2015年03月10日

陶芸というあそび

陶芸をやったことがある人は意外と多い。でも、ちょっとやってみただけで、長続きしている人はあまりいないみたいだ。もったいない。

僕が焼き物を始めたきっかけは、焼き物を購入する際、その良し悪しの判断が難しいので、自分で作ってみようと思ったことだ。自分でやってみれば、陶芸家がどこで苦労して、どこで工夫しているのかがわかってくるはずだと思ったのである。自分でやってみて、軽いものが良いのか、とか、形は修正がきくが、釉薬はどうにもならないので、色は膨大な試行錯誤の成果なのか、とか、わかってきたことは色々ある。

僕たちが何の気なしに使っている技術の背後には、長い時間、色々な陶芸家たちが積み重ねてきた経験があって、おかげですぐに一定のレベルに到達することができる。これは科学と同じで、僕たちがその上に積み重ねることができるレイヤーは多分非常に薄いものではあるのだが、陶芸を通じて、膨大な経験知に触れる楽しさは非常に大きい。

そうやって知識を貯めつつ数ヶ月が経って、今、僕が焼き物を作る主眼は「プレゼント」になりつつある。

僕がこれまで生きてきて感じることは、「お金の尺度では人間色々不公平だが、時間に関しては全人類平等」ということだ。もちろん時間もお金で買うことはできるが(例えば僕の知人のお金持ちは、海外旅行の際、成田まで自宅の隣のビルからヘリコプターを利用する)、それでも、お金よりもずっと公平なのが、それぞれに与えられた時間である。だから、僕はお金で何かを買ってプレゼントするのではなく、自分の時間を使って焼き物を作ってプレゼントすることにした。

陶芸作品が僕にとって良いところは、日常的に使えるということはもちろんだが、それが壊れるという点だ。いつまでも残るものではない。人間関係と同じ。どこかで壊れてしまうと思えばそれはそれで気楽だし、ものが壊れてしまってもまだ人間関係が継続しているなら、また焼けば良いだけのことである。

ただ、ここで問題がひとつ。貰っても嬉しくないような、実生活で使えないようなつまらない焼き物ではありがた迷惑なだけである。だから、スキルアップは絶対に必要だ。そういう理由で、僕はわりと熱心に陶芸教室に通っている。もうすぐひと通りの玉作り、紐作り、板作りを修了し、今度は色々な土を使って焼き物を作ることになる。少しずつ、表現できることの幅が広がってきているので、自分のカラーも出していかなくてはならないのだが、まだそこまでのレベルにはない。幸いにして、教室の師匠たちはみんな素晴らしいスキルの持ち主なので、今は彼らの技術を模倣し、吸収しようとしている。今は手始めに、一番お世話になっている大平師匠の白化粧を教わっている。

貰った人が喜ぶようなものを、自分の時間を使って作る。これができる点が、僕が陶芸が面白いと感じる理由である。

「面白そう」と思ったら、やってみるのが一番。探してみるとわかるが、陶芸教室は都会なら結構あちこちでやっている。ちなみに僕が通っているのは池袋の陶芸.com。駅前のビルのオーナーが趣味でやっているような、ほとんど商売っ気を感じさせない教室で、講師たちもとても親切で教えるのも上手。どこでこんな良い人材を集めてくるんだろうと感心してしまう。

陶芸.com
http://www.nishiikebldg.com/site0002/

偉そうなことを書いているが、僕が教室に通い始めてからまだ3ヶ月である。昨日できてきた角皿はこんな感じだ。













でも、お世話になった人にプレゼントすれば、使ってもらえて、「これ、あいつが作ったんだよ」と話の種にしてもらえるぐらいには良くできていると思う。

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