サッカーの才能がある選手はそのスカウトが作り上げたのではない。ただそこに存在しているだけだ。スカウトには何の権利も存在しないけれど、プロでも通用する選手を見つけ出した場合、契約によって報酬を得るスキームが確立されている。スカウトという職業が成立しているおかげで、サッカーが得意な子供はサッカーの強豪校やユースチームに入ることができるし、努力と才能次第では日の丸をつけてワールドカップで活躍するかも知れない。
さて、昨日、米国の最高裁が、「遺伝子は特許の対象にならない」という判断を出した。
米最高裁 遺伝子の特許認めず
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130614/k10015293151000.html
上に書いたサッカーの例で言うなら、「遺伝子」とは子供で、その中で有用な遺伝子は、サッカーが得意な子供に該当する。有用な遺伝子はそこにあって、誰でも見つけることができる。一度論文化されてしまえば、その遺伝子が有用だということも公知になってしまう。こうなると、その遺伝子をマーカー(目印)とした商売に、誰もが参入できるようになる。「この遺伝子を持っていると、40歳までにがんになる可能性が80%です」といった診断を誰もが簡単に下せるようになる。そこに知的財産性を認めないとなると、「この遺伝子はがんのマーカーとして利用できる」という事実を発見した研究者には、何の報酬も支払われないことになる。となれば、普通に考えれば疾病遺伝子を発見するモチベーションが低下してしまう。
疾病遺伝子の発見には、
1.遺伝子はそこに最初から存在している
2.ある遺伝子が特定の疾病に関与していることをみつけるには、相応の投資が必要である
3.その遺伝子の有無を調べることはそれほど難しくない
という3つの特性がある。したがって、後発部隊が容易に市場に参入できる。発見者の権利が担保されないのであれば、発見者に対して相応の支払いが為されない可能性が高い。では、発見者たちはどうしたら良いのか。自らに支払われるべき報酬を確保するための手段はないのか。
そんなことはない。その遺伝子がどんな病気のマーカーとなるのか、誰にも言わなければ良いのである。外から見れば、「理屈はわからないけれど、あの会社はがんの発症リスクが高いクラスターをスクリーニング(抽出)する技術を持っている」ということになる。発見した遺伝子の情報は特定企業内だけで保有され、外部には漏れないことになる。こうなった時、誰が得をして、誰が損をするのか。得をするのはもちろん発見者と、その契約企業である。損をするのは、その他の全ての人々である。情報が共有されないため、市場競争が失われる。技術開発も推進されない。結果として、大勢の人間が損をする。
このニュースでは、「連邦最高裁判所の判断は、これまでユタ州の企業が独占してきた乳がんの遺伝子検査の料金を下げることにつながり、乳がんの遺伝子を持つ可能性のある患者にとって、大きな意味がある」というコメントを紹介しているが、『大きな意味がある』のは「すでに公表されているデータに関するもの」だけで、「これから発表されるはずだったデータに関するもの」は、そのほとんどが失われてしまうかも知れない。利益を独占してきた企業は当然のことながら先行投資をしているわけで、その投資が回収できなくなるのなら、今後は一切の情報を発信しなくなるだろう。公表したところで、メリットは何もないのだから。
では、今回の米国最高裁の判断が不当だったのか、となるのだが、最高裁の判断はおそらく「現行法に照らせば、こういう判断になる」という性格のものだったんだと思う。正直、米国の裁判制度は良く知らないのだが、裁判所の仕事が「法律に照らして判断する」という作業なのは、日本も米国もほぼ同じだと推測する。もしそうであれば、米国の裁判所が出した判断は妥当なものだろう。妥当でないのは、法律の方である。
「遺伝子」は、玉石混交の子供たちのようなものだ。その中からサッカーが得意な子供を選び出す目利き能力は、誰もが持ち合わせているわけではない。しかし、もしその目利き客観的データによって実施できるようになったらどうなのか。身長、体重、足のサイズ、100メートル走と1500メートル走のタイム、両親の運動歴、兄弟の運動能力・・・といった様々なデータを入力することによって、機械的に有望選手を絞り込むことはできるはずだ。そのやり方を公表するだろうか。もちろんしない。誰かに真似されたら、自分の知識が失われ、競争力が損なわれるからだ。特許などの知的財産としてではなく、個人的なノウハウとして利用されていくだろう。
今のままでは、疾病に関する遺伝子の情報も、同じような位置づけになってしまう可能性が高い。特許性がない、ということには反対しないのだが、発見者に何らかの利益がまわるような仕組みを考えないと、世界中のみんなが損をすることになりかねない。「保険に加入していない女性でも検査を受け、命が助かるようになるだろう」という意見はあまりにも近視眼的である。
もともとそこにあるのだから、マーカーさえわかってしまえばそれを見つけ出すのは簡単だから、といって、マーカーを見つけ出す手法を確立した人間のメリットを奪ってしまうのは文明的ではない。特許とは異なる方法で、発見者に対して報酬が支払われる必要がある。
(20130615 一部加筆修正)