2016年01月18日

若者と高齢者の貧困を解決するためのいくつかの矢

スキー関連の仕事をしていることもあって、今回の事故にはかなり強い関心を持っているのだけれど、こんな文章を読んだので。

スキーバス事故から見える社会の課題ー若者と高齢者の貧困が交錯する場所ー
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20160118-00053523/

別に書いてあることに反論があるわけじゃないんだけど、対応策に全く言及がなくて、評論家的な内容だなぁと思う次第。ポイントをギュギュっと絞ると、藤田氏の主張は次の2つ。

  1. 国立大学の学費が高い
    高齢者が過酷な単純労働をさせられていて気の毒


確かにその通りなんだけれど、じゃぁ、どうしたら良いの?という話。

>国立大学の学費が高い

では、どこかから財源を確保しなくてはいけませんね。でも、日本にはお金がありません。厳密にはあるにはあるようですが(例えば高齢者にばらまくお金や、新聞社のごきげんをとるために支払うお金はあるようです)、選挙に行かない、すなわち、自分たちの票につながらないお金をバラまく気は、安倍自民党の政治家の皆さんにはなさそうです。

あるいは、大学の総数を減らすという手もあります。確かに、ちょっと国立大学の数は多すぎる気がします。国立大学は、北大、東北大、東大、名古屋大、京大、阪大、九大ぐらいで十分かも知れません。そこまで絞って、代わりに授業料を安くして、さらに地方からの国立大生のための寮を確保する、といった政策は考慮の価値が十分にあると思います。え?現存する他の国立大学はどうするのかって?私大に改組すれば良いんじゃないですか?

>高齢者が働かされて気の毒

では、彼らは他に何か技能を身につけていたのでしょうか?ここがまず大きな問題です。もし何か他の能力があったとすれば、あとは雇用が流動化していないのが悪いのでしょう。

年金生活させてあげたかったとすれば、年金の財源を確保しなくてはなりません。これは国立大学の問題と同じで、「お金がない」で終了です。お金を生み出す、すなわち税収をアップさせるためには、国民を増やすか、産業を育成するしかありません。しかし、アベノミクスでは国民を増やしてきませんでしたし、産業を育成してきませんでした。役に立たなかった3本の矢と、役に立たないであろう新3本の矢を信じている人が相変わらずたくさんいるのなら仕方ないとしか言いようがありません。

「年金だけでは暮らせない、しかし、単純作業しかできない高齢者」を生み出してしまったとすれば、それは年功序列、終身雇用、同一労働同一賃金ではないこれまでの日本社会の責任です。「もう、目の前にいるのだから仕方ない。飢え死にしろと言うのか?」という指摘はその通りです。そうなってしまったのはこれまでの政治家たち(その多くはもう墓で眠っているのでしょうが)が悪いのですが、そのとばっちりを受けてしまう若い人たちは気の毒ですね。子供は親を選ぶことができませんから。こんな世の中では、一層少子高齢化が進むのもやむを得ないと思います。

>どうしたら良いのでしょうか?

日本の今の雇用習慣は、高度成長時には機能したけれど、少子高齢化社会では機能しません。少子高齢化社会を変革するのは非常に難しいので、残された方策は年功序列をやめ、終身雇用をやめ、同一労働同一賃金を徹底し、雇用の流動化と性差別、年齢差別のない雇用環境を実現するしかないと僕は思っています。

それ以外に何か良い方法があれば、もう誰かがやっていると思います。“やるしかないけれど、それじゃぁ選挙に勝てないから誰もやらなかった政策”だけが残っているわけです。え?実際問題として、どうやったらそんな社会が作れるのか?別に特別な法律を作る必要はないんです。「年功序列、終身雇用を継続している会社と、同一労働同一賃金を実現していない会社、およびその親会社(子会社)には、公的資金を一切提供しない」とすれば良いだけ。

皆さんはあまり知らないかも知れませんが、公的なお金はNHKとか理研とか以外にもじゃぶじゃぶばらまかれているのです。

「じゃぁ、もう公的なお金には頼らないよ!」と、独自路線を突っ走る会社が現れるとしたら、それはそれで大歓迎じゃないですか。旧態依然とした体質の会社を希望する人達の受け皿にもなるし、何しろ、何が起きても国は彼らを助ける必要がないのです。

3本の矢も、新3本の矢も要らないので、国立大学を減らすことと、雇用の流動化だけでも何とかして欲しいものです。あ、どちらか一つというなら、雇用の流動化の方で、ぜひ。

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