2014年07月31日

国策で特定の技能者を量産することのリスク

こんなニュースがあったけれど、

「プログラミング強国」へ教育を 東京大学教授・坂村健
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140731/edc14073103070001-n1.htm

ポスドク1万人計画に似た気配がある。ポスドク一万人計画とは、要は「これからは博士がたくさん必要だから、博士を大量生産しよう」というもので、文科省の目玉政策として1996年から実施された政策である。それでどうなったかといえば、使い切れない博士が大量に余ってしまって、彼らの失業問題がクローズアップされてきた。

僕は、ポスドク一万人計画は筋の悪くない施策だったと思う。ただ、ここで忘れてはならないのは、博士といえどもピンきりで、必要とされているのは博士の中でも「優秀な部類の人たち」だったということである。世の中では博士であればそれなりの実力を持っていると判断する風潮があるのだが、実際には小保方氏の例をひくまでもなく、ダメな奴は山ほどいる。どのくらい酷いかは、次のエントリーを読んでみて欲しい。まともな理系の人ならびっくりするはずだ。

例:ちょっと見かけた博士

「優秀な人材」の絶対数というのは母集団の大きさに"ある程度"比例するので、その母集団を大きくしましょう、というのがポスドク一万人計画の隠された理念である。ざっくり書くなら、

計画前:博士5,000人 > うち、優秀な博士1,000人、使えない博士4,000人
計画後:博士10,000人 > うち、優秀な博士1,500人、使えない博士8,500人

みたいなことだ。仮に博士が倍増して5,000人増えても、もともと博士になる予定のなかった人材を無理やり博士にしているので、当然、その博士が優秀である可能性は低く、効率は悪くなる。したがって、優秀な人材が倍増する以前に、使えない博士が大量生産されてしまう。

この程度のことはみんなわかっていたのだが、生物系を中心に「研究の下働きをしてくれる人材が欲しい」とか、「誰でも良いから論文を出してくれる人材が欲しい」といった理由で、ほとんど何のフィルターもかけずに博士課程に進学させてしまった。僕が修士課程にいた1990年代前半でもバイオ系の大学院は人材不足状態だったのだから、ポスドク一万人計画(1996〜)以後はさらに悪化していたはずだ。おかげで、上で紹介したようなダメ博士が量産されてしまった。

それでも僕がこの計画の筋は悪くなかったと考えるのは、この施策によって「優秀な博士」の絶対数が増えることが期待されるからだ。問題は、それ以上に増える「使えない博士」をどうするかで、その施策に手付かずだったために今の混乱がある。

さて、冒頭の記事である。プログラミング教育を充実させろ、プログラマーを大量生産せよ、という主張は決して間違いではないと思う。しかし、プログラマー教育を充実させれば、優秀なプログラマーと同時に、大量の使えないプログラマーが発生する。その数が増えれば有能でないプログラマーの給料は叩かれる。プログラミングが好きだし、他にとりえもないのだけれど、優秀とはいえないプログラマーたちが大量生産された時、どう対処するのか。

また、優秀なプログラマーたちも身分は安泰ではなく、諸外国から流入してくる優秀なプログラマーとの競争が発生する。記事では「プログラミング教育だけは異常なほどリターンが早く効果も大きい」と書かれているが、それなら競争相手は海外だけでなく、どんどん新規に量産される若いプログラマーとの競争も熾烈になるだろう。当然、競争に負けた人材は行き場を失う。教育が簡単、生産が簡単ということは、すなわちすぐに競争が激化するということである。

こうした状況は、一般論としては決して不健康ではなく、むしろ歓迎すべきだと思う。しかし、日本社会には、それを受け入れるだけのベース、すなわち、競争に負けた人たちを受け入れるセーフティ・ネットがない。

だから、こういう計画を推進する際には、プログラマー志願者にきちんと伝えておくべきだ。「競争は激しくて、それに負けたら年収300万円程度で一生こき使われるかも知れないよ。あるいは、そういった下働きですら海外の安価な労働力に持っていかれたり、あるいは人工知能によって自動化されて、なくなるかも知れない。そのくらいは覚悟しておいてね」と。多分、この主張をしている坂村健さんは、結果的に充分な能力を身に付けることができなかったプログラマーのその後のことなんか、一ミリも考えてはいないし、面倒も見てはくれないのだから。


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