2014年02月20日

クックパッドがなぜ料理上達の障害になるのか

料理の上達法について書いた記事がアクセスを集めているのだが、

料理と勉強における共通のコツをわかっていない人々
http://buu.blog.jp/archives/51410726.html

これは別の記事の枕として書いたものなので、ここで料理のみに絞って加筆しておく。まず、上記の記事にはいくつかのはてブがついているのだが、例によって的が外れているブックマークがあるので、念のため反論しておく。

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それじゃあ料理を一つ作る前に挫折する どうしてプログラミングを教えるときhello worldから始めるのか考えよ


偉そうに「考えよ」とか馬鹿じゃねぇか(笑)?、というのが正直な感想だが、まじめに反論するなら、僕は料理の先生ではないという言葉に尽きる。僕は料理学校の先生として生徒からお金をもらっているわけではないので、別に、これを読んだ人の料理の腕が上がろうが、上がらなかろうが、全くどうでも良い。料理の勉強に関するモチベーションの維持など、興味もない。モチベーションなど、「彼氏においしい料理を食べて欲しい」でも、「自分でおいしいものを食べたい」でも、「他人から料理上手と褒められたい」でも、「自分で店を持ちたい」でも、何でも良いし、それを維持させるのは僕の役割ではない。「本気で料理が上手になりたい」と思っている人に向けて書いているのだから、モチベーションが維持されるのは大前提である。ましてや、「始めるか考えよ」とか、大きなお世話である。

さて、ここからが本論だが、前半のほとんどは元記事のコピペなので、よろしく。
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クックパッドは誰のために?
最近、数人の「料理を始めた」という人(ほとんどが30代)と話をしたのだが、「どうやって料理しているんですか?」と質問すると、みんなから「クックパッドを見て」と判を押したような返事があった。そのたびに、僕は「本気で上手になりたいと思うなら、クックパッドを使うのはやめなさい」と言っている。クックパッドがダメなサイトなのではない。料理の初心者には向かないサイトなのだ。料理には、料理の理屈がある。たとえば、煮物を作るときに具材を同じくらいの大きさに切るのはなぜか。ぶり大根を作るときに米のとぎ汁を使うのはなぜか。ゆでたまごを作るときにお湯に塩や酢を入れるのはなぜか。砂糖と醤油を使う料理では砂糖を先に使うのはなぜか。これらのコツの背後には理屈がある。それは汎用的な理屈なので、他の料理にも応用がきく。一つの料理を作るときの知識(=コツ)が、他の多くの料理のベースになるのである。ところが、クックパッドでは、そういう理屈が理解できない。なぜなら、一つの料理を上手に仕上げるための知識しか掲載されていないからだ。

クックパッドは料理を上手に作るためのサイトであって、料理が上手になるためのサイトではない。

もちろん、料理をするたびにクックパッドを見ればそのたびに上手な料理をつくることはできる。しかし、クックパッドがなければ何もできなくなってしまう。これでは、クックパッドの達人ではあっても、料理の達人ではない。

料理上達の最短ルートは「コツ」を身につけること
僕は、料理の上達を志している初心者には、クックパッドを見るのはやめて、「調理以前の料理の常識」や「「こつ」の科学-調理の疑問に答える」といった本を読むことを勧めている。これらの本に掲載されている知識が身について初めて、クックパッドは便利なサイトになる。

 

料理の上達に必要なのは、目の前にある「オムレツを作る」という課題を解決することが重要なのではなく、オムレツを上手に作るために必要な知識(=コツ)を整理しつつ身につけ、そこで得た知識を親子丼や餃子を作るときに利用する、といったことだ。そして、この考え方は普段の勉強にも通じるところがある。僕が料理を始めたのは5年ぐらい前だと思うのだが、その習得にあたって、普段の勉強の方法をそのまま適用した。基本と、理屈をきちんと勉強して、最短ルートで上達してきたと思う。おかげで今では多くの人から「料理が上手な人」と思われている。料理はたくさんの試行錯誤の末に、今の形になっている。その、エッセンスが「コツ」である。そして、理想的には、その「コツ」を理屈、すなわち科学として理解しておくことが好ましい。料理はコツで、コツは科学である。

コツの次は、慣れと経験
さて、ここまで書いてきたのは、いわば料理上手のための土台作りである。この上に、しっかりとした建物を作る必要がある。そのために必要なのが、「慣れ」や「経験」である。

例えば、僕は料理を始めた頃にカレーを作って、焦がしたことがある。ルゥを入れてから少しの時間目を離した隙に、カレーが焦げてしまったのだ。この経験をもとに、「カレーを作る時は、ルゥを入れた後は鍋から目を離してはならない」という経験則を学んだ。他の料理を作った経験から、今では「火を使っている限り、鍋から目を離してはならない」と考えている。

あるいは、味見の大切さも経験則から身につけた。僕は味噌汁を作る時、昆布とかつお節でダシを取ることが多いのだが、最初のうち、ダシの味がどういう構成になっているのか良くわからなかった。それがわかったのは、昆布のダシを取った段階と、かつお節を加えた段階の、2回に渡って味見をした時だった。そして、それがわかった時に初めて、昆布とかつおによる味の組み立て方が理解できたのである。つまり、完成品の味を見るだけではなく、料理の途中でも、味を確認しておくことが重要なのだ。これも、実際に味をチェックしてみなければ、理解できないことである。

このように、実際の経験も、料理においては重要な位置を占める。そして、それは結局どれだけ料理をやったかなのである。ただ、この時に、前述の「コツ」を意識するかどうかで、その後の展開が大きく変わってくる。他の料理にも応用できるように、と考えていれば、あらゆる経験が料理の上達に資するのだが、その感覚がないと、無駄に経験を積んだに過ぎないのである。このあたりで、「土台」があるか、ないかの差が出てくる。そして、それはすぐに大きな差になってくるのだ。

この他にも、経験は「慣れ」の部分で重要で、例えば包丁の使い方などがこれにあたる。僕の場合、料理のスキル向上を目指すと決めた段階で、まず一日一個、リンゴの皮を剥くことから始めた。次にやったのが大根の皮剥きだが、ある段階を過ぎたあたりで、そこそこの技術に到達し、以後は毎日の料理が全て、包丁の技術向上のための場となった。料理をするたびに包丁を使うのでこれは当たり前なのだが、あるレベルに到達するまでは、その効率が著しく悪い。だから、最初の数ヶ月は、我慢して毎日地道に包丁を使う時間を作る必要がある。パソコンで言うなら、ブラインドタッチが包丁技術にあたる。ブラインドタッチは、できるようになろうと志したら、一定の期間は努力する必要がある。しかし、一度ある程度の技術が身につけば、それから先は、パソコンを使うことがそのままブラインドタッチの練習になっていく。

それから、経験として忘れてはならないのが、「おいしい料理を食べること」である。時々、何を食べても美味しく感じてしまう人がいる。そういえば、以前の会社で吉野家が美味しいと力説する人がいたので、「なぜ松屋やすき家と比較して、吉野家が美味しいと感じるのですか?」と質問したら、「量が多いから」という答えが返ってきて苦笑いしたことがあるのだが、このレベルの人が美味しいものを作ることができる可能性はかなり低い。美味しい料理を食べるという経験を重ねていくことも、非常に大事なことである。

最後に大事なのが道具
そして、最後に、道具についての知識が出てくる。包丁ひとつとっても、形状や材質が異なる。野菜を切るのにはセラミクス製の包丁が便利だが、魚をおろすのには向かない。魚をおろすにも、魚の種類によって出刃包丁を使うのか、刺身包丁を使うのか、三徳包丁を使うのか、適切なものを選ぶ必要がある。「そんなにたくさん用意できない」ということなら、じゃぁ何を持っておけば代用が利くのか、という知識が必要になる。このあたりの知識は、ネットにいくらでも転がっているので、それを調べれば良い。大事なことは、「料理によって、適切な道具を選ぶことが好ましい」という知識があることである。これを知っていれば、「今日作る料理には何が必要なのか」を考えることができる。知識がなければ、何も考えずに材料を買ってきて、闇雲に調理を始めてしまうことになる。包丁、鍋、フライパンあたりは用途に合わせていくつも持っていたほうが良い。弘法は筆を選ばないが、見習いは道具を選ぶのが重要だ。良く切れる包丁を使うことによって、料理の腕は間違いなく上達する。

まとめ
以上、「コツ」を身につけるという姿勢、慣れ・経験、道具に関する知識が料理上手への大事な3要素である。そして、一番大事なのが、「コツ」を身につけることで、この土台作りさえやっておけば、他の要素もあとからついてくる。なぜクックパッドが料理上達の障害になるのか、それは、この一番大事な「コツ」を身につけることにつながらないし、むしろ邪魔になるからなのだ。ブラインドタッチの練習で言うなら、クックパッドを見てしまうことは、キーボードを見てしまうような行為なのである。

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