2017年02月15日

二重国籍をあえて放棄する話

米国にはmeetupというアプリがあって、このアプリを通じて全く見ず知らずの人同士が集まってスポーツをやったり、文芸の趣味をやったり、飲み会をやったりする。それで、僕の場合はこのアプリの飲み会グループに所属しているのだけれど、なかなか面白い人がいるので侮れない。今日も、「えーーーー、それはないだろ」という話を聞くことができて面白かった。出色だったのは、DCに半年間限定で単身赴任している男性の話で、母国に嫁さんと小さい子供を残して来たらしい。そして、その嫁さんがもうすぐ出産とのことだった。「それなら、こちらで産んだら、米国の国籍も取れて便利ですよ」とアドバイスしたところ、「みんなにそれを言われるのだけれど、僕は母国が大好きなので、母国と米国の二重国籍にはしたくない」とのことだった。

うーーーーむ。

彼の子供が国籍を選ぶとしたら20年後で、20年後に世界がどうなっているかは誰にもわからない。今から20年前といえば、やっと一部の人の間でインターネットが使えるようになった頃で、家庭用にボンダイ・マックが発売されたぐらいの時期である。その時点で、今のような社会は誰も描けなかったわけで、同じように、20年後にどういう社会があるのかは誰にもわからない。そうしたとき、好きな方の国籍を自分の意思で選ぶことができるというのは(別に選ばなくても良いのだが)、大きなメリットだと思う。あえてそのメリットを捨てる意味が僕にはわからないのだが、人生いろいろである。生まれる前から千尋の谷に突き落としてみる感じだろうか?

二次会が終わったのが1時過ぎだったのでUbarで帰宅したのだけれど、費用はたったの10ドル。本当にUbarは便利である。これが日本に本格導入されたら、日本のタクシー会社は壊滅するかもしれない。そのタクシー会社に便宜を図るために、国民は凄く不便な生活を強いられているのだけれど、そもそもUbarの存在を知らない人が大勢いそう。鎖国しているようなものだよね。もうちょっと世界に目を広げた方が良いのに。

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