2015年09月22日

国立大がAO・推薦枠倍増して3割にするそうで

馬鹿な文科相と馬鹿な文科省がセットになるとこうなってしまうという悪い見本である。

国立大AO・推薦枠倍増、3割に…18年度目標
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150921-00050141-yom-soci

そこそこ機能している入試制度を壊しても、大して良いことは起きない。大体、そのモチベーションが「優れた資質、能力の学生を確保するため」なら、なおさらである。そもそも、子供の数が減っているのだから、普通に考えれば比例して優秀な学生の数も減る。これを解決する手段はたったの2つしかなくて、ひとつは子供の数を増やすこと。もうひとつは、高校の教育をもっと良くすることである。実際問題として、両方とも難しいんだから、何をやっても無駄という話だ。それでもなお、優秀な学生を集めるにはどうしたら良いかって、やるべきことは入試制度をいじることではなく、教育の質を向上させることしかない。それを図るものさしは一杯あって、就職率のアップでも良いし、司法試験の合格率アップでも良いし、ノーベル賞の受賞でも良い。とにかく、「あの大学は素晴らしい」という認識が共有されれば、優秀な学生が集まってくるのである。

現在の日本の大学入試制度は、きちんと客観的な一発勝負になっていて、大きな問題は感じられない。それは、入試制度の問題とは何かということを考えてみればわかる。大学入試がきちんと機能しているか、いないかを判断するものさしは、「ちゃんと努力した受験生が、その成績に見合った大学に入学できること」である。一発勝負では、たまたま試験日に病気だったとか、苦手な分野で出題があったとか、偶発的な問題は発生する可能性がある。しかし、その可能性は、小さな誤差に含まれてくる。たとえば僕は大学院の入試で、問題が表と裏にあることに気が付かず、裏の問題を回答せずに一番で途中退室し、麻雀をやりに行ってしまったのだが、それでもちゃんと合格した。小さなミスなど取り返すだけの実力があれば何の問題もない。また、それでも一発勝負は問題があるというのなら、受験の回数を増やせば良いだけのことである。現状抱えている問題の大きさと、対応の難しさを考えてみても、客観的な試験から、主観的な試験に転換するだけの説得力は存在しない。何しろ、面接みたいな主観的な方法は、圧倒的に不公平なのだ。そして、そういう主観的な選抜の延長に、むしろ大きな問題が生じうることは、小保方氏の件で日本人全員が知ることになったはずである。

もちろん、「成績なんかどうでも良い。ボランティアで頑張った子供に来て欲しい」と思う大学があっても良いのだが、一番困るのは勉強で頑張った学生と、ボランティアで頑張った学生が混在してしまうことで、そんな状況で、きちんとした教育ができる教師はほとんど存在しないだろう。勉強を頑張ってきた学生と、ボランティアを頑張ってきた学生が、大学に求めるものは大きく異なるはずで、それを全部合わせて飲み込むだけの包容力があるとは思えない。ボランティアで学生を選ぶなら、ボランティアが大好きな学生ばかりを集めた大学を作れば良いだけのことである。

例えば僕は東工大の体育会で、そこそこまじめに部活をやっていたけれど、同時に勉強もやっていた。スキーだけやっていて卒業できる大学ではなかったし、スキーをやりつつも、ちゃんと勉強していれば相応の成績を残すレベルの学生を入試の段階で選抜していた。それは大学全体としてのコンセンサスだったと思う。理系で言えば、少なくとも東大、京大、阪大、東工大ぐらいまではそういう大学であって、だから大学の看板である程度学生の質が担保できるんだと思う。それが大学のカラーである。

そのカラーを、入試制度の変更で作っていこうというのは、「馬鹿だなぁ」のひとことである。カラーを決める要素は、まず教育の内容・質があって、それに見合った学生を選ぶ手法は二番目だ。きちんと、「うちの大学はこれをやる」という独創的な教育内容の提示があって、その目的を達成するためにAO入試こそが必要だ、というのなら話はわかるのだが、そんな独創的なポリシーを見たことがない。例えば、ある大学の総長ご挨拶を読んでみると、こんな文言が書いてある。

「自由闊達」
「創造的な研究活動によって真理を探究し、世界屈指の知的成果を産み出す」
「自発性を重視する教育実践によって、論理的思考力と想像力に富んだ勇気ある知識人を育てる」
ノーベル賞を受賞した日本人13名のうち6名が本学関係者
社会の様々な分野でリーダーとなる多くの人材を世に送り出してきた
「時代とともに変化する社会のニーズにマッチした人材」
「社会の様々な分野でリーダーとして活躍できる人材」
高い見識と確かな知識や技術でたくましくリーダーシップをとれる人材
国際化、男女共同参画、社会貢献に取り組んでいます
多くのプロジェクトを、アジアを含む世界各地に展開
海外から受け入れている留学生総数は全学生数の約14%
英語教育の強化
保育所の整備にとどまらず学童保育の導入
様々な連携事業
未来志向の大学


さて、これだけたくさんの情報が書かれているが、これがどこの大学の総長の言葉だかわかる人がどれだけいるだろうか。ノーベル賞の人数あたりは大きなヒントになりうるのだが、それでも、この文言からきちんと自信をもって大学名を答えられる人はほとんどいないと思う。要は、今の国立大学なんて、どこにあるかと、どのくらいの偏差値なのかぐらいしか特徴がないのである。

大学の教育方針がしっかりしていて、かつそれがユニークなものであり、それに見合った学生を確保したいにも関わらず、現在の入試制度は不備があって、思ったような学生が確保できずにいる。その状況を打破するためには、AO入試や推薦こそが必要である、ということなら理解可能なのだけれど、そこまでの意気込みは既存国立大学からは感じ取れない。そんな中で、なんとなく入試制度をいじってみても、レベルが低い学生が入ってきて、卒業生の質が落ちたり、留年率や中退率がアップするだけだろう。AOや推薦を増やすとか、本当に馬鹿だなぁ、と思うのだが、まぁ、あと10年もすれば結論が出てくるだろう。そのとき、下村博文は70歳を超えているのだけれどね。もし「あのせいで学生の質が低下した」ということになったとしても、責任は取らないだろうな。