2013年06月13日

教祖と信者の鬼ごっこ

メイロマさんの新刊が発売されたようで、ちょっと早すぎるペースかな、と思わないでもないのだけれど、それはそれ。内容がちゃんとしているかどうかを評価するのは読者の皆さんなので、ここでは言及しない。



僕は基本的にメイロマさんの主張には首肯することが多いのだけれど、「ノマドと社畜」を読んでみて、少なくとも僕にとってはそれほど価値がある内容でもなかったので、後続の書籍は読んでいない。「価値がない」というのは「つまらない」という意味ではなく、僕には分かり切っていること、というニュアンスである。物理学者にとっては高校の物理の教科書が価値を持たないことと同じである。僕は他人の本を読んで、「あぁ、僕と同じ感覚の人がいる」と安心したい人間ではないので、読む必要がないのだ。

誤解されると困るのでもうちょっと補足すると、僕にとって「ノマドと社畜」はいくつかの点で興味があったから購入した。それらは、

  • 出版社が絡んだ電子出版がどうなるのか
    日本語能力が抜群に高いとは言えないメイロマさんの文章にどの程度編集の手が入るのか
    ネット文化圏の影響が強く見られるメイロマさんの芸風がどこまで一般出版社に許容されるのか
    ネット住民に受け入れられた商品がどのように推移していくか


などである。特に四つ目を分析する上では、本を読んでおくことが大切だった。

「ノマドと社畜」からは、多分一般の人とは異なる視点から一定の知見を得ることができて、その時点で僕はメイロマさんの執筆する書籍の内容には興味がなくなった。ということで、以後の書籍は購入していない。ただ、決して少なくない人にとって、メイロマさんの書籍は参考になるところがあると思う。メイロマ本のレビューを見てみると賛否両論で、否定的な意見も少なくない。しかし、「否」が多いということも、この手の本の評価では重要だ。つまり、否定されるだけの明確さを持ち合わせているということだからだ。



さて、今、ネットを見回してみると、そろそろ首を傾げたくなる状況になりつつあると感じる。簡単に言えば、それはメイロマさんの勝間化である。勝間化の定義は難しいのだが、それを2行で書くなら次のようになる。

特定人物の主張をほぼ全面的に受け入れ、それに反対する勢力に対して十分な考察なしに反論する『信者』層が形成されている状態


Twitter界では『教祖』と『信者』の関係が成立しやすく、少し前では芦田宏直さんがこういう状況を作り上げた。僕の場合、芦田さんにしても、メイロマさんにしても、おおよその部分ではその主義主張に共感するのだが、では全面的に支持できるかといえばそんなこともない。例えば芦田さんは内田樹氏と懇意だが、僕は内田樹氏は教育以外の領域においてはかなりアホだと思っている。

参考資料:そろそろTPPについても考えてみないとねぇ
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51300674.html

この2人がなぜ仲良しなのか、僕には皆目見当がつかないのだが、何か触れ合うものがあるのだろう。少なくとも僕なら付き合う気はしないし、付き合っている知人を見たら「うーーん」と思わないでもない。

芦田さんは教育以外の分野でも、ヘッドフォンなどではなるほど、と思うことがあるが、映画評ではかなりの偏りがあるし、サッカーになればもっと知識がない。当然だが、スキーに関する知識は僕の足元にも及ばないだろう。しかし、こんなのは当たり前である。芦田さんは神様ではないので、得意・不得意が当然ある。芦田さんは自分の専門外の分野についてはほとんど言及することがないのだが、それでもそれぞれの主張は是々非々で咀嚼する必要がある。ところが、ある種の人々の間では、芦田さんは神様なのである。

これはメイロマさんも一緒だ。彼女の視点そのものは斬新というわけではない。むしろ、国際化している人間から見たら当たり前のことが多いのではないか。ただ、その中には当然偏りもある。例えばサッカーに対する感情などがそのひとつだ。英国においてはサッカーは下流階級が楽しむスポーツである。英国に住んでいるメイロマさんがサッカーに対して悪い感情を抱いても全く不思議ではない。しかし、日本は状況が違う。だから、メイロマさんが「サッカーは下流階級のスポーツである」と言ったとしても、それには「英国では」という但し書きがつく。サッカーはわかりやすい例として取り上げたけれど、もっと彼女の専門に近いところについても同様だ。メイロマさんの主張はあくまでもメイロマさんの視点から述べられているに過ぎない。その視野が十分に広いかどうかは別途検討が必要である。メイロマさんも神様ではない。

同時に、メイロマさんは自分で神格化を避けているフシがある。それはシモネタを多用したり、ヘビメタの趣味を強調したりするあたりから垣間見ることができたのだが、最近では自らの著作へのネガティブな評価でも公式RTしているあたりからも、それが伺われる。ハリネズミではないけれど、必要以上に近い距離になること、慣れ合うこと、つまり、教祖化することを意識的に避けているようだ。

メイロマさんは、多分教祖にはなりたくないのだ。

この点で自らのファンを集めて、居心地の良いオフラインミーティングを開催する芦田さんとはちょっとタイプが異なっている。

それでも、メイロマさんの信者となってしまった人は少なからず存在するようだ。メイロマさんがそれを望んでいないのに、である。そういう人の多くは、これまで日本社会で冷遇され続け、自分の生き方を認めてもらえなかった人たちかも知れない。このあたりは全くデータもなければ根拠もなく、芦田さんなら「心理主義」と一刀両断するだろうが・・・。とにかく、依存性が高いにも関わらず、依存できる先を見つけられずにいた層が、ようやく自分を肯定してくれる人物を見つけ、同化したくて仕方がないという状況があるのではないかと想像する。

今、メイロマさんのタイムラインをちょっと読んでいると、"教祖に祀り上げられたくないオピニオンリーダー"と、"ようやく自らの教祖たりうる人物を見つけることができた子羊"との鬼ごっこを見ているような錯覚を覚える。メイロマさんから「私は神様ではありません。自分で考えて、自分で判断してください」と距離を取ろうとしても、信者が「いやいや、見捨てないでください。どこまでもついていきます」となってしまうと、メイロマさんがそれを振りほどくのは大変な作業である。

Twitterがこういう新興宗教的な色彩を帯びてしまう理由は拙著「Twitter後のネット社会」で論じたのだが、簡単にいえば、教祖が簡単に、かつダイレクトに「それは違う」と反論できてしまうので、迷える子羊たちがすぐに説得されてしまうし、ご機嫌取りのポジションに落ち着いてしまうからである。「それは違うんじゃないかなぁ」と思っていても、それを発言したら最後、教祖からも取り巻きの信者からも徹底的な反論を受ける。それが面倒くさいなぁ、嫌だなぁ、と思っているうちに、自主規制し、やがて同化してしまうのである。頭で考えず、教祖に同調することが、信者にとっては一番簡単なことなのだ。



さっきちょこっとメイロマさんへの@を読んでみたら、頓珍漢なラブレターが寄せられていて、「この人は本当にメイロマさんの本を読んだのかな?」と思ってしまった。「自己啓発本なんてクソ」という内容だったはず(ただし、読んでないので、予想である)なのに、信者の方でメイロマさんの著作を勝手に自己啓発本として利用してしまっているフシがある。

メイロマさんにしても、芦田さんにしても、実は(多分)信者に対してそんなことは望んでいない。ふたりとも、自分で考えて、自分で行動することを期待している(のだと僕は感じている)。しかし、皮肉なことに、多くの場合で信者たちは、教祖に同化した時点で満足してしまうようだ。

もちろん、この「信者」というレッテル貼りも、必ずしも正しいわけではない。「俺は、それぞれの主張がそれぞれ正しいと思っているだけで、結果として全面的に支持しているようにみえるかも知れないが、実際は是々非々で考えている」という人も少なくないのだろう。残念ながら、そういう意見が表出しにくいのがTwitterなのである。

メイロマさんの主張は、海外からの視点という点で一部の人にとって新しい。しかし、それが全て正しいわけではない。大事なことは、日本からの視点だけではなく、海外からの視点も併せ持ち、その上で自分がどうすべきかを自分の頭で考えることのはずだ。しかし、Twitterでは、迷える子羊達が一所懸命教祖と同化しようとしている場面がチラつく。

ただ、これは特殊な事例ではない。切込隊長、ホリエモン、あずまん、岡田斗司夫さん、きっこ、上杉隆、勝間和代・・・・ネットの周辺では、これまで大勢の教祖たちが誕生してきた。この中で教祖化が最も顕著なのが岡田斗司夫さんだと思うのだが、彼については過去にこんな記事を書いたことがある。

岡田斗司夫さんのトリセツ
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51326332.html

リンクを読むのが面倒くさいという人のために要点を書くと次のようになる。

岡田さんに傾倒してしまうと、岡田さんがいないと何もできない、岡田依存症の人間になってしまうだろうな、と思う

色々と自分で考えて、色々な人の意見を聞いて、その上で自分で決めることこそが重要

正しい答えに行き着くことが重要なのではなく、どう考えるか、どうやって正しい答えに行き着くかが重要

過度に依存すれば、岡田さんがいなくなったときに路頭に迷う


岡田斗司夫さんと、芦田宏直さんと、メイロマさんは、それぞれに信者との距離のとり方が違う。岡田さんは3人の中で最も信者の面倒をみようとしていて、メイロマさんは距離を取ろうとしている。この3人の中で、自らに対するネガティブなつぶやきを公式RTしているのは、僕が知る限りではメイロマさんだけだ。

教祖と信者の関係は一種類だけではない。教祖の数だけ存在する。その中で、明確に"アンチ"教祖という姿勢を打ち出しているメイロマさんが、これからどういうポジションに立っていくのか、なかなか興味深い。

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