2014年02月16日

地獄の(ほぼ)完徹(約)30時間ドライブ 後編

ヤマダ電機を出ると17号に向かった。17号までの道はちょっと不安になる積雪量ではあったけれど、無事、到着した、17号も、途中までは順調で、「あーーー、ここで6時間以上立ち往生したねぇ」とか、雪の重さでお辞儀している信号機を見つけては写真撮影するなどと余裕をかましていた。




しかし、油断するまもなく、車は再び大渋滞にはまってしまった。このあたりは往路で「はまっていて可哀想」などと同情していた地点なので、いつまで経っても渋滞が解消しないことを僕は知っていた。そこで、意を決して、脇道に入ってみた。どうせ駄目なら、チャレンジするのみである。

場所は深谷のあたりだったのだが、このあたりは寒かったのか、雪に重さがなく、高崎の市街地よりもかなり走りやすい。17号はセメントで固めたように動かなかったが、脇道を走る車はまばらで、順調そのものである。

熊谷の手前でまた雪が重くなる気配があったので、今度は407号に転換したのだが、この道はまたちょっと渋滞気味だった。反対車線で例によって運転を放棄して渋滞を引き起こすトラックが大量発生していて、その運転手を説得して回るおまわりさんが苦労していた。数名の馬鹿がいるおかげで都市機能がストップしてしまうのである。

渋滞したり、悪路だったりと色々と問題はあったのだが、やがて407号から川越街道に進み、川越ふじみ野道路に出た頃には状況は随分と改善されていた。時刻はすでに1時半過ぎである。2時半からジャンプの放送が始まるようだが、それまでに家に着くだろうか、と考えていたのだが、道路の状況が安定してきた頃になって、猛烈な睡魔に襲われた。これはちょっとやばいので、ふじみ野道路の途中にあったセブン-イレブンに立ち寄り、その駐車場で15分ぐらい(多分)仮眠をとった。目が覚めたら、とりあえず頭はスッキリしていた。これなら30分ぐらいは安全に運転できるだろう。

柳瀬川、志木、朝霞あたりの積雪状態は普通だったので、運転は特に問題もなく、結局3時には家に到着できた。なんだかんだで多少の休憩はあったものの、ほぼ30時間にわたり、悪天候・悪路の中を運転し続けたので疲労困憊だったのだが、とりあえず葛西の銀メダルだけ確認して、布団に入ることにした。

寝る前に確認すると、関越、中央、上信越の各高速道路は閉鎖されたまま。碓氷峠も大量のトラックが立ち往生していて交通は麻痺している様子だった。

きちんと統制がとれていれば、ここまでの交通麻痺は起きなかったと思うけれど、今の日本にそこまでの民度を求めるのは無理なのかも知れない。

地獄の(ほぼ)完徹(約)30時間ドライブ 前編

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