2016年02月04日

工芸未来派―アート化する新しい工芸

牟田陽日さん、見附正康さん、水元かよ子さんと、作品をいくつか所有している作家さんが掲載されているので読んでみた。



冒頭で工芸とアートの違いについて書いてあったのだが、僕とは随分考え方が違う。僕の考え方は、工芸とは線をまっすぐに引くとか、細い線を同じ太さ、濃さで引くとか、細かいパターンを描くとか、より丸く仕上げるとか、そういった技術的なアプローチの延長にあるもので、アートは作家の感性を主張するものだと思う。また別の角度から、購入者の立場から考えると、工芸品とは「使うもの。壊れたら、捨てるか、あるいは直して使い続けるもの」で、アートとは「見て楽しむもの。壊れたら価値は激減するもの」である。

僕の持っている作品を例にすれば、この見附さんの作品は工芸品色が強い。




この作品を見附さんのところに持って行って、「これと同じものを作って欲しい」とオーダーすれば、多分似たものを制作してくれるはずだ。それは、見附さんの技術がそういうカラーだからである。ただ、見附さんにアート色がないかと言えばそんなこともない。壊れたら価値は激減するはずだ。

あるいは、児玉みなみさんなども工芸色の強い作家さんである。




彼女の場合、自分の気に入った色を出すために、作陶を繰り返している。おそらく、気に入った色を安定して出していくことが彼女の目標なのだろう。

作家の目指すベクトルには結構違いがあって、それは話してみればわかる。「この作品が凄く気に入ったので、同じようなものをもう一つ作ってもらえませんか?」と聞いてみれば良い。工芸志向の強い作家さんであればあるほど、「良いですよ」と快諾するはずで、一方でアート志向の強い作家さんであればやんわりと断るはずだ。「その作品はそのときの状況が生み出したもので、その状況を完全に再現できない以上、同じものは作れないし、そもそも作りたくない」と考えると想像する。

また別の視点で美術家と工芸家を分けるとしたら、村上隆氏の工房で指示を出している村上隆氏が美術家、彼の指示に従って制作にあたり、村上氏の思想を表現することに従事しているのが工芸家である。これは、研究の現場でのサイエンティストとテクニシャンの関係に似ている。こうして分解していくと、美術家の方が工芸家よりも立場が上と考えられてしまい、その延長線として、アートと工芸を背反する概念と捉えてしまうのかも知れない。

とはいえ、工芸とアートは、独立して背反している概念ではないはずだ。アートの手段として、工芸領域で突き詰めた技術が活用されることもあって、「これは工芸品」「これは美術品」とわけて考えることはナンセンスだと思う。本書の「アート化する工芸」というサブタイトルはそういう意味もあると思うのだが、前述のとおり、「工芸」の定義が僕とちょっと異なっていたため、書籍の内容もそれほど魅力的ではなかった。というか、言われなくても知ってるよ、みたいな。

若手作家について短時間で調べてみたい人の最初の一歩には良いかも知れない。でも、芸術作品って、実際に観てまわらないとダメだと思う。本で写真を観ても、作品の善し悪しは伝わらない。昔から言うでしょ、百聞は一見に如かずって。

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