2014年09月30日

小指の思い出

東京芸術劇場プレイハウスで上演されている「小指の思い出」の初日を観てきた。

多少の無理を承知で、演劇を料理にたとえてみる。

戯曲は料理に使う素材である。
演出家は料理人だ。
役者は調理に使う道具に該当する。
音楽や照明が各種調味料で、大道具、小道具が食器である。

今回観た「小指の思い出」は、野田秀樹が20代後半に書いた戯曲である。野田秀樹は、劇作家として超一流であると同時に、演出家としても超一流というのが僕の見解だが、演出家としての最大の特徴は、個性的な役者の魅力をきちんと引き出す、ということだと思う。演出家であると同時に原作者でもあるので、演出上の必要があれば原作を変更していくこともあるのだろう。役者を想定した戯曲を作る、いわゆる『アテガキ』の原作者としては三谷幸喜が有名だが、野田秀樹の戯曲もそういったカラーがあると思う。つまり、自分が持っている色々な道具を想定しつつ、原材料を揃え、どういった料理をつくり上げるかを考えていくのが野田流の劇作だと思う。手持ちの役者を前提にしつつ、最終的な料理をイメージして、野菜や肉や魚を揃えていくのだ。

そうやって出来上がった料理を完璧に再現しようと思えば、素材だけでなく、同じ道具や調味料、食器が必要になってくる。ところが、20年以上も時間が経ってしまうと、それらを揃えることは至難の業である。今回の上演では、道具はもちろん、調味料までが一新された。同じものは、素材だけである。その結果、当たり前ではあるのだが、似ても似つかない料理が出来上がった。

野田流の料理は、道具の良さが最大限に引き出されているものだ。さまざまな鍋、さまざまな包丁を適材適所に使い、素晴らしい料理を作り上げていく。一方で、今回の藤田貴大の演出は、調味料や食器に趣向を凝らしたものだった。

野田流の料理のもうひとつの特徴は、「素材が何なのか良くわからないのだけれど、とにかく調理の腕が素晴らしく、ひと通り食べてみると「すげぇうまかった」という感想しか出てこない」というものだ。一方で、藤田流の料理は、そういった勢いがほとんど感じられない。ただ、ところどころに良い食器が使われていて、素材はともかく、調味料の使い方が上手だなぁ、という感想になった。動の野田、静の藤田とも表現できると思う。

もともとの素材を揃えたのが野田秀樹なので、出来上がった料理の質を比べようとすれば、藤田貴大は圧倒的に不利である。さらに、すでに野田秀樹の絶品料理を実際に食べている客も少なくないはずだ。かくいう僕も、実際に食べて衝撃を受けた人間の一人である。そうした、過去の、しかも恐らくは長い時間によって美化された経験を持つ客に応対するのは非常に難しい作業だっただろう。だから、今回の作品については様々な点で、藤田寄りの立ち位置にいる必要があるはずだ。そうしたあれやこれやを考慮した上で、この作品はどうだったのか。

「良くわからない芝居だった」

が正直なところである。

素晴らしい調理道具を使わずに出来上がった料理は、良くわからない素材を、良くわからない道具で調理し、今風の調味料で味付けして、洗練された皿に飾り付けられて提供されたものだった。

さて、最後に、比喩から離れてストレートに書いてみる。やはり、マイクを使ったのは失敗だろう。きちんとした発声法からでていない声は、客に伝わらない。脚本を知っている人間が聞いても何を言っているのか理解できないのだから、初見ならさっぱり理解不能だと思う。音楽、映像といった「らしさ」に合わせるためにはマイクは必須だったのかも知れないが、だとすれば、この脚本を選んだことが失敗だったと思う。

僕は、遊眠社時代の野田芝居の真髄は「汗」であり、「声」であったと思う。この二つが、現代的な演出によって失われた。残ったのは、形骸だけだった。

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この記事へのコメント
毎回興味深く読ませてもらっています。
ありがとうございます。なるべく長く書き続けて下さい。

    49歳 男
Posted by 和歌山県田辺市民 at 2014年10月01日 13:16
全くの正論で、深く共感いたします。
この劇を賞賛する素人の方も多いようで、絶句してしまいます。
Posted by 漢委奴国王 at 2014年10月03日 21:50
> 全くの正論で、深く共感いたします。
> この劇を賞賛する素人の方も多いようで、絶句してしまいます。

戯曲の内容がきちんと頭に入っていて、若手の演出家を育てたい、という人なら、褒めていても違和感ありません。芝居を見慣れていない人だと、特に前半、マイクと発声・滑舌の悪さで、何を言っているのかちんぷんかんぷんだと思います。今やっている映画の「舞妓はレディ」は方言を多用しているおかげで何を言っているのかわからない場面がありますが、あれよりも酷いと思います。
Posted by buu* at 2014年10月04日 11:01
昨日観に行きました 感想は管理人さんとほぼ同じです
でも内容自体はとても面白かったから発声だけが残念だったなぁというのが
正直な印象ですね・・・
Posted by kh at 2014年10月04日 14:52
はじめまして。今日芝居を拝見したものです
全くの同感でいたく感銘を受けました
素人目ですが、遊眠社の小指を知っている私にとって今回の演劇は役者の心の動きが機械的で、ただ絵画的な美しさを何枚も見せられただけの気がしました。
その微妙な心の変化の表現の上手さこそが、野田演出の評価されるゆえんのような気がします。
Posted by スガワラ at 2014年10月04日 19:00
> 昨日観に行きました 感想は管理人さんとほぼ同じです
> でも内容自体はとても面白かったから発声だけが残念だったなぁというのが
> 正直な印象ですね・・・

最近は大竹しのぶさんあたりでもマイクを使うのです。でも、上手に処理できているケースをまだ見たことがありません。喋っている人の位置が変わってしまうので、どんなに頑張っても、不自然さはなくならないと思います。やはり芝居は地声でやらないと。
Posted by buu* at 2014年10月04日 19:51
> 素人目ですが、遊眠社の小指を知っている私にとって今回の演劇は役者の心の動きが機械的で、ただ絵画的な美しさを何枚も見せられただけの気がしました。

なるほど。

映像や音声などを機械を通じて表現するのはいかにもイマドキな感じなのですが、残念ながら小指の思い出にはフィットしていない感じなんですよね。というか、ざっと思い返してみても、フィットしそうな野田作品が見当たりません。

立方体の木枠を使った表現などは面白かったんですけどね。
Posted by buu* at 2014年10月04日 19:55
昨日見てきました。
全く同感です。
せっかくの野田脚本の美しく、哀しく、そして愉しい言葉たちが死んでいました。
藤田演出は他の作品でもそう思いましたが、音楽がうるさすぎて言葉が消されてしまうことが多いのです。
感情を音楽の起伏で伝えることしかできないのかなあと悲しくなります。
もっと言葉を、声を伝えて欲しい。
なんだ雰囲気だけの芝居になったなあと。
藤田作品では活きているリフレインもこの芝居ではそんなに効果が感じられなかったし。
とにかく主演女優がひどい。
最前列中央でみる幸運に恵まれましたが、ラストの独白場面では、一人で勝手にどこか別の次元に飛んで行っちゃったような泣いてるのかなんなのか白目を剥き出してどうにかセリフを喋ってる感じがもう聞いててイタかった。観客置いてきぼりで、ドン引きです。
心なしか、勝地くんや松重さんも引いてたような。。。
なんだかとってもとっても残念な芝居でした。
明らかに野田さんの客層ではない若い観客が大半でした。
これで野田さんの芝居が誤解されたらいやだなあ。
Posted by ヒロコ at 2014年10月06日 13:41
> せっかくの野田脚本の美しく、哀しく、そして愉しい言葉たちが死んでいました。

そこが、なんとも、ですね。

> 最前列中央でみる幸運に恵まれましたが、ラストの独白場面では、一人で勝手にどこか別の次元に飛んで行っちゃったような泣いてるのかなんなのか白目を剥き出してどうにかセリフを喋ってる感じがもう聞いててイタかった。

僕は5列目ぐらいだったので、そこまで詳しく表情を見ることはできませんでした。でも、兄弟役のふたりの方が良い印象を持ちました。
Posted by buu* at 2014年10月11日 00:48