2021年09月14日

会社でどう働くかが問題である

朝日新聞にこんな記事が掲載された。

突然の異動でエクセル自習命じられ まじめに働いたのに
https://www.asahi.com/articles/ASP9B4SB7P80UPQJ00J.html

以下、少し引用してみる。
横浜駅の近くにあるビルの一室。日立製作所の系列会社に勤める50代女性は、むなしさを押し殺してパソコンに向き合っていた。
上司から命じられているのは、表計算ソフト「エクセル」の自習だ。テキストを見てダミーの図や表をつくり、計算をくり返す。


僕は有料部分は読んでないのだが、無料部分だけを読んでみても、「この人がかわいそう」と感じる人と、「会社も大変だな」と感じる人と二通りいると思う。僕は後者だ。

書かれていることは、いわゆる「追い出し部屋」の様子である。

会社で活躍の場をなくした人は、組織にとってはがん細胞なので、取り除かないと現場の士気に関わってくる。「がん細胞とはひどい」と感じるかもしれないが、存在にポジティブな効果が何もなくて、若手社員が「あの人は何もできないのになぜ高給取りなのだ」と感じてしまうなら、存在自体がネガティブなのである。

2年前から日本でも注目されている人に、台湾のデジタル担当政務委員(大臣)のオードリー・タンがいる。彼が活躍している姿を見て、「日本のIT担当は年寄りばかりで使い物にならない。台湾が羨ましい」と考える人も少なくないと思うのだが、若者が活躍できる社会、能力のある人が正当に評価される社会は、すなわち年功序列ではない社会である。オードリー・タンが活躍できる裏で、椅子を奪われた先輩が必ず存在する。実力主義を羨ましく思うなら、同時に年功序列を否定する必要がある。オードリー・タンを羨ましく思うことと、日立の追い出し部屋の人を単にかわいそうと思うことは両立しない。

ところで、冒頭の記事に書かれているようなことは特に新しいことでもない。数日前にサントリーの社長が45歳定年制の導入を提言して炎上していたので多くの日本人はまだ現実を知らないのかもしれないが、日本型の年功序列は、一流企業においてはもうだいぶ前から崩れてきていた。10年前でも、金融業界では40代中頃になると「黄昏研修」という研修が始まって、活躍できなくなった労働力が円滑に次の職場へ移っていけるように配慮されていた。僕もそういう研修をちょっと手伝って、ベンチャーの社長を紹介したこともある。そのとき、「日本の会社はめちゃくちゃ親切だな」と感じたものである。

冒頭の記事は、有料部分に何が書いてあるのか不明だが、無料部分だけを読むと、「この人は会社の黄昏研修を拒否して、会社にしがみついちゃったんだろうな」と考えてしまう。もちろん日立がなんの配慮もなく突然「出て行け」と言った可能性もなくはないのだが、僕の感覚では、その可能性はすごく低いと思う。

これも何度か書いてきたことだが、僕は三菱総研時代、会社の副社長に「今の仕事は自分のスキルアップにつながらない。人材の能力向上をどう考えているのか」と訴えて、理研に出向させてもらい、ゲノム科学の最先端のプロジェクトに事務方として参加し、その知識と経験をもとに経産省生物化学産業課へ課長補佐として転職した。当時から考えていたことは、仕事を通じてどうやって自分がスキルアップするかである。必要とされる場所へ行って、不要になれば去る。その際、現場できちんとスキルアップしていなければ時間と経験が無駄になる。これはあまり書いたことがないのだが、経産省が決まる直前まで、野村総研への転職が決まりかけていた。野村総研をお断りしたのは、給料よりも中央官庁で習得できる知識、能力、人脈を優先したからだ。実際、それらは今になってもきちんと役に立っている。

日立のような一流企業でリーダーとして活躍していくことは並大抵ではない。特に年次があがっていけば、要求される能力も増えていく。だからこそ、高給取りなのだ。そこで期待される能力を発揮できなければ、給料を下げるか、出ていくよりない。

ここで残念なのは、日本には「ハイリスクハイリターンの有期雇用」と「ローリスクローリターンの無期雇用」という考え方がないことである。総合職の全てが「ローリスクハイリターン」では会社はまわっていかない。だから、終身雇用だと思っていた人は時として強制的に会社を去らねばならなくなる。「会社とは、自分が相応の成果を提供できなくなれば去るもの」という認識が現場で十分に共有されていないのだろう。

記事のように会社にしがみつく人がいると、会社も当人も不幸である。どんなに頑張ったところで、この人が本社の現場で活躍できるときは来ないだろう。しがみつくのは自由だと思うのだが、そのメリットはほとんど存在しない。

そういう意味で、サントリーの社長の提言はとても親切だ。「この会社に生涯ポストがあると思うな。残るにはそれなりの能力が要求される。45歳までに、他所でも活躍できる能力を身につけろ」ということである。これなら、将来「こんなはずではなかった」と会社にしがみつこうとする人がいても、「お前は今さら何を言っているのだ?」ということになる。僕が若ければ、こういう会社に就職したい。

会社でまじめに働いていても、それだけではだめなのだ。  

Posted by buu2 at 10:12Comments(0)ニュース

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2020年08月31日

三浦瑠麗による辛口採点を評価のプロの視点で辛口採点

ご存知のように、僕は三菱総研と経産省で色々な評価を重ねてきたプロである。加えて、ラーメンやとんかつといった客観的評価が難しい対象について趣味で評価を続けてきている。人生の半分ぐらいを評価で費やしてきた。そういう人間から、三浦瑠麗という素人が披露した辛口採点がどうしてダメなのか書いておく。

出典はこちら。

【ポスト安倍を辛口採点 三浦瑠麗】“哲学者”岸田3.0、“一匹狼”河野2.5に対し、菅、石破が3.5の理由は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/646e35ee47eef2f21b34f3584acdb33b572938e2

評価をわかりやすく簡単にするのは、指標を選んで、その客観的数値で比較することだ。最近で言えば、新型コロナのPCR検査などは、サービスを提供している会社ごとに特異度や感度で比較すれば良い。なお、こういう客観的指標で比較する場合も、指標間でどういう重み付けにするかなど、検討が必要になる場合もある。

評価は客観的指標が多いほど簡単で、主観的指標に頼らざるを得ない場合は難しくなる。また、主観に頼る場合は、なるべく客観的に見えるような工夫と、指標間の調整が必要になる。

例えば僕はラーメンを麺、スープ、チャーシューの完成度で、主観で三段階に分類し、それぞれの要素に1〜3の素点を与え、

(麺)×(スープ)+(チャーシュー)ー2

によって点数を算出して、その点数で比較している。
詳細はこちら
http://www.netlaputa.ne.jp/~buu/hyoukahouhou.html

あるいは、最近だと宇都宮の餃子について似たような評価をしたことがある。

ラーメンととんかつの評論家が宇都宮の餃子専門店7軒を食べ歩いた結果
http://buu.blog.jp/archives/51589783.html

ポイントは、どうやって指標を選び、どう処理するかである。また、個人の主観に頼る場合は、その主観の確からしさを主張すると同時に、他の個人が同じ手法で評価できるように、その手法を詳にする必要がある。つまり、どこかの誰かが「お前の主観的評価は納得がいかない。俺が評価するならこうだ」と指摘できる必要がある。評価を参考にする第三者は、どちらの主観がより確からしいかを判断すれば良い。

では、今回の三浦瑠麗の評価はどうか。

数値を出してきて、一見客観的だが、内容を読むと全て個人の主観である。また、評価の指標も、世論調査の結果(これは主観の集合値で、客観的)、人脈、党内統治力、性格、話し方、バランス感覚、頑固さといった様々なものを持ち出すものの、対象によって選ぶ指標がバラバラで、指標間の重み付けなども全く不明である。あげく、最後の三人は「ただ、この3人の★はすべて2.5。茂木さんはフォロワーシップに課題があり、加藤さんも役所運営に手一杯で存在感を発揮できていません。西村さんは派閥の支持に課題があり大きな役所の大臣を務めた経験はないので、国全体をみる能力までは未知数です。」と、十把一絡げで適当に採点している。

複数の指標について主観で評価し、指標の取捨選択を主観で行い、その重み付けもちゃらんぽらんである。つまり、クソ。

ところで三浦瑠麗ってだれ?  
Posted by buu2 at 10:19Comments(0)ニュース

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2020年02月20日

岩田氏と高山氏のやりとりをどう読めば良いのか

新型コロナ肺炎に関して、ダイヤモンド・プリンセス号における対応について、岩田健太郎さんと高山さんのやりとりが公開されている。きっかけとなった岩田さんのYouTube動画は岩田さんによって削除されてしまったのだが、書き起こしが残されている。

【書き起こし】岩田健太郎さんのYouTube動画「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機。なぜ船に入って一日で追い出されたのか。」の書き起こし
https://anond.hatelabo.jp/20200219050922

そこそこ長文なのと、一部誤認識だったと判明したところがあるので、そこをトリミングした上で、時間がない人のために要約すると、次のようになる。

DP号の中の方から「すごく怖い」「感染が広がっていくんじゃないか」と私に助けを求められ、入船できないかを打診した。

2月17日、厚労省で働いている某氏から電話が来て、「入ってもいいよ」「やり方を考えましょう」ということだった。

翌日神戸から新横浜へ向かっている途中で「誰とは言えないが非常に反対している人がいる」と連絡があった。

「DMATの職員の下で感染対策の専門家ではなくて、DMATの一員として、DMATの仕事をただやるだけだったら入れてあげる」という電話があった。

DMATのトップから「お前、感染の仕事だろう」「だったら感染の仕事をやるべきだ」と言われた。

現場の問題点を確認していった。

レッドゾーン(危ないゾーン)とグリーンゾーン(安全なゾーン)をきちっと分けるのが鉄則だが、DP号の内部はグリーンもレッドもぐちゃぐちゃになっていて、どこが危なくて、どこが危なくないのか全く区別がつかなかった。

DMATの職員、厚労省の職員、検疫機関の方が陽性になったという話を聞いていたのですが、「それはもうむべなるかな」と思った。

我々がこういう感染症のミッションに出るときは必ず自分たち、医療従事者の身を守るというのが大前提で、自分たちの感染のリスクをほったらかしにして、患者さんとか一般の方々に立ち向かうのはご法度、ルール違反。

厚労省のトップの方に相談したけど、ものすごく嫌な顔をされました。聞く耳持つ気ないと。「何でお前こんなとこにいるんだ」「何でお前がそんなこと言うんだ」みたいな感じで、知らん顔する。

臨時の検疫官として入っていたが、その許可を取り消された。

日本は、ダイヤモンドプリンセンスの中で起きていることは全然情報を出していない。


さて、この情報発信に対して、「厚労省で働いている某氏」、すなわち高山義浩氏がFacebookで反論、補足した。


高山義浩氏の記事
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2703278763058947&id=100001305489071

こちらも、時間がない人のために要約すると、

岩田の乗船によって現場が困惑したので、岩田氏は下船させられた。

岩田氏の感染症医としてのアドバイスは概ね妥当だったけれど、正しいだけでは組織は動かない。

船の中では頑張っている人がいる。解決を与えないまま現場を恐怖で萎縮させるのは避けて欲しかった。

日本人は危機に直面した時、危機を直視せず、誰かを批判し、責任論に没頭する。不安と疑念が交錯している今は、一致団結していかなくてはならない。



ぐらいの内容である。少なくない部分が岩田氏の事実誤認について書かれていて、その部分を岩田氏、高山氏の両方から削除すると、この程度のやりとりになる。

その上で俯瞰してみると、岩田氏は

船の中はゾーニングが不十分で、乗客だけでなく対応に当たっている職員にも感染者がでている。
医療従事者の安全が確保できていない。これは大問題。
厚労省のトップはこのことに問題意識を持っていない。


と主張していて、高山氏は

岩田氏の指摘は妥当だが、正しいだけではだめだ。
頑張っているのだから、団結すべきだ。


である。正論に対して感情論、根性論を唱えていて、後者は日本人が大好きな主張なので、同調する人が多いかもしれない。特に、病院でこき使われている下っ端の若い医者は、「そうそう、目の前に患者がいるのだから」と考えるかもしれない。しかし、ダイヤモンド・プリンセス号においては、すでに乗船者の中から621人もの感染者がでている現実から目を逸らすべきではない。

日本人は同調圧力をかけるのが大好きで、みんなで頑張るのが大好きだ。高校野球で感動して、「和を以て貴しと為す」が金科玉条だったりする。そして、これこそが日本の最大の弱点である。岩田氏のような使いにくい専門家をどうやって取り入れていくかにこそ、活路が見出されるはずなのに、相変わらず仲良しクラブで頑張って、結果として失敗する。

岩田が正しい、いや、高山が正しい、ではない。高山が安全に活躍できる環境を、岩田のアドバイスにしたがって整備していくべき場面である。

岩田氏は、「どうやってウイルスを封じ込めるか」を考えていて、高山氏は多分「どうやって患者を治療するか」を考えているのだろう。現場は、一致団結すれば良い。そして、行政はどちらかといえば岩田氏の立場に立つべきだ。しかし、現状はそうではないらしい。

岩田氏も、高山氏も、二人とも目指すものがあって、ベクトルは同じでも、その目的に向かうための手段は異なっている。問題は、それらを上手にコーディネートしていくべき現場の責任者である橋本岳が馬鹿で、自分が何をすれば良いかを理解していないことだと思う。

え?僕たちはどうしたら良いか?それは何度も書いているけれど、

(1)人混みにはなるべく行かない
(2)手を洗う

でしょう。  
Posted by buu2 at 12:09Comments(2)ニュース

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2019年11月30日

センター試験の記述式について

文科省が馬鹿、というよりは下村博文が馬鹿なんだろうけれど、まだゴタゴタやっている。現状のセンター試験はとても良くできた制度で、少なくともマーク式を見直す必要などこれっぽっちもない。

もし見直すとすれば、過去の受験実績の中で一番良い得点を利用できるようにするとか(浪人は二次試験に注力できる)、年間に受験できる回数を複数回にするとか(でも、問題を作る手間を考えれば非現実的だろう)だと思う。あと、サイコロを振っても確率的に当たってしまうという点については、「正答がひとつ」という形式をやめて、「正答がひとつないしふたつ」という形式にすれば良い。これだけで正当に行き着く可能性は格段に下がる。

それで、記述式について。採点者の主観によって点数が変わってきてしまうのが最大の問題。でも、ダメ、絶対、というわけでもなくて、条件をクリアできるなら、導入しても良いと思う。その条件とは、採点を人間ではなくAIが実施する、ということ。AIによって全国で100%同じ基準で採点できるようになるなら、導入もありだと思う。

今のマークシート方式は、人間の主観が入り込まないところが最大の特長である。その特長をそのままに導入できるなら、反対する理由はない。  
Posted by buu2 at 15:12Comments(0)ニュース

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2019年11月25日

キヤノンとニコンの苦境

キヤノンとニコンがふるわないというニュース。

キヤノン、ニコンともに惨敗のフルサイズ戦争この1年
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191124-00146544-bcn-sci

僕はD850ユーザーだけど、このカメラを買ったのは、機能的にほぼ完成したと考えたから。ずっと買い時を探っていて、よし、今だ、と思って買った。その判断は大きく間違ってはいなかったと思う。

今はミラーレスに変更していく人がそこそこいるので、レンズが中古市場に出てくるようになっている。大きさが気にならなければ、レフ機ユーザーにはありがたい状況だ。僕も状態が良さそうなレンズを二本、中古で購入して使っている。

現在、コンデジはRICOH GR、他はiPhoneを使っているが、これらのラインナップでこれといった不自由は感じない。

日本のデジカメ市場が縮小している一番の原因は人口減と景気沈滞で、これはカメラメーカーには対応が難しい。キヤノン、ニコンの両社は、日本の市場は飽和したと思って諦めて、海外の新興国市場を開拓するしかないのではないか。そして、その場合には、主戦場はミラーレスになるはず。

国内にレフ機ユーザーを大量に抱えていたキヤノン、ニコンの対応の遅れは必然でもあり、苦しい状況は続くと思われる。それは、サンスイ、パイオニア、オンキヨーといったオーディオメーカーの苦境、あるいは今後一層苦しくなると思われるカーナビメーカーと同じだろう。キヤノンやニコンの優秀な技術者は、ソニーへ転職するのが早道かもしれない。  
Posted by buu2 at 07:14Comments(0)ニュース

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2019年01月26日

進歩する大坂なおみ、進歩できない日本人

大坂なおみ選手が全豪オープンで優勝した。これは全米オープンに続いてのことなので、まぐれでもなんでもなく、彼女の実力が世界のトップレベルだということだ。ところが、彼女の優勝は二度目にも関わらず、それをとりまく日本人の反応は三流国家のままである。

まず、彼女のスポンサーである日清が、彼女の肌を白く描いたアニメCMを製作して公式サイトに掲載し、すぐに削除する事態に見舞われた。

日清食品が大坂なおみの肌を白く描いたアニメ広告問題が世界中に波紋!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00010001-wordleafs-spo&p=1

広告制作サイドの意向はさっぱり理解不能だが、日本人は大部分が肌の色がほとんど同じ国民なので、これといった問題意識もないままに、錦織選手と同じ色にしたのかもしれない。これは国際的にも顰蹙だが、大坂選手に対しても失礼な話である。なぜありのままではダメだったのか。

また、この件について大坂選手本人にコメントを取ったら、今度は朝日新聞がその内容について我田引水の誤訳をやらかして、謝罪した。

大坂なおみ選手「なぜ騒いでいるのか分からない」は誤訳 日清のCMめぐる国内報道
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/osaka-goyaku

朝日新聞はほぼ真逆の意味に誤訳して報道しており、こんなバカでも朝日新聞社には入社できるんだな、と驚いた。

次に、彼女の二重国籍問題。

二重国籍の大坂なおみが日本登録で出場する理由とは
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190127-00460516-nksports-spo

彼女がこれから片方の国籍を放棄するのか、そのまま放置するのかは彼女次第である。

世界で見ると二重国籍を認めていない国はバーレーン、サウジアラビア、オマーンなどの中東諸国、ボツワナ、エチオピア、ジンバブエなどのアフリカ諸国ぐらいで、条件はそれぞれだが、二重国籍を認めている国の方が主流である。日本の場合は二重国籍は禁止になっているが、日本国籍を選択した場合に他の国籍を離脱する努力は義務付けられているが、離脱する必要はない。

こうした中、大坂選手に日本国籍の選択を希望する声が聞こえてくる。彼らは大坂選手が日本国籍を選ばなかった場合には、大坂選手を応援しないのかもしれない。はたして、スポーツ選手の国籍とはそんなに大切なものなのだろうか。僕は2018年の全米オープンの決勝戦をスタンドから観戦したのだが、大坂選手を応援していたのは日本人だけではなかった。いや、日本人以外のファンの方が圧倒的に多かったかもしれない。また、米国人であっても、大坂選手を応援しているテニスファンは存在した。選手を応援する根拠は、国籍一辺倒ではなく、プレイスタイルを含めた選手の個性である。

オリンピックに、米国の選手として出場したら、応援しないのか?少なくとも、僕は応援する。

それから、言葉の問題。大坂選手が日本語が上手でないのは日本人なら誰でも知っている。それにも関わらず、日本のメディアは会見で「日本語で答えてくれ」と要望しているらしい。

大坂なおみ、「日本語で答えて欲しい」との質問に「英語で言わせていただきます」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190127-00000058-sph-spo

それなら、まずお前らが英語で質問しろ、という話である。なぜ日本語にこだわるのか、さっぱり理解できない。世界的に見れば、日本語を話す人間よりも英語を話す人間の方が圧倒的に多い。マイナーな言語であるにも関わらず、「日本語で」と求めるのは、このインタビューを聞く日本人の貧弱な英語力に配慮してのことかもしれないが、彼女の発音は非常にクリアで、中学、高校まで英語を勉強した人間ならかなりの程度まで聞き取れるはずだ。それが無理だとしても、英語の字幕を作れば済む話である。

また、これは記事にはなっていないのだが、NHKの中継もひどかった。表彰式でマイクを持った人間が英語で喋っている最中に、日本語で実況をかぶせていた。お前が英語が理解できないのは勝手だが、人の話はちゃんと聞けよ、ということである。

日本のマスコミにとっては、英語は雑音でしかないのかもしれない。こんな国だから、プーチンとの会談にも通訳が必要なバカが総理大臣になって、世界的に恥をかくのだ。「あの国の総理大臣は英語すらできないようだ」と。

「日本人」のアイデンティティを、肌や目の色、第一言語と信じるのは時代遅れだ。日本人なんだから日本語以外はわからなくて当然、という状況でもなくなってきている。英語でのコミュニケーションぐらいは、できた方が良い。また、国籍で人間を区別するのも同じである。黒い目、黒い髪、日本語。日本人ならこれで当たり前、と考えるのは、大坂選手の活躍をきっかけにして、過去のものとなって欲しい。

大坂選手は、この一年強の間に長足の進歩を遂げた。日本人は、取り残されつつある。  
Posted by buu2 at 22:53Comments(0)ニュース

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2019年01月17日

芸術と落書きの間

東京でバンクシーのものと思われる作品が見つかった。この絵はバンクシーの作品集に「東京2003」として紹介されていたのだが、

このことで、東京都の小池知事が嬉しそうに、ツイッターに写真を載せている。



個人的な感想は、バンクシーの作品はそこにあってこそのメッセージなので、よそに移動してしまっては台無しだろ、とか、バンクシーのメッセージはポジティブなものじゃないので、知事としては喜んでいる場合じゃないぞ、というものだった。



ところが、ツイッター上での小池知事に対するメッセージの主たるものは「落書きなんだから消せ」というものだった。これは日本人の芸術に対する不見識を象徴している。「芸術家なら落書きしても良いのか」という意見もあったのだが、実際、そうだと思う。じゃぁ、どこまでが良くてどこからがダメなんだ、ということになると線引きは難しい。最終的には、描かれた側がどう考えるかだろう。いまどき、バンクシーに何かを描いてもらって、怒ってそれを消してしまう人間がどれほどいるのだろうか。今回の場合、落書きされたものは防潮扉なので、問われる可能性があるのはおそらく器物損壊罪だろう。これは親告罪なので、管理者である東京都が被害届を出さないのであれば犯罪にはならない。

米国は、日本に比べてずっと落書きが多い。しかし、では、米国人たちはみんな落書きに寛容かといえばそんなこともない。ニューヨークへ行くとそこかしこに落書きが溢れているのだが、そんな街でも、現代日本人アーティストとしては三指に数えられると思われる奈良美智が、地下鉄のホームでの落書きで1日拘束されたりする。この件では、奈良美智を捕まえた警官が奈良美智のことを知らなかったようだが、彼の作品の価値を知っている警官なら、対応は違っていたかもしれない。落書きへの対応は、人それぞれである。だから、見る側の見識も問われる。

結局のところ、芸術か落書きかを判断するのは、描かれた当人と、見る側の問題なのだ。

一番頭が悪いのは、「落書きなんだから消してしまえ」という奴らである。これが本物なら、取り外してオークションにかければ数千万円、日本で唯一という付加価値がつけば、もしかしたら億に届くかもしれない。都民が不要だとしても、取り外してオークションにかけて売ってしまえば、都の財政が多少なりとも潤うのである。

馬鹿とは、ものの価値がわからない人間のことである。

#それにしても、バンクシーのメッセージは、現段階では不明であるけれども、体制に対する批判だろう。つまり、東京都に対して「ばーか」と言っているのである。にも関わらず、知事がその批判を喜んで、記念写真をネットでばらまいているのだから、想定外の事態だろう。「日本人は良くわからない」と嘆いているかもしれない。  
Posted by buu2 at 11:38Comments(0)ニュース

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2018年10月19日

沢田研二のコンサートドタキャンの件

この手のトラブルはとかくアーティストが矢面に立たされるものだが、一番悪いのは主催会社。「人数が入らないならやりません。やるからには人数を入れてください」とアーティストが言っていて、実際に動員できなかったのなら、非はアーティストにはない。

矢面に立っている人間は叩かれるだけの存在なので、観客の側に立って「プロならやるべき」と言う人が大勢いそうだが、それはお門違いというもの。主催会社を叩くべきなのに、どこの誰が主催しているのかわからないから、叩きやすい人を叩いているに過ぎない。

こういう場面でアーティストが「大勢集まっているから、契約とは違うけれど対応する」という姿勢を見せたら、主催者は「あの人は、ああいう風に言っていても、最終的にはやってくれる」となめた考えを持つ。こういう姿勢は、マスメディアの関係者に多く見受けられる。僕も講談社にはひどい目に遭わされたことがある。

今回も、本来なら主催者が会見を開いて説明すべき案件である。

舞台に立ったことがある人ならわかると思うが、空席は舞台からは非常に目立つものだ。沢田研二ほどのアーティストにもなれば、そんな空席を目にしたくないのも当たり前。相応の箱で開催すれば良かったところ、大きすぎる箱を用意して、予定よりも2割以上入りませんでした、では話にならない。加えて、「私の実力不足」とまで表明させてしまっては、イベントを主催する資格などないと言わざるを得ない。  
Posted by buu2 at 12:06Comments(0)ニュース

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2018年10月03日

教育勅語を現代的にアレンジしてみた

柴山昌彦文部科学相が教育勅語を現代的にアレンジすることに理解を示したらしい。

現代的アレンジ「検討に値する」 教育勅語巡り文科相
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36054490T01C18A0CC1000/

「勅語」(天皇が国民に対して発する意思表示の言葉)をアレンジして意味があるのか、という問題はあるのだが、ともあれバカに任せておくとろくなことにならないので、個人的にアレンジしてみた。いうまでもなく、これは天皇ではなく、僕の言葉。

私が思うに、日本が国として成立したのははるか昔のことで、代々築かれてきた文化は他国と比較してなんら遜色がありません。国民はこれからも、個人、特に自分で権利を主張できない子供たちの権利に十分配慮し、国民一人一人がその個性や多様性を尊重し、自由で平和な国家を維持していくことが望ましいです。そして、教育の根源もまたそこにあります。

日本国民は、子供の面倒を良く見て、兄弟、夫婦、パートナーといえども一人の人間として十分尊重し、友達とも時にはきちんと議論し、他人には不要な迷惑をかけず、文書の改ざんなどの不正義を行わず、弱者には博愛の手を差し伸べ、学問の機会を平等に与え、性別・身分・年齢・職業・人種・思想・容姿などで差別せず、自由に勤労し、政治を他人任せにせず、見識を深め、自身の能力向上に努め、憲法を重んじ、正当に成立した法律にしたがう必要があります。そして、もし危急の事態が生じたら、自らと他者の命を大切にし、正義心からの勇気をもって平和の維持のための知恵を絞り、それによって、日本の平和を維持しなさい。これらのことは、単に国民の皆さんが善良であるだけでなく、国際社会において名誉ある地位を占めることに資するはずです。

このような道は、現代までの長い人類の歴史の上に残された教訓であり、国民がともに守っていかねばならないことで、世界中の国々にも根気よく提示し続けていかなくてはならない、近代文明社会における行動規範です。私は、国民の皆さんとともにこの教えを銘記して守り、一致して立派に行動してゆくことを切に願っております。


なるほど、法律を守る、憲法を尊重するの2つは確かに普遍的である。  
Posted by buu2 at 14:00Comments(0)ニュース

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2018年08月06日

punctualでorganizedな日本社会

サマータイムの導入を安倍晋三が検討しているようだ。安倍晋三が実行してきた政策にはほとんど見るべきものがないのだが、サマータイムの導入が実現できるなら、数少ないポジティブに評価できる政策として評価できると思っている。ところが、このサマータイムの導入に対するネット民たちの評判がすこぶる悪い。

サマータイムは、夏の間だけ1時間、時間を早めることで、僕が暮らしているワシントンDCだと3月の第2日曜日から、11月の第1日曜日までに適用されている。サマータイム期間の方が長いので、実際にはウインタータイムの期間だけ1時間遅くなっている感じだ。日本との時差はサマータイムで13時間、それ以外で14時間になる。

サマータイムのメリットは色々あるのだが、具体的に身近な例を書くなら、夕方でも明るいので、仕事が終わってからでも屋外プールでひと泳ぎすることができるし、照明のないコートでテニスをすることも可能だ。

サマータイム導入に対する反対意見の主たるものは、様々な電子システムのプログラム改修が必要になるからやめておけ、というものだ。これはもっともな話なので、安倍晋三が検討している「2年間限定」などというやり方は絶対にやめるべきだろう。やってみて、2年後に戻すというのは二度手間である。やめるつもりなら最初からやらないほうが良い。ただ、そこは政治家の考えることだ。「とりあえず2年ということで導入しておいて、あとはなし崩しに恒久制度化すればいい」と考えている可能性が高い。

しかし、そこさえクリアしてしまえば、サマータイムにはさしたるデメリットが見当たらない。一方で、明るい時間が伸びることは、想像以上にメリットが多い。緯度が日本と多少異なるので、ワシントンDCの状況をそのまま日本に割り当てることはできないのだが、現在、日没は20時以後で、20時ならまだ普通に明るい。先日、シティ・オープンを夕食後に観戦しに行ったのだが、涼しくなり始めたタイミングで、仕事帰りに立ち寄った人たちがテニスを楽しんでいた。日本以外では、日が長くなるということは、遊ぶ時間が長くなることだ。

サマータイムを日本で導入するためには、ある程度の障害を覚悟する必要があるだろう。たとえば丸ノ内線は3分や4分おきに運行されているが、こういった時間に正確で高度に整理された日本社会は、柔軟性に欠けるというマイナス点を持っている。米国は「面白そうだからやっちゃえ」というマインドを持っているが、日本は「何か起きたら困るからやめておこう」と考える。いろいろな障害を吸収できる余地がない。それは、日本社会が時間に正確で、整理された社会だからかもしれない。

米国で暮らしていると、電動車椅子で歩道を走っている足の不自由な人を頻繁に見かける。彼らは、補助の人なしに、一人で外出して、どこへでも出かけることができる。歩道が広いこともあるが、ほとんど全ての公共交通機関が車椅子に対応していることも大きな要因だ。バスは機械式のブリッジを装備していて、このブリッジを使って車椅子のままでバスに乗ることができる。この際、ブリッジの出し入れと乗車に、3分程度の時間が必要になる。しかし、米国のバスは30分遅れることや、突然キャンセルされてしまうことも良くあるので、車椅子への対応によってバスが遅れても、誰も文句を言わない。これが日本だとどうなるのか。地下鉄に車椅子の客が乗降するだけでも駅員がやってきてサポートしている。ダイヤに遅れが生じないように、大仕事になる。そもそも、バスの場合は車椅子で乗降できないことの方が多いのではないか。

時間に正確なことと、多くのことが整理整頓されて、規則正しく動作している日本社会は整然としているのだが、イレギュラーな事象に対する柔軟性に欠ける側面を持つ。これは分子遺伝学に例えるなら、全く異常を生まず、正確にコピーを続けるDNAのようなものだ。こうしたゲノムはやがて滅びる。生き残るのは、時として致命的になることはあっても、突然変異があって、多様性を持つゲノム群である。また、ゲノムには用途不明の領域がたくさんあるが、日本社会にはこうした「遊び」の部分が少ない。遊びのない機械は、壊れやすい側面も持つ。

日本はなぜ、今のように遊びの少ない社会になったのか。大都市への人口集中によって、高度に整理され規則正しい社会が、要求されたのかもしれない。沖縄の人と一緒に仕事をしたことがあるのだが、彼らの多くは時間に不正確で、およそ日本人らしからぬ行動だった。しかし、実は彼らの生活様式の方が世界では一般的なのかもしれない。DC、シカゴ、ラスベガス、フロリダなどをみてきたが、日本と同じように暮らしているのは、米国ではニューヨークだけだった。日本人は遊びの少ない社会に慣れているので、電車やバスが時間通りにやってきて、全て予定通りに進む社会が快適なのかもしれない。しかし、ルーズで、明日で良いことは今日やらない、という社会はのんびりしていて、過ごしやすいものだ。そして、異分子を受け入れる余裕もある。英語が下手な人間が社会に紛れ込んでいても、何かあれば辛抱強く話に耳を傾けてくれる。そういう精神的余裕が、少なくとも米国ワシントンDC界隈の社会からは感じ取れる、一方で日本は、夫婦別姓がダメだったり、LGBTを差別したり、移民を極度におそれる社会でもあるのだ。根拠はないのだが、全てを予定通りに進めようとする遊びのない社会だから、自殺する人が増えてしまっている側面もあるのではないか。

なお、電子機器以外にサマータイムのハードルとしてよくあげられるのが、高齢者の混乱である。しかし、この点は無視しても良いと思う。日本は高齢者に配慮しすぎだ。たとえば、米国の公共交通機関にも優先席があるが、妊婦、乳幼児連れ、障害者には親切だが、高齢者に席をゆずる人はあまりいない。高齢者に配慮する必要性自体は排除しないのだが、米国でサマータイムに文句を言っているお年寄りをまだみたことがない。体内時計を強制的に狂わされるので、一部の高齢者には負担があるかもしれないが、そこは非高齢者へのメリットを考えて我慢してもらうのが得策だと思う。

システムの改修が大変だ、というのは一理あるが、そのおかげで雇用が生まれるという考え方もできる。保守的であるために、日本社会は進歩性が失われている可能性も少なからずあるので、オリンピックを機に、大きな変化を受け入れてみるのも一案である。

年2回の時計調整が面倒くさいというものぐさな意見もあるが、実際に暮らしていると、僕の場合はほとんどの時計はWi-Fiで調整されるし、血圧計の時計のようにわざわざ調整しなくても、どうってことない時計も多い。2年半のサマータイム採用国での生活で、時計の針を手動で変更したことは一度もない。

さて、今、17:37だが、夕食の支度をする前に、ちょっと屋上へ行って泳いでこようかな。

#ただ、個人的には、多分保守層の反対が強くて、導入できずに終わると思っている。
#山手線や丸ノ内線のように、大量発着しても混雑している電車はルーズにはなりえないのかもしれず、そこは大都市圏への人口集中を改善しなくてはならない。
#何か新しいことをするときに、わくわくするのではなく、あれこれ心配するのが日本人の癖なのだろう。ベンチャーではなく大企業や公務員を目指すマインドと共通。  
Posted by buu2 at 17:38Comments(2)ニュース

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2018年08月02日

日本は産休が長すぎるんじゃないの?

東京医大の女性差別問題について。僕自身も約20年ほど前、東京医科歯科大学の入試で年齢差別と想像される差別で不合格とされた経験がある(センター試験で821/900、二次試験は小論文と面接のみ、予備校の合否判定ではA判定にも関わらず不合格)ので他人事ではないと思って注目しているのだが、その中で、

同大出身の女性医師が結婚や出産で離職すれば、系列病院の医師が不足する恐れがあることが背景にあった

出典:https://www.yomiuri.co.jp/national/20180801-OYT1T50132.html

という指摘があった。アホか、離職しなくても済むような環境を整備しろよ、と思うのだが、ここでは女性のおかれた環境を直接的に嘆くのではなく、あえて「産休が長すぎるのでは?」という問題提起をしてみたい。N=1なのが残念だが、我が家がちょうど2ヶ月前に出産したので、その経験をもとに書いてみる。

我が家の場合、妻が出産のために入院したのは出産の1日前(実際には夜中の2時過ぎに出産したので、正確には2日前だが)で、その前日まで職場に行っていた。出産は硬膜外麻酔による無痛分娩で、出産後の当日には自分でトイレに行っていたし、2日後には歩いて退院した。そして、10日後には職場復帰した。仕事を休んだのは合計で約2週間である。

日本では現在予定日前6週間、産後8週間の合計14週間で産休取得できるが、これは長すぎる印象がある。我が家のケースと比較すれば、約12週間、3ヶ月も余分に休んでいることになる。我が家は短すぎるとしても、例えばNIHなら、出産の前後8週間が産休で、日本よりも1ヶ月以上短い。

もちろん、短期間で職場復帰するためにはいくつもの条件がある。一番大きそうなのは日本ではまだ一般的とは言えない無痛分娩である。「硬膜外麻酔は危険だからやりたくない」という女医はさすがにいないだろうが、麻酔医の腕が悪いからやりたくない、という女医はいても不思議ではない。また、苦労して産んでこそ出産という根性論も日本では根強いと聞いたことがあるのだが、こちらについては「馬鹿じゃないの?」で終了である。無痛分娩で母体に対する負担を軽くすることは、社会復帰を早める上では必須だろう。

他にも、満員電車で妊婦が通勤するのは大変だろうし、予定より早く産気づいてしまったときの対応も整備しなくてはならない。産後も、生まれた子供に3時間ごとに授乳したり、オムツを交換したりしなくてはならず、女性が勤務を再開するなら、誰かがこれをやらなくてはならない。我が家の場合は僕がこの担当者だが、日本なら親戚に頼むとか、他の手段もありそうだ。

萩生田光一という頭の悪い政治家は「0〜3歳児の赤ちゃんに『パパとママ、どっちが好きか』と聞けば、どう考えたって『ママがいい』に決まっている。お母さんたちに負担がいくことを前提とした社会制度で底上げをしていかないと、『男女平等参画社会だ』『男も育児だ』とか言っても、子どもにとっては迷惑な話かもしれない」と語ったそうだが、

出典:萩生田氏「赤ちゃんはママがいいに決まっている」
https://www.asahi.com/articles/ASL5W4F1ZL5WTNAB00D.html

「お前が実際に育児をやってもいないくせに、何を生意気なことを言っているんだ、どこのどいつだ、こいつを当選させた奴は」と思う。なぜなら、これもN=1で申し訳ないが、我が家のHoltby隊員はまだ視力が不十分なので誰がミルクをあげても同じように喜んで飲むし、オムツの交換だって誰がやっても同じだ。多分、萩生田光一は自分でこういう子供の世話を自分でやったことがほとんどないのだろう。全部女性に任せっきりでもそれは各々の家庭の勝手だが、やったこともないのに「ママがいい」と断言するのは大きなお世話である。萩生田光一のオツムを誰かが交換してやるべきだろう。

また、女性の社会復帰を早めるためには、男性の育児休暇を取りやすくすることも必要だ。「今日は子供の面倒を見る日なので、早退」などはプレミアム・フライディなんかよりよっぽど先に一般化しなくてはならない。

出産のための産休は2週間で十分、とまでは言わないが、人間の生理だけを考えるなら、1ヶ月あれば十分なのではないか。しかし、今、日本でいきなりそれが実現できるかと言えばそうではない。そのための環境が整備されていない。休みたくなくても休まなくてはならない現状もあるだろう。

そういえば、以前勤務していた三菱総研では、女性の待遇が素晴らしく、年子で子供を出産すると、2年近く休暇が取れるという話を聞いた。2年休めるのは素晴らしいのかもしれないが、2年のブランクの後、普通に職場復帰できるとしたら、それはそれで奇妙に感じる。まともな仕事なら、ブランクは短ければ短いほど良いはずだ。

我が家の場合、まだ生まれてから2ヶ月なので、これから色々な問題が発生するかもしれない。ただ、2ヶ月の時点で言えるのは、女性にもっと活躍してもらいたいなら、産休を長くするのではなく、産休が短くて済むような環境整備を進めたらどうか、ということだ。

#とはいえ、満員電車による通勤は日本独特の状況で、大都市への人口偏在を改善しないことには解決が難しいのだが。これはフレックスタイムの充実で対応可能だろう。  
Posted by buu2 at 16:14Comments(0)ニュース

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2018年07月08日

ふるさと納税を利用して爆発的に税収を増やす方法

こんなニュースを見かけた。

ふるさと納税「国に反逆」12自治体を初公表…泉佐野市など、豪華返礼品抑制せず
https://www.zeiri4.com/c_1076/n_518/

ふるさと納税はもともとがクソな法律なのだが、そのクソっぷりを利用すると税収が青天井になってもおかしくないやり方がある。

実はすでにある自治体に提案したことがあるのだが、「国に目をつけられて交付税をなくされたらやっていけないので、実現できない」と言われてしまった。法律を作る側が馬鹿だとこういう手もあるよ、という意味で公開しておく。

まず、自治体(便宜上A市とする)は地域振興券を発行する。これはA市内でのみ利用可能な振興券である。簡単に言えば、A市限定の通貨である。

次に、「高齢者向けのサービス」という名目で、「Amazonで代理購入する会社」をA市内に立ち上げる(便宜上B社とする)。

そして、ふるさと納税の返礼品としてA市の地域振興券を配るのである。今は、こういった擬似通貨の配布は通達で禁止されているようだが、数年前までは可能だったし、今も国に反逆するなら可能だろう。

全国の納税者は、A市にふるさと納税して、返礼品としてA市内で利用できる振興券を受け取る。割合は何%でも良いが、例えば納税額の30%としよう。そして、その振興券を使って、B社に発注するのである。買い物はAmazonの商品から選ぶ。

B社はAmazonでの代理購入手数料として定価の10%程度を受け取る。B社が用意すべきはカスタマーセンターで、倉庫等は必要ない。Amazonで何か買いたいと思っている人なら、どんどんA市に納税して、戻ってきた30%で買い物をすれば良い。B社の手数料が10%なら、地方税が実質的に27%割引になるわけだ。

これが実現したら、夕張市であってもV字回復するだろう。ふるさと納税はじゃんじゃん増えるし、B社の所得税も期待できるし、雇用も爆発的に増えるだろう。必要なのは、市長の覚悟である。

#ただ、ふるさと納税制度がなくなったら、A市もB社も終了だけどね。一定の企業規模になってしまえば、「何言ってるんだ、クソな法律作ったお前たちが悪いんだろう。今更法改正したら、雇用はどうなる。仕事を失う人間の面倒は誰が見るんだ」という話になると予想。どこかの貧乏自治体、やらないかな。協力するけど。  
Posted by buu2 at 01:01Comments(2)ニュース

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2018年06月24日

太田啓子弁護士の主張と長谷川豊の主張の相同性

太田啓子弁護士が、下記の記事で誘拐肯定映画の放送について解説しているのだが、

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る
http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

この記事を読んで、すぐに僕が感じたことはこれである。




太田氏の主張のどこが受け入れにくいかといえば、この部分に尽きる。

『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。


殺人は悪いことと共通認識があるが、誘拐はそうではない、という感覚はあくまでも太田氏個人のもので、万人に共通とは思えない。それを以って「決定的」と言ってしまうところ、理解に苦しむ。殺人を悪いと思っていない人もいるだろうし、それ以上に誘拐が悪いことだと感じている人は非常に多いはずだ。くだんの、朝霞市の誘拐だって、犯人は社会に隠れて誘拐、監禁していたわけで、自分が悪いことをやっている、社会から容認されないことをやっているという自覚はあったはずだ。

なお、これは余談だが、僕は朝霞の事件では朝霞市立第三中学校と誘拐現場(朝霞市三原)のすぐそばにずっと住んでいて(朝霞市東弁財)、事件の始まりから終わりまで、すごく身近な事件として受け止めていた。結果的には、誘拐までのすべてのことが当時の僕の14階の自宅から一望できる場所で起きたことだった。

誘拐が悪いことと認識しない人がいるというなら、窃盗はどうなのか、万引きはどうなのか、大麻はどうなのか、未成年者の喫煙はどうなのか、違法駐車はどうなのかといった具合にグレーなことは山ほど出てくる。太田氏はわかりやすくするつもりで殺人や強盗を例に出したつもりかもしれないが、極端な例を出すことで正当性を担保することはできない。

また、犯罪を肯定的に描いた名作も、過去にはある。「スティング」(詐欺)などは代表例だが、「ゴッドファーザー」(殺人を中心になんでもあり)シリーズにとどまらず、北野武監督や園子温監督などの作品にも、必ずしも絶対悪として殺人を描いていないものがいくつも存在する。監督という切り口をはずせば「白夜行」(小説、映画、ドラマ)なども例としてあげられるし、逆に誘拐に限定したとしても、名作かどうかはともかく、「コレクター」とか、「完全なる飼育」などの作品がある。最近なら「八日目の蝉」という、映画のみならずNHKでドラマ化された作品も存在する。こうした反例として、破壊屋さんはこんな例を挙げている。




何が良くて、何が悪いのか、判断は「個人の感覚」に立脚する。一つをダメとすれば、「じゃぁ、これは?」「あれはどうなの?」という疑問が次から次へと湧いてくる。

また、この手の議論では時々「被害者が見たらどう思うか」という主張が見られるのだが、それを言うなら交通事故の被害者は事故のシーンを見たくないだろうし、小売店を経営している人は万引きのシーンを見たくないだろうし、薬物中毒者も、家族に自殺者がいる人も、見たくない場面はあるはずだ。

ざっとまとめてみると、次のような項目について、「それって、個人の感覚だよね」という部分がある。

◯その犯罪が、どの程度「悪いこと」として社会に認識されているか
◯どの犯罪までが作品の表現として許されて、どこからが許されないのか
◯作品の中で、犯罪をどう表現すれば良いのか、どう描けば肯定的で、どう描けば否定的なのか
◯描かれている犯罪を見る側がどう受け止めるか

これらは、全て心理主義による判断に委ねられてしまう。それゆえ、太田氏の主張をすんなりと受け入れることができないのだ。そして、その心理主義的な判断による規制の正当化は、2年前に長谷川豊という馬鹿が展開した論法と同じ危険性を孕んでいる。詳細はこちらを見てもらうと良いのだが、

長谷川豊というキチガイ
http://buu.blog.jp/archives/51532632.html

僕の主張の要点は、「どこからどこまでが個人の責任と断定できないことについて、全て個人の責任と断定することは不当である」ということだ。長谷川豊は「そのまま殺せ」とまで表現したのでキチガイ認定したのだが、境界が不鮮明なところに個人の感覚で線を引くという点では、長谷川豊と今回の太田氏の主張は同質である。

太田氏の主張が正当かどうか判断しようと思うなら、太田氏が記事の中で書いている「法律を作れと言っているのではない」をあえて想定し、立法化を考えてみると良い。「文芸作品、映像作品などで誘拐を肯定的に描いてはいけない」と法規制するとどうなるのか。誘拐とは何か、肯定的とは何か、誘拐はダメで殺人や大麻吸引は良いのか、そもそもなぜダメなのか、色々な疑問が生じてくる。

僕は理化学研究所の組織規程を作ったり、あるいは経産省の役人として法律を作る立場にいたことがあるのだが、その時にもっとも重視したことは、「誰が読んでも同じ受け止め方をする書き方、内容にする必要がある」という点である。今回の太田氏の主張は、様々な疑問に一切答えず、「私が不愉快だから、ダメなものはダメ」と言っているように感じられるのである。

その上で、太田氏は法制化を主張していない点を長所として書いているのだが、

私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが


このように法制化を避けて、現場の判断に丸投げする姿勢は僕は支持しない。こういう姿勢の典型例が日本での喫煙規制で、明確な規制がないことによって、目に見えない「マナー」「常識」の問題に帰着されてしまい、現場にコンフリクトを発生させている。実際、このブログで何度も書いているのだが、僕は三菱総研時代、禁煙の執務室での喫煙の容認を許容できず、転職するに至った(1996ー1998年ごろ)。現在の飲食店でも、時々隣のテーブルの客から「タバコを吸っても良いですか?」と聞かれて微妙な空気になることがある。現場での衝突を生まないように、わかりやすく法規制するのが一番正しいのである。そして、法規制が違憲だというなら、そもそもその圧力が筋悪ということになる。

放送したことによって放送局を批判したり、作品を批評することは一向に構わないと思うのだが、放送前に、放送の是非について視聴者サイドが「これはダメ」「これはオッケー」と意見を言って圧力をかけることには、大きな違和感を持つ。

なお、僕は太田啓子という弁護士のこれまでの主張、情報発信、活動、略歴等について何も知らない。  
Posted by buu2 at 15:03Comments(0)ニュース

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2018年06月09日

先に立つもののありよう

5歳児を虐待して殺したというニュースを読んだ。

5歳女児死亡、“保護責任者遺棄致死”で両親逮捕
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180606-00000041-jnn-soci

このニュースを読んで、思ったことが二つ。

一つ目は、日本の児童保護の遅れについてである。米国だと、次のようなことは犯罪になる可能性が高い。

ーーーー
子供だけで留守番をさせる。
子供だけで外出させる。
車内に子供を残す。
子供の頭を小突く。
嫌がる児童と一緒に入浴する。
子供を怒鳴る。
乳児の入浴写真を公開する。
スクールバスを追い越す。
ーーーー
出典:米国での生活上の注意事項(在ナッシュビル日本国総領事館)など
http://www.nashville.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/americaseikatsutyuijikou.html

日本人の感覚からすると、そんなことまで規制されているのか、とか、子供だけで外出できないなら、誰が面倒を見るんだ、という感じだと思うのだが、米国の映画で、小学生の子供を学校まで送り迎えする場面を見たことがある人も多いと思う。こういうシーンは何気なく観てしまって、心にも留めていない人が多そうだが、米国では子供を保護するのは当たり前で、たとえ親であっても虐待は許されない。冒頭で紹介したような事件は、かなり早期の段階で対応できた可能性が高い。

子供を保護するためには、当然親の負担が大きくなる。日本の雇用形態で、両親共働きの場合は、子育てなど無理と感じるかもしれない。米国と同じように子供を保護するためには、社会全体で覚悟をもって考えなくてはならないのである。果たして、日本社会にそういった覚悟があるのか。「情報共有がうまくいかなかったのが悪い」「児童相談所が悪い」「役所が悪い」などと、他人任せにしようとしているのではないか。

やってやれないことはないのだ。米国で暮らしている日本人はみんなやっている。そういう覚悟があるのか、どこかの誰かがちょっと労力を割いてくれれば解決すると安易に考えていやしないか。日本人はもっと子供を守る意識を高めた方が良い。子供は選挙権を持っていないし、自分で法律を作ることもできない。彼らの権利を守り、安全を確保してやるのは大人の役割である。児童相談所が適切に対応できないでいるのは、その活動を担保する法律がないからだろう。国はさっさとそういう法律を整備した方が良い。

もう一つは、子供との向き合い方だ。子供は親を選ぶことができない。時々、老後の面倒を見てもらうために子供を作るという話を聞くが、子供は親の奴隷ではないから、老後の面倒などとんでもない押し付けである。もちろん、子供が自主的に親の面倒を見るのは構わないが、親の面倒を見ない子供がとんでもないと考えるなら、それは間違っていると思う。親から受けた親切は、次の世代に返せば良い。100%親のエゴで子供を生んでいるのだから、面倒を見る義務を押し付けるのはお門違いである。

そして、親は、子供に対して義務の代わりに、一つでも多くの「可能性」を与えるべきだ。

今の日本は、その可能性がどんどん狭まっている。経済的に成長しきった社会は少子高齢化になる傾向が顕著だと思うのだが、その原因は、一つには成熟した社会の可能性のなさにあると思う。僕の場合、子供が米国籍を持つことができるということだけで、子供を作っても良いと考えた。米国も成長した社会だが、実際にそこで暮らしてみると、日本よりもはるかに自由で、機会があり、可能性と希望がある社会である。この国ではたくさんの子供が生まれ、育っているが、可能性という切り口では日本とは雲泥の差がある。

親は、子供を作る以上、少しでも大きな可能性を子供に与えてあげるべきだと思う。しかし、冒頭の記事の親は、逆にその可能性をどんどん摘んでしまい、挙句には完全に奪ってしまった。亡くなった子供には気の毒以外に言葉がないのだが、こうしたニュースを知るに当たって、すべての親が、子供に対して、あるいは、上司が部下に、先生が生徒に、監督が選手に、先輩が後輩に、あらゆる場面で、先に立つものは、後からくる人間の可能性を広げているか、むしろそれを狭めていないか、考えて欲しいと思う。

日本サッカー協会の会長、日大アメリカンフットボール部の監督、安倍晋三や佐川宣寿、こういった、あとからくる人間たちの可能性を狭める人間にはなりたくない。  
Posted by buu2 at 12:43Comments(0)ニュース

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2018年05月22日

恥ずかしい人間、内田正人と、恥ずかしい大学、日本大学(安倍晋三そっくり)

スポーツにとどまらず、たとえば勉強や音楽でも同じだが、人間は自分が好きでやっているときに一番上達すると思う。その点で、アメフトを楽しんで、日本代表にまでなるほどだった選手に、「楽しくない」「続けたくない」と感じさせるような監督の手腕が評価されているのはおかしくないか?この監督のもとで日本一になれるチームなら、他の監督ならもっと上を目指せそうだ。

内田正人という前監督は、有能か、無能か以前に、醜悪である。問題が起きてもなかなか表に出てこず、自分の言葉で語らない。コーチや大学当局と相談して、裏で自己保身のための小細工をする。責任を取ると言いつつ、「監督をやめれば良いんでしょ」という、不誠実な態度に終始している。そして、大学の役職について問われれば「それは別の話」とはぐらかす。これは、今の内閣総理大臣の安倍晋三のやり方にそっくりである。もっと言えば、鉄砲玉を敵対組織に突入させる暴力団の親分や、ゼロ戦で特攻させる旧日本軍の上層部の態度と同じだ。

百歩譲って監督の話が本当だったとしても、一度目のタックルで交代させるべきだったのにそれをしなかった罪は大きい。

安倍晋三絡みでも、少なくない人間が告発サイドにまわった。彼らは最初から安倍晋三の敵だったわけではない。蜥蜴のしっぽ切りよろしく、自分を切り捨てていく姿を見て「冗談じゃない」と考えたのだろう。

今回の問題も同じで、タックルをした学生が謝罪会見を開いて、監督、コーチ、大学を告発した。じゃぁ、彼はそれをやりたくてやったのか。もちろん違うはずだ。事実を捻じ曲げて、逃げ回り、自分に責任を押し付けようとする大人たちを見て、「私の責任はこれ」と線引きせざるを得なくなったのだろう。

まだまだ将来がある、タックルをした選手と、タックルを受けた選手を尻目に、逃げ回り、自己正当化に走っている姿は滑稽ですらある。特に、タックルをせざるを得なかった選手の態度とは対照的である。

また、その内田正人と一緒になって事態を悪化させている日大も情けない。大学が一番守らなくてはならない人間は、最も弱い立場の、タックルせざるを得なかった学生である。しかし、実際に彼らが守っているのは一番権力者に近い内田正人である。卒業生や在学生はどうしようもないだろうが、来年以降大学を受験する人たちはこの姿を良く覚えておいた方が良い。こんな大学でまともな勉強ができるのか、良く考えた方が良い。幸いにして、大学は他にも山ほどある。  
Posted by buu2 at 09:29Comments(0)ニュース

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2018年05月18日

スポーツ界いろいろ雑感

テニス
錦織が調子を戻して来たのは良いニュース。ジョコビッチやナダルに負けるのは仕方ない。あとは怪我が心配。
大坂なおみはメンタルにムラがあって、成績の波が激しい。それが魅力でもあり、欠点でもある。今年はDCのシティ・オープンに来て欲しい。

サッカー
ハリルホジッチはサッカー協会を提訴するらしい。ぜひやって欲しい。
西野の選んだ代表はハリルホジッチの代表とほとんど変わりがない。一層、ハリルホジッチをクビにした理由がわからない。西野の方がマシとは思えない。
それにしても、本当に神戸にイニエスタが来るの?スキラッチ以来の衝撃なんだが。楽天は金持ってるなー。三木谷さんが米国からスペインへ向かったのは聞いていた。

アメリカンフットボール
スーパーボウルぐらいしか観ない素人だが、日大の対応、特に内田正人監督の対応は全くいただけない。責任者にも関わらず表に出てこず、責任を他者に押し付けている。こういうの、最悪。

野球
中日は相変わらずパッとしないので、日本の野球にはあまり興味がない。
メジャーは、やっぱり大谷がすごすぎる。ただ、DC界隈の米国人の友人たちの口から大谷、イチローなどの日本人メジャーリーガーの話を聞いたことはない。ほとんど興味がないようだ。大谷がつぎに世界を驚かせるには、左で投げるとか、右で打つとかだろうか。リアル星飛雄馬だな。

相撲
男女差別をするので興味ない。  
Posted by buu2 at 23:39Comments(0)スポーツ

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2018年05月04日

羽生結弦パレードの実行委員会が無能すぎる件

日本人の頭の悪いところが良く出ている記事である(もちろん、すべての日本人が、ではないが)。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00010000-khbv-l04

記事では、羽生結弦のパレードのスタッフジャンパーがネットで高値で落札されていることを問題視しているのだが、実行委員会が「道義的に問題がある」って、バカ丸出しである。経済が活性化して良いことだし、どんな道義に反するのか理解不能だ。

僕からすれば、こんなことを問題視するくらいなら、そもそもボランティアに協力を仰ぐ方がおかしい。ユニフォーム代など、どこかから予算を捻出する余裕はあるのだから、そんなジャンパーなど作らず安価なリボンや腕章を使って、スタッフは有料で雇用しろよ、という話である。ボランティアこそ、何の経済効果も生まず、労働力を搾取している悪行である。ジャンパーなども、「スタッフの記念になるし、自分たちも嬉しいから作ろう」というよこしまな考えが透けて見える。本当にくだらないもので、耐久性も低ければ、例えば紙で作った名刺を既製のフォルダに入れて使うなら、個人名も書かれていて転売の可能性などほとんどないのである。そして、役割は十分に果たすことができる。「感謝の意味」を品物に含めて、その気になっているからこんなことになる。感謝の意味は金で払うのが一番簡単だ。

日本人には、商売や金が汚いものという意識が根強いと感じる。チケットの転売でも同じだが、「楽して儲けるのはけしからん」という考え方なのだろう。しかし、楽して儲かるなら結構なことだ。汗水垂らして働かなくて良いなら、それに越したことはない。「そんなことになったらみんな働かなくなる」なんていうことは杞憂で、誰かがやらなくてはならない、でもみんながやりたくない仕事は給料が上がるだけのことだ。労働者のスキルアップにつながらない、それでいて負荷の高い仕事は高給なのが当たり前で、少なくないケースでそうならないことの背景には、「苦労することは美徳」というマゾヒスティックな思想があるのだろう。

チケットの転売問題の時にはこう書いたのだが、

ネットダフ屋を法規制することの愚と、まずやるべきこと
http://buu.blog.jp/archives/51557746.html

今回のケースも同じで、悪いのは売った人たちではなく、売ることができる状態を作った実行委員会である。自分たちが悪いのに困惑しているって、お前らはどれだけ無能なんだ、という話である。本当に困るなら、スタッフは普通に雇用して、賃金を支払い、ジャンパーは回収すれば良い。

この記事を読んで溜飲を下げている人間たちもずれている。ユニフォームが高く売れて羨ましければ、お前らもボランティアやって、同じように転売すれば良いだろ、という話である。日本人は、少数が幸福になるくらいなら、多数が公平に少しずつ不幸を分け合いましょうと考えがちである。そのおかげで社会全体が少しずつ不幸になってきている。いつまで経ってもUberが本格導入できないなど、海外では当たり前のことがさっぱり実現しない。島国で、外がどうなっているか気がつかないのだろう。

だいたい、ジャンパーが高値で売れて、誰が困るのだ。「誰かが楽して大儲けしている」というのが不満なだけ、ただの嫉妬である。そいつらは、ジャンパーが不要な人が「こんなのいらない」とゴミ箱に捨ててくれれば嬉しいのだろう。

こういう社会主義的な思想がテレビで垂れ流されて、同じような人間が再生産される。外部からの指摘は期待できず、改善の望みもあまりなさそうだ。この風土が肌に合わない人間は、さっさと海外へ逃亡するしかない。  
Posted by buu2 at 21:25Comments(0)ニュース

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2018年02月17日

最低賃金が米国並みにアップすると、日本の社会はどう変わるのか

ヨミドクターにこんな記事が掲載された。

データで見る「共働き社会」…妻にのしかかる家事・育児、夫の年収は減少激しく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180217-00010000-yomidr-soci

「少子高齢化社会の日本においては、共働き社会の構築が大切」という内容で、この内容に異を唱えるつもりはないのだが、共働き社会の構築と非常に相性が悪いのが最近良く耳にする最低賃金のアップである。「え?」と思う人も多いかもしれない。

去年、最低賃金のアップを声高に訴えるデモのニュースを目にした。

「最低賃金、時給1500円なら夢ある」若者らデモ
https://www.asahi.com/articles/ASK4H46FSK4HUTIL00T.html

彼らの主張はもっともなように見える。しかし、この主張は自分たちの首を絞めかねないし、少子高齢化社会の日本にとっては大きなダメージを与えかねない。なぜそうなるのかについてこのブログでは時々書いてきたのだが、もう一度まとめておく。

最低賃金のアップを主張することの落とし穴は、「自分の給料がアップするだけではない」ということだ。世の中の遍く全ての労働者の賃金がアップする。ちょうど米国がそういう社会なので(最低賃金が時給15ドル〜18ドル)、世の中がどう変わるか、参考になるだろう。

最低賃金が上昇するということは、単純労働の単価が上がるということなので、そういった労働に依存するサービスの料金が上昇する。

まず、飲食店のスタッフの人件費が上昇するので、飲食店の価格がアップする。ワシントンDCでは、ラーメン一杯15ドルが相場である。おそらく、吉野家や松屋といったお手軽な定食屋は、料金が倍近くになるか、業態が変わるだろう(自動化、セルフサービス化など)。外食産業は、軒並み価格がアップすると予想される。

次にコンビニなどの24時間営業店である。これらの業態維持も困難になるだろう。今は客が少なくても、スタッフの数を絞ることによってなんとか採算を維持できているようだが、最低賃金がアップすると、負担が大きすぎる。歌舞伎町のど真ん中など、特殊な環境にある店以外は、24時間営業の維持は困難になるだろう。ワシントンDCの郊外だと、24時間営業の店はほとんど存在しない。

今後の日本で影響が大きくなりそうなのが育児のコスト、保育料である。時給1800円として、1日8時間、月に22日働いてもらえば、その費用は単純計算で31万6800円である。時間を半分に減らす努力をしても、月額15万円を超える。ちなみにニューヨークやワシントンDCでの保育料は、子供ひとりあたり月額20万円が相場である。

この他にも、人の手によるサービス業は軒並み価格がアップするだろう。たとえば介護などもその一つである。それらをひとまとめにして表現するなら、「金持ちは面倒なことを他人に任せて楽をして、貧乏人は自分でできることは全部自分でやる社会」である。スーパーで食材を買ってきて自分で調理して、子供がいれば自分でその面倒を見るなら、高コストの影響はない。

また、見逃せないのが、自動化である。人件費が高いなら、可能な限りマンパワーを機械に置き換えてしまおう、という判断があって当たり前である。したがって、最低賃金に近いところでの雇用はどんどん減少していくだろう。

最低賃金をアップさせろという主張そのものに反対する気はないのだが、主張している側に「コンビニがなく、ラーメン一杯1500円が当たり前で、子供を持てば一人当たり月額20万円かかり、老後に向けてきちんと貯蓄しておかなくてはならない社会」のイメージがあるのかはやや疑問なのだ。

そして、もちろん、共働き家庭の家計も直撃することになる。弊社の営業部長の姉がニューヨークで暮らしているのだが、共働きの彼女も「2人いる子供の保育費用で収入のほとんどが消えていく。何のために働いているのかわからない」と嘆いている。子供が2人いる共働き家族では、妻が50万円を稼いでも、保育料で40万円が消える。税金のことを考えると、マイナスになりかねない。それなら働かない方がマシなのだが、仕事をやめてしまうと、復帰したいと思ったときに、仕事が得られる保証がない。

全く別の話だが、先日、「米国の景気が回復したという数値データをもとにして米国の企業が従業員の給与をアップした」というニュースを読んで、「米国はすぐにこうやって反応するのに、日本はなぜベースアップに応じないのだ」というつぶやきをTwitterで見かけた。理由は簡単で、米国は解雇規制が緩いから、経営が難しくなれば解雇すれば対応できるところ、日本ではそれが難しいから、容易にベースアップに応じることができないのである。

物事は複雑に相関しあっていて、一つのところに外力を加えて変化させれば、それに合わせて様々な要素が姿を変えて、全体としてバランスを取る。最低賃金を1.5倍、あるいは2倍に増やすとすれば、その影響は小さくない。幸いにして、米国は一足先にそういう社会を選んでいるので、きちんと米国の現状を観察して、本当にそれで良いのか、きちんと考えておく必要がある。賃金がアップしてから、「賃金が上がったのに、暮らしは全然楽にならず、むしろ不便になった」と言っても、後の祭りである。

最低賃金は現状維持で、と言いたいわけではない。仮に、最低賃金を大きくアップさせた場合、どんな社会になるのか、そのイメージをきちんと持って主張して欲しいと思うし、それを支持するなら、同じように未来図を共有しておいて欲しい。その上での選択なら、それはそれで一つの見識である。  
Posted by buu2 at 13:12Comments(0)ニュース

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2018年02月15日

またもや銃の乱射事件

フロリダの学校で銃が乱射され、20人近い犠牲者が出たらしい。

米フロリダ州の高校で元生徒が銃乱射、17人死亡
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180215-00000032-reut-n_ame

NBCは朝からこの事件を取り上げて、何度もスマホで撮ったと思われる銃撃時の動画を放映しているし、討論番組も放映されている。声を出す人間たちの多くは銃の規制を呼びかけているが、政治家たちは動かない。

食文化と銃については、米国の周回遅れっぷりは凄まじいものがある。「危険なところに行かなければ良い」のは確かだし、人が大勢集まる場所はどこでも金属探知機による持ち物検査が行われているのだが、それにしても、もうちょっとなんとかならないものだろうか。  
Posted by buu2 at 22:47Comments(0)ニュース

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2018年02月08日

岡山県のバス事業に関して両備グループの対応が異常に気持ち悪い件

こんな記事が掲載された。

赤字31路線を一斉廃止へ バス会社、規制緩和に抗議
https://www.asahi.com/articles/ASL285SDXL28PTIL02B.html

非常に気持ちの悪い内容なのだが、日本ではそういう感覚では受け取られないのかもしれない。記事の概要は、『岡山県のバスの黒字路線に他社が参入申請をして、それを国が認可する方向で検討していたら、既存業者が「それなら赤字路線は廃止する」と表明した』というものである。

何が気持ち悪いって、両備グループという既存業者のやり口である。過疎地の住民の生活を人質にして、国に圧力をかけるというやり方がえげつない。規制緩和は当然の話で、市場性が高いなら、新規事業者はどんどん参入してくるべきだ。そして、そこへ客が取られそうになって、過疎地での事業継続が難しくなるなら、事業体がやるべきことは国への働きかけではなく、市場、すなわち利用者への働きかけである。「私たちの会社は、岡山県の多くの住民の生活を支えてきました。今後も、事業を継続できるように、割高ではあっても、当社のバスを利用してください」と主張するのであれば、何の違和感もない。向かう方向が国という点が気持ち悪い。これは、僕が経産省という規制緩和を旗印にしている役所で働いていたことや、自由主義社会の米国での暮らしが快適で仕方ないことにも起因しているのかもしれない。何しろ、交渉の行き先が国というのが筋悪である。おそらく、市場を信頼していないのだろう。「そんな主張をしても、結局安いバスを使うに違いない」と感じているのだと思う。

#実際、その可能性は小さくないと思うが。

このブログでは良く言及するのだが、シェイク・シャックというハンバーガー・チェーンが米国では人気である。ところが、シェイク・シャックのハンバーガーは、マクドとそう大差ない、大してうまくないハンバーガーを提供している。なぜ客がマクドではなくシェイク・シャックを選ぶのかと聞くと、「会社の雇用条件がとても良くて、社会に貢献しているから」という答えが返ってくる。市場が、会社の姿勢を評価しているのである。一方で、日本でもうまくもないシェイク・シャックに行列しているけれど、その理由は「米国ではやっているから」だろう。聞いてないけど。こうした点が、日米の社会の成熟度の差である。

こういう記事を読んで、「規制は緩和すべきではない」と考える人がいれば、いかにも村社会の人間という印象を持たざるを得ない。既得権者が優遇されて、新陳代謝のない社会には沈滞しかないし、お先は真っ暗なのだが、気がつかないのかも知れない。

#どうしても立ち行かないのであれば、公営化するという手もあるが、それはそれで時代に逆行している。ともあれ、多くの場面で、国の関与を減らしていくことが重要である。なぜなら、国の判断、あるいは官僚の判断は間違いが多いし、その上で間違いの責任を誰も取らないからである。

じゃぁ、岡山の交通事業に関して国交省の姿勢に全く問題がないかといえば、そんなこともない。タクシー業界の反対に屈してUberの参入の障壁になっているあたりは、ダブルスタンダードに感じられる。規制を緩和するなら、部分的ではなく一斉に緩和しないと、市場に歪みが生じる。って、これも、国に判断を任せた結果なのだが。

こういう話において僕のスタンスはマイノリティなので、日本が嫌になって今は米国で暮らしているのだけれど。

なお、冒頭の記事につけた僕のブコメはこれ。
規制緩和も、赤字路線廃止も、全部正しい。低料金業者の参入を認めないのは単に社会主義。対応して両備グループが撤退するのも当然。書き足りないからブログに書いた。
  
Posted by buu2 at 11:44Comments(13)ニュース

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2018年01月24日

京大iPS研の論文不正に関する雑感

京大iPS研で論文不正が発覚した。

京大iPS細胞研究所で論文のねつ造や改ざん
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180122/k10011297591000.html

この件について、一部では「任期制の弊害」といった意見があるようだが、全く賛同できない。任期制の職業の代表例としてプロ野球選手やプロサッカー選手を挙げることができるのだが、彼らが八百長をしたところで、「任期制だからやった」などという擁護論が出てきた記憶はない。学者にだけ、こういう擁護論が出てくるのは奇妙である。

大体、学者という職業は、日本では税金に頼りきっている職業で、それにも関わらず、納税者に対する情報公開意識や説明責任感が希薄である。先日、NIHで行われた講演で、日本人の聴衆から演者の研究者に対して「米国の研究者は納税者に対する説明責任を強く意識しているが、それは何に起因するのか」という主旨の質問があって、それに対して「身の回りの一般の人たちから常にプレッシャーを受けている」という内容の返答をしていた。研究者に限らず、公務員でも、議員でも、税金で暮らしている人間に対して、米国民が日常的に与えるプレッシャーは非常に大きい。最近はどうか知らないが、少なくとも僕が日本にいて、公務員や準公務員として働いていた時に、僕に対しても、僕の周囲の同僚に対しても、この種のプレッシャーを感じたことは一度もなかった。要すれば、ぬるま湯なのだ。

「職が安定しないから不正を働いた」などの擁護論は論外である。日本の研究環境が嫌なら海外に出て行けば良い。

また、山中さんの辞職について「日本にとって損失だからやめないで欲しい」という意見も目にしたのだが、これもまた論外である。辞めるべきか、辞めないべきか、それは過去の実績とは何の関係もない。自身がトップを務める組織の中での研究不正を防げなかった責任は、少なからずあるだろう。その評価は、実績とは切り離すべきだ。極端な話、ノーベル賞受賞者なら飲酒運転や窃盗が許されるのか、ということである。もちろん、辞めろ、というのではない。事実を整理した上で、発生した不正に見合った責任の取り方をして欲しいということである。

山中さんの良いところは、寄付による研究費の確保に熱心なところで、税金に頼りっきりの日本人の感覚では「ノーベル賞受賞者にあんな乞食みたいなことをさせて情けない」ということかも知れないのだが、米国の考え方では標準である。国に頼る方が、政治家や納税者に借りを作ってしまうし、国の財政状況にも影響を受けるので、リスクが増大する。iPS研の場合は研究資金の多くを寄付に頼っているので、まずは寄付をした人たちに対する説明をしっかりする必要がある。とはいえ、今回の研究も多少なりとも税金に頼っているところはあるので、そちらの説明責任もきちんと果たすべきだ。

一番悪いのは不正を行った研究者であって、その立場の不安定さを理由にして擁護するなどはお話にならない。何より、そういう立場で、不正をせずに努力している他のたくさんの研究者に対して失礼である。そして、次に悪いのは、直属の上司だ。所長レベルに実験ノートのチェックまで任せるわけにはいかないが、研究リーダーにはもちろんその責任がある。iPS研の体制は知らないが、所長>ダイレクター>リーダー>研究者ぐらいのヒエラルキーによる管理体制はあるはずで、これらのライン上の直属・直上の上司が無能だったと言わざるを得ない。所長ともなれば、研究ノートのチェックではなく、金を集めて、研究者に研究しやすい環境を提供するのが主たる役割だろう。

不正を行った研究者は倫理観が欠如しているし、それを見抜けなかった研究リーダーはリーダーとして無能だったということで、環境がどうのこうのと言い出して擁護するのは間違いである。

#擁護するのは大抵研究のことなんか全然わかっていないど素人か、税金からお金を恵んでもらいたい無能な研究者たちなんだけれど。

馬鹿その1 位田隆一・滋賀大学長
有期雇用のため、短期間で業績を上げないと任期を延長してもらえない恐れがあるなど焦りを生む研究環境も影響しているのではないか。

出典:京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180122-00000057-kyt-sctch


馬鹿その2 落語家 立川志らく
山中教授がもしお辞めになったとしたら、iPS細胞の研究は本当に白紙に戻りかねないし、人類の損失になりますから

出典:livedoor NEWS
立川志らく iPS論文の不正で山中伸弥氏が辞任になれば「人類の損失」
http://news.livedoor.com/article/detail/14202292/


馬鹿その3 産経新聞
成果に過度にとらわれる風潮が大学や研究機関に蔓延(まんえん)し、研究者の良心を歪(ゆが)めている

研究不正の根を絶つため、そして日本の科学研究が低落傾向から脱するためにも、国は本腰を入れて「行き過ぎた成果主義」の是正に取り組むべき

出典:産経ニュース
iPS論文不正 山中伸弥氏の「一心」を失ってはならない
http://www.sankei.com/column/news/180124/clm1801240002-n1.html


馬鹿その4 尾木直樹
任期付き雇用で早く成果を出さないと任期の延長をしてもらえないからだと言われています

iPS細胞研究なんて大切な分野には、国が全額ふんだんにお金投入すべきではないでしょうか?

出典:オギブロ 尾木ママオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/oginaoki/entry-12346859542.html

これは余談だが、このブログでいつも叩いている榎木英介氏についても「どうせいつものようにバカを晒しているのだろう」とタカをくくって見に行ってみたら、どういうわけか、今回はまともな意見に終始していた。

超まとも 榎木英介
こうした状況が研究不正を起こす背景になっているのか…憶測で語るのはやめたい。

山水氏を擁護する気はさらさらない

出典:iPS細胞研究も特別ではない〜科学を蝕む研究不正
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20180122-00080760/

ともあれ、何かあると、すぐに我田引水して自分に都合の良いように解釈する奴らには要注意である。あと、これも何度も書いているけれど、研究は誰かが無理やりやらせているのではない。研究者が、好きでやっているのだ。研究不正をしなくちゃならない状態に追い詰められたなら、不正をする前に転職してもらった方が、周囲に迷惑をかけずにすむ。好きなことをやりたい、でも、思うようにならないから、人を騙す、というのは、ただの自分勝手である。  
Posted by buu2 at 15:28Comments(0)バイオ

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2018年01月09日

成人式ってそんなに大事なの?

僕は、自分の成人式の日は妙高高原赤倉温泉でスキーをしていた。

理由は簡単で、その日はインカレのスキー大会が開催されていて、僕は選手だったので、スキーをしていたのである。尊敬するかもい岳レーシングの斉藤博さんは、「スキー選手にはクリスマスも正月もない」と名言を語ったものだが、僕たちにはもちろん成人式もなかった。

ちなみに、妙高高原はインカレ中の成人式が毎年のことでもあり(今はインカレはあちこち場所を変えているのだが、当時はずっと赤倉で開催されていた)、気を利かせて体育館で成人式をやっていたようだが、大会で疲れていたので参加せず、後輩に頼んで(僕は2年生だった)記念品の湯呑みをもらってきてもらった。その湯呑みもどうなったのかはわからず、かように、成人式は僕にとっては本当にどうでも良いものだった。

ちなみに、僕は「自分の意思で地元の成人式に行かなかった」のだが、一つ下の代の後輩で、一浪して入学していた部員たち(僕は現役だったので、年齢は同じ)は、インカレの雑用係でかり出されていて、彼らは地元の成人式に行きたかったのかもしれないのだが、強制的にスキー場へ連れて行かれていた。

僕は成人式には爪の先ほども思い入れがなかったのだが、それから30年以上経っても、相変わらず多くの日本人にとっては成人式って大事なのだろうか。

#予定をいれていたら当日になって振り袖レンタル会社が倒産してばっくれちゃって、おかげで振り袖を着ることができなかった、というのは当然気の毒なんだけれど。

18歳を成人にすると成人式が入試直前になって大変、なんて話もあるようだけど、それなら高校の卒業式で十分じゃない?高校進学してない人は例外になるかもだけど。

そもそも、18歳なり、20歳なりになるタイミングは誕生日によって違うので、みんな揃って着飾るというイベントの意味が良くわからない。20歳(あるいは18歳)の誕生日に着飾って、仲の良い友達に祝ってもらえば良いんじゃないの?

興味がないので良く知らないけど、成人式なんて、大方、金のない時代に「まとめてお祝いしようぜ」ぐらいのトーンで始めたことでしょう?やめちゃった方が、税金も節約できるよ。

行く人がどんどん減ってくれば、「もうやめようぜ」ということになるのかな。まぁ、成人式があっても別にすげぇ困るわけではないんだけれど。多分、成人式がなくなって一番困るのは、成人式で暴れようと計画していたヤンキーたちじゃないのかな。  
Posted by buu2 at 23:18Comments(0)ニュース

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2017年12月09日

ネットダフ屋を法規制することの愚と、まずやるべきこと

ネットのダフ屋を法規制しようという動きがあるようだが、

http://www.asahi.com/articles/ASKD574R6KD5UCVL028.html

こういうのを「頭が悪い」という。安く買って高く売るのはほとんどの商売の基本で、これが違法となるなら商社も、株屋も、不動産屋も、いろんな商売が違法になる。では、なぜチケットだけがダメなのか、という論理的根拠が必要なのだが、これが見当たらない。感情論で「気分が悪いから」で立法するのが、一番筋悪である。

「主催者側が転売を禁止しているからダメなんだ」という意見もありそうだが、そもそもこんな禁止が売買契約上意味があるのか、という問題がある。主催者という、消費者にとって有利な地位にあるものが、消費者に対して不当な条件を提示しているように見えるのだ。

では、チケットを大量に買い占めて、それを高額で転売するのが正しいのか、となるのだが、もちろんこれは社会的には正しくない。どうしたら良いか。バカはすぐに「法律で」となるのだが、お上頼みの日本人の悪い癖で、これをやっているから、いつまで経っても役人や政治家に頭が上がらず、彼らのやりたい放題になるのだ。法規制、役人頼み、政治家頼みは、最後の最後に考えるべきことで、極力避けるべきだ。そもそも、主催者側は手を尽くしているのか、やるべきことを全部やり尽くして、それでもダメで途方に暮れているのか、違うでしょ?と言いたい。

ここでちょっと米国のチケット事情を書いておく。2点、日本のマーケットとは大きく異なっているのだ。まず、チケットは条件によって細かく価格設定されていて、良い席と悪い席では10倍以上も価格が異なっていることがある。例えば今年の全米オープンテニスだと、最後列は8000円程度、最前列だと40万円ぐらいだったと思う。

S席とA席の2種類しかなく、東京国際フォーラムの最前列中央と40列端っこで同じ価格ということは、日本では普通でも、米国ではあり得ない。まず、この「価値の全く異なるものを同一価格で販売していること」が、大問題なのだ。

もうひとつ、日本と米国の違いは、米国では、かなり近くなっても、チケットの払い戻しが認められていることである。チケットに限らず、電化製品でも、食品でも、米国ではほとんどの品物でリファンドが認められている。今年のハロウィンのとき、常温保存可能なケーキを買って、家で保管していたら、一週間ほど経ってカビが生えてきたので、スーパーに持って行ったら、あっけなく払い戻しに応じてくれた。こういうリファンドのリスクも込みでの価格設定なので、日本の市場と簡単に比較することはできないのだが、チケットの販売主体がリファンドに応じるか、応じないかは、日米の大きな違いである。そして、リファンドが可能なら、二次マーケットなど不要なのだ。

だから、少なくとも僕は、米国の興行ではダフ屋など見たことがない。チケットが欲しければ、当日だってなんだって購入できるのだ。どうしても見たければ早めに対応すれば良いし、良い席で見たければお金を出せば良い。

米国は日本と比較して格差が大きい社会だが、貧乏人を排除することはしない。貧乏人でも飛行機に乗れるし、ディズニーランドにも行ける。ただし、ローコストキャリアは5時間も離陸が遅れることがあるし、ディズニーランドの人気アトラクションにも、金持ちはすぐに乗れるのに、貧乏人は長時間並ぶ必要がある。貧乏人は、参加はできるけれど、金持ちほど快適ではないのである。でも、それは当然だと僕は思う。

日本の興行主体は、まず、米国を見習って、価格設定の見直しと、リファンドに応じる姿勢を見せるべきである。これをせずに法規制を論じるのは時期尚早だし、生活者も、笑顔でこの提案に同意している政治家を支持するべきでもないのだ。

なぜダフ屋が存在し得るのか、そこをちゃんと考えた方が良い。最前列中央の席が20万円なら、ダフ屋だってそうそう儲けることはできなくなるし、リスクが大きくて手を出しづらくなる。貧乏人だって、3階の端っこの席なら、コンサートに参加することができる。もっと良い席で見たいなら、頑張って稼げば良いだけのことだ。

なお、僕は2002年のW杯決勝を最前列ほぼ中央で観戦したのだが、その時のチケット代は84000円だった。これが12000円なら、そりゃ、ダフ屋も大量発生するよね、ということである。

なお、過去にも同じようなことを書いているので、暇ならそちらもどうぞ。

コンサートプロモーターズ協会の石川篤総務委員(ディスクガレージ常務取締役)という以下略
http://buu.blog.jp/archives/51534385.html

コンサートとかのダフ屋対策について
http://buu.blog.jp/archives/51175699.html  
Posted by buu2 at 13:19Comments(0)ニュース

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2017年10月27日

髪の毛の色なんてなんでも良いんじゃないの?

日本人の多くは、他のみんなと同じだと安心する。自分が安心するだけでなく、他者にも同じであることを強制する。今日はこんなニュースを見かけた。

「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴
http://www.asahi.com/articles/ASKBS6D22KBSPTIL024.html
訴状によると、生徒の母親は2015年4月の入学時、生徒の髪が生まれつき茶色いことを学校側に説明。黒染めを強要しないよう求めた。しかし教諭らは、染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導した。「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」とも述べたという。


染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導した。」というだけで禅問答のようだ。

米国だと、髪の毛の色なんて本当に色々だから、そもそも誰も気にしてない。赤くても青くてもお構いなし。肌の色だって色々だし。

髪の毛の色を染めているのは不良だけ、みたいなイメージがあるから、髪の色を黒くさせたいのかもしれないが、本質は髪の色が黒いか、黒くないかではない。髪の色は目印に過ぎない。そこを無視して、色が黒いか黒くないかに注目し、自分の思う「理想」に矯正しようとするようだ。

これは、大人でも同様で、刺青も同じ。米国にいれば、みんな刺青をしているので全く気にならない。変なデザインの刺青は頻繁に目にするけれど、さっと流して気にとめることもない。日本では、刺青はヤクザの専売特許みたいなところがあるから、刺青があると銭湯にもいけない。だけど、刺青も、みんなが入れ始めれば目印としては機能しなくなる。悪いのは一般人にまで迷惑をかけるヤクザであって、刺青ではない。しかし、日本では刺青があるだけで入場を遠慮しなければいけない場所があるので、肩身は狭くなる一方で、改善する兆しはない。むしろ、医師免許のない彫り師を規制する方向にあるようだ。

髪の色を強制するのも、刺青を排除するのも、法的根拠はどうなんだろうな、と思うけれど、それを良しとしても、生まれつき茶髪の人間の髪を黒く染めさせるのは全く謎である。その延長で、

「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」

なんてことも言っているようで、つまり、髪を染めるのが悪いのではなく、黒くないのが問題で、そのためには茶髪の人間は黒く染めなくてはならないらしい。生まれつきが正しいのではなく、黒いことが正しいというのだ。そして、これが日本の公立高校の話だというのだから驚くよりない。こんな学校に通っていて、まともな人間が育つのだろうか。

とりあえず、今後の裁判の行方に注目したい。  
Posted by buu2 at 16:34Comments(0)ニュース

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2017年09月24日

福田峰之氏が自民党離党を表明した件

福田さんとは、日の出テレビを一緒にやっていた時からの仲である。当時は、自民党が冬の時代で、彼の周囲には数名の落選議員がいた。彼らを集めて、自民党市議会議員を含め、神奈川県自民党の議員、元議員による「日の出テレビ」を立ち上げていた。

僕は、福田さんと新横浜で実施されていた勉強会に参加していて(講師だったか、賑やかしだったかは失念)、その時に「議員は自分が語りたいことを喋るだけで面白くない。視聴率を上げるために、元木さんのような政治家ではない人間にも参加してほしい」と要望を出され、日の出テレビに参加した。

以後、週一回〜二回の放送を続けたので、そこそこの期間、日の出テレビに参加し、キャスターとしてだけではなく、運営も手伝ったことになる。また、日の出テレビが解散した後も、福田さんは僕の実家の選挙区の政治家なので、その活動を色々見てきた。まず、福田さんの代表的アクティビティだった日の出テレビと、議員としての活動の印象をざっと書いておきたい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(1)日の出テレビ運営会議
月に一度だったか、運営会議が行われていた。この会議できちんと発言していたのは僕と山際大志郎氏(衆議院議員)、山下正人氏(横浜市会議員)の3人で、福田さんは議長的な役割で打ち合わせをハンドリングしていた。

(2)日の出テレビ運営会議参加者
僕は、運営会議は全て出席した。福田さんも、記憶している限りは欠席がなかった。逆に、牧島かれん氏はとうとう一度も顔を合わせた記憶がない。

(3)放送内容
僕以外は、視聴者が何を観たいかには興味がなく、ほぼ全ての出演者が、自分が喋りたいことを喋っていた。

(4)アシスタント
福田さんはずっと女性アシスタントをつけて放送していた。僕もその形式を踏襲したのだが、僕と福田さんの相違点はアシスタントに給料を払ったかどうかである。僕はボランティアという制度が嫌いで、デフレ誘引の一つの原因となると考えていたので、最後までアシスタントに出演料を払い続け、また、帰りが遅くなる場合には家まで車で送り届けた(番組の開始が23時だったりしたので、毎回神奈川県や千葉県の家まで送り届けた。なお、当時の僕の自宅は朝霞市だった)。この辺については、僕の番組の歴代アシスタントたちに聞いてみてもらっても良い。一方で、福田さんは「アシスタントはボランティア」という立場で、給料は支払っていなかったようだ。

(5)当選後
民主党が自滅して、自民党が勢いを取り戻したため、日の出テレビに参加していた自民党の落選議員たちは軒並み当選して議員に復職した。忙しくなってテレビ運営どころではなくなり、日の出テレビは解散した。この時の会議の様子は全部記録してあるのだが、私的な会議なので議事録の公開は避ける。取り立てて問題となるような発言はなく、「続けたいけど続けられない人」と「あまり意味がないので、途中からやる気はなくなっていた人」に分かれていたことが印象的だった。

(6)福田さんについて
個人的な感想を言うなら、「良い人」である。Facebookの記事などを読んでいると、誤字が多く、国語の成績は良くなさそうに感じる。政治的立ち位置はやや不明確で、他の議員たちよりは個性がなく感じられた。たとえば山際氏は小泉進次郎や、入閣前の河野太郎、他党でいえば江田憲司などに近く、山下氏は非常に常識的な人物ではあるものの、いわゆる右翼的な保守思想の持ち主で、根っこのところでは同意できないことが多々あった。例えば山下氏は安倍晋三に最大限の敬語を使っていて、それを指摘すると「一国の総理大臣なので当たり前」と答えていたのだが、それなら民進党や共産党の総理大臣が誕生しても、そういう言葉を使うのだろうかと感じた。福田さんは、そうしたカラーが色濃く感じられなかった。詳しく見ていくと、山際氏ほどではないものの、小泉進次郎や江田憲司に近いカラーだが、良くも悪くも、それが希薄である。結局、今後どんなブレインがつくか次第だろう。

このところ水素社会の確立に注力していたようで、この辺が今後の活動の核になってくるのかもしれない。ただ、水素周辺は水素水のようなトンデモ業者も存在するので、注意が必要だと思う。

(7)離党について
福田さんが離党する前は、彼のFacebookに「自民党の支持率が下落傾向にある今、江田さんに勝つことは難しく、また復活当選も難しいのではないか。落選したら、また一緒に日の出テレビをやりましょうか。ワシントンDCから参加しますよ。ただし、反アベノミクスですが」といった内容のことを書き込もうと思っていた。

神奈川8区は、河野太郎氏の15区ほどではないにしても、江田憲司氏が磐石の選挙戦を見せる選挙区で、神奈川県では河野太郎氏か小泉進次郎氏以外は太刀打ちできないことが予想される。そういった苦しい立場での離党なので、きちんとした説明がないと「復活当選が難しくなったので離党した」と言われるだろう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて、次に、僕が約2ヶ月前に書いたこちらのエントリーを読んでみて欲しい。ちょうど、福田さんにも言及している。

政治家を育てるのは有権者である
http://buu.blog.jp/archives/51550167.html

このエントリーで書いたことは、「政治家は有権者が育てなくてはならない」ということだ。政治家は、最初から有能なことは滅多にない。まず、性格が良くて、人柄が信頼できることが重要で、あとは優秀なブレインを見つけた方が良いのである。そうでないなら、映画俳優が米国大統領になったりはできない。また、最初から有能でも、人柄が悪ければとんでもないことになってしまうのは、豊田真由子議員の例を見れば明らかだろう。少なくとも、福田さんの人柄は問題がないと感じる。

今回、なぜ福田さんが離党という決断を下したのかはまだわからない。まずはそこを聞いてみたいのだが、せっかく離党するなら、僕がずっと主張してきている「労働力の流動化による景気回復」を目指して欲しいと思っている。

参考:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度
http://buu.blog.jp/archives/51550477.html

なお、これは余談だが、このエントリーに登場した江田憲司氏、小泉進次郎氏、山際大志郎氏、福田峰之さん、そして入閣する前の河野太郎氏は、安倍晋三とはかなり距離のある主張の議員なので、さっさと新党を作れば良いのに、と思っていた。  
Posted by buu2 at 13:35Comments(0)ニュース

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2017年09月15日

やっと、有期雇用に無期雇用の背中が見えてきた件

ニュースはこれ。

日本郵便「正社員との待遇差」訴訟、契約社員への手当支払い命じる…東京地裁
https://www.bengo4.com/c_5/c_1234/c_1720/n_6675/

日本郵便の契約社員3人が、正社員に支払われている各種手当が契約社員に支払われないのは労働契約法違反にあたるとして、日本郵便に計738万円の支払いを求めていた訴訟で、東京地裁は9月14日、日本郵便に計約92万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


このニュースを読んでの、僕のつぶやきがこれ。




「リンク先を読め」ということなので、140文字で十分なんだけれど、僕のツイッターを読んでない人もいるからね。最近、「元木は米国に行って変わった」と言われたんだけれど、とんでもない。僕は前からほとんど変化がないよ。多分。

なお、リンク先の記事はこれ。

有期雇用と無期雇用
http://buu.blog.jp/archives/50361562.html

だいたい、有能な人材が無期雇用を目指す時点で日本の社会制度は間違ってるんだよ。  
Posted by buu2 at 11:18Comments(2)ニュース

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2017年07月31日

竹下亘国対委員長がどんな奴か

自民党が閉会中審査への稲田朋美の参考人招致に応じないというニュースを読んだら、

自民 稲田前防衛相の閉会中審査への出席 応じない考え
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170731/k10011081721000.html

竹下亘がこんなことを言っていた。

竹下氏は記者団に対し「稲田氏は辞任という、いちばん重い責任の取り方をしており、辞任した大臣を国会に呼び出すことは、やってはいけない」と述べました。


なんだ、この馬鹿は。これが本当なら、大臣在任中に何をやっても、辞任さえすればオッケーじゃねぇか。国会に呼び出すということは、国民にきちんと説明するということだぞ。ということで、ウィキペディアでこの馬鹿についてちょっと調べてみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹下亘

●日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成。

●ヘイトスピーチの法規制に反対。

●女性宮家の創設に反対。

●選択的夫婦別姓制度の導入に反対。

●2017年3月7日の会見で厚生労働省が今国会に提出を目指す受動喫煙防止策を強化する法案について「たばこ大好き人間としては、全エリアで禁煙にすると言われたら、どうやって生きていけばいいのかという思いだ。できれば法案が出てきてほしくない」と語った(竹下は1日約60本を吸うヘビースモーカー)。


あぁ、こりゃダメだ。最初から最後まで、何一つ同意できるところがない。島根県民って、こんな奴を選ぶ人たちなんだね。  
Posted by buu2 at 21:54Comments(0)ニュース

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自分の選挙区の自民党議員のFacebookに書いてやった

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Posted by buu2 at 13:38Comments(0)ニュース

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2017年07月23日

ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度

先日、「ジョブなのか、キャリアなのか、それが問題だ」というエントリーの中で、ジョブとキャリアを明確に分けないから、日本人はホワイトカラー・イグゼンプションを理解できないと書いたのだが、ちょうど今日、こんな記事を見かけた。

<労働時間実態調査>時間減らしたくても仕事が終わらず
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170722-00000086-mai-soci

これは、ジョブとキャリアを分けて考えていないから出てくるひどい考え方の典型である。日本で言われている「高度プロフェッショナル」(高プロ)というのは、キャリア職の中で、さらに自分の裁量で業務量を調節できる立場の人間である。そして、その高プロ制度の導入に対して、ジョブ職の人間たちが反対を唱えているのである。おかげで、高プロの待遇も、その他のキャリアの待遇も、もちろんジョブの待遇も、ほとんど変わらない。

終身雇用と年功序列ゆえ、日本ではジョブ職として入社して、ジョブ職を続けていても、給料はアップしていく。しかも、クビにもならない。コピーを取り続けるしかできない人材でも、定年まで働き続け、勤続年数に応じて高い給料をもらうことが可能だ。実際にはこんなことを全員がやっていては会社は倒産してしまうので、多くのジョブ人材は、徐々にキャリアカラーの濃い仕事を担当するようになっていく。そのためには長い残業が必要だったり、社内研修が必要になったりする。

日本ではキャリア人材とジョブ人材を十把一絡げにして扱う。終身雇用と年功序列の中で、少しずつその配分が変わっていくようなキャリア・パスを用意する。仕事の性格(ジョブなのか、キャリアなのか)と、それを担当する人間の権利をそれぞれに分けて考えないから、日本の労働環境は全く改善されない。

それでもなお、日本でキャリアとジョブをわけて考えないのはなぜか。それはおそらく労働者サイドの事情による。「あなたは、ジョブを続けている限り、収入は増えません」とされてしまっては、困るのは労働者だ。終身雇用と年功序列は会社にとってよりもむしろ労働者にメリットが大きい。能力が低くても、勤勉な姿勢であればそこそこの人生を送れることは、農耕民族として一億総中流社会を構築してきた日本人にはとても都合が良かったのである。日本が、国内だけで完結していられるならこれでも良かった。しかし、今の世界は鎖国が可能な状態ではない。そうして、年功序列と終身雇用、換言すればキャリアとジョブの明確な分離をしないことによって、さまざまな部分で軋轢を生みつつある。

その最大のものが、同一労働同一賃金が実現しないことだ。ここまで書いてきて初めてこの言葉が登場したのだが、今の日本が絶対に実現しなくてはならないのが、この同一労働同一賃金である。

しかし、同一労働同一賃金は、単独で実現できることではない。終身雇用の解消も、年功序列の解消も、キャリアとジョブの明確な分離も、労働力の流動化も、全てが協調して作用しなくては実現しない。これは非常に簡単な話で、たとえば同一労働同一賃金の会社では、コピーしか取ることのできない社員は、賃金がアップする理由がない。これは、同一労働同一賃金と年功序列が共存し得ないことを意味する。安倍晋三は政府の方針として同一労働同一賃金の実現を単独で掲げているようだが、これは彼が馬鹿であることの証左である。彼は、ことの困難さをさっぱり理解していない。特に、この問題を正規、非正規の問題に落としているところが馬鹿である。(正規、非正規という言葉も法律的にはかなり疑問がある表現で、無期雇用、有期雇用で考えるべきだが)両者は第一にでてくるのではなく、キャリアとジョブの権利を考えるフェイズで登場するべきである。

ここで話を戻すが、日本社会の労働環境は、多岐にわたり、かつ複雑に相関している問題を抱えている。この中でもっとも簡単に実現できそうなのが、ジョブとキャリアの分離である。これは、実は労働者にとってもメリットが大きいし、単独でも考えやすい。

まず、ジョブとキャリアを分離しないことの問題点をはっきりさせておきたいのだが、それは、労働者が、両者を一体化して、その権利を主張してしまうことに尽きる。キャリア人材とジョブ人材は置かれている立場が全く異なるので、求めるものも異なってくるはずだ。ところが、ジョブ人材が求めている権利を、キャリア人材までが享受してしまうから、おかしなことになってくる。

たとえば、ジョブ人材はそのままでは自身のスキルがアップしないので、給料は据え置きになる。その給与で一生を終える可能性もあるので、給与水準は一定の高さが要求されるし、雇用もなるべくたくさん確保される必要がある。つまり、最低賃金のアップや、雇用の維持が、もっとも大切になってくる。場合によってはキャリアアップにつながる勉強も必要になってくるが、それは業務外の時間を当てなくてはならないから、残業もほぼない状態にすべきだ。そもそも、ジョブ職は自身の時間を提供する職なので、残業は時間の不当な搾取となる。かように、ジョブ職は就業環境面で十分に配慮される必要がある。また、仕事の安定性も重要なので、無期雇用についても検討される必要がある。ジョブ職の人間が勉強して他の仕事にキャリア・アップすると、自主的に退職することになるから、ジョブ職に長い雇用期間が割り当てられたとしても、労働市場の硬直化にストレートにつながるわけではない。米国では最低賃金が15〜18ドル(約1650〜2000円程度)と、日本の倍程度だが、それでも労働力が流動的なのは、こういった事情がある。

一方で、キャリア職は、仕事を通じて自身のスキルがアップするので、スキルが低いうちは給料が低くて当たり前だ。勉強する時間もジョブ職ほど必要とされないので、残業があっても大きな問題とはならない。それ以前に、多くの場合、キャリア職は時間で仕事をしないので、時間給という考え方が適用困難で、能力給となる。ただし、初期のキャリア職は、自分の裁量で仕事を調節できることは稀なので、冒頭で紹介した高プロにはほとんどの場合で該当しない。初期のキャリア人材については、残業量などについてきちんと守られる必要はあるだろう。このように、高プロについては、その中で別途いくつかの詳しい条件設定が必要になってくるはずだ。

ともあれ、キャリアとジョブを分割してしまえば、キャリアの待遇を規定する「高度プロフェッショナル制度」について、ジョブ人材が口を出してくることはなくなるだろう。ジョブ人材は、高プロなどよりも最低賃金のアップに向けて権利主張した方が、ずっと生産的だ。

現在は、ジョブ職の人間が賃金アップや雇用の安定といった権利を主張し、その成果をキャリアまでもが享受している。結局、一番得をしているのがキャリア職なのだ。こうした背景から、日本では良い大学に行って、良い会社に入ることが最大のステータスとなっている。そして、そういう立場の人間が、職業の安定と、高賃金という、二兎を得ているのである。社会はハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンとなるべきところ、日本社会はローリスクハイリターンのキャリア職と、ハイリスク・ローリターンのジョブ職に分離している。これがいわゆる「格差拡大」や「格差の固定化」の実態である。

実数的にはおそらくキャリア職の方がジョブ職より少ないので、普通の民主主義なら、人数が多いジョブ職が自身の権利を主張し、社会が変わっていくはずだ。ところが、日本社会はそうならない。どういうカラクリがあるのか。狡猾なキャリアたちは、「頑張れば、あなたたちも勝ち組になれるかもしれませんよ」と、ジョブ人材に対してキャリア職の待遇というニンジンをちらつかせるのである。すなわち、「非正規社員の正規化」である。こうした、勝ち組が負け組に対してニンジンを見せるやり方は、ポスドクが大量に余った時にも顕在化した。

しかし、ジョブ人材は、仕事内容が変化しないなら、スキルアップが難しい。単に有期雇用を無期雇用に変更しただけなら、よっぽどのことがない限り、描いた将来像はどこかで破綻する。今、高プロのような制度が社会から要請されていることからも、それは明らかだ。

#なお、高プロ制度とは、突き詰めれば「あなたの仕事は時間ではなく内容で評価するので、良い成果を出せるよう、自己の裁量で好き勝手にやってください。そのかわり、成果が出なければクビですよ」ということであるべきだ。

ここまで、高プロ制度とジョブ・キャリアの分離について、その関係について書いてきた。かなり長くなってしまったが、要すれば、「高プロ制度はキャリア人材のための制度なので、ジョブ人材が口出ししても何も良いことがない。まず、キャリアとジョブを明確に分割し、それぞれに必要な権利を主張しろ」ということである。この二つを分割して考えないということは、ラーメン屋と寿司屋で同じように経営を考えるような無理がある。やってできないことはないが、手間がかかるし、100点の回答も得られない。そして、この分割ができないなら、つまり、労働者の意識改革と、それに派生する労働市場の流動化を実現できないなら、日本はいつまで経っても再浮上のきっかけをつかめないだろう。これは、僕が当初からアベノミクスに対して否定的な理由である。  
Posted by buu2 at 13:58Comments(0)ニュース

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2017年07月22日

朝日新聞とNHKで、どちらの和訳が正しいのか要確認(メモ)

別にトランプも、安倍晋三も、どちらも全く支持していないというか両方とも超否定派なんだけれど、朝日新聞にこんなニュースが載ったので、ちょっと読んでみた。

トランプ氏「昭恵氏はハローも言えぬ」 米紙「誤り」
http://www.asahi.com/articles/ASK7P31MVK7PUHBI00R.html

さすがに、どんな馬鹿でも今時の日本人ならhelloぐらい言えるだろうと思ったのだが、トランプは

「私は安倍首相の夫人の隣に座った。素晴らしい女性だが、英語を話さない」
安倍晋三首相夫人の昭恵氏が英語を話せず、「ハローも言えない」


と語ったらしい。こういう場面に遭遇した場合は元ネタにアクセスするのが肝要なので、new york times trump akieでググってみて、Washington Postの記事を発見した。

Why Japan’s first lady was probably not snubbing President Trump at the G-20 dinner
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2017/07/20/why-japans-first-lady-was-probably-not-snubbing-president-trump/?utm_term=.1f8b4779cca9

中を読んでみると、こんな記述がある。

TRUMP: So, I was seated next to the wife of Prime Minister Abe, who I think is a terrific guy, and she’s a terrific woman but doesn’t speak English.

HABERMAN: Like, nothing, right? Like zero?

TRUMP: Like, not “hello.”

HABERMAN: That must make for an awkward seating.

TRUMP: Well, it’s hard, because you know, you’re sitting there for—

HABERMAN: Hours.

TRUMP: So the dinner was probably an hour and 45 minutes.


高校までに習った英語で覚えている限りでは、Trumpはcan’tではなく、doesn’tと言っているので、正確には「ハローも言えぬ」ではなく、「ハローも言わぬ」ではないかな、と思った。それか、こういう口語表現ではdoesでもcanの意味合いを持たせることがあるのかな、と思っていたら、NHKニュースでは「言わない」と訳していた。

記者から「全く話さないのか」と質問されると、「ハローも言わないくらいだ」と答えた

出典:「安倍首相夫人は英語話さない」 トランプ大統領発言に波紋
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011067331000.html

「言えない」と「言わない」では随分とニュアンスが異なる。朝日新聞とNHKと、どちらが正しいのか、今度ネイティブに聞いてみようと思うので、忘れないようにメモとして記事を書いておく。  
Posted by buu2 at 02:11Comments(0)ニュース

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2017年07月14日

森友問題は徐々に証拠が整ってきたようだ



  
Posted by buu2 at 14:00Comments(0)ニュース

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2017年07月13日

今日のつぶやき

本日のつぶやき。いや、ちょっと長文書いていてなかなかブログを更新する時間が取れないので、しばらく手抜きさせてください。





































  
Posted by buu2 at 23:00Comments(0)ニュース

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2017年07月12日

加計学園問題に関する八田達夫氏執筆の記事について

加計学園問題について、内閣府国家戦略特区諮問会議の民間議員、八田達夫・公益財団法人アジア成長研究所所長の記事がDIAMOND onlineに掲載された。「安倍晋三氏の圧力はなかった」とする内容だったので、ちょっと読んでコメントしてみる。

「加計学園の優遇はなかった」内部から見た獣医学部新設の一部始終
http://diamond.jp/articles/-/134825

前半は僕も規制緩和派だから何の文句もない。ただ、一点、ここの記述は簡単に首肯することはできない。

現在、日本にとって獣医学部をつくることは重要な成長戦略だ。現代科学の中心の1つである生命科学の研究や、鳥インフルエンザやエボラ出血熱などの人畜共通病の研究のためにも、また、近年盛んになった獣医学の医学への貢献を増やすためにも、獣医学研究者を大量に育てる必要がある。新設しようとする学部に質の審査さえ受けさせないという獣医学部の新設規制は、国の成長を阻害している。


現在、日本の生命科学振興が進んでいないのは、獣医師が不足していることが原因ではないのではないか。これまで20年以上、三菱総研、理研、経産省、産総研ベンチャー、そして自分の会社で、日本と米国の生命科学について当事者として携わってきたが、いつの時代も、どこでも、一度も獣医師が不足しているせいで生命科学の研究が阻害されていると感じたことはない。「獣医師がいなくて困っている」という話すら聞いたことがない。たくさんある原因の中のひとつとして挙げられる可能性はあるものの、大きな要因ではないし、根拠はないのだが、日本全国でせいぜい10名程度もいれば十分なのではないかと想像する。少なくとも、毎年100人、150人というレベルで育成されても、吸収できるとは思えない。とはいえ、現場レベルで「毎年1000万円程度の費用負担(年収で600万円程度)をしてでも、獣医師が欲しい」という声が多数あるなら、「なるほど」と思うのだが。

さて、ここはやや本質と異なるので先に進む。この記事の前半ほぼ4ページは、本質とは異なる部分で消費されてしまったが、4ページ末尾あたりからいよいよ空気が怪しくなってくる。

しかし新潟市からはその後、WGへの具体的な追加提案がなかった。


2014年から頑張って来た新潟市がなぜ2015年で手を下ろしたのか。そこに安倍晋三の圧力がなかったのかは、八田氏は知らないのではないか(もちろん知っていて、知らないふりはできるし、その可能性も否定できない)。それなら「加計学園優遇はなかった」とは言えないはずである。ちなみに第二次安倍内閣成立は2012年。

そして、次のページの冒頭でいきなりこれである。

その状況で、愛媛県と今治市が、2015年6月5日に、提案公募に応じて獣医学部新設を提案してきた。それを受け、2015年12月の諮問会議で、今治市が特区に指定された。指定目的の1つには、獣医学部新設が含まれていた。


圧力とは、「ここを採用しろ」だけではない。むしろ、役人や政治家がよくやるのは、ライバルが手をあげることを阻害して、競争入札を実質的に随意契約に落とすことである。加えて、ダミーの入札を同業他社に頼んだりもする。今回の場合、加計学園を積極的に推したことではなく、加計学園以外が手を挙げられなくなったことにまず疑いの目を向けるべきだ。しかし、このことは、諮問会議やWGの視点からは見ることができない。つまり、八田氏にはわからないことである。

次に疑問になるのは、諮問会議、およびWG側からも十分にわかることだが、

2015年12月の時点では、特区のなかで今治市だけが、明確な計画を持つ提案者であった。したがって、2016年9月16日の特区WGヒアリングを含め、9月から10月前半にかけての文科省督促でも、我々関係者は今治市での新設を念頭に置いていた。


という状況になるまでに、いわゆる石破4条件に合致するか検討した形跡が見当たらないことである。この原稿で言及していないだけで、実際には検討があったのかも知れないが、もしそうなら、4条件に対してどういう検討があって、結論が出たのか、その経緯を提示することが最も重要なはずだ。なぜなら、その4条件は実質的に「足切り」として機能し、上に書いた「ライバルの参入を阻害する」ものに他ならないからである。

八田氏は疑惑の要因として次の3つを挙げているが、

(1)正規の手続きを踏まずに、首相が特定の大学を選考するように仕向けた。
(2)国家戦略特区制度では、1つの特区で認められた改革は、自動的に他の特区でも適用される原則であるにもかかわらず、首相が当該特区以外には適用できないように1校限りとする圧力をかけ、親友が設立する学部以外の新設を妨げた。
(3)新設の申請をこれまでしたこともなかった学校法人が、理事長の親友が首相になったから学部の新設を申請した。


(1)や(3)はどうでも良いことで、問題は(2)である。また、(2)でも、1校限りとしたことはどうでも良い。問題は、加計学園が採用されやすい状況が作られたかどうか、あるいは加計学園以外が挙手できない状況にあったかどうかで、それは「他者が挙手できないような圧力があったか」で判断できる。加えて、「加計学園が石破4条件に合致していたか」を調べる必要がある。とんちんかんな3要素を出してきて、そこに適合しないから「セーフ」とする姿勢には首を傾げるばかりである。

最後にはまた正論のお題目が蛇足として追加されている。前半4ページと最後の半ページは、まことに正しい。しかし、それは残念ながら、今回の疑惑のポイントではない。そして、それ以外の部分も、知りたい真相ではない。人を騙す時の常套手段は、多くの正しい記述の中に、嘘をひとつ、ふたつ、混ぜることである。最初から最後まで嘘で塗り固めれば警戒するが、ほとんど正しいからこそ騙される。この記事はそういう体裁になっている。

今回の疑惑の焦点は次の2点に絞られる。

(1)加計学園以外が挙手できなくなるような圧力はなかったか
(2)加計学園は石破4原則に合致していたか

しかし、この記事は、わざとなのか、無意識なのか、言及すらない。的外れなことを書いて、その前後を正論でお化粧する、目くらましのような内容である。八田氏が騙そうとしている側なのか、騙されている側なのかは現時点では不明だが、我々は騙されてはいけない。何が本質なのか、何を検証すれば良いのかは、きちんと理解しておく必要がある。

なお、蛇足ながら、現在本件を追求している民進党福島のぶゆき議員は僕の経産省時代の同僚で、彼は途中で経産省から内閣官房構造改革特区推進室へ異動した。現在のスタンスは不明だが、当時は特区の推進派だった。比較的獣医師に近い東大農学部出身でもあり、本件の追求には適材だと感じる。また、日の出テレビの運営を手伝っていた時に一緒だった山際大志郎衆院議員は山口大学農学部獣医学科卒業の獣医師である。日の出テレビ関係者の中では一番まともな人だったので、本件については一言あっても良いと思うのだが、これといったコメントがないのは残念である。  
Posted by buu2 at 23:32Comments(0)ニュース

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たまには役に立つ産経新聞 「閉会中審査議事録」

ほとんどの場面で何の役にも立たない産経新聞だけど、今回の閉会中審査の議事録を掲載してくれたのは高く評価できる。僕はこの会議の中継を朝の4時までネット中継で見ていたのだけれど、クライマックスはここ。

「加計ありきではない。加計学園がたまたま、愛媛県会議員の今治選出の議員と加計学園の事務局長がお友達だったからこの話がつながってきて、飛びついた。これも駄目なんでしょうか。お友達だと全て駄目なのか」

出展:加戸守行氏「国家戦略特区でゆがめられた行政が正されたというのが正しい発言だ」
http://www.sankei.com/politics/news/170711/plt1707110009-n6.html

加計ありきではないと言いながら、その直後に自分で加計ありきだったと白状している。

このあたりの経緯については別のもっと古い記事で丁寧に告白している。

今治市の構想は2地区あった。そのうち1地区は都市学園構想で高等教育機関を引っ張ってきて学生の街にしようというものだった。地元の松山大学が手を挙げて進めたが、経営学部の設置構想もできた段階で学内の左翼グループ教官の猛反対にあい、潰されてしまった。
 構想が宙に浮いたところで、今治市選出の本宮勇県議が「加計学園が大学を進出してもいいというが、今の天下の状況をみていたら獣医学なんかはどうでしょうか」という話を持ってきたから、飛びついたんだ。

出展:加戸守行前愛媛県知事「安倍さんが友達だと知ってたら10年前に獣医学部つくってた」
http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150006-n1.html

それで、この記事の最後にはこんなコメントまで残している。

安倍晋三首相と加計学園の理事長が友達だと知ってたら、直訴してでも10年前に獣医学部を作ってますよ。安倍首相に「あんた、加計学園の友達でしょ。やってくださいよ」って。


加戸守行前愛媛県知事は元文部官僚だけど、こういうのがダメという感覚が欠落しているんだろうね。悪いと思ってなくて、正々堂々ぶちまけている。

ちなみに獣医大学・学部の特区における新設については「石破4条件」という閣議決定があって、それはこんな感じになっている。

獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討
1. 現在の提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、
2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、かつ、
3. 既存の大学・学部では対応困難な場合には、
4. 近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。


この条件に合うか、議論すれば良いだけなのだが、そういった形跡は今の所見当たらない。単に、加計学園以外を対象外にするために機能している。加えて、今、加計学園が今治市に新設しようとしている獣医学部ですら、この条件をクリアしていない可能性が高い。じゃぁ、なぜ?となるのが普通だが、それに対する答えが「政治家の友達だから」というのでは、何じゃそりゃ、という話である。

友達だからできる、他人だからできない、というのは縁故主義で、簡単に言えば「不公平」である。今や、安倍晋三の代名詞はアベノミクスではなく「オトモダチ」になりつつあるのではないか。  
Posted by buu2 at 07:52Comments(0)ニュース

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2017年07月03日

文書は基本どんなものも保存ということでどうか





今はテキストデータの保存なんか超楽勝なんだから、全部とっておけという話。さっさと法律変えようぜ。  
Posted by buu2 at 12:00Comments(0)ニュース

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2017年07月01日

日本人がいつまで経っても官僚と対等に議論できない理由

保育園への送迎において公用車を使用した国会議員についてこんな記事があったのだが、

保育園送迎に公用車を使うことは、「問題」なのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170701-00072787/

書いている奴(駒崎弘樹 認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長)の頭の悪さばかりが目立つ。なぜかといえば、終始感情論で主観的主張を続けているからだ。

この件、一丁目一番地は、公用車の使用規程がどうなっているかである。この規程を読まずして、議論は成立しない。仮に市民感情的にどんなに正しくても、「でも、決まりですから」で終了である。これは先日のバニラ・エアの身体障害者対応でも同じなのだが、最終的には法律や規則に照らして考えるしかない。僕がバニラ・エアの件について「見て見ぬ振りができなかったものか」という主旨を書いたのは、規定を改定する時間がないからである。しかし、今回の公用車の使用についてはそういった時間的制約がない。ならば、一番大切なのは今どういう風に規定されているかである。

僕は官民交流法という法律を利用して、5年間の期限つきで経産省の課長補佐として勤務したことがある。このとき、一番優秀だと感じた同僚官僚の行動は今でも良く覚えているのだが、常に法律書や規定集をデスクサイドにおいておき、課内会議や外部との打ち合わせで何か疑問が生じると、「ちょっと待って。それは法律と整合しているの?」「今、規則って言ったけど、それはどこに書いてあるの?」と聞いていた。官僚にとっては立ち返る基本は法律で、何か迷ったらまずは法律に沿っているかどうかを考えるべきなのだ。しかし、これは官僚だけに限ったことではない。

この優秀な彼は、子供会の会長を押し付けられたことがあって、その会長の2年間で、様々な改革を実現した。その中では地方自治体との交渉も何度もあったようだが、なるべく現状を維持したがる地方公務員たちを「それは、どの法律で決まってるの?」と詰めまくって、なぎ倒していったそうだ。公務員の主張をひっくり返すにも、法律に立ち返る姿勢は極めて重要である。

特に、今回の件は衆院議員の公用車の使用方法についての話である。「これって、おかしいよね」と感情論で主張しても、なんにもならない。はたから見ていると、「こういう、みんなの味方っぽい無能って、一番社会の害悪だよね」と思うのだ。彼によれば

週刊新潮のような捏造系メディアは、それが国民にウケると思ってやっています。彼らに「ウケねえよ、バカ」と伝えてあげることが大事です。


とのことだが、「馬鹿はお前だ」と思う。

この文章を読んで最初に感じるのが「全部主観じゃねぇか」ということで、それは野球の試合で、「今日は優勝が決まる大事な試合で、今は2アウトながら9回裏の大チャンスだったのに、打者が三振しちゃった。ほとんど全ての観客も期待しているんだから、9回裏に限って5アウトまで認めることにしようよ」と主張しているようなものだ。大勢の感情論としては正しいかも知れないが、手続きとしては正しくない。「まずルールブックを読んでみましょう」となって、「どうやら、3アウトチェンジと決まっていて例外は認められていない。これが問題なら、ルールを変更しましょう」となるべきなのだ。

#もちろん、変更できるかどうかは別問題である。

憲法や法律で規定されていることに立ち返るのは、基本に立ち返ることである。何か問題が起きた時に、感情に立ち返ってばかりいては議論にならない。それは口喧嘩である。駒崎弘樹氏みたいな典型的な馬鹿を良い反面教師として、「規則に立ち返る議論」を身につけて欲しい。そうしないと、いつまで経っても官僚の言いなりである。  
Posted by buu2 at 23:22Comments(0)ニュース

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2017年06月29日

ディスアビリティと子供の権利

車椅子の乗客に、タラップを自力で上らせたというニュースがあった。

車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪
http://www.asahi.com/articles/ASK6H4HCWK6HPPTB004.html

このニュースに対する僕の第一感はこれ。




一方で、他の人の考えはどうかというと、むしろバニラ・エアに同情的なものが多く、

hitode99 タイトル見た時「ひでぇ」って思ったけど、本文読んでると「お客様!お客様!!困ります!!あーっ!!! 困ります!!お客様!!困ります!!あーっ!!!あーっお客様!!」案件に見える


chopapapa サイトに搭乗日の5営業日前に連絡くれれば対応するって書いてる。しかもわざわざ奄美の件も階段昇降機で対応するって書いてる。うちの親は半身麻痺だったからここらへん自分で確認してたけど。ようは客がクレーマー


negi_1126 これは事前に「車椅子ですけど使えますか?」の確認を怠った利用客の落ち度でしょ/格安航空に過剰なサービスを求めたらアカン。対価出さずに過大な要求してたらブラック化まっしぐらやぞ。


などというコメントがはてなブックマークでは人気である。

しかし、おそらくこれらの考え方は、少なくとも米国では受け入れられないだろう。米国の大都市、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴや、観光都市、マイアミやラス・ベガスを見ていると、車椅子で行き来しているディスアビリティの人を頻繁に見かける。彼らの多くは、独力で外出することができて、一般の人と同じように生活できる。

この背景には、日米の文化的基盤の相違がある。たとえば日本では公共交通機関が遅れると一大事になる。丸ノ内線のように、4分おきに正確に運行している電車にとっては、一分一秒が大切だし、今の東京のように他社乗り入れが頻繁だと、例えば副都心線や埼京線などだと多方面に影響が出てしまう。この状態では、「車椅子で電車に乗りたい人がいたので、電車が5分遅れました」という事態は許容されない。駅員が協力して素早く乗降させることになるし、これが一度に数名とか、朝のラッシュアワーとかでは対応不可能になる。ところが、米国では交通機関の遅延は日常茶飯事だ。30分に一本しか運営されていないバスが30分遅れて、後発のバスに路上で追い抜かれるとか、突然バスが停車して動かないのでどうしたのかと思えば、パシリの男の子がダンキン・ドーナツで運転手のために買い物をするための待ち時間だったり、(日本の)常識外のことが時々発生する。でも、誰も文句を言わない。ちなみに飛行機だともっと酷くて、1時間、2時間の遅れは当たり前。先日なんか、フロリダからDCに戻るLCCの飛行機が5時間も遅れた。これでもみんな文句を言わない。「安いんだから仕方ない。嫌ならもっと高い交通手段を使え」ということなのだ。

もちろん、ビジネス上の時間の約束は、米国人も厳守する。しかし、公共交通機関は、遅れて当たり前なのだ。この状態は、一義的には、規則的にきちんと運用されている日本の方が望ましいのは間違いがない。ところが、ディスアビリティの受け入れという視点では、米国の方がはるかに優れているのである。バスから自動でブリッジが現れて、それを使って車椅子でバスに乗って、所定の場所に車椅子を固定する。この間、約3〜5分。この時間的余裕が米国にはある。だから、社会がディスアビリティたちを取り込むことができるのだ。米国社会には余裕があって、その余裕を有効活用することによって、ディスアビリティたちは日常生活を楽しんでいる。

ディスアビリティの数は、健常者に比較すると、圧倒的に少数になる。多数決で意思決定する民主主義においては、これは当然不利だ。その、不利な人々の権利を保護するという視点が米国にはある。一方で、日本ではその感覚が薄い。

ちょっと前に同じような問題点を内包する記事を見かけたのだが、これである。

<わいせつ教員>再犯相次ぐ 他県の処分把握困難で対策苦慮
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00000001-mai-soci

記事では
松野博一文科相は「対応を検討していきたい」と答弁しつつ、処分情報の全国共有に関しては「職業選択の自由、個人情報保護、罪を償った後の人権の問題も考えないといけない」と述べた。

などという頭の悪そうなコメントが書かれているのだが、子供は自分で自分の権利を主張できないのだから、彼らが安全に勉強できる権利は、大人がきちんと確保しなくてはならないはずだ。その権利は、性犯罪者の職業選択の自由や個人情報保護、罪を償ったあとの人権などよりも遥かに重要だと思うのだが、日本の大人たちの感覚は違うらしい。

事程左様に、日本人のマジョリティたちはマイノリティの権利を軽視しがちである。これは、おそらく想像力の欠如によるのだと思う。だいぶ昔、喫煙者の友人に子供が生まれた時、彼は子供のいるところでの喫煙をやめた。しかし、僕たちとの飲み会では、引き続き喫煙を続けていた。彼は、「すべての人間は、誰かの子供である」ということに考えが及ばなかったのである。あるいは、単に自分の子供だけよければ良いという利己主義者だったのか、どちらにしても、米国では白い目で見られるだろう。

米国におけるディスアビリティ対策の基本は、特別な手続きなしに、一般の人と全く同等の生活を送ることができるということだ。これが、米国人の想像力で、日本人には欠落している視点である。

#「優遇」ではなく、「同等」である。優遇、すなわち障害者の映画料金を割引せよ、とかとは別の話である。

また、性犯罪者については、常にネットでその住所と名前と写真が参照できる。これによって、親は警戒し、対策できる。そこまでされたくないなら、性犯罪を起こすな、ということだ。性犯罪者と、子供の人権はイコールではない。ここが日本と違うところだ。

日本人の民主主義は、戦争に負けて押し付けられた民主主義である。そのためなのか、民主主義を維持していくプライドが感じられない。民主主義における意思決定手法の大きな柱は多数決だが、そこに埋もれてしまいかねない少数派や、そもそも民主主義へ参加できない者たちへの配慮は必要不可欠で、それがないと大きな瑕疵を抱えることになる。ディスアビリティや子供の権利は、過剰なくらいに重視されても不足ではないと思うし、米国社会はそういう社会になっている。日本は全くそうではない。文言だけで受け取って、咀嚼していないからだろう。  
Posted by buu2 at 00:25Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年02月09日

ことわざアップデート「馬鹿と鋏は使いよう」

オリジナルの意味
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つものだということから、人を使うときは、その人の能力をいかせるように、うまく使うべきであるという教え。(出典:故事ことわざ辞典

アップデート
「稲田ともみは使いよう」
官僚が政治家にろくでもない答弁書を渡した際、その政治家が愚かだと、内容に疑いを持たずそのまま国会で読んでくれる。これによって、非常識な答弁が社会からどのような受け止められ方をするか、試すことができる。2017年2月8日、稲田朋美防衛相が衆院予算委員会で、南スーダンにおける陸上自衛隊の「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べたことによる。  
Posted by buu2 at 15:05Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年02月02日

日本はBrexitやトランプを批評している場合ではない

先日、知人の阪大教官がFacebookで「学生のレポートの日本語が酷い」と嘆いていた。

学生の文章が酷い理由は簡単で、子供の頃に良質なインプットを多くしていないからである。「ら抜き」も酷い文章表現の一例で、こうした表現をしてしまうのは、ちゃんとした日本語の感覚が身についていないからだ。これは音楽でいうところの「絶対音感」が欠落していることに該当する。大学生になってこの状態を意識的に改善するのはおそらく非常に難しい作業だろう。それは、第二外国語の感覚を非帰国子女が身につけにくいのと同じである。本来、言語は頭で考えるのではなく、感じて、反射して発せられるものだ。

#ドラゴンも、オビ=ワンも、"Don't think, feel!"と言っている。

文科省の教育方針の問題もあるだろうが、おそらく親がテレビ世代になってきていて、親に読書の習慣がないのだろう。親の背中を見て子供は育つ。幸いなことに、僕たちが子供の時代には、読書が娯楽の王様だった。僕の家にはサトウサンペイ氏に書いていただいた色紙が貼ってあったのだが、そこには「テレビを見るより本を読め」と書かれていた。金言である。

大学で日本語の再教育をするのは馬鹿らしい話だが、まともな日本語もできないのに卒業させてしまっては大学の資格がない。大学教官には気の毒な話だが、大学では、本筋とは異なる『日本語教育』も施される必要があるのだろう。

余談だが、僕の感覚からすると、伊坂幸太郎はリズム感の欠如したプロの代表で、彼の作品を読んでいると気持ち悪くて仕方がない。しかし、この感覚を理解してくれる人は本当にごくごくわずかである。というか、これまでに一人しかいない。それはプロの編集者だった。逆にリズム感の良いプロの代表は宮部みゆきだと思っている。字幕作家の松浦美奈もとても良いと思う。ただ、この辺は僕の感覚が正しいのか、単に好みなのか、正確にはわからない。

さて、話を元に戻す。先日、新聞に言語学者金田一秀穂さんのら抜き言葉に対する見解が載った時、

論点 「ら抜き」言葉、多数派に
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c

僕ははてブでこういうコメントをつけた。
日本人の過半数がバカになったってことじゃないの?特に、日本が、日本が、と連呼している自民党の政治家が使っていると、本当にバカだな、と思うよ。

この記事に対してつけられたはてブのコメントは、当然のようにら抜きを肯定するものが主流だったのだが、英国のEU離脱にしても、米国のトランプ選出やイスラム圏7カ国の入国禁止に関するExecutive Orderに対する反応にしても、韓国の釜山日本領事館前に設置された慰安婦像に対する姿勢にしても、過半数だからそれが正しいということではない。

#そもそも「正しさ」とは相対的なものなので、判断する人の立ち位置で変わってきてしまうものだが。

ら抜きを使わないということは、日本人に関する一つの指標なのだ。それは、「きちんと良質のインプットを重ねている」という指標である。小学生から中学生ぐらいまでに芥川や漱石や太宰や藤村といった作家たちの作品をかたっぱしから読んでいれば、少なくとも書き言葉としてら抜きを使う頻度は激減するはずだ。それをしていないから、ら抜きを書いても感覚的に問題ないのであって、つまりは教養が足りないということになる。

教養の足りない社会がどうなるかは、上に挙げた各国の状況を見れば明らかだ。今、米国に関して良く言われているのは、社会の分断がトランプ大統領を生み出したという話である。そして、NYやDCに住む知識層が、労働者層を無視してきたことが問題の根源にあると言われている。なぜ彼らは国内にも目を向けて、対話してこなかったのだ、と。日本も状況は米国や英国と五十歩百歩である。それは、何も中身のないアベノミクスを歓迎しているあたりからも容易に推察できる。この先に、明るい未来は多分存在しない。

「ら抜きを使うな」とは、文化の流動性を否定しているのではない。それでも、「ら抜きを使うな」という主張には反論が多い。その理由は、簡単に言ってしまえば、その反論の主の多くが、自らら抜きを使っていて、違和感を持たないからだと想像する。

では、こんな記事を読んだらどう思うのだろうか?

「Alexは女性名Alexandraの愛称である。ではAlexandraの愛称は何か?」4択問題で中学生の正答率45% その理由は?
https://togetter.com/li/1078386

このまとめの元記事は読売プレミアムに掲載されていて、有料記事なので一般の人は読むことができない。ざっくりとポイントになる部分を抜粋すると次のようになる。

戸田市立中6校の生徒計340人の基礎的な読解力を測るテストを実施した結果、4人に1人は問題文を正確に読めていなかった

問題によっては正答率が半分程度やそれ以下のケースもあった

普段のテストでも答えを何も書かない子たちから「問題で何を聞かれているか分からない」という声が出ていた

音真司氏が講師を務めた私大では、読書をする学生は少数で、3年でゼミに入るまで図書館に行ったことがない学生もいた

音氏は「試験やリポートではSNSや日記のような文章を書いてくる。文の構造を理解せず、考えも整理できない」と話す

(出典:2017年1月30日 読売新聞朝刊 読解力が危ない 問題文が理解できない)

多くの人は、「今時の中高生はこの程度のことも読解できないのか」と嘆くだろう。しかし、それは多くの人が、この問題を理解できる程度には教養を身につけたからに過ぎない。その「この程度のこともできないのか」は、僕からすればら抜きを書く人にも同じように適用される。

ら抜きを使っても平気な人は、「ら抜きで何が悪い」と開き直っている暇があるなら、もっと本を読んで、教養を身につけた方が良い。僕は、教養をベースにした見識こそが、各々が抱えている諸問題を越えて、彼らを明るい未来へ導くと信じている。日本語すらまともに使えないなら、それは無教養である。「無教養だって過半数ならそれが文化だ」と強弁するなら、英国のBrexitや米国のトランプ選出を全く笑えないのである。もちろん、未来も、英国や米国のそれと同じく、真っ暗闇である。  
Posted by buu2 at 14:38Comments(0)ニュース

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2017年01月30日

日本国民は安倍晋三が総理大臣で本当に良いの?

頭の悪い安倍晋三はトランプの人種差別政策について
米国の大統領令という形で米政府の考え方を示したものだろうと思う。私はこの場でコメントする立場にはない。いずれにせよ我々は、難民への対応は国際社会が連携して対応していくべきだと考えている

と述べたらしいが、何を言っているんだ、このバカは。こんなバカを支持している日本人が6割とか、笑っちゃうよ。

他国を見れば、フランスも、ドイツも、オランダも、それどころかニューヨーク州やワシントンDCも深い懸念や異論を表明しているわけで、日本のヘタレっぷりというか、ポチっぷりが激しく情けない。ちょっと前に僕はツイッターで




と書いたのだが、ダメなものはダメとどうして表明できないのだろう。安倍晋三は「出身や信仰で人に烙印を押すような政治」を否定できないようだが、日本国民は本当にそんな奴が自分たちの総理大臣で良いのか?  
Posted by buu2 at 16:23Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月26日

日本の官僚の手取り足取り具合に涙が出る

安倍晋三が馬鹿なのはすでに十分に知れ渡っているので、云々を「でんでん」と読んでしまったとしても、まぁ安倍だから、ぐらいの感想しかないのだが、実際に動画を見て別のところで感心した。



答弁を書き起こすとこんな感じだが、

民進党の皆さんだとは一言も申し上げていないわけであります。自らに思い当たる節がなければ、これはただ聞いていただければ良いんだろうとこのように思うわけでありまして、訂正でんでんというご指摘は全く当たりません。


最近の官僚は、こんなことまで書いてくれるんだね。「馬鹿らしくてやってらんねぇよ」とか思わないのかな?  
Posted by buu2 at 15:28Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月17日

川村雄介というノーベル賞至上主義のバカ

ツッコミどころ満載なので、ブログで紹介。

引用元:30年後もノーベル賞大国であるために、禁断の劇薬「国立大学を半数に」
http://forbesjapan.com/articles/detail/14834

大学法人化の後は、母校から毎月のように「寄付寄こせ」封書が届く。私とてささやかな協力くらいおしまない。だが、昨今のやり方は度が過ぎていないか。

バカじゃねぇの?ささやかじゃ足りないんだよ。東大出て、ワシントンで暮らしたことがあってこれかよ。スミソニアンは寄付金だけで運営されているんだぜ?

なまじ国立大学の現場を経験しただけに、余計腹立たしく感じるのである。

典型的老害。時代は変わってるんだよ。

絶対矛盾にぶつかっているのだ。

絶対矛盾でもなんでもない。景気が回復すれば税収も増える。お金は天から降ってくるもの、という感覚で、前提が変わりうることが認識できていない。国の税収が増えるように努力せず、自分たちの食い扶持のことばかり気にしているから、いつまで経っても変わらない。韓国の慰安婦像問題で「日本と喧嘩して、長期的にみて意味があるのか」と嘆いている日本人が多いけれど(これは僕もだけど)、近視眼的なことについては日本と韓国は大差ない。

国立大学を半数にまで減らすのだ。

ばーーーーか。地方の裕福でない学生の勉強の機会が失われるだろ。まずは私大への援助を減らせよ。それでも国立大学を減らしたいなら、東工大とか一橋とかお茶大とか、都内にゴロゴロある国立大学を東大に統合してしまえ。「裕福ではないから」という理由で志のある学生の勉強機会を失うことは避けよう、勉強の機会は極力平等に与えよう、というのは福沢諭吉の「学問のすすめ」以降の、日本人のコンセンサスだろ。ノーベル賞なんか、海外で研究を続けて取れば良いんだよ。別に、日本で研究する必要はない。  
Posted by buu2 at 01:08Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月14日

大阪市のプログラミング教育事業は受注者に注目すべき

大阪市が無償でプログラミング教育を受注する業者を募集していて話題になっていた。

概略はこちら参照
大炎上した大阪市の募集要項 「タダでプログラミング教育を」
http://www.j-cast.com/2017/01/13288028.html
簡単に言えば、「奥さん、大阪市が小学生にプログラミングを教えてくれる業者を募集しているらしいわよ。それで、報酬はゼロなんですって。タダ働きしろってことらしいざます」ということ。

それで、元の募集要項はこちら。

平成29年度小学校段階からのプログラミング教育の推進に当たり協力事業者を募集します。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000386948.html

僕は経産省時代、この手の発注業務を担当していたので、まず、本省ではどういう作業の流れになっているのかを紹介する。

財務省以外の中央官庁の多くは、財務省に「今年はこれだけの事業をやりたいから、お金をくれ」と予算請求する。この予算要求の前に、役人たちは今年はどんな要求を出そうか、と相談する。その際、主に立案に当たるのが課長補佐である。課長補佐は係長や係員などと勉強会を開きつつ、あちこちにヒアリングに出かけてネタを探す。この時、ネタ元として良くあるのが事業者からの要請である。要請の場面は、各種委員会だったり、講演のあとの懇親会だったり、賀詞交換会だったり、役所に直接陳情にくる場合もあって、色々である。「元木さん、今はこんな事業が必要なんですよ」と教えてくれる。もちろん、その背後には「予算が取れたら、うちの会社をよろしく」という腹づもりがある。

さて、課長補佐はこうしてネタ探しをして、その中の有望そうな事業について部内で会議をやって、課としてどの企画で予算請求するかを詰める。

今は国家予算そのものが厳しいので、こうした企画を全部そのまま財務省に持ち込むことはできない。課内で調整した後、局内で調整し、場合によっては他の局や課の企画と合流して申請することもある。財務省からノーと言われたらそれまでだし、途中で役所としての上限額が決められるので、その数字に合わせて省内調整も必要になる。省内での根回しも重要だし、特に実現性が十分なのかについては検討が必要だ。

一番困るのは、予算を取って、応募を開始してみたら誰も応募してくれなかった、という事態である。なので、民間事業者へのヒアリングの際には「事業を企画したらこいつは応募してくれるかな?」という情報も合わせて収集する。委託金業務にしても、補助金業務にしても、常識的に言えば役所が金を出すし、そもそものネタ元はヒアリング先なので、よっぽど酷い条件でない限り応募はあるのだが、その辺は役人なので抜かりなく準備していく。

さて、無事予算を獲得できたら、いよいよ事業を開始するわけだが、その最初の一歩が「募集」である。ということで、この大阪市の募集要項を見てみよう。僕が書いた事例はあくまでも経済産業省製造産業局の一例だが、地方自治体でもそう大きく変わることはないだろう。

パッと見て違和感を持つのが「無償で実施できる民間事業者」という記述である。違和感というか、癒着の香りしか感じられない。その違和感の原因は、この事業を担当した時の受注業者のメリットが全く見えてこないところにある。企画立案から学校との調整まで含め、必要な費用は全部業者負担となると、事業者はどこで稼ぐのだろう。しかし、役所が考える事業なので、応募がないという事態は考え難い。どこかの業者が、何らかの事情から「ただでもやりたい」と大阪市に入れ知恵したぐらいしか、説明がつかない。

記事によれば、大阪市の担当者は取材に対して「特定の業者との結びつきをなくし、公平性を担保するためにも『無償』という形をとった」と答えたようだが、これが事実とは到底考えられない。逆に、特定の業者との強い癒着があるからこそ、今回のような募集になったと考えるのが自然だ。

だいたい、本当にただでできるなら、大阪市の事業として実施する必要性はなく、事業者は勝手に、ただで事業を展開すれば良いのである。「ただでプログラミングを教えますよ」と。いまどき、そんなことがあるわけがない。

では、事業者の「隠されたメリット」とは何だろう?募集要項の協定書をざっと見て気がついたのは、著作権についての取り決めがないことである。特許についてはその扱いについて記載されているが、著作権については記載がない。ということは、小学校の教員や有識者と共同で作り上げた小学生向けのテキストは、すべて事業者のものとなる可能性が高い。そして、この事業は単年度事業である。したがって、事業終了後、一定の成果物(著作物)が出きた場合には、事業者がその成果物を根拠に「良いテキストがあるので、次年度からはこの金額で」と請求してくる可能性がある。その金額が安いなら、「それはそれで良いんじゃないの?」と考える人もいるかもしれないのだが、無償の事業に応募させることによって担当事業者を実質的に絞り込んでおり、これは癒着だし、縁故資本主義である。著作権については単に書き洩らしかもしれず、断定はできないのだが、違うとしてもこれに類するメリットが何かあるのだろう。

なお、協定書では
特許権、実用新案権、意匠権、商標権その他日本国の法令に基づき保護される第三者の権利(以下「特許権等」という。)

と「特許権等」を定義しているのだが、そのすぐ後の18条2項で
特許権等の対象となるべき発明又は考案をした場合には

と、当事者(第三者ではないもの)が特許権等を発明した場合を記述しており、何が何だかわからないものになっている。

事業を通じて何らかのメリットが得られないのであれば、企業がその事業を担当する理由はない。そのメリットは募集の段階で明確にされるべきだし、募集にあたっては、最低でも事業にかかる費用の積算と、その請求、および、事業後の成果物の取り扱いについて明示されているべきである。

この募集については癒着の香りしかしないので、特に大阪市民は、どの業者が受注するのかに特段の注意をもって監視すべきだろう。  
Posted by buu2 at 02:02Comments(2)ニュース

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2017年01月10日

メリル・ストリープの反トランプ・スピーチ

僕の周囲のほとんどの人は、日本に関わりがあろうとなかろうと、反トランプである。だから、僕が一番好きな女優であるメリル・ストリープが昨日のゴールデン・グローブ賞の授賞式で、反トランプのスピーチを展開したことを喜んでいる。

スピーチの全文はこちら。

The full text of Meryl Streep's six-minute acceptance speech for a lifetime achievement award at the Golden Globes on Sunday:
http://money.cnn.com/2017/01/09/media/meryl-streep-golden-globes-trump-text/index.html

動画はこちら。

声が枯れちゃっているのは残念だけど。

村上春樹にしても、メリルにしても、作家として、あるいは俳優として好きになったあとに、今の僕のスタンスを的確に表現してくれる意見表明をしてくれるあたり、不思議な感じがする。

メリルが批判したトランプの行動についてはこちら。
トランプ氏、身体障害の記者の姿態あざける NYT紙反発
http://www.cnn.co.jp/usa/35074075.html

  
Posted by buu2 at 00:44Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月05日

初詣にベビーカーを持って行くと迷惑がられる日本社会

雨模様のワシントンDCからこんにちは。

暇なのでネットサーフしていたら、こんなニュースを見つけた。

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

初詣にベビーカー持参で行くことの是非についてなのだが、乙武さんが次のようにコメントした気持ちは良くわかる。



このコメントと、この記事に関しては恐ろしく不寛容なコメントが並んでいて、日本を逃げ出して良かったな、というのが正直なところである。
















キリがないのでこの辺でやめておくが、反乙武のつぶやきがTwitterには溢れている。しかし、この件に関しては、僕の立ち位置は明確に乙武側である。僕はDCに移り住んで、何度もこちらのネイティブに「日本と比べて何が違いますか?」と聞かれ、その度に、「米国では、車椅子の人を頻繁に見かけます。あちこちで、補助の人なしで出歩いている障害者たちを見かけます。日本ではこの状態は考えられません」と答えてきた。

僕は米国在住と言っても、ワシントンDCと、メリーランドと、ヴァージニアと、ニューヨークと、オーランドぐらいしか見てないので、僕の知識が全米全域について適用されるかどうかはわからないのだが、少なくとも、DCやNYは障害者に対して非常に寛容な街である。そして、同時にベビーカーに対しても寛容だ。こと障害者対応に限れば米国の状況は日本に比べてかなり理想的だと感じているのだが、日本がそれを真似ようとしても、非常に難しい現実がある。

米国と日本は何がどのように異なっていて、なぜ日本では実現が難しいのか。

最初に種明かしをしてしまえば、日本の、特に東京の人口密度が高すぎるのだ。

DCでは、朝8時とか、夕方6時ぐらいのごく限られた時間の、ごく限られた路線のみ、地下鉄で立っている乗客が見られるのだが、その他の時間は常に座っていられる。じゃぁ、ものすごい本数の電車が走っているのかといえば、そんなこともない。20分電車が来ないなんて、日常茶飯事である。ちょっと遅い時間になれば、30分待ちという事態もざらである。

ちなみに、DCの地下鉄には時刻表がない。本当はあるのかもしれないが、見たことがない。駅には何分後に電車が来る、という表示があるだけだ。後続の電車について知りたければ、スマートフォンのアプリで調べる必要がある。これも、表形式ではなく、何分後に到着するかだ。そして、そのアプリで5分後に来る、と表示があったのに、5分後に見てみると、また到着まで5分になっていたりする。非常にルーズなのだ。しかし、このルーズさに、米国人の障害者への寛容さが隠されている。

米国では、車椅子の乗客が誰の補助もなく、一人でバスや地下鉄に乗ることができる。バスはバス停で自動的に車高が低くなって、機械式の橋が出てくる。車椅子の乗客は、これを使ってバスに乗り、揺れた時に動いてしまわないように、ベルトで固定する。この間、だいたい、3分ぐらいはかかってしまう。障害者の利便性を考えると、定刻通りの運行は不可能なのだ。ルーズな運行が先だったのか、障害者対応でルーズにならざるを得なかったのかはわからないが、この国の国民性を考えれば、恐らくは前者だろう。

僕は良く、米国人達に「日本人はとてもパンクチャルである。それはとても良い習慣だが、時々、パンクチャル過ぎて、息苦しい社会である」と説明している。高度にオーガナイズドされた社会は、小さな受け皿を最大限に利用するためには避けることができない。しかし、高度であればあるほど、異分子を受け入れることも、必要に応じてマイナーチェンジすることも難しくなる。日本の主要都市は、詰め込みすぎて、余裕がなくなっているのだ。

丸ノ内線が4分間隔で精緻に運行しているのはとても素晴らしいことだが、その背後で犠牲になっているものも、間違いなく存在している。それが、障害者対応である。これは健常者の視点からは気付きようがない。日本の交通インフラは、ハード面だけでなく、ソフト面でも障害者を排除している。だから、日本の歩道には、車椅子がほとんど存在しない。日本と、米国の、足が不自由な人の割合に大きな差があるとも思えないので、日本では、外出したくても、足が不自由で思うようにならない人がたくさんいるのではないか。

米国がこういう状態になっているのには当然理由があって、それは「障害を持つアメリカ人法」: Americans with Disabilities Act of 1990である。これは、1990年に制定された連邦法だ。この法律によって、障害者の社会参画は全面的に保障されている。おかげで、映画館も、トイレも、スタバも、アパートも、どこへ行っても、必ずバリア・フリーだし、実際、街を歩いていれば頻繁に車椅子を見かけるのだ。

そして、車椅子に優しい社会は、そのままベビーカーにも優しい社会なのである。だから、冒頭の記事で書かれている寺のようなトラブルは、米国ではまずお目にかかれない。ベビーカーも電車内で見かけるし、バスの前部には2台まで自転車を乗せることができるキャリアーまでついている。これは健常者の話になるが、自転車の客がいると、バスはその客が自転車をキャリアーに積み込む間、のんびり待っているのである。

もしかしたら、タイムズスクエアでの年越しカウントダウンイベントなどでは日本と同様の不自由はあるのかもしれないが、年に一度、タイムズスクエアのごく限られた地域の話を日本の寺社仏閣と同一に論じるのは無理がある。

もちろん、何の理由もなく日本人が車椅子やベビーカーに冷たいわけではないはずで、そこは日常生活が車椅子やベビーカー前提で構築されていないから、必然的にそうなってしまうのだろう。DCのように、いつも電車で座ることができる状態なら、ベビーカーに目くじらを立てる必要もないのである。結局、寺にしても、電車にしても、混雑しているのが問題なのだ。

では、満員電車や、初詣客の集中をなくすにはどうしたら良いのか。簡単な話で、人口集中地域の人口を減らせば良いのだ。東京の人口が半分になるだけで、状況はガラッと変わるのではないだろうか。そのための方策も、ないわけではない。政府は首都機能の移転を前から言っているのだが、そんな面倒なことをしなくても、所得税減税だけでかなり効果がありそうに感じる。法人所得税率を都市部と地方で20%程度差をつければ、首都機能なんて移転しなくても、民間事業者はどんどん外に出て行くはずだ。何の根拠もなしに法人税減税してしまうのはもったいないので、例えば米軍基地周辺10キロ以内を「迷惑施設周辺減税特区」にしてしまえば、法人税を安くあげたい企業が米軍基地の周辺に集まってくるだろう。これが実現すれば、沖縄の米軍基地問題にも解決の糸口が見えて来ると思っている。嫌がる人を無理やり理屈で納得させるより、好きで集まってくる状況を構築した方が、作業はずっと楽である。

日本が抱える問題の大きなものとして都市部への人口集中が挙げられるのは間違いないことで、それが顕在化した例が、初詣のベビーカー問題なのだ。そして、乱暴なやり方かもしれないが、人口を地方へ分散させる手段もないことはない。あとは、やる気の問題である。でも、日本人は、将来自分の足が不自由になることなど想像できないので、多分やる気は出ないだろう。

だけど、大丈夫。足が不自由になったら、なんとかして米国に脱出してくれば良いのだから。ここにあるのは、relaxed lifeである。  
Posted by buu2 at 17:04Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年12月06日

乗るタクシーを選ぶことができない日本社会

ASKAの個人情報問題でこんなつぶやきがあったんだけど、




これを見て思ったのは、個人情報保護法とは全然関係ないんだけれど、日本って、実質的にはほとんどタクシーを選ぶことはできないよな、ということ。夜中の新宿界隈で個タクを探してちょうちんはー、でんでんむしはー、とさまようことはあるけれど、会社名までは選ばない。基本、来た車に乗る。これが田舎になるともっと深刻で、歌志内なんか、今はタクシー会社が一つしかないから、選びようがない。

ところが、米国はUberがあるので、いくらでも運転手を選ぶことができる。車種、運転手、価格、今いるところまでの所要時間などによって好きなタクシーを選ぶことができるので、とても快適である。きちんとITを利用すれば世の中はこんなに便利になる、という見本なのだが、日本の為政者はバカなのでそういう制度設計ができない。どこかの既得権者が「そんな白タクを許可して、事故ったらどうする」とか言い始めると、そうかもしれないなぁ、と納得してしまう飼いならされた社会主義者たちの集団である。

こんな国に明るい将来があるとは思えないのだが、もうちょっとなんとかならんものかね?聞くところによれば、日本ではタクシーだって病院に突っ込んだりしているらしいじゃない。

電気代の値上げだってそうだけど、福島の事故の処理費用を上乗せする会社と、上乗せしない会社から、同じ土俵で好きな方を選べてはじめて自由主義社会なんじゃないの?実質的に選択の余地がない中で「三兆円上乗せします」って、それは東電のバカの責任を強制的に国民に負わせているだけだよね。

タクシーだって、選びたい人がちゃんと選べるのが理想的なんじゃないかなぁ。で、そういうシステムがすでに構築可能なのに、実現できない社会って何なんだろうね?

二ヶ月前にも同じようなことを書いたんだけどね。

参考:日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例
http://buu.blog.jp/archives/51533963.html  
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2016年12月01日

給付型奨学金制度に見る、目的はとても正しいのに、やり方が馬鹿という事例

やろうとしていることは基本的に良いことなのに、やり方が馬鹿だから、いつまで経っても日本は三流国と評価され続けるという事例があったので紹介しておく。この記事で紹介されている給付型奨学金である。

給付型奨学金、1学年2万人を対象 自公が首相に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000105-asahi-pol

貧乏な苦学生にもチャンスを、という、機会の公平性の観点からは非常に良い施策なのだが、馬鹿が設定するから問題の多いものとなる。諸悪の根源はこの部分である。

対象者はすべて学校推薦で選ぶ。具体的には、約2万人分の枠を全国約5千の高校に各1人以上割り振り、各校は国が作る成績基準などの指針に基づいて推薦する。複数の対象者が割り振られる高校は、日本学生支援機構などが決めるという。


主観に依存する部分を残したがるところが、三流国の政治家が考えた案の特徴である。学校推薦になれば、学校内で「誰を選ぶのか」という問題が発生する。「うちは貧乏なので」という、貧乏自慢ぐらいならまだ良いのだが、「うちの子は先生に気に入られているから」といった話になってくると、なんとかハラスメントの温床になりかねない。クラス間での調整が必要になった時も、担任の力関係が選出に影響を及ぼしかねない。また、各高校への割り振りにも主観が関係してくるので、高校が日本学生支援機構に接待攻撃をかける可能性だってある。こうした可能性を、この制度のままで完全に排除するのはとても面倒だ。

日本の政治家は縁故資本主義の中で選ばれてきているので、こういうコネカネの世界に非常に鈍感である。フェアであることが最優先されるなら、この制度の概要を読んですぐに「これはおかしい」と気付くはずなのだが、そういう感覚が失われているのだろう。

給付型奨学金を設計するなら、基準は全国一律であるべきで、日本学生支援機構や各高校に裁量を与えるべきではない。単に、各家庭の収入と、あとはセンター試験の成績で決めてしまえば良いだけのことである。

日本におけるかつての共通一次試験、およびセンター試験の評価は非常に低いようだが、僕はこの客観テストは、数少ない、日本における非常に効果的な試験制度だと思っている。せっかく客観的に、全国横断的に学生のランク付けができるのだから、この仕組みを使わない手はないはずなのだが、なぜそれを避けるのか、さっぱり理解できない。多分、「俺たちは優秀だから、俺たちの主観で決めることが一番正しいに違いない」と考えているのだろう。勘違いも甚だしい。

日本人は、人間を客観的にランク付けするのは凄く苦手なくせに、主観的にランク付けするのは大好きだ。だから、いつまで経っても不公平な国のままだ。もうちょっと、公平とはどういうことか、まじめに考えた方が良い。  
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2016年10月25日

ジェネラリスト偏重によって国際競争力を下げ続ける日本と、その対策

電通の過労死問題を機にちょっとだけ盛り上がっている労働問題だが、いつも言っているようにほとんどの人が本質に切り込めず、また分かってはいても言及できずにいる。だいたい、ちょっと思いついて語る意見、いわゆるjust ideaに傾聴する価値があるものが多いはずがない。

そんな中、以下のコンテンツは、一年前に発表されているのだが、かなり良くまとまっている。

日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2015/japanese-labor-productivity-levels/

ただ、ところどころで言葉が足りない感じがするので、「この視点が欲しかった」ということを書いておきたい。それは、社会で求められている人材の質がジェネラリストからスペシャリストへと変移しつつある中、日本は相変わらずジェネラリストの育成に終始している点である。

例えば、生物系研究者のキャリアを見てみても、若いうちはテクニカルスタッフのような働きを任され、やがて自分で研究するようになり、そしてマネージメントや教育へと立ち位置が変わっていく。研究という意味では一本軸が通っているのだが、「技術者」、「研究者」、「教育者」あるいは「管理者」と役割が変わっていき、同時にそれに求められるものは「労働力」、「思考力」、「指導力」あるいは「政治力」と変わっていく。日本ではテクニシャンの評価が非常に低いので、ほとんどの人が研究者を目指すのだが、精力的に研究できる期間は結構短くて、偉くなっても研究室のマネージメントに忙殺される、という話も珍しくない。日本が特異的なのは、このキャリアパスをほぼ全員に適用する点である。つまり、生涯テクニシャンとか、研究一本で教育にはノータッチといったスペシャリストのキャリアパスがほとんど存在しない。理研時代に榊さん、林崎さん、横山さんという三人のプロジェクトリーダーたちをそばで見てきたけれど、彼らが試験管を持つところを見たことがなかった。プロジェクトリーダーとは、お金を取ってきて、研究者たちを差配するだけの存在だった。おそらく、この先、彼らが試験管を手にすることはないだろう。

全ての研究者たちがこういったキャリアパスを希望しているなら構わないのだが、生涯技術だけに特化したいとか、教育に専念したいというタイプも当然存在するはずで、そういう人がスペシャリストに育つはずなのに、実際はジェネラリストばかりが量産されている。

実はこれは終身雇用、年功序列の日本社会にはとてもフィットした手法だった。ジェネラリストなら、いつ、どんな配置転換があっても、すぐに適応できる。誰かが死んだとか、誰かが退職したという事態に簡単に対応できる。草野球チームでみんなが全てのポジションをこなせるなら、ピッチャーが急用で参加できなくなっても、誰かが代わりにピッチャーをやれば良い。

ところが、時代は変わり、各人に要求されるスキルのレベルがアップした。草野球なら良かったけれど、プロ野球だと、付け焼き刃のピッチャーなど通用しない。どのポジションにも相応のスペシャリストが必要になってくる。そうしたとき、ジェネラリスト集団は決して一流になることができない。

では、一流のスペシャリストを揃えれば良いではないか、となるのだが、ここで障害になってくるのが「終身雇用」という制度である。よそのチームに凄く良い内野手がいるのに、自分のチームの内野手のクビを切れなければ、誰かを飼い殺しにする必要が出てくる。現実的にはそれは難しいので、優秀な選手の獲得を諦めざるを得なくなる。

あるいは、もっとドラスティックに、「野球は斜陽なので、みんなでサッカーやろうぜ」となった時にも、野球選手たちはお荷物になる。お荷物はクビにできたら良いのに、それができない。

こうした事態の具体例がカネボウである。繊維産業はすっかり斜陽で全く採算が取れなくなってしまった。せっかく化粧品部門が堅調なのに、トータルで見ると経営は悪化の一途。それでも大規模なリストラには踏み切れず、社内では対応不能に陥り、最終的には外部の協力を得て解体された。

労働者たちは、労働力の流動化そのものには反対しないのだが、それとセットで語られる解雇規制の緩和には非常にナーバスだ。そのせいで、日本の労働環境は一向に改善されず、企業の国際競争力は低下する一方である。解雇規制という目の前の毒を恐れて、結果的に自分の立っている地盤そのものが急速に弱体化していることから目を背けている。これは浸水が進んで沈没しそうな大型客船で、自分の部屋にだけは水が入ってこないように土嚢を積んでいるようなもので、事態は全く改善せず、むしろ死期を早めているだけである。そのことについてはOECDも再三勧告を出しているのだが、事態は一向に改善しない。世界経済フォーラムの2012年のリポートでは、社員の雇用・解雇のやりやすさに関するランキングでは、日本は144カ国中134位と最低レベルである。
出典:「アングル:道険しい安倍政権の雇用改革、際立つ日本の硬直性」
http://jp.reuters.com/article/l4n0fh2fk-angle-japan-employment-idJPTYE96B01G20130712?sp=true

こういうことを僕は10年ぐらいこのブログで書いてきているのだが、多分、10年後も日本は今のままの硬直した労働市場を維持しているだろう。それは、解雇規制の緩和を忌避する人たちが大勢いるのだから仕方がない。そこで、特に若い人に言っておきたいのは、職場は日本だけではないということだ。日本よりも環境の良い国は他にある。だから、「あっちの方が良いな」と思った時、それがきちんと選択肢になる必要がある。その時に要求されるのが英語力である。英語だけはちゃんと勉強しておくと良い。特に、リスニング能力は磨いておけ。英語ができないから日本を脱出できない、という事態だけは避けるべきだ。  
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2016年10月21日

ブラック国家日本から脱出せよ

電通の過労自殺に関して
大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ

出典:長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない
http://buu.blog.jp/archives/51534531.html

と書いたけれど、若干補足しておく。

まず訴えたいのは、長時間労働は日本が抱えているたくさんの労務問題のうちのひとつだということだ。そして、その問題は単体では解決できない。

サッカーでいえば「得点力不足」という日本代表の問題点があって、じゃぁそこにメッシを連れてきたら全部解決するかといえばそんなことはない。ロナウドを連れてきたとしても、メッシを連れてきたとしても、それにあわせてチーム戦術を変えなくてはならない。それは、場合によってはゴールキーパーの選出にも影響を及ぼす。様々な要素が絡み合っていて、フォワードをひとり変更すれば万事オッケーというわけではない。

そこで、長時間労働を改善したいなら、最終型を描け、というのが先にあげたエントリーの主旨なのだが、なぜ最終的な姿をイメージしなくてはならないのかをわかっていない人が多そうだ。

ゴールセッティングが重要な理由は、おおよそ次のようなものである。

●フォーカスすべきポイントが明らかになる
●到達すべき目標が明確になる
●当事者を従事しつづけさせる
●予定よりも遅れたとしても諦めないで済む
●モチベーションが持続する


逆に、最終型が不明確だと、何をやって良いのかわからないし、目標が達成できたかどうかもわからないし、当事者も飽きてきちゃうし、予定より遅れたら諦めてしまう。目の前にある問題が独立して存在するならともかく、社会の中で必然的に生まれている状況ならば、社会全体を変えなくてはならないし、そのためには「こういう社会にしたい」という理想像の共有が必要なのである。

このゴールセッティングは社会的な問題に限らず、個人でも有効だ。たとえば「陶芸家になりたい」という目標を設定した場合、じゃぁ、何をやるべきか、と考えることができる。逆に、「陶芸が好きだ」では、何をしたら良いかさっぱりわからない。作品を見るのか、作るのか、本を読むのか、窯元を見学するのか、他の美術を学ぶのか、やれることはたくさんあるのだが、それがなんのためなのか、何を目標にしているのか、何もわからない。

先日の長谷川なんとかの炎上騒ぎにしても、彼がキチガイなのは間違いないのだが、それがなぜなのかはわかっていない人が多いと思う。

なぜダメなのか。それは、話が透析患者に限定されたものではなく、ほとんどありとあらゆる領域で、本人の不注意や不摂生で病気や怪我が発生していて、どこに線引きして良いかわからない、つまり、非常に実現性の低い話を展開していたからに他ならない。つまり、ゴールセッティングができてなくて、目の前の問題に感情的になっていたからダメだったのだ。

このブログではそこをきちんと書いたつもりなのだが、世の中の多くは「殺せ」という単語の不適切さにこだわっていたようだ。

かように、何かをやろうとするなら、ゴールのセッティングは非常に大切になってくる。全ての議論は、まずはそこからスタートなのである。ちなみに、日本の労働問題に関して僕が考えているゴールは前述のエントリーで箇条書きにしたけれど、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化


である。でも、きっとこの内容でコンセンサスを形成するのは難しいのだろう。若い人は、可能なら、さっさと日本を脱出した方が良い。会社を辞められないのも、日本から脱出できないのも、僕からみたら同じである。もらえもしない年金をチラつかせて若者からお金を搾り取るぐらいに、日本は国家としてブラックである。

関連エントリー:なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html  
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2016年10月16日

長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない

件の電通社員過労死問題にあたっての反応をネットで読むにつけ、本当に日本は近視眼的だなと感心する。大勢の反応は「長時間労働けしからん」という論調だが、この調子で主張するから、いつまで経っても日本人の長時間労働はなくならないのだ。そのことに気がつかないところが残念至極なのだが、若い人たちがそれに気がつかないのはある程度仕方がないのかもしれない。なので、繰り返しだが、懲りずに書いておく。

何度も書いているのだが、カネボウやら、シャープやら、日本の古い企業が潰れている中、それでも多くの企業がなんとか踏みとどまっているのは、優秀な社員が長時間の労働に耐えているからに他ならない。ただ、その陰には、その何倍もの数の企業にとっては優秀でない社員が半強制的に働かされているのも確かだ。効率が悪いとはいえ、一定の成果を出しているのも間違いないので、今ここで一律に「全員、長時間労働禁止」としたら、多くの会社は優秀な人間のアウトプットと、それなりの人間のアウトプットの両方を失って、競争力はさらに減退するだろう。これによって、ただでさえ状態の悪い日本の景気は一層悪化するはずだ。このくらいのことは日本の大企業で管理職をやるぐらいになれば誰でもわかるので、実数としては多数派の非ホワイトカラーたちが「長時間労働反対」と主張しても、一向に事態は変化しない。もちろん、多数派の主張を盲目的に取り入れたなら、それはそれで大変な話なのだが。

では、何が悪いのか。簡単に言えば、日本の企業の生産性が低いからである。日本の企業は、その体質により、構造的に低い効率と生産性から逃れることができない。簡単に言えば、会社で能力を発揮できなくなった社員のクビを切れないので、その社員に足を引っ張られてしまう。低い生産性をリカバリーするために、長時間労働せざるを得なくなる。

だから、長時間労働の対策は、効率と生産性をアップさせれば良い。低効率・低生産性の原因はこれまた何度も書いているけれど、旧態依然とした日本の雇用習慣である。目指すべき環境ははっきりしていて、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化

などである。え?いきなり話が飛んでない?と思うかもしれないが、長時間労働とこれらの日本特有の労働環境問題は密接な関わりがある。

上述の「目指すべき環境」には異論はあるかもしれないが、日本の低成長を危惧しているOECDからも2008年に勧告がでている。

Japan could do more to help young people find stable jobs
http://www.oecd.org/japan/japancoulddomoretohelpyoungpeoplefindstablejobs.htm

この勧告ではストレートに上述の6項目を列挙しているわけではないが、勧告を実現するためには、この6項目の多くを実現する必要があると思う。この環境を実現するためには労働者サイドにも不利な話はあって、それはたとえば労働力の流動化には無期雇用者の解雇規制の緩和がセットで語られることになる。すると、「それはけしからん」みたいな話になるので、いつまで経っても、日本の労働環境は改善せず、そのしわ寄せは若い人の方に向かう。ところが残念なことに、若い人は、社会経験が少なすぎて現実的な最適解を見つけることができない。自分たちで墓穴を掘ってしまっているのだが、多分、ほとんどの人はそのことに気がついていないのだろう。とりあえず、若い人たちは上の勧告だけでも読んだ方が良い。

とりあえず、長時間労働に絞って書くと、自己の裁量で働き自己を管理できる人間と、他人に管理されて働く人間とは、全く異なる人種なので、それを同一に論じるのは無理なのだ。それゆえの「ホワイトカラー・イグゼンプション」なのだが、なぜかホワイトカラーではない人たちがこの制度の導入に反対して、労働環境の改善が遅々として進まないのが今となっては滑稽ですらある。

その原因がどこにあるのかは不明なのだが、もしかしたら、労働者を使える人間と使えない人間とに分けてしまうと受け止められているのかもしれない。つまり、非ホワイトカラーになってしまったら、一生搾取される側になる、みたいなことだ。この辺になってくると今度は年功序列と密接な話になってくるのだが、こうした「労働環境の改善に関するちょっとしたお話」ぐらいでもすでにいくつかの要素が関係してくる。上に6つの要素を列挙したのだが、実はその6つは独立に存在しているのではなく、相互に密接な関係を持っている。どれかひとつだけを実現しようとしても無理なのだ。また、逆にいうなら、この中で海外からも強く実現を要請されている「同一労働同一賃金の実現」を実現しようと思えば、他の5つも全て何らかの対応が求められる。

とはいえ、いっせいのせのかけ声のもと、全部変えてしまっては大混乱になる。大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ。

「人が死んじゃった。なんとかしなくちゃ」で済む話ではない。目先の問題を解決しようとしても、それだけでは事態は好転しないし、むしろ悪化する可能性が高い。過労死は、会社単体の問題ではないということはここに書いた通りである。

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html

かように長時間労働問題はそれだけ切り出して実現することは不可能なのだが、議論として長時間労働問題を解決する手段を考えるなら、「法律でホワイトカラーと非ホワイトカラーを明確に分離し、非ホワイトカラーについてはきちんと保護せよ」ということになる。

#長時間労働対策だけをするのであれば、これだけで可能である。しかし、非ホワイトカラーの労働時間を削減すれば企業の生産力は落ちるので、このままでは企業の競争力が落ちて、企業そのものが退場に追い込まれてしまう。焼け野原に外資系企業がやってきて、日本は外資系企業の天国になってしまうかもしれない。

それにしても、いつまで経っても日本では「総合的なパッケージで労働環境全体を変えていかなくてはダメなんですよ」という話になって来ないのが不思議で仕方ないのである。


  
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