2014年09月02日

ラーメン応援団長の訃報

北島秀一さん(通称『しう』さん、51歳)が亡くなった。佐野実さん(享年63歳)に続いて、今年二人目のラーメン関係者の訃報である。

しうさんとは1995年ごろにラーメンMLで知り合って、そのあと東京一週間での「ラーメン四天王」の連載を一緒にやったりした仲だったのだが、その頃から今に至るまでで、石神さんとあわせて僕が認めている数少ない「味のわかるラーメン評論家」だった。

しうさんと僕の大きな相違点は、ラーメンに対する愛情で、僕は駄目な店は駄目とはっきり言ってしまうのだが、彼は良い店だけを評価し続けた。以前、彼と飲んでいた時に、「ラーメンの写真を撮ろうとしたら、『著作権があるんだから、写真は撮らないでくれ』と言われてしまった」という話をしたときに、「どこですか、そのけしからん店は!!」と激怒したのだけれど、店の名前を教えると、「あーーーーー」と言ったきりもごもごしていたことがある。勢いで店の名前を尋ねてしまったけれど、いざ固有名詞が出てきてしまうとそこを真正面から否定することができなくなってしまう、そんな人柄だった。

そういう、「ラーメン愛」という視点からしうさんと僕は随分と遠くにいたので、しうさんとしては僕と一緒にいることはあまり居心地が良くなかったのだろう。サシで飲むようなことはなかったし、大勢で飲んでいても「ブウさん(僕のこと)がなぜ私のことをそんなに高く評価するのか、良くわからない」と良く言っていたものだ。

何の事はない、ラーメン評論家には味のわかる奴と、わからない奴がいて、そんな中でしうさんは、味がわかってはいるけれど、まずい店をまずいとは言わず、ただ黙っているだけだとわかっていたから、高く評価していただけのことである。少なくとも、まずい店を「うまい」と言ってしまう人ではなかった。

しうさんが最初に健康を害したのはワールドカップの頃だっただろうか?白血病で入院したときに、僕の父が急性骨髄性白血病で死んでいたことに触れつつ、何度か連絡を取った。大丈夫かなぁ、と心配していたのだが、無事難病から生還した。新横浜にサッカーを観に行った際、ラーメン博物館の人に頼んで呼び出してもらい、ラ博の前で5分ほど話をした。その時は大したことを喋っていないのだけれど、GカップがAカップになるぐらいに体が小さくなったしうさんは、不健康というよりはむしろ画期的に健康的で、一緒にいた嫁さんと「しうさんって、痩せたら凄くカッコ良かったんだねぇ」と笑った。

ところが、しうさんの体調が良くなると、それに反比例するようにしうさんの体型は再び不健康化し、気が付くと大分元に戻ってしまっていた。ありゃりゃ、と思いつつ、まぁ、あれがしうさんのありのままなんだろうな、と思っていた。

その後も、ときどきブログのコメント欄を通じて意見交換することはあった。例えばこれなんかは、そこそこ注目を集めたやりとりだった。

ラーメンビジネスの一側面に関する会話ver.2
http://buu.blog.jp/archives/26503756.html

武内伸さん(享年48歳)が亡くなった2008年には非公開で連絡を取ったのだが、しうさんは、「武内さんの健康とラーメンについて結びつけて論じるのはやめてくれ」と言っていた。僕はもちろん武内さんが健康を害したのはラーメンの食べ過ぎ(と、酒の飲み過ぎのコンボ)だと思っていたし、知り合いのラーメン愛好家の医者も同じ意見だったけれど、武内さんを追悼するブログエントリーでは、そのことに触れることはなかった。

ラーメン研究家の訃報
http://buu.blog.jp/archives/50696943.html

その後、しばらく連絡を取らずにいたのだが、次に連絡をとったのはしうさんがふたたび体調を崩したと聞いたときで、一昨年だっただろうか。白血病が再発したのかと思ったら、今度は内臓疾患とのこと。次々と大病をする人だなぁ、と思っていた。

最後に会ったのは、去年3月に開催された石神さんの出版活動十五周年記念パーティだった。その時のことはこちらに書いておいたが、

石神秀幸氏出版活動十五周年記念パーティ
http://buu.blog.jp/archives/51388659.html

しうさんは「私は独り身なので、このままくたばってもどうってことないですよ。ブウさんは嫁さんがいるんだから、体だけは大事にしないと」と、いつもの斜めに構えた顔で、人の体の心配ばかりをしていた。今回の病気は白血病とはまったく無関係の胆管がんとのことで、奥の方のソファーに座って、次から次へと挨拶にやってくるラーメンオタクたちと楽しそうに、でも、しんどそうに話をしていた。胆管がんは症状が出にくいので、どうしても予後不良になる病気である。そのあたりはしうさん自身も十分に知っていた様子で、残された時間をしうさんなりに有効活用してきたのだろう。最後に会ってから約1年半後の訃報だった。

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