2013年08月15日

Twitter後のネット社会番外編 その16 Facebookは馬鹿のインキュベーターである

先日、ある飲み会で友人から「KはどうしてFacebookであんな馬鹿なことばかり書いているのだろう」と言われた。Kは私たちの共通の知り合いだが、この話がでる数か月前に、私はKからFacebook上の「友達」から外されていたので、最近のKの書き込み内容を知らない。ただ、おおよその内容は察しがついたので、その理由を説明してみた。この文章はそのときの概要をまとめたものである。

Kは私よりも大分年下の男性で、もともとは損保会社に就職していた。同業の彼の父親と私が別件で繋がりがあり、私はその父親との関係がきっかけで彼と知り合った。一度、私の家で開いたホームパーティに彼を招待したことがあったのだが、その席上で彼は「仕事がつまらないので辞めたい」という話を出した。その場にちょうどある独立行政法人△△(当時は特殊法人)の人事部の人間がいたので、私とその知人の二人で、「△△は所詮中央官庁の予算消化組織で、研究者の質は高くても、事務組織はお粗末なものだ。しかし、何か実現したいことがあるとか、野望があるとかではなく、また「税金泥棒」と言われ続けても平気なら、安定性は抜群だし、給料も悪くない。時間にもかなり自由がきく。□□省のわがままが我慢出来るなら、好きな趣味をやって、結婚して子供を育てて、世間一般で言われる「良い家庭」を築くのも悪くない」という話をしてやった。たまたま△△に求人があったので、彼はそれに応募して、採用され、今は△△の事務方である。

さて、このKがなぜ馬鹿を晒しているのか。実は、もともと彼はボンボンで世間知らずなところがあった。転職した直後の飲み会の席で、彼の上司に対する目に余る態度があったので、僕がブチ切れて絶交していた。しかし、その後、結婚したり、子供ができたりしたこともあったのか、随分とまともな人間になってきていた。いつの間にか断絶した関係も修復されていた。彼がFacebookを始めるまでは。

私はTwitterを「馬鹿発見器」と名付けたが、Facebookは「馬鹿インキュベーター(孵卵器)」である。一度はまともになった人間がどのようにして馬鹿に成り下がったのか。その背景には、いくつかの不幸な要素がある。

まず、Kが高校(中学?)から慶應だったということだ。慶應は、創立者の「学問のススメ」の理念がどこかにすっ飛んでしまい、日本においてクラス(階級)の固定化と再生産に最も寄与している学校となっている。私は、Kがこの高校・大学の出身だったというのが非常に大きいと考えている。

ここでちょっと慶應という学校の位置づけについて考えてみる。まず、この学校は大学から入学した人間と、それよりも若い年代(小学校、中学校、高校)から入学した人間との間に大きな溝がある。高校以前から進学した人間たちは行きつけの食堂で仲良しクラブを形成し、その関係はその後の人生においてもずっと継続する。その仲良しクラブは、人生の難しい局面で色々と助けてくれる反面、何かをやらかしてそのクラブからはみ出してしまうと、二度と戻ることができない。ちょうど、テレビドラマ「半沢直樹」で描かれている、銀行員の嫁達の仲良しクラブに非常に良く似た性格を持っている。

高校からエスカレーターで大学に進学しても、そこは決してナンバー1の一流大学ではない。あくまでも、私学のナンバー2で、上には東大、京大といったいくつかの国立大学もある。さらに、高校やそれよりも初等の学校から慶應に通学するためには、相応のカネが必要になる。そのカネを用意したのはもちろん親なので、親にとっては自分の子供を「所詮は慶應」などと言われてしまっては、メンツが丸つぶれになる。つまり、学友同士に加えて家族までを巻き込んだ強固なムラ社会が形成されている。

こうした特殊な社会に、Facebookが登場した。これによって、慶應ムラの村民たちは雁字搦めになってしまったのではないか。何しろ、日常のほとんど全てを、「友達」によって監視されているのである。そこで「個性」を主張して浮いてしまえば、あっという間に村八分にされてしまう。慶應ムラは慶應ムラで、居心地は悪くないものの、何かのきっかけで村八分にされてしまうことにビクビクしている人たちなので、失点はなるべく避けたい。その上で、気の利いたおべっかを発信し続けなくてはならない。

また、Facebook上で、彼の家族と繋がってしまっているというのも大きいだろう。私が把握している限りで、彼の妻と姉がFacebookで繋がっている。加えて、彼には現在500人を超える「友達」がいる。

これらの背景の中で、私がKの書き込みで気持ち悪く感じた場面は二度である。

まず最初は、Kのママ友の子供がお受験で御三家のどこかに合格したときだ。彼は、Facebookで「◯◯くん、おめでとう!」と書いていた。◯◯くんはまだ小学生だから、もちろんFacebookをやっているわけがない。このコメントは、「◯◯くん」と宛名していながら、実際には他の人たち、彼の妻のママ友だったり、職場の友人だったりするのだろうが、に宛てられている。「こんなコメントを書くなんて、俺って気が利いているよな」という思いばかりが伝わってくる。本当に◯◯君におめでとうと伝えたいなら、◯◯君に会って直接伝えるべきなのだ。ところが彼は、◯◯君以外の500人に向けてそれを書いた。これを読まされた私は「こいつはなんて気持ちが悪い奴になったんだろう」と感じた。もちろん私はそれをFacebook上で伝えたのだが、彼にはその行為の気持ち悪さに気づくことはなかったようだ。

もうひとつの気持ち悪く感じた場面も、性質的にはほとんど変わらない。彼がお世話になった上司が異動になった際、「異動先でも頑張ってください」といった内容をFacebookに書き込んでいた。これまた、場所が不適切である。そんな個人的なセリフは、上司に直接言えば良い。しかし、500人の人間に衆人環視されている状況において、彼はこれを書かずにはいられなかったのだろう。友達、家族、職場の仲間といったさまざまな人間たちに監視され、「感じの良い人」「格好良い同僚」「ステキな父親」を演じることが、彼にとってのFacebookをやる意義になってしまったのだ。

加えて、一つ目のケースではKと同じ姓の女性からも妙な横槍があった。私たちのやり取りを見てのコメントだったのだが、「なんとまぁ、無為なる?会話」(原文ママ。おそらく無虚と書きたかったのだと思うのだが)とか、あるいは途中で話題に上った芦田宏直氏について「私は芦田先生のご子息に「幼稚舎出身のまともな女子はいないとおっしゃる父上は不幸だね〜」といっておきました。」などと書く、かなり恥ずかしい人物だった。この人物がどこの誰なのかは不明だが、在京キー局に在籍する芦田氏の子息に対して面と向かってこういったコメントができる立場の人間なので、それなりの年齢と地位のある人間なのだと推測する。そして、Facebook上でKを中心に形成されているムラ社会(それが慶應ムラなのか、他のムラなのかは不明だが)の一員でもある。

当時、この横槍に対して私が書いたコメントをそのまま転載する。引用は件の女性の文章である。また、必要に応じて一部を伏せ字にしてある。

> なんとまぁ、無為なる?会話(失礼!)。

無虚かどうかは不明ですね。芦田さんが極論なのはおっしゃるとおり。ただし、極論の中にも真理はあるし、ひとつの意見としてとても参考になるところがある。だから僕は「こういう意見もあるよ」と示したわけです。Kさんは狭い視野でものを考えがちで、しかもそれを自己肯定する人だからです。

> 私は芦田先生のご子息に「幼稚舎出身のまともな女子はいないとおっしゃる父上は不幸だね〜」といっておきました。

このやり取りは芦田さんの主張の正当性を論じているのではないですよ。僕は芦田さんの意見に対して一度も、肯定も、否定もしていません。僕がやったのは、慶應大学というのが理系の研究者を目指す人には適していない、ということを客観的データを示しながら提示したことと、中学からエスカレーターで大学に進学してしまうことは、自身の可能性をなくすことだ、ということを提示したことです。あと、結果的にまんまとKさんは芦田さんが否定するたこつぼ思想を開陳したことを、指摘しましたが。

では、会話が無虚であったかは今後のKさん次第でしょう。このやりとりを精査すれば、

1.冒頭の書き込みは◯◯くんに宛てたものではなく、自分の友だち(その中には◯◯くんやその親族が含まれている可能性はありますが)に対して、自分のために書いたものであると自覚していない。
>◯◯くんにお祝いしたいなら、こんなところに書く必要はないし、直接言ったほうがずっと効果的。「おれって、こんな気の利いたことを考えているんだぜ」と、自己顕示しただけ、というのが元木の判断です。

2.途中、元木のことを心配するそぶりを装いながら、その実、自己弁護をしつつ、元木の発言を統制しようと意図している。
>発言が困るなら、「やめてくれ」と書けば良いだけ。よく、「みんなもそう言っている」と、そこにいもしない発言者をでっち上げって相手に自分を正当化する人間がいますが、ここのKさんはそれですらない。だって、「僕はそうは思わないけれど」と、自分だけ安全なところに避難しているんです。これって、元木の考えでは、最も卑怯なことです。文句があるなら、自分の価値観と考えだけで元木と対峙すべきです。

でも、Kさんは多分、そういう自分の間抜け具合に気がついていないんです。


この横槍女性が最も気持ちが悪いのは、全く関係のない芦田氏の子息に対して、常識では考えられないような言葉を投げかけたことである。子供は親を選ぶことができない。その子供に対して、親の発言を取り上げて悪口を言うことは、ちょっと私には考えられないことである。文句があるなら、正々堂々と芦田氏本人に言えば良いのだ。それをわざわざ子供にいう理由は、芦田氏本人に言って反論された時に言い返す自信がないことぐらいしか考えられない。自らの地位を利用して、弱者に対してひどい言葉を投げかけるとは、唾棄すべき行為だと思う。自己の立場を正当化するために、その子供に対して親を誹謗する言葉を投げかけるあたりが、このFacebookムラの醜悪なところだと思う。加えて、私の記憶が確かなら、Kは芦田氏から中古のiPadを譲ってもらってもいるのである。そのことをKと同姓の女性が知っていたかどうかは知らないが、この発言を受けても、Kは件の女性に何も言わなかった。恩を仇で返すとはまさにこのことである。

この女性は「こんなこと(Facebook内での議論)より、もっとやるべきことがあるだろう」といった主旨のことも書いていた。しかし、Kは、天下国家を語りたい人間ではない。休みが取れて安定した生活が楽しめる組織(しかも、給料の原資は税金である)に転職した人間である。二人の子供にとって恥ずかしくない親となること以外に「もっと他にやるべきこと」などないはずだ。

今回提示した事例は、かなり特殊な例である。しかし、レベルの差こそあれ、Facebookとは、リアル社会に形成されているムラ社会をネットに持ち込むものだ。このシリーズでは何度か書いているのだが、陰湿なムラ社会を形成しがちな日本人にはフィットしない。その上で、大して気の利いたことも書けないような人間でも、形の上では、数百人に自分の文章を開陳できる立場になることが可能だ。その結果、傍観者から「KはどうしてFacebookであんな馬鹿なことばかり書いているのだろう」などと言われる人間に成り下がってしまうのである。

面白いことを書き続ける自信がないなら、Facebookをやるべきではない。もしやるにしても、「友達」は厳選し、やりとりは日常生活のコミュニケーションを補完するような内容にすべきだ。間違っても大量の「友達」とつながるべきではない。それでもどうしてもつながりたいなら、記事の公開範囲の設定については慎重になるべきだ。でも、最善はやらないことだ。やればまず間違いなく自分の評価を落とすことになる。なぜなら、大半の人間は、人に読んでもらう価値があることなど、そうそう書くことはできないのだから。

Twitterはそこにある馬鹿を顕在化するシステムだ。なぜなら、そこでは思考が足りなくなりがちだからである。一方で、Facebookは馬鹿を育成するシステムだ。リアル社会の人間関係をネットに持ち込んだものだから、ムラ社会の性格が色濃くなる。ムラ社会は、強固になればなるほど、外が見えにくくなる。Facebook内の一部の人間は、これが猛スピードで進行する。外が見えない奴は、すなわち馬鹿である。外部からどう見えようが、どう評価されようが、ムラ社会の中で評価されることが重要になる。冷蔵庫や冷凍庫に入って記念写真を撮る奴らと一緒だ。

私は、Facebookの「ムラ社会を強固にする力」が非常に強いと感じている。そして、もうすでにFacebook内のムラ社会は形成されてしまっている。成立したムラ社会は新参者を求める。だから、「Facebookやってないの?やりなよ」と勧められたら、何かしらの理由を用意して、拒否したほうが良い。間違っても、「Facebookをやらないと仲間はずれになる」などとは考えないことだ。

「半沢直樹」は最近ではリーガル・ハイ並にヒットしているドラマなので、観ている人もたくさんいるだろう。あのドラマの中では、上戸彩演じる主人公の妻が、銀行の社宅でのくだらない人間関係に翻弄されている姿が描かれている。可視化されていないだけで、Facebookの中で展開されている人間関係はあれと何も変わらない。

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