2015年03月02日

ドラマ(映画・演劇・テレビドラマ)のポイントは脚本

先週のマッサンは、この作品の脚本のダメっぷりがことさら強調された週だった。物語を映像化するとき、原作者が考えたストーリーを土台にして登場人物たちの性格を考えながらセリフを決めていくのが脚本家の役割で、それは作品に対して大きな影響を及ぼす。

先週のストーリーは、エリーの娘エマが熊虎の息子一馬と恋に落ち、それに対してエリーが常軌を逸した対応をするのだが、実はその裏にはエリーの悲しい過去が影響していて・・・というものだった。3行で読めば「ふーーーん」という内容だが、実際には、酷いドラマが展開されていた。動転したエリーは奇行に走り、エマの机から日記を取り出してその内容をチェックしたりまでしたのである。当然、家族の関係はギクシャクしてしまった。ストーリーとしては、「雨降って地固まる」といった展開にしたかったのだろうが、その雨の降り方が異常で、そんな異常な天候にしてしまったのが恐らくは脚本家なのである。マッサンの脚本を担当している羽原大介は名作「フラ・ガール」で日本アカデミー賞脚本賞を獲った人なのだが、なぜこんな稚拙な脚本を書いているのか、不思議でならない。今回はエリーが馬鹿を晒す羽目になったのだが、以前はマッサンが大馬鹿っぷりを晒していた。馬鹿なのでストーリーが進まず、いつまでも同じ所を行ったり来たりしていた。ただ、こちらは、脚本だけではなく、原作にも問題があったと思う。どちらにしろ、主人公が全く魅力的ではなく、むしろ全くダメな奴として描かれているのがこの作品の駄作たるゆえんである。これまではそのマッサンがダメなところをエリーが一所懸命サポートしていたのでなんとか成立していたのだが、エリーまでもが突然崩壊してしまったせいで、一層陳腐化が進んでしまった。

そういえば、先週の日本アカデミー賞で「永遠の0」が脚本賞を獲ったのだが、この作品の脚本も酷かった。僕はレビューで

しょうもない脚本でどうして映画を作ってしまうのかさっぱり理解できないのだが、おそらく今の映画製作の現場では、この脚本のダメっぷりが感じ取れないのだろう。どうしてそんな不自然な会話になるんだ、と不思議に感じるのだが、まともな日本語の感覚を持っていない人には、この感覚が共有できないに違いない。

引用:永遠の0
http://buu.blog.jp/archives/51420585.html

とまで書いたのだが、どうやら制作現場だけでなく、日本アカデミー賞の選考者にもこの作品の脚本の酷さは理解できなかったようだ。

最近の連ドラの脚本で出色だったのは「ちりとてちん」(藤本有紀脚本)である。この脚本には不自然なところがほとんどなく、毎週きちんと気持ち良い終わり方をしていた。朝の連ドラはこうでなくては、というできだったと思う。

先週のマッサンを観て、エリーに不快感を感じた人がどのくらいいたのかはわからないのだが、僕には、これまで作り上げてきた「エリー」像を完全に破壊し尽くしてしまうほどに違和感があった。「今回は特別」という考え方もあるかも知れないが、だとしても、どこかには伏線となるような描写が存在するはずで、それが何もないからこそ、突拍子もない行動に見えてしまうのである。「戦争時に恋愛すると悲しい思いをするのでやめた方が良い」という思想自体には何の問題もないが、そういう思想を異常なまでに強く持っている人なら、それは行動の端々に垣間見られるはずなのだ。そうした行動をあちらこちらに伏線として配置することによって、観る側は「あぁ、そういうことだったのか」と納得する。

連ドラの制作がどうやって行われているのかは知らないが、当然ながら撮影の開始時点ではほぼ全体のストーリーが確定しているはずだ。「2月の最終週ではこういうストーリーが展開される」という共通認識があった上で、「そこでの行動で違和感を与えないためには、どこそこでこういうセリフが必要になる」といった配慮が求められる。残念ながらマッサンにはそういうものが感じられない。行きあたりばったりに見える。

ちなみに、映像作品の「雰囲気」は脚本だけで形成されるわけではない。たとえば先週観た「青い瞳のキャスバル」は脚本には違和感がなかったのだが、演出がイケてなかった。登場人物たちがオーバーな身振り手振りで語るさまは、まるで古い演劇を観ているようだった。脚本と演出は、実写、アニメ問わず、映画・演劇・テレビドラマで欠くことができない要素で、どちらが欠けても「あれ?」となる。それくらい、大事なものなのだ。

ところが、日本のエンタメはなぜか役者ばかりに注目が集まる。役者さえ有名なら、それでヒットが約束されてしまったりする。おかげで、変な作品ばかりが観客を集め、役者のステータスは必要以上にアップし、ある脚本家から直接聞いたところによると、役者が演出や脚本に口を出すケースも少なくないらしい。そういったもろもろが原因となって、マッサンや永遠の0のような珍脚本が成立してしまうのだろう。もうちょっと脚本家と監督が注目されるようになると良いのだが・・・。

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