「国民の痛みを伴う思い切った改革は、安定的な政権基盤がないとできない。消費税は増税しないと財政を再建できないので、勇気を持ってやって頂きたい」
出典:経団連会長「痛み伴う改革を」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171023/k10011194661000.html
だそうだ。こういうバカは、世の中が自分たちのような裕福な人間だけで構成されていると勘違いしているのだろう。此の期に及んで、「国民」全般に痛みを強要する感覚が理解不能である。ワシントンDCに住んで1年半。見えてくるのは日本人の貧乏さばかりである。その原因は単純ではないが、少なくともアベノミクスの推進では解決しないし、国民に痛みを強いても、そのやり方が間違っていれば弱者から脱落していく。
僕は理系の人間で、ライフサイエンスの国家予算に深く関わっていたので、ときどきこのブログでノーベル賞受賞者を含め、理系研究者の研究費乞食っぷりを批判しているのだが、その批判を1行でまとめれば、「金のない親方に金をくれといっても無駄なので、親方に金を稼ぐように言え」ということだ。お金のない親方に向かって、ただただ金をくれと言い続けても、誰も幸せにはならない。その程度のことすらわからない研究者が、日本には山ほどいる。ここで「金を稼ぐ」といったけれど、国が稼ぐ方法は、「税額を増やせ、ただし、税率をあげるのではなく、収入を増やせ」ということである。税率を上げたり、費目を増やしたりするのは簡単だが、それは本質ではない。
理系の思考法のひとつに、ものすごく極端な状態をイメージして、そのスモール・スケールの影響を推測するというものがある。たとえば消費税率を10%ではなく、300%にしたらどうなるか。単純計算で物価は4倍になる。今まで150円で買えたものが、600円になる。これでは生活は立ち行かない。立ち行かなければ、消費を抑える。日本中の非富裕層が消費を控えれば、景気は冷え込む。景気が冷え込めば、税率をあげても税収は減る。税率をいじるのは簡単だが、税率をいじることによって税収を増やすのはとても難しい。
では、税収を増やすにはどうしたら良いのか。そのためには、確かに大きな改革が必要だ。痛みも伴うだろう。ただ、その痛みを国民に一様に求めるのは間違っていると思う。日本人は公平が大好きだが、全てにおいて公平を求める必要はない。例外もある。
つい先日、浜崎あゆみが、公演が台風で中止になった際にとても良いファン対応をしたという記事があったのだが、
神戸公演中止の浜崎あゆみ“神対応”グッズ売り場に姿現し“ファンサービス”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171022-00000147-spnannex-ent
この記事の中で公平大好きな日本人の一端が垣間見える。それは
「(9月16日に台風18号の影響のため公演中止になった)徳島と対応が違う」
という、浜崎あゆみの対応に対する批判である。確かに、公平、不公平という視点では、神戸ばかりずるい、ということになるのかもしれない。しかし、浜崎あゆみは、その場面で最善の努力をしたに過ぎず、徳島のファンを軽視したからではないだろう。じゃぁ、徳島ではできなかったので、神戸でもやらない方が良かったのか、ということになる。
かように、平等であること、公平であることが常に正しいわけではない。でも、日本人はときどき、平等、公平にこだわって、みんなで不幸になって喜ぶことがある。みんなで同じように幸福になれないのなら、部分的にでも幸福になってもらった方が良いのではないだろうか。
さて、僕が過去数年にわたってこのブログで言い続けているのは、「最大にして、唯一の税収増額策は、労働力の流動化である。これなしに、日本の経済の再生はありえない」ということだ。その思いは、米国社会を目の前で見ることによって、一層確固たる確信になっている。
では、労働力の流動化には何が必要か。解雇規制の緩和は絶対に必要だ。しかし、ここでも、すべての労働者に解雇規制の緩和を適用することについては慎重であるべきだ。そこで登場するのが、かねてから書いているジョブ職とキャリア職の分離である。詳細はこちらを読んでもらうとして、
参考:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度
http://buu.blog.jp/archives/51550477.html
内容をまとめてしまうと、「仕事には、時間で労働力を切り売りするジョブ職と、自身のスキルアップにつながるキャリア職があるので、それを分離する必要がある」ということだ。ここを分離しないでいると、労働者の「保護」に、本来は必要のないキャリア職の人間までが保護されてしまい、結果的にキャリア職が待遇も、保護も得て、一人勝ちする。
これまたちょっと日本人を象徴しているな、と感じたのが先日のほりえもんの炎上ネタである。
ホリエモン「保育士の給与が低いのは誰にでもできる仕事だから」発言で物議 「保育士馬鹿にしてる」「言っていることは正しい」
http://blogos.com/article/252701/
堀江貴文氏は「保育士は誰でもできる仕事だから給与が低い」と述べて、炎上した。しかし、ほりえもんが書いていることは基本的に正しい。育児などというものは、本来、親がやることで、ほぼすべての親がやってやれないことではない。つまり、潜在能力的には「誰でもできる」ことなのだ。この点について、「じゃぁ、やってみろ」とか、「資格が必要」とか言うのは、堀江氏が言う通り、論点がずれている。
土木作業員は体力が必要だし、タクシーの運転手は運転技術が必要だし、コンビニのレジ打ちは就業中ずっと立ち続けである。体力がなかったり、運転免許がなかったり、脚が不自由だったりと、例外はあるだろう。でも、こういった仕事は誰でもできる仕事と言って差し支えない。そして、これこそがジョブ職なのである。ジョブ職がダメ、ということではない。誰かがやらなくてはならない仕事である。そして、みんながやりたくないといえば、社会は回らなくなる。だからこそ、ジョブ職の人たちは、いろいろな点で守られる必要がある。それは、簡単な例で言えば「安易に解雇されない」とか、「給与面で優遇される」とか、「残業0」といったことである。日本はジョブとキャリアを分離していないので、主にキャリアが、この保護の対象となっている。本来守る必要のない人たちを守っていては、キャリアとジョブの格差は一向に縮まらない。
「ハイリスク、ハイリターン」と「ローリスク、ローリターン」が普通なのに、日本ではキャリアたちがローリスク(安定)、ハイリターン(高収入)の立場にいる。そして、キャリアたちはほとんど声を上げない。なぜなら、ジョブの人たちが自分の代わりに大声で叫んでくれるからだ。その上で、ジョブ職に従事している人たちに、「あなたたちも努力していればこちら側にくることができますよ」とちらつかせる。この、ほとんど存在しない希望をちらつかせる技術が、日本ではすごく発達している。
でも、考えてみてほしい。コンビニのレジ打ちがどんなに上手でも、職位が上がる可能性などないのだ。先日、「月曜から夜更かし」で抜群に速いパン屋のレジ打ちのお姉さんが取り上げられていたけれど、彼女も、「なんの役にも立たない」と言っていたのではないか。
では、ジョブの人たちはどうやって待遇改善を目指したらいいのか。定時に帰って、自分で勉強するしかない。そのための残業0なのだ。
#もちろん、ステップアップの必要がなければ、空いた時間を自分なりに好きなように使っても良い。
まとめると、
(1)日本は多額の借金を抱えている。それを少しでも改善するためには、税収を増やす必要がある。
(2)そのためには、税率のアップではなく、経済の活性化が不可欠である。
(3)経済の活性化はアベノミクスでは不可能。必要なのは労働力の流動化。
(4)流動化にあたっては、キャリアとジョブの分離が必要。
(5)キャリアは規制を緩和し、ジョブは待遇改善を進める。
ということになる。
堀江氏の炎上を見ていると、ジョブ職の人たちから、自分たちの仕事をキャリア職として扱って欲しいという希望というか、プライドのようなものを感じるのだが、その感覚こそが、キャリアたちに洗脳された間違った認識だと思う。ジョブはどこまでいってもジョブだ。そして、だからこそ、保護される必要がある。ジョブ職の人たちは、まず自分たちの仕事がジョブであると認める必要がある。
この主張は、今の日本では、右にも左にも理解されない。何人かの政治家や政党にも提示してみたのだが、理解できないのか、興味がないのか、まともな反応をする人間が一人もいない。それはつまり、日本人のほとんどが興味がないということだろう。日本の経済が停滞したままで、世界の中で徐々に存在感を失いつつあるのも道理である。
ところで最後に一点追記しておきたいのだが、ジョブ職の待遇改善には最低賃金のアップというものが必ず含まれる。今でも、「米国に倣って、最低賃金1500円とか、1800円」という数字を耳にする。僕は最低賃金のアップについては特に反論はないのだが、1つ多くの日本人が気付いていないことがあるので、ここで書いておく。最低賃金が上がるなら、それはすべてのジョブ職に当てはめられる。結果として、人件費は大きく上昇するので、ジョブの雇用は激減する。そして、ジョブ職が関係する商品、サービスの価格も上昇する。おそらく、24時間営業のコンビニは次々と営業時間を短縮するだろうし、ファストフードの価格は大幅に上昇するだろう。米国で言えば、コンビニはあまりないし、24時間営業もまれ、ビッグマックは550−600円、ラーメンは一杯1800円程度である。また、保育費用はこども一人当たり月額20万円程度になる。学校の課外授業は全部有料で、夏休みには金持ちの子供はリゾートの林間学校へ、貧乏人の子供は自宅近くでサッカーやバスケをやっている。低所得者たちは、夜は家で家族との時間を楽しみ、食事は自宅で自炊して、子供は自分で育てるのだ。自分一人の給与がアップするならそれは幸せなことだが、社会全体となると、その社会サービスから最初にこぼれ落ちるのは多分低所得者たちである。この点については、最低賃金の大幅アップを主張している人たちはきちんと覚えておく必要がある。どうも、自分の給料だけ高くなるという幻想を抱いている感じがするんだけど、もちろんそんなことはない。そして、誰でもできることは、低所得者は自分でやることになる。食事を作るとか、育児をするとか。
#僕は、コンビニがなくても全然平気だし、家で家族との時間を楽しむ生活も良いと思うけどね。
##何はともあれ、僕は安倍晋三が嫌いで日本を脱出した。今回の選挙を受けて、これでまた当分、日本へ戻ることはなくなった。一時的に遊びに行くことはあるけれど。