2014年02月06日

ゴーストライター問題についての雑感

耳が聞こえない作曲家がゴーストライターを使っていたという話が話題である。

<佐村河内さん>曲は別人作…十数年前から 弁護士明らかに

耳が聞こえないという障害を乗り越えての作曲、という美談が偽装だったと判明して、その美談で番組を作ってしまったNHKなどを巻き込んでの大騒ぎになっている。

このことからわかるのは、「大衆は、音楽家が作る"音楽"だけを評価していたのではない」ということだ。「耳が聞こえない」という付加価値を高く評価していたということだろう。

卑近でわかりやすい例に言葉を変えるなら、「このラーメンは羅臼昆布からダシを取っています」と言われ、日高だろうが、利尻だろうが、その他のどこかの昆布だろうが、味の違いはさっぱりわからないけれど、とにかく羅臼っていうんだからうまいんだろう、と思っていたら、全然違う産地の昆布でした、腹が立つ、というのに似ている。

これは音楽の世界の話だが、食べ物の世界でもたくさんありそうだ。ただ、僕は飲食店の内情を良く知らないので、あくまでも推測の域をでない。しかし、作家としての僕は、業務として業界の人達と交渉しているので、中身を知っている。その出版の世界での事例を紹介しておく。

今、書いている本の一つに「絶対リバウンドしないダイエット」という本がある。2年ほど前に、日の出テレビの番組内で実施した公開ダイエットの内容を書籍化したものである。この時は、実際に半年間で約8キロの減量に成功した。その様子は全部映像化されていて、YouTubeで観ることができる。

目次がほぼできあがって、あとは一週間もあれば内容もほぼ完成、というレベルになったのだが、今回は「この食品を使うとダイエットが簡単にできる」という食品群があって、できればそれらの商品写真の提供を受けたかったので、食品を販売しているメーカーとの交渉をやって欲しいという事情があり、一般書籍を販売している出版社の知人数名にかけあってみた。

数社は「ちょっと売る自信がない」という返事だったが、前向きの会社もあった。曰く、「一般の人が書いても売れない。栄養士とか、何か資格のある人間が関与できないか」という返事だった。それなら、ということで、この出版企画に、ある有名病院の健診部で実際にメタボ対策の指導を行っている女医さんに監修で入ってもらうことにした。彼女には、本の内容をチェックしてもらうと同時に、内容を担保する論文を紹介してもらったり、日頃の指導で見かけた面白いエピソードを紹介してもらったりすることにしたのだ。すると、次に出版関係者から来た返事は、「その医者はどんな人か」という問い合わせだった。そこで、彼女のプロフィールを伝え、「○○で働く美人女医が教える絶対リバウンドしないダイエット 元木一朗著、○○○○監修」という形でどうか、と提案してみた。この提案に対しての次の返答は、「内容はそれで構わないが、執筆はその女医さんということにできないか?」というものだった。「書いてないのに著者にしてしまったら、最近流行りの食品偽装と一緒ですよね?」と答えると「でも、この業界では普通のことですよ」との答えが返ってきた。書いてもいないのに、書いたことにしちゃうのは出版業界では普通のことなのだ。単に、表に出ていないだけのことである。これは僕が当事者となってゴーストライティングを勧められた事例だが、他にも超有名ゴーストライターに知人がいて、彼女は彼女で、有名政治家や評論家たちの書籍を代筆している。実際、どこでもやっているし、そのことに誰も気がつかない。

こうした偽装工作は、音楽やら、文筆やらの世界だけの話ではないのだろう。では、なぜ偽装が行われるのか。突き詰めれば、一般大衆が、商品やサービスの質を内容で評価できず、パッケージや付加された情報で評価してしまうからというのが背景にあるし、それらの付加情報が偽装か偽装じゃないかを判断できないから、偽装が機能してしまうのである。

「質を内容で評価できない」というのは身近にいくらでもあって、美人すぎる政治家なんていうのも一緒だ。選挙なんて、大衆による人気投票の色合いが濃いので、有名人や見た目の良い人がホイホイ当選してしまう。そんなことで良いの?と思う人もいるかも知れないが、有名人ではない政治家の質も決して高くないので、どうせ目くそ鼻くそなら、美人のほうが良い、ということなのだろう。政党の方も開き直っているから、平気でただの有名人に公認を出したりする。政治を真剣に考えている人から見ればこんなに有権者を馬鹿にした話もないのだが、現実にはそういうただの有名人がちゃんと票を集めてしまうのだから仕方がない。有権者を馬鹿にしているのではなく、有権者の馬鹿をきちんと認識して、利用しているに過ぎない。

ちなみに、美人すぎる政治家が整形だったら、やっぱり謝罪会見が行われるのかもしれない。

良い内容に、良いパッケージでちやほやするなら、まだ救いがある。これは、スポーツの世界などで散見される。同じような実力の選手のうち、可愛い方にスポットライトを当てるようなことで、例えば女子の柔道重量級選手などは、なかなか日の目を見ることがない。一方、そのスポーツ界でも、大したことのない内容に過剰なパッケージで売り込んでしまうケースもあるにはある。しかし、残念ながら「結果」は正直で偽装できないので、これをやってしまうと少なからず不幸な状況を招く可能性が高い。それほど実力があるわけでもないのに、看板に仕立てあげて競技の命運を背負わせてしまうようなケースも、過去にはあった。おかげで、いつも人気と成績が釣り合わず、だけどなかなか引退もさせてもらえず、本人としては物凄いストレスを抱えていたのではないか。

スポーツの世界は基本的に数値で評価できるので、本質を客観的に検証できる。だから、偽装はやりにくい。

しかし、スポーツはどちらかと言えば例外的である。世の中の多くの事象は主観で評価される。この領域では、良し悪しの評価ではなく、好き嫌いの評価になる。その時大事なのはイメージで、それを構成する大きな部分がパッケージなのだ。食品偽装だって、食べても違いがわからないから、産地やら、品種やらの偽装が成立するのである。

商品やサービスの価値の少なくない部分を規定しているのが、それに付加された「情報」である以上、その情報を偽装することが良くないのは当たり前である。しかし、生活者のほとんどが内容の良し悪しを評価できず、付加された情報に頼っていることが、偽装を誘引しているのも事実だ。

冒頭の音楽家の例に戻ると、今回、佐村河内氏が作曲したと偽装されていた曲のほとんどは、ひとりの大学関係者の手によるものとして世に出ていたら、全く売れなかった可能性が高い。では、それらは良い作品だったのか、そうではなかったのか。

良い作品ならば、その作品は「耳が聞こえない作曲家の作品」という偽りのパッケージを施すことによって世に出てきたわけで、単純に悪とも言い切れない。その作品を聞くことによって良い気持ちになることができたのなら、音楽を聴いた側にもメリットがあったはずだ。一方で、大した作品ではなかったとしたらどうなのか。今まで、大した作品でもないのに、付加された情報によって自分の感性を操作され、良い作品だと勘違いしていたのだから、もうちょっと自分の感性を磨くきっかけにするべきだろう。唯一、それは怒って良い、と言えるのは、「耳が聞こえないとは、なんて気の毒なんだ。可哀想だから、大した作品ではないけれど、CDを買ってあげよう」と考えた人達だと思う。こういう人達がどの位いるのかはわからないのだが。

さて、そろそろまとめである。

レストランで提供されたエビが、「芝海老なのかバナメイエビなのか」、それとも「美味しいか美味しくないか」、どちらで考えるべきなのか。

本来、重視されるべきは後者のはずだが、実際には、ほとんどの人が前者で判断する。現代社会では、多くの人が、内容で判断しているんじゃなくて、付加された情報で判断しているのだ。それを肯定するなら、一番大事な"情報"を偽装するのは大問題である。一方、本当にそれで良いのかと立ち止まるのなら、一概に悪いとも言い切れなくなる。

#ただし、食品の場合は味以外にも残留農薬の量とか、放射線量とか、目に見えない評価要素が存在するので、当然のことながら産地は偽装されるべきではない。

ただ、今回の作曲偽装に関しては、後者の視点からの擁護論はまだほとんど見当たらない。やはり、今の社会状況では、音楽においても付加情報が大事なんだろう。あるいは、「そんなこと言ったって、食べただけじゃ、読んだだけじゃ、聴いただけじゃ、判断できないでしょ?」という開き直りかも知れない。高度に情報が流通する社会とは、自分の感覚を信じられない時代なのだ。そういった社会の中で、どうやって生きていくのか。僕は佐村河内さんのCDを買ったこともなければ聴いたこともないのだが、今回の騒動を、そういったことを改めて考えてみる機会とするのも悪くないのではないかと思った。

僕は、少なくとも、ラーメンに関しては自分の感覚だけを信じて情報発信してきた自信がある。他の部分についても、かくありたいと思う。

#「絶対リバウンドしないダイエット」の出版に興味のある出版社からのご連絡、お待ちしております(^^

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この記事へのコメント
日本人の多くが好きな、ゴッホの作品も、画家の哀れな生涯が付加価値の一つとなっている様です(笑)
私はバッハのg線上のアリアを聴くと涙が出てきますが、佐村河内のものとされてきた曲がこのまま消え去るとしたら、その程度の作品だったのでしょうね。曲には罪はないとは思いますが。
Posted by あきこ at 2014年02月22日 20:15
> 佐村河内のものとされてきた曲がこのまま消え去るとしたら、その程度の作品だったのでしょうね。

まぁ、そういうことなんでしょうね。そうなる公算が高そうですが。
Posted by buu* at 2014年02月23日 00:14