2015年04月03日

風に立つライオン

実在の医師柴田紘一郎氏をモデルにした作品で、主としてケニアの赤十字戦傷病院での彼の活躍と、その周囲の人々を描いている。作品そのものは良くある医療もの、感動ものなので、安心してみていることができるのだが、「どうやってこの風呂敷をたたむのか」という時間になってくると暗雲が立ち込めてくる。そして、大方の想像通りの終映となるのだが・・・この点についてはネタバレにならざるを得ず、最後に改行を入れて記述する。このネタバレは本当に酷いネタバレなので、覚悟して読んで欲しい。

主役の大沢たかお、周囲を固める石原さとみ、真木よう子、石橋蓮司といった面々は安定した演技を見せているのだが、中にはびっくりするほど下手くそがいるので驚かされる。お金が足りなかったのか、五島のエキストラが棒読みなのは仕方ないとしても、ケニアの先輩日本人同僚が棒読みなのはどうしたものか。冒頭の大事な場面でどうしようもなく下手くそな演技を見させられて「ええっ?これは学芸会じゃないですよね?」と不安になる。いくらお金がなくても、もうちょっと、と思うのだが、ケニアまで連れて行くお金がなくて現地の日本人ガイドを使ったのだろうか。うーーーん。

思い出を写真で語るのは構わないが、フォトショップで下手くそに加工しました、みたいな写真を使うのはいただけない。昔の設定なのに看護婦さんが看護師さんと呼ばれていたような気もする。その看護婦のその後も、ん?という感じ。

ということで、普通に評価すれば☆2つ程度、当たり外れが大きな三池監督としては当たりの部類だと思うのだが、ネタバレに書く理由から☆1つである。









さて、覚悟がある人だけのネタバレ批評である。

この映画は、主人公の航一郎が同僚運転手を庇って手榴弾で木っ端微塵になって(?)終わる。その時の航一郎の最後の行動が不自然すぎる。止められているのにわざわざパトロールに出かけるのだが、その際の行動が日頃の行動と整合性が取れない。というか、整合性を取るために、直前になっていくつかのフラッグを立てていくのだけれど、その行動の一つ一つがおかしく感じられてしまう。制作サイドの「泣かせよう」とする展開が無理やりすぎて、逆にしらけてしまうのだ。そもそも、モデルとなっている柴田紘一郎氏は普通に帰国して、日本で勤務して、今も健在なのだ。それをわざわざ殺してしまうのでは、主人公を殺したのは内戦のゲリラではなく、原作者か脚本家か監督か、いずれにしても映画制作者の誰かである。主人公はどうしても死ななくてはならなかったのか。決してそんなことはない。職に殉ずるのが最大の美学であるという勘違いが、この映画の評価を大きく落としてしまった。命を大事にする人間は、他人だけでなく、自分の命も大事にするはずなのだ。もちろん、どうしても命を投げ出す必要がある場面もありうる。しかし、この映画では、そういう場面になっていないかった。

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