2016年06月16日

50億もかかるんだから

「都知事選挙になれば50億もかかる」という意見があるが、だからなんだというのだ。それは必要なコストだし、不適切な知事をクビに出来ない理由にはならない。クビにするだけの問題があったのかという点については検証が必要だ。ところが、この検証にあたっての情報提供がなされず、自分が連れてきた弁護士に調査させてお茶を濁している。さらなる情報提供を迫れば「政治家としての信義」などというよく分からないものを持ち出して逃げる。挙げ句の果てには、五輪を人質にしてほとぼりが冷めるのを待とうというのだから始末に負えない。

50億のお金とバーターにすべきことが不明確な状態で、50億がもったいないと言えてしまう人間がいるのは不思議だ。もしそうことを言うなら、舛添都知事のこれまでの実績と、やりかけている政策課題を提示した上で、不適切な処理の詳細と比較して「余人を以って代えがたい」ことを主張すべきである。残念ながら、ざっと見た限りでは「いじめられてかわいそう」ぐらいの文章しか見つけることができない。

50億がもったいないのはもちろんで、そのお金があれば他にいろいろなことができたはずだ。だけど、それは知事の続投を正当化しない。そんな知事を選挙で選んだ都民が悪いのである。お金がもったいないから不適切な知事でも続投となれば、不都合な歴史を新しく積み重ねることになる。そういう蓄積の上に、今の都政が成立していることを良く考えるべきだ。50億円は石原、猪瀬、舛添とろくでもない知事が続いていることを反省するための勉強代であるとも言える。これを無駄遣いに終わらせるかどうかは都民次第である。

多くの舛添擁護者は単に「クビ」という、予想よりも厳しい結果にビビっているように見える。しかし、仮に舛添氏の諸々の不始末が「違法性はないが不適切」だとしても、クビになるのは全く問題ない。私たちは、頻繁に「あとは有権者の判断に任せます」という政治家の開き直りを何度も見てきている。これは、逆に言えば、有権者がノーと言うなら、法的には問題がなくても責任を取る」という意味だ。そして、今回は、有権者がこぞってノーを突きつけた。違法ではなく、有権者の感覚で不適切だから、不信任案が提出されたり、選挙で落選したりするのである。法律とは別のフィルターがあるからこそ、政治家は法律から守られているところがあることを忘れてはならない。

何よりも、知事が不適切に使ったお金の原資は税金であることに留意する必要がある。この国では政治家にしても、公務員にしても、大学の研究者にしても、「税金を使う」ということに対して鈍感な人が多いようだが、税金はそんなに軽くない。少なくとも政治家は直接選挙で選ぶことができるので、税金の使い方に対して無頓着なら退場してもらうことができる。

舛添ばかりいじめているが、甘利や東京五輪はどうなんだ、という意見があるが、もっともである。これは、舛添はこの程度で、という意味ではなく、舛添氏の追求は辞任以後も継続するとして、甘利や東京五輪誘致関連もきちんと追求しろということだ。比較の問題ではなく、不正の追求は全てについて実施されていく必要がある。また、派生している事項として、「選挙に金がかかかりすぎる」というのなら、こちらも解決策を検討すべきだろう。

50億もかかるんだから、大目に見よう、では話があべこべだ。50億もかかるんだから、ちゃんと選ぼう、でなくては困る。

この記事へのトラックバックURL