2016年12月01日

給付型奨学金制度に見る、目的はとても正しいのに、やり方が馬鹿という事例

やろうとしていることは基本的に良いことなのに、やり方が馬鹿だから、いつまで経っても日本は三流国と評価され続けるという事例があったので紹介しておく。この記事で紹介されている給付型奨学金である。

給付型奨学金、1学年2万人を対象 自公が首相に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000105-asahi-pol

貧乏な苦学生にもチャンスを、という、機会の公平性の観点からは非常に良い施策なのだが、馬鹿が設定するから問題の多いものとなる。諸悪の根源はこの部分である。

対象者はすべて学校推薦で選ぶ。具体的には、約2万人分の枠を全国約5千の高校に各1人以上割り振り、各校は国が作る成績基準などの指針に基づいて推薦する。複数の対象者が割り振られる高校は、日本学生支援機構などが決めるという。


主観に依存する部分を残したがるところが、三流国の政治家が考えた案の特徴である。学校推薦になれば、学校内で「誰を選ぶのか」という問題が発生する。「うちは貧乏なので」という、貧乏自慢ぐらいならまだ良いのだが、「うちの子は先生に気に入られているから」といった話になってくると、なんとかハラスメントの温床になりかねない。クラス間での調整が必要になった時も、担任の力関係が選出に影響を及ぼしかねない。また、各高校への割り振りにも主観が関係してくるので、高校が日本学生支援機構に接待攻撃をかける可能性だってある。こうした可能性を、この制度のままで完全に排除するのはとても面倒だ。

日本の政治家は縁故資本主義の中で選ばれてきているので、こういうコネカネの世界に非常に鈍感である。フェアであることが最優先されるなら、この制度の概要を読んですぐに「これはおかしい」と気付くはずなのだが、そういう感覚が失われているのだろう。

給付型奨学金を設計するなら、基準は全国一律であるべきで、日本学生支援機構や各高校に裁量を与えるべきではない。単に、各家庭の収入と、あとはセンター試験の成績で決めてしまえば良いだけのことである。

日本におけるかつての共通一次試験、およびセンター試験の評価は非常に低いようだが、僕はこの客観テストは、数少ない、日本における非常に効果的な試験制度だと思っている。せっかく客観的に、全国横断的に学生のランク付けができるのだから、この仕組みを使わない手はないはずなのだが、なぜそれを避けるのか、さっぱり理解できない。多分、「俺たちは優秀だから、俺たちの主観で決めることが一番正しいに違いない」と考えているのだろう。勘違いも甚だしい。

日本人は、人間を客観的にランク付けするのは凄く苦手なくせに、主観的にランク付けするのは大好きだ。だから、いつまで経っても不公平な国のままだ。もうちょっと、公平とはどういうことか、まじめに考えた方が良い。

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