2014年10月17日

ベンチャー育成、起業家育成に関しての現時点で見解

はじめに
経済産業省時代、私はベンチャー育成担当の課長補佐をやっていた。当時「ベンチャー」という言葉が役所には存在しておらず、その定義から始めた。2000〜2002年頃の話である。実際に日本中を周り、70以上のベンチャー経営者とディスカッションを行った。最終的には新規予算として5億円の予算を獲得し、それをばらまいたのだが、結果として何も生み出せなかった。つまりは無駄遣いに終わったのである。今できることは、なぜ失敗したのか、無駄遣いに終わったのかを考え、同じ過ちを犯さないように働きかけることだと思っている。

この半年ぐらい、アベノミクスの三本目の矢との兼ね合いからか、役所、政治家、大学関係者の周辺から「ベンチャー支援」とか、「起業家支援」という言葉が出てくる。そのたびに「またか」と感じる。

当事者たちは本気でベンチャーや起業家の支援ができるつもりなのかも知れないのだが、かなりの確度でそれは無理だ。私は5億円をばらまき、その効果が出る前に役人を辞めてしまったが、税金の投入を主導した人間として、その後の経緯をチェックしている。そして、私なりの結論に至った。その結論に対して日々自信を深めることはあっても、見直そうと思ったことは一度もない。その「結論」について書いておきたい。

起業支援のあるべき姿
起業家マインド、アントレプレナーシップというものは、教えられて身につくものではない。長い間生きてきて、その中で徐々に育まれてくるものだ。ただ、このマインドは、特定の人間の中に生まれるものでもないと思う。むしろ、多くの人の心の中に芽生える可能性があるものだと思う。では、なぜそれが育たないのか。育てる方法が悪いのではない。出てきた芽を潰す社会環境が悪いのである。本気で、日本が起業家に活躍してもらいたいと思うのなら、やるべきことは、育成や教育に力を入れるのではなく、潰そうとする社会を変えていくことだ。

たとえば、私が経産省を辞めてベンチャーの社長になったとき、周囲の親戚たちは、気が狂ったのではないか、馬鹿じゃないか、なんで安定した役所に勤務し続けないんだ、と考えていたようだ。実際には、私の経産省でのポストは5年間の期限付きだったので、いつかは辞めなくてはならないものだったのだが、それにしてもベンチャーはないだろう、それなら古巣の三菱総研に戻れば良いのに、と思っていたようである。この感覚は、私の親戚に限ったことではなく、ほとんどの日本人に共通した考え方だと思う。大企業の社員や公務員になって、終身雇用で守られて、レールの上にのり、家庭を持ち、幸せに暮らす。これこそが、一般的な日本人が理想とする生き方なのである。

そして、こういう生き方に背を向け、好きなように生きよう、起業して、新しい産業の創出を目指そうとすると、色々なところから圧力がかかり、その芽を潰そうとする。「親が反対する」「生活が安定しない」「失敗したら取り返しがつかない」と、圧力は色々だ。そして、その圧力は、能力が高い人間ほど、強くなってくる。「折角東大に入ったんだから、大企業か公務員になりなさい」というのがごく普通の考え方である。そもそも、「起業家」に対するリスペクトが、日本社会には全く存在しない。ベンチャー社長の典型的イメージは、「胡散臭い」なのだ。これでは、起業家は育たない。

日本社会のスタンダード
これまでの日本はそれでも良かったのだ。大企業と、その下請け会社が船団を形成し、落ちこぼれそうな船団があれば、それを役所が助ける。この護送船団方式こそが、日本社会だったのである。そして、その価値観は、今も大多数の日本人に支持されている。

日本社会の価値観の代表は、年功序列、終身雇用、護送船団という、社会主義的なものだ。そして、この考え方は、「起業」とは全く相容れない。

起業を取り巻く役人、政治家、大企業
それにも関わらず、役人や政治家は「起業支援」などということを考え、旗を振ろうとする。かくいう私も、それができると考えた人間の一人である。官僚としてそれに挑戦し、失敗した。日本社会の価値観が起業と相容れず、その社会の特性を色濃く反映しているのが役所であり、政治家であるからだ。また、それらに群がる銀行や大企業も、起業の足を引っ張る存在である。

銀行は、お金を借りに行っても、肝心の「企画」などは見ない。彼らが見るのは、社長の個人資産である。

自治体は、ベンチャー支援などと言いながら、赤字の会社からも均等割を徴収する。そうかと思えば、地域振興の名のもとに、いい加減なベンチャーにまで金をばらまき、ベンチャーマインドを腐敗させる。

そんなことをやっている裏で、形ばかりの「支援」を謳うのである。しかも、自分たちは安全なところに身をおいたままだ。大企業の社員や、公務員、大学教員が、起業家の育成や支援をどうやってやると言うのだ。かつて、私は東京中小企業投資育成などから2億円ほど投資を受けている会社の社長をやっていたことがあるのだが、彼らが派遣してくる人材が取締役をやっていても、役に立った記憶がない。

日本人は「育成」が苦手
銀行や役人に限らず、日本人は小さいもの、新しいものを育てていくということが決定的に苦手だ。

たとえば、芸術家。若手の芸術家は巷に山ほどいる。ところが、多くの日本人は、印象派やフェルメール、国宝展などには大行列するくせに、若手作家の作品には見向きもしない。もちろん良いものを見て審美眼を養うことは大事だが、そこで終了して、新しいものを探さない。偉い人が「これは素晴らしい」と褒めたものを見て、そういうものなのだなぁ、と同意して満足する。「どこかに、新しい才能は埋もれていないか」とか、「育てれば凄い作品を創るかもしれない」とかは考えることがない。権威主義で、すでに価値があるものに注目して、終了である。

こうしたことは、芸術家に限らない。文筆家だって、音楽家だって、役者だって、何とかして食っていこうとしている才能はあちこちにある。でも、そこに目を向けて、支援して、育てていこうという意識が、社会から感じ取ることができない。日本社会の「慣れ合い体質」は、もうそこにある既得権者同士や、寄らば大樹よろしく、今の権力者に向かうものばかりである。

社会がこうである以上、それを変えていくことこそが、政治家や行政の役割のはずなのだが、一般人の代表である政治家は、望ましい社会に向けた活動をするのではなく、次の選挙で当選するための活動に終始する。一般人のゴキゲンをうかがうばかりなので、時代の先端を行こうとする少数派には配慮できない。高齢化社会における年功序列社会の代表である行政組織は、いかにして手柄をあげるかではなく、いかにして失敗せずに定年までを過ごすかに注力するので、リスクのある冒険を避ける。結果として、社会はいつまで経っても変わらない。

三年前、村上春樹がエルサレム賞を受賞したときに「Always on the side of the egg」というスピーチを行った。

参考:誰が壁で、誰が卵で、そして自分は
http://buu.blog.jp/archives/51251987.html

このスピーチは日本人の間でもかなり話題になった。そして、多くの人が村上春樹に賛意を表明した記憶がある。彼の意図は、「自分たちの独自性を信じ、お互いを尊重しあおう」ということである。日本人のどれだけが、それを実践しているのか。もしもそれが大多数なら、ベンチャー支援などという言葉は、どこからも出てこないはずなのだ。

起業支援でやれること、やってはいけないこと
ベンチャー支援、起業家支援として、やれることは限られている。それは、

1.行政
ベンチャーの発展を阻害する規制をなくすこと
起業が不利益になる社会慣習をなくすこと

2.投資家
ベンチャー企業の事業計画を評価し、投資すること
投資したら、成功に近づくように支援すること

3.社会
ベンチャー企業のサービスや商品を優先的に購入すること

である。逆に、絶対にやってはいけないことは、

1.公的なお金を投入すること

2.能力のない人間を起業に引きこむこと

である。公的なお金は、ベンチャーにとって麻薬であり、会社を堕落させる。ベンチャーにとって民間の投資を受けるということは、最もハイリスク、かつハイコストな資金調達手段である。わけのわからない奴が株主になり、経営に口出しされるのは、迷惑以外の何ものでもない。それでもなお、必要な資金を調達するためには、相応の覚悟が必要になる。逆に言えば、その覚悟が、ベンチャーの経営には必要なのである。税金を使った補助金や委託金は、そうした覚悟をマヒさせる。また、能力のない人間をベンチャーに引きこむと、全ての関係者を不幸にする。僕はこれまで、そういう場面を何度も見てきている。

大学の役割
役人、政治家、大企業の、どれもがトンチンカンな起業支援を試みているが、大学も同じである。起業の何たるかを全く理解していない研究者や文科省の天下りがいくら頭を捻っても、まともな方針は出てこない。地方の駅弁大学ほど、こういう出来もしないことに予算をつけてアピールしたがるのかも知れないが、何も教育できるはずがないので、騙される学生が気の毒である。能力のない人間がお題目だけのカリキュラムとシラバスを作り、無責任に授業を行う。判断能力のない学生が、「彼らについていけば何とかなる」と勘違いして、数年後に路頭に迷うのである。大学も、起業家育成などには手を出すべきではない。


結論
役所、政治家、大企業、大学が先頭に立って起業支援をやっても無駄である。彼らがやれることは後方支援的なものだけである。後方支援の中でも、さらに限定的で、やれることは限られている。むしろ、「ベンチャー支援」と限定的なことをやるのではなく、「雇用の流動化」とか、「同一労働同一賃金」とか、「男女平等」とか、「新卒一括採用の見直し」とか、社会として抱えている問題を解決することこそが、起業の支援につながるのである。ただ、こうした改革が、本当に日本人の過半数の支持を得られるのかはわからない。

一方で、社会は、主体的に起業を支援することができる。上にも書いたように、ベンチャーの商品やサービスを購入すれば良い。こちらの方がずっと簡単で、効果も見込めるのである。中には創薬ベンチャーのように、私たちが支援しようにもどうにもならない会社もあるのだが、できることからやっていくしかない。

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