のバックグラウンドとして、どの程度の教養があるのか、という情報が不可欠だ。でも、それはツイッターでは当然わからない。だから、正確な判断もできなければ、アドバイスもできないことになる。

さて、つぶやき氏はおそらく別に村上春樹の良さなど知りたくもないだろう。要は、「うへぇ、村上春樹とか読んでらんねぇー。そういう人、他にもいるよね!」程度のことと推察。もちろん、「ノルウェイの森を読んだけれど良さがわからない。これは自分の未熟故だと思うので、ぜひ、これを読んでみたらどうか、という本を数冊挙げてみて欲しい」と言われれば「じゃぁ」ということになるのだけれど、多分、そうではないのだと思う。ということで、会話はここで終了。ツイッターのコミュニケーションってこんなものだよね。

なぜ僕がこういう元も子もないというか、何の役にも立たないことを書いたのかといえば、車の6ヶ月点検を待っている間にちょっと時間ができたからである。結論としては、ツイッターは暇つぶしには役に立つこともある、ということ。普段はこういう時間はちょっとした読書に費やすんだけれど、今日は国会中継をBGMにしていたので読書には不適だった。さて、点検終了。スタッドレスタイヤを運ばなくちゃ。みんなの党の質問は聞かなくても良いかなぁ。

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