2013年12月26日

歌志内のなんこ料理のルーツ

「なんこ」は北海道歌志内の家庭料理で、馬の腸を使っている。不思議なことに、この「なんこ」がどこからやってきたのか、いつから食べるようになったのか、歌志内の誰も知らなかった。いつの間にか食べていたのだ。そして、そのルーツを知る人は、歌志内にはいなくなっていた。

ある日、歌志内の居酒屋に、一人の一見客が立ち寄った。彼はその店で、看板料理の味噌なんこを注文した。これは馬の腸を味噌で煮込んだ料理で、歌志内で良く食べられていた。店主はそれをテーブルに持って行った際に、「結構くせがあるぞ?食べれるかい?」と声をかけた。するとその客は「平気ですよ、うちの方でも食べますから」と答えた。




なんこを食べるのは歌志内だけだと思っていた店主はびっくりして、「お客さん、どこからきたの?」と尋ねた。彼は、「秋田の大館です」と答えた。そして、「なんこうでしょう?」と続けた。どうやら、秋田では「なんこう」と呼ぶらしい。歌志内の「なんこ」は、「なんこう」がなまったものだったのだ。

大館で教師をやっているというその客と話していて、居酒屋の店主には色々なことがわかってきた。以下は、その居酒屋の店主が、その時、お客から聞いて考えたなんこのルーツである。

太平洋戦争時、大館にあった花岡鉱山では多くの中国人が炭鉱夫として働いていた。彼らの食習慣は日本人のそれと多少ずれていたらしい。日本人には当時、生活の貴重な労働力だった馬を食べる習慣がなかったのだが、中国人たちは、過労や老衰で死んだ馬を引き取っては、それを処理して食べていた。その様子を見ていた日本人たちが真似して食べてみると、これがなかなか美味い。貴重なタンパク源であり、消化にも良いので、厳しい肉体労働に従事していた炭鉱夫の間で、馬肉を食べる習慣が徐々に浸透して行った。

ところが、1945年、過酷な労働条件に反発した中国人炭鉱夫たちが蜂起し、花岡事件が勃発した。花岡事件が収束した後、中国人労働者たちは、同じ住友系の歌志内、夕張、三笠の各炭鉱に移っていった。こうして、馬肉の内臓を食べる習慣が北海道にも広まったのである。

現在、馬の内臓を食べるのは北海道と秋田だけで、その代表例が歌志内である。ところが、歌志内の炭鉱も閉山となり、一時は炭鉱夫で賑やかだった歌志内の町もすっかり寂れてしまった。今、歌志内は人口4000人だけの、日本一小さな市である。そして、人口減少には歯止めがかからないでいる。この町自体の老衰によって、なんこを食べるという文化も消えつつある。味噌なんこを作ることができる家庭はどんどんなくなってきていて、年末になると、件の居酒屋には市役所の職員から「味噌なんこを届けて欲しい」という発注がいくつもくるそうだ。居酒屋のおばさんは「もう、みんな、作れなくなっちゃったんだよねぇ」と残念そうに語る。謎だった味噌なんこのルーツには、大館市の観光客が歌志内を訪問したことによって説明がついたのだが、もうすぐ味噌なんこ自体が、日本から消えてしまうかもしれない。今、歌志内市のウェブサイトには、なんこ料理の作り方が掲載されている。これを読む限りでは、それほど難しい感じでもないのだが、材料の調達が難しいのと、独自のノウハウが存在するのだろう。

もし歌志内や砂川に行くことがあれば、今のうちになんこ料理を食べてみることをお勧めする。かなり癖のある料理だから、誰の口にも合うわけではない。しかし、気に入れば、すぐにおかわりしたくなるだろう。

食べたことがある人覚えている間は、なんこ料理が完全に消滅することはない。

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