2021年03月02日

日本で国産ワクチンが作れない理由

簡単にいえば、国産で開発できる会社、研究施設がないからである。

ワクチンに対する潜在的な忌避感情も存在するが、そもそも、開発できる場所がない。では、場所を作れば良いという話になるのだが、これは簡単な話ではない。まず、現在主流になりつつあるmRNAワクチンの製造はすでに特許で雁字搦めになっていて、簡単に事業者が利益を得られる構造にはなっていない。古い技術はmRNAワクチンに取って代わられる立場で、今更研究してもそれほどうまみがない。では、mRNAワクチンよりも先進的なワクチンなり、治療法なりを研究してはどうか、ということになる。それはもっともだが、日本には金がない。これはバブルがはじけて以降、ずっと続いている現象で、景気回復以外に手はないのだが、安倍晋三や菅義偉には無理だ。残念ながら手遅れとしか言いようがないのだが、では、そういった状況を生み出した原因はどのあたりにあるのか。

一丁目一番地に挙げられるのは、歴代の日本政府の無理解である。特にバブルとバブル直後の時代に、日本政府は生命科学に対する投資を怠ってきた。その時代に何をやってきたかといえば、新幹線を作り、高速道路を整備し、立派な建物を作って見栄えの良い都市を作ってきた。今は東京金沢が2時間で、東京から長野へ行くのも高速道路で2ルートあり(1995年頃は藤岡インターで関越道を降りて、あとは18号で碓氷峠を越えて一般道を延々走ったのである)、都庁をはじめ立派な高層ビルが建ち並んでいる。研究開発ではなく、こうした都市インフラを整備したのは政府と国民の選択で、その延長線上に今がある。

二つ目に挙げられるのは、生命科学への国民理解の低さである。僕が1992年に三菱総研に入社したときは、面接で「これからは必ず生命科学の時代がくるので、そのパブリックアクセプタンスに関わる仕事をしたい」と抱負を語ったのだが、結局その後の約5年で、社会はおろか会社の上司すら説得できず、約3年の理研出向ののちに転職した。今になってみれば「ほらみろ」だが、生命科学の重要性を論理的に説明できなかった自分の能力不足でもある。当時「バイオ」は口に出すだけで嫌われる、今でいうと放射能みたいな存在で、生化学を利用した洗剤のマーケティングでも「バイオ」という単語を使うのはタブーだった。

僕は東工大の理学部に生命理学科という新しい学科ができたときに、一期生として所属した。当時の学内でも、化学科の中で生命科学関連の教授たちは冷や飯を食っていて、化学科から飛び出すような形で生化学関連の学科を作ったと聞いた。この国ではずっと生命科学は主流ではなかったのである。

バブル期は生命科学に対して「予算」も「国民の理解」もない時代だったが、バブルがはじけてから状況は一層難しくなった。PCRの有効性が確認された1990年ごろから、生命科学はあっという間に「ゲノム」という巨大情報を扱う学問になり、ほんの5年か10年で、資本力がものをいう時代になった。研究室にはPCR、DNAシークエンサー、DNA合成機などが並んでいることが普通になった。お金がなければこうした機器は買い揃えることができない。1998年ごろに僕は理研でヒトゲノム計画を分担していた榊主任研究員を支援していたのだが、当時日本の最先端にいた研究施設では、ゲノム情報を保存する1テラのハードディスクの予算をどうやって工面するのかで頭を悩ませていた。

その後、僕は経産省で2年間バイオ行政を担当したのだが、この頃になると日本の敗戦はかなり明らかになっていて、「どうやって一矢報いるか」という状態だった。僕は事業化支援の担当者だったので、あちこちで「日本にはシーズはある。ないのは人と会社なので、経産省はそこを金銭面からサポートして行く」と話した。僕は2年目にバイオ人材育成の予算を確保して、経産省を退職した。これが2003年である。その後、約20年が経ったのだが、日本で素晴らしいバイオ企業が育ったという印象はない。

今、日本で国産ワクチンが作れないのは、1990〜2000年ごろの政策がまずかったからである。つまり、20年、30年のスパンで科学技術政策を考えることができなかったということだ。仮に、今から日本経済が奇跡的なV字回復をしたとしても、その果実を収穫できるのは2030年ごろだろう。今は、きれいになった街並みを見て、便利になった交通網を利用し、海外からワクチンを買うよりない。

「残念でした、手遅れです」では悲しいだけなので、1990年に2020年を想像した僕から、次の20年の展望を書いておく。次の20年はAIの時代だ。多くの仕事がAIに取って代わられる。特に過去の知識の蓄積の上に存在する頭脳労働は、どんどんAIが担当することになるだろう。医師、税理士、会計士、弁護士など現在高収入を得ている仕事の多くはAI任せになるだろう。こういう事態になると、日本では既得権者たちが「それはまかりならん」と立ち塞がるのだが、これこそが日本を立ち遅れさせる原因である。日本が立ち止まっている間に、海外ではどんどん研究が進み、気がつくと、海外から技術を買うしかなくなっている。ちょうど今、ワクチンを輸入せざるを得ないのと同じだ。

既得権者は「AIが誤診をしたら誰が責任を取るんだ」と言い出しそうだが、そこで思考停止せず、どうしたら誤診が減るか、誤診が起きたらどうするかを考えなくてはならない。そのうち、こうしたこともAIが考えてくれるようになるだろうが、それまでは人間が考える必要がある。

科学に対していかに謙虚に向き合うか、技術に対していかにして素直に向き合うか。次の20年は、日本人の姿勢次第だと思う。