2014年06月26日

ザッケローニ監督の日本代表と、これからの日本代表

ザッケローニ監督が退任を表明したそうだ。

ザック監督が退任表明「この代表を離れなければいけない」
http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=20140625-00000155-spnannex-socc

4年前の大混乱が懐かしい。

監督が決めないチームは「代表」とは呼べないだろう
http://buu.blog.jp/archives/51069845.html

このドタバタのあと、ザッケローニさんが急浮上して、

どっちなんだよ
http://buu.blog.jp/archives/51071715.html

#ちなみに、ここで挙げられているペケルマン氏は、先日の試合で日本をチンチンにしたコロンビアの現監督である。

ダークホース的なところからザック・ジャパンが誕生した。以後、ザッケローニ監督は見事に日本に溶け込み、選手を理解し、チームを作り、結果も残した。アルゼンチンとのテストマッチで勝利、アジアカップ優勝、韓国戦無敗、ワールドカップ出場というハードルをクリアし、今に至る。グループリーグ突破も当然、と考える人もいるかも知れないが、スペイン、イタリア、イングランドといったチームが同様にグループリーグで討ち死にしている状態を見れば、それがかなり高いハードルであることがわかる。僕の感想は、「まぁ、こんなもの」といったところだ。

ただ、グループリーグ突破の可能性はあったし、それを不可能にした原因の一つに、監督のミスがあったことも否定できない。そういった、監督の戦術面での能力というのも、日本代表の実力の一つである。

今回のグループリーグ3試合では、それぞれに別の問題が浮き彫りになった。

一番勝つ可能性が高かったコートジボワール戦では、普段着のゲームができなかった。日本がこの8年ぐらい、目指してきたのは、スペインをお手本にした高いボール支配からのつなぐサッカーである。ところが、敵を警戒しすぎたのか、日本のポゼッションは約40%で、完全に圧倒されてしまった。最大の原因はボランチの二枚に長谷部、山口という守備的なメンツを揃えてしまったことだ。加えて、パスミスが異常に多く、コンディショニングの失敗だったのか、ピッチが不慣れなものだったのか、とにかく高い位置でボールを奪われるケースがたくさんあった。特に気になったのは、相手ボールを奪ってさぁこれから、という場面でのボールロストで、これは肉体的にも精神的にも消耗する。パスサッカーを目指しているなら、パスミスがないのは最低限のはずなのだが、それができていなかった。普段着でいけたのは前半の25分程度で、そのあとは完全にコートジボワールペース。コートジボワールは日本の弱点をきちんと研究していて、また自分のチームの強みを理解した上で、適切な戦術を構築していた感じである。それは、強力なボランチを餌にして日本のディフェンスを中央寄りにし、緩くなったサイドを効果的なサイドチェンジを交えて押し込み、日本の強みである左サイドを消耗させるというものだった。実は、これは日本が主としてアジアの格下に展開してきた「普段着のサッカー」でもある。

二戦目のギリシャ戦は、いかにして強固なディフェンスをかいくぐるか、というのが戦前からのテーマだったのだが、これをクリアできなかった。この試合は勝利が必須だったにも関わらず、ボランチが初戦同様守備的な長谷部、山口で、今日も守備的に行きますよ、という意思表示だった。青山、遠藤の二人は全体を俯瞰してバランスを考え、適切なサイドチェンジができる典型的ゲームメーカーだが、長谷部、山口にはこのスキルがない。数年前なら長谷部、遠藤という最強のコンビが形成できたのだが、残念ながら遠藤は選手としてのピークを過ぎていて、ゲームメイク以外の部分で心配なところが多く、長谷部のコンディションも万全ではない。一方で山口、青山の才能は大したものだが、全盛期の長谷部、遠藤にはまだまだ及ばない。というか、この1年ぐらい、日本代表の戦力に上積みが感じられない(パッとしない)のは、ひとえにヤットの衰えが反映されているだけ、というのが僕の考えである。また、大久保の起用も、チームに混乱を招いていた感がある。確かに大久保のキレは凄く、相手に脅威を与える存在だったと思うのだが、コンビネーションという点では完全にリスク要因になっていた。全体が組織的に動いている中で、大久保は好き勝手に動いていた感じで、敵を混乱させる以前に、日本代表が混乱していた印象だ。特に両サイドと大久保の連携がうまくいかず、折角ボランチがボールを前線に供給しようとしているのに、大久保のポジション取りがおかしいおかげでパスの出しどころがない、ということになったりしていた。ギリシャの選手をひとり退場に追い込んだのは見事だったのだが、べた引きで9人ブロックを形成し、引き分け狙いに出てきたギリシャに対して、ほとんど攻撃の手段を持たなかったのも残念だった。ギリシャはサイドを完全に捨てていて、「クロスを上げられても、中央さえがっちり固めていれば、フィジカルで劣る日本の攻撃は怖くない」という考えだったようだ。実際、サイドからは何度も中央にボールが配給されたけれど、ポストプレーヤーがいないので、全部弾き返されて、逆にカウンターを受けて消耗するという展開になっていた。何度かのチャンスはあったものの、それを活かすだけの勝負強さもなく、結局勝利が必要なこの試合をスコアレスドローにしてしまった。

そして、玉砕覚悟のコロンビア戦である。この試合で、日本は現実を見せつけられた。見せつけられたのはザッケローニ監督ではなく、攻撃的チームによって世界と戦うという目標を掲げた、サッカー協会である。個の力でも、組織力でも敵わず、ベストメンバーから何人も選手を落とし(これがヤマザキナビスコカップなら無気力試合と言われてしまいそうだ)、さらには思い出出場の選手交代までやらかしたコロンビアに4−1の完敗である。この試合、日本らしさがなかったのかといえば、そんなことはない。逆に、一番日本らしい戦い方をしていた。高いポゼッションからの攻撃サッカー。しかも、最も得点が期待される岡崎がヘッドで決めもした。しかし、コロンビアがちょっとだけ本気を出して、ハメス・ロドリゲスを投入したら、もういけない。高い位置でロドリゲスにボールを持たれると、一人では止めることができず、二人、三人とディフェンスが寄せていく。すると、当然マークがなくなってフリーになる選手ができるので、そこにパスを出される。これをきっちりと決められてしまうので、点差は開く一方である。ボクシングでたとえるなら、パンチ力のないボクサーがポイントを稼ごうとジャブを何度も出しているのだけれど、時々相手が放つカウンターの威力が凄まじく、ガードがあっても、その上から叩きこまれて脳震盪を起こしてノックアウト、という感じだ。完全に力負け、玉砕覚悟で臨んだら文字通り玉砕してしまったわけで、グループリーグ三試合でつきつけられた問題の中では最も深刻なものである。

僕はずっと攻撃的サッカーは日本には無理、といいう考えだが、この10年ぐらいの世界のサッカー界の大きな流れは、ポゼッションからの攻撃的サッカーだった。その潮目が変わりつつあるのは、バルサの不調や、今回のワールドカップでのスペインのグループリーグ敗退などで明らかなのだが、では、これからカウンター中心の守備的サッカーが流行るのかと言えば、そんな兆候もない。今、台頭しつつあるのは、圧倒的な才能を中心に配置したスピードサッカーである。しかし、メッシ、クリロナ、ネイマール、ファン・ペルシー、イニエスタ、ロッベン、シャビ、ピルロ、エジルといった「圧倒的な才能」は、日本にはいない。アジアレベルなら香川、本田、長友といったトッププレイヤーが何人もいるけれど、ワールドクラスではない。圧倒的なタレントは、これまで日本には釜本しかいなかったし、次にいつ現れるかは全くわからない。その中で力勝負を挑み、粉砕された。

もちろん、この一試合だけを見て、攻撃サッカーを捨ててしまうのは早計だ。だから、これからの2年ぐらいは攻撃サッカーを続けてみれば良い。ただし、マッチメイクは慎重にやる必要がある。少なくとも、アジアの強豪といくら試合をやっても、それは自己満足にしかならない。もっと圧倒的に強いチームと力勝負をやってみれば良いのである。そこでポゼッションサッカーによって互角に戦えるなら、引き続き理想を追求すれば良い。ダメなら、もうしばらくは攻撃的サッカーは封印したほうが良いということになるだろう。もし、日本が「ワールドカップで優勝する」という、果てしなく高い目標を掲げるなら。

色々と言われているけれど、ザッケローニ監督は非常に優秀な監督だったし、次のロシアまでチームを任せるという選択肢もあったと思う。交代しても、ザッケローニ監督よりも優秀な監督が来てくれる保証はないし、むしろリスクは大きいと思う。しかし、色々な事情もあるだろう。グループリーグ敗退という結果を考えれば、交代もまた、有力な選択肢のひとつである。

ザッケローニ監督の4年間を振り返ると、楽しませてもらった場面のほうが多かった。アルゼンチン戦は埼スタで観戦していたが、終了後に新宿に祝杯をあげるほどに興奮したものだ。その後、屋台骨だった遠藤の衰えや、本田、香川の不調といった不運もあり、最後は結果を残すことができなかったため、メディアでは彼を悪く言う論調も少なくないようだ。だけど、少なくとも僕は、ザッケローニ監督の4年間の働きにとても感謝している。

日本代表と、ザッケローニ氏の今後の活躍を楽しみにしている。

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