熊本在住の金継ぎ師に割れた陶磁器をいくつか継いでもらった。
中央アジアの骨董品
大平師匠の作品
川合孝知さんの作品
元木屋銀一朗「
旅立ちの茶碗」
どれも普通に割ってしまったのだが、自作の茶碗だけはちょっと事情が違っていて、実はこの茶碗は「最初から割れていた」のである。まるで京極さんの「姑獲鳥の夏」のような話なのだが、解説しよう。
陶器の茶碗を作るときは、まず手で粘土をこねて大体の形を作る。数日の時間を置いて粘土が固くなったところで『かんな』という道具で内外両側から削って行って、最終的な形に仕上げる。この「削り」という段階がとても大切で、いかに薄く削るかがポイントになってくる。特に僕の師匠の大平師匠は軽さに厳しく、机にはかりを置いて、「あと10グラム軽くしなさい」と指示し、それを完了するとまた「あと10グラム軽くしなさい」と指導された。「持って軽い」ことは陶器にとってとても大事なのだ。しかし、ここで削りすぎると割れてしまう。この茶碗は、削りすぎて底が抜けてしまったのだ(割れちゃっても、師匠は「あーーーー」というだけである(笑))。でも、この茶碗は形といい、持った時の手の収まり具合といい、とても出来が良く、全部ぐちゃぐちゃに丸めてやり直す踏ん切りがつかなかった。粘土の状態ではやり直しが効くので(というか、最初から作り直し)、普通はここでやり直すのだが、諦めの悪い僕は見た目だけちょいちょいと粘土で穴を修復して素焼きしてしまった。焼き上がってみたら、案の定底が抜けている。そう簡単にはいかないのである。でも、やはり持った具合がとても良い。さらに諦めの悪い僕はそこに絵付けをして、釉薬をかけて、底抜けの茶碗を完成させてしまった。それが、これである。
元木屋銀一朗作「旅立ちの茶碗」
http://buu.blog.jp/archives/51517537.html
完成はしたけれど、底抜けなのでもちろん使い物にならない。
普通なら(すでに普通ではないのだが)ここでおしまいにして水屋箪笥に飾っておくところ、諦めの悪い僕は金継ぎに出してみたのである。そして、それが上に掲載した茶碗である。
割れてダメになった焼き物を再生するのがプロのわざだが、最初からダメだった焼き物に命を吹き込んでくれたのだからこんなに嬉しいことはない。「旅立ちの茶碗」という名前だったのだが、「ピノコ・旅立ちの茶碗」に改名する。
#細描の鷺とたらしこみの木もお気に入り
#てか、割れているのにここまでするか?普通。