2019年02月14日

米国の首都に住んで、日本の少子化について考える

ワシントンDCに住んでほぼ3年になるが、この街で暮らしていていつも感じるのは、育児と障害者に親切ということだ。街を歩いていると、頻繁にベビーカーと電動車いすを目にする。日本にとどまらず、シカゴ、ボストン、ニューヨークといった米国の大都市と比較しても、ワシントンDCにおける公共交通機関や商業施設の、ベビーカーや車椅子に対する受容性は高く感じる。僕はボストンとニューヨークへ生後半年程度の子供をベビーカーに乗せて歩き回ったのだが、これらの街はエレベーターがない地下鉄の駅があったりして、移動に苦労することがあった。ワシントンDCでは、こうした事態はまず発生しない。

日本のバリアフリー具合はニューヨークよりもさらに遅れていて、八重洲口から新幹線に乗ろうとすれば階段しかない改札があるし、横浜駅に至っては、エスカレーターで向かった先に階段しかない場所があって、元来た道を戻らされるありさまである。エスカレーターやエレベーターは、子供のいない健常者の利便性のために整備されているのだろう。

このように、日本の社会は育児に不親切だ。

さて、そんな日本社会だが、少子化については問題だと感じているようで、内閣府には少子化対策担当の特命担当大臣なんていうものまでいる。では、内閣府の考える少子化対策とはなんだろうか?ウェブサイトに平成30年度版 少子化社会対策白書というものが公開されている。

平成30年度 少子化の状況及び少子化への対処施策の概況(概要<HTML形式>)
(少子化社会対策白書)
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2018/30webgaiyoh/indexg.html

「人づくり革命」という特集をみてみると、幼児教育の無償化、待機児童の解消、高等教育の無償化、はては私立高等学校の授業料の実質無償化なんていう項目まである。しかし、ほぼ全部が経済的支援である。第2部の重点課題や、きめ細かな少子化対策をみても、待機児童の解消や、育児の経済的負担の軽減などが主で、多少毛色が変わって見えるのは男女の働き方改革の推進という項目ぐらいである。これらを俯瞰してわかるのは、日本の政治家が考える少子化対策は、お金の話ばかりだということだ。

(役人の評価はどのくらいの新規予算を獲得したかで決まるので、わからないではない)

しかし、少子化の本質的な原因は、金ではないと思う。

米国に来て、移民向けの英会話学校で友達になったヒスパニック系の女性と話していて、「あなたはどうして子供を作らないの?」と聞かれたことがある。「なんとなく」と答えたら、「信じられない!!」と言われた。彼女は決して裕福ではなく、米国の中では生活コストが高いワシントンDCで暮らしていくには、相応の苦労があるはずだ。それでも、複数(おそらく4人)の子供を育てて、楽しく暮らしている様子だった。彼女にとっては、子供のいる家庭こそが幸福なのである。

振り返って、先の白書を眺めてみても、「どういう家族を目指すのか」という指針は見当たらない。日本の少子化の最大の原因は、多くの日本人が、幸福な家族像を共有できないでいることだと思う。

ちょうどこんな記事を見かけたのだが、

平成の家族「フラリーマン」 妻子は愛す、でも帰れない
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00033478-kana-l14

家族を重視しない日本人男性が再生産されている様子がわかる。

米国では、多くの人が家族第一である。クリスマスといえば、子供達とパーティを楽しむイベントであって、友達たちと遊ぶイベントではない。そもそも、仕事の同僚と飲みにいくといった行動は、滅多にとらないようだ。仕事は、組織から要求された成果を提供すれば良いだけで、円滑な人間関係などはわざわざ自分から構築する必要はない。

ところが、日本の会社では、会社への帰属意識や忠誠心を求められ、家族の優先順位は仕事よりも下になる。加えて男性優位の社会構造なので、多くの場合で、育児は女性の仕事になる。子供のいる家庭では、それが共働きの家庭であっても、父親は仕事、母親は家庭、という伝統的役割分担に落ち着く。

個人的には、こうした役割分担意識は日本や韓国などで強く残っている印象があって、少子化傾向との相関も検討されているかもしれない。ともあれ、家族が役割分担することによって家庭の分断が生じ、結果として幸福な家族像を描けなくなっているのが少子化の最大の要因だと感じている。

「でも、それは日本の場合、昔からだよね」という指摘はありそうだが、おそらくは趣味の多様化や女性の社会進出が進んだ影響があるのだろう。女性は社会に進出してきたのにも関わらず、相変わらず家庭での家事を任されてしまい、結果として少子化が進行しているのだ。

もちろん、「女性の社会進出を限定して、家庭に押し込めておけ」という考えは退化でしかなく、求められているのは、家事を公平に分担し、子供が生まれれば育児を夫婦でともに楽しみ、家族の結びつきを強めるという「幸福な家族像」を共有することだと思う。

内閣府の考える少子化対策は、その動機として、経済的生産性のアップや、年金などの旧態依然とした社会制度の維持などが透けて見えてくる。この動機がそもそも邪(よこしま)なのである。GDPのアップなどはあくまでも結果であって、目的ではない。目的は、日本の国民が幸福に暮らしていくことのはずだ。

少子化傾向と直接関係はないのだが、最近、日本における児童虐待のニュースを良く耳にする。これなども日本に特徴的な話で、米国ではこんな話は滅多に聞かない。なぜなら、米国では、子供を一人で留守番させても、中学生をひとりで登校させても、児童虐待で逮捕されるのである。こういう話をすると、日本人は良く「米国は治安が悪いから」という話をしてくる手合いがいるのだが、子供に一人で留守番をさせるのに、治安もへったくれもないのである。ワシントンDC周辺は大抵治安が良いし、セキュリティがしっかりしているアパート(日本でいうマンション)なら、治安のことなど心配する必要はない。子供を一人にして放置することの妥当性を考えるべきなのだ。日本人は、治安の良さの上にあぐらをかいて、子供の権利について直視していないだけである。児童虐待については、先日こんなニュースもあったのだが、

体罰?しつけ? 都民からは戸惑いや反対も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190214-00000012-asahi-soci

「家庭内に自治体が介入することは適切ではない」
「体罰が子どもの成長に資すると思われる部分もある」
「言葉で注意しても聞かないときにはどうすればいいのか」
以上、引用

こんなことを言っている親の親権は即座に停止し、怒りの制御や正常な育児方法に関する長期(1−2年)のプログラムを受けさせるような法律が必要だろう。

そう考えてくると、日本人は、夫婦間の関わり方についても、親と子供の関わり方についても、家族の問題ととらえて考え直さなくてはならない時期にきていると考えられる。

ここ数年で観た映画には、「インクレディブル・ファミリー」のように新しい家族のあり方について描いたものや、「インターステラー」のように家族の絆を描いた作品に傑作がある。日本でも「万引き家族」が高く評価されたのが記憶に新しい。こうした作品をただの娯楽としてとらえず、社会全体の問題として考えていく必要があると思う。

少子化の原因として、経済的な問題もあるとは思う。しかし、経済的な問題は、夫婦が「子供のいる幸福な家庭を築きたい」と強く願うなら、本質的な問題ではない。最も求められているのは、「幸せな家族」についての、日本人の意識改革である。