2017年05月16日

痴漢と、痴漢冤罪の防止のために

日本に来るたびに感じるのが、電車の混雑の酷さである。ワシントンDCでは、電車に座れないという事態がほとんど発生しない。おかげで、最近日本で流行している痴漢の冤罪なども聞いたことがない。

電車の混雑は、痴漢の発生、またはそれに派生する冤罪の発生だけでなく、総じて不快なことがいただけない。シルバーシートで席を譲るか譲らないかとか(米国にもプライオリティ・シートはある)、ヘッドフォンの音漏れが不快とか、携帯で会話するのがうるさいとか、暑いとか、疲れるとか、様々な混雑由来の不快なことがある。

日本の都会の住民たちはこういう状態に慣れて、それが当たり前のことになっているのだろう。僕は一年間米国で暮らしただけで、この状態がどれほど異常なことかわかるようになった。それほど、すいている電車は快適だし、混んでいる電車は不快だ。

では、なぜこんなに都会の電車はこんな状態なのかといえば、もちろん大都市圏、特に東京に人口が集中しているからである。人口集中にはもちろんメリットもたくさんあるのだが、そのメリットを追い求めた結果、大きなものを失っていることにも気づいた方が良い。一昔前なら情報ネットワークが貧弱だったためにやりたくてもできなかったことが可能になってきている。東京でなくてもできることはたくさんある。

もともと、日本には土地が少ないのだ。ちょっと田舎に行けば四方八方見晴らしても家が一軒もないような平原があって、そこで数頭の牛が放牧されているような米国とは違う。だからこそ、その土地を有効活用すべきなのに、ただでさえ少ない土地の、さらに少ない割合の場所に建物と人を集中させている。これは、シロアリの巣のようだ。

最近は通勤時間の無駄に気がついたのか、23区内の高層マンションなどの人気があるようだが、これも人口密度の上昇に拍車をかける。人口という視点からは、日本のエントロピーは減少する一方に見える。

かくいう自分も、もし仮に日本に戻るなら(安倍晋三が総理大臣のうちはまっぴらごめんだが)、以前に慣れ親しんだ朝霞市か、山手線周辺あたりを候補に考えるだろう。山手線の外で乗り換えることは考えたくない。人の心がこうなってしまうのは、当たり前といえば当たり前である。時間と快適さのどちらか一方しか選べないのなら、お金で買うことが難しい時間に重きをおくのは道理だ。

この状況を改善するために、東京の首都機能は政策的に分散すべきなのだと思う。痴漢が問題なのはその通りだし、それに派生して痴漢の冤罪が問題なのもわかる。では、どうしたら良いのか。監視カメラを設置するとか、Wi-Fiで通信して援助を求めるとかも良いのだが、根本的には電車の混雑が緩和するのが一番である。

痴漢が問題だと思う人は、首都機能の分散など、東京一極集中に異を唱えるべきだし、そういう方針を持っている政治家を支持すべきだ。遠回りでも、これが民主主義である。

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