澤谷さんの作品を最初に見たのは2016年1月、西小山のパルケという小さなギャラリーだった。当時の作品は染付けの下絵が中心で、いっちんの作品はメインではなかった。この時は高台のバランスが悪かったり、呉須の濃度にばらつきがあったりと、染付けというと中井理節さんと比較してしまう僕には少々物足りなく見えた。いっちんは呉須の作品に比べてキラリと光るところが見えたのだけれど、まだ澤谷さんの柱にはなりきれず、僕は澤谷さんの話だけ聞いて何も買わずに帰ってきた。受けた印象は作品よりも「背が高くて、陶芸が大好き」という人物像についてだった。
次に澤谷さんの作品を見たのは2016年の秋にあった企画展だった。僕は2016年4月から米国在住だったのだが、運良く訪日のタイミングと合致した。この時はいっちんが表看板のひとつになっていて、染付けといっちんを高いレベルで融合していた。それで迷わず一つ購入した。この時購入したゴブレットは、初期の澤谷作品の最高傑作だと思っている。なお、この頃に名門の卯辰山工芸工房を修了している。
三度目の出会いは2017年11月で、福島武山さんの工房に行ったついでに九谷の支援工房を覗いたら、なぜかエプロンを着てそこに澤谷さんがいた。卯辰山を出るタイミングで支援工房のスタッフに空きが出て、九谷で創作活動しているとのこと。そして、卯辰山の中腹にある山ノ上ギャラリーで開催中のグループ展の案内状をいただいた。綺麗な手書きの案内状をもらってしまっては見に行かないわけにいかない。本当は小松で高速に乗ったらそのまま埼玉へ直行の予定だったのだが、山ノ上ギャラリーに立ち寄った。ただ、この時はまだやりたいことが不明瞭なのか、残っていた作品から明確なメッセージを受け取ることはなかった。
澤谷さんは2019年の4月に大きな転機を迎える。森岡希世子さんとの二人展を開催したのだが、この時から透明釉薬をかけない作品に挑戦した。この発想の転換が超絶的に素晴らしく、澤谷さんの才能を開花させたと思う。まだ釉薬をかけた作品がメインではあったけれど、僕は迷わず釉薬のかかっていない作品を複数購入した。
それから後の活躍は多くの陶芸ファンが知るところだと思う。無釉薬の作品がメインとなり、コバルトの濃度を変えてグラデーションを滑らかにし、青だけでなく黄、赤などの色数を増やし、複数の色の融合にも成功した。直近のパラミタ大賞展では真っ黒な作品にも挑戦して、見事に仕上げてきた。
ここからは「自分でも作る陶芸ファン」として、見ただけではわからない澤谷作品の凄さを書いておきたい。
まず、澤谷さんは自分で下地を作っている。この造形の完成度が高い。茶碗の地を親指と人差し指で挟んで、高台付近から縁までなぞっていくと、地の薄さと厚みの変化を感じることができるのだが、薄くて均一なのだ。なので、実際に持ってみると見た目よりもかなり軽く感じられる。「見た目重厚持って軽い」が僕の理想で、まさにど真ん中である。また、蓋物を見ると造形の精緻さもわかる。蓋がピタッとはまって、緩みがない。九谷だと船木大輔さんの造形が見事だが、澤谷さんも決して見劣りがしない。
次の凄さは、色数の量である。土に顔料を混ぜて色土を作っていくのだが、この顔料の種類や量によって焼成した時の収縮率が変わってくる。土の水分量を適切にしないと、焼いた時に剥がれたりヒビが入ったりする。濃度を変える、色数を増やすと言うのは簡単だが、陶芸作品として完成させるためには沢山の試行錯誤による条件検討が必要になってくる。これは澤谷さんのノウハウであり、それゆえに唯一無二の作品を世に送り出している。
そしてもう一つ見逃せないのが、焼成まで全部生土で作っていくという点である。土は焼くと10%程度収縮する。絵付けの場合は上絵でも下絵でも最初に素焼きして、下地を完成しておく。一方でいっちんは土の上に土でデコレーションしていくので、下地だけ素焼きするということができない。一緒に焼かないと、必ず剥がれてしまう。「焼かなければ良いだけ」ではない。生土は素焼きしたものと違って柔らかく、放っておけば水分が蒸発してひび割れるし、水分を十分にすればカビが生えるし、間違って触れれば変形する。生土はとてもデリケートなのだ。澤谷さんの作品はいっちんで飾り付ける全行程を生土で扱うので、途中で不具合が生じる可能性がとても大きい。
澤谷さんの作品はパッと見ただけでもデザインセンスが良く、誰でも楽しむことができる。その上で製作過程を知れば、誰にも真似ができない超絶技巧の結晶と理解できる。僕は、澤谷さんが陶芸分野で女性初の人間国宝になると思っている。今回のパラミタ大賞展は、そこまでの道のりの一歩になると良いと思う。