2012年06月09日

Twitter後のネット社会番外編 その14 Facebookの行政利用って、本当にうまくいくの?

Facebookもそろそろ頭打ち感が強くなってきているのですが、不思議と行政関係者にはウケが良いです。市民との新しいパイプとして期待しているのかも知れませんが、経産省のTwitter利用がいまいちうまくいかなかったのと同様、Facebookも行政に対してそれほどポジティブな効果をあげるとは思えません。ちょうど、調布市でFacebook利用の提案があったようなので、どういったところがダメなのか、下記のエントリーを引用しつつ、指摘してみたいと思います。

市民まちづくり記者構想
http://ameblo.jp/minnanochofu/entry-11272638253.html

#アメブロを使っている時点でどうなのよ、という感じなのですが・・・(^^;

利用者数でtwitterを追い越してしまったfacebook


日本におけるFacebook利用者数は、ニールセンの調査ではTwitterユーザーとほぼ同数(2012年4月のデータではFacebookの利用者数が減少に転じた(!)ため、Twitterの方が多い)です。

追い越したというのが正確かどうかは細かい話なので置いておくとして、重要な点は、FacebookがTwitter並の利用者数であったとしても、それは公共インフラではないということです。ほぼ一年前、私は「自治体までFacebook」というエントリーでその問題点を指摘したのですが、

Twitter後のネット社会 番外編 その9 自治体までFacebook
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51279183.html

その中で指摘した7つの問題点は一年経ってもまだひとつも解決されていません。加えて、いくつかの新しい問題点も顕在化してきています。それを含めて以下で指摘していきたいと思います。

多くの市民がまちづくりに参加出来るシステムをつくってしまおう


「政治」とは、「私(=個人)の生活を良くして下さい」という私的要望を集約し、取捨選択してその一部を実現するシステムです。道路の整備状況が良くない、保育施設が足りない、バスの本数が少なくて不便だ、地元の駅に急行が止まって欲しい、税金を安くして欲しい、補助金をばらまいてほしい、どれもこれもが私的な要望です。それがたとえ「世界平和」であったとしても、「私を戦争に巻き込まないでほしい」という要望が根底にあります。

実際に中央官庁で行政官として勤務していると、こういった「私的」な要望がひっきりなしにやってきます。なぜなら、行政官は予算を持っているからです。元も子もない話ですが、彼らの主張は「そのお金を使って、私の生活を良くして下さい。私に儲けさせて下さい」ということです。

Facebookのようなシステムを行政に導入すると、おそらく要望には抑制が効きにくくなります。生活者たちは山ほど不満を抱えて生活しています。彼らは自分の要望をどうやって行政に伝えたら良いのかを知りませんが、「あ、こんな方法があるのか」と知ってしまうと、みんながそれをやりだします。ところが、その要望を叶えるにはお金が必要で、「財源はどうするんだ」「やるべきこととやる必要のないことはどう線引きするんだ」という話になります。もちろん、何でもできるわけでもなく、むしろできないことの方が増えます。結果として、市民はフラストレーションを溜めることになります。できないなら、最初から聞かないほうがマシなんです。

政治家がやる「まちづくり」というのは、こういう要望のうち、自分に投票してくれそうな人間の声を支持者にわかりやすく(わからないと投票してもらえないので意味がない)吸い上げることに他なりません。そして、Facebookを行政に利用したら、吸い上げることのできない意見ばかりが増えてしまいます。

むしろ、行政は、何もやらないほうが良いくらいなのです。ほとんどの生活者の要望が叶わないなら、いっそのことほとんどのことを辞めてしまい、税金を安くしたほうが良いはずです(ただし、私見)。

市役所が市政情報の発信にfacebookページを活用する


もう、この時点で話がおかしいと思います。この話を、表現を変えるならば、「市政情報を知りたかったらFacebookをやりなさい」ということです。新しいシステムにかぶれ易い人間はすぐに「これは素晴らしい。どんどん使わないと」と思ってしまいますが、実際にはオールマイティなシステムなど、この世にはほとんど存在しません。存在するとしても、それは公共インフラ色の非常に強いものである必要があって、少なくとも一民間企業が運用しているSNSなどは、それになりうるものではありません。

実際、今の日本人は、発電と送電のシステムを民間企業に握られていることによって身動きが取れなくなっているではありませんか。もちろん、「全ての情報発信にFacebookを利用する」ということではなく、今までのウェブサイトなども並列に使うことになるのでしょうが、それにしても先行きの不透明感が強いです。

加えて、Facebookとは、既存の人間関係をそのままネットに持ち込んだものです。現実の社会には、仲の良い人もいれば、悪い人もいます。友だちの友だち、ぐらいであっても、「あいつは嫌いだ」という人間の一人や二人、必ずいるはずです。そういった状態において、一層個人のエゴが丸出しになるような「行政」を取り込んだら、一体どんな状態になるのでしょうか。「あいつの要望だけ実現したのはおかしい。今度はこっちの番だ」といった話がそこここで見受けられるようになりそうです。

生活者が、自分の意志でやるのであれば、Facebookだろうが、ミクシィだろうが、グリーだろうが、勝手にやれば良いのです。あるいは、政治家が、自分の選挙区の有権者の意見を吸い上げるツールとして利用するのも良いでしょう。しかし、行政や政治家が「みんなでFacebookをやろう」と旗を振るのは、わかってねぇなぁ、という感じなのです。

市役所は、市民向けのインターネット講座を徹底的に開催


「インターネット講座をやる業者(=タックスイーター)に丸め込まれているんじゃないの?」感が満載です。私の会社もソーシャルメディアの利用方法をレクチャーしてお金を頂いている会社ですが、間違ってもタックスイーターなどにはなりたくありません。もちろん役所に「Facebook導入を進めましょう」などと提言することもありません。

「市民向けのインターネット講座」にかかる費用の原資は税金です。こんなアホらしい税金の使い方はありません。それを業者に丸投げではなく、市役所の職員がやるとしても、です。「徹底的に」というのもちょっと笑ってしまいます。Facebookの利用方法を私が徹底的にレクチャーしようと思ったら、一対一の個別コンサルティングをそれなりの期間継続しないと無理です。実際、現在の日本人で、一体どれくらいの人がFacebookを上手に利用しているというのでしょうか。

そもそも、SNSというシステムの寿命などたかが知れているのです。あれだけ全盛を誇ったミクシィですら、今では青息吐息となっています。一時期200万円を超える値をつけていたミクシィの株価は、今では14万円程度です。
(株)ミクシィ(日経会社情報)
http://www.nikkei.com/markets/company/chart/chart.aspx?scode=2121&ba=1&type=5year

先のことを100%見越すことは不可能ですが、Facebookであろうとも、その寿命はせいぜい5年程度と見るのが常識的なところです。ましてや、今のFacebookはかつてのミクシィのような勢いが感じられません。このあたりについては最新の「Twitter後のネット社会番外編」で指摘したとおりです。

Twitter後のネット社会番外編 その13 来る前に終わったFacebookの時代
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51341269.html

では、なぜ今頃(すでに頭打ち感が出てきている状態)になって、政治家がFacebookを連呼するのでしょうか。それはおそらく「遅れてきた村の重鎮」に物凄くフィットするシステムだったからなんだと思います。このことについても、私はちょうど一年前に次のように指摘しています。

しかし、一方で、この融合は、あるクラスターに対しては大きな福音でしょう。それは、ムラ社会が大好きな、いわゆる官僚とか(ここでの「いわゆる」は、皆さんが想像する典型的な、という意味です)、いわゆる大企業の社員とか、いわゆる学者とかです。そういった、ムラ社会が大好きで、そこの居心地が良く、できればネットにもその居心地の良さを持ち込みたい層にはものすごくフィットするかも知れません。

前回、私は「フェイスブックは加齢臭に満ちている」と書いたのですが、その原因がどにあるのか、確信しました。何か自分の意にそぐわないことがあると、こっそりとメールしたり、悪口を言い合ったり、肩書きを利用して黙らせたり、ついつい日頃日常生活でやっていることをネットの中でもやってしまうような人が存在するからです。「村の重鎮」によって、日本のフェイスブックは色付けされつつあります。今後、この流れはかわっていくのでしょうか。引き続き、観察を続けたいと思います。

以上、下記より引用
Twitter後のネット社会 番外編 その8 遅れて登場した「村の重鎮」
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51267244.html

何のことはない、私が予言したとおりにFacebook周辺の事象は進んでいるのです。

(いまのホームページと同じ様に、見るだけならfacebookを使わない人でもみれます)


「Facebookを使わないと村社会から仲間はずれになります」と同義です。

市民は自分が住む地域の情報をfacebookを使って発信することで、他の地域の市民とその情報を共有出来る。


もちろん、不満を共有することになります。

インターネットなので、市役所が開いてない夜でも、土日でも、時間が無い方は電車の中からでも発信できる。


そして、その情報を適切に管理するためにお金が必要になるのです。

投稿された情報は、facebookを使っている人は誰でも見て楽しめる


誰でも不満を持つことになります。仮に楽しめたとしても、Facebookを使っていない人は蚊帳の外です。何でもかんでも平等であるべきだとは思いませんが、Facebookはあまりにもピンポイント過ぎます。

この投稿記事を見た市役所職員は、提供された情報を確認次第、すぐさま対応する。


最近、「事故が起きたのに飲み会をやっていた警察幹部」とか、「容疑者が逃亡したのに飲み会をやっていた警察幹部」とかが話題になっていましたが、同じように、「不満が書かれていたのに飲み会をやっていた市役所職員」と非難されそうです。

問い合わせには、すぐに回答したり、まちの危険な場所なら、すぐに現場に急行し対処する。


情報がまともなものだけだと思っているのでしょう。実際にはつまらない情報の方が多いというのに、です。本当にFacebookを問い合わせ窓口にしたら、市役所の職員はノイローゼになりそうです。

まちで見掛けた「異変」も、その場・その時でなかったらなかなか役所に伝えたり出来ませんよね。


逆ではないでしょうか。何でもかんでも伝えられてしまったら、重要な仕事に支障を来たします。

facebookなら自分の好きな時間に、好きな場所で投稿出来たりします。


世の中、性善説だけでは回りません。特に公共サービスはそうです。

休日だったら「あとでいいや」になり、連絡もしないままになってしまうこともあります


「あとでいいや」で忘れてしまうようなどうでも良い話は、市役所に持ち込まなくて良いということです。

市役所も予防接種の案内や、学校行事、花火大会、「○○フェア」などのイベント情報もこのfacebookを使って情報発信する。


既存のウェブサイトで十分です。わざわざ新規でお金を投入し、市民を教育する意味がわかりません。もちろん、調布市で油田が見つかって、湯水のごとくお金が湧いてきて、使い道に困っているというのであればこの限りではないのですが、調布市がお金が余って困っているという話は寡聞にして聞いたことがありません。

「ここをこうしてもらえないか?」などの希望もコメントすることが出来る


実現したら、職員はてんてこ舞いでしょう。

こんなことが実現出来たら素敵だと思いませんか?


昔こういう話(=絵に描いた餅)をどこかで聞いたよなぁ、と思ってちょっと記憶をたどってみたら、幸福実現党の選挙公約でした。

全国にはすでに、そんなことを実現できている自治体があるのです。


一体どこでしょうか。まさか、佐賀県武雄市のことでしょうか?もしそうだとしたら、それが実現したことによって武雄市の財政がどう変化したのかとか、効果をきちんと見せて欲しいのですが。

残念ながら調布市は、首を縦に振りませんでした


私は調布市の判断が正しいと思います。

ネットのことが全然わかっていない人が物珍しいシステムに夢中になってしまったのか、あるいはタックスイーターの業者に色々と良い所だけ吹きこまれちゃったのかなぁ、と心配になってしまいます。

実際のFacebookの中を見てみればすぐにわかることがあります。私の友達だけを限っても、Facebookを積極的に使っているのは「自分から情報発信することによってメリットがある人」だけです。その割合はどんなに多く見積もっても3割程度でしょう。Facebookとは、所詮はその程度のシステムなんです。

#ただし、イベント関連の機能だけは非常に便利です。いつもFacebookについてネガティブなことを書いていますから、今度はイベント機能の魅力について記述したいと思います。

もう一点、Twitterで遺伝子組換え食品関連のつぶやきをウォッチしていて気がついたことがあります。それは、不安を抱えている人は、機械のように反遺伝子組換えの投稿を繰り返す、ということです。同じ人が、何度も同じような情報を発信するため、凄く大勢の人が不安を持っているのかと勘違いしていました。ところが、身の回りの人に聞いてみると、実際にはそんなことがなかったりします。Twitterでは、人数はそれほどでもないのに、投稿数だけが増大するので、不安や不満にバイアスがかかってしまいます。そして、それが雰囲気を作り出してしまいます。そういった雰囲気は、世の中をミスリードしかねません。行政が旗振りをして半ば強制的に市民をSNSに参加させてしまうと、ありもしない雰囲気が形成されてしまう可能性があります。ところが、行政が旗振りをしたら最後、そういう雰囲気は公式のものとなってしまい、無視できなくなります。「どこかのSNSではこんなことになっているらしい」では済まないのです。そして、それは衆愚につながるだけなんじゃないかと思うのです。

上にも書きましたが、政治家が世の中を知るためにFacebookを利用することは決して悪いことではないと思います。それは「私的」な利用だからです。一方で、行政が公的な部分で利用することには、かなりの無理があると思います。

後日談
調布市議会議員高橋ゆうじさんへ

関連エントリー
その1「情報拡散は公式RTを利用しよう」

その2「自分ができることをやる」

その3「ポジティブ情報も生き残れないTwitter」

その4 ツイッターでの議論はソーシャルリンチにつながります(草稿)

その5 自分にとってのカリスマ

その6 芦田さんのツイッター微分論について その1

その6 芦田さんのツイッター微分論について その2

その7 来る前に終わった?フェイスブックの時代

その8 遅れて登場した「村の重鎮」

その9 自治体までFacebook

その10 芦田宏直氏の講義の事例

その11 Twitter微分論について

その12 地獄への道は善意で敷き詰められている

その13 来る前に終わったFacebookの時代




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