2018年07月08日

ふるさと納税を利用して爆発的に税収を増やす方法

こんなニュースを見かけた。

ふるさと納税「国に反逆」12自治体を初公表…泉佐野市など、豪華返礼品抑制せず
https://www.zeiri4.com/c_1076/n_518/

ふるさと納税はもともとがクソな法律なのだが、そのクソっぷりを利用すると税収が青天井になってもおかしくないやり方がある。

実はすでにある自治体に提案したことがあるのだが、「国に目をつけられて交付税をなくされたらやっていけないので、実現できない」と言われてしまった。法律を作る側が馬鹿だとこういう手もあるよ、という意味で公開しておく。

まず、自治体(便宜上A市とする)は地域振興券を発行する。これはA市内でのみ利用可能な振興券である。簡単に言えば、A市限定の通貨である。

次に、「高齢者向けのサービス」という名目で、「Amazonで代理購入する会社」をA市内に立ち上げる(便宜上B社とする)。

そして、ふるさと納税の返礼品としてA市の地域振興券を配るのである。今は、こういった擬似通貨の配布は通達で禁止されているようだが、数年前までは可能だったし、今も国に反逆するなら可能だろう。

全国の納税者は、A市にふるさと納税して、返戻品としてA市内で利用できる振興券を受け取る。割合は何%でも良いが、例えば納税額の30%としよう。そして、その振興券を使って、B社に発注するのである。買い物はAmazonの商品から選ぶ。

B社はAmazonでの代理購入手数料として定価の10%程度を受け取る。B社が用意すべきはカスタマーセンターで、倉庫等は必要ない。Amazonで何か買いたいと思っている人なら、どんどんA市に納税して、戻ってきた30%で買い物をすれば良い。B社の手数料が10%なら、地方税が実質的に27%割引になるわけだ。

これが実現したら、夕張市であってもV字回復するだろう。ふるさと納税はじゃんじゃん増えるし、B社の所得税も期待できるし、雇用も爆発的に増えるだろう。必要なのは、市長の覚悟である。

#ただ、ふるさと納税制度がなくなったら、A市もB社も終了だけどね。一定の企業規模になってしまえば、「何言ってるんだ、クソな法律作ったお前たちが悪いんだろう。今更法改正したら、雇用はどうなる。仕事を失う人間の面倒は誰が見るんだ」という話になると予想。どこかの貧乏自治体、やらないかな。協力するけど。  

Posted by buu2 at 01:01Comments(2)ニュース

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2018年06月24日

太田啓子弁護士の主張と長谷川豊の主張の相同性

太田啓子弁護士が、下記の記事で誘拐肯定映画の放送について解説しているのだが、

『幸色のワンルーム』放送中止に批判の嵐……弁護士・太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る
http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

この記事を読んで、すぐに僕が感じたことはこれである。




太田氏の主張のどこが受け入れにくいかといえば、この部分に尽きる。

『誘拐ドラマがダメなら、殺人ドラマも強盗ドラマもダメってこと?』と言う人がいますが、ここには決定的な違いがあると思います。殺人や強盗は『悪いこと』という共通認識、不動の前提がある一方、誘拐に関しては『悪いこと』と認識しない人がいるのです。


殺人は悪いことと共通認識があるが、誘拐はそうではない、という感覚はあくまでも太田氏個人のもので、万人に共通とは思えない。それを以って「決定的」と言ってしまうところ、理解に苦しむ。殺人を悪いと思っていない人もいるだろうし、それ以上に誘拐が悪いことだと感じている人は非常に多いはずだ。くだんの、朝霞市の誘拐だって、犯人は社会に隠れて誘拐、監禁していたわけで、自分が悪いことをやっている、社会から容認されないことをやっているという自覚はあったはずだ。

なお、これは余談だが、僕は朝霞の事件では朝霞市立第三中学校と誘拐現場(朝霞市三原)のすぐそばにずっと住んでいて(朝霞市東弁財)、事件の始まりから終わりまで、すごく身近な事件として受け止めていた。結果的には、誘拐までのすべてのことが当時の僕の14階の自宅から一望できる場所で起きたことだった。

誘拐が悪いことと認識しない人がいるというなら、窃盗はどうなのか、万引きはどうなのか、大麻はどうなのか、未成年者の喫煙はどうなのか、違法駐車はどうなのかといった具合にグレーなことは山ほど出てくる。太田氏はわかりやすくするつもりで殺人や強盗を例に出したつもりかもしれないが、極端な例を出すことで正当性を担保することはできない。

また、犯罪を肯定的に描いた名作も、過去にはある。「スティング」(詐欺)などは代表例だが、「ゴッドファーザー」(殺人を中心になんでもあり)シリーズにとどまらず、北野武監督や園子温監督などの作品にも、必ずしも絶対悪として殺人を描いていないものがいくつも存在する。監督という切り口をはずせば「白夜行」(小説、映画、ドラマ)なども例としてあげられるし、逆に誘拐に限定したとしても、名作かどうかはともかく、「コレクター」とか、「完全なる飼育」などの作品がある。最近なら「八日目の蝉」という、映画のみならずNHKでドラマ化された作品も存在する。こうした反例として、破壊屋さんはこんな例を挙げている。




何が良くて、何が悪いのか、判断は「個人の感覚」に立脚する。一つをダメとすれば、「じゃぁ、これは?」「あれはどうなの?」という疑問が次から次へと湧いてくる。

また、この手の議論では時々「被害者が見たらどう思うか」という主張が見られるのだが、それを言うなら交通事故の被害者は事故のシーンを見たくないだろうし、小売店を経営している人は万引きのシーンを見たくないだろうし、薬物中毒者も、家族に自殺者がいる人も、見たくない場面はあるはずだ。

ざっとまとめてみると、次のような項目について、「それって、個人の感覚だよね」という部分がある。

◯その犯罪が、どの程度「悪いこと」として社会に認識されているか
◯どの犯罪までが作品の表現として許されて、どこからが許されないのか
◯作品の中で、犯罪をどう表現すれば良いのか、どう描けば肯定的で、どう描けば否定的なのか
◯描かれている犯罪を見る側がどう受け止めるか

これらは、全て心理主義による判断に委ねられてしまう。それゆえ、太田氏の主張をすんなりと受け入れることができないのだ。そして、その心理主義的な判断による規制の正当化は、2年前に長谷川豊という馬鹿が展開した論法と同じ危険性を孕んでいる。詳細はこちらを見てもらうと良いのだが、

長谷川豊というキチガイ
http://buu.blog.jp/archives/51532632.html

僕の主張の要点は、「どこからどこまでが個人の責任と断定できないことについて、全て個人の責任と断定することは不当である」ということだ。長谷川豊は「そのまま殺せ」とまで表現したのでキチガイ認定したのだが、境界が不鮮明なところに個人の感覚で線を引くという点では、長谷川豊と今回の太田氏の主張は同質である。

太田氏の主張が正当かどうか判断しようと思うなら、太田氏が記事の中で書いている「法律を作れと言っているのではない」をあえて想定し、立法化を考えてみると良い。「文芸作品、映像作品などで誘拐を肯定的に描いてはいけない」と法規制するとどうなるのか。誘拐とは何か、肯定的とは何か、誘拐はダメで殺人や大麻吸引は良いのか、そもそもなぜダメなのか、色々な疑問が生じてくる。

僕は理化学研究所の組織規程を作ったり、あるいは経産省の役人として法律を作る立場にいたことがあるのだが、その時にもっとも重視したことは、「誰が読んでも同じ受け止め方をする書き方、内容にする必要がある」という点である。今回の太田氏の主張は、様々な疑問に一切答えず、「私が不愉快だから、ダメなものはダメ」と言っているように感じられるのである。

その上で、太田氏は法制化を主張していない点を長所として書いているのだが、

私も含め、放映を批判した人たちは、例えば法律をつくって、女児誘拐を肯定的に描くことを禁止しましょうなどということは言っていないのに、『表現の自由への弾圧』などというのは、議論の次元を誤解した的はずれな反応です。表現物や表現者のスタンスへの批判や論評も、表現の自由の行使ですしね。そうではなく、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのですが


このように法制化を避けて、現場の判断に丸投げする姿勢は僕は支持しない。こういう姿勢の典型例が日本での喫煙規制で、明確な規制がないことによって、目に見えない「マナー」「常識」の問題に帰着されてしまい、現場にコンフリクトを発生させている。実際、このブログで何度も書いているのだが、僕は三菱総研時代、禁煙の執務室での喫煙の容認を許容できず、転職するに至った(1996ー1998年ごろ)。現在の飲食店でも、時々隣のテーブルの客から「タバコを吸っても良いですか?」と聞かれて微妙な空気になることがある。現場での衝突を生まないように、わかりやすく法規制するのが一番正しいのである。そして、法規制が違憲だというなら、そもそもその圧力が筋悪ということになる。

放送したことによって放送局を批判したり、作品を批評することは一向に構わないと思うのだが、放送前に、放送の是非について視聴者サイドが「これはダメ」「これはオッケー」と意見を言って圧力をかけることには、大きな違和感を持つ。

なお、僕は太田啓子という弁護士のこれまでの主張、情報発信、活動、略歴等について何も知らない。  
Posted by buu2 at 15:03Comments(0)ニュース

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2018年06月09日

先に立つもののありよう

5歳児を虐待して殺したというニュースを読んだ。

5歳女児死亡、“保護責任者遺棄致死”で両親逮捕
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180606-00000041-jnn-soci

このニュースを読んで、思ったことが二つ。

一つ目は、日本の児童保護の遅れについてである。米国だと、次のようなことは犯罪になる可能性が高い。

ーーーー
子供だけで留守番をさせる。
子供だけで外出させる。
車内に子供を残す。
子供の頭を小突く。
嫌がる児童と一緒に入浴する。
子供を怒鳴る。
乳児の入浴写真を公開する。
スクールバスを追い越す。
ーーーー
出典:米国での生活上の注意事項(在ナッシュビル日本国総領事館)など
http://www.nashville.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/americaseikatsutyuijikou.html

日本人の感覚からすると、そんなことまで規制されているのか、とか、子供だけで外出できないなら、誰が面倒を見るんだ、という感じだと思うのだが、米国の映画で、小学生の子供を学校まで送り迎えする場面を見たことがある人も多いと思う。こういうシーンは何気なく観てしまって、心にも留めていない人が多そうだが、米国では子供を保護するのは当たり前で、たとえ親であっても虐待は許されない。冒頭で紹介したような事件は、かなり早期の段階で対応できた可能性が高い。

子供を保護するためには、当然親の負担が大きくなる。日本の雇用形態で、両親共働きの場合は、子育てなど無理と感じるかもしれない。米国と同じように子供を保護するためには、社会全体で覚悟をもって考えなくてはならないのである。果たして、日本社会にそういった覚悟があるのか。「情報共有がうまくいかなかったのが悪い」「児童相談所が悪い」「役所が悪い」などと、他人任せにしようとしているのではないか。

やってやれないことはないのだ。米国で暮らしている日本人はみんなやっている。そういう覚悟があるのか、どこかの誰かがちょっと労力を割いてくれれば解決すると安易に考えていやしないか。日本人はもっと子供を守る意識を高めた方が良い。子供は選挙権を持っていないし、自分で法律を作ることもできない。彼らの権利を守り、安全を確保してやるのは大人の役割である。児童相談所が適切に対応できないでいるのは、その活動を担保する法律がないからだろう。国はさっさとそういう法律を整備した方が良い。

もう一つは、子供との向き合い方だ。子供は親を選ぶことができない。時々、老後の面倒を見てもらうために子供を作るという話を聞くが、子供は親の奴隷ではないから、老後の面倒などとんでもない押し付けである。もちろん、子供が自主的に親の面倒を見るのは構わないが、親の面倒を見ない子供がとんでもないと考えるなら、それは間違っていると思う。親から受けた親切は、次の世代に返せば良い。100%親のエゴで子供を生んでいるのだから、面倒を見る義務を押し付けるのはお門違いである。

そして、親は、子供に対して義務の代わりに、一つでも多くの「可能性」を与えるべきだ。

今の日本は、その可能性がどんどん狭まっている。経済的に成長しきった社会は少子高齢化になる傾向が顕著だと思うのだが、その原因は、一つには成熟した社会の可能性のなさにあると思う。僕の場合、子供が米国籍を持つことができるということだけで、子供を作っても良いと考えた。米国も成長した社会だが、実際にそこで暮らしてみると、日本よりもはるかに自由で、機会があり、可能性と希望がある社会である。この国ではたくさんの子供が生まれ、育っているが、可能性という切り口では日本とは雲泥の差がある。

親は、子供を作る以上、少しでも大きな可能性を子供に与えてあげるべきだと思う。しかし、冒頭の記事の親は、逆にその可能性をどんどん摘んでしまい、挙句には完全に奪ってしまった。亡くなった子供には気の毒以外に言葉がないのだが、こうしたニュースを知るに当たって、すべての親が、子供に対して、あるいは、上司が部下に、先生が生徒に、監督が選手に、先輩が後輩に、あらゆる場面で、先に立つものは、後からくる人間の可能性を広げているか、むしろそれを狭めていないか、考えて欲しいと思う。

日本サッカー協会の会長、日大アメリカンフットボール部の監督、安倍晋三や佐川宣寿、こういった、あとからくる人間たちの可能性を狭める人間にはなりたくない。  
Posted by buu2 at 12:43Comments(0)ニュース

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2018年05月22日

恥ずかしい人間、内田正人と、恥ずかしい大学、日本大学(安倍晋三そっくり)

スポーツにとどまらず、たとえば勉強や音楽でも同じだが、人間は自分が好きでやっているときに一番上達すると思う。その点で、アメフトを楽しんで、日本代表にまでなるほどだった選手に、「楽しくない」「続けたくない」と感じさせるような監督の手腕が評価されているのはおかしくないか?この監督のもとで日本一になれるチームなら、他の監督ならもっと上を目指せそうだ。

内田正人という前監督は、有能か、無能か以前に、醜悪である。問題が起きてもなかなか表に出てこず、自分の言葉で語らない。コーチや大学当局と相談して、裏で自己保身のための小細工をする。責任を取ると言いつつ、「監督をやめれば良いんでしょ」という、不誠実な態度に終始している。そして、大学の役職について問われれば「それは別の話」とはぐらかす。これは、今の内閣総理大臣の安倍晋三のやり方にそっくりである。もっと言えば、鉄砲玉を敵対組織に突入させる暴力団の親分や、ゼロ戦で特攻させる旧日本軍の上層部の態度と同じだ。

百歩譲って監督の話が本当だったとしても、一度目のタックルで交代させるべきだったのにそれをしなかった罪は大きい。

安倍晋三絡みでも、少なくない人間が告発サイドにまわった。彼らは最初から安倍晋三の敵だったわけではない。蜥蜴のしっぽ切りよろしく、自分を切り捨てていく姿を見て「冗談じゃない」と考えたのだろう。

今回の問題も同じで、タックルをした学生が謝罪会見を開いて、監督、コーチ、大学を告発した。じゃぁ、彼はそれをやりたくてやったのか。もちろん違うはずだ。事実を捻じ曲げて、逃げ回り、自分に責任を押し付けようとする大人たちを見て、「私の責任はこれ」と線引きせざるを得なくなったのだろう。

まだまだ将来がある、タックルをした選手と、タックルを受けた選手を尻目に、逃げ回り、自己正当化に走っている姿は滑稽ですらある。特に、タックルをせざるを得なかった選手の態度とは対照的である。

また、その内田正人と一緒になって事態を悪化させている日大も情けない。大学が一番守らなくてはならない人間は、最も弱い立場の、タックルせざるを得なかった学生である。しかし、実際に彼らが守っているのは一番権力者に近い内田正人である。卒業生や在学生はどうしようもないだろうが、来年以降大学を受験する人たちはこの姿を良く覚えておいた方が良い。こんな大学でまともな勉強ができるのか、良く考えた方が良い。幸いにして、大学は他にも山ほどある。  
Posted by buu2 at 09:29Comments(0)ニュース

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2018年05月18日

スポーツ界いろいろ雑感

テニス
錦織が調子を戻して来たのは良いニュース。ジョコビッチやナダルに負けるのは仕方ない。あとは怪我が心配。
大坂なおみはメンタルにムラがあって、成績の波が激しい。それが魅力でもあり、欠点でもある。今年はDCのシティ・オープンに来て欲しい。

サッカー
ハリルホジッチはサッカー協会を提訴するらしい。ぜひやって欲しい。
西野の選んだ代表はハリルホジッチの代表とほとんど変わりがない。一層、ハリルホジッチをクビにした理由がわからない。西野の方がマシとは思えない。
それにしても、本当に神戸にイニエスタが来るの?スキラッチ以来の衝撃なんだが。楽天は金持ってるなー。三木谷さんが米国からスペインへ向かったのは聞いていた。

アメリカンフットボール
スーパーボウルぐらいしか観ない素人だが、日大の対応、特に内田正人監督の対応は全くいただけない。責任者にも関わらず表に出てこず、責任を他者に押し付けている。こういうの、最悪。

野球
中日は相変わらずパッとしないので、日本の野球にはあまり興味がない。
メジャーは、やっぱり大谷がすごすぎる。ただ、DC界隈の米国人の友人たちの口から大谷、イチローなどの日本人メジャーリーガーの話を聞いたことはない。ほとんど興味がないようだ。大谷がつぎに世界を驚かせるには、左で投げるとか、右で打つとかだろうか。リアル星飛雄馬だな。

相撲
男女差別をするので興味ない。  
Posted by buu2 at 23:39Comments(0)スポーツ

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2018年05月04日

羽生結弦パレードの実行委員会が無能すぎる件

日本人の頭の悪いところが良く出ている記事である(もちろん、すべての日本人が、ではないが)。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180504-00010000-khbv-l04

記事では、羽生結弦のパレードのスタッフジャンパーがネットで高値で落札されていることを問題視しているのだが、実行委員会が「道義的に問題がある」って、バカ丸出しである。経済が活性化して良いことだし、どんな道義に反するのか理解不能だ。

僕からすれば、こんなことを問題視するくらいなら、そもそもボランティアに協力を仰ぐ方がおかしい。ユニフォーム代など、どこかから予算を捻出する余裕はあるのだから、そんなジャンパーなど作らず安価なリボンや腕章を使って、スタッフは有料で雇用しろよ、という話である。ボランティアこそ、何の経済効果も生まず、労働力を搾取している悪行である。ジャンパーなども、「スタッフの記念になるし、自分たちも嬉しいから作ろう」というよこしまな考えが透けて見える。本当にくだらないもので、耐久性も低ければ、例えば紙で作った名刺を既製のフォルダに入れて使うなら、個人名も書かれていて転売の可能性などほとんどないのである。そして、役割は十分に果たすことができる。「感謝の意味」を品物に含めて、その気になっているからこんなことになる。感謝の意味は金で払うのが一番簡単だ。

日本人には、商売や金が汚いものという意識が根強いと感じる。チケットの転売でも同じだが、「楽して儲けるのはけしからん」という考え方なのだろう。しかし、楽して儲かるなら結構なことだ。汗水垂らして働かなくて良いなら、それに越したことはない。「そんなことになったらみんな働かなくなる」なんていうことは杞憂で、誰かがやらなくてはならない、でもみんながやりたくない仕事は給料が上がるだけのことだ。労働者のスキルアップにつながらない、それでいて負荷の高い仕事は高給なのが当たり前で、少なくないケースでそうならないことの背景には、「苦労することは美徳」というマゾヒスティックな思想があるのだろう。

チケットの転売問題の時にはこう書いたのだが、

ネットダフ屋を法規制することの愚と、まずやるべきこと
http://buu.blog.jp/archives/51557746.html

今回のケースも同じで、悪いのは売った人たちではなく、売ることができる状態を作った実行委員会である。自分たちが悪いのに困惑しているって、お前らはどれだけ無能なんだ、という話である。本当に困るなら、スタッフは普通に雇用して、賃金を支払い、ジャンパーは回収すれば良い。

この記事を読んで溜飲を下げている人間たちもずれている。ユニフォームが高く売れて羨ましければ、お前らもボランティアやって、同じように転売すれば良いだろ、という話である。日本人は、少数が幸福になるくらいなら、多数が公平に少しずつ不幸を分け合いましょうと考えがちである。そのおかげで社会全体が少しずつ不幸になってきている。いつまで経ってもUberが本格導入できないなど、海外では当たり前のことがさっぱり実現しない。島国で、外がどうなっているか気がつかないのだろう。

だいたい、ジャンパーが高値で売れて、誰が困るのだ。「誰かが楽して大儲けしている」というのが不満なだけ、ただの嫉妬である。そいつらは、ジャンパーが不要な人が「こんなのいらない」とゴミ箱に捨ててくれれば嬉しいのだろう。

こういう社会主義的な思想がテレビで垂れ流されて、同じような人間が再生産される。外部からの指摘は期待できず、改善の望みもあまりなさそうだ。この風土が肌に合わない人間は、さっさと海外へ逃亡するしかない。  
Posted by buu2 at 21:25Comments(0)ニュース

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2018年02月17日

最低賃金が米国並みにアップすると、日本の社会はどう変わるのか

ヨミドクターにこんな記事が掲載された。

データで見る「共働き社会」…妻にのしかかる家事・育児、夫の年収は減少激しく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180217-00010000-yomidr-soci

「少子高齢化社会の日本においては、共働き社会の構築が大切」という内容で、この内容に異を唱えるつもりはないのだが、共働き社会の構築と非常に相性が悪いのが最近良く耳にする最低賃金のアップである。「え?」と思う人も多いかもしれない。

去年、最低賃金のアップを声高に訴えるデモのニュースを目にした。

「最低賃金、時給1500円なら夢ある」若者らデモ
https://www.asahi.com/articles/ASK4H46FSK4HUTIL00T.html

彼らの主張はもっともなように見える。しかし、この主張は自分たちの首を絞めかねないし、少子高齢化社会の日本にとっては大きなダメージを与えかねない。なぜそうなるのかについてこのブログでは時々書いてきたのだが、もう一度まとめておく。

最低賃金のアップを主張することの落とし穴は、「自分の給料がアップするだけではない」ということだ。世の中の遍く全ての労働者の賃金がアップする。ちょうど米国がそういう社会なので(最低賃金が時給15ドル〜18ドル)、世の中がどう変わるか、参考になるだろう。

最低賃金が上昇するということは、単純労働の単価が上がるということなので、そういった労働に依存するサービスの料金が上昇する。

まず、飲食店のスタッフの人件費が上昇するので、飲食店の価格がアップする。ワシントンDCでは、ラーメン一杯15ドルが相場である。おそらく、吉野家や松屋といったお手軽な定食屋は、料金が倍近くになるか、業態が変わるだろう(自動化、セルフサービス化など)。外食産業は、軒並み価格がアップすると予想される。

次にコンビニなどの24時間営業店である。これらの業態維持も困難になるだろう。今は客が少なくても、スタッフの数を絞ることによってなんとか採算を維持できているようだが、最低賃金がアップすると、負担が大きすぎる。歌舞伎町のど真ん中など、特殊な環境にある店以外は、24時間営業の維持は困難になるだろう。ワシントンDCの郊外だと、24時間営業の店はほとんど存在しない。

今後の日本で影響が大きくなりそうなのが育児のコスト、保育料である。時給1800円として、1日8時間、月に22日働いてもらえば、その費用は単純計算で31万6800円である。時間を半分に減らす努力をしても、月額15万円を超える。ちなみにニューヨークやワシントンDCでの保育料は、子供ひとりあたり月額20万円が相場である。

この他にも、人の手によるサービス業は軒並み価格がアップするだろう。たとえば介護などもその一つである。それらをひとまとめにして表現するなら、「金持ちは面倒なことを他人に任せて楽をして、貧乏人は自分でできることは全部自分でやる社会」である。スーパーで食材を買ってきて自分で調理して、子供がいれば自分でその面倒を見るなら、高コストの影響はない。

また、見逃せないのが、自動化である。人件費が高いなら、可能な限りマンパワーを機械に置き換えてしまおう、という判断があって当たり前である。したがって、最低賃金に近いところでの雇用はどんどん減少していくだろう。

最低賃金をアップさせろという主張そのものに反対する気はないのだが、主張している側に「コンビニがなく、ラーメン一杯1500円が当たり前で、子供を持てば一人当たり月額20万円かかり、老後に向けてきちんと貯蓄しておかなくてはならない社会」のイメージがあるのかはやや疑問なのだ。

そして、もちろん、共働き家庭の家計も直撃することになる。弊社の営業部長の姉がニューヨークで暮らしているのだが、共働きの彼女も「2人いる子供の保育費用で収入のほとんどが消えていく。何のために働いているのかわからない」と嘆いている。子供が2人いる共働き家族では、妻が50万円を稼いでも、保育料で40万円が消える。税金のことを考えると、マイナスになりかねない。それなら働かない方がマシなのだが、仕事をやめてしまうと、復帰したいと思ったときに、仕事が得られる保証がない。

全く別の話だが、先日、「米国の景気が回復したという数値データをもとにして米国の企業が従業員の給与をアップした」というニュースを読んで、「米国はすぐにこうやって反応するのに、日本はなぜベースアップに応じないのだ」というつぶやきをTwitterで見かけた。理由は簡単で、米国は解雇規制が緩いから、経営が難しくなれば解雇すれば対応できるところ、日本ではそれが難しいから、容易にベースアップに応じることができないのである。

物事は複雑に相関しあっていて、一つのところに外力を加えて変化させれば、それに合わせて様々な要素が姿を変えて、全体としてバランスを取る。最低賃金を1.5倍、あるいは2倍に増やすとすれば、その影響は小さくない。幸いにして、米国は一足先にそういう社会を選んでいるので、きちんと米国の現状を観察して、本当にそれで良いのか、きちんと考えておく必要がある。賃金がアップしてから、「賃金が上がったのに、暮らしは全然楽にならず、むしろ不便になった」と言っても、後の祭りである。

最低賃金は現状維持で、と言いたいわけではない。仮に、最低賃金を大きくアップさせた場合、どんな社会になるのか、そのイメージをきちんと持って主張して欲しいと思うし、それを支持するなら、同じように未来図を共有しておいて欲しい。その上での選択なら、それはそれで一つの見識である。  
Posted by buu2 at 13:12Comments(0)ニュース

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2018年02月15日

またもや銃の乱射事件

フロリダの学校で銃が乱射され、20人近い犠牲者が出たらしい。

米フロリダ州の高校で元生徒が銃乱射、17人死亡
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180215-00000032-reut-n_ame

NBCは朝からこの事件を取り上げて、何度もスマホで撮ったと思われる銃撃時の動画を放映しているし、討論番組も放映されている。声を出す人間たちの多くは銃の規制を呼びかけているが、政治家たちは動かない。

食文化と銃については、米国の周回遅れっぷりは凄まじいものがある。「危険なところに行かなければ良い」のは確かだし、人が大勢集まる場所はどこでも金属探知機による持ち物検査が行われているのだが、それにしても、もうちょっとなんとかならないものだろうか。  
Posted by buu2 at 22:47Comments(0)ニュース

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2018年02月08日

岡山県のバス事業に関して両備グループの対応が異常に気持ち悪い件

こんな記事が掲載された。

赤字31路線を一斉廃止へ バス会社、規制緩和に抗議
https://www.asahi.com/articles/ASL285SDXL28PTIL02B.html

非常に気持ちの悪い内容なのだが、日本ではそういう感覚では受け取られないのかもしれない。記事の概要は、『岡山県のバスの黒字路線に他社が参入申請をして、それを国が認可する方向で検討していたら、既存業者が「それなら赤字路線は廃止する」と表明した』というものである。

何が気持ち悪いって、両備グループという既存業者のやり口である。過疎地の住民の生活を人質にして、国に圧力をかけるというやり方がえげつない。規制緩和は当然の話で、市場性が高いなら、新規事業者はどんどん参入してくるべきだ。そして、そこへ客が取られそうになって、過疎地での事業継続が難しくなるなら、事業体がやるべきことは国への働きかけではなく、市場、すなわち利用者への働きかけである。「私たちの会社は、岡山県の多くの住民の生活を支えてきました。今後も、事業を継続できるように、割高ではあっても、当社のバスを利用してください」と主張するのであれば、何の違和感もない。向かう方向が国という点が気持ち悪い。これは、僕が経産省という規制緩和を旗印にしている役所で働いていたことや、自由主義社会の米国での暮らしが快適で仕方ないことにも起因しているのかもしれない。何しろ、交渉の行き先が国というのが筋悪である。おそらく、市場を信頼していないのだろう。「そんな主張をしても、結局安いバスを使うに違いない」と感じているのだと思う。

#実際、その可能性は小さくないと思うが。

このブログでは良く言及するのだが、シェイク・シャックというハンバーガー・チェーンが米国では人気である。ところが、シェイク・シャックのハンバーガーは、マクドとそう大差ない、大してうまくないハンバーガーを提供している。なぜ客がマクドではなくシェイク・シャックを選ぶのかと聞くと、「会社の雇用条件がとても良くて、社会に貢献しているから」という答えが返ってくる。市場が、会社の姿勢を評価しているのである。一方で、日本でもうまくもないシェイク・シャックに行列しているけれど、その理由は「米国ではやっているから」だろう。聞いてないけど。こうした点が、日米の社会の成熟度の差である。

こういう記事を読んで、「規制は緩和すべきではない」と考える人がいれば、いかにも村社会の人間という印象を持たざるを得ない。既得権者が優遇されて、新陳代謝のない社会には沈滞しかないし、お先は真っ暗なのだが、気がつかないのかも知れない。

#どうしても立ち行かないのであれば、公営化するという手もあるが、それはそれで時代に逆行している。ともあれ、多くの場面で、国の関与を減らしていくことが重要である。なぜなら、国の判断、あるいは官僚の判断は間違いが多いし、その上で間違いの責任を誰も取らないからである。

じゃぁ、岡山の交通事業に関して国交省の姿勢に全く問題がないかといえば、そんなこともない。タクシー業界の反対に屈してUberの参入の障壁になっているあたりは、ダブルスタンダードに感じられる。規制を緩和するなら、部分的ではなく一斉に緩和しないと、市場に歪みが生じる。って、これも、国に判断を任せた結果なのだが。

こういう話において僕のスタンスはマイノリティなので、日本が嫌になって今は米国で暮らしているのだけれど。

なお、冒頭の記事につけた僕のブコメはこれ。
規制緩和も、赤字路線廃止も、全部正しい。低料金業者の参入を認めないのは単に社会主義。対応して両備グループが撤退するのも当然。書き足りないからブログに書いた。
  
Posted by buu2 at 11:44Comments(13)ニュース

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2018年01月24日

京大iPS研の論文不正に関する雑感

京大iPS研で論文不正が発覚した。

京大iPS細胞研究所で論文のねつ造や改ざん
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180122/k10011297591000.html

この件について、一部では「任期制の弊害」といった意見があるようだが、全く賛同できない。任期制の職業の代表例としてプロ野球選手やプロサッカー選手を挙げることができるのだが、彼らが八百長をしたところで、「任期制だからやった」などという擁護論が出てきた記憶はない。学者にだけ、こういう擁護論が出てくるのは奇妙である。

大体、学者という職業は、日本では税金に頼りきっている職業で、それにも関わらず、納税者に対する情報公開意識や説明責任感が希薄である。先日、NIHで行われた講演で、日本人の聴衆から演者の研究者に対して「米国の研究者は納税者に対する説明責任を強く意識しているが、それは何に起因するのか」という主旨の質問があって、それに対して「身の回りの一般の人たちから常にプレッシャーを受けている」という内容の返答をしていた。研究者に限らず、公務員でも、議員でも、税金で暮らしている人間に対して、米国民が日常的に与えるプレッシャーは非常に大きい。最近はどうか知らないが、少なくとも僕が日本にいて、公務員や準公務員として働いていた時に、僕に対しても、僕の周囲の同僚に対しても、この種のプレッシャーを感じたことは一度もなかった。要すれば、ぬるま湯なのだ。

「職が安定しないから不正を働いた」などの擁護論は論外である。日本の研究環境が嫌なら海外に出て行けば良い。

また、山中さんの辞職について「日本にとって損失だからやめないで欲しい」という意見も目にしたのだが、これもまた論外である。辞めるべきか、辞めないべきか、それは過去の実績とは何の関係もない。自身がトップを務める組織の中での研究不正を防げなかった責任は、少なからずあるだろう。その評価は、実績とは切り離すべきだ。極端な話、ノーベル賞受賞者なら飲酒運転や窃盗が許されるのか、ということである。もちろん、辞めろ、というのではない。事実を整理した上で、発生した不正に見合った責任の取り方をして欲しいということである。

山中さんの良いところは、寄付による研究費の確保に熱心なところで、税金に頼りっきりの日本人の感覚では「ノーベル賞受賞者にあんな乞食みたいなことをさせて情けない」ということかも知れないのだが、米国の考え方では標準である。国に頼る方が、政治家や納税者に借りを作ってしまうし、国の財政状況にも影響を受けるので、リスクが増大する。iPS研の場合は研究資金の多くを寄付に頼っているので、まずは寄付をした人たちに対する説明をしっかりする必要がある。とはいえ、今回の研究も多少なりとも税金に頼っているところはあるので、そちらの説明責任もきちんと果たすべきだ。

一番悪いのは不正を行った研究者であって、その立場の不安定さを理由にして擁護するなどはお話にならない。何より、そういう立場で、不正をせずに努力している他のたくさんの研究者に対して失礼である。そして、次に悪いのは、直属の上司だ。所長レベルに実験ノートのチェックまで任せるわけにはいかないが、研究リーダーにはもちろんその責任がある。iPS研の体制は知らないが、所長>ダイレクター>リーダー>研究者ぐらいのヒエラルキーによる管理体制はあるはずで、これらのライン上の直属・直上の上司が無能だったと言わざるを得ない。所長ともなれば、研究ノートのチェックではなく、金を集めて、研究者に研究しやすい環境を提供するのが主たる役割だろう。

不正を行った研究者は倫理観が欠如しているし、それを見抜けなかった研究リーダーはリーダーとして無能だったということで、環境がどうのこうのと言い出して擁護するのは間違いである。

#擁護するのは大抵研究のことなんか全然わかっていないど素人か、税金からお金を恵んでもらいたい無能な研究者たちなんだけれど。

馬鹿その1 位田隆一・滋賀大学長
有期雇用のため、短期間で業績を上げないと任期を延長してもらえない恐れがあるなど焦りを生む研究環境も影響しているのではないか。

出典:京都新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180122-00000057-kyt-sctch


馬鹿その2 落語家 立川志らく
山中教授がもしお辞めになったとしたら、iPS細胞の研究は本当に白紙に戻りかねないし、人類の損失になりますから

出典:livedoor NEWS
立川志らく iPS論文の不正で山中伸弥氏が辞任になれば「人類の損失」
http://news.livedoor.com/article/detail/14202292/


馬鹿その3 産経新聞
成果に過度にとらわれる風潮が大学や研究機関に蔓延(まんえん)し、研究者の良心を歪(ゆが)めている

研究不正の根を絶つため、そして日本の科学研究が低落傾向から脱するためにも、国は本腰を入れて「行き過ぎた成果主義」の是正に取り組むべき

出典:産経ニュース
iPS論文不正 山中伸弥氏の「一心」を失ってはならない
http://www.sankei.com/column/news/180124/clm1801240002-n1.html


馬鹿その4 尾木直樹
任期付き雇用で早く成果を出さないと任期の延長をしてもらえないからだと言われています

iPS細胞研究なんて大切な分野には、国が全額ふんだんにお金投入すべきではないでしょうか?

出典:オギブロ 尾木ママオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/oginaoki/entry-12346859542.html

これは余談だが、このブログでいつも叩いている榎木英介氏についても「どうせいつものようにバカを晒しているのだろう」とタカをくくって見に行ってみたら、どういうわけか、今回はまともな意見に終始していた。

超まとも 榎木英介
こうした状況が研究不正を起こす背景になっているのか…憶測で語るのはやめたい。

山水氏を擁護する気はさらさらない

出典:iPS細胞研究も特別ではない〜科学を蝕む研究不正
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20180122-00080760/

ともあれ、何かあると、すぐに我田引水して自分に都合の良いように解釈する奴らには要注意である。あと、これも何度も書いているけれど、研究は誰かが無理やりやらせているのではない。研究者が、好きでやっているのだ。研究不正をしなくちゃならない状態に追い詰められたなら、不正をする前に転職してもらった方が、周囲に迷惑をかけずにすむ。好きなことをやりたい、でも、思うようにならないから、人を騙す、というのは、ただの自分勝手である。  
Posted by buu2 at 15:28Comments(0)バイオ

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2018年01月09日

成人式ってそんなに大事なの?

僕は、自分の成人式の日は妙高高原赤倉温泉でスキーをしていた。

理由は簡単で、その日はインカレのスキー大会が開催されていて、僕は選手だったので、スキーをしていたのである。尊敬するかもい岳レーシングの斉藤博さんは、「スキー選手にはクリスマスも正月もない」と名言を語ったものだが、僕たちにはもちろん成人式もなかった。

ちなみに、妙高高原はインカレ中の成人式が毎年のことでもあり(今はインカレはあちこち場所を変えているのだが、当時はずっと赤倉で開催されていた)、気を利かせて体育館で成人式をやっていたようだが、大会で疲れていたので参加せず、後輩に頼んで(僕は2年生だった)記念品の湯呑みをもらってきてもらった。その湯呑みもどうなったのかはわからず、かように、成人式は僕にとっては本当にどうでも良いものだった。

ちなみに、僕は「自分の意思で地元の成人式に行かなかった」のだが、一つ下の代の後輩で、一浪して入学していた部員たち(僕は現役だったので、年齢は同じ)は、インカレの雑用係でかり出されていて、彼らは地元の成人式に行きたかったのかもしれないのだが、強制的にスキー場へ連れて行かれていた。

僕は成人式には爪の先ほども思い入れがなかったのだが、それから30年以上経っても、相変わらず多くの日本人にとっては成人式って大事なのだろうか。

#予定をいれていたら当日になって振り袖レンタル会社が倒産してばっくれちゃって、おかげで振り袖を着ることができなかった、というのは当然気の毒なんだけれど。

18歳を成人にすると成人式が入試直前になって大変、なんて話もあるようだけど、それなら高校の卒業式で十分じゃない?高校進学してない人は例外になるかもだけど。

そもそも、18歳なり、20歳なりになるタイミングは誕生日によって違うので、みんな揃って着飾るというイベントの意味が良くわからない。20歳(あるいは18歳)の誕生日に着飾って、仲の良い友達に祝ってもらえば良いんじゃないの?

興味がないので良く知らないけど、成人式なんて、大方、金のない時代に「まとめてお祝いしようぜ」ぐらいのトーンで始めたことでしょう?やめちゃった方が、税金も節約できるよ。

行く人がどんどん減ってくれば、「もうやめようぜ」ということになるのかな。まぁ、成人式があっても別にすげぇ困るわけではないんだけれど。多分、成人式がなくなって一番困るのは、成人式で暴れようと計画していたヤンキーたちじゃないのかな。  
Posted by buu2 at 23:18Comments(0)ニュース

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2017年12月09日

ネットダフ屋を法規制することの愚と、まずやるべきこと

ネットのダフ屋を法規制しようという動きがあるようだが、

http://www.asahi.com/articles/ASKD574R6KD5UCVL028.html

こういうのを「頭が悪い」という。安く買って高く売るのはほとんどの商売の基本で、これが違法となるなら商社も、株屋も、不動産屋も、いろんな商売が違法になる。では、なぜチケットだけがダメなのか、という論理的根拠が必要なのだが、これが見当たらない。感情論で「気分が悪いから」で立法するのが、一番筋悪である。

「主催者側が転売を禁止しているからダメなんだ」という意見もありそうだが、そもそもこんな禁止が売買契約上意味があるのか、という問題がある。主催者という、消費者にとって有利な地位にあるものが、消費者に対して不当な条件を提示しているように見えるのだ。

では、チケットを大量に買い占めて、それを高額で転売するのが正しいのか、となるのだが、もちろんこれは社会的には正しくない。どうしたら良いか。バカはすぐに「法律で」となるのだが、お上頼みの日本人の悪い癖で、これをやっているから、いつまで経っても役人や政治家に頭が上がらず、彼らのやりたい放題になるのだ。法規制、役人頼み、政治家頼みは、最後の最後に考えるべきことで、極力避けるべきだ。そもそも、主催者側は手を尽くしているのか、やるべきことを全部やり尽くして、それでもダメで途方に暮れているのか、違うでしょ?と言いたい。

ここでちょっと米国のチケット事情を書いておく。2点、日本のマーケットとは大きく異なっているのだ。まず、チケットは条件によって細かく価格設定されていて、良い席と悪い席では10倍以上も価格が異なっていることがある。例えば今年の全米オープンテニスだと、最後列は8000円程度、最前列だと40万円ぐらいだったと思う。

S席とA席の2種類しかなく、東京国際フォーラムの最前列中央と40列端っこで同じ価格ということは、日本では普通でも、米国ではあり得ない。まず、この「価値の全く異なるものを同一価格で販売していること」が、大問題なのだ。

もうひとつ、日本と米国の違いは、米国では、かなり近くなっても、チケットの払い戻しが認められていることである。チケットに限らず、電化製品でも、食品でも、米国ではほとんどの品物でリファンドが認められている。今年のハロウィンのとき、常温保存可能なケーキを買って、家で保管していたら、一週間ほど経ってカビが生えてきたので、スーパーに持って行ったら、あっけなく払い戻しに応じてくれた。こういうリファンドのリスクも込みでの価格設定なので、日本の市場と簡単に比較することはできないのだが、チケットの販売主体がリファンドに応じるか、応じないかは、日米の大きな違いである。そして、リファンドが可能なら、二次マーケットなど不要なのだ。

だから、少なくとも僕は、米国の興行ではダフ屋など見たことがない。チケットが欲しければ、当日だってなんだって購入できるのだ。どうしても見たければ早めに対応すれば良いし、良い席で見たければお金を出せば良い。

米国は日本と比較して格差が大きい社会だが、貧乏人を排除することはしない。貧乏人でも飛行機に乗れるし、ディズニーランドにも行ける。ただし、ローコストキャリアは5時間も離陸が遅れることがあるし、ディズニーランドの人気アトラクションにも、金持ちはすぐに乗れるのに、貧乏人は長時間並ぶ必要がある。貧乏人は、参加はできるけれど、金持ちほど快適ではないのである。でも、それは当然だと僕は思う。

日本の興行主体は、まず、米国を見習って、価格設定の見直しと、リファンドに応じる姿勢を見せるべきである。これをせずに法規制を論じるのは時期尚早だし、生活者も、笑顔でこの提案に同意している政治家を支持するべきでもないのだ。

なぜダフ屋が存在し得るのか、そこをちゃんと考えた方が良い。最前列中央の席が20万円なら、ダフ屋だってそうそう儲けることはできなくなるし、リスクが大きくて手を出しづらくなる。貧乏人だって、3階の端っこの席なら、コンサートに参加することができる。もっと良い席で見たいなら、頑張って稼げば良いだけのことだ。

なお、僕は2002年のW杯決勝を最前列ほぼ中央で観戦したのだが、その時のチケット代は84000円だった。これが12000円なら、そりゃ、ダフ屋も大量発生するよね、ということである。

なお、過去にも同じようなことを書いているので、暇ならそちらもどうぞ。

コンサートプロモーターズ協会の石川篤総務委員(ディスクガレージ常務取締役)という以下略
http://buu.blog.jp/archives/51534385.html

コンサートとかのダフ屋対策について
http://buu.blog.jp/archives/51175699.html  
Posted by buu2 at 13:19Comments(0)ニュース

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2017年10月27日

髪の毛の色なんてなんでも良いんじゃないの?

日本人の多くは、他のみんなと同じだと安心する。自分が安心するだけでなく、他者にも同じであることを強制する。今日はこんなニュースを見かけた。

「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴
http://www.asahi.com/articles/ASKBS6D22KBSPTIL024.html
訴状によると、生徒の母親は2015年4月の入学時、生徒の髪が生まれつき茶色いことを学校側に説明。黒染めを強要しないよう求めた。しかし教諭らは、染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導した。「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」とも述べたという。


染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導した。」というだけで禅問答のようだ。

米国だと、髪の毛の色なんて本当に色々だから、そもそも誰も気にしてない。赤くても青くてもお構いなし。肌の色だって色々だし。

髪の毛の色を染めているのは不良だけ、みたいなイメージがあるから、髪の色を黒くさせたいのかもしれないが、本質は髪の色が黒いか、黒くないかではない。髪の色は目印に過ぎない。そこを無視して、色が黒いか黒くないかに注目し、自分の思う「理想」に矯正しようとするようだ。

これは、大人でも同様で、刺青も同じ。米国にいれば、みんな刺青をしているので全く気にならない。変なデザインの刺青は頻繁に目にするけれど、さっと流して気にとめることもない。日本では、刺青はヤクザの専売特許みたいなところがあるから、刺青があると銭湯にもいけない。だけど、刺青も、みんなが入れ始めれば目印としては機能しなくなる。悪いのは一般人にまで迷惑をかけるヤクザであって、刺青ではない。しかし、日本では刺青があるだけで入場を遠慮しなければいけない場所があるので、肩身は狭くなる一方で、改善する兆しはない。むしろ、医師免許のない彫り師を規制する方向にあるようだ。

髪の色を強制するのも、刺青を排除するのも、法的根拠はどうなんだろうな、と思うけれど、それを良しとしても、生まれつき茶髪の人間の髪を黒く染めさせるのは全く謎である。その延長で、

「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」

なんてことも言っているようで、つまり、髪を染めるのが悪いのではなく、黒くないのが問題で、そのためには茶髪の人間は黒く染めなくてはならないらしい。生まれつきが正しいのではなく、黒いことが正しいというのだ。そして、これが日本の公立高校の話だというのだから驚くよりない。こんな学校に通っていて、まともな人間が育つのだろうか。

とりあえず、今後の裁判の行方に注目したい。  
Posted by buu2 at 16:34Comments(0)ニュース

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2017年09月24日

福田峰之氏が自民党離党を表明した件

福田さんとは、日の出テレビを一緒にやっていた時からの仲である。当時は、自民党が冬の時代で、彼の周囲には数名の落選議員がいた。彼らを集めて、自民党市議会議員を含め、神奈川県自民党の議員、元議員による「日の出テレビ」を立ち上げていた。

僕は、福田さんと新横浜で実施されていた勉強会に参加していて(講師だったか、賑やかしだったかは失念)、その時に「議員は自分が語りたいことを喋るだけで面白くない。視聴率を上げるために、元木さんのような政治家ではない人間にも参加してほしい」と要望を出され、日の出テレビに参加した。

以後、週一回〜二回の放送を続けたので、そこそこの期間、日の出テレビに参加し、キャスターとしてだけではなく、運営も手伝ったことになる。また、日の出テレビが解散した後も、福田さんは僕の実家の選挙区の政治家なので、その活動を色々見てきた。まず、福田さんの代表的アクティビティだった日の出テレビと、議員としての活動の印象をざっと書いておきたい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

(1)日の出テレビ運営会議
月に一度だったか、運営会議が行われていた。この会議できちんと発言していたのは僕と山際大志郎氏(衆議院議員)、山下正人氏(横浜市会議員)の3人で、福田さんは議長的な役割で打ち合わせをハンドリングしていた。

(2)日の出テレビ運営会議参加者
僕は、運営会議は全て出席した。福田さんも、記憶している限りは欠席がなかった。逆に、牧島かれん氏はとうとう一度も顔を合わせた記憶がない。

(3)放送内容
僕以外は、視聴者が何を観たいかには興味がなく、ほぼ全ての出演者が、自分が喋りたいことを喋っていた。

(4)アシスタント
福田さんはずっと女性アシスタントをつけて放送していた。僕もその形式を踏襲したのだが、僕と福田さんの相違点はアシスタントに給料を払ったかどうかである。僕はボランティアという制度が嫌いで、デフレ誘引の一つの原因となると考えていたので、最後までアシスタントに出演料を払い続け、また、帰りが遅くなる場合には家まで車で送り届けた(番組の開始が23時だったりしたので、毎回神奈川県や千葉県の家まで送り届けた。なお、当時の僕の自宅は朝霞市だった)。この辺については、僕の番組の歴代アシスタントたちに聞いてみてもらっても良い。一方で、福田さんは「アシスタントはボランティア」という立場で、給料は支払っていなかったようだ。

(5)当選後
民主党が自滅して、自民党が勢いを取り戻したため、日の出テレビに参加していた自民党の落選議員たちは軒並み当選して議員に復職した。忙しくなってテレビ運営どころではなくなり、日の出テレビは解散した。この時の会議の様子は全部記録してあるのだが、私的な会議なので議事録の公開は避ける。取り立てて問題となるような発言はなく、「続けたいけど続けられない人」と「あまり意味がないので、途中からやる気はなくなっていた人」に分かれていたことが印象的だった。

(6)福田さんについて
個人的な感想を言うなら、「良い人」である。Facebookの記事などを読んでいると、誤字が多く、国語の成績は良くなさそうに感じる。政治的立ち位置はやや不明確で、他の議員たちよりは個性がなく感じられた。たとえば山際氏は小泉進次郎や、入閣前の河野太郎、他党でいえば江田憲司などに近く、山下氏は非常に常識的な人物ではあるものの、いわゆる右翼的な保守思想の持ち主で、根っこのところでは同意できないことが多々あった。例えば山下氏は安倍晋三に最大限の敬語を使っていて、それを指摘すると「一国の総理大臣なので当たり前」と答えていたのだが、それなら民進党や共産党の総理大臣が誕生しても、そういう言葉を使うのだろうかと感じた。福田さんは、そうしたカラーが色濃く感じられなかった。詳しく見ていくと、山際氏ほどではないものの、小泉進次郎や江田憲司に近いカラーだが、良くも悪くも、それが希薄である。結局、今後どんなブレインがつくか次第だろう。

このところ水素社会の確立に注力していたようで、この辺が今後の活動の核になってくるのかもしれない。ただ、水素周辺は水素水のようなトンデモ業者も存在するので、注意が必要だと思う。

(7)離党について
福田さんが離党する前は、彼のFacebookに「自民党の支持率が下落傾向にある今、江田さんに勝つことは難しく、また復活当選も難しいのではないか。落選したら、また一緒に日の出テレビをやりましょうか。ワシントンDCから参加しますよ。ただし、反アベノミクスですが」といった内容のことを書き込もうと思っていた。

神奈川8区は、河野太郎氏の15区ほどではないにしても、江田憲司氏が磐石の選挙戦を見せる選挙区で、神奈川県では河野太郎氏か小泉進次郎氏以外は太刀打ちできないことが予想される。そういった苦しい立場での離党なので、きちんとした説明がないと「復活当選が難しくなったので離党した」と言われるだろう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

さて、次に、僕が約2ヶ月前に書いたこちらのエントリーを読んでみて欲しい。ちょうど、福田さんにも言及している。

政治家を育てるのは有権者である
http://buu.blog.jp/archives/51550167.html

このエントリーで書いたことは、「政治家は有権者が育てなくてはならない」ということだ。政治家は、最初から有能なことは滅多にない。まず、性格が良くて、人柄が信頼できることが重要で、あとは優秀なブレインを見つけた方が良いのである。そうでないなら、映画俳優が米国大統領になったりはできない。また、最初から有能でも、人柄が悪ければとんでもないことになってしまうのは、豊田真由子議員の例を見れば明らかだろう。少なくとも、福田さんの人柄は問題がないと感じる。

今回、なぜ福田さんが離党という決断を下したのかはまだわからない。まずはそこを聞いてみたいのだが、せっかく離党するなら、僕がずっと主張してきている「労働力の流動化による景気回復」を目指して欲しいと思っている。

参考:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度
http://buu.blog.jp/archives/51550477.html

なお、これは余談だが、このエントリーに登場した江田憲司氏、小泉進次郎氏、山際大志郎氏、福田峰之さん、そして入閣する前の河野太郎氏は、安倍晋三とはかなり距離のある主張の議員なので、さっさと新党を作れば良いのに、と思っていた。  
Posted by buu2 at 13:35Comments(0)ニュース

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2017年09月15日

やっと、有期雇用に無期雇用の背中が見えてきた件

ニュースはこれ。

日本郵便「正社員との待遇差」訴訟、契約社員への手当支払い命じる…東京地裁
https://www.bengo4.com/c_5/c_1234/c_1720/n_6675/

日本郵便の契約社員3人が、正社員に支払われている各種手当が契約社員に支払われないのは労働契約法違反にあたるとして、日本郵便に計738万円の支払いを求めていた訴訟で、東京地裁は9月14日、日本郵便に計約92万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


このニュースを読んでの、僕のつぶやきがこれ。




「リンク先を読め」ということなので、140文字で十分なんだけれど、僕のツイッターを読んでない人もいるからね。最近、「元木は米国に行って変わった」と言われたんだけれど、とんでもない。僕は前からほとんど変化がないよ。多分。

なお、リンク先の記事はこれ。

有期雇用と無期雇用
http://buu.blog.jp/archives/50361562.html

だいたい、有能な人材が無期雇用を目指す時点で日本の社会制度は間違ってるんだよ。  
Posted by buu2 at 11:18Comments(2)ニュース

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2017年07月31日

竹下亘国対委員長がどんな奴か

自民党が閉会中審査への稲田朋美の参考人招致に応じないというニュースを読んだら、

自民 稲田前防衛相の閉会中審査への出席 応じない考え
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170731/k10011081721000.html

竹下亘がこんなことを言っていた。

竹下氏は記者団に対し「稲田氏は辞任という、いちばん重い責任の取り方をしており、辞任した大臣を国会に呼び出すことは、やってはいけない」と述べました。


なんだ、この馬鹿は。これが本当なら、大臣在任中に何をやっても、辞任さえすればオッケーじゃねぇか。国会に呼び出すということは、国民にきちんと説明するということだぞ。ということで、ウィキペディアでこの馬鹿についてちょっと調べてみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹下亘

●日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成。

●ヘイトスピーチの法規制に反対。

●女性宮家の創設に反対。

●選択的夫婦別姓制度の導入に反対。

●2017年3月7日の会見で厚生労働省が今国会に提出を目指す受動喫煙防止策を強化する法案について「たばこ大好き人間としては、全エリアで禁煙にすると言われたら、どうやって生きていけばいいのかという思いだ。できれば法案が出てきてほしくない」と語った(竹下は1日約60本を吸うヘビースモーカー)。


あぁ、こりゃダメだ。最初から最後まで、何一つ同意できるところがない。島根県民って、こんな奴を選ぶ人たちなんだね。  
Posted by buu2 at 21:54Comments(0)ニュース

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自分の選挙区の自民党議員のFacebookに書いてやった

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Posted by buu2 at 13:38Comments(0)ニュース

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2017年07月23日

ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度

先日、「ジョブなのか、キャリアなのか、それが問題だ」というエントリーの中で、ジョブとキャリアを明確に分けないから、日本人はホワイトカラー・イグゼンプションを理解できないと書いたのだが、ちょうど今日、こんな記事を見かけた。

<労働時間実態調査>時間減らしたくても仕事が終わらず
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170722-00000086-mai-soci

これは、ジョブとキャリアを分けて考えていないから出てくるひどい考え方の典型である。日本で言われている「高度プロフェッショナル」(高プロ)というのは、キャリア職の中で、さらに自分の裁量で業務量を調節できる立場の人間である。そして、その高プロ制度の導入に対して、ジョブ職の人間たちが反対を唱えているのである。おかげで、高プロの待遇も、その他のキャリアの待遇も、もちろんジョブの待遇も、ほとんど変わらない。

終身雇用と年功序列ゆえ、日本ではジョブ職として入社して、ジョブ職を続けていても、給料はアップしていく。しかも、クビにもならない。コピーを取り続けるしかできない人材でも、定年まで働き続け、勤続年数に応じて高い給料をもらうことが可能だ。実際にはこんなことを全員がやっていては会社は倒産してしまうので、多くのジョブ人材は、徐々にキャリアカラーの濃い仕事を担当するようになっていく。そのためには長い残業が必要だったり、社内研修が必要になったりする。

日本ではキャリア人材とジョブ人材を十把一絡げにして扱う。終身雇用と年功序列の中で、少しずつその配分が変わっていくようなキャリア・パスを用意する。仕事の性格(ジョブなのか、キャリアなのか)と、それを担当する人間の権利をそれぞれに分けて考えないから、日本の労働環境は全く改善されない。

それでもなお、日本でキャリアとジョブをわけて考えないのはなぜか。それはおそらく労働者サイドの事情による。「あなたは、ジョブを続けている限り、収入は増えません」とされてしまっては、困るのは労働者だ。終身雇用と年功序列は会社にとってよりもむしろ労働者にメリットが大きい。能力が低くても、勤勉な姿勢であればそこそこの人生を送れることは、農耕民族として一億総中流社会を構築してきた日本人にはとても都合が良かったのである。日本が、国内だけで完結していられるならこれでも良かった。しかし、今の世界は鎖国が可能な状態ではない。そうして、年功序列と終身雇用、換言すればキャリアとジョブの明確な分離をしないことによって、さまざまな部分で軋轢を生みつつある。

その最大のものが、同一労働同一賃金が実現しないことだ。ここまで書いてきて初めてこの言葉が登場したのだが、今の日本が絶対に実現しなくてはならないのが、この同一労働同一賃金である。

しかし、同一労働同一賃金は、単独で実現できることではない。終身雇用の解消も、年功序列の解消も、キャリアとジョブの明確な分離も、労働力の流動化も、全てが協調して作用しなくては実現しない。これは非常に簡単な話で、たとえば同一労働同一賃金の会社では、コピーしか取ることのできない社員は、賃金がアップする理由がない。これは、同一労働同一賃金と年功序列が共存し得ないことを意味する。安倍晋三は政府の方針として同一労働同一賃金の実現を単独で掲げているようだが、これは彼が馬鹿であることの証左である。彼は、ことの困難さをさっぱり理解していない。特に、この問題を正規、非正規の問題に落としているところが馬鹿である。(正規、非正規という言葉も法律的にはかなり疑問がある表現で、無期雇用、有期雇用で考えるべきだが)両者は第一にでてくるのではなく、キャリアとジョブの権利を考えるフェイズで登場するべきである。

ここで話を戻すが、日本社会の労働環境は、多岐にわたり、かつ複雑に相関している問題を抱えている。この中でもっとも簡単に実現できそうなのが、ジョブとキャリアの分離である。これは、実は労働者にとってもメリットが大きいし、単独でも考えやすい。

まず、ジョブとキャリアを分離しないことの問題点をはっきりさせておきたいのだが、それは、労働者が、両者を一体化して、その権利を主張してしまうことに尽きる。キャリア人材とジョブ人材は置かれている立場が全く異なるので、求めるものも異なってくるはずだ。ところが、ジョブ人材が求めている権利を、キャリア人材までが享受してしまうから、おかしなことになってくる。

たとえば、ジョブ人材はそのままでは自身のスキルがアップしないので、給料は据え置きになる。その給与で一生を終える可能性もあるので、給与水準は一定の高さが要求されるし、雇用もなるべくたくさん確保される必要がある。つまり、最低賃金のアップや、雇用の維持が、もっとも大切になってくる。場合によってはキャリアアップにつながる勉強も必要になってくるが、それは業務外の時間を当てなくてはならないから、残業もほぼない状態にすべきだ。そもそも、ジョブ職は自身の時間を提供する職なので、残業は時間の不当な搾取となる。かように、ジョブ職は就業環境面で十分に配慮される必要がある。また、仕事の安定性も重要なので、無期雇用についても検討される必要がある。ジョブ職の人間が勉強して他の仕事にキャリア・アップすると、自主的に退職することになるから、ジョブ職に長い雇用期間が割り当てられたとしても、労働市場の硬直化にストレートにつながるわけではない。米国では最低賃金が15〜18ドル(約1650〜2000円程度)と、日本の倍程度だが、それでも労働力が流動的なのは、こういった事情がある。

一方で、キャリア職は、仕事を通じて自身のスキルがアップするので、スキルが低いうちは給料が低くて当たり前だ。勉強する時間もジョブ職ほど必要とされないので、残業があっても大きな問題とはならない。それ以前に、多くの場合、キャリア職は時間で仕事をしないので、時間給という考え方が適用困難で、能力給となる。ただし、初期のキャリア職は、自分の裁量で仕事を調節できることは稀なので、冒頭で紹介した高プロにはほとんどの場合で該当しない。初期のキャリア人材については、残業量などについてきちんと守られる必要はあるだろう。このように、高プロについては、その中で別途いくつかの詳しい条件設定が必要になってくるはずだ。

ともあれ、キャリアとジョブを分割してしまえば、キャリアの待遇を規定する「高度プロフェッショナル制度」について、ジョブ人材が口を出してくることはなくなるだろう。ジョブ人材は、高プロなどよりも最低賃金のアップに向けて権利主張した方が、ずっと生産的だ。

現在は、ジョブ職の人間が賃金アップや雇用の安定といった権利を主張し、その成果をキャリアまでもが享受している。結局、一番得をしているのがキャリア職なのだ。こうした背景から、日本では良い大学に行って、良い会社に入ることが最大のステータスとなっている。そして、そういう立場の人間が、職業の安定と、高賃金という、二兎を得ているのである。社会はハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンとなるべきところ、日本社会はローリスクハイリターンのキャリア職と、ハイリスク・ローリターンのジョブ職に分離している。これがいわゆる「格差拡大」や「格差の固定化」の実態である。

実数的にはおそらくキャリア職の方がジョブ職より少ないので、普通の民主主義なら、人数が多いジョブ職が自身の権利を主張し、社会が変わっていくはずだ。ところが、日本社会はそうならない。どういうカラクリがあるのか。狡猾なキャリアたちは、「頑張れば、あなたたちも勝ち組になれるかもしれませんよ」と、ジョブ人材に対してキャリア職の待遇というニンジンをちらつかせるのである。すなわち、「非正規社員の正規化」である。こうした、勝ち組が負け組に対してニンジンを見せるやり方は、ポスドクが大量に余った時にも顕在化した。

しかし、ジョブ人材は、仕事内容が変化しないなら、スキルアップが難しい。単に有期雇用を無期雇用に変更しただけなら、よっぽどのことがない限り、描いた将来像はどこかで破綻する。今、高プロのような制度が社会から要請されていることからも、それは明らかだ。

#なお、高プロ制度とは、突き詰めれば「あなたの仕事は時間ではなく内容で評価するので、良い成果を出せるよう、自己の裁量で好き勝手にやってください。そのかわり、成果が出なければクビですよ」ということであるべきだ。

ここまで、高プロ制度とジョブ・キャリアの分離について、その関係について書いてきた。かなり長くなってしまったが、要すれば、「高プロ制度はキャリア人材のための制度なので、ジョブ人材が口出ししても何も良いことがない。まず、キャリアとジョブを明確に分割し、それぞれに必要な権利を主張しろ」ということである。この二つを分割して考えないということは、ラーメン屋と寿司屋で同じように経営を考えるような無理がある。やってできないことはないが、手間がかかるし、100点の回答も得られない。そして、この分割ができないなら、つまり、労働者の意識改革と、それに派生する労働市場の流動化を実現できないなら、日本はいつまで経っても再浮上のきっかけをつかめないだろう。これは、僕が当初からアベノミクスに対して否定的な理由である。  
Posted by buu2 at 13:58Comments(0)ニュース

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2017年07月22日

朝日新聞とNHKで、どちらの和訳が正しいのか要確認(メモ)

別にトランプも、安倍晋三も、どちらも全く支持していないというか両方とも超否定派なんだけれど、朝日新聞にこんなニュースが載ったので、ちょっと読んでみた。

トランプ氏「昭恵氏はハローも言えぬ」 米紙「誤り」
http://www.asahi.com/articles/ASK7P31MVK7PUHBI00R.html

さすがに、どんな馬鹿でも今時の日本人ならhelloぐらい言えるだろうと思ったのだが、トランプは

「私は安倍首相の夫人の隣に座った。素晴らしい女性だが、英語を話さない」
安倍晋三首相夫人の昭恵氏が英語を話せず、「ハローも言えない」


と語ったらしい。こういう場面に遭遇した場合は元ネタにアクセスするのが肝要なので、new york times trump akieでググってみて、Washington Postの記事を発見した。

Why Japan’s first lady was probably not snubbing President Trump at the G-20 dinner
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2017/07/20/why-japans-first-lady-was-probably-not-snubbing-president-trump/?utm_term=.1f8b4779cca9

中を読んでみると、こんな記述がある。

TRUMP: So, I was seated next to the wife of Prime Minister Abe, who I think is a terrific guy, and she’s a terrific woman but doesn’t speak English.

HABERMAN: Like, nothing, right? Like zero?

TRUMP: Like, not “hello.”

HABERMAN: That must make for an awkward seating.

TRUMP: Well, it’s hard, because you know, you’re sitting there for—

HABERMAN: Hours.

TRUMP: So the dinner was probably an hour and 45 minutes.


高校までに習った英語で覚えている限りでは、Trumpはcan’tではなく、doesn’tと言っているので、正確には「ハローも言えぬ」ではなく、「ハローも言わぬ」ではないかな、と思った。それか、こういう口語表現ではdoesでもcanの意味合いを持たせることがあるのかな、と思っていたら、NHKニュースでは「言わない」と訳していた。

記者から「全く話さないのか」と質問されると、「ハローも言わないくらいだ」と答えた

出典:「安倍首相夫人は英語話さない」 トランプ大統領発言に波紋
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011067331000.html

「言えない」と「言わない」では随分とニュアンスが異なる。朝日新聞とNHKと、どちらが正しいのか、今度ネイティブに聞いてみようと思うので、忘れないようにメモとして記事を書いておく。  
Posted by buu2 at 02:11Comments(0)ニュース

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2017年07月14日

森友問題は徐々に証拠が整ってきたようだ



  
Posted by buu2 at 14:00Comments(0)ニュース

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2017年07月13日

今日のつぶやき

本日のつぶやき。いや、ちょっと長文書いていてなかなかブログを更新する時間が取れないので、しばらく手抜きさせてください。





































  
Posted by buu2 at 23:00Comments(0)ニュース

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2017年07月12日

加計学園問題に関する八田達夫氏執筆の記事について

加計学園問題について、内閣府国家戦略特区諮問会議の民間議員、八田達夫・公益財団法人アジア成長研究所所長の記事がDIAMOND onlineに掲載された。「安倍晋三氏の圧力はなかった」とする内容だったので、ちょっと読んでコメントしてみる。

「加計学園の優遇はなかった」内部から見た獣医学部新設の一部始終
http://diamond.jp/articles/-/134825

前半は僕も規制緩和派だから何の文句もない。ただ、一点、ここの記述は簡単に首肯することはできない。

現在、日本にとって獣医学部をつくることは重要な成長戦略だ。現代科学の中心の1つである生命科学の研究や、鳥インフルエンザやエボラ出血熱などの人畜共通病の研究のためにも、また、近年盛んになった獣医学の医学への貢献を増やすためにも、獣医学研究者を大量に育てる必要がある。新設しようとする学部に質の審査さえ受けさせないという獣医学部の新設規制は、国の成長を阻害している。


現在、日本の生命科学振興が進んでいないのは、獣医師が不足していることが原因ではないのではないか。これまで20年以上、三菱総研、理研、経産省、産総研ベンチャー、そして自分の会社で、日本と米国の生命科学について当事者として携わってきたが、いつの時代も、どこでも、一度も獣医師が不足しているせいで生命科学の研究が阻害されていると感じたことはない。「獣医師がいなくて困っている」という話すら聞いたことがない。たくさんある原因の中のひとつとして挙げられる可能性はあるものの、大きな要因ではないし、根拠はないのだが、日本全国でせいぜい10名程度もいれば十分なのではないかと想像する。少なくとも、毎年100人、150人というレベルで育成されても、吸収できるとは思えない。とはいえ、現場レベルで「毎年1000万円程度の費用負担(年収で600万円程度)をしてでも、獣医師が欲しい」という声が多数あるなら、「なるほど」と思うのだが。

さて、ここはやや本質と異なるので先に進む。この記事の前半ほぼ4ページは、本質とは異なる部分で消費されてしまったが、4ページ末尾あたりからいよいよ空気が怪しくなってくる。

しかし新潟市からはその後、WGへの具体的な追加提案がなかった。


2014年から頑張って来た新潟市がなぜ2015年で手を下ろしたのか。そこに安倍晋三の圧力がなかったのかは、八田氏は知らないのではないか(もちろん知っていて、知らないふりはできるし、その可能性も否定できない)。それなら「加計学園優遇はなかった」とは言えないはずである。ちなみに第二次安倍内閣成立は2012年。

そして、次のページの冒頭でいきなりこれである。

その状況で、愛媛県と今治市が、2015年6月5日に、提案公募に応じて獣医学部新設を提案してきた。それを受け、2015年12月の諮問会議で、今治市が特区に指定された。指定目的の1つには、獣医学部新設が含まれていた。


圧力とは、「ここを採用しろ」だけではない。むしろ、役人や政治家がよくやるのは、ライバルが手をあげることを阻害して、競争入札を実質的に随意契約に落とすことである。加えて、ダミーの入札を同業他社に頼んだりもする。今回の場合、加計学園を積極的に推したことではなく、加計学園以外が手を挙げられなくなったことにまず疑いの目を向けるべきだ。しかし、このことは、諮問会議やWGの視点からは見ることができない。つまり、八田氏にはわからないことである。

次に疑問になるのは、諮問会議、およびWG側からも十分にわかることだが、

2015年12月の時点では、特区のなかで今治市だけが、明確な計画を持つ提案者であった。したがって、2016年9月16日の特区WGヒアリングを含め、9月から10月前半にかけての文科省督促でも、我々関係者は今治市での新設を念頭に置いていた。


という状況になるまでに、いわゆる石破4条件に合致するか検討した形跡が見当たらないことである。この原稿で言及していないだけで、実際には検討があったのかも知れないが、もしそうなら、4条件に対してどういう検討があって、結論が出たのか、その経緯を提示することが最も重要なはずだ。なぜなら、その4条件は実質的に「足切り」として機能し、上に書いた「ライバルの参入を阻害する」ものに他ならないからである。

八田氏は疑惑の要因として次の3つを挙げているが、

(1)正規の手続きを踏まずに、首相が特定の大学を選考するように仕向けた。
(2)国家戦略特区制度では、1つの特区で認められた改革は、自動的に他の特区でも適用される原則であるにもかかわらず、首相が当該特区以外には適用できないように1校限りとする圧力をかけ、親友が設立する学部以外の新設を妨げた。
(3)新設の申請をこれまでしたこともなかった学校法人が、理事長の親友が首相になったから学部の新設を申請した。


(1)や(3)はどうでも良いことで、問題は(2)である。また、(2)でも、1校限りとしたことはどうでも良い。問題は、加計学園が採用されやすい状況が作られたかどうか、あるいは加計学園以外が挙手できない状況にあったかどうかで、それは「他者が挙手できないような圧力があったか」で判断できる。加えて、「加計学園が石破4条件に合致していたか」を調べる必要がある。とんちんかんな3要素を出してきて、そこに適合しないから「セーフ」とする姿勢には首を傾げるばかりである。

最後にはまた正論のお題目が蛇足として追加されている。前半4ページと最後の半ページは、まことに正しい。しかし、それは残念ながら、今回の疑惑のポイントではない。そして、それ以外の部分も、知りたい真相ではない。人を騙す時の常套手段は、多くの正しい記述の中に、嘘をひとつ、ふたつ、混ぜることである。最初から最後まで嘘で塗り固めれば警戒するが、ほとんど正しいからこそ騙される。この記事はそういう体裁になっている。

今回の疑惑の焦点は次の2点に絞られる。

(1)加計学園以外が挙手できなくなるような圧力はなかったか
(2)加計学園は石破4原則に合致していたか

しかし、この記事は、わざとなのか、無意識なのか、言及すらない。的外れなことを書いて、その前後を正論でお化粧する、目くらましのような内容である。八田氏が騙そうとしている側なのか、騙されている側なのかは現時点では不明だが、我々は騙されてはいけない。何が本質なのか、何を検証すれば良いのかは、きちんと理解しておく必要がある。

なお、蛇足ながら、現在本件を追求している民進党福島のぶゆき議員は僕の経産省時代の同僚で、彼は途中で経産省から内閣官房構造改革特区推進室へ異動した。現在のスタンスは不明だが、当時は特区の推進派だった。比較的獣医師に近い東大農学部出身でもあり、本件の追求には適材だと感じる。また、日の出テレビの運営を手伝っていた時に一緒だった山際大志郎衆院議員は山口大学農学部獣医学科卒業の獣医師である。日の出テレビ関係者の中では一番まともな人だったので、本件については一言あっても良いと思うのだが、これといったコメントがないのは残念である。  
Posted by buu2 at 23:32Comments(0)ニュース

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たまには役に立つ産経新聞 「閉会中審査議事録」

ほとんどの場面で何の役にも立たない産経新聞だけど、今回の閉会中審査の議事録を掲載してくれたのは高く評価できる。僕はこの会議の中継を朝の4時までネット中継で見ていたのだけれど、クライマックスはここ。

「加計ありきではない。加計学園がたまたま、愛媛県会議員の今治選出の議員と加計学園の事務局長がお友達だったからこの話がつながってきて、飛びついた。これも駄目なんでしょうか。お友達だと全て駄目なのか」

出展:加戸守行氏「国家戦略特区でゆがめられた行政が正されたというのが正しい発言だ」
http://www.sankei.com/politics/news/170711/plt1707110009-n6.html

加計ありきではないと言いながら、その直後に自分で加計ありきだったと白状している。

このあたりの経緯については別のもっと古い記事で丁寧に告白している。

今治市の構想は2地区あった。そのうち1地区は都市学園構想で高等教育機関を引っ張ってきて学生の街にしようというものだった。地元の松山大学が手を挙げて進めたが、経営学部の設置構想もできた段階で学内の左翼グループ教官の猛反対にあい、潰されてしまった。
 構想が宙に浮いたところで、今治市選出の本宮勇県議が「加計学園が大学を進出してもいいというが、今の天下の状況をみていたら獣医学なんかはどうでしょうか」という話を持ってきたから、飛びついたんだ。

出展:加戸守行前愛媛県知事「安倍さんが友達だと知ってたら10年前に獣医学部つくってた」
http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150006-n1.html

それで、この記事の最後にはこんなコメントまで残している。

安倍晋三首相と加計学園の理事長が友達だと知ってたら、直訴してでも10年前に獣医学部を作ってますよ。安倍首相に「あんた、加計学園の友達でしょ。やってくださいよ」って。


加戸守行前愛媛県知事は元文部官僚だけど、こういうのがダメという感覚が欠落しているんだろうね。悪いと思ってなくて、正々堂々ぶちまけている。

ちなみに獣医大学・学部の特区における新設については「石破4条件」という閣議決定があって、それはこんな感じになっている。

獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討
1. 現在の提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、
2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、かつ、
3. 既存の大学・学部では対応困難な場合には、
4. 近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。


この条件に合うか、議論すれば良いだけなのだが、そういった形跡は今の所見当たらない。単に、加計学園以外を対象外にするために機能している。加えて、今、加計学園が今治市に新設しようとしている獣医学部ですら、この条件をクリアしていない可能性が高い。じゃぁ、なぜ?となるのが普通だが、それに対する答えが「政治家の友達だから」というのでは、何じゃそりゃ、という話である。

友達だからできる、他人だからできない、というのは縁故主義で、簡単に言えば「不公平」である。今や、安倍晋三の代名詞はアベノミクスではなく「オトモダチ」になりつつあるのではないか。  
Posted by buu2 at 07:52Comments(0)ニュース

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2017年07月03日

文書は基本どんなものも保存ということでどうか





今はテキストデータの保存なんか超楽勝なんだから、全部とっておけという話。さっさと法律変えようぜ。  
Posted by buu2 at 12:00Comments(0)ニュース

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2017年07月01日

日本人がいつまで経っても官僚と対等に議論できない理由

保育園への送迎において公用車を使用した国会議員についてこんな記事があったのだが、

保育園送迎に公用車を使うことは、「問題」なのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170701-00072787/

書いている奴(駒崎弘樹 認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長)の頭の悪さばかりが目立つ。なぜかといえば、終始感情論で主観的主張を続けているからだ。

この件、一丁目一番地は、公用車の使用規程がどうなっているかである。この規程を読まずして、議論は成立しない。仮に市民感情的にどんなに正しくても、「でも、決まりですから」で終了である。これは先日のバニラ・エアの身体障害者対応でも同じなのだが、最終的には法律や規則に照らして考えるしかない。僕がバニラ・エアの件について「見て見ぬ振りができなかったものか」という主旨を書いたのは、規定を改定する時間がないからである。しかし、今回の公用車の使用についてはそういった時間的制約がない。ならば、一番大切なのは今どういう風に規定されているかである。

僕は官民交流法という法律を利用して、5年間の期限つきで経産省の課長補佐として勤務したことがある。このとき、一番優秀だと感じた同僚官僚の行動は今でも良く覚えているのだが、常に法律書や規定集をデスクサイドにおいておき、課内会議や外部との打ち合わせで何か疑問が生じると、「ちょっと待って。それは法律と整合しているの?」「今、規則って言ったけど、それはどこに書いてあるの?」と聞いていた。官僚にとっては立ち返る基本は法律で、何か迷ったらまずは法律に沿っているかどうかを考えるべきなのだ。しかし、これは官僚だけに限ったことではない。

この優秀な彼は、子供会の会長を押し付けられたことがあって、その会長の2年間で、様々な改革を実現した。その中では地方自治体との交渉も何度もあったようだが、なるべく現状を維持したがる地方公務員たちを「それは、どの法律で決まってるの?」と詰めまくって、なぎ倒していったそうだ。公務員の主張をひっくり返すにも、法律に立ち返る姿勢は極めて重要である。

特に、今回の件は衆院議員の公用車の使用方法についての話である。「これって、おかしいよね」と感情論で主張しても、なんにもならない。はたから見ていると、「こういう、みんなの味方っぽい無能って、一番社会の害悪だよね」と思うのだ。彼によれば

週刊新潮のような捏造系メディアは、それが国民にウケると思ってやっています。彼らに「ウケねえよ、バカ」と伝えてあげることが大事です。


とのことだが、「馬鹿はお前だ」と思う。

この文章を読んで最初に感じるのが「全部主観じゃねぇか」ということで、それは野球の試合で、「今日は優勝が決まる大事な試合で、今は2アウトながら9回裏の大チャンスだったのに、打者が三振しちゃった。ほとんど全ての観客も期待しているんだから、9回裏に限って5アウトまで認めることにしようよ」と主張しているようなものだ。大勢の感情論としては正しいかも知れないが、手続きとしては正しくない。「まずルールブックを読んでみましょう」となって、「どうやら、3アウトチェンジと決まっていて例外は認められていない。これが問題なら、ルールを変更しましょう」となるべきなのだ。

#もちろん、変更できるかどうかは別問題である。

憲法や法律で規定されていることに立ち返るのは、基本に立ち返ることである。何か問題が起きた時に、感情に立ち返ってばかりいては議論にならない。それは口喧嘩である。駒崎弘樹氏みたいな典型的な馬鹿を良い反面教師として、「規則に立ち返る議論」を身につけて欲しい。そうしないと、いつまで経っても官僚の言いなりである。  
Posted by buu2 at 23:22Comments(0)ニュース

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2017年06月29日

ディスアビリティと子供の権利

車椅子の乗客に、タラップを自力で上らせたというニュースがあった。

車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪
http://www.asahi.com/articles/ASK6H4HCWK6HPPTB004.html

このニュースに対する僕の第一感はこれ。




一方で、他の人の考えはどうかというと、むしろバニラ・エアに同情的なものが多く、

hitode99 タイトル見た時「ひでぇ」って思ったけど、本文読んでると「お客様!お客様!!困ります!!あーっ!!! 困ります!!お客様!!困ります!!あーっ!!!あーっお客様!!」案件に見える


chopapapa サイトに搭乗日の5営業日前に連絡くれれば対応するって書いてる。しかもわざわざ奄美の件も階段昇降機で対応するって書いてる。うちの親は半身麻痺だったからここらへん自分で確認してたけど。ようは客がクレーマー


negi_1126 これは事前に「車椅子ですけど使えますか?」の確認を怠った利用客の落ち度でしょ/格安航空に過剰なサービスを求めたらアカン。対価出さずに過大な要求してたらブラック化まっしぐらやぞ。


などというコメントがはてなブックマークでは人気である。

しかし、おそらくこれらの考え方は、少なくとも米国では受け入れられないだろう。米国の大都市、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴや、観光都市、マイアミやラス・ベガスを見ていると、車椅子で行き来しているディスアビリティの人を頻繁に見かける。彼らの多くは、独力で外出することができて、一般の人と同じように生活できる。

この背景には、日米の文化的基盤の相違がある。たとえば日本では公共交通機関が遅れると一大事になる。丸ノ内線のように、4分おきに正確に運行している電車にとっては、一分一秒が大切だし、今の東京のように他社乗り入れが頻繁だと、例えば副都心線や埼京線などだと多方面に影響が出てしまう。この状態では、「車椅子で電車に乗りたい人がいたので、電車が5分遅れました」という事態は許容されない。駅員が協力して素早く乗降させることになるし、これが一度に数名とか、朝のラッシュアワーとかでは対応不可能になる。ところが、米国では交通機関の遅延は日常茶飯事だ。30分に一本しか運営されていないバスが30分遅れて、後発のバスに路上で追い抜かれるとか、突然バスが停車して動かないのでどうしたのかと思えば、パシリの男の子がダンキン・ドーナツで運転手のために買い物をするための待ち時間だったり、(日本の)常識外のことが時々発生する。でも、誰も文句を言わない。ちなみに飛行機だともっと酷くて、1時間、2時間の遅れは当たり前。先日なんか、フロリダからDCに戻るLCCの飛行機が5時間も遅れた。これでもみんな文句を言わない。「安いんだから仕方ない。嫌ならもっと高い交通手段を使え」ということなのだ。

もちろん、ビジネス上の時間の約束は、米国人も厳守する。しかし、公共交通機関は、遅れて当たり前なのだ。この状態は、一義的には、規則的にきちんと運用されている日本の方が望ましいのは間違いがない。ところが、ディスアビリティの受け入れという視点では、米国の方がはるかに優れているのである。バスから自動でブリッジが現れて、それを使って車椅子でバスに乗って、所定の場所に車椅子を固定する。この間、約3〜5分。この時間的余裕が米国にはある。だから、社会がディスアビリティたちを取り込むことができるのだ。米国社会には余裕があって、その余裕を有効活用することによって、ディスアビリティたちは日常生活を楽しんでいる。

ディスアビリティの数は、健常者に比較すると、圧倒的に少数になる。多数決で意思決定する民主主義においては、これは当然不利だ。その、不利な人々の権利を保護するという視点が米国にはある。一方で、日本ではその感覚が薄い。

ちょっと前に同じような問題点を内包する記事を見かけたのだが、これである。

<わいせつ教員>再犯相次ぐ 他県の処分把握困難で対策苦慮
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00000001-mai-soci

記事では
松野博一文科相は「対応を検討していきたい」と答弁しつつ、処分情報の全国共有に関しては「職業選択の自由、個人情報保護、罪を償った後の人権の問題も考えないといけない」と述べた。

などという頭の悪そうなコメントが書かれているのだが、子供は自分で自分の権利を主張できないのだから、彼らが安全に勉強できる権利は、大人がきちんと確保しなくてはならないはずだ。その権利は、性犯罪者の職業選択の自由や個人情報保護、罪を償ったあとの人権などよりも遥かに重要だと思うのだが、日本の大人たちの感覚は違うらしい。

事程左様に、日本人のマジョリティたちはマイノリティの権利を軽視しがちである。これは、おそらく想像力の欠如によるのだと思う。だいぶ昔、喫煙者の友人に子供が生まれた時、彼は子供のいるところでの喫煙をやめた。しかし、僕たちとの飲み会では、引き続き喫煙を続けていた。彼は、「すべての人間は、誰かの子供である」ということに考えが及ばなかったのである。あるいは、単に自分の子供だけよければ良いという利己主義者だったのか、どちらにしても、米国では白い目で見られるだろう。

米国におけるディスアビリティ対策の基本は、特別な手続きなしに、一般の人と全く同等の生活を送ることができるということだ。これが、米国人の想像力で、日本人には欠落している視点である。

#「優遇」ではなく、「同等」である。優遇、すなわち障害者の映画料金を割引せよ、とかとは別の話である。

また、性犯罪者については、常にネットでその住所と名前と写真が参照できる。これによって、親は警戒し、対策できる。そこまでされたくないなら、性犯罪を起こすな、ということだ。性犯罪者と、子供の人権はイコールではない。ここが日本と違うところだ。

日本人の民主主義は、戦争に負けて押し付けられた民主主義である。そのためなのか、民主主義を維持していくプライドが感じられない。民主主義における意思決定手法の大きな柱は多数決だが、そこに埋もれてしまいかねない少数派や、そもそも民主主義へ参加できない者たちへの配慮は必要不可欠で、それがないと大きな瑕疵を抱えることになる。ディスアビリティや子供の権利は、過剰なくらいに重視されても不足ではないと思うし、米国社会はそういう社会になっている。日本は全くそうではない。文言だけで受け取って、咀嚼していないからだろう。  
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2017年02月09日

ことわざアップデート「馬鹿と鋏は使いよう」

オリジナルの意味
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つものだということから、人を使うときは、その人の能力をいかせるように、うまく使うべきであるという教え。(出典:故事ことわざ辞典

アップデート
「稲田ともみは使いよう」
官僚が政治家にろくでもない答弁書を渡した際、その政治家が愚かだと、内容に疑いを持たずそのまま国会で読んでくれる。これによって、非常識な答弁が社会からどのような受け止められ方をするか、試すことができる。2017年2月8日、稲田朋美防衛相が衆院予算委員会で、南スーダンにおける陸上自衛隊の「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べたことによる。  
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2017年02月02日

日本はBrexitやトランプを批評している場合ではない

先日、知人の阪大教官がFacebookで「学生のレポートの日本語が酷い」と嘆いていた。

学生の文章が酷い理由は簡単で、子供の頃に良質なインプットを多くしていないからである。「ら抜き」も酷い文章表現の一例で、こうした表現をしてしまうのは、ちゃんとした日本語の感覚が身についていないからだ。これは音楽でいうところの「絶対音感」が欠落していることに該当する。大学生になってこの状態を意識的に改善するのはおそらく非常に難しい作業だろう。それは、第二外国語の感覚を非帰国子女が身につけにくいのと同じである。本来、言語は頭で考えるのではなく、感じて、反射して発せられるものだ。

#ドラゴンも、オビ=ワンも、"Don't think, feel!"と言っている。

文科省の教育方針の問題もあるだろうが、おそらく親がテレビ世代になってきていて、親に読書の習慣がないのだろう。親の背中を見て子供は育つ。幸いなことに、僕たちが子供の時代には、読書が娯楽の王様だった。僕の家にはサトウサンペイ氏に書いていただいた色紙が貼ってあったのだが、そこには「テレビを見るより本を読め」と書かれていた。金言である。

大学で日本語の再教育をするのは馬鹿らしい話だが、まともな日本語もできないのに卒業させてしまっては大学の資格がない。大学教官には気の毒な話だが、大学では、本筋とは異なる『日本語教育』も施される必要があるのだろう。

余談だが、僕の感覚からすると、伊坂幸太郎はリズム感の欠如したプロの代表で、彼の作品を読んでいると気持ち悪くて仕方がない。しかし、この感覚を理解してくれる人は本当にごくごくわずかである。というか、これまでに一人しかいない。それはプロの編集者だった。逆にリズム感の良いプロの代表は宮部みゆきだと思っている。字幕作家の松浦美奈もとても良いと思う。ただ、この辺は僕の感覚が正しいのか、単に好みなのか、正確にはわからない。

さて、話を元に戻す。先日、新聞に言語学者金田一秀穂さんのら抜き言葉に対する見解が載った時、

論点 「ら抜き」言葉、多数派に
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c

僕ははてブでこういうコメントをつけた。
日本人の過半数がバカになったってことじゃないの?特に、日本が、日本が、と連呼している自民党の政治家が使っていると、本当にバカだな、と思うよ。

この記事に対してつけられたはてブのコメントは、当然のようにら抜きを肯定するものが主流だったのだが、英国のEU離脱にしても、米国のトランプ選出やイスラム圏7カ国の入国禁止に関するExecutive Orderに対する反応にしても、韓国の釜山日本領事館前に設置された慰安婦像に対する姿勢にしても、過半数だからそれが正しいということではない。

#そもそも「正しさ」とは相対的なものなので、判断する人の立ち位置で変わってきてしまうものだが。

ら抜きを使わないということは、日本人に関する一つの指標なのだ。それは、「きちんと良質のインプットを重ねている」という指標である。小学生から中学生ぐらいまでに芥川や漱石や太宰や藤村といった作家たちの作品をかたっぱしから読んでいれば、少なくとも書き言葉としてら抜きを使う頻度は激減するはずだ。それをしていないから、ら抜きを書いても感覚的に問題ないのであって、つまりは教養が足りないということになる。

教養の足りない社会がどうなるかは、上に挙げた各国の状況を見れば明らかだ。今、米国に関して良く言われているのは、社会の分断がトランプ大統領を生み出したという話である。そして、NYやDCに住む知識層が、労働者層を無視してきたことが問題の根源にあると言われている。なぜ彼らは国内にも目を向けて、対話してこなかったのだ、と。日本も状況は米国や英国と五十歩百歩である。それは、何も中身のないアベノミクスを歓迎しているあたりからも容易に推察できる。この先に、明るい未来は多分存在しない。

「ら抜きを使うな」とは、文化の流動性を否定しているのではない。それでも、「ら抜きを使うな」という主張には反論が多い。その理由は、簡単に言ってしまえば、その反論の主の多くが、自らら抜きを使っていて、違和感を持たないからだと想像する。

では、こんな記事を読んだらどう思うのだろうか?

「Alexは女性名Alexandraの愛称である。ではAlexandraの愛称は何か?」4択問題で中学生の正答率45% その理由は?
https://togetter.com/li/1078386

このまとめの元記事は読売プレミアムに掲載されていて、有料記事なので一般の人は読むことができない。ざっくりとポイントになる部分を抜粋すると次のようになる。

戸田市立中6校の生徒計340人の基礎的な読解力を測るテストを実施した結果、4人に1人は問題文を正確に読めていなかった

問題によっては正答率が半分程度やそれ以下のケースもあった

普段のテストでも答えを何も書かない子たちから「問題で何を聞かれているか分からない」という声が出ていた

音真司氏が講師を務めた私大では、読書をする学生は少数で、3年でゼミに入るまで図書館に行ったことがない学生もいた

音氏は「試験やリポートではSNSや日記のような文章を書いてくる。文の構造を理解せず、考えも整理できない」と話す

(出典:2017年1月30日 読売新聞朝刊 読解力が危ない 問題文が理解できない)

多くの人は、「今時の中高生はこの程度のことも読解できないのか」と嘆くだろう。しかし、それは多くの人が、この問題を理解できる程度には教養を身につけたからに過ぎない。その「この程度のこともできないのか」は、僕からすればら抜きを書く人にも同じように適用される。

ら抜きを使っても平気な人は、「ら抜きで何が悪い」と開き直っている暇があるなら、もっと本を読んで、教養を身につけた方が良い。僕は、教養をベースにした見識こそが、各々が抱えている諸問題を越えて、彼らを明るい未来へ導くと信じている。日本語すらまともに使えないなら、それは無教養である。「無教養だって過半数ならそれが文化だ」と強弁するなら、英国のBrexitや米国のトランプ選出を全く笑えないのである。もちろん、未来も、英国や米国のそれと同じく、真っ暗闇である。  
Posted by buu2 at 14:38Comments(0)ニュース

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2017年01月30日

日本国民は安倍晋三が総理大臣で本当に良いの?

頭の悪い安倍晋三はトランプの人種差別政策について
米国の大統領令という形で米政府の考え方を示したものだろうと思う。私はこの場でコメントする立場にはない。いずれにせよ我々は、難民への対応は国際社会が連携して対応していくべきだと考えている

と述べたらしいが、何を言っているんだ、このバカは。こんなバカを支持している日本人が6割とか、笑っちゃうよ。

他国を見れば、フランスも、ドイツも、オランダも、それどころかニューヨーク州やワシントンDCも深い懸念や異論を表明しているわけで、日本のヘタレっぷりというか、ポチっぷりが激しく情けない。ちょっと前に僕はツイッターで




と書いたのだが、ダメなものはダメとどうして表明できないのだろう。安倍晋三は「出身や信仰で人に烙印を押すような政治」を否定できないようだが、日本国民は本当にそんな奴が自分たちの総理大臣で良いのか?  
Posted by buu2 at 16:23Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月26日

日本の官僚の手取り足取り具合に涙が出る

安倍晋三が馬鹿なのはすでに十分に知れ渡っているので、云々を「でんでん」と読んでしまったとしても、まぁ安倍だから、ぐらいの感想しかないのだが、実際に動画を見て別のところで感心した。



答弁を書き起こすとこんな感じだが、

民進党の皆さんだとは一言も申し上げていないわけであります。自らに思い当たる節がなければ、これはただ聞いていただければ良いんだろうとこのように思うわけでありまして、訂正でんでんというご指摘は全く当たりません。


最近の官僚は、こんなことまで書いてくれるんだね。「馬鹿らしくてやってらんねぇよ」とか思わないのかな?  
Posted by buu2 at 15:28Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月17日

川村雄介というノーベル賞至上主義のバカ

ツッコミどころ満載なので、ブログで紹介。

引用元:30年後もノーベル賞大国であるために、禁断の劇薬「国立大学を半数に」
http://forbesjapan.com/articles/detail/14834

大学法人化の後は、母校から毎月のように「寄付寄こせ」封書が届く。私とてささやかな協力くらいおしまない。だが、昨今のやり方は度が過ぎていないか。

バカじゃねぇの?ささやかじゃ足りないんだよ。東大出て、ワシントンで暮らしたことがあってこれかよ。スミソニアンは寄付金だけで運営されているんだぜ?

なまじ国立大学の現場を経験しただけに、余計腹立たしく感じるのである。

典型的老害。時代は変わってるんだよ。

絶対矛盾にぶつかっているのだ。

絶対矛盾でもなんでもない。景気が回復すれば税収も増える。お金は天から降ってくるもの、という感覚で、前提が変わりうることが認識できていない。国の税収が増えるように努力せず、自分たちの食い扶持のことばかり気にしているから、いつまで経っても変わらない。韓国の慰安婦像問題で「日本と喧嘩して、長期的にみて意味があるのか」と嘆いている日本人が多いけれど(これは僕もだけど)、近視眼的なことについては日本と韓国は大差ない。

国立大学を半数にまで減らすのだ。

ばーーーーか。地方の裕福でない学生の勉強の機会が失われるだろ。まずは私大への援助を減らせよ。それでも国立大学を減らしたいなら、東工大とか一橋とかお茶大とか、都内にゴロゴロある国立大学を東大に統合してしまえ。「裕福ではないから」という理由で志のある学生の勉強機会を失うことは避けよう、勉強の機会は極力平等に与えよう、というのは福沢諭吉の「学問のすすめ」以降の、日本人のコンセンサスだろ。ノーベル賞なんか、海外で研究を続けて取れば良いんだよ。別に、日本で研究する必要はない。  
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2017年01月14日

大阪市のプログラミング教育事業は受注者に注目すべき

大阪市が無償でプログラミング教育を受注する業者を募集していて話題になっていた。

概略はこちら参照
大炎上した大阪市の募集要項 「タダでプログラミング教育を」
http://www.j-cast.com/2017/01/13288028.html
簡単に言えば、「奥さん、大阪市が小学生にプログラミングを教えてくれる業者を募集しているらしいわよ。それで、報酬はゼロなんですって。タダ働きしろってことらしいざます」ということ。

それで、元の募集要項はこちら。

平成29年度小学校段階からのプログラミング教育の推進に当たり協力事業者を募集します。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000386948.html

僕は経産省時代、この手の発注業務を担当していたので、まず、本省ではどういう作業の流れになっているのかを紹介する。

財務省以外の中央官庁の多くは、財務省に「今年はこれだけの事業をやりたいから、お金をくれ」と予算請求する。この予算要求の前に、役人たちは今年はどんな要求を出そうか、と相談する。その際、主に立案に当たるのが課長補佐である。課長補佐は係長や係員などと勉強会を開きつつ、あちこちにヒアリングに出かけてネタを探す。この時、ネタ元として良くあるのが事業者からの要請である。要請の場面は、各種委員会だったり、講演のあとの懇親会だったり、賀詞交換会だったり、役所に直接陳情にくる場合もあって、色々である。「元木さん、今はこんな事業が必要なんですよ」と教えてくれる。もちろん、その背後には「予算が取れたら、うちの会社をよろしく」という腹づもりがある。

さて、課長補佐はこうしてネタ探しをして、その中の有望そうな事業について部内で会議をやって、課としてどの企画で予算請求するかを詰める。

今は国家予算そのものが厳しいので、こうした企画を全部そのまま財務省に持ち込むことはできない。課内で調整した後、局内で調整し、場合によっては他の局や課の企画と合流して申請することもある。財務省からノーと言われたらそれまでだし、途中で役所としての上限額が決められるので、その数字に合わせて省内調整も必要になる。省内での根回しも重要だし、特に実現性が十分なのかについては検討が必要だ。

一番困るのは、予算を取って、応募を開始してみたら誰も応募してくれなかった、という事態である。なので、民間事業者へのヒアリングの際には「事業を企画したらこいつは応募してくれるかな?」という情報も合わせて収集する。委託金業務にしても、補助金業務にしても、常識的に言えば役所が金を出すし、そもそものネタ元はヒアリング先なので、よっぽど酷い条件でない限り応募はあるのだが、その辺は役人なので抜かりなく準備していく。

さて、無事予算を獲得できたら、いよいよ事業を開始するわけだが、その最初の一歩が「募集」である。ということで、この大阪市の募集要項を見てみよう。僕が書いた事例はあくまでも経済産業省製造産業局の一例だが、地方自治体でもそう大きく変わることはないだろう。

パッと見て違和感を持つのが「無償で実施できる民間事業者」という記述である。違和感というか、癒着の香りしか感じられない。その違和感の原因は、この事業を担当した時の受注業者のメリットが全く見えてこないところにある。企画立案から学校との調整まで含め、必要な費用は全部業者負担となると、事業者はどこで稼ぐのだろう。しかし、役所が考える事業なので、応募がないという事態は考え難い。どこかの業者が、何らかの事情から「ただでもやりたい」と大阪市に入れ知恵したぐらいしか、説明がつかない。

記事によれば、大阪市の担当者は取材に対して「特定の業者との結びつきをなくし、公平性を担保するためにも『無償』という形をとった」と答えたようだが、これが事実とは到底考えられない。逆に、特定の業者との強い癒着があるからこそ、今回のような募集になったと考えるのが自然だ。

だいたい、本当にただでできるなら、大阪市の事業として実施する必要性はなく、事業者は勝手に、ただで事業を展開すれば良いのである。「ただでプログラミングを教えますよ」と。いまどき、そんなことがあるわけがない。

では、事業者の「隠されたメリット」とは何だろう?募集要項の協定書をざっと見て気がついたのは、著作権についての取り決めがないことである。特許についてはその扱いについて記載されているが、著作権については記載がない。ということは、小学校の教員や有識者と共同で作り上げた小学生向けのテキストは、すべて事業者のものとなる可能性が高い。そして、この事業は単年度事業である。したがって、事業終了後、一定の成果物(著作物)が出きた場合には、事業者がその成果物を根拠に「良いテキストがあるので、次年度からはこの金額で」と請求してくる可能性がある。その金額が安いなら、「それはそれで良いんじゃないの?」と考える人もいるかもしれないのだが、無償の事業に応募させることによって担当事業者を実質的に絞り込んでおり、これは癒着だし、縁故資本主義である。著作権については単に書き洩らしかもしれず、断定はできないのだが、違うとしてもこれに類するメリットが何かあるのだろう。

なお、協定書では
特許権、実用新案権、意匠権、商標権その他日本国の法令に基づき保護される第三者の権利(以下「特許権等」という。)

と「特許権等」を定義しているのだが、そのすぐ後の18条2項で
特許権等の対象となるべき発明又は考案をした場合には

と、当事者(第三者ではないもの)が特許権等を発明した場合を記述しており、何が何だかわからないものになっている。

事業を通じて何らかのメリットが得られないのであれば、企業がその事業を担当する理由はない。そのメリットは募集の段階で明確にされるべきだし、募集にあたっては、最低でも事業にかかる費用の積算と、その請求、および、事業後の成果物の取り扱いについて明示されているべきである。

この募集については癒着の香りしかしないので、特に大阪市民は、どの業者が受注するのかに特段の注意をもって監視すべきだろう。  
Posted by buu2 at 02:02Comments(2)ニュース

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2017年01月10日

メリル・ストリープの反トランプ・スピーチ

僕の周囲のほとんどの人は、日本に関わりがあろうとなかろうと、反トランプである。だから、僕が一番好きな女優であるメリル・ストリープが昨日のゴールデン・グローブ賞の授賞式で、反トランプのスピーチを展開したことを喜んでいる。

スピーチの全文はこちら。

The full text of Meryl Streep's six-minute acceptance speech for a lifetime achievement award at the Golden Globes on Sunday:
http://money.cnn.com/2017/01/09/media/meryl-streep-golden-globes-trump-text/index.html

動画はこちら。

声が枯れちゃっているのは残念だけど。

村上春樹にしても、メリルにしても、作家として、あるいは俳優として好きになったあとに、今の僕のスタンスを的確に表現してくれる意見表明をしてくれるあたり、不思議な感じがする。

メリルが批判したトランプの行動についてはこちら。
トランプ氏、身体障害の記者の姿態あざける NYT紙反発
http://www.cnn.co.jp/usa/35074075.html

  
Posted by buu2 at 00:44Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2017年01月05日

初詣にベビーカーを持って行くと迷惑がられる日本社会

雨模様のワシントンDCからこんにちは。

暇なのでネットサーフしていたら、こんなニュースを見つけた。

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

初詣にベビーカー持参で行くことの是非についてなのだが、乙武さんが次のようにコメントした気持ちは良くわかる。



このコメントと、この記事に関しては恐ろしく不寛容なコメントが並んでいて、日本を逃げ出して良かったな、というのが正直なところである。
















キリがないのでこの辺でやめておくが、反乙武のつぶやきがTwitterには溢れている。しかし、この件に関しては、僕の立ち位置は明確に乙武側である。僕はDCに移り住んで、何度もこちらのネイティブに「日本と比べて何が違いますか?」と聞かれ、その度に、「米国では、車椅子の人を頻繁に見かけます。あちこちで、補助の人なしで出歩いている障害者たちを見かけます。日本ではこの状態は考えられません」と答えてきた。

僕は米国在住と言っても、ワシントンDCと、メリーランドと、ヴァージニアと、ニューヨークと、オーランドぐらいしか見てないので、僕の知識が全米全域について適用されるかどうかはわからないのだが、少なくとも、DCやNYは障害者に対して非常に寛容な街である。そして、同時にベビーカーに対しても寛容だ。こと障害者対応に限れば米国の状況は日本に比べてかなり理想的だと感じているのだが、日本がそれを真似ようとしても、非常に難しい現実がある。

米国と日本は何がどのように異なっていて、なぜ日本では実現が難しいのか。

最初に種明かしをしてしまえば、日本の、特に東京の人口密度が高すぎるのだ。

DCでは、朝8時とか、夕方6時ぐらいのごく限られた時間の、ごく限られた路線のみ、地下鉄で立っている乗客が見られるのだが、その他の時間は常に座っていられる。じゃぁ、ものすごい本数の電車が走っているのかといえば、そんなこともない。20分電車が来ないなんて、日常茶飯事である。ちょっと遅い時間になれば、30分待ちという事態もざらである。

ちなみに、DCの地下鉄には時刻表がない。本当はあるのかもしれないが、見たことがない。駅には何分後に電車が来る、という表示があるだけだ。後続の電車について知りたければ、スマートフォンのアプリで調べる必要がある。これも、表形式ではなく、何分後に到着するかだ。そして、そのアプリで5分後に来る、と表示があったのに、5分後に見てみると、また到着まで5分になっていたりする。非常にルーズなのだ。しかし、このルーズさに、米国人の障害者への寛容さが隠されている。

米国では、車椅子の乗客が誰の補助もなく、一人でバスや地下鉄に乗ることができる。バスはバス停で自動的に車高が低くなって、機械式の橋が出てくる。車椅子の乗客は、これを使ってバスに乗り、揺れた時に動いてしまわないように、ベルトで固定する。この間、だいたい、3分ぐらいはかかってしまう。障害者の利便性を考えると、定刻通りの運行は不可能なのだ。ルーズな運行が先だったのか、障害者対応でルーズにならざるを得なかったのかはわからないが、この国の国民性を考えれば、恐らくは前者だろう。

僕は良く、米国人達に「日本人はとてもパンクチャルである。それはとても良い習慣だが、時々、パンクチャル過ぎて、息苦しい社会である」と説明している。高度にオーガナイズドされた社会は、小さな受け皿を最大限に利用するためには避けることができない。しかし、高度であればあるほど、異分子を受け入れることも、必要に応じてマイナーチェンジすることも難しくなる。日本の主要都市は、詰め込みすぎて、余裕がなくなっているのだ。

丸ノ内線が4分間隔で精緻に運行しているのはとても素晴らしいことだが、その背後で犠牲になっているものも、間違いなく存在している。それが、障害者対応である。これは健常者の視点からは気付きようがない。日本の交通インフラは、ハード面だけでなく、ソフト面でも障害者を排除している。だから、日本の歩道には、車椅子がほとんど存在しない。日本と、米国の、足が不自由な人の割合に大きな差があるとも思えないので、日本では、外出したくても、足が不自由で思うようにならない人がたくさんいるのではないか。

米国がこういう状態になっているのには当然理由があって、それは「障害を持つアメリカ人法」: Americans with Disabilities Act of 1990である。これは、1990年に制定された連邦法だ。この法律によって、障害者の社会参画は全面的に保障されている。おかげで、映画館も、トイレも、スタバも、アパートも、どこへ行っても、必ずバリア・フリーだし、実際、街を歩いていれば頻繁に車椅子を見かけるのだ。

そして、車椅子に優しい社会は、そのままベビーカーにも優しい社会なのである。だから、冒頭の記事で書かれている寺のようなトラブルは、米国ではまずお目にかかれない。ベビーカーも電車内で見かけるし、バスの前部には2台まで自転車を乗せることができるキャリアーまでついている。これは健常者の話になるが、自転車の客がいると、バスはその客が自転車をキャリアーに積み込む間、のんびり待っているのである。

もしかしたら、タイムズスクエアでの年越しカウントダウンイベントなどでは日本と同様の不自由はあるのかもしれないが、年に一度、タイムズスクエアのごく限られた地域の話を日本の寺社仏閣と同一に論じるのは無理がある。

もちろん、何の理由もなく日本人が車椅子やベビーカーに冷たいわけではないはずで、そこは日常生活が車椅子やベビーカー前提で構築されていないから、必然的にそうなってしまうのだろう。DCのように、いつも電車で座ることができる状態なら、ベビーカーに目くじらを立てる必要もないのである。結局、寺にしても、電車にしても、混雑しているのが問題なのだ。

では、満員電車や、初詣客の集中をなくすにはどうしたら良いのか。簡単な話で、人口集中地域の人口を減らせば良いのだ。東京の人口が半分になるだけで、状況はガラッと変わるのではないだろうか。そのための方策も、ないわけではない。政府は首都機能の移転を前から言っているのだが、そんな面倒なことをしなくても、所得税減税だけでかなり効果がありそうに感じる。法人所得税率を都市部と地方で20%程度差をつければ、首都機能なんて移転しなくても、民間事業者はどんどん外に出て行くはずだ。何の根拠もなしに法人税減税してしまうのはもったいないので、例えば米軍基地周辺10キロ以内を「迷惑施設周辺減税特区」にしてしまえば、法人税を安くあげたい企業が米軍基地の周辺に集まってくるだろう。これが実現すれば、沖縄の米軍基地問題にも解決の糸口が見えて来ると思っている。嫌がる人を無理やり理屈で納得させるより、好きで集まってくる状況を構築した方が、作業はずっと楽である。

日本が抱える問題の大きなものとして都市部への人口集中が挙げられるのは間違いないことで、それが顕在化した例が、初詣のベビーカー問題なのだ。そして、乱暴なやり方かもしれないが、人口を地方へ分散させる手段もないことはない。あとは、やる気の問題である。でも、日本人は、将来自分の足が不自由になることなど想像できないので、多分やる気は出ないだろう。

だけど、大丈夫。足が不自由になったら、なんとかして米国に脱出してくれば良いのだから。ここにあるのは、relaxed lifeである。  
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2016年12月06日

乗るタクシーを選ぶことができない日本社会

ASKAの個人情報問題でこんなつぶやきがあったんだけど、




これを見て思ったのは、個人情報保護法とは全然関係ないんだけれど、日本って、実質的にはほとんどタクシーを選ぶことはできないよな、ということ。夜中の新宿界隈で個タクを探してちょうちんはー、でんでんむしはー、とさまようことはあるけれど、会社名までは選ばない。基本、来た車に乗る。これが田舎になるともっと深刻で、歌志内なんか、今はタクシー会社が一つしかないから、選びようがない。

ところが、米国はUberがあるので、いくらでも運転手を選ぶことができる。車種、運転手、価格、今いるところまでの所要時間などによって好きなタクシーを選ぶことができるので、とても快適である。きちんとITを利用すれば世の中はこんなに便利になる、という見本なのだが、日本の為政者はバカなのでそういう制度設計ができない。どこかの既得権者が「そんな白タクを許可して、事故ったらどうする」とか言い始めると、そうかもしれないなぁ、と納得してしまう飼いならされた社会主義者たちの集団である。

こんな国に明るい将来があるとは思えないのだが、もうちょっとなんとかならんものかね?聞くところによれば、日本ではタクシーだって病院に突っ込んだりしているらしいじゃない。

電気代の値上げだってそうだけど、福島の事故の処理費用を上乗せする会社と、上乗せしない会社から、同じ土俵で好きな方を選べてはじめて自由主義社会なんじゃないの?実質的に選択の余地がない中で「三兆円上乗せします」って、それは東電のバカの責任を強制的に国民に負わせているだけだよね。

タクシーだって、選びたい人がちゃんと選べるのが理想的なんじゃないかなぁ。で、そういうシステムがすでに構築可能なのに、実現できない社会って何なんだろうね?

二ヶ月前にも同じようなことを書いたんだけどね。

参考:日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例
http://buu.blog.jp/archives/51533963.html  
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2016年12月01日

給付型奨学金制度に見る、目的はとても正しいのに、やり方が馬鹿という事例

やろうとしていることは基本的に良いことなのに、やり方が馬鹿だから、いつまで経っても日本は三流国と評価され続けるという事例があったので紹介しておく。この記事で紹介されている給付型奨学金である。

給付型奨学金、1学年2万人を対象 自公が首相に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000105-asahi-pol

貧乏な苦学生にもチャンスを、という、機会の公平性の観点からは非常に良い施策なのだが、馬鹿が設定するから問題の多いものとなる。諸悪の根源はこの部分である。

対象者はすべて学校推薦で選ぶ。具体的には、約2万人分の枠を全国約5千の高校に各1人以上割り振り、各校は国が作る成績基準などの指針に基づいて推薦する。複数の対象者が割り振られる高校は、日本学生支援機構などが決めるという。


主観に依存する部分を残したがるところが、三流国の政治家が考えた案の特徴である。学校推薦になれば、学校内で「誰を選ぶのか」という問題が発生する。「うちは貧乏なので」という、貧乏自慢ぐらいならまだ良いのだが、「うちの子は先生に気に入られているから」といった話になってくると、なんとかハラスメントの温床になりかねない。クラス間での調整が必要になった時も、担任の力関係が選出に影響を及ぼしかねない。また、各高校への割り振りにも主観が関係してくるので、高校が日本学生支援機構に接待攻撃をかける可能性だってある。こうした可能性を、この制度のままで完全に排除するのはとても面倒だ。

日本の政治家は縁故資本主義の中で選ばれてきているので、こういうコネカネの世界に非常に鈍感である。フェアであることが最優先されるなら、この制度の概要を読んですぐに「これはおかしい」と気付くはずなのだが、そういう感覚が失われているのだろう。

給付型奨学金を設計するなら、基準は全国一律であるべきで、日本学生支援機構や各高校に裁量を与えるべきではない。単に、各家庭の収入と、あとはセンター試験の成績で決めてしまえば良いだけのことである。

日本におけるかつての共通一次試験、およびセンター試験の評価は非常に低いようだが、僕はこの客観テストは、数少ない、日本における非常に効果的な試験制度だと思っている。せっかく客観的に、全国横断的に学生のランク付けができるのだから、この仕組みを使わない手はないはずなのだが、なぜそれを避けるのか、さっぱり理解できない。多分、「俺たちは優秀だから、俺たちの主観で決めることが一番正しいに違いない」と考えているのだろう。勘違いも甚だしい。

日本人は、人間を客観的にランク付けするのは凄く苦手なくせに、主観的にランク付けするのは大好きだ。だから、いつまで経っても不公平な国のままだ。もうちょっと、公平とはどういうことか、まじめに考えた方が良い。  
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2016年10月25日

ジェネラリスト偏重によって国際競争力を下げ続ける日本と、その対策

電通の過労死問題を機にちょっとだけ盛り上がっている労働問題だが、いつも言っているようにほとんどの人が本質に切り込めず、また分かってはいても言及できずにいる。だいたい、ちょっと思いついて語る意見、いわゆるjust ideaに傾聴する価値があるものが多いはずがない。

そんな中、以下のコンテンツは、一年前に発表されているのだが、かなり良くまとまっている。

日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2015/japanese-labor-productivity-levels/

ただ、ところどころで言葉が足りない感じがするので、「この視点が欲しかった」ということを書いておきたい。それは、社会で求められている人材の質がジェネラリストからスペシャリストへと変移しつつある中、日本は相変わらずジェネラリストの育成に終始している点である。

例えば、生物系研究者のキャリアを見てみても、若いうちはテクニカルスタッフのような働きを任され、やがて自分で研究するようになり、そしてマネージメントや教育へと立ち位置が変わっていく。研究という意味では一本軸が通っているのだが、「技術者」、「研究者」、「教育者」あるいは「管理者」と役割が変わっていき、同時にそれに求められるものは「労働力」、「思考力」、「指導力」あるいは「政治力」と変わっていく。日本ではテクニシャンの評価が非常に低いので、ほとんどの人が研究者を目指すのだが、精力的に研究できる期間は結構短くて、偉くなっても研究室のマネージメントに忙殺される、という話も珍しくない。日本が特異的なのは、このキャリアパスをほぼ全員に適用する点である。つまり、生涯テクニシャンとか、研究一本で教育にはノータッチといったスペシャリストのキャリアパスがほとんど存在しない。理研時代に榊さん、林崎さん、横山さんという三人のプロジェクトリーダーたちをそばで見てきたけれど、彼らが試験管を持つところを見たことがなかった。プロジェクトリーダーとは、お金を取ってきて、研究者たちを差配するだけの存在だった。おそらく、この先、彼らが試験管を手にすることはないだろう。

全ての研究者たちがこういったキャリアパスを希望しているなら構わないのだが、生涯技術だけに特化したいとか、教育に専念したいというタイプも当然存在するはずで、そういう人がスペシャリストに育つはずなのに、実際はジェネラリストばかりが量産されている。

実はこれは終身雇用、年功序列の日本社会にはとてもフィットした手法だった。ジェネラリストなら、いつ、どんな配置転換があっても、すぐに適応できる。誰かが死んだとか、誰かが退職したという事態に簡単に対応できる。草野球チームでみんなが全てのポジションをこなせるなら、ピッチャーが急用で参加できなくなっても、誰かが代わりにピッチャーをやれば良い。

ところが、時代は変わり、各人に要求されるスキルのレベルがアップした。草野球なら良かったけれど、プロ野球だと、付け焼き刃のピッチャーなど通用しない。どのポジションにも相応のスペシャリストが必要になってくる。そうしたとき、ジェネラリスト集団は決して一流になることができない。

では、一流のスペシャリストを揃えれば良いではないか、となるのだが、ここで障害になってくるのが「終身雇用」という制度である。よそのチームに凄く良い内野手がいるのに、自分のチームの内野手のクビを切れなければ、誰かを飼い殺しにする必要が出てくる。現実的にはそれは難しいので、優秀な選手の獲得を諦めざるを得なくなる。

あるいは、もっとドラスティックに、「野球は斜陽なので、みんなでサッカーやろうぜ」となった時にも、野球選手たちはお荷物になる。お荷物はクビにできたら良いのに、それができない。

こうした事態の具体例がカネボウである。繊維産業はすっかり斜陽で全く採算が取れなくなってしまった。せっかく化粧品部門が堅調なのに、トータルで見ると経営は悪化の一途。それでも大規模なリストラには踏み切れず、社内では対応不能に陥り、最終的には外部の協力を得て解体された。

労働者たちは、労働力の流動化そのものには反対しないのだが、それとセットで語られる解雇規制の緩和には非常にナーバスだ。そのせいで、日本の労働環境は一向に改善されず、企業の国際競争力は低下する一方である。解雇規制という目の前の毒を恐れて、結果的に自分の立っている地盤そのものが急速に弱体化していることから目を背けている。これは浸水が進んで沈没しそうな大型客船で、自分の部屋にだけは水が入ってこないように土嚢を積んでいるようなもので、事態は全く改善せず、むしろ死期を早めているだけである。そのことについてはOECDも再三勧告を出しているのだが、事態は一向に改善しない。世界経済フォーラムの2012年のリポートでは、社員の雇用・解雇のやりやすさに関するランキングでは、日本は144カ国中134位と最低レベルである。
出典:「アングル:道険しい安倍政権の雇用改革、際立つ日本の硬直性」
http://jp.reuters.com/article/l4n0fh2fk-angle-japan-employment-idJPTYE96B01G20130712?sp=true

こういうことを僕は10年ぐらいこのブログで書いてきているのだが、多分、10年後も日本は今のままの硬直した労働市場を維持しているだろう。それは、解雇規制の緩和を忌避する人たちが大勢いるのだから仕方がない。そこで、特に若い人に言っておきたいのは、職場は日本だけではないということだ。日本よりも環境の良い国は他にある。だから、「あっちの方が良いな」と思った時、それがきちんと選択肢になる必要がある。その時に要求されるのが英語力である。英語だけはちゃんと勉強しておくと良い。特に、リスニング能力は磨いておけ。英語ができないから日本を脱出できない、という事態だけは避けるべきだ。  
Posted by buu2 at 14:29Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年10月21日

ブラック国家日本から脱出せよ

電通の過労自殺に関して
大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ

出典:長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない
http://buu.blog.jp/archives/51534531.html

と書いたけれど、若干補足しておく。

まず訴えたいのは、長時間労働は日本が抱えているたくさんの労務問題のうちのひとつだということだ。そして、その問題は単体では解決できない。

サッカーでいえば「得点力不足」という日本代表の問題点があって、じゃぁそこにメッシを連れてきたら全部解決するかといえばそんなことはない。ロナウドを連れてきたとしても、メッシを連れてきたとしても、それにあわせてチーム戦術を変えなくてはならない。それは、場合によってはゴールキーパーの選出にも影響を及ぼす。様々な要素が絡み合っていて、フォワードをひとり変更すれば万事オッケーというわけではない。

そこで、長時間労働を改善したいなら、最終型を描け、というのが先にあげたエントリーの主旨なのだが、なぜ最終的な姿をイメージしなくてはならないのかをわかっていない人が多そうだ。

ゴールセッティングが重要な理由は、おおよそ次のようなものである。

●フォーカスすべきポイントが明らかになる
●到達すべき目標が明確になる
●当事者を従事しつづけさせる
●予定よりも遅れたとしても諦めないで済む
●モチベーションが持続する


逆に、最終型が不明確だと、何をやって良いのかわからないし、目標が達成できたかどうかもわからないし、当事者も飽きてきちゃうし、予定より遅れたら諦めてしまう。目の前にある問題が独立して存在するならともかく、社会の中で必然的に生まれている状況ならば、社会全体を変えなくてはならないし、そのためには「こういう社会にしたい」という理想像の共有が必要なのである。

このゴールセッティングは社会的な問題に限らず、個人でも有効だ。たとえば「陶芸家になりたい」という目標を設定した場合、じゃぁ、何をやるべきか、と考えることができる。逆に、「陶芸が好きだ」では、何をしたら良いかさっぱりわからない。作品を見るのか、作るのか、本を読むのか、窯元を見学するのか、他の美術を学ぶのか、やれることはたくさんあるのだが、それがなんのためなのか、何を目標にしているのか、何もわからない。

先日の長谷川なんとかの炎上騒ぎにしても、彼がキチガイなのは間違いないのだが、それがなぜなのかはわかっていない人が多いと思う。

なぜダメなのか。それは、話が透析患者に限定されたものではなく、ほとんどありとあらゆる領域で、本人の不注意や不摂生で病気や怪我が発生していて、どこに線引きして良いかわからない、つまり、非常に実現性の低い話を展開していたからに他ならない。つまり、ゴールセッティングができてなくて、目の前の問題に感情的になっていたからダメだったのだ。

このブログではそこをきちんと書いたつもりなのだが、世の中の多くは「殺せ」という単語の不適切さにこだわっていたようだ。

かように、何かをやろうとするなら、ゴールのセッティングは非常に大切になってくる。全ての議論は、まずはそこからスタートなのである。ちなみに、日本の労働問題に関して僕が考えているゴールは前述のエントリーで箇条書きにしたけれど、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化


である。でも、きっとこの内容でコンセンサスを形成するのは難しいのだろう。若い人は、可能なら、さっさと日本を脱出した方が良い。会社を辞められないのも、日本から脱出できないのも、僕からみたら同じである。もらえもしない年金をチラつかせて若者からお金を搾り取るぐらいに、日本は国家としてブラックである。

関連エントリー:なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html  
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2016年10月16日

長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない

件の電通社員過労死問題にあたっての反応をネットで読むにつけ、本当に日本は近視眼的だなと感心する。大勢の反応は「長時間労働けしからん」という論調だが、この調子で主張するから、いつまで経っても日本人の長時間労働はなくならないのだ。そのことに気がつかないところが残念至極なのだが、若い人たちがそれに気がつかないのはある程度仕方がないのかもしれない。なので、繰り返しだが、懲りずに書いておく。

何度も書いているのだが、カネボウやら、シャープやら、日本の古い企業が潰れている中、それでも多くの企業がなんとか踏みとどまっているのは、優秀な社員が長時間の労働に耐えているからに他ならない。ただ、その陰には、その何倍もの数の企業にとっては優秀でない社員が半強制的に働かされているのも確かだ。効率が悪いとはいえ、一定の成果を出しているのも間違いないので、今ここで一律に「全員、長時間労働禁止」としたら、多くの会社は優秀な人間のアウトプットと、それなりの人間のアウトプットの両方を失って、競争力はさらに減退するだろう。これによって、ただでさえ状態の悪い日本の景気は一層悪化するはずだ。このくらいのことは日本の大企業で管理職をやるぐらいになれば誰でもわかるので、実数としては多数派の非ホワイトカラーたちが「長時間労働反対」と主張しても、一向に事態は変化しない。もちろん、多数派の主張を盲目的に取り入れたなら、それはそれで大変な話なのだが。

では、何が悪いのか。簡単に言えば、日本の企業の生産性が低いからである。日本の企業は、その体質により、構造的に低い効率と生産性から逃れることができない。簡単に言えば、会社で能力を発揮できなくなった社員のクビを切れないので、その社員に足を引っ張られてしまう。低い生産性をリカバリーするために、長時間労働せざるを得なくなる。

だから、長時間労働の対策は、効率と生産性をアップさせれば良い。低効率・低生産性の原因はこれまた何度も書いているけれど、旧態依然とした日本の雇用習慣である。目指すべき環境ははっきりしていて、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化

などである。え?いきなり話が飛んでない?と思うかもしれないが、長時間労働とこれらの日本特有の労働環境問題は密接な関わりがある。

上述の「目指すべき環境」には異論はあるかもしれないが、日本の低成長を危惧しているOECDからも2008年に勧告がでている。

Japan could do more to help young people find stable jobs
http://www.oecd.org/japan/japancoulddomoretohelpyoungpeoplefindstablejobs.htm

この勧告ではストレートに上述の6項目を列挙しているわけではないが、勧告を実現するためには、この6項目の多くを実現する必要があると思う。この環境を実現するためには労働者サイドにも不利な話はあって、それはたとえば労働力の流動化には無期雇用者の解雇規制の緩和がセットで語られることになる。すると、「それはけしからん」みたいな話になるので、いつまで経っても、日本の労働環境は改善せず、そのしわ寄せは若い人の方に向かう。ところが残念なことに、若い人は、社会経験が少なすぎて現実的な最適解を見つけることができない。自分たちで墓穴を掘ってしまっているのだが、多分、ほとんどの人はそのことに気がついていないのだろう。とりあえず、若い人たちは上の勧告だけでも読んだ方が良い。

とりあえず、長時間労働に絞って書くと、自己の裁量で働き自己を管理できる人間と、他人に管理されて働く人間とは、全く異なる人種なので、それを同一に論じるのは無理なのだ。それゆえの「ホワイトカラー・イグゼンプション」なのだが、なぜかホワイトカラーではない人たちがこの制度の導入に反対して、労働環境の改善が遅々として進まないのが今となっては滑稽ですらある。

その原因がどこにあるのかは不明なのだが、もしかしたら、労働者を使える人間と使えない人間とに分けてしまうと受け止められているのかもしれない。つまり、非ホワイトカラーになってしまったら、一生搾取される側になる、みたいなことだ。この辺になってくると今度は年功序列と密接な話になってくるのだが、こうした「労働環境の改善に関するちょっとしたお話」ぐらいでもすでにいくつかの要素が関係してくる。上に6つの要素を列挙したのだが、実はその6つは独立に存在しているのではなく、相互に密接な関係を持っている。どれかひとつだけを実現しようとしても無理なのだ。また、逆にいうなら、この中で海外からも強く実現を要請されている「同一労働同一賃金の実現」を実現しようと思えば、他の5つも全て何らかの対応が求められる。

とはいえ、いっせいのせのかけ声のもと、全部変えてしまっては大混乱になる。大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ。

「人が死んじゃった。なんとかしなくちゃ」で済む話ではない。目先の問題を解決しようとしても、それだけでは事態は好転しないし、むしろ悪化する可能性が高い。過労死は、会社単体の問題ではないということはここに書いた通りである。

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html

かように長時間労働問題はそれだけ切り出して実現することは不可能なのだが、議論として長時間労働問題を解決する手段を考えるなら、「法律でホワイトカラーと非ホワイトカラーを明確に分離し、非ホワイトカラーについてはきちんと保護せよ」ということになる。

#長時間労働対策だけをするのであれば、これだけで可能である。しかし、非ホワイトカラーの労働時間を削減すれば企業の生産力は落ちるので、このままでは企業の競争力が落ちて、企業そのものが退場に追い込まれてしまう。焼け野原に外資系企業がやってきて、日本は外資系企業の天国になってしまうかもしれない。

それにしても、いつまで経っても日本では「総合的なパッケージで労働環境全体を変えていかなくてはダメなんですよ」という話になって来ないのが不思議で仕方ないのである。


  
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2016年10月12日

物価さえ上昇すれば良い、という思考

経済学者って、面白いなぁ。以下、日経新聞から引用。

出典:消費 統計に現れぬ実態
賃上げ不十分で防衛意識 東京大学大学院教授 渡辺努氏
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08284710S6A011C1NNS000/

アベノミクスの異次元緩和でもたらされたもので、何もしなければすぐにでも崩れやすい。


そうですね。

賃金が思ったほど増えず、消費者は値上げに悲鳴を上げたのだ。


そうですね。

商品が同質化し、価格競争に陥っている。


わかっていらっしゃる。商品の質が向上しないから、消費者は必要以上のお金を出さないのです。

これまで購入していた商品が安い時にタイミングよく買っていて


僕も、ユニクロでは割引商品しか買いません。

消費が不振な背景には賃上げが不十分なことがある。


そうですね。

政府・日銀は賃上げにもっと関与すべきだ。さらに政府がコントロールできる国立大学授業料や公共料金などサービス料金を引き上げ、物価上昇への本気度を示すことが必要だ。


は?収入が増えないのに生活に必要不可欠な公共料金が上がったら、民間企業の商品の売り上げが落ちて、給料は上がらなくなりますよ。公務員以外の生活は苦しくなるばかりで、デフレに拍車がかかりそうです。

あなたは、物価さえ上昇すれば、国民の生活はどうなっても良いのでしょうか?それで景気は良くなるんですか?  
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2016年10月09日

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか

電通の若手社員が過労による自殺をした件を端緒に、日本の労働環境について考えてみる。

巷には「100時間で過労死なんて情けない」という考え方もあるようだが、これは実際に過労死している現実を踏まえているとしたら、不適切な意見だろう。残業耐性には個人差があって、できる奴もいればできない奴もいる。できる奴が自分の意思で残業するのは勝手だが、そのルールを他人にも押し付けるのは迷惑な話である。僕も残業という概念でくくるなら月間200時間ぐらいの残業をしたことがあるし、知人の中には二カ月連続で400時間の残業をやった奴もいるが(参考「人はどれだけ残業できるのか」http://buu.blog.jp/archives/51435509.html)、だからといって誰でもそんな状態で耐えられるとは思っていない。嫌なのに強制されるなら、違法なものは違法であって、根性論でどうにかなるものではない。その辺は、裁判の結果を見れば明らかである。

しかし、「過労で自殺」みたいな話があるたびにすぐに飛びついて「残業規制を強化すべし!」と怒鳴り散らす社会主義者たちも迷惑である。闇雲に規制強化に走れば、ただでさえ低下している日本の競争力がさらに低下するだろう。今の日本がなんとか踏みとどまっていられるのは、少数の精鋭たちが死ぬほど働いているからでもある。たとえばサッカーの本田選手が不調に陥って、普段の倍練習したとして、「その練習は違法なのですぐにやめるように」と本田選手に主張する人がいるだろうか。宇多田ヒカルが働きすぎとか、園子温監督が働きすぎとか、羽生名人や渡辺竜王が将棋を指しすぎとか、浦沢直樹や他の超売れっ子の漫画家が描きすぎとか、超売れっ子の俳優が働きすぎとか、そういう文脈で労働時間の違法性が論じられたことを、これまで僕は寡聞にして知らない。真のプロが、自分の意思と裁量で働く限り、他者が口を出すべき話ではないと思う。

全員働け、も暴論なら、全員働くな、も暴論なのだ。農耕民族としての団体行動思考が染み付いている多くの日本人には理解できないかもしれないが、先に書いたエントリーで述べた「研究は個人的なもの」というのと同様に、労働も個人的なものであるべきだ。価値観が多様化してきた今、僕たちの労働は、もっと高い自由度が確保されているべきなのである。それは、個人の日常の働き方というレベルにおいても必要だが、職業を選ぶ際にも必要になる。過労死という視点では、個人の自由意志による「働き方」よりも、会社という共同体の中において労働を強制される可能性がある「職業」の方が深刻なので、職業選択の自由度に焦点を当てる。

職業の自由度を考える際には、どういう選択肢があるのかをまず考えなくてはならない。選択肢にはどのようなものがあるのか。定性的に大きく分けて、2つである。それは、

(1)自由度と給与が高い代わりに、リスクも高い職業
(2)自由度が低く給与も低いが、安定していて保護も手厚い職業

である。

一つ目はいわゆるホワイトカラーである。なぜかホワイトカラーを残業規制から外そう(ホワイトカラー・イグゼンプション)という動きに対して反対運動が起きるのだが、その理由の最大のものは、日本の労働環境が終身雇用前提とされているからだろう。米国なら、「嫌ならさっさとやめちゃえば良い」が成り立つが、日本ではそれが成り立つかどうか不透明なことが問題になると想像される。では、日本の労働者はなぜ会社を辞めることができないのか。これも理由は二つあって、一つは労働市場が硬直していて、転職が難しいことである。もう一つは、企業でホワイトカラーに認定されそうな、年収1000万円以上とか、自己の裁量で仕事量を調整できるとか、知的教育による高度な知識を持つはずの労働者たちの少なくない部分が、期待されているようなスキルを持ち合わせていないことである。簡単に言えば、「転職先がない」「転職するための能力がない」である。この二つの問題はどちらかを解決しても、それだけでは労働市場は流動化しない。そのせいもあってか、いつまで経っても労働市場の流動化は実現しないのだが、その根底にあるのは既得権者たちの反抗なのである。

選択肢が用意されても、労働市場が流動化していなくては意味がない。今の日本の会社は乗客が満員の飛行機みたいなもので、みんな降りようとしないし、降りても、それ以外の便が全部満席で、一度降りたら最後、どこにも空席が見当たらない状態だ。離陸前に気分が悪くなっても乗り換えできないし、途中で降りることはもちろんできない。「労働市場は流動化していた方が効率的ですよね」という意見には偉いセンセイたちはもちろん、感度の高い生活者も同意するのだが、それが解雇規制の緩和とセットになると、突然反対に回るから困る。解雇規制がガチガチの状態では、そもそも空席が生じないのだから、労働市場が流動化などするはずがないのだが、民間企業でまともに働いたことのない学者センセイたちはその辺が理解できずに机上の空論を展開するばかりである。こうした無能な研究者がいつまで経っても退場しないのも終身雇用の弊害で、三菱総研というそこそこでかい民間企業、理研という特殊法人、経済産業省、民間企業の雇われ社長、そして現職の創業社長と色々渡り歩いてきた僕から見ると、俺の方がよっぽど専門家だろ、と思ってしまうが、彼らはせっかくアカデミアの職に就いた既得権者なので、顔を真っ赤にして反論するに違いない。大丈夫ですよ、あなたたちの職を奪う気なんてさらさらないですから。

さて、まずはホワイトカラー以外の人たちについて考えてみる。ほとんど何のスキルもない人の受け皿は必要で、それは英語で言えば「JOB」である。何のスキルアップにも繋がらないし、特別なスキルも必要ないが、時間を割くことによってお金を稼ぐことができる。ここで必要になってくるのが最低賃金の引き上げで、米国の都市部だと1500円から1800円程度だ。ちょっと話がそれるのだが、米国の場合、最低賃金が高いので、人の手が必要なファストフードの価格は高い。マクドのビッグマックが一つ500円程度である。ところが、食品の原価は安いので、ビッグマック二つで520円だったりする。この手のセット売りはファストフードやスーパーでは常態化している。そして、工業製品は安く、人の手がかかっている食品は高い、となるので、低所得者たちは自分で食材を買ってきて料理したり、5枚で500円の冷凍ピザを買ってきてオーブンで焼いたりする。米国で外食するとチップ込みで2000円はほぼ最低料金なので、日本でいうファミレスのような業態は成り立たないし、コンビニの夜間営業も淘汰されるだろう。しかし、米国で暮らしてみればわかるが、コンビニの深夜営業がなくても、何も困ることはない。コンビニの深夜営業がないと困ってしまうようなライフスタイルの方が問題なのだ。こんな感じで、最低賃金を二倍にするだけで日本の特に都市部の生活は大きく様変わりするだろうが、大きな問題ではないだろう。ともあれ、JOBで稼いでいく人たちの収入源はきちんと確保しておく必要がある。

要すれば、受け皿としてそこそこの給料を貰える職場はありますよ、だから、スキルがなくても大丈夫です。その代わり、外食とか、贅沢はできないから、自分で工夫して下さいね、ということだ。こうした職場の量は米国ではかなり重視されていて、それが減少しないように、海外からの移民に対してはそれなりに厳しい姿勢でいる。日本は、弱者の労働機会を確保する、という視点がほとんど存在しないので、生活保護のような、まったく社会に貢献できない人たちが生まれてしまう。

また、こうしたスキルのない人たちでも、それなりに職業を選択する自由が保証されている必要もある。今やっている仕事に飽きたり、嫌になったなら辞めて違う職につくだけの自由度が必要なのだ。これは雇用サイドへの圧力にもなる。きちんとした労働環境を与えることができなければ、すぐに人手不足に陥る、という状況は、労働者の職場環境の向上に、直接つながる。

スキルのない人たちにはスキルアップの機会が必要で、それはそれで別途考えていく必要がある。米国ではこの役割を果たしているのがcollegeあるいはcommunity collegeで、誰でも安価にスキルを身につける事ができる。やる気さえあれば、ステップアップのチャンスは与えられているのである。一方で、日本にはこういう組織は見当たらない。金を払えば学位をくれる、名ばかり大学が大量に存在するのだが、少子化の影響もあって経営不振に陥った大学は、海外からの留学生を集めて大学の体を為すのではなく、community college化に注力すべきである。また、ここで大事なのは入学者の年齢で、やる気さえあれば年齢とは無関係に、どんどん入学して勉強できる雰囲気作りが大切になる。ここで思い出されるのが2年ぐらい前の文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」である。この会議で冨山和彦氏が提出した資料がネットで議論を呼んだのだが、要は「トップ大学以外は職業訓練学校化すべし」という内容だったからだ。実は、冨山氏の論理展開と示した事例は非常に稚拙で叩かれてしかるべし、というものだった。簡単に言えば、彼の主張は大学を、大学の名称のままで職業訓練学校化しろというものだったからだ。しかし、職業訓練を主目的にするなら、それはもはや大学ではない。大学を大学ではないものに変えてしまえ、というのは暴論であろう。しかし、大学ではない組織として、職業訓練のための組織、米国でいうcommunity collegeが存在することは絶対に必要で、経営不振でどうにもならない大学が自主的にcommunity collegeへと改組するのであれば、それは歓迎されるべき話なのである。大体、社会から見たら、機能としては本来大学よりもcommunity collegeの方が重要になりつつあるのだ。

スキルアップの機会は米国では主として社外に存在するが、日本ではOJTという名の下に企業や役所の内部で実施される。ここがまた大きな問題の温床になるのだが、それはそこで身につけたスキルが他の会社では役に立たないことがある点である。また、その会社で行われるトレーニングで生き残った人しか存在しないので、肌が合わないと悲惨なことになる。そういった事態になったとき、受け皿が用意されていないのが日本の社会である。

米国の事例を中心に、スキルが高くない労働者をどう社会に馴染ませ、場合によってはスキルアップの手助けをすることについて書いてきたのだが、次はホワイトカラーについて考えていくことにする。

ホワイトカラーの労働環境に求められるのも、流動性である。実は、日本はホワイトカラーの多くがパーマネントの地位にあることが大問題なのだ。特に、年功序列によってスキルが不十分なのに高い地位にのぼりつめ、高い給料をもらっている人たちがお荷物なのだ。野球で言えば、40歳の大ベテランで、打率が1割、本塁打は0なのに、4番から微動だにしないようなものだ。監督が「ちょっと、ベンチに下がってくれないか」と相談すると、「それは判例で違法とされている」と言い出して交代を拒否する始末である。ここをなんとかしないと、本当にどうにもならない。空席ができなければ、次の人が座る場所がないのである。給料が高いのだから、能力不足を理由に解雇されるリスクぐらいは背負って欲しいものなのだが、日本はなぜかそうならない。安定と、高給の両方を既得権者が保持し続けるのが今の日本である。

ところで、ここで件の電通の自殺社員の話になる。あの社員はホワイトカラーではないのか、ということになるのだが、もちろん違う。彼女の場合、おそらく年収1000万円にはならないだろうし、自己の裁量で仕事量を決めることも不可能だった。これではホワイトカラーとは言えない。彼女は法律で守られるべきだったし、周囲からの配慮も受けられるべきだった。

ここで、三菱総研と中央官庁で働いた経験から、電通の仕事の難しさを書いておきたい。三菱総研と電通の仕事に共通する難しさは、「100点満点が存在しない」ということだ。どんなに努力しても、さらに時間をかければアウトプットが良くなる可能性がある。野球選手にホームランや完全試合のような究極の到達点があるのと違うところが悩ましい。そして、仕事はほとんど全て委託業務なので、客が納得しないならそれまでなのである。僕は経済産業省の役人としてシンクタンクを利用する立場になったこともあるのだが、その時に同僚から聞いた言葉は、「シンクタンクは生かさず殺さずだ」というものである。死なない程度に絞りあげろ、という意味だ。僕は広告代理店を使う立場になったことがないのだが、電通にとってのクライアントもおそらくこういう姿勢で、「広告代理店は生かさず殺さずだ」と考えているのだろう。発注者とすれば、少しでも長く受注者を働かせることが、アウトプットの質の向上につながる。本来なら、仕様書によってこのあたりの仕事の量と質を明確に規定すべきなのだが、受注の成否につながるので、仕様書はいい加減に書いておくのがこれらの業界の常でもある。おかげで作業はエンドレスになることが多い。相手を内容で満足させるのではなく、努力の量で納得させるのである。シンクタンクや広告代理店というとスマートなイメージかもしれないが、実際はこんな感じの古い体育会系の仕事だ。

「次の仕事」という餌をちらつかせられて、こき使われるのがこういった会社である。だからこそ、これらの会社の管理職は自己と、部下の管理が大切になってくる。不幸な事態は、全て人災なのだ。そして、社内での「使われる側」は、上長に対して常に「ノー」という準備が必要になってくる。一番難しいのは、このホワイトカラーと非ホワイトカラーの境界領域で、この間の調整は時間をかけて落とし所を見つけていかなくてはならない。そして、運悪く、自分の上司がこの調整作業がうまくできなかった場合は、まずは直属の上司にかけあい、それでもダメなら人事部にかけあい、やっぱり無理なら、辞めてしまえば良いのである。その時に重要なのが、「会社を辞めても、すぐに次の仕事が見つかる」という環境なのだ。

「つらい。やめたい」と漏らしている人がいたとき、「何いつまでもしがみついてんだよ、馬鹿だな。さっさとやめちまえ。何だったら、うちの会社の上司を紹介してやるよ。なんか、ちょうど人探してるみたいだから」と言ってあげられる社会にしなくてはならない。今は「私だけじゃなくて、みんな頑張っているから」と、孤立感を深め、一層のどつぼにはまっていくのである。

過労による精神障害と自殺の件数は、厚労省の資料によれば2015年度の決定件数だけでそれぞれ1306件、205件となっている。その背後には、発覚に至らないケースや、ちょっと手前で踏みとどまったケースが何倍も、あるいは何十倍もあるに違いない。そろそろ真剣に、労働環境の改善を考えたほうが良い。それは、労働者サイドから一方的に規制強化を唱えるのではなく、労働市場の流動化を目指して、解雇規制の緩和を含め、様々な角度から変えていかなくてはならないというのが僕の考えである。

米国が全てではないし、米国にも改善すべきところは多々ある。しかし、それ以上に、日本が米国に学ぶべきところはたくさんある。日本の古くからの習慣を良しとして、旧態依然とした労働市場を継続していることが、そのまま日本を世界の負け組に誘っていることに気付かなくてはならない。そして、その影響は、経済指標だけではなく、「過労による自殺者数」といった数字にも現れていると思う。  
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2016年10月08日

過労死した電通の高橋まつりさんのTwitterをざっと読んでみたが




と書いてあったので、証拠を色々読んでみた。

高橋まつり氏のTwitter
https://twitter.com/matsuririri

色々気の毒で悲しくなってくる内容だが、読んですぐに感じたのは、「最長月130時間」と書かれていた残業時間に対する違和感。

参考:24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定(産経ニュース)
http://www.sankei.com/affairs/news/161007/afr1610070012-n1.html

このスタイルだと、残業時間は200前後か、あるいはそれ以上だと思う。  

2016年10月07日

日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例

米国は車社会である。お金持ちでなくても、車を持っている家庭が多い。ワシントンDCのような都市部であっても、通勤を含めて移動の手段としては車を利用するのが主流派だ。ワシントンDCは全米各州の中で公共機関によって通勤する人の割合が最も多い州だが、その数は2006年で33.6%、ニューヨーク州だと25.1%である(2006 U.S. Bureau)。

そんな風に一般的な自家用車だが、もちろん、持っていない人もいる。かくいう僕も、車を持っていない。よくみんなから「なんで持ってないんだ」「不便で仕方ないだろう」と言われるが、別にそんなこともない。地下鉄やバスを乗り継げば大抵の場所へ行けてしまうし、それが無理でも、Uberを使えば何の問題もない。実は、今日もエステート・セールに行くのに、Uberを利用した。片道30分の行程で、料金は一人当たり12ドル程度である。公共交通機関を使うと片道8ドル程度、所要時間は1時間30分程度、徒歩も5分程度含まれているから、費用対効果はとても優れている。

日本ではタクシー業界のロビー活動によっていつまで経っても本格導入が実現しないUberなので、これがどんなシステムなのか、知らない人も多いかもしれない。まず、Uberについて簡単に説明しておく。

登録にあたっては、支払いの手段としてクレジットカードかpaypalの登録が必要で、実はこれが最大のミソになる。料金はルートや道の混雑具合に左右されず、事前に提示された額で一定になる。定額なのもさることながら、運転手も、利用者も、現金を扱うことがないので、強盗にあうリスクが激減する。

さて、実際に利用する際は、利用者はウェブサイトやアプリで、自分のいる場所と目的地、乗車人数を入力する。すると、候補になるUberの車種、運転手、料金の一覧、今いる場所までの所要時間が表示される。今のDCはいたるところでUberが走っているので、大抵2、3分で乗ることができる。これまでの経験では、一番待ったのが6分である。僕はいつも貧乏旅行なので、今日の場合は往路がプリウス、復路がデュークだった。なお、使ったことはないが、事前予約も可能だ。

乗車中は特にやることもなく、普通のタクシーと同じように乗っていれば良い。ときどき渋滞などがあると「渋滞がひどいので、遠回りだけど高速を降りて一般道で行ってもいいか?」などと相談されるが、「適切だと思うルートを選んでください」と任せておけば良い。

そして、目的地に到着したら、運転手に「Have a nice day」とでも声をかけて下車する。

最後に、今日の運転手について、アプリで星1つから5つまでで評価を入力して終了である。

今日はメリーランド州の最もDCよりの場所からヴァージニア州のViennaという街の住宅街まで、22キロの行程だった。

こんな便利なものはない。

このUber、日本では何度か導入が図られているのだが、その度に国土交通省からの指導やタクシー業界からの反対を受けて本格導入が実現しないでいる。安倍晋三首相も「過疎地などで」との条件付きによる導入を検討するだけで、京都での参入も山ほど制約が与えられた様子である。

ウーバー「縛りだらけ」の日本参入 タクシー業界抵抗
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ26I1Y_W6A520C1TI1000/

本格的な導入までは程遠い状況だが、その理由はこの日経新聞の記事を読めば明らかである。

本格参入されれば市場を一気に奪われる――。市議会議員への働きかけを強め、市は3月、実験予算を撤回する。


確かに、タクシー業界にとっては打撃かもしれない。しかし、運転手にとっては特に打撃でもないはずだ。自分も、Uberの運転手になれば良いだけのことである。自己紹介で「タクシー運転歴・・年」などとキャリアをアピールすれば良い。

富田昌孝全国ハイヤー・タクシー連合会会長は「白タク解禁や合法化の動きにはいかなる妥協も条件付き容認もない」と言い切る。


このコメントなんかも、既得権の主張丸出しで笑える話である。要は、「理屈なんか関係ない。誰がなんと言おうとダメだ。理由は俺たちが貧乏になるからだ」である。これがまかり通るところが日本なのである。

事業者の都合が優先されたままでは、日本の消費者の利便性は置き去りにされる。


置き去りにされているのは上にも書いたように、消費者だけでなく、労働者も、なのである。

ことほどさように、日本社会は社会主義性が非常に強い。そして、競争を導入しようとすれば、既得権者達が猛反対する。

先日、ノーベル賞の受賞が決まった大隅良典さんも、東工大での講演で

「日本の大学の基礎体力が低下しているのは深刻な問題」と指摘。研究費の多くが競争的資金になると長期的な研究が困難になるとし、今後、新しい研究分野で日本人がノーベル賞を受賞するのは「非常に難しくなっているのではないかと危惧している」

「日本人受賞で浮かれている状態でない」 大隅さん講演
http://www.asahi.com/articles/ASJB761JLJB7ULBJ019.html

と述べたようだが、これなども既得権者側のポジション・トーク色が濃いと言わざるをえない。この辺の事情については「ノーベル賞の使者」というエントリーで解説したとおり、すでに大隅良典さんもあちら側の人なのである。

総統閣下はお怒りです「ノーベル賞の使者」
http://buu.blog.jp/archives/51432975.html

こういう講演があると乞食みたいな学者やその予備軍が大絶賛するので海のこちら側から見ていると猿山の猿に餌を投げ込んだみたいな状況で失笑を禁じえないのだが、日本にいる人たちにとっては他人事ではあるまい。それどころか、多くの日本人は日本人のノーベル賞受賞というのをめでたがって、もっと研究費を増やすべきだと大隅さんの講演に同調しているかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、世界中で最もノーベル賞を獲ってきているのは、大隅さんがまさに批判している競争的資金を広範にわたって導入している米国なのだということだ(2014年で、日本の競争的資金は3500億円、米国は2002年で300億ドル)。

競争は悪、というのは弱者の理論で、社会主義的な発想である。もちろん、競争のすべてが正しいわけではないが、先日例に挙げた敦賀市の例を見ても明らかなように、既得権者たちは大抵堕落するし、グルーバルな視点からの競争力は下落する。そして、業界は不活性化し、公的な支援が必要になっていく。公的支援の主たる原資はもちろん税金である。

敦賀の住民のマインド
http://buu.blog.jp/archives/51531979.html

国に支援を要求する人たちが既得権者の場合は、納税者はきちんと厳しい目で精査する必要がある。役人任せではダメなのだ。たとえばタクシー業界と国土交通省はグルだし、ノーベル賞受賞者の多くと文科省はグルなのである。こうした癒着も、日本をダメにした大きな要因であることを知っておく必要がある。

参考:今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について
http://buu.blog.jp/archives/50339835.html
(日本における大型予算の決まり方について記述)  
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2016年09月28日

国立がん研究センターと日本たばこ産業株式会社の対決

国立研究開発法人国立がん研究センターが「受動喫煙によって肺がんになるリスクは1.3倍ですよ」という論文を出し、それに伴って受動喫煙のリスク評価が「ほぼ確実」から、「確実」へ変更され、がん予防のための行動ガイドラインを、他人のたばこの煙を「できるだけ避ける」から“できるだけ”を削除し「避ける」へ文言変更した旨リリースを出したのが8月31日である。

受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍
肺がんリスク評価「ほぼ確実」から「確実」へ
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160831.html

これに対応して、JTの社長が「過去に実施された日本人を対象とした疫学研究論文から9つの論文を選択し」とか、「JTは、本研究結果だけをもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づけることは、困難であると考えています」とか、「疫学研究だけの結果をもって喫煙との因果関係を結論付けられるものではありません」とか、「科学的に説得力のある形で結論付けられていない」とか、コメントを発表したのが同じく(!)31日である。

受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/opinion/fsc_report/20160831.html

そして、このJT社長のコメントを捻りつぶすようなリリースが出たのが約一ヶ月後の9月28日である。

受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html

JTの社長が脊髄反射的にコメントを出したのも笑えるのだが、それに対してずっしりと体重が乗ったダブル・クロス・カウンターを繰り出したがん研究センターである。時間をかけてじっくり検討したと想像できる反論は非常に科学的である。

JTは今度はどんなリリースを出すのか、いつ出すのか、今から楽しみで仕方がない。あしたのジョーなら、トリプル・クロス・カウンターが決まると致命的なんだよね。ホセ・メンドーサは倒れなかったけど。

ちなみに、今の時点での僕の採点は10−0で「がんセンター勝勢」です。  
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2016年09月14日

敦賀の住民のマインド

いよいよもんじゅの命運が尽きそうな雲行きである。

稲田防衛相、「もんじゅ」廃炉に前向きな考え示す
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160913-00000155-fnn-pol

これに関連して思い出すのが、敦賀でのコンサル案件である。そのとき、顧客から聞いた話は、こんな内容だった。

敦賀市には競争がないのです。お金は国からどんどん降ってきます。だから、私たちはそれを仲良く分配するだけなのです。仕事は、みんなで順番にまわしていきます。競争がないから、価格が下がることもないし、広告にお金をかける必要もありません。上から降ってくるお金を順番にわけているだけで、みんなが良い生活ができて、本当に平和なのです。


お前ら、それは、敦賀市以外では談合っていうんだよ(笑)。

まぁ、もんじゅが廃炉になっても、まだまだお金は落ちるんだろうけどね。  
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2016年08月30日

マンホールの蓋 新横浜編

マンホールの蓋って全然注目した事がなかったけど、きっといろんなデザインがあるんだろうね。


  
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2016年08月20日

朴柱奉(パク・ジュボン)バドミントン日本代表ヘッドコーチについて

今日は韓国人のファミリーを自宅に招いてのパーティだった。和風からあげ、和風カレーライス、和風ハンバーグという、純日本料理とは言えない手料理の数々でもてなしたのだが、料理は総じて好評だった。一番日本を味わえるはずの土鍋炊きのご飯と、昆布と鰹節でちゃんと出汁を取った味噌汁が、料理の数々の陰に隠れてしまったのはご愛嬌というもの。

例によって大量のビールを飲みながら会話していたのだが、ちょうど聞きたいことがあったので、質問してみた。それは、日本バドミントンチームのヘッドコーチをなぜ韓国人がやっているのか、ということだった。

彼の回答はおおよそ次のような感じだった。

韓国は、これまでバドミントンで非常に良い成績を残してきた。たくさんの五輪メダルも獲ってきた。そのおかげで、韓国にはバドミントンの英雄と評されている元選手がたくさんいる。今の、韓国代表チームの監督もその一人だ。日本の代表ヘッドコーチも、韓国では英雄とされている元選手で、僕は彼の名を冠したラケットを使っている。

日本において、柔道界には金メダリストがたくさんいるので、元選手の中には海外のチームの監督としてその手腕を発揮している人がいてもおかしくない、というのと同じなのだろう。

それにしても、朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチの手腕はすばらしい。2004年にヘッドコーチに就任後、着実に日本チームの成績をアップさせてきている。かなりのスパルタ式のようだが、日本人のマインドにはフィットしているのだろう。シンクロの井村ヘッドコーチが、同じようにスパルタ式で成果をあげていることからも、スパルタ式のコーチングが日本選手にフィットしていることは想像できる。

いつの日か、朴ヘッドコーチも井村氏と同じように母国に戻り、母国の選手のためにその手腕を振るう日が来るのかもしれない。それまでの間は、ぜひ日本チームのために頑張って欲しい。

ワシントンDCで暮らしていると、韓国だけでなく、ジャマイカ、ウクライナ、ペルー、ブラジル、エチオピア、イラン、パキスタン、バングラデシュ、ガボン、マリ・・・と、日本で暮らしていたらほとんどコミュニケーションをとる機会のない人たちと色々と会話できる。旅行でも会話ぐらいはできるかもしれないが、実際に生活しているのとは機会の数も、会話の密度も変わってくる。世界は米英仏独だけではないことを知ることができて、とても刺激的だ。同時に、日本社会は本当に均質で、閉鎖的だと感じる。50歳近くになっても海外に出てみて本当に良かった。  
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2016年08月12日

鳥越俊太郎版、敗軍の将の弁

鳥越俊太郎氏が敗軍の将として色々語っていたので読んでみた。

「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

以下、引用しつつコメント。

自分が出なかったら、ひょっとしたら後で後悔するかもしれない


一番は、都民のためじゃなくて自分の気持ちが理由だったということ。

テレビ番組のアンカーをやっていた時も


テレビ番組のアンカーと都知事が同じだと(笑)

新聞記者の時だってそう


新聞記者と都知事が同じスタンスで良いなら、産経新聞の記者でも都知事ができてしまうわけで。

急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきている


こんな人が都知事にならなくて良かったですね。

僕はペンの力なんか全然信用していません


ジャーナリストって、基本はペンで戦う人たちなんじゃないの?

痴漢してないということをどうやって証明するかというと、できない


いや、結構なところまではできると思うんですが。

「この人がこう言っている」というだけで載っちゃうのね


全然ダメなはずのペンにやられたと(笑)

僕はそれで行くしかないと思っていた


この記事の中では珍しく、自己の判断に責任が帰着したところ。判断はまずかったと思うけど(笑)

説明責任というのは美しい言葉だけど、実際にはこれほど難しいことはない


難しいからといってみんなが説明責任を放棄したら、それはそれで困りますよね。特に自治体の首長とかは説明責任を果たすことが重要で。

僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない


それはそれで一つの見識だけど、そういう姿勢ってこうして発言しなくてもちゃんとニコ生のファンには伝わるわけで、それが敗因のひとつでしょうね。

あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ


また、ペンに負けている(笑)

あんなのおかしいじゃないですか


同意を求められてもねぇ。

全く関与していない


他人の判断だと。

候補者が何でも知っていて、何でも決めていると思うだろう?


何でもとは思わないけれど、重要な判断は自分でしないとね。それに、何も知らないとしても、判断には責任を持たないと。たとえば都知事が行政判断について「都知事が何でも知っていて、何でも決めているわけではない」と開き直って責任を放棄してしまうなら、議会も、都職員もついてこないよね。首長って、要は最終責任者だから。

それは僕ではなくて、選対の判断だから


でも、それは判断を選対にまかせたこの人の責任。

選対の部分でカットしているから、なぜか僕は全く知らない


悪いのは全部選対(笑)

相手に聞ける質問なんて、1問が限界


数少ない時間を使ってネガキャンをやるのが作戦じゃあなぁ。その作戦を考えたのは選対かもだけど(笑)

俺は知らなかったの。ニコニコから話が来ていたなんて


悪いのは全部選対(笑)

僕は何も知らない


悪いのは選対だけど、そこの責任者については何も知らない、と(笑)

僕は全くノータッチだから


この人は一体何をやっているのだろう?

ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている


えーーーと、この人、オーマイニュース(ネット新聞サイト)の初代編集長だったんですが(笑)。まぁ、潰れたんですが。


総じて思うのは、徹頭徹尾「悪いのは私ではない」というスタイルで、都知事にはふさわしくないということ。これなら無能だけど責任は取る人や右翼だけど責任は取る人の方がまだマシ。これから都政がどうなっていくのかはわからないけれど、少なくとも鳥越俊太郎ではダメだったということはわかった。  
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2016年08月05日

稲田朋美がなぜキモいか

ウィキペディアから引用しつつ、書いてみます。

夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった


産経新聞かよ。いきなりキモい理由がわかった。でも、これじゃぁブログの記事としては貧弱なので、続けます。

「南京虐殺の象徴とされる百人斬りは虚偽だと立証できたと思っていた」が最高裁では棄却されている


自分に都合の良い解釈をするんだよね。それで、裁判で負ける。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と述べている


そんなところとは知らずに何度もお花見やっちゃったよ。ところで、「何か」って、何?

検閲の意図は全くないが、政治的に中立な映画かどうかは若干の疑問を感じた


事実上の検閲だろ。これが検閲じゃないなら、検閲を定義しろよ。

大江の記述には合理的根拠が認められ、書籍発行時において大江が「真実であると信じる相当の理由があったと言える」とされ敗訴した


また負けかよ(笑)。

「河野談話」に対する個人的見解として、慰安婦制度に「強制性はなかった」と述べている


裁判やったら5分で敗訴(笑)

「成人にも悪影響を与える暴力的なコミックと過激なゲームソフト」がある


こういう思い込みがキモい。

「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない」


これもキモい思い込み。

男女共同参画社会基本法について「おいおい気は確かなの?と問いたくなる」「女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」と述べている


法律を読む限りでは男女の取り扱いに差異はなく、能力が劣っている女性を登用すべし、という主旨の内容にはなっていない。

参考:男女共同参画社会基本法
http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html

尊属殺人規定の復活を主張している


なんか、理屈ではなく感情的にキモい。

「『最高裁から(判決が)出たんだから変えるのは当然だ』という無責任な考え方で改正をしてもらっては困る」と反対意見を展開


この人、憲法(との整合性を判断する最高裁)と対立できると勘違いして政治家になったのか?この裁判では、国籍法が違憲だから改正せよ、という判決だったのだが。不満なら弾劾裁判やれよ。

日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき


もう、この辺が決定的にキモい。

真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること


ひぃーーー。まずはお前の息子を差し出せよ。

保育所増設の政策などを見ていると『ほんとに母乳を飲んでいる赤ちゃんを預けてまで働きたいと思っているかな』と疑問に思う


働きたいんじゃなくて、働かなきゃ、育てられない人もいるだろうに。色々な立場や可能性に配慮できない視野の狭さがキモい。

『女性初の宰相候補という「稲田朋美」政調会長の地元の疑惑』(2015年4月2日号)について“載せるなら法的措置を採る”と通知して来た夫・龍示が「記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ」と評された(2015年4月9日号)事について名誉毀損で提訴したが、大阪地方裁判所は「内容は論評の域を出ていない。新潮の言うような対応が為されたことは事実」として訴えを却下


全盛期の阪神並みに裁判に弱い。

2016年3月11日、大阪地方裁判所は、サンデー毎日の記事の内容が真実であり公益性があるとして、稲田側の請求を棄却した


連戦連敗(笑)。

あぁ、キモかった。結局、ずれた思い込みが激しくて、自分が正義だと思って裁判をやっては負けるというのを繰り返しているんだよね、このキモいおばちゃんは。櫻井よしこも、福島瑞穂もキモいけど、負けず劣らずキモいよな。  
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2016年07月12日

タレントが売るものと、春日匠という馬鹿について

石田純一の都知事立候補にあたり、こんなニュースがあった。

石田純一「数日で何百万、何千万」出馬表明で違約金
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160709-00000130-nksports-pol

この記事に対して、Facebookの友達である平川秀行氏が「政権に対して批判的立場で立候補をほのめかしただけで社会的に袋叩きにされる」という意見を表明していたのだが、果たしてそうだろうか。これまでに企業や特殊法人の広報を担当し、何人もの芸能人のウェブサイト運用を手伝い、政治家が運営するネットテレビ局の運営の手伝いをし、ネットテレビ局のメインキャスターとして1時間の生番組を週二回、2年以上やってきたりした実績をもとに、主として「タレントのイメージ」について考えてみる。

CM出演料を出す立場が一番偉いし、主役でもあるので、まず広告主の立場からタレントのイメージを考えてみる。CMは広告主のイメージを決定づける重要なコンテンツなので、それに出演する俳優には少しでも良いイメージを持っていて欲しいのは当然のことである。誰が好き好んで悪いイメージのタレントを使いたがるものか、ということだ。また、大抵の場合はCMに出演するタレントはすでに何らかのカラーが付随しているので、そのイメージが自社や商品のイメージに合致している必要がある。たとえば吉高由里子なら三井住友のカラーがついているので、他行の担当者は起用しにくい。

#というか、それ以前に三井住友から「他行とそのグループのCMには出てはいけない」という制約がつけられているはずだ。

そして、出演するタレントには、CMを流している間中、余計なカラーがつかないことを要求する。清廉なイメージがあるからといって起用したタレントが、CMを流し始めた後に消費者金融やパチンコのCMに出てしまったら、「え?」となるはずだ。そして、こうした事項については、契約書で「イメージを損なわないように」と抽象的に書かれているはずだ。なぜなら、個別具体的に「これはダメ」と書く形式だと、漏れがある可能性があって「これは書いてないからオッケー」と曲解されてしまうリスクがあるからである。これは契約業務では非常に一般的な話で、主契約書は曖昧に書いて、あとは覚書にまわしたり、別途相談としたりするのが当たり前である。このあたりは企業の代表として弁護士を含めて契約業務をやったことがある人なら誰でも知っているはずだ。

また、イメージを損なう可能性がある活動を希望する場合には、両者で事前相談する旨、主契約書に記載されているのもほぼ間違いない。ちなみに、「可能性のある事項」は広告主が求めるイメージ次第で、ライザップなら太らないとか、独身っぽいイメージが売りなら結婚しないとか、保険会社なら交通事故を起こさないとか(これはわざと事故を起こすはずがないので、不可抗力で事故が起きないように、最初からハンドルを握らないことになったりする)、お酒のCMなら妊娠しないとか、山ほど想定されるし、わざわざ記載しなくても、犯罪を犯さないといった条件も言外に含まれているはずである。

そうした様々な条件と引き換えに、広告主はタレントに対して高額の契約料を支払うことになる。若いタレントでも数千万円単位の契約料をもらえる背景には、こうした様々な制約が存在する。彼らが売っているのは、イメージそのものであり、イメージが商品なのだ。

次に、CMに出るタレントの視点から考えてみる。タレントにとって、イメージは最も重要な要素である。たとえば一度ダイエット食品の広告に出てしまったら、食いしん坊万歳には出演しにくくなるだろう。CMに出て無色透明でいられるはずはないので、今後、そのタレントをどういうカラーで売っていくのかについて、タレントと事務所で相談して、出演CMを慎重に選んでいくことになるはずだ。

前述の吉高由里子で言うなら、今では三井住友のカードローン、みたいに決して良くないカラーがついてしまった。一度定着したイメージはなかなか払拭できないので、「当分これでやっていく」という覚悟も求められる。このように、タレントとしてもCM出演は冒険になる。

テレビ局のサイドから見たらどうだろう。中立で不偏不党と思っていた、自局の番組のCM出演者が突然都知事選挙に立候補してしまえば、困ったことになる可能性も少なからずある。たとえば報道ステーションのCMなら、視聴者だって「あれ?この番組は特定政党に偏った番組なの?」となる。さらに、実際に立候補した場合は、選挙期間中にCMを流すことができなくなる。これはCM出演者側の自己都合なので、テレビ局には何の落ち度もないが、代わりに何かを流す必要が生じて、その手配はテレビ局と広告代理店の仕事になる。

こうしたもろもろを調整するのは、有名タレントの場合は主に広告代理店やタレントの事務所だろうが、彼らとしても余計な仕事が増えることは間違いなく、少なくとも事前にちゃんと相談してくれよ、という話である。

さて、ここでタレントが野党の統一候補として(別に自民党・公明党の候補でも構わないが)都知事選に出馬したらどうなるか。そのタレントがそれまで政治的に無色透明であれば、広告主たちは椅子から転げ落ちるほどにびっくりするだろう。都を二分するような政治的課題が存在するなら、大雑把に見ても、都民の半分からは反感を買うことになる。それまで0のイメージだった人たちが、プラス100とマイナス100に分かれてしまうことになる。2ちゃんねるなどを見ていてもわかるように、日本ではポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが表出しやすい傾向があり、企業はこのネガティブなイメージを非常に恐れる。

また、石田純一の場合も該当するが、これまでにも多くの政治的発言を繰り返していたタレントや、あるいは石原良純のように親や兄弟に特定政党の政治家を持つ人間だとしても、立候補するとなればそのカラーは決定的になる。曖昧なカラーと決定したカラーは大きく異なる。職業として政治家を選ぶのであれば、曖昧なカラーではありえない。

繰り返しだが、CMタレントが売っているものは「イメージ」そのものである。一般論でいえば、政治や新興宗教はイメージが売り物のCMタレントにとって最もtouchyな話題である。主義主張や信仰がだめなのではなく、それが明確化することが広告主から敬遠される。人権がどうとか、そういう話ではなく、そういうものであって、嫌ならCMタレントとして経済活動をやるべきではないのである。

つまり、今回の石田純一の立候補示唆は、自民党に批判的な立場だったから疑問を呈されたのではなく、おそらくCMに出演しているタレントとして、ビジネスパートナーから契約違反を指摘されたに過ぎない。また、この文章ではCMについて書いてきたが、ワイドショウのコメンテーターとしての出演などでも事態はほぼ同じである。

ここまで書いてきたことはほとんどが一般論である。個別具体的には実際に石田純一が交わしている契約書の内容を精査する必要があって、それは弁護士や裁判所の仕事である。この辺は法律やら契約やらの話で、政治とは関係がない。もともと石田純一の場合は脱原発を明確にするなど反自民色を明確にしているタレントなので、「主張が反自民党だから」という理由だけで違約金がどうのこうのという話に発展するとは考えにくいところがある。

今回の事象は芸能界の一般的なルールから外れているので、違約金が発生するかもしれないという石田純一の発言を以って「反自民だから」とやらかすのは被害妄想に感じられる。良いものは良い、ダメなものはダメと冷静に、是々非々で判断する必要があって、そういう視点がないと、「あの人はちょっとおかしい」と疎まれてしまう。そうした溝がどんどん深くなると、今の社民党のように孤立無援になっていく。

僕は平川氏に対して「通常の契約なら禁止事項や事前調整の必要性についてはきちんと明記されているはずで、その契約内容の確認もなしに「これはひどい」と喧伝するのはヒステリーに見えます」と書いた。もちろん、精査してみれば平川氏の指摘するような事態が背後には存在するかもしれない。しかし、現段階では、常識的にみておかしいのは石田純一の方だ。そして、ただでさえ叩かれやすいのが政治家である。その余地をふんだんに残したままで立候補を示唆したことは軽率と言えるだろう。

#今回は、この話題について僕が経産省時代に省庁横断的委員会を開いたときの委員だった平川氏と話している最中に、呼んでもいないのにカスが小じゃなく春日匠とかいう馬鹿がスレッドに乱入してきて、「奴隷制につながる契約や臓器売買を前提とした契約と同等で無効であるべきだ」とか書いてきて呆れたのだが、この馬鹿は恐らくこれまで民間企業同士の契約業務を担当したこともなければ、広報活動のプロとして社会活動もしたことのない脳みそお花畑の人物であろう。臓器売買と政治家立候補禁止が同列って、どこかに似たようなタイプがいたな、と思い返してみたら福島瑞穂だった。Facebook上の公開されたやりとりなので横から会話に参加してくること自体は何の問題もないが、どこの誰とも知れない人物が、主張の背景すら表明せずに馬鹿を晒すのは迷惑行為である。やりとりをキャプってこのブログで紹介しようとしたら「ツイッターでやってくれ」とか言ってくるし。以前、キクマコ氏の取り巻きに粘着されてから、ああいう匿名メディアでは時間の無駄だから議論はしないんだよ。目障りな奴はどんどんブロックするけれど、その手間までもが馬鹿らしいから、こういう馬鹿とは関わらないに限る。僕の中には馬鹿リストが存在していて、榎木英介とか、内田麻里香とかが該当するのだが、春日匠という名前も追加しておいた。小物すぎて全然知らないけど(笑)、これとこれは同じ、と言いながら月とスッポンほども違うものを列挙する奴にまともな奴はいない。

歌手が、「コンサートで歌う約束をしたけれど、歌を歌いたくなくなったので歌うのはやめるって言ったら、『もうチケットを売っちゃったので損害賠償だ』って言われた」とか言いだしても、「本人が歌いたくないって言ってるんだから、無理やり歌わせるのは人権侵害だ。それは臓器売買を前提とした契約と同じだ」とは言わないでしょ?(こっちは上手な類似事例の提示だな(笑))

なんで科学コミュニケーション関連ってろくでもない奴が大勢いるんだろうね?あ、日本の科学コミュニケーションって、科学のメインストリームで使い物にならない奴らの受け皿だから?

ともかく、アベノミクスは馬鹿だし、自民党の憲法草案も馬鹿だし、安保法も馬鹿だし、安倍晋三も馬鹿だけど、批判すべきところと批判すべきではないところはきちんと見分ける必要がある。クソも味噌も一緒にしてしまうようなら、「あいつは電波だから」と一括りにされて、正しい主張も埋もれてしまう。

あと、専門的な話には、ど素人は付け焼き刃の知識で首を突っ込まないほうが良い。ちなみに僕は慎重なので、この文章も公開前に広告代理店の知人に「おかしなところはない?」と問い合わせ済みである。回答は「その通りだし、何の問題もない」であった。

関連エントリー
科学コミュニケーションの向かうべき方向
http://buu.blog.jp/archives/51426321.html

急募!「まともな」サイエンス・コミュニケーター!
http://buu.blog.jp/archives/51245931.html  
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