参考:環境省が推進するがれき広域処理の意味――前編:大量のがれき
http://b.hatena.ne.jp/articles.touch/201203/8145
#四者(笹山氏、津田氏、東氏、僕)のやり取りはツイッターで探せば見つかると思うけれど、面倒くさいのでそれはパスしておく。興味のある人は探してみれば見つかると思う。
僕が「本当に津田さんが書いたのか?」と疑問に感じたのは、文体のせいである。「思想地図」の彼の文章の文体と、「はてなブックマークニュース」に掲載された彼の文章の文体とが、あまりにも違ったのだ。この指摘に対して彼は「両方ともに自分で書いている」と言い張って折れず、最後には「そんな違いがわかるなんて、特異な日本語感覚をお持ちですね」と書いてきた。
(念の為に書いておくと、僕が指摘したのはあくまでも「文体」であって、内容ではない。笹山さんが指摘したのは環境省の太鼓持ちという点で、僕とは視点が全く異なる。)
僕は津田氏の主張を読んで、「あぁ、この人は文体の違いがわからないんだなぁ」と思った。
例えば夏目漱石と、それに強く影響を受けている太宰治であっても、文体は全く違う。また、同じ太宰であっても、それは徐々に変わっている。そのあたりを感覚として受け止めることができないのだろう。
もっとわかりやすく言えば、僕がほぼ同時期に書いた「総統閣下はお怒りです」と「遺伝子組換え食品とのつきあい方」の2冊は、内容的には同じベクトルだけれど、文体は極端に違う。また、「総統閣下はお怒りです」の中でも、登場人物によって、考え方のみならず、発言の文体を大きく変えている。わからない人間には、これらの違いがわからないのだろう。
だけど、ちょっと身の回りの人たちを考えてみて欲しい。友達それぞれに、「あの人ならそんな感じで言いそうだ」という個性があるはずだ。
文章を構成するものは、内容だけではない。楽曲がメロディ、詩、編曲で構成されているのと同様、文章には「文体」という要素が存在する。だから、「吾輩は猫である」という本を芥川龍之介が書けば、同じストーリーでも全然違うものができあがる。
読書量が少ない人間は内容「だけ」を読んでいるつもりになるが(それが一番わかりやすいから)、実際には宮部みゆきと伊坂幸太郎の文体は全く異なるし、あるいは同じ会社の新聞の記者の中でも文体が異なる人間が存在する。
新聞の例を挙げるなら、僕は以前、「朝日新聞の西村欣也という人の文体が大嫌いだ」と書いたことがある。多分15年くらい前だ。彼はその後すっかり偉くなったのだが、それにあわせて文体も変わってきた。僕は、今の彼の文章は好きでも嫌いでもない。なぜなら、彼の書く文章は、今では新聞として普通の文体になってしまったからだ。今になってみると、以前の「大嫌い」という印象を与える文体のほうが個性的で良かったと思うくらいだが、それはそれ、である。
言いたいことは、文章の構成要素には隠しアイテムとして「文体」というものが存在しているということである。このことを定量的に表現することは難しいのだけれど、例えばこんなシステムがある。
文体診断λόγων(ロゴーン)
http://logoon.org/
このサービスは、文章を入力すると、それを元にして、類似性の高い文体の作家、著名人を列挙してくれる。そこで、今回の2つの文章から冒頭の部分を抜粋し、比較してみた。使用したのは次の2つである。
思想地図β2 「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」@津田大介
まずは、ソーシャルメディアがこの震災で果たした役割について分析したい。
ソーシャルメディアには、様々な情報を伝達するメディア的側面と、携帯電話やファックス、電子メールのような「連絡手段」として機能する情報インフラ的側面がある。後者について、この度の震災で果たした役割を疑う人は誰もいないだろう。ソーシャルメディアが緊急時の連絡手段として有効に機能することは、十分に証明されたからだ。
現在の携帯電話網の仕組みでは、緊急災害が起きるとその地域への携帯電話が輻輳を起こし、通話が不可能になる。実際、震災直後から数時間はすべての携帯電話が通じにくい状態が続き、通話網の付加機能(通話帯域を利用してショートメッセージを送る)という位置付けのSMSも輻輳の影響を受け、送受信できない状態に陥った。
はてなブックマークニュース「環境省が推進するがれき広域処理の意味――前編:大量のがれき」@津田大介
「みんなの力でがれき処理」――。環境省は、東日本大震災で発生した宮城県、岩手県の災害廃棄物(がれき)の広域処理を推進している。広域処理とは、被災地で発生したがれきを、被災地以外の場所で処理すること。あわせて環境省は、テレビや、新聞、ネットで大々的に、この広域処理についての広報キャンペーンをしている(本記事もそのキャンペーンの一環として取材・執筆されている)。
テレビCMは環境省の広域処理情報サイトでも閲覧できる。以下に貼り付ける。
ナレーションは宮城県女川町出身の俳優、中村雅俊さん。プライムタイムの放送時間帯にオンエアされた。
新聞では、何回かに分けて全国紙の朝刊に見開き2面のカラー全面広告を掲載。ネットでもYouTubeのトップページや、各種ニュースサイトへ、広域処理促進のための広告が表示された。
その結果を以下に示す。
●思想地図β
一致指数ベスト3
1 岩波茂雄
2 橋本龍太郎
3 吉田茂
一致指数ワースト3
1 新美南吉
2 川端康成
3 宮沢賢治
文章評価
文章の読みやすさ D 一文がやや長い
文章の硬さ E 文章が硬い
文章の表現力 A とても表現力豊か
文章の個性 A とても個性的
●はてなブックマークニュース
一致指数ベスト3
1 石川啄木
2 北村透谷
3 浅田次郎
一致指数ワースト3
1 三木清
2 有島武郎
3 井上靖
文章評価
文章の読みやすさ B 読みやすい
文章の硬さ E 文章が硬い
文章の表現力 A とても表現力豊か
文章の個性 A とても個性的
機械的な判断によれば、表現力、個性という指標では同様に特徴的(文章評価から判断)であるものの、その方向性は全く異なる(一致指数から判断)という結果になった。僕が当時ツイッターで書いたのは、思想地図の文章は下手で、はてなブックマークニュースの文章は上手、というものである。その部分は、機械による「読みやすさ」という指標で明確化されている。
#もちろん、「文体診断λόγων(ロゴーン)」も単なる一指標に過ぎず、正しい保証はない。
思想地図の記事は、冒頭の「まずは、ソーシャルメディアがこの震災で果たした役割について分析したい。」という文章からして、僕にとっては「リズム的におかしい」と感じられる。これはあくまでも個人的な感覚だが、この文章は次の二通りが「普通の」日本語だと思う。
まず、ソーシャルメディアがこの震災で果たした役割について分析したい。
まずはソーシャルメディアがこの震災で果たした役割について分析したい。
思想地図における津田氏の文章は、こうした読点の打ち方と、ひとつひとつの文章の長さが、良く言えば個性的だった。ところが、はてなブックマークニュースの文章はとても読みやすく、悪く言えば没個性的に感じられた。
件の津田氏に対しては、「教養がないなぁ」と感じたのと同時に「馬鹿を晒してみっともない」と感じたのだが、それは、彼が、明らかに文体が異なる「自身の」文章について、「違いなど全くない」と20万人に表明してしまったからである。低い山にしか登ったことのない人間には、高い山からの眺望が想像できない。
では、津田氏の「両方とも自分が書いた」というのは嘘なのか、ということなのだが、恐らくは嘘ではないのだと思う。ただ、思想地図に比較して、はてなブックマークニュースの文章は、編集者なり、添削者なりの手がそれなりに加わっているのだろう。同じ女性でも、お化粧や服装によって、受ける印象は大きく変わってしまう。文章も、例えば役人が手を加えれば、当然役人っぽい文体になるということだ。そう、キャリア官僚として文章を書いて政治家に説明したり、公的研究機関において広報担当者としてウェブに記事を書いてきた僕から見ると、はてなブックマークニュースの記事の文体は、とても役人っぽい文体に感じられたのである。
ちなみに、この一件の際、思想地図βの編集長である東浩紀氏は、「うちの編集者が力不足でしたら申し訳ありません」という主旨のつぶやきを書いていたけれど、文体はあくまでも個性であって、それを意図的に残すのは編集方針として普通である。僕は書籍の感想で「津田大介さんの文章は日本語にかなり難があって、この本の中ではかなり異質な印象を持つ。僕は内容と同時に表現のフォーマットやリズムを大事にするタイプの人間なので、この文章はなかなか頭にすんなり入ってこない。」と書いたけれど、わざわざ修正するようなことでもないと思う。
#文体模倣として「続 明暗」は傑作である。
##この記事は役人っぽい文体で書いてみた。
###東さんだって、一読して2つの文章の違いは感じられたのではないかと推測しているが、そのあたりを明言しないところは東さんの大人なところだろう。
####この文章はこんな評価らしい。
一致指数ベスト3
1 大宅壮一
2 遠藤周作
3 阿刀田高
一致指数ワースト3
1 岡倉天心
2 三木清
3 新美南吉
文章評価
文章の読みやすさ C 適切
文章の硬さ A 文章がやや柔かい
文章の表現力 A とても表現力豊か
文章の個性 B 個性的
大体どこを抜いても大宅壮一と遠藤周作は上位に来る。