2013年11月03日

お祝いに胡蝶蘭を送ることの意味

先日、友達のお祝いの場に、胡蝶蘭がいくつか送られてきているのを見た。なぜ、こんなものを贈るのだろう?

そういえば、我が家にもひとつ、赤の胡蝶蘭の鉢植えがある。かれこれ、10年以上も咲いているのだが、この鉢植えが造花だと気付いたのは、うちにやってきてから1年以上が経った時だと思う。なぜかいつまで経っても枯れないので、これは面妖な、と思って調べたら、造花だった。マヌケなことに、それまでの間、ずっと水を与えていたのである。

と、この我が家の胡蝶蘭の話は全くの余談だけれど、最近、いくつかの場面で大量の胡蝶蘭が贈られている場面を見かけた。そして、その全ての受け取り手が、置き場に困っていたのである。1つなら嬉しいかもしれない。しかし、2つ以上になれば、あとは置き場所に困るだけのものだと思う。加えて、花は生き物だ。放置すれば枯れてしまうし、きちんと面倒を見たとしても、一ヶ月もすれば枯れてしまうだろう。そういった刹那的なものをお祝いに贈るのはどうなんだろう???

例えば、先日、有人が池袋にオープンした小料理屋では、僕が贈ったお祝いはまず日本酒である。しかし、それ以上のお祝いは、開業から一ヶ月の間に、3回も友人を連れて食事に行ったことである。延べ、10人。僕が考えたのは、「小料理屋をやる以上、店主が最も喜ぶのは、店に行って、食べてやることのはず」ということだ。加えて、新しいお客さんを連れて行くなら、これ以上のお祝いはないと思う。胡蝶蘭の一鉢分のお金があれば、その店なら5、6回は飲みに行ける勘定だ。

あるいはまた別のケース。知人の芸術家が個展をやったときも、会場に大量の胡蝶蘭が飾られていた。一流デパートと場所が良いところだったということもあって、大勢の人が賑やかしも兼ねて花を贈ったのだろう。しかし、もし僕が当の芸術家であるなら、花を贈ってもらうよりも、自分の作品を買ってもらったほうがずっと嬉しいと思う。そして、僕が日頃付き合いのある芸術家たちであれば、ほぼ全員が僕と同じような気持ちだと想像するのである。

花は食えない。枯れたらオシマイだ。もしかしたら、花よりもずっと喜ばれる贈り物があるのではないか?そもそも、なぜだんだん茶色く色あせていく胡蝶蘭なのだ?多分、どこかで胡蝶蘭が贈り物として使われている場面に出くわしただけなんじゃないだろうか?ある意味、バレンタインデーのチョコと一緒である。しかし、このまま花屋のマーケティング戦略に乗せられっぱなしにならず、一度、立ち止まって考えてみたらどうだろう。あなたは胡蝶蘭を3つも4つも贈られて嬉しいですか?

「とりあえず、花の一つでも贈っておけば間違いない」

これはそのとおりだと思う。でも、本当に喜ばれる贈り物が別にあるなら、贈る方も、贈られる方も、そっちが良いに決まっている。「何が喜ばれるかな?」と想像力を働かせること自体が、親しい人間への贈り物だと思う。だから、僕はこれからも多分友達に胡蝶蘭を贈ることはない。もし贈るとすれば、それは「あなたのために色々と考えるのは面倒だから、お金で済ませておくよ」という意思表示である。

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
アタシは家のあちこちに胡蝶蘭の鉢を置くので、何かのお祝いの時には、うちには胡蝶蘭をお願いします!
Posted by koneko04 at 2013年11月03日 05:41
> 何かのお祝いの時には、うちには胡蝶蘭をお願いします!

例外を一件承りました(笑)
Posted by buu* at 2013年11月03日 20:34
胡蝶蘭を送るのは、おまじないや風水関係ではいいことだかららしいです。
商売が成功する、とかそういう意味がある、と聞いたことがあります。
Posted by ファインダー at 2013年11月27日 16:40
> 胡蝶蘭を送るのは、おまじないや風水関係ではいいことだかららしいです。
> 商売が成功する、とかそういう意味がある、と聞いたことがあります。

花屋が風水師に「胡蝶蘭が風水で良いと言ってくれ」と裏金を渡して頼んだんじゃないですかね?
Posted by buu* at 2013年11月27日 17:02