2017年02月04日

顔のある店、顔のない店

先日、有名とんかつ店かつ吉の経営母体である株式会社菩提樹の代表取締役、吉田恵助さんとFacebook上で簡単なやり取りをした。僕はラーメンにしても、とんかつにしても、あるいは映画にしても、評論家が特定の店や作品の関係者と懇意になってしまっては、評論はできても評価はできないと思っている。それで、ほとんどのラーメン屋、とんかつ屋と独立した立場を取っているのだが、とんかつに関していうと吉田恵助さんはほぼ唯一の例外である。

吉田さんにコメントしたきっかけは、吉田さんが転載した信濃毎日新聞の記事である。この記事はかつ吉のブログに掲載されている

信濃毎日新聞掲載記事(2017.1.22)
http://www.bodaijyu.co.jp/museum/yoshida-bunko/7641/

記事は読んでもらえればわかるが、かつ吉の初代、吉田吉之助氏にスポットライトを当てたコラムである。

#やや話が逸れるのだが、このコラムに登場する松本の有名とんかつ店かつ玄については、けっこう辛口で紹介したことがある。吉田さんと知り合いであってもバイアスなしにコメントすることは、僕の評論家としての矜持でもある。

かつ玄
http://buu.blog.jp/archives/51511723.html

僕はFacebookで吉田さんの引用に次のようにコメントした。

もともとは日本橋だったんですね。ちゃんと取材したら、一冊本が書けそうです(^^。それぞれのお店の味の特徴はもちろん、店ごとに、ここにはこんな食器を使っているとか、こんな骨董品が置いてあるとか、この席は文豪の誰それが好きだった席とか、味以外の見所を紹介したり。

店舗数が増えてくると、味は変わらなくてもどうしても大衆化してしまい、ブランド力が落ちてきてしまうところが悩ましいですが、かつ吉さんには長い歴史があって、その中心には、成蔵とか、あげづきとか、豚組とかでは絶対になり得ないですからね。


これを書いたのは一週間ほど前だったのだが、今日になってふと「それにしても、ラーメンなら一風堂、とんかつならかつ吉、店舗数が増えると、どうしてブランド力が落ちたような気になってしまうのだろう」と不思議に思った。そして、ざっと自分の行動を振り返ってみた。東京で、とんかつを食べようと思った時、最初に思いつくのはあげづきか成蔵である。味で言えば丸五は東京で三指に数えることができると思うし、かつ吉のとんかつも大きく見劣りすることもない。しかし、僕が丸五やかつ吉に行くのは、何かの用事で店の近くにいて食事時になった場合で、わざわざ行くことはない。秋葉原なら近くに「すぎ田」もあるので、特に丸五に行く機会は限られる。

どうしてかな、と思ったのだが、答えに行き着くまでにそれほど長い時間はかからなかった。かつ吉は、店主の顔が見えないからあまりリピートする気にならないのである。

複数の店を構えるようになると、店は料理人の顔が見えなくなる。一風堂も、博多の本店とラーメン博物館店だけのときは店主の顔が見えていたのだが、やがて見えなくなって、僕が行く頻度も激減した。「顔が見える」というのは僕にとってはかなり重要で、四川飯店永田町の陳建一さんや、トゥランドットの脇谷友詞さんなどが時々厨房からフロアに出て来て挨拶して回っていたことも記憶している。その時に重要な「顔」はシェフであることが望ましいけれど、別にスーシェフだろうが、フロア係だろうが、オーナーだろうが構わない。とにかく個体認識している知った顔が存在していて欲しいのだ。そういえば、池袋の楊も、一番良く通っていたのは馴染みのバイトのお姉さんがフロア係だったときで、彼女が海外へ行ってしまったあとは、足が遠のいてしまった。

僕にとって「美味しい料理」と「食べたい料理」は、必ずしも同値ではない。そして、食べたい店の必要条件が、「顔が見える」ことなのだ。

とんかつ店の場合、多店舗展開の店ではかつを揚げている人の顔は不要になってしまうことがほとんどで、コミュニケーションを取ることもない。これこそが、僕が多店舗展開の店に足を運ばない理由である。朝霞の名店「いち川」は僕がもっとも良く行くとんかつ店だが、厨房に立つおじさんと会話したことはなくても、彼の顔を見ることが重要な要素だ。「やまいち」の故松井孝仁さんとは結局一度も会話を交わしたことがなかったけれど、入店した時は「また来たか」、帰り際には「また来いよ」と目で語ってくれていたと思う。「マンジェ」のシェフだと、「こいつ、半年に一回ぐらい、でかい荷物を持って現れるよな」といった感じの怪訝な視線を投げかけてくる。あげづきや成蔵は僕のことを個人認識しているフシはないのだが、カウンター越しに動きをみていることが多いので、一方的ではあるものの、親近感のようなものを持ってしまう。もちろん中には逆にネガティブな印象を持ってしまうオーナーもいたりするのだが、それは稀である。

多店舗展開の店には価値がないのかと言われればそんなこともなく、例えばかつ吉は数多くの雇用を生み出し、同時に数多くの職人を輩出してきている。クオリティは高いところで安定しており、好きな時に複数の候補地で美味しいとんかつを食べることができる。こういった多店舗展開の店は、顔ではなく、誰が揚げているのかも重要ではない。誰が担当者だろうと、いつの時代でもそこに「かつ吉」の味が存在していることが最も重要なはずだ。そこに存在するのは個人の顔ではなく、かつ吉の看板である。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

かつて上野で御三家と言われたとんかつ屋が、ことごとく代がわりに失敗しているのを見ても、時代を越えて味を引き継いで行くことは非常に難しいとわかる。しかし、かつ吉は、今のスタンスを維持している限り、日本のとんかつ業界の主柱であり続けるだろう。

今度日本に行く時は、久しぶりにかつ吉の特上ひれかつを食べてみたい。


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