2018年12月06日

そして父になってみて

米国にいる間は一度も聞かれたことがなかったのに、日本へ行ってみて、頻繁に聞かれたことに、「父親になってみて、何か変わったことはあるか?」というのがある。特に年配の女性から聞かれることが多かったのだが、その度に「何も変わらない」と答えてきた。実際には違うのだが、僕の答えはおそらく彼らが望んでいる答えとは正反対だから、正直に答えるのが面倒くさくて「何も変わらない」と答えてきた。

では、どう変わったのか。変わったというよりは、想像していたことが現実だったと認識を新たにしたのだが、それは「子供は親の都合で否応なく生まれさせられたので、面倒を見てもらうのは当たり前で、子供から親へ与える必要があるものは感謝も含め、何もない」ということである。

「お前は子供の面倒を見ていないのだろう」と言われそうだから言っておくが、僕は出産の時も産室で看護師とふたりで出産を手伝ったし、生まれてからも、ほぼ24時間一緒に暮らして、ほとんど目を離すことがなかった。妻は産後2週間で会社に復職したが、それが実現できたのは、日中僕がすべての面倒をみていたからだ。

子供は、自分の意思とは無関係に、この世の中に産み落とされた。そのまま放置していれば死んでしまうので、常に誰かが面倒を見ておく必要がある。これは、単純に、親の義務だ。産んだ以上は育てなくてはならない。親は義務を果たしているに過ぎないので、親が子供に対して「育児」の見返りを要求するのはお門違いである。

親から子供に与えられるものは、愛情だったり、お金だったり、有形無形の色々なものがあるが、それらはすべて先の世代から後の世代に流れるべきもので、逆流する必要は一切ない。

もちろん、子供が親に対して愛情を持つことは珍しくないだろうが、それは義務ではない。

子供が親に感謝するのは当たり前、という考え方が日本では主流なのかもしれないが、僕はそうは思わない。親がバカなら、子供が親へ愛情を持つ必要は一切ない。子供は、親に対して一切の負債を抱えていないのだ。親がバカなのに、親を大切にすべきとか、親に感謝すべきと考えている日本人のなんと多いことか。感謝されるかされないか、愛情を持ってもらえるかもらえないかは、親の態度次第である。こういう考えが一般的でないから、親からの虐待とか、家庭内暴力などがあっても、子供に我慢を強いるのである。親の老後は子供が面倒を見るべきなんていう考えも、無条件には同意できない。

これは僕が親になる前から感じていたことだが、父親になって、その思いを一層強くした。

だから、これからも、僕は子供からは何も期待しない。僕は、子供がそこにいるだけで十分だ。子供からは何も期待せず、ただ子供の可能性が大きくなるように環境を整備してやるだけである。