2011年07月17日

ゲド戦記

ゲド戦記 [DVD]

ジブリの黒歴史として名高いこの作品、日本テレビがせっかく放映してくれたので、録画してまで観てみた(こんなことはめったにしない)。

あぁ、なるほど、これは酷評されるのももっとも。まず、脚本がイケてない。一つ一つのシーンに脚本家の意図が感じられない。なぜそのシーンから始まるのか。冒頭のシークエンスは何の意味を持つのか、このあたりに対する戦略性が非常に弱い。終わってみると、竜のシーンはともかくとして、王宮のシークエンスはほとんどといって意味を為していない。そりゃぁ、ぜろではないんだけれど。映画を観る人は、冒頭から「さぁ、どんな登場人物がいるんだろう」「どんな世界観なんだろう」ということを考えて準備しているはず。そこへポンポンポンっと大勢の登場人物を放りこんでおいて、以後、その人達は全然物語に絡んでこないというのだから、「うわーー、分かりにくいなぁ、この映画。何を言いたいの?」ってことになっちゃう。例えばカリオストロの城が名作なのは冒頭のシーンでものすごく簡潔に、観客に必要な情報の全てを伝えていることと無縁ではない。不要な登場人物を出さずに違和感なくカリオストロ公国やゴート札のことを説明して、観る人間の頭のスイッチを切り替えさせてしまう。そういう、脚本部分での上手なところが全く引き継がれていないのだ。

次に声優。俳優を使っているからなのか、とにかく滑舌が悪く、加えてかぶせてあるBGMが大きすぎて、「え?なんて言ったの?」というシーンが何度も繰り返される。上述の脚本の弱さと相まって、一層観る人間に不親切な映画になってしまった。

そして演出。何かと言うと朝日だったり夕日だったりのイメージシーンに突入してしまう。こういうのが許されるのはせいぜい一回だろう。パイレーツの三作目、ハリポタの最終作でもそういうシーンがあったけれど、その手のイメージシーンというのはどうしても観客が置いてきぼりになる。海外だと真っ白になるみたいだけど、日本だと日の出なのは宗教の違いからだろうか。登場人物たちの行動によって物語を作っていくのではなく、セリフでつないでいく演出もどうだったのか。

最後に、共有されていない世界観。影とはなんなのか、生と死の表裏一体感に対する主義主張、竜という存在の意味するもの、物語の中での魔法使いの位置づけ、そんなこんながあいまいなままで、あたかも「わかんなかったら原作を読んで」と突き放しているような印象を受けてしまう。

宮崎吾朗という、世紀の大天才を父親に持った人間の苦悩は、冒頭、主人公が父親を刺してしまうところを筆頭に、映画全編にわたって反映されていたんじゃないだろうか。吾朗氏は「ゲド戦記」という剣でジブリを刺した。そして、5年間かけて「自分を受け入れる」ことを続け、ようやく「コクリコ坂から」を撮ったような気がする。この映画は、彼自身の、非常に私的な作品だったんじゃないだろうか。そう考えれば、イマイチな映画ではあるものの、非常に興味深い作品だと思う。

評価は、宮崎吾朗氏の今後の活躍に期待して半分おまけ、☆1つ半。

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