2017年11月26日

陶芸家のセルフ・プロデュースについて

この数年、現代作家を中心にそこそこの数の陶磁器を買ってきて、陶芸家の知人も増えてきたのだが、誰一人として、満足なセルフ・プロデュースをしていないことに驚く。「良いものを作り続けていれば、黙っていても知名度は上がってくる」と思っているのかもしれないが、それは大きな勘違いである。きちんと情報発信しないのなら、よっぽどの幸運に恵まれない限り、そのまま忘れ去られて行く。雨後のタケノコのように次から次へと若手陶芸家が出てくる時代なので、旬の時期を逸して、消えて行く可能性が高い。能力があっても、死後まで作品が評価されないのはもったいない。中世の画家とは違うのだから、最低でもやるべきことはやっておくべきだ。僕はスキー選手時代、成績アップにつながることは全てやってきた。そのおかげで、やり残すことのない選手生活だった。これは芸術家でも同じで、やれることは全部やっておくべきだ。では、一体何をやるべきか。これまでにも何度か似たようなことを書いているのだけれど、以下、収集家の視点から、陶芸家がセルフ・プロデュースとしてやっておくべきことを書いておく。


(1)ウェブサイトの運用
これすらまともにやっていない作家がほとんどなのだが、現代作家の必須事項である。そして、ただ作れば良いというものではない。次の事項へ、容易にアクセスできる必要がある。

1. 展示のスケジュール
2. 過去の作品(写真、あるいは動画)
3. 経歴
4. 技術(これは(2)にも通じている)

注意が必要なのは、フェイスブックやTwitterはウェブサイトを作ったことにならないということである。

フェイスブックは、ファンとの交流にはそこそこ役立つものの、ここで「いいね」をしてもらったところで、作品の売れ行きは良くならない。また、何より致命的なのは、フェイスブックの過去のアーカイブへのアクセス性が極端に低いことである。例えば「これまでに作って来たぐい呑」を見てみたいと思っても、そのデータへアクセスすることは非常に困難である。上手に設定すれば不可能ではないのだが、もともとフェイスブックは作家のアーカイブを溜め込む目的でシステム構築されていないので、使いにくいし、閲覧する側も期待していない。

Twitterはフェイスブックよりもっとアーカイブ性が低い。作家がやっても、これといったメリットはない。

展示のスケジュールなどはGoogleカレンダーで公開しておけば済む話なのに、ほとんど誰もやらない。どこかのギャラリーで個展をやるとかなら、日程は早ければ2年前ぐらい前、どんなに遅くとも半年前には決まっているはずで、それを全く告知せず、ギャラリー任せにしておいて自分は直前や、ひどい時は初日が終わってから告知したりしている。「お得意様だけに優先的にお知らせしたい」といった思惑があるのかもしれないが、お得意様に飽きられたらその作家は終了である。買いに行く側からすれば、直前になってキャンセルならまだ納得がいくが、直前になって告知されてスケジュール調整がうまくいかないのは納得がいかない。買う人のことを考えれば、早め、早めのスケジュール告知は絶対である。

写真は作品の紹介には必須だが、別に良いカメラを使う必要はない。むしろ、良いレンズは被写界深度が浅く、全体像が見えにくくなる。スマホのカメラでも十分だ。それより問題なのは、うつわの周囲にびっしり描き込まれている作品は、その全体像が写真ではわかりにくい点である。これは、動画で紹介するのが手っ取り早い。手回しのロクロの上に作品をのせて、ゆっくり回すだけで良い。画像についてのワンポイントを書いておくと、「作家が見せたい写真」ではなく、「閲覧者が見てみたい写真」を掲載すること。写真に限らず、作家たちは「自分が見せたいウェブサイト」を作りがちだけど、それはスタートの時点で間違っている。写真、ウェブサイトを見るのは、作家自身ではないのだ。アクセスした人が欲しがっている情報を提供するのは基本中の基本である。


(2)技術のアピール
陶芸作品のほとんどは工芸の領域に存在する。芸術と工芸の違いは、誤解を恐れずに書くなら、芸術の価値はひらめきで、工芸の価値は投入した時間だということだ。近年九谷焼でとても評価がアップしている赤絵細描などはこの代表例で、「どれだけ時間をかけて描き込んだか」が最大のポイントである。同時に正確性や表現力も求められるのだが、それらの多くも時間を投入すると身に付けることができる。だから、作家は、自分がその作品を作るにあたり、「どのくらいの時間を投入したのか」をきちんとアピールすべきなのだ。それは、そのまま作品の価値に直結する。たとえば富田啓之さんが、金や銀の上に市松模様を描いたなら、その一手間をきちんとアピールすべきだし、児玉みなみさんなら、自分の赤を作り出し、安定して制作するためにどれだけのテストを繰り返したのかをアピールすべきだ。そうしないと、見る側には価値がわかって来ない。もっと基本的なところなら、うつわの軽さでも良い。「見た目重厚持って軽い」というのは陶器の基本中の基本だが、これすらできないくせに「重い方が持った時にしっくりくる」などと言う作家もいる。買う側からすれば、「じゃぁ、まずは軽いのを作って、ちゃんと技術があるところを見せて、その上であえて重いものを作ってみろよ」と思う。だから、もし何らかの根拠や信念に基づいて重い器を作るなら、まず軽いものを作って見せて、その上での「軽いものだってちゃんと作れるけれど、あえて重くしているのです」というプロモーションが必要になってくる。分かる人には分かる、ではダメで、分からない人にも分かるように丁寧に解説することが大切だ。

僕は自分でも陶芸をやるので、作品を作るにあたっての手間とか、技術のすごさにはある程度見当がつく。例えば以前紹介した中井理節さんのカップなどはその最たるものだが、

中井理節さんのティカップ
http://buu.blog.jp/archives/51537141.html

下絵と上絵の違いを踏まえて、「下絵なのにびっしり描き込んでいること」の凄さがわかる素人はあまりいないだろう。数年前には福島武山さんが素焼きの花器に龍の絵を描いていたことがあるのだが、花器が素焼きだと、失敗できない。こうした点も、素人には理解できず、解説してもらって初めてわかることだ。

作家は、もっときちんと、自己の作品の技術的PRポイントを発信すべきである。そうでないと、単なる自己満足で終了である。


(3)習字
字のうまい、下手は仕方ないが、ちゃんと練習はしておくべきだ。陶芸家と同じく、書の能力が要求される職業に将棋の棋士がいるのだが、彼らも多くはきちんと字の練習をしている。羽生善治は当初とんでもなく下手くそな字を書いていたのだが、今は、かなりのくせ字ではあるものの、普通に読める字を書くようになった。渡辺明竜王(現在)も、下手くそだったのに、ちゃんと練習して、恥ずかしくない文字を書けるようになった。

陶芸家の場合、箱書きをする機会は腕が上がれば上がるほど増えていくのだから、作家活動の一つとして真剣に習字に打ち込むべきである。箱書きだけではなく、作品を買ってくれた人に対する礼状や、展示会の案内なども、一流の作家になると書く機会が増えるはずだ。実際、腕の良い作家さんほど、達筆な筆運びで自筆の手紙を送ってくれる







最初のうちは、上手である必要はない。しかし、丁寧に書いていることが感じられないと、箱の中の作品を見る前に興ざめしてしまう。字のうまさは、陶芸家にとってはとても重要だ。


以上、セルフ・プロデュースといってもたったの3つである。それにもかかわらず、展示会のスケジュールすらまともに告知できていない作家がほとんどなことに絶望してしまう。作家としての才能や努力以前のところで足切りされるのは、不本意じゃないですか?


(4)蛇足 「わかっているけれど、できない」という人は、代行してあげても良いです。手数料は、作品による現物支給で構いません。