2018年06月09日

先に立つもののありよう

5歳児を虐待して殺したというニュースを読んだ。

5歳女児死亡、“保護責任者遺棄致死”で両親逮捕
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180606-00000041-jnn-soci

このニュースを読んで、思ったことが二つ。

一つ目は、日本の児童保護の遅れについてである。米国だと、次のようなことは犯罪になる可能性が高い。

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子供だけで留守番をさせる。
子供だけで外出させる。
車内に子供を残す。
子供の頭を小突く。
嫌がる児童と一緒に入浴する。
子供を怒鳴る。
乳児の入浴写真を公開する。
スクールバスを追い越す。
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出典:米国での生活上の注意事項(在ナッシュビル日本国総領事館)など
http://www.nashville.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/americaseikatsutyuijikou.html

日本人の感覚からすると、そんなことまで規制されているのか、とか、子供だけで外出できないなら、誰が面倒を見るんだ、という感じだと思うのだが、米国の映画で、小学生の子供を学校まで送り迎えする場面を見たことがある人も多いと思う。こういうシーンは何気なく観てしまって、心にも留めていない人が多そうだが、米国では子供を保護するのは当たり前で、たとえ親であっても虐待は許されない。冒頭で紹介したような事件は、かなり早期の段階で対応できた可能性が高い。

子供を保護するためには、当然親の負担が大きくなる。日本の雇用形態で、両親共働きの場合は、子育てなど無理と感じるかもしれない。米国と同じように子供を保護するためには、社会全体で覚悟をもって考えなくてはならないのである。果たして、日本社会にそういった覚悟があるのか。「情報共有がうまくいかなかったのが悪い」「児童相談所が悪い」「役所が悪い」などと、他人任せにしようとしているのではないか。

やってやれないことはないのだ。米国で暮らしている日本人はみんなやっている。そういう覚悟があるのか、どこかの誰かがちょっと労力を割いてくれれば解決すると安易に考えていやしないか。日本人はもっと子供を守る意識を高めた方が良い。子供は選挙権を持っていないし、自分で法律を作ることもできない。彼らの権利を守り、安全を確保してやるのは大人の役割である。児童相談所が適切に対応できないでいるのは、その活動を担保する法律がないからだろう。国はさっさとそういう法律を整備した方が良い。

もう一つは、子供との向き合い方だ。子供は親を選ぶことができない。時々、老後の面倒を見てもらうために子供を作るという話を聞くが、子供は親の奴隷ではないから、老後の面倒などとんでもない押し付けである。もちろん、子供が自主的に親の面倒を見るのは構わないが、親の面倒を見ない子供がとんでもないと考えるなら、それは間違っていると思う。親から受けた親切は、次の世代に返せば良い。100%親のエゴで子供を生んでいるのだから、面倒を見る義務を押し付けるのはお門違いである。

そして、親は、子供に対して義務の代わりに、一つでも多くの「可能性」を与えるべきだ。

今の日本は、その可能性がどんどん狭まっている。経済的に成長しきった社会は少子高齢化になる傾向が顕著だと思うのだが、その原因は、一つには成熟した社会の可能性のなさにあると思う。僕の場合、子供が米国籍を持つことができるということだけで、子供を作っても良いと考えた。米国も成長した社会だが、実際にそこで暮らしてみると、日本よりもはるかに自由で、機会があり、可能性と希望がある社会である。この国ではたくさんの子供が生まれ、育っているが、可能性という切り口では日本とは雲泥の差がある。

親は、子供を作る以上、少しでも大きな可能性を子供に与えてあげるべきだと思う。しかし、冒頭の記事の親は、逆にその可能性をどんどん摘んでしまい、挙句には完全に奪ってしまった。亡くなった子供には気の毒以外に言葉がないのだが、こうしたニュースを知るに当たって、すべての親が、子供に対して、あるいは、上司が部下に、先生が生徒に、監督が選手に、先輩が後輩に、あらゆる場面で、先に立つものは、後からくる人間の可能性を広げているか、むしろそれを狭めていないか、考えて欲しいと思う。

日本サッカー協会の会長、日大アメリカンフットボール部の監督、安倍晋三や佐川宣寿、こういった、あとからくる人間たちの可能性を狭める人間にはなりたくない。