2004年05月26日

米国とイスラエル

もう何ヶ月も、イラクおよびイスラエルの話が新聞に載らない日はないように思う。今日は、米国がイラクの結婚式を誤爆、イスラエルがガザ地区の難民キャンプを攻撃、というニュースが配信されている。

今のイラクの混乱は間違いなく9.11の余波であり、テロに怯える米国の自己防衛活動の結果である。ゴルバチョフのペレストロイカ以後、米国の敵はワルシャワ条約機構の各国ではなくなり、イラク、リビア、キューバ、北朝鮮といった独裁国家と、それらが陰で支えていると思われるテロ組織となった。東西冷戦時代は東側諸国としてひとくくりにできた「敵」が分散し地下に潜ったため、地雷原を歩く歩兵のように疑心暗鬼になっているのが今の米国である。

一方、イスラエルの問題は非常に根が深く、これを理解するためにはまず、紀元前10世紀にユダヤ人国家がアッシリアとバビロニアに侵攻され滅ぼされたところにまでさかのぼる必要がある。それ以後1000年以上の長い期間にわたりユダヤ人のゲノムに刷り込まれた「ユダヤ国家建設」の願いは、ナチスドイツによるホロコーストによって決定的に顕在化した。

事態を複雑化させたのは第一次世界大戦中にイギリス政府が行った外交である。このとき、イギリス政府はアラブ人とは「フサイン・マクマホン条約」を締結し、レバノン、ヨルダン(パレスチナ)等の中東地区をアラブ人国家として独立させることを約束した。その一方でユダヤ人とは「バルフォア条約」を締結し、ユダヤ国家の再建を約束している。第二次世界大戦終結後、ユダヤ人問題を自力で解決できなくなったイギリス政府は国連採決に委ね、結果としてパレスチナをアラブ人国家およびユダヤ人国家に分割することとした。ドイツ、イギリスの不作為の尻拭いをさせられた形のアラブ人は、その憎悪を目前にいるユダヤ人に対して向けることになった。

1947年の国連採決の結果、パレスチナはアラブ人国家とユダヤ人国家に分割統治となり、イスラム教とユダヤ教の共通の聖地(ちなみにキリスト教の聖地でもある)であるエルサレムは特別管理区域とすることとなったが、このパレスチナ分割決議をアラブ側が拒否した。混迷を深める中、1948年にユダヤ人がイスラエルの建国を宣言し、これを米国、英国が承認したことをきっかけとして第一次中東戦争が勃発する。

第一次中東戦争イスラエル側の勝利となり、多くの難民が発生することとなる。その後、第三次中東戦争でもイスラエルはアラブ側に大勝。この頃から行き場を失ったアラブ人による対イスラエルテロ活動が活発化する。

イスラエルの政権は対パレスチナ強硬派に握られ、国際的な非難にも耳を貸さず、対立の構図は一層深刻になっている。そして、イスラエルに自制をもとめるべき国連は、同じくテロに対して強硬姿勢をとり続ける米国の反対によって、有効な対イスラエル政策を取れないでいる。

今のユダヤ人とアラブ人の対立は、イギリスとオスマントルコの対立、ナチスドイツの台頭、米ソの国連中心主義といった欧米諸国の軋轢を濃縮する形で深刻化してきた。そして、科学技術がこれだけ進歩してきた現代社会でも、解決の糸口すらつかめないでいる。

宗教や民族意識に対して馴染みの薄い日本人にはなかなか理解が出来ないし、口出しも出来ない話であるが、大国の思惑に振り回された結果、とばっちりを食うのが子供を含めた一般市民であるのは痛ましい限りである。

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