2021年06月03日

丸山寿一さんの思い出

丸山寿一さんと初めて会ったのは2007年か、2008年だろう。場所は八方の大根館で、伊勢丹に勤務している一橋スキー部の後輩に紹介された。

それまで白馬方面に行くことはほとんどなかったのだが、神戸大スキー部OBの氏家さんが鹿島槍スキー場を購入、経営しているので遊びに行こうという話になって、「それなら知人の宿が八方にあるから、そこに泊まることにしよう」と連れて行かれた。

白馬界隈は関越道周辺に住んでいる人間にはちょっと不便な地域で、スキーの大会でもないと行くことがない場所だったけれど、これからあと、毎年何度も、特に雪のない季節に白馬に行くことになったのは間違いなく寿一さんのおかげである。

出会いの頃のエピソードのひとつを創作落語にしたのがこちらである。

創作落語「鹿島槍」
http://buu.blog.jp/archives/50534201.html

寿一さんはその頃ちょうど伊勢丹を定年になって、「何か面白いことはないかな」と考えていた時期だった。寿一さんの埼玉の自宅から近くに住んでいて、平日の昼間からお酒が飲めて、フットワークが軽く、何よりスキーが大好きな僕をとても気に入ってくれて、それからは平日の真昼間に「もときーーー、今、暇だろう?ちょっと出てこないか?面白い話があるんだよ」と電話をかけてきてくれるようになった。

思い出はいっぱいあるけれど、現在まで続いていることは、白馬でのそばまきである。「使ってない土地があるから、そばでもやろうかと思うんだよ。手伝ってくれねーか」と言われて、後輩を引き連れて手伝いに行った。寿一さんの畑で穫れた蕎麦粉を使って、氏家さんのスキー場の施設を借りて蕎麦打ちをするイベントが、今も続いている「鹿島槍蕎麦打ち体験会」である。

そばまきとは、種をまく前の雑草取りと、種まきである。ただ、そこは寿一さんのやることなので超適当である。せっかく僕たちが「今年はただまくだけだったけれどあれではだめだ。ちゃんとロープを張って、そのロープ沿いにまこう」と提案して、次の年にそれをやってうまく行っても、その次の年には「あれは面倒だからやめにして、ちゃちゃっとまいて終わりにしよう」となってしまう。ところがそこが寿一さんの人間力。どういうわけか、「寿一さん、寿一さん」と慕ってくる召使いがいっぱいいて、船頭は適当なのに、秋になるとどういうわけかいっぱいの蕎麦粉が穫れて、みんなで蕎麦打ちを楽しめてしまう。

話をスキーに戻す。寿一さんが話す現役当時の思い出は、スタートが怖かったという話が多かった。僕もスピード系の試合で靭帯を切る大怪我をしていたので今でもスピード系の競技は好きではないのだが、寿一さんも前の夜から怖くて眠れず、スタート直前まで恐怖心と戦っていたと話していた。そして、「仁也さんは、あれはバケモンだよ。怖くねぇんだろうなぁ」とも話していた。仁也さんとは、丸山仁也さん。丸山庄司さんとならぶ白馬の重鎮で、グルノーブルオリンピックでは男子滑降で仁也さんが59位、寿一さんが64位だった。

寿一さんは八方リーゼンで昔からのライバルと競走するのが何よりの楽しみで、「今年は10秒勝った」などと嬉しそうに話していた。僕は寿一さんが競技にでているところを一度しか見ていない。一緒に滑りに行っても、2、3本滑ったあとは黒菱のカフェの前に椅子を引っ張り出してきて、ビールを飲んでいた。八方界隈では寿一さんを知らない人は誰もいないので、なんでもありだった。

寿一さんのもう一つの楽しみはゴルフで、毎年開催される「オールスポーツマンゴルフ大会」にスキー代表で参加することを楽しみにしていた。飲んでいてスキー選手の話をしていても、いつの間にか「岡部のてっちゃんは、とにかく飛ばすんだよ。飛ばす、飛ばす。やっぱり、下半身が違うんだろうな。あれにはかなわないよ。でもな、元木、俺だろ?群馬の林のたっちゃんだろ?それで仁也さんだろ?枠がねぇんだよ」と、ゴルフの話になってしまう。スキーヤーの評価もなぜかゴルフだった。スキーはオフシーズンの長いスポーツなので、ゴルフをやる一流選手も少なくない。それで、「あいつはゴルフがうまい」「あいつは飛ばす」という話に良くなった。

八方で夕方になれば毎日飲み会である。「今日はめえだ(前田という蕎麦屋)にしよう」「今日はこいやが良いな」「あたらしい店ができたんだよ。いってみねぇか」という調子で、大根館の夜ご飯は食べたことがない。飲み屋から帰ってきても、大根館で続きである。おかげで風呂に入るのは毎日朝になる。

寿一さんは2015年ごろから段々と酒の量が減ってきて、自作のそば粉を使った蕎麦会も2016年には「10年やったから、今年はやらないでおこうと思う」と言い出した。また、同じ年に手首を痛めて、それ以後は大好きだったゴルフも滅多にやらなくなった。2018年からは岡部哲也さんがオールスポーツマンに出ることになった。

2016年の4月に僕は米国に引っ越して、それ以後、これまでのように頻繁には寿一さんと遊べなくなってしまった。それでも年4回ほどは日本に来るので、スケジュールを調整してランチに行ったり、伊勢丹や三越の美術イベントに行ったりした。陶芸のイベントに行くと、「八十吉さんは酒と釣りが大好きでねぇ。よく遊んでもらったよ。昔は、今みたいな売り方じゃなくてさ、『ここからここまで全部売ってくれ』って言われるんだよ。客一人で全部買ってっちゃう。楽な商売だったなぁ。今は、陶芸家は大変だろうな」などと昔話をしてくれた。

体調不良が決定的になったのは2017年だと思う。蕎麦会の予定を聞いたとき、「今年もやめておこうと思う。12月に2週間検査入院する」とのことだった。その頃に難病の特発性肺繊維症と診断された。遊びに誘っても出てくることはなかった。それでも2019年の11月には「普通の生活に問題なし、スキーゴルフはまだ諦めていないけどどうなるか?はがゆい!努力する!ありがとう」と言ってきてくれた。

最後に会えそうだったのは2019年11月18日だったのだが、この日は丸山家のお墓参りで、スケジュールが調整できなかった。そして、コロナである。呼吸器系の疾患とあって、コロナに感染するのは致命傷になる。結局、顔を合わせたのは2017年の6月5日に要町のもり山で飲んだのが最後になってしまった。また、電話で話したのがいつだったのか、寿一さんの親戚が事故で亡くなった話と、大根館のひろみつさんが結婚した話をした。「大根館もこれで安心だから、よろしく頼む」と言われた。寿一さんはともかく面倒見の良い人で、「愛子はずっと心配していたけれど、立派になって良かった」などと話すことも多かった。

6月1日の夜に「寿一さんが亡くなったらしいという話を聞いたけれど本当か」という連絡が来て、寿一さんの親戚に問い合わせたところ、「五日前に亡くなった」とのことだった。地震をはさんで、色々大変な時期を、面白おかしく過ごせたのが寿一さんのおかげだったことは間違いない。賑やかな飲み会が大好きだった人なので、まずはコロナで中断している鹿島槍蕎麦打ち体験会が再開できるように頑張ろうと思う。

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