2004年04月08日

透明人間の蒸気

観劇ポイントは13列目、ほぼ中央。

初演のときは段田、円城寺、羽場といった面子で支えられ、安心して見られた一方で、劇団のテンションが下がってしまっていたのか、自分の作品に対する評価はイマイチだった(それでもぴあテンの演劇部門では一番だったと思うけど)。今回、再演に至ったのは、野田自身がこの作品に対して不完全燃焼感を持っていたからではないか、というのが個人的な推測。

ヘレンケラーやら、世紀末やら、国に対する野田の思いやら、様々な事象をコラージュ様に盛り込んだ設定は今見ても古くなく、面白い。しかし、ストーリー自体は野田的な「無意味」さが健在。となると、作品自体の評価は役者がいかに「客に面白いものを見せたい」と思っているか、になる。常々言っていることだが、初演の時は、この面白いもの、の別の軸として、「客に新しい、みたことのないものを見せたい」という心意気があったわけだが、再演ということもあって当然、「新しい」部分は希薄。ただ、新しいものが皆無だったかというとそうではなく、「新国立劇場」というハードの部分に非常に大きな新しさがあった。してみると、野田が今回再演に至ったのは、初演の時の不完全燃焼感よりも、非常に特徴のある新国立劇場を最大限活用した舞台をつくってみたい、という部分によるのかもしれない。その意味では、今回の作品は非常に成功していたと思う。それで、「面白いものを見せたい」という心意気、これは残念ながら、あまり感じられなかった。あたえられた役割を着実にこなしている、というのが受けた印象。

それと、今回の上演の完成度は正直非常に低かったと思う。とにかく、俳優の声がほとんどつぶれてしまっていたのが残念。初演のシアターコクーンに比較して大きな箱でやっているのだから、役者の負担が大きくなるのは当然。また、それなりの本数をこなさなくてはならないのであるから、当然良い役者を揃える必要がある。今回の役者達が力不足であったといえば言い過ぎかも知れないが、とても今回のお金を取れる状況ではなかった(ちなみにシアターコクーンでの初演は4000円とか、その程度だったはず)。NODA MAP後の野田演劇の演出にはスピード感よりもスロー表現に特徴があり、それは今回も十分に発揮されていたが、その表現力に対してあまりにも声が弱すぎた。

遊眠社作品の再演は非常に難しいというのが個人的な見解だが、その中では「透明人間の蒸気」は比較的再演が容易な部類だと思う。しかし、それでもやはり、「うーーーーーむ・・・・」というのが正直なところ。キル、赤鬼、農業少女と、解散後も素晴らしい作品を出してきているのだから、そろそろ解散前の作品とは完全に決別したらどうなんだろうか。評価は☆1つ。

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