2014年01月28日

科学コミュニケーションの向かうべき方向

これまで散々色々な科学コミュニケーション活動をやってきて、強く感じるのは、子供と大人の感受性の違いである。

僕が一番手応えを感じたのは、北の丸の科学技術館での活動だった。実際に僕が子供達に教えたのではないけれど、子供達に接しているインストラクター達にそのコツを教えている時、一番大きな手応えを感じた。一方で、一番徒労感が大きかったのは、理研のある施設の開設にあたっての住民説明会だった。こちらは、相手に最初から話を聞く気がなく、何の効果も生まれなかった。別に反対するのは全く構わないのだが、感情論で思考停止した人達に対して科学で対応することの疲労感はとても大きかったのを覚えている。

#念のため書いておくが、科学>感情ということではない。そのあたりは拙著「遺伝子組み換え食品との付き合いかた」に詳しく書いた。

これだけを以って、大人はダメ、やるなら子供のうち、と切り捨ててしまう気はないのだが(最後まで読めばわかるけど、結論ではやっぱり切り捨ててる(笑))、科学コミュニケーションを論点に、大人と子供の違いを考えてみたい。

大人は、科学をどう考えるのか。ちょっと不思議なのは、普通に理系の学問を積んだ人であっても、時々コロっと疑似科学に騙されることである。「マイナスイオンが発生している」と聞けば、それは何のイオンなのかとか、じゃぁアルカリ性なのかとか、そもそも水がないのにどうやって電離しているのかとか、不思議に思うことが色々ありそうなのに、それを全部すっ飛ばして、「有名電機メーカーの製品だから」と、すっと受け入れてしまったりする。

先日、ある飲み会の場で「夜、寝る前に食事を摂ると太る」という話の正否について議論したのだが、不思議なことに、半分以上の人間がその説を何の検証もなしに受け入れていた。僕の場合、まず考えるのは、自分の体でどうだったかだ。太る、太らないはもちろんだが、

仮説1 夜遅く食べると下痢をする > どうも消化が悪いらしい > それなら痩せるはず

仮説2 夜遅く食べるとウンコがしっかりしている > ちゃんと吸収しているようだ > 太るはず

みたいなことがあるかどうか、考えてみた。しかし、どう考えても、寝る前に食べたかどうかによって、自分のウンコの状態が変化しているとは思えなかった。むしろ、食べてすぐに寝ると胃の上部に不快感が残り、逆流性食道炎を起こしているふしがあって、不健康な形で痩せてしまいそうな気すらする。はて、寝る前に食べると太るというのは本当だろうか?別にそういうことがあっても不思議ではないけれど、根拠が知りたいし、それが目に見える形で現れるのか、すなわち、疫学的な検証が可能なのかどうかに興味があった。そして、それをきちんと確認するまでは、その説を支持する気にはなれなかった。

それまでは「どういうタイミングで食べても、結局はどれだけエネルギーを摂って、どれだけエネルギーを排出したかの算数に過ぎない」というスタンスが科学的だと思う。

その旨反論して、じゃぁ、どういう理屈で太って、それを支持する論文はどれで、疫学的な検証はどう行われたのか、と問いただしたところ、誰もそれに応えることはできなかった。つまり、一見科学的に考えているようで、その実、ほとんどみんな、科学的には考えていなかったのだ。大人は、非常に感情的な生き物である。

この、感情に訴えることに適しているメディアがテレビである。口のうまいキャスターが説明し、もっともらしい肩書きの専門家がそれを担保する。それを見た大勢が、あぁ、そうなのか、と膝をうつ。おかげで、ヨーグルトがインフルエンザに効くと言われれば売り切れ、根野菜が冷え症に良いと聞けば売り切れるのである。マスコミ情報をすっと受け入れてしまう人達は、科学的な考え方が面倒臭くてできない。そして、自分にとって都合の良いことだけを信用する。寝る前に食事を摂らないだけで痩せる、ヨーグルトを食べていればインフルエンザにならない、根菜を食べていれば冷え性とは無縁というなら、こんなに簡単なことはないではないか。

しかし、彼らは、すぐに飽きてしまう。理論の裏打ちがなく、単に「気に入っただけ」だから、すぐに忘れてしまう。そこで、テレビは次の情報を発信するのである。日本の社会は長いこと、これを続けてきている。おかげで、朝のワイドショーは話題に事欠かず、そのたびにスーパーの棚からは特定の食材が売り切れる。これが、「日本の大人達」である。

一方で、子供達の多くは、目の前にあるものをまず観察しようとする。何も考えていない子供でも、「どうして物は下に落ちるのかな?」と質問されれば、ん?と立ち止まって考えてみるのがほとんどだ。大人は半可通の知識で「重力があるから」で終わらせてしまうところ、先入観のない子供達はちゃんと考えようとする。この時、きちんと導いてあげれば、その子供は、少なくともその時だけは、科学的なものの考え方をすることができる。彼らには、科学的な考え方を邪魔する余計な知識や経験がない。

では、なぜ多くの日本人が、理系の院卒であっても、科学的なものの考え方ができないのか。

多分、昔はできていたんだと思う。しかし、徐々にそういう考え方を忘れてしまい、やがてできなくなってしまうのだ。最初に挙げた飲み会の例で言えば、僕に対して「寝る前に食べると太る」と強弁した人達は、多分その後、何の調査もしていないはずだ。もう、自分で調べてみる、検証してみる、といった科学的な行動には移せない人になってしまった。そうなってしまうのは、やはり、環境要因が大きいんだと思う。偉い人に右と言われれば右と考えてしまう、いわば官僚主義の傀儡となっているのだろう。あるいは、試験で点さえ取れば良い、という考え方で育ったのかも知れない。教科書に書いてあることを全部素直に記憶することが、試験で良い点を取ることの最短ルートだ。

昔、オウム事件が起きた時、マスコミは「なぜ高学歴の人間たちがこうも簡単に洗脳されたのか」と疑問を呈していたけれど、それを見ていたほとんどの日本人たちも、すっかり日本的な思考スタイル、科学ではなく、偉い人の意見に従う、というスタイルに飼いならされているのではないだろうか。なぜって、そのスタイルは時間が全くかからないのだ。気に入ればオッケー、気に入らなければ拒否、感情による判断は一瞬のうちに下される。こんなに楽で簡単なことはない。

そして、そういう大人達が「気に入った!」と考えたことを、外部から修正するのには物凄く大きな力を必要とする。おかげで「遺伝子組み換え食品は危険」とか、「農作物は無農薬が一番」みたいな、「ん?」と思ってしまうような主張が簡単に受け入れられ、それが根強く残ってしまう。この20年ぐらい、僕が、今「科学コミュニケーション」と言われる活動をやってきて感じるのは、大人に対する科学コミュニケーションは、タイミングを厳選しないと徒労に終わる、ということだ。そのチャンスは、例えば原発が吹っ飛んだ時に、放射線による健康被害について論じる、みたいに、滅多なことでは訪れない。

例えば、農薬の話なら、無農薬のオクラを買ってきて、一週間ぐらい放置しておくと面白いことが起きたりする。中から芋虫がでてくるのだ。そして、その芋虫を見せて、「無農薬のオクラを食べていると、こんなのも一緒に食べているんですよ」と感情に訴えることが可能だ。一方で、スーパーで売っているオクラからはそんなことはまず起きない。しかし、では、どういう場面で彼らにそれを提示するのか。彼らが、農薬の利について知りたいと思わない限り、そのチャンスは訪れない。そして、ニーズもないのに、農薬の是非について説明するために実験をするのも馬鹿らしい。正直、僕は無農薬野菜が食べたい人は食べれば良いと思っているし、農薬を使うことの良さをことさら主張する気もない。世の中のほとんどの人がこんな気持ちなんだと思う。それでも、ほとんど誰も困らないから。

こんなことが科学を巡るあちこちで起きていて、だからこそ、大人に対する科学コミュニケーションはほとんど全て無駄なのだ。

じゃぁ、どうすれば良いのか。大人とのコミュニケーションはさっさと諦めて、子供に教えるしかない。大人に対しての科学コミュニケーションが絶望的なことに対して、子供に対するそれはまだまだ希望がある。子供は、直感で考えないようにトレーニングすれば、きちんとそれができるようになる。僕はどうしてそうなったのかな?と思い返してみると、子供の頃から多湖輝の「頭の体操」を読んでいたことが大きいかも知れない。ただ、これも、誰にでも当てはまることではないし、子供の顔を見ながら考えなくてはならないはずだ。今、彼らにきちんとした科学的なものの考え方の習慣を植え付け、それを摘み取らないようにすること。そのための環境を少しずつでも整備して行くことが大事だと思う。

え?大人はどうするのか? もう、諦めましょうよ(笑)。例えば、偏差値105とか、pH16とか、重い物は先に落ちると聞いて「え?」っていう大人は、もうねぇ。

#もちろん、「知りたい!」という人には教えますけど。

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この記事へのコメント
大人は知りたいんじゃなくて、自分の理解できる範疇で納得したり安心したいだけ、都合のいい話を待っているだけです。
だから、サイエンスコミュニケーションじゃなくて、偉い人のもっともそうな話を優先するんです。

Posted by ファインダー at 2014年01月28日 18:21