2017年09月24日

福田峰之氏が自民党離党を表明した件

福田さんとは、日の出テレビを一緒にやっていた時からの仲である。当時は、自民党が冬の時代で、彼の周囲には数名の落選議員がいた。彼らを集めて、自民党市議会議員を含め、神奈川県自民党の議員、元議員による「日の出テレビ」を立ち上げていた。

僕は、福田さんと新横浜で実施されていた勉強会に参加していて(講師だったか、賑やかしだったかは失念)、その時に「議員は自分が語りたいことを喋るだけで面白くない。視聴率を上げるために、元木さんのような政治家ではない人間にも参加してほしい」と要望を出され、日の出テレビに参加した。

以後、週一回〜二回の放送を続けたので、そこそこの期間、日の出テレビに参加し、キャスターとしてだけではなく、運営も手伝ったことになる。また、日の出テレビが解散した後も、福田さんは僕の実家の選挙区の政治家なので、その活動を色々見てきた。まず、福田さんの代表的アクティビティだった日の出テレビと、議員としての活動の印象をざっと書いておきたい。

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(1)日の出テレビ運営会議
月に一度だったか、運営会議が行われていた。この会議できちんと発言していたのは僕と山際大志郎氏(衆議院議員)、山下正人氏(横浜市会議員)の3人で、福田さんは議長的な役割で打ち合わせをハンドリングしていた。

(2)日の出テレビ運営会議参加者
僕は、運営会議は全て出席した。福田さんも、記憶している限りは欠席がなかった。逆に、牧島かれん氏はとうとう一度も顔を合わせた記憶がない。

(3)放送内容
僕以外は、視聴者が何を観たいかには興味がなく、ほぼ全ての出演者が、自分が喋りたいことを喋っていた。

(4)アシスタント
福田さんはずっと女性アシスタントをつけて放送していた。僕もその形式を踏襲したのだが、僕と福田さんの相違点はアシスタントに給料を払ったかどうかである。僕はボランティアという制度が嫌いで、デフレ誘引の一つの原因となると考えていたので、最後までアシスタントに出演料を払い続け、また、帰りが遅くなる場合には家まで車で送り届けた(番組の開始が23時だったりしたので、毎回神奈川県や千葉県の家まで送り届けた。なお、当時の僕の自宅は朝霞市だった)。この辺については、僕の番組の歴代アシスタントたちに聞いてみてもらっても良い。一方で、福田さんは「アシスタントはボランティア」という立場で、給料は支払っていなかったようだ。

(5)当選後
民主党が自滅して、自民党が勢いを取り戻したため、日の出テレビに参加していた自民党の落選議員たちは軒並み当選して議員に復職した。忙しくなってテレビ運営どころではなくなり、日の出テレビは解散した。この時の会議の様子は全部記録してあるのだが、私的な会議なので議事録の公開は避ける。取り立てて問題となるような発言はなく、「続けたいけど続けられない人」と「あまり意味がないので、途中からやる気はなくなっていた人」に分かれていたことが印象的だった。

(6)福田さんについて
個人的な感想を言うなら、「良い人」である。Facebookの記事などを読んでいると、誤字が多く、国語の成績は良くなさそうに感じる。政治的立ち位置はやや不明確で、他の議員たちよりは個性がなく感じられた。たとえば山際氏は小泉進次郎や、入閣前の河野太郎、他党でいえば江田憲司などに近く、山下氏は非常に常識的な人物ではあるものの、いわゆる右翼的な保守思想の持ち主で、根っこのところでは同意できないことが多々あった。例えば山下氏は安倍晋三に最大限の敬語を使っていて、それを指摘すると「一国の総理大臣なので当たり前」と答えていたのだが、それなら民進党や共産党の総理大臣が誕生しても、そういう言葉を使うのだろうかと感じた。福田さんは、そうしたカラーが色濃く感じられなかった。詳しく見ていくと、山際氏ほどではないものの、小泉進次郎や江田憲司に近いカラーだが、良くも悪くも、それが希薄である。結局、今後どんなブレインがつくか次第だろう。

このところ水素社会の確立に注力していたようで、この辺が今後の活動の核になってくるのかもしれない。ただ、水素周辺は水素水のようなトンデモ業者も存在するので、注意が必要だと思う。

(7)離党について
福田さんが離党する前は、彼のFacebookに「自民党の支持率が下落傾向にある今、江田さんに勝つことは難しく、また復活当選も難しいのではないか。落選したら、また一緒に日の出テレビをやりましょうか。ワシントンDCから参加しますよ。ただし、反アベノミクスですが」といった内容のことを書き込もうと思っていた。

神奈川8区は、河野太郎氏の15区ほどではないにしても、江田憲司氏が磐石の選挙戦を見せる選挙区で、神奈川県では河野太郎氏か小泉進次郎氏以外は太刀打ちできないことが予想される。そういった苦しい立場での離党なので、きちんとした説明がないと「復活当選が難しくなったので離党した」と言われるだろう。

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さて、次に、僕が約2ヶ月前に書いたこちらのエントリーを読んでみて欲しい。ちょうど、福田さんにも言及している。

政治家を育てるのは有権者である
http://buu.blog.jp/archives/51550167.html

このエントリーで書いたことは、「政治家は有権者が育てなくてはならない」ということだ。政治家は、最初から有能なことは滅多にない。まず、性格が良くて、人柄が信頼できることが重要で、あとは優秀なブレインを見つけた方が良いのである。そうでないなら、映画俳優が米国大統領になったりはできない。また、最初から有能でも、人柄が悪ければとんでもないことになってしまうのは、豊田真由子議員の例を見れば明らかだろう。少なくとも、福田さんの人柄は問題がないと感じる。

今回、なぜ福田さんが離党という決断を下したのかはまだわからない。まずはそこを聞いてみたいのだが、せっかく離党するなら、僕がずっと主張してきている「労働力の流動化による景気回復」を目指して欲しいと思っている。

参考:ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度
http://buu.blog.jp/archives/51550477.html

なお、これは余談だが、このエントリーに登場した江田憲司氏、小泉進次郎氏、山際大志郎氏、福田峰之さん、そして入閣する前の河野太郎氏は、安倍晋三とはかなり距離のある主張の議員なので、さっさと新党を作れば良いのに、と思っていた。  

Posted by buu2 at 13:35Comments(0)ニュース

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2017年09月15日

やっと、有期雇用に無期雇用の背中が見えてきた件

ニュースはこれ。

日本郵便「正社員との待遇差」訴訟、契約社員への手当支払い命じる…東京地裁
https://www.bengo4.com/c_5/c_1234/c_1720/n_6675/

日本郵便の契約社員3人が、正社員に支払われている各種手当が契約社員に支払われないのは労働契約法違反にあたるとして、日本郵便に計738万円の支払いを求めていた訴訟で、東京地裁は9月14日、日本郵便に計約92万円の支払いを命じる判決を言い渡した。


このニュースを読んでの、僕のつぶやきがこれ。




「リンク先を読め」ということなので、140文字で十分なんだけれど、僕のツイッターを読んでない人もいるからね。最近、「元木は米国に行って変わった」と言われたんだけれど、とんでもない。僕は前からほとんど変化がないよ。多分。

なお、リンク先の記事はこれ。

有期雇用と無期雇用
http://buu.blog.jp/archives/50361562.html

だいたい、有能な人材が無期雇用を目指す時点で日本の社会制度は間違ってるんだよ。  
Posted by buu2 at 11:18Comments(2)ニュース

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2017年07月31日

竹下亘国対委員長がどんな奴か

自民党が閉会中審査への稲田朋美の参考人招致に応じないというニュースを読んだら、

自民 稲田前防衛相の閉会中審査への出席 応じない考え
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170731/k10011081721000.html

竹下亘がこんなことを言っていた。

竹下氏は記者団に対し「稲田氏は辞任という、いちばん重い責任の取り方をしており、辞任した大臣を国会に呼び出すことは、やってはいけない」と述べました。


なんだ、この馬鹿は。これが本当なら、大臣在任中に何をやっても、辞任さえすればオッケーじゃねぇか。国会に呼び出すということは、国民にきちんと説明するということだぞ。ということで、ウィキペディアでこの馬鹿についてちょっと調べてみた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹下亘

●日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成。

●ヘイトスピーチの法規制に反対。

●女性宮家の創設に反対。

●選択的夫婦別姓制度の導入に反対。

●2017年3月7日の会見で厚生労働省が今国会に提出を目指す受動喫煙防止策を強化する法案について「たばこ大好き人間としては、全エリアで禁煙にすると言われたら、どうやって生きていけばいいのかという思いだ。できれば法案が出てきてほしくない」と語った(竹下は1日約60本を吸うヘビースモーカー)。


あぁ、こりゃダメだ。最初から最後まで、何一つ同意できるところがない。島根県民って、こんな奴を選ぶ人たちなんだね。  
Posted by buu2 at 21:54Comments(0)ニュース

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自分の選挙区の自民党議員のFacebookに書いてやった

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Posted by buu2 at 13:38Comments(0)ニュース

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2017年07月23日

ジョブ・キャリアの分割と、高度プロフェッショナル制度

先日、「ジョブなのか、キャリアなのか、それが問題だ」というエントリーの中で、ジョブとキャリアを明確に分けないから、日本人はホワイトカラー・イグゼンプションを理解できないと書いたのだが、ちょうど今日、こんな記事を見かけた。

<労働時間実態調査>時間減らしたくても仕事が終わらず
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170722-00000086-mai-soci

これは、ジョブとキャリアを分けて考えていないから出てくるひどい考え方の典型である。日本で言われている「高度プロフェッショナル」(高プロ)というのは、キャリア職の中で、さらに自分の裁量で業務量を調節できる立場の人間である。そして、その高プロ制度の導入に対して、ジョブ職の人間たちが反対を唱えているのである。おかげで、高プロの待遇も、その他のキャリアの待遇も、もちろんジョブの待遇も、ほとんど変わらない。

終身雇用と年功序列ゆえ、日本ではジョブ職として入社して、ジョブ職を続けていても、給料はアップしていく。しかも、クビにもならない。コピーを取り続けるしかできない人材でも、定年まで働き続け、勤続年数に応じて高い給料をもらうことが可能だ。実際にはこんなことを全員がやっていては会社は倒産してしまうので、多くのジョブ人材は、徐々にキャリアカラーの濃い仕事を担当するようになっていく。そのためには長い残業が必要だったり、社内研修が必要になったりする。

日本でキャリア人材とジョブ人材を十把一絡げにして扱う。終身雇用と年功序列の中で、少しずつその配分が変わっていくようなキャリア・パスを用意する。仕事の性格(ジョブなのか、キャリアなのか)と、それを担当する人間の権利をそれぞれに分けて考えないから、日本の労働環境は全く改善されない。

それでもなお、日本でキャリアとジョブをわけて考えないのはなぜか。それはおそらく労働者サイドの事情による。「あなたは、ジョブを続けている限り、収入は増えません」とされてしまっては、困るのは労働者だ。終身雇用と年功序列は会社にとってよりもむしろ労働者にメリットが大きい。能力が低くても、勤勉な姿勢であればそこそこの人生を送れることは、農耕民族として一億総中流社会を構築してきた日本人にはとても都合が良かったのである。日本が国内だけで完結していられるならこれでも良かった。しかし、今の世界は鎖国が可能な状態ではない。そうして、年功序列と終身雇用、換言すればキャリアとジョブの明確な分離をしないことによって、さまざまな部分で軋轢を生みつつある。

その最大のものが、同一労働同一賃金が実現しないことだ。ここまで書いてきて初めてこの言葉が登場したのだが、今の日本が絶対に実現しなくてはならないのが、この同一労働同一賃金である。

しかし、同一労働同一賃金は、単独で実現できることではない。終身雇用の解消も、年功序列の解消も、キャリアとジョブの明確な分離も、労働力の流動化も、全てが協調して作用しなくては実現しない。これは非常に簡単な話で、たとえば同一労働同一賃金の会社では、コピーしか取ることのできない社員は、賃金がアップする理由がない。これは、同一労働同一賃金と年功序列と共存し得ないことを意味する。安倍晋三は政府の方針として同一労働同一賃金の実現を単独で掲げているようだが、これは彼が馬鹿であることの証左である。彼は、ことの困難さをさっぱり理解していない。特に、この問題を正規、非正規の問題に落としているところが馬鹿である。(正規、非正規という言葉も法律的にはかなり疑問がある表現で、無期雇用、有期雇用で考えるべきだが)両者は第一にでてくるのではなく、キャリアとジョブの権利を考えるフェイズで登場するべきである。

ここで話を戻すが、日本社会の労働環境は、色々で複雑な問題を抱えている。この中でもっとも簡単に実現できそうなのが、ジョブとキャリアの分離である。これは、労働者にとってもメリットが大きいし、単独でも考えやすい。

まず、ジョブとキャリアを分離しないことの問題点をはっきりさせておきたいのだが、それは、労働者が、両者を一体化して、その権利を主張していることに尽きる。キャリア人材とジョブ人材は置かれている立場が全く異なるので、求めるものも異なってくるはずだ。ところが、ジョブ人材が求めている権利を、キャリア人材までが享受してしまうから、おかしなことになってくる。

たとえば、ジョブ人材はそのままでは自身のスキルがアップしないので、給料は据え置きになる。その給与で一生を終える可能性もあるので、給与水準は一定の高さが要求されるし、雇用もなるべくたくさん確保される必要がある。つまり、最低賃金のアップや、雇用の維持は、もっとも大切になってくる。場合によってはキャリアアップにつながる勉強も必要になってくるが、それは業務外の時間を当てなくてはならないから、残業もほぼない状態にすべきだ。そもそも、ジョブ職は自身の時間を提供する職なので、残業は時間の不当な搾取となる。かように、ジョブ職は十分に配慮される必要がある。また、仕事の安定性も重要なので、無期雇用についても十分に検討される必要がある。ジョブ職の人間が勉強して他の仕事にキャリア・アップするなら、自主的に退職することになるから、ジョブ職に長い雇用期間が割り当てられたとしても、労働市場の硬直化にストレートにつながるわけではない。米国では最低賃金が15〜18ドル(約1650〜2000円程度)と、日本の倍程度だが、その背景にはこういった事情がある。

一方で、キャリア職は、仕事を通じて自身のスキルがアップするので、スキルが低いうちは給料が低くて当たり前だ。勉強する時間もジョブ職ほど必要とされないので、残業があっても大きな問題とはならない。それ以前に、多くの場合、キャリア職は時間で仕事をしないので、時間給という考え方が適用困難で、能力給となる。ただし、初期のキャリア職は、自分の裁量で仕事を調節できることは稀なので、冒頭で紹介した高プロにはほとんどの場合で該当しない。初期のキャリア人材については、残業量などについてきちんと守られる必要はあるだろう。このように、高プロについては、その中で別途いくつかの詳しい条件設定が必要になってくるはずだ。

ともあれ、キャリアとジョブを分割してしまえば、キャリアの待遇を規定する「高度プロフェッショナル制度」について、ジョブ人材が口を出してくることはなくなるだろう。ジョブ人材は、高プロなどよりも最低賃金のアップに向けて権利主張した方が、ずっと生産的だ。

現在は、ジョブ職の人間が賃金アップや雇用の安定といった権利を主張し、その成果をキャリアまでもが享受している。結局、一番得をしているのがキャリア職なのだ。こうした背景から、日本では良い大学に行って、良い会社に入ることが最大のステータスとなっている。そして、そういう立場の人間が、職業の安定と、高賃金という、二兎を得ているのである。社会はハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンとなるべきところ、日本社会はローリスクハイリターンのキャリア職と、ハイリスク・ローリターンのジョブ職に分離している。これがいわゆる「格差拡大」や「格差の固定化」の実態である。

実数的にはおそらくキャリア職の方がジョブ職より少ないので、普通の民主主義なら、人数が多いジョブ職が自身の権利を主張し、社会が変わっていくはずだ。ところが、日本社会はそうならない。どういうカラクリがあるのか。狡猾なキャリアたちは、「頑張れば、あなたたちも勝ち組になれるかもしれませんよ」と、ジョブ人材に対してキャリア職の待遇というニンジンをちらつかせるのである。すなわち、「非正規社員の正規化」である。こうした、勝ち組が負け組に対してニンジンを見せるやり方は、ポスドクが大量に余った時にも顕在化した。

しかし、ジョブ人材は、仕事内容が変化しないなら、スキルアップが難しい。単に有期雇用を無期雇用に変更しただけなら、よっぽどのことがない限り、描いた将来像はどこかで破綻する。今、高プロのような制度が社会から要請されていることからも、それは明らかだ。

#なお、高プロ制度とは、突き詰めれば「あなたの仕事は時間ではなく内容で評価するので、良い成果を出せるよう、自己の裁量で好き勝手にやってください。そのかわり、成果が出なければクビですよ」ということであるべきだ。

ここまで、高プロ制度とジョブ・キャリアの分離について、その関係について書いてきた。かなり長くなってしまったが、要すれば、「高プロ制度はキャリア人材のための制度なので、ジョブ人材が口出ししても何も良いことがない。まず、キャリアとジョブを明確に分割し、それぞれに必要な権利を主張しろ」ということである。この二つを分割して考えないということは、ラーメン屋と寿司屋で同じように経営を考えるような無理がある。やってできないことはないが、手間がかかるし、100点の回答も得られない。そして、この分割ができないなら、つまり、労働者の意識改革と、それに派生する労働市場の流動化を実現できないなら、日本はいつまで経っても再浮上のきっかけをつかめないだろう。これは、僕が当初からアベノミクスに対して否定的な理由である。  
Posted by buu2 at 13:58Comments(0)ニュース

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2017年07月22日

朝日新聞とNHKで、どちらの和訳が正しいのか要確認(メモ)

別にトランプも、安倍晋三も、どちらも全く支持していないというか両方とも超否定派なんだけれど、朝日新聞にこんなニュースが載ったので、ちょっと読んでみた。

トランプ氏「昭恵氏はハローも言えぬ」 米紙「誤り」
http://www.asahi.com/articles/ASK7P31MVK7PUHBI00R.html

さすがに、どんな馬鹿でも今時の日本人ならhelloぐらい言えるだろうと思ったのだが、トランプは

「私は安倍首相の夫人の隣に座った。素晴らしい女性だが、英語を話さない」
安倍晋三首相夫人の昭恵氏が英語を話せず、「ハローも言えない」


と語ったらしい。こういう場面に遭遇した場合は元ネタにアクセスするのが肝要なので、new york times trump akieでググってみて、Washington Postの記事を発見した。

Why Japan’s first lady was probably not snubbing President Trump at the G-20 dinner
https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2017/07/20/why-japans-first-lady-was-probably-not-snubbing-president-trump/?utm_term=.1f8b4779cca9

中を読んでみると、こんな記述がある。

TRUMP: So, I was seated next to the wife of Prime Minister Abe, who I think is a terrific guy, and she’s a terrific woman but doesn’t speak English.

HABERMAN: Like, nothing, right? Like zero?

TRUMP: Like, not “hello.”

HABERMAN: That must make for an awkward seating.

TRUMP: Well, it’s hard, because you know, you’re sitting there for—

HABERMAN: Hours.

TRUMP: So the dinner was probably an hour and 45 minutes.


高校までに習った英語で覚えている限りでは、Trumpはcan’tではなく、doesn’tと言っているので、正確には「ハローも言えぬ」ではなく、「ハローも言わぬ」ではないかな、と思った。それか、こういう口語表現ではdoesでもcanの意味合いを持たせることがあるのかな、と思っていたら、NHKニュースでは「言わない」と訳していた。

記者から「全く話さないのか」と質問されると、「ハローも言わないくらいだ」と答えた

出典:「安倍首相夫人は英語話さない」 トランプ大統領発言に波紋
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170721/k10011067331000.html

「言えない」と「言わない」では随分とニュアンスが異なる。朝日新聞とNHKと、どちらが正しいのか、今度ネイティブに聞いてみようと思うので、忘れないようにメモとして記事を書いておく。  
Posted by buu2 at 02:11Comments(0)ニュース

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2017年07月14日

森友問題は徐々に証拠が整ってきたようだ



  
Posted by buu2 at 14:00Comments(0)ニュース

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2017年07月13日

今日のつぶやき

本日のつぶやき。いや、ちょっと長文書いていてなかなかブログを更新する時間が取れないので、しばらく手抜きさせてください。





































  
Posted by buu2 at 23:00Comments(0)ニュース

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2017年07月12日

加計学園問題に関する八田達夫氏執筆の記事について

加計学園問題について、内閣府国家戦略特区諮問会議の民間議員、八田達夫・公益財団法人アジア成長研究所所長の記事がDIAMOND onlineに掲載された。「安倍晋三氏の圧力はなかった」とする内容だったので、ちょっと読んでコメントしてみる。

「加計学園の優遇はなかった」内部から見た獣医学部新設の一部始終
http://diamond.jp/articles/-/134825

前半は僕も規制緩和派だから何の文句もない。ただ、一点、ここの記述は簡単に首肯することはできない。

現在、日本にとって獣医学部をつくることは重要な成長戦略だ。現代科学の中心の1つである生命科学の研究や、鳥インフルエンザやエボラ出血熱などの人畜共通病の研究のためにも、また、近年盛んになった獣医学の医学への貢献を増やすためにも、獣医学研究者を大量に育てる必要がある。新設しようとする学部に質の審査さえ受けさせないという獣医学部の新設規制は、国の成長を阻害している。


現在、日本の生命科学振興が進んでいないのは、獣医師が不足していることが原因ではないのではないか。これまで20年以上、三菱総研、理研、経産省、産総研ベンチャー、そして自分の会社で、日本と米国の生命科学について当事者として携わってきたが、いつの時代も、どこでも、一度も獣医師が不足しているせいで生命科学の研究が阻害されていると感じたことはない。「獣医師がいなくて困っている」という話すら聞いたことがない。たくさんある原因の中のひとつとして挙げられる可能性はあるものの、大きな要因ではないし、根拠はないのだが、日本全国でせいぜい10名程度もいれば十分なのではないかと想像する。少なくとも、毎年100人、150人というレベルで育成されても、吸収できるとは思えない。とはいえ、現場レベルで「毎年1000万円程度の費用負担(年収で600万円程度)をしてでも、獣医師が欲しい」という声が多数あるなら、「なるほど」と思うのだが。

さて、ここはやや本質と異なるので先に進む。この記事の前半ほぼ4ページは、本質とは異なる部分で消費されてしまったが、4ページ末尾あたりからいよいよ空気が怪しくなってくる。

しかし新潟市からはその後、WGへの具体的な追加提案がなかった。


2014年から頑張って来た新潟市がなぜ2015年で手を下ろしたのか。そこに安倍晋三の圧力がなかったのかは、八田氏は知らないのではないか(もちろん知っていて、知らないふりはできるし、その可能性も否定できない)。それなら「加計学園優遇はなかった」とは言えないはずである。ちなみに第二次安倍内閣成立は2012年。

そして、次のページの冒頭でいきなりこれである。

その状況で、愛媛県と今治市が、2015年6月5日に、提案公募に応じて獣医学部新設を提案してきた。それを受け、2015年12月の諮問会議で、今治市が特区に指定された。指定目的の1つには、獣医学部新設が含まれていた。


圧力とは、「ここを採用しろ」だけではない。むしろ、役人や政治家がよくやるのは、ライバルが手をあげることを阻害して、競争入札を実質的に随意契約に落とすことである。加えて、ダミーの入札を同業他社に頼んだりもする。今回の場合、加計学園を積極的に推したことではなく、加計学園以外が手を挙げられなくなったことにまず疑いの目を向けるべきだ。しかし、このことは、諮問会議やWGの視点からは見ることができない。つまり、八田氏にはわからないことである。

次に疑問になるのは、諮問会議、およびWG側からも十分にわかることだが、

2015年12月の時点では、特区のなかで今治市だけが、明確な計画を持つ提案者であった。したがって、2016年9月16日の特区WGヒアリングを含め、9月から10月前半にかけての文科省督促でも、我々関係者は今治市での新設を念頭に置いていた。


という状況になるまでに、いわゆる石破4条件に合致するか検討した形跡が見当たらないことである。この原稿で言及していないだけで、実際には検討があったのかも知れないが、もしそうなら、4条件に対してどういう検討があって、結論が出たのか、その経緯を提示することが最も重要なはずだ。なぜなら、その4条件は実質的に「足切り」として機能し、上に書いた「ライバルの参入を阻害する」ものに他ならないからである。

八田氏は疑惑の要因として次の3つを挙げているが、

(1)正規の手続きを踏まずに、首相が特定の大学を選考するように仕向けた。
(2)国家戦略特区制度では、1つの特区で認められた改革は、自動的に他の特区でも適用される原則であるにもかかわらず、首相が当該特区以外には適用できないように1校限りとする圧力をかけ、親友が設立する学部以外の新設を妨げた。
(3)新設の申請をこれまでしたこともなかった学校法人が、理事長の親友が首相になったから学部の新設を申請した。


(1)や(3)はどうでも良いことで、問題は(2)である。また、(2)でも、1校限りとしたことはどうでも良い。問題は、加計学園が採用されやすい状況が作られたかどうか、あるいは加計学園以外が挙手できない状況にあったかどうかで、それは「他者が挙手できないような圧力があったか」で判断できる。加えて、「加計学園が石破4条件に合致していたか」を調べる必要がある。とんちんかんな3要素を出してきて、そこに適合しないから「セーフ」とする姿勢には首を傾げるばかりである。

最後にはまた正論のお題目が蛇足として追加されている。前半4ページと最後の半ページは、まことに正しい。しかし、それは残念ながら、今回の疑惑のポイントではない。そして、それ以外の部分も、知りたい真相ではない。人を騙す時の常套手段は、多くの正しい記述の中に、嘘をひとつ、ふたつ、混ぜることである。最初から最後まで嘘で塗り固めれば警戒するが、ほとんど正しいからこそ騙される。この記事はそういう体裁になっている。

今回の疑惑の焦点は次の2点に絞られる。

(1)加計学園以外が挙手できなくなるような圧力はなかったか
(2)加計学園は石破4原則に合致していたか

しかし、この記事は、わざとなのか、無意識なのか、言及すらない。的外れなことを書いて、その前後を正論でお化粧する、目くらましのような内容である。八田氏が騙そうとしている側なのか、騙されている側なのかは現時点では不明だが、我々は騙されてはいけない。何が本質なのか、何を検証すれば良いのかは、きちんと理解しておく必要がある。

なお、蛇足ながら、現在本件を追求している民進党福島のぶゆき議員は僕の経産省時代の同僚で、彼は途中で経産省から内閣官房構造改革特区推進室へ異動した。現在のスタンスは不明だが、当時は特区の推進派だった。比較的獣医師に近い東大農学部出身でもあり、本件の追求には適材だと感じる。また、日の出テレビの運営を手伝っていた時に一緒だった山際大志郎衆院議員は山口大学農学部獣医学科卒業の獣医師である。日の出テレビ関係者の中では一番まともな人だったので、本件については一言あっても良いと思うのだが、これといったコメントがないのは残念である。  
Posted by buu2 at 23:32Comments(0)ニュース

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たまには役に立つ産経新聞 「閉会中審査議事録」

ほとんどの場面で何の役にも立たない産経新聞だけど、今回の閉会中審査の議事録を掲載してくれたのは高く評価できる。僕はこの会議の中継を朝の4時までネット中継で見ていたのだけれど、クライマックスはここ。

「加計ありきではない。加計学園がたまたま、愛媛県会議員の今治選出の議員と加計学園の事務局長がお友達だったからこの話がつながってきて、飛びついた。これも駄目なんでしょうか。お友達だと全て駄目なのか」

出展:加戸守行氏「国家戦略特区でゆがめられた行政が正されたというのが正しい発言だ」
http://www.sankei.com/politics/news/170711/plt1707110009-n6.html

加計ありきではないと言いながら、その直後に自分で加計ありきだったと白状している。

このあたりの経緯については別のもっと古い記事で丁寧に告白している。

今治市の構想は2地区あった。そのうち1地区は都市学園構想で高等教育機関を引っ張ってきて学生の街にしようというものだった。地元の松山大学が手を挙げて進めたが、経営学部の設置構想もできた段階で学内の左翼グループ教官の猛反対にあい、潰されてしまった。
 構想が宙に浮いたところで、今治市選出の本宮勇県議が「加計学園が大学を進出してもいいというが、今の天下の状況をみていたら獣医学なんかはどうでしょうか」という話を持ってきたから、飛びついたんだ。

出展:加戸守行前愛媛県知事「安倍さんが友達だと知ってたら10年前に獣医学部つくってた」
http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150006-n1.html

それで、この記事の最後にはこんなコメントまで残している。

安倍晋三首相と加計学園の理事長が友達だと知ってたら、直訴してでも10年前に獣医学部を作ってますよ。安倍首相に「あんた、加計学園の友達でしょ。やってくださいよ」って。


加戸守行前愛媛県知事は元文部官僚だけど、こういうのがダメという感覚が欠落しているんだろうね。悪いと思ってなくて、正々堂々ぶちまけている。

ちなみに獣医大学・学部の特区における新設については「石破4条件」という閣議決定があって、それはこんな感じになっている。

獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討
1. 現在の提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、
2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、かつ、
3. 既存の大学・学部では対応困難な場合には、
4. 近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。


この条件に合うか、議論すれば良いだけなのだが、そういった形跡は今の所見当たらない。単に、加計学園以外を対象外にするために機能している。加えて、今、加計学園が今治市に新設しようとしている獣医学部ですら、この条件をクリアしていない可能性が高い。じゃぁ、なぜ?となるのが普通だが、それに対する答えが「政治家の友達だから」というのでは、何じゃそりゃ、という話である。

友達だからできる、他人だからできない、というのは縁故主義で、簡単に言えば「不公平」である。今や、安倍晋三の代名詞はアベノミクスではなく「オトモダチ」になりつつあるのではないか。  
Posted by buu2 at 07:52Comments(0)ニュース

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2017年07月03日

文書は基本どんなものも保存ということでどうか





今はテキストデータの保存なんか超楽勝なんだから、全部とっておけという話。さっさと法律変えようぜ。  
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2017年07月01日

日本人がいつまで経っても官僚と対等に議論できない理由

保育園への送迎において公用車を使用した国会議員についてこんな記事があったのだが、

保育園送迎に公用車を使うことは、「問題」なのか?
https://news.yahoo.co.jp/byline/komazakihiroki/20170701-00072787/

書いている奴(駒崎弘樹 認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長)の頭の悪さばかりが目立つ。なぜかといえば、終始感情論で主観的主張を続けているからだ。

この件、一丁目一番地は、公用車の使用規程がどうなっているかである。この規程を読まずして、議論は成立しない。仮に市民感情的にどんなに正しくても、「でも、決まりですから」で終了である。これは先日のバニラ・エアの身体障害者対応でも同じなのだが、最終的には法律や規則に照らして考えるしかない。僕がバニラ・エアの件について「見て見ぬ振りができなかったものか」という主旨を書いたのは、規定を改定する時間がないからである。しかし、今回の公用車の使用についてはそういった時間的制約がない。ならば、一番大切なのは今どういう風に規定されているかである。

僕は官民交流法という法律を利用して、5年間の期限つきで経産省の課長補佐として勤務したことがある。このとき、一番優秀だと感じた同僚官僚の行動は今でも良く覚えているのだが、常に法律書や規定集をデスクサイドにおいておき、課内会議や外部との打ち合わせで何か疑問が生じると、「ちょっと待って。それは法律と整合しているの?」「今、規則って言ったけど、それはどこに書いてあるの?」と聞いていた。官僚にとっては立ち返る基本は法律で、何か迷ったらまずは法律に沿っているかどうかを考えるべきなのだ。しかし、これは官僚だけに限ったことではない。

この優秀な彼は、子供会の会長を押し付けられたことがあって、その会長の2年間で、様々な改革を実現した。その中では地方自治体との交渉も何度もあったようだが、なるべく現状を維持したがる地方公務員たちを「それは、どの法律で決まってるの?」と詰めまくって、なぎ倒していったそうだ。公務員の主張をひっくり返すにも、法律に立ち返る姿勢は極めて重要である。

特に、今回の件は衆院議員の公用車の使用方法についての話である。「これって、おかしいよね」と感情論で主張しても、なんにもならない。はたから見ていると、「こういう、みんなの味方っぽい無能って、一番社会の害悪だよね」と思うのだ。彼によれば

週刊新潮のような捏造系メディアは、それが国民にウケると思ってやっています。彼らに「ウケねえよ、バカ」と伝えてあげることが大事です。


とのことだが、「馬鹿はお前だ」と思う。

この文章を読んで最初に感じるのが「全部主観じゃねぇか」ということで、それは野球の試合で、「今日は優勝が決まる大事な試合で、今は2アウトながら9回裏の大チャンスだったのに、打者が三振しちゃった。ほとんど全ての観客も期待しているんだから、9回裏に限って5アウトまで認めることにしようよ」と主張しているようなものだ。大勢の感情論としては正しいかも知れないが、手続きとしては正しくない。「まずルールブックを読んでみましょう」となって、「どうやら、3アウトチェンジと決まっていて例外は認められていない。これが問題なら、ルールを変更しましょう」となるべきなのだ。

#もちろん、変更できるかどうかは別問題である。

憲法や法律で規定されていることに立ち返るのは、基本に立ち返ることである。何か問題が起きた時に、感情に立ち返ってばかりいては議論にならない。それは口喧嘩である。駒崎弘樹氏みたいな典型的な馬鹿を良い反面教師として、「規則に立ち返る議論」を身につけて欲しい。そうしないと、いつまで経っても官僚の言いなりである。  
Posted by buu2 at 23:22Comments(0)ニュース

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2017年06月29日

ディスアビリティと子供の権利

車椅子の乗客に、タラップを自力で上らせたというニュースがあった。

車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪
http://www.asahi.com/articles/ASK6H4HCWK6HPPTB004.html

このニュースに対する僕の第一感はこれ。




一方で、他の人の考えはどうかというと、むしろバニラ・エアに同情的なものが多く、

hitode99 タイトル見た時「ひでぇ」って思ったけど、本文読んでると「お客様!お客様!!困ります!!あーっ!!! 困ります!!お客様!!困ります!!あーっ!!!あーっお客様!!」案件に見える


chopapapa サイトに搭乗日の5営業日前に連絡くれれば対応するって書いてる。しかもわざわざ奄美の件も階段昇降機で対応するって書いてる。うちの親は半身麻痺だったからここらへん自分で確認してたけど。ようは客がクレーマー


negi_1126 これは事前に「車椅子ですけど使えますか?」の確認を怠った利用客の落ち度でしょ/格安航空に過剰なサービスを求めたらアカン。対価出さずに過大な要求してたらブラック化まっしぐらやぞ。


などというコメントがはてなブックマークでは人気である。

しかし、おそらくこれらの考え方は、少なくとも米国では受け入れられないだろう。米国の大都市、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴや、観光都市、マイアミやラス・ベガスを見ていると、車椅子で行き来しているディスアビリティの人を頻繁に見かける。彼らの多くは、独力で外出することができて、一般の人と同じように生活できる。

この背景には、日米の文化的基盤の相違がある。たとえば日本では公共交通機関が遅れると一大事になる。丸ノ内線のように、4分おきに正確に運行している電車にとっては、一分一秒が大切だし、今の東京のように他社乗り入れが頻繁だと、例えば副都心線や埼京線などだと多方面に影響が出てしまう。この状態では、「車椅子で電車に乗りたい人がいたので、電車が5分遅れました」という事態は許容されない。駅員が協力して素早く乗降させることになるし、これが一度に数名とか、朝のラッシュアワーとかでは対応不可能になる。ところが、米国では交通機関の遅延は日常茶飯事だ。30分に一本しか運営されていないバスが30分遅れて、後発のバスに路上で追い抜かれるとか、突然バスが停車して動かないのでどうしたのかと思えば、パシリの男の子がダンキン・ドーナツで運転手のために買い物をするための待ち時間だったり、(日本の)常識外のことが時々発生する。でも、誰も文句を言わない。ちなみに飛行機だともっと酷くて、1時間、2時間の遅れは当たり前。先日なんか、フロリダからDCに戻るLCCの飛行機が5時間も遅れた。これでもみんな文句を言わない。「安いんだから仕方ない。嫌ならもっと高い交通手段を使え」ということなのだ。

もちろん、ビジネス上の時間の約束は、米国人も厳守する。しかし、公共交通機関は、遅れて当たり前なのだ。この状態は、一義的には、規則的にきちんと運用されている日本の方が望ましいのは間違いがない。ところが、ディスアビリティの受け入れという視点では、米国の方がはるかに優れているのである。バスから自動でブリッジが現れて、それを使って車椅子でバスに乗って、所定の場所に車椅子を固定する。この間、約3〜5分。この時間的余裕が米国にはある。だから、社会がディスアビリティたちを取り込むことができるのだ。米国社会には余裕があって、その余裕を有効活用することによって、ディスアビリティたちは日常生活を楽しんでいる。

ディスアビリティの数は、健常者に比較すると、圧倒的に少数になる。多数決で意思決定する民主主義においては、これは当然不利だ。その、不利な人々の権利を保護するという視点が米国にはある。一方で、日本ではその感覚が薄い。

ちょっと前に同じような問題点を内包する記事を見かけたのだが、これである。

<わいせつ教員>再犯相次ぐ 他県の処分把握困難で対策苦慮
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00000001-mai-soci

記事では
松野博一文科相は「対応を検討していきたい」と答弁しつつ、処分情報の全国共有に関しては「職業選択の自由、個人情報保護、罪を償った後の人権の問題も考えないといけない」と述べた。

などという頭の悪そうなコメントが書かれているのだが、子供は自分で自分の権利を主張できないのだから、彼らが安全に勉強できる権利は、大人がきちんと確保しなくてはならないはずだ。その権利は、性犯罪者の職業選択の自由や個人情報保護、罪を償ったあとの人権などよりも遥かに重要だと思うのだが、日本の大人たちの感覚は違うらしい。

事程左様に、日本人のマジョリティたちはマイノリティの権利を軽視しがちである。これは、おそらく想像力の欠如によるのだと思う。だいぶ昔、喫煙者の友人に子供が生まれた時、彼は子供のいるところでの喫煙をやめた。しかし、僕たちとの飲み会では、引き続き喫煙を続けていた。彼は、「すべての人間は、誰かの子供である」ということに考えが及ばなかったのである。あるいは、単に自分の子供だけよければ良いという利己主義者だったのか、どちらにしても、米国では白い目で見られるだろう。

米国におけるディスアビリティ対策の基本は、特別な手続きなしに、一般の人と全く同等の生活を送ることができるということだ。これが、米国人の想像力で、日本人には欠落している視点である。

#「優遇」ではなく、「同等」である。優遇、すなわち障害者の映画料金を割引せよ、とかとは別の話である。

また、性犯罪者については、常にネットでその住所と名前と写真が参照できる。これによって、親は警戒し、対策できる。そこまでされたくないなら、性犯罪を起こすな、ということだ。性犯罪者と、子供の人権はイコールではない。ここが日本と違うところだ。

日本人の民主主義は、戦争に負けて押し付けられた民主主義である。そのためなのか、民主主義を維持していくプライドが感じられない。民主主義における意思決定手法の大きな柱は多数決だが、そこに埋もれてしまいかねない少数派や、そもそも民主主義へ参加できない者たちへの配慮は必要不可欠で、それがないと大きな瑕疵を抱えることになる。ディスアビリティや子供の権利は、過剰なくらいに重視されても不足ではないと思うし、米国社会はそういう社会になっている。日本は全くそうではない。文言だけで受け取って、咀嚼していないからだろう。  
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2017年02月09日

ことわざアップデート「馬鹿と鋏は使いよう」

オリジナルの意味
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つものだということから、人を使うときは、その人の能力をいかせるように、うまく使うべきであるという教え。(出典:故事ことわざ辞典

アップデート
「稲田ともみは使いよう」
官僚が政治家にろくでもない答弁書を渡した際、その政治家が愚かだと、内容に疑いを持たずそのまま国会で読んでくれる。これによって、非常識な答弁が社会からどのような受け止められ方をするか、試すことができる。2017年2月8日、稲田朋美防衛相が衆院予算委員会で、南スーダンにおける陸上自衛隊の「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べたことによる。  
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2017年02月02日

日本はBrexitやトランプを批評している場合ではない

先日、知人の阪大教官がFacebookで「学生のレポートの日本語が酷い」と嘆いていた。

学生の文章が酷い理由は簡単で、子供の頃に良質なインプットを多くしていないからである。「ら抜き」も酷い文章表現の一例で、こうした表現をしてしまうのは、ちゃんとした日本語の感覚が身についていないからだ。これは音楽でいうところの「絶対音感」が欠落していることに該当する。大学生になってこの状態を意識的に改善するのはおそらく非常に難しい作業だろう。それは、第二外国語の感覚を非帰国子女が身につけにくいのと同じである。本来、言語は頭で考えるのではなく、感じて、反射して発せられるものだ。

#ドラゴンも、オビ=ワンも、"Don't think, feel!"と言っている。

文科省の教育方針の問題もあるだろうが、おそらく親がテレビ世代になってきていて、親に読書の習慣がないのだろう。親の背中を見て子供は育つ。幸いなことに、僕たちが子供の時代には、読書が娯楽の王様だった。僕の家にはサトウサンペイ氏に書いていただいた色紙が貼ってあったのだが、そこには「テレビを見るより本を読め」と書かれていた。金言である。

大学で日本語の再教育をするのは馬鹿らしい話だが、まともな日本語もできないのに卒業させてしまっては大学の資格がない。大学教官には気の毒な話だが、大学では、本筋とは異なる『日本語教育』も施される必要があるのだろう。

余談だが、僕の感覚からすると、伊坂幸太郎はリズム感の欠如したプロの代表で、彼の作品を読んでいると気持ち悪くて仕方がない。しかし、この感覚を理解してくれる人は本当にごくごくわずかである。というか、これまでに一人しかいない。それはプロの編集者だった。逆にリズム感の良いプロの代表は宮部みゆきだと思っている。字幕作家の松浦美奈もとても良いと思う。ただ、この辺は僕の感覚が正しいのか、単に好みなのか、正確にはわからない。

さて、話を元に戻す。先日、新聞に言語学者金田一秀穂さんのら抜き言葉に対する見解が載った時、

論点 「ら抜き」言葉、多数派に
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c

僕ははてブでこういうコメントをつけた。
日本人の過半数がバカになったってことじゃないの?特に、日本が、日本が、と連呼している自民党の政治家が使っていると、本当にバカだな、と思うよ。

この記事に対してつけられたはてブのコメントは、当然のようにら抜きを肯定するものが主流だったのだが、英国のEU離脱にしても、米国のトランプ選出やイスラム圏7カ国の入国禁止に関するExecutive Orderに対する反応にしても、韓国の釜山日本領事館前に設置された慰安婦像に対する姿勢にしても、過半数だからそれが正しいということではない。

#そもそも「正しさ」とは相対的なものなので、判断する人の立ち位置で変わってきてしまうものだが。

ら抜きを使わないということは、日本人に関する一つの指標なのだ。それは、「きちんと良質のインプットを重ねている」という指標である。小学生から中学生ぐらいまでに芥川や漱石や太宰や藤村といった作家たちの作品をかたっぱしから読んでいれば、少なくとも書き言葉としてら抜きを使う頻度は激減するはずだ。それをしていないから、ら抜きを書いても感覚的に問題ないのであって、つまりは教養が足りないということになる。

教養の足りない社会がどうなるかは、上に挙げた各国の状況を見れば明らかだ。今、米国に関して良く言われているのは、社会の分断がトランプ大統領を生み出したという話である。そして、NYやDCに住む知識層が、労働者層を無視してきたことが問題の根源にあると言われている。なぜ彼らは国内にも目を向けて、対話してこなかったのだ、と。日本も状況は米国や英国と五十歩百歩である。それは、何も中身のないアベノミクスを歓迎しているあたりからも容易に推察できる。この先に、明るい未来は多分存在しない。

「ら抜きを使うな」とは、文化の流動性を否定しているのではない。それでも、「ら抜きを使うな」という主張には反論が多い。その理由は、簡単に言ってしまえば、その反論の主の多くが、自らら抜きを使っていて、違和感を持たないからだと想像する。

では、こんな記事を読んだらどう思うのだろうか?

「Alexは女性名Alexandraの愛称である。ではAlexandraの愛称は何か?」4択問題で中学生の正答率45% その理由は?
https://togetter.com/li/1078386

このまとめの元記事は読売プレミアムに掲載されていて、有料記事なので一般の人は読むことができない。ざっくりとポイントになる部分を抜粋すると次のようになる。

戸田市立中6校の生徒計340人の基礎的な読解力を測るテストを実施した結果、4人に1人は問題文を正確に読めていなかった

問題によっては正答率が半分程度やそれ以下のケースもあった

普段のテストでも答えを何も書かない子たちから「問題で何を聞かれているか分からない」という声が出ていた

音真司氏が講師を務めた私大では、読書をする学生は少数で、3年でゼミに入るまで図書館に行ったことがない学生もいた

音氏は「試験やリポートではSNSや日記のような文章を書いてくる。文の構造を理解せず、考えも整理できない」と話す

(出典:2017年1月30日 読売新聞朝刊 読解力が危ない 問題文が理解できない)

多くの人は、「今時の中高生はこの程度のことも読解できないのか」と嘆くだろう。しかし、それは多くの人が、この問題を理解できる程度には教養を身につけたからに過ぎない。その「この程度のこともできないのか」は、僕からすればら抜きを書く人にも同じように適用される。

ら抜きを使っても平気な人は、「ら抜きで何が悪い」と開き直っている暇があるなら、もっと本を読んで、教養を身につけた方が良い。僕は、教養をベースにした見識こそが、各々が抱えている諸問題を越えて、彼らを明るい未来へ導くと信じている。日本語すらまともに使えないなら、それは無教養である。「無教養だって過半数ならそれが文化だ」と強弁するなら、英国のBrexitや米国のトランプ選出を全く笑えないのである。もちろん、未来も、英国や米国のそれと同じく、真っ暗闇である。  
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2017年01月30日

日本国民は安倍晋三が総理大臣で本当に良いの?

頭の悪い安倍晋三はトランプの人種差別政策について
米国の大統領令という形で米政府の考え方を示したものだろうと思う。私はこの場でコメントする立場にはない。いずれにせよ我々は、難民への対応は国際社会が連携して対応していくべきだと考えている

と述べたらしいが、何を言っているんだ、このバカは。こんなバカを支持している日本人が6割とか、笑っちゃうよ。

他国を見れば、フランスも、ドイツも、オランダも、それどころかニューヨーク州やワシントンDCも深い懸念や異論を表明しているわけで、日本のヘタレっぷりというか、ポチっぷりが激しく情けない。ちょっと前に僕はツイッターで




と書いたのだが、ダメなものはダメとどうして表明できないのだろう。安倍晋三は「出身や信仰で人に烙印を押すような政治」を否定できないようだが、日本国民は本当にそんな奴が自分たちの総理大臣で良いのか?  
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2017年01月26日

日本の官僚の手取り足取り具合に涙が出る

安倍晋三が馬鹿なのはすでに十分に知れ渡っているので、云々を「でんでん」と読んでしまったとしても、まぁ安倍だから、ぐらいの感想しかないのだが、実際に動画を見て別のところで感心した。



答弁を書き起こすとこんな感じだが、

民進党の皆さんだとは一言も申し上げていないわけであります。自らに思い当たる節がなければ、これはただ聞いていただければ良いんだろうとこのように思うわけでありまして、訂正でんでんというご指摘は全く当たりません。


最近の官僚は、こんなことまで書いてくれるんだね。「馬鹿らしくてやってらんねぇよ」とか思わないのかな?  
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2017年01月17日

川村雄介というノーベル賞至上主義のバカ

ツッコミどころ満載なので、ブログで紹介。

引用元:30年後もノーベル賞大国であるために、禁断の劇薬「国立大学を半数に」
http://forbesjapan.com/articles/detail/14834

大学法人化の後は、母校から毎月のように「寄付寄こせ」封書が届く。私とてささやかな協力くらいおしまない。だが、昨今のやり方は度が過ぎていないか。

バカじゃねぇの?ささやかじゃ足りないんだよ。東大出て、ワシントンで暮らしたことがあってこれかよ。スミソニアンは寄付金だけで運営されているんだぜ?

なまじ国立大学の現場を経験しただけに、余計腹立たしく感じるのである。

典型的老害。時代は変わってるんだよ。

絶対矛盾にぶつかっているのだ。

絶対矛盾でもなんでもない。景気が回復すれば税収も増える。お金は天から降ってくるもの、という感覚で、前提が変わりうることが認識できていない。国の税収が増えるように努力せず、自分たちの食い扶持のことばかり気にしているから、いつまで経っても変わらない。韓国の慰安婦像問題で「日本と喧嘩して、長期的にみて意味があるのか」と嘆いている日本人が多いけれど(これは僕もだけど)、近視眼的なことについては日本と韓国は大差ない。

国立大学を半数にまで減らすのだ。

ばーーーーか。地方の裕福でない学生の勉強の機会が失われるだろ。まずは私大への援助を減らせよ。それでも国立大学を減らしたいなら、東工大とか一橋とかお茶大とか、都内にゴロゴロある国立大学を東大に統合してしまえ。「裕福ではないから」という理由で志のある学生の勉強機会を失うことは避けよう、勉強の機会は極力平等に与えよう、というのは福沢諭吉の「学問のすすめ」以降の、日本人のコンセンサスだろ。ノーベル賞なんか、海外で研究を続けて取れば良いんだよ。別に、日本で研究する必要はない。  
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2017年01月14日

大阪市のプログラミング教育事業は受注者に注目すべき

大阪市が無償でプログラミング教育を受注する業者を募集していて話題になっていた。

概略はこちら参照
大炎上した大阪市の募集要項 「タダでプログラミング教育を」
http://www.j-cast.com/2017/01/13288028.html
簡単に言えば、「奥さん、大阪市が小学生にプログラミングを教えてくれる業者を募集しているらしいわよ。それで、報酬はゼロなんですって。タダ働きしろってことらしいざます」ということ。

それで、元の募集要項はこちら。

平成29年度小学校段階からのプログラミング教育の推進に当たり協力事業者を募集します。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000386948.html

僕は経産省時代、この手の発注業務を担当していたので、まず、本省ではどういう作業の流れになっているのかを紹介する。

財務省以外の中央官庁の多くは、財務省に「今年はこれだけの事業をやりたいから、お金をくれ」と予算請求する。この予算要求の前に、役人たちは今年はどんな要求を出そうか、と相談する。その際、主に立案に当たるのが課長補佐である。課長補佐は係長や係員などと勉強会を開きつつ、あちこちにヒアリングに出かけてネタを探す。この時、ネタ元として良くあるのが事業者からの要請である。要請の場面は、各種委員会だったり、講演のあとの懇親会だったり、賀詞交換会だったり、役所に直接陳情にくる場合もあって、色々である。「元木さん、今はこんな事業が必要なんですよ」と教えてくれる。もちろん、その背後には「予算が取れたら、うちの会社をよろしく」という腹づもりがある。

さて、課長補佐はこうしてネタ探しをして、その中の有望そうな事業について部内で会議をやって、課としてどの企画で予算請求するかを詰める。

今は国家予算そのものが厳しいので、こうした企画を全部そのまま財務省に持ち込むことはできない。課内で調整した後、局内で調整し、場合によっては他の局や課の企画と合流して申請することもある。財務省からノーと言われたらそれまでだし、途中で役所としての上限額が決められるので、その数字に合わせて省内調整も必要になる。省内での根回しも重要だし、特に実現性が十分なのかについては検討が必要だ。

一番困るのは、予算を取って、応募を開始してみたら誰も応募してくれなかった、という事態である。なので、民間事業者へのヒアリングの際には「事業を企画したらこいつは応募してくれるかな?」という情報も合わせて収集する。委託金業務にしても、補助金業務にしても、常識的に言えば役所が金を出すし、そもそものネタ元はヒアリング先なので、よっぽど酷い条件でない限り応募はあるのだが、その辺は役人なので抜かりなく準備していく。

さて、無事予算を獲得できたら、いよいよ事業を開始するわけだが、その最初の一歩が「募集」である。ということで、この大阪市の募集要項を見てみよう。僕が書いた事例はあくまでも経済産業省製造産業局の一例だが、地方自治体でもそう大きく変わることはないだろう。

パッと見て違和感を持つのが「無償で実施できる民間事業者」という記述である。違和感というか、癒着の香りしか感じられない。その違和感の原因は、この事業を担当した時の受注業者のメリットが全く見えてこないところにある。企画立案から学校との調整まで含め、必要な費用は全部業者負担となると、事業者はどこで稼ぐのだろう。しかし、役所が考える事業なので、応募がないという事態は考え難い。どこかの業者が、何らかの事情から「ただでもやりたい」と大阪市に入れ知恵したぐらいしか、説明がつかない。

記事によれば、大阪市の担当者は取材に対して「特定の業者との結びつきをなくし、公平性を担保するためにも『無償』という形をとった」と答えたようだが、これが事実とは到底考えられない。逆に、特定の業者との強い癒着があるからこそ、今回のような募集になったと考えるのが自然だ。

だいたい、本当にただでできるなら、大阪市の事業として実施する必要性はなく、事業者は勝手に、ただで事業を展開すれば良いのである。「ただでプログラミングを教えますよ」と。いまどき、そんなことがあるわけがない。

では、事業者の「隠されたメリット」とは何だろう?募集要項の協定書をざっと見て気がついたのは、著作権についての取り決めがないことである。特許についてはその扱いについて記載されているが、著作権については記載がない。ということは、小学校の教員や有識者と共同で作り上げた小学生向けのテキストは、すべて事業者のものとなる可能性が高い。そして、この事業は単年度事業である。したがって、事業終了後、一定の成果物(著作物)が出きた場合には、事業者がその成果物を根拠に「良いテキストがあるので、次年度からはこの金額で」と請求してくる可能性がある。その金額が安いなら、「それはそれで良いんじゃないの?」と考える人もいるかもしれないのだが、無償の事業に応募させることによって担当事業者を実質的に絞り込んでおり、これは癒着だし、縁故資本主義である。著作権については単に書き洩らしかもしれず、断定はできないのだが、違うとしてもこれに類するメリットが何かあるのだろう。

なお、協定書では
特許権、実用新案権、意匠権、商標権その他日本国の法令に基づき保護される第三者の権利(以下「特許権等」という。)

と「特許権等」を定義しているのだが、そのすぐ後の18条2項で
特許権等の対象となるべき発明又は考案をした場合には

と、当事者(第三者ではないもの)が特許権等を発明した場合を記述しており、何が何だかわからないものになっている。

事業を通じて何らかのメリットが得られないのであれば、企業がその事業を担当する理由はない。そのメリットは募集の段階で明確にされるべきだし、募集にあたっては、最低でも事業にかかる費用の積算と、その請求、および、事業後の成果物の取り扱いについて明示されているべきである。

この募集については癒着の香りしかしないので、特に大阪市民は、どの業者が受注するのかに特段の注意をもって監視すべきだろう。  
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2017年01月10日

メリル・ストリープの反トランプ・スピーチ

僕の周囲のほとんどの人は、日本に関わりがあろうとなかろうと、反トランプである。だから、僕が一番好きな女優であるメリル・ストリープが昨日のゴールデン・グローブ賞の授賞式で、反トランプのスピーチを展開したことを喜んでいる。

スピーチの全文はこちら。

The full text of Meryl Streep's six-minute acceptance speech for a lifetime achievement award at the Golden Globes on Sunday:
http://money.cnn.com/2017/01/09/media/meryl-streep-golden-globes-trump-text/index.html

動画はこちら。

声が枯れちゃっているのは残念だけど。

村上春樹にしても、メリルにしても、作家として、あるいは俳優として好きになったあとに、今の僕のスタンスを的確に表現してくれる意見表明をしてくれるあたり、不思議な感じがする。

メリルが批判したトランプの行動についてはこちら。
トランプ氏、身体障害の記者の姿態あざける NYT紙反発
http://www.cnn.co.jp/usa/35074075.html

  
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2017年01月05日

初詣にベビーカーを持って行くと迷惑がられる日本社会

雨模様のワシントンDCからこんにちは。

暇なのでネットサーフしていたら、こんなニュースを見つけた。

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

初詣にベビーカー持参で行くことの是非についてなのだが、乙武さんが次のようにコメントした気持ちは良くわかる。



このコメントと、この記事に関しては恐ろしく不寛容なコメントが並んでいて、日本を逃げ出して良かったな、というのが正直なところである。
















キリがないのでこの辺でやめておくが、反乙武のつぶやきがTwitterには溢れている。しかし、この件に関しては、僕の立ち位置は明確に乙武側である。僕はDCに移り住んで、何度もこちらのネイティブに「日本と比べて何が違いますか?」と聞かれ、その度に、「米国では、車椅子の人を頻繁に見かけます。あちこちで、補助の人なしで出歩いている障害者たちを見かけます。日本ではこの状態は考えられません」と答えてきた。

僕は米国在住と言っても、ワシントンDCと、メリーランドと、ヴァージニアと、ニューヨークと、オーランドぐらいしか見てないので、僕の知識が全米全域について適用されるかどうかはわからないのだが、少なくとも、DCやNYは障害者に対して非常に寛容な街である。そして、同時にベビーカーに対しても寛容だ。こと障害者対応に限れば米国の状況は日本に比べてかなり理想的だと感じているのだが、日本がそれを真似ようとしても、非常に難しい現実がある。

米国と日本は何がどのように異なっていて、なぜ日本では実現が難しいのか。

最初に種明かしをしてしまえば、日本の、特に東京の人口密度が高すぎるのだ。

DCでは、朝8時とか、夕方6時ぐらいのごく限られた時間の、ごく限られた路線のみ、地下鉄で立っている乗客が見られるのだが、その他の時間は常に座っていられる。じゃぁ、ものすごい本数の電車が走っているのかといえば、そんなこともない。20分電車が来ないなんて、日常茶飯事である。ちょっと遅い時間になれば、30分待ちという事態もざらである。

ちなみに、DCの地下鉄には時刻表がない。本当はあるのかもしれないが、見たことがない。駅には何分後に電車が来る、という表示があるだけだ。後続の電車について知りたければ、スマートフォンのアプリで調べる必要がある。これも、表形式ではなく、何分後に到着するかだ。そして、そのアプリで5分後に来る、と表示があったのに、5分後に見てみると、また到着まで5分になっていたりする。非常にルーズなのだ。しかし、このルーズさに、米国人の障害者への寛容さが隠されている。

米国では、車椅子の乗客が誰の補助もなく、一人でバスや地下鉄に乗ることができる。バスはバス停で自動的に車高が低くなって、機械式の橋が出てくる。車椅子の乗客は、これを使ってバスに乗り、揺れた時に動いてしまわないように、ベルトで固定する。この間、だいたい、3分ぐらいはかかってしまう。障害者の利便性を考えると、定刻通りの運行は不可能なのだ。ルーズな運行が先だったのか、障害者対応でルーズにならざるを得なかったのかはわからないが、この国の国民性を考えれば、恐らくは前者だろう。

僕は良く、米国人達に「日本人はとてもパンクチャルである。それはとても良い習慣だが、時々、パンクチャル過ぎて、息苦しい社会である」と説明している。高度にオーガナイズドされた社会は、小さな受け皿を最大限に利用するためには避けることができない。しかし、高度であればあるほど、異分子を受け入れることも、必要に応じてマイナーチェンジすることも難しくなる。日本の主要都市は、詰め込みすぎて、余裕がなくなっているのだ。

丸ノ内線が4分間隔で精緻に運行しているのはとても素晴らしいことだが、その背後で犠牲になっているものも、間違いなく存在している。それが、障害者対応である。これは健常者の視点からは気付きようがない。日本の交通インフラは、ハード面だけでなく、ソフト面でも障害者を排除している。だから、日本の歩道には、車椅子がほとんど存在しない。日本と、米国の、足が不自由な人の割合に大きな差があるとも思えないので、日本では、外出したくても、足が不自由で思うようにならない人がたくさんいるのではないか。

米国がこういう状態になっているのには当然理由があって、それは「障害を持つアメリカ人法」: Americans with Disabilities Act of 1990である。これは、1990年に制定された連邦法だ。この法律によって、障害者の社会参画は全面的に保障されている。おかげで、映画館も、トイレも、スタバも、アパートも、どこへ行っても、必ずバリア・フリーだし、実際、街を歩いていれば頻繁に車椅子を見かけるのだ。

そして、車椅子に優しい社会は、そのままベビーカーにも優しい社会なのである。だから、冒頭の記事で書かれている寺のようなトラブルは、米国ではまずお目にかかれない。ベビーカーも電車内で見かけるし、バスの前部には2台まで自転車を乗せることができるキャリアーまでついている。これは健常者の話になるが、自転車の客がいると、バスはその客が自転車をキャリアーに積み込む間、のんびり待っているのである。

もしかしたら、タイムズスクエアでの年越しカウントダウンイベントなどでは日本と同様の不自由はあるのかもしれないが、年に一度、タイムズスクエアのごく限られた地域の話を日本の寺社仏閣と同一に論じるのは無理がある。

もちろん、何の理由もなく日本人が車椅子やベビーカーに冷たいわけではないはずで、そこは日常生活が車椅子やベビーカー前提で構築されていないから、必然的にそうなってしまうのだろう。DCのように、いつも電車で座ることができる状態なら、ベビーカーに目くじらを立てる必要もないのである。結局、寺にしても、電車にしても、混雑しているのが問題なのだ。

では、満員電車や、初詣客の集中をなくすにはどうしたら良いのか。簡単な話で、人口集中地域の人口を減らせば良いのだ。東京の人口が半分になるだけで、状況はガラッと変わるのではないだろうか。そのための方策も、ないわけではない。政府は首都機能の移転を前から言っているのだが、そんな面倒なことをしなくても、所得税減税だけでかなり効果がありそうに感じる。法人所得税率を都市部と地方で20%程度差をつければ、首都機能なんて移転しなくても、民間事業者はどんどん外に出て行くはずだ。何の根拠もなしに法人税減税してしまうのはもったいないので、例えば米軍基地周辺10キロ以内を「迷惑施設周辺減税特区」にしてしまえば、法人税を安くあげたい企業が米軍基地の周辺に集まってくるだろう。これが実現すれば、沖縄の米軍基地問題にも解決の糸口が見えて来ると思っている。嫌がる人を無理やり理屈で納得させるより、好きで集まってくる状況を構築した方が、作業はずっと楽である。

日本が抱える問題の大きなものとして都市部への人口集中が挙げられるのは間違いないことで、それが顕在化した例が、初詣のベビーカー問題なのだ。そして、乱暴なやり方かもしれないが、人口を地方へ分散させる手段もないことはない。あとは、やる気の問題である。でも、日本人は、将来自分の足が不自由になることなど想像できないので、多分やる気は出ないだろう。

だけど、大丈夫。足が不自由になったら、なんとかして米国に脱出してくれば良いのだから。ここにあるのは、relaxed lifeである。  
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2016年12月06日

乗るタクシーを選ぶことができない日本社会

ASKAの個人情報問題でこんなつぶやきがあったんだけど、




これを見て思ったのは、個人情報保護法とは全然関係ないんだけれど、日本って、実質的にはほとんどタクシーを選ぶことはできないよな、ということ。夜中の新宿界隈で個タクを探してちょうちんはー、でんでんむしはー、とさまようことはあるけれど、会社名までは選ばない。基本、来た車に乗る。これが田舎になるともっと深刻で、歌志内なんか、今はタクシー会社が一つしかないから、選びようがない。

ところが、米国はUberがあるので、いくらでも運転手を選ぶことができる。車種、運転手、価格、今いるところまでの所要時間などによって好きなタクシーを選ぶことができるので、とても快適である。きちんとITを利用すれば世の中はこんなに便利になる、という見本なのだが、日本の為政者はバカなのでそういう制度設計ができない。どこかの既得権者が「そんな白タクを許可して、事故ったらどうする」とか言い始めると、そうかもしれないなぁ、と納得してしまう飼いならされた社会主義者たちの集団である。

こんな国に明るい将来があるとは思えないのだが、もうちょっとなんとかならんものかね?聞くところによれば、日本ではタクシーだって病院に突っ込んだりしているらしいじゃない。

電気代の値上げだってそうだけど、福島の事故の処理費用を上乗せする会社と、上乗せしない会社から、同じ土俵で好きな方を選べてはじめて自由主義社会なんじゃないの?実質的に選択の余地がない中で「三兆円上乗せします」って、それは東電のバカの責任を強制的に国民に負わせているだけだよね。

タクシーだって、選びたい人がちゃんと選べるのが理想的なんじゃないかなぁ。で、そういうシステムがすでに構築可能なのに、実現できない社会って何なんだろうね?

二ヶ月前にも同じようなことを書いたんだけどね。

参考:日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例
http://buu.blog.jp/archives/51533963.html  
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2016年12月01日

給付型奨学金制度に見る、目的はとても正しいのに、やり方が馬鹿という事例

やろうとしていることは基本的に良いことなのに、やり方が馬鹿だから、いつまで経っても日本は三流国と評価され続けるという事例があったので紹介しておく。この記事で紹介されている給付型奨学金である。

給付型奨学金、1学年2万人を対象 自公が首相に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000105-asahi-pol

貧乏な苦学生にもチャンスを、という、機会の公平性の観点からは非常に良い施策なのだが、馬鹿が設定するから問題の多いものとなる。諸悪の根源はこの部分である。

対象者はすべて学校推薦で選ぶ。具体的には、約2万人分の枠を全国約5千の高校に各1人以上割り振り、各校は国が作る成績基準などの指針に基づいて推薦する。複数の対象者が割り振られる高校は、日本学生支援機構などが決めるという。


主観に依存する部分を残したがるところが、三流国の政治家が考えた案の特徴である。学校推薦になれば、学校内で「誰を選ぶのか」という問題が発生する。「うちは貧乏なので」という、貧乏自慢ぐらいならまだ良いのだが、「うちの子は先生に気に入られているから」といった話になってくると、なんとかハラスメントの温床になりかねない。クラス間での調整が必要になった時も、担任の力関係が選出に影響を及ぼしかねない。また、各高校への割り振りにも主観が関係してくるので、高校が日本学生支援機構に接待攻撃をかける可能性だってある。こうした可能性を、この制度のままで完全に排除するのはとても面倒だ。

日本の政治家は縁故資本主義の中で選ばれてきているので、こういうコネカネの世界に非常に鈍感である。フェアであることが最優先されるなら、この制度の概要を読んですぐに「これはおかしい」と気付くはずなのだが、そういう感覚が失われているのだろう。

給付型奨学金を設計するなら、基準は全国一律であるべきで、日本学生支援機構や各高校に裁量を与えるべきではない。単に、各家庭の収入と、あとはセンター試験の成績で決めてしまえば良いだけのことである。

日本におけるかつての共通一次試験、およびセンター試験の評価は非常に低いようだが、僕はこの客観テストは、数少ない、日本における非常に効果的な試験制度だと思っている。せっかく客観的に、全国横断的に学生のランク付けができるのだから、この仕組みを使わない手はないはずなのだが、なぜそれを避けるのか、さっぱり理解できない。多分、「俺たちは優秀だから、俺たちの主観で決めることが一番正しいに違いない」と考えているのだろう。勘違いも甚だしい。

日本人は、人間を客観的にランク付けするのは凄く苦手なくせに、主観的にランク付けするのは大好きだ。だから、いつまで経っても不公平な国のままだ。もうちょっと、公平とはどういうことか、まじめに考えた方が良い。  
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2016年10月25日

ジェネラリスト偏重によって国際競争力を下げ続ける日本と、その対策

電通の過労死問題を機にちょっとだけ盛り上がっている労働問題だが、いつも言っているようにほとんどの人が本質に切り込めず、また分かってはいても言及できずにいる。だいたい、ちょっと思いついて語る意見、いわゆるjust ideaに傾聴する価値があるものが多いはずがない。

そんな中、以下のコンテンツは、一年前に発表されているのだが、かなり良くまとまっている。

日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2015/japanese-labor-productivity-levels/

ただ、ところどころで言葉が足りない感じがするので、「この視点が欲しかった」ということを書いておきたい。それは、社会で求められている人材の質がジェネラリストからスペシャリストへと変移しつつある中、日本は相変わらずジェネラリストの育成に終始している点である。

例えば、生物系研究者のキャリアを見てみても、若いうちはテクニカルスタッフのような働きを任され、やがて自分で研究するようになり、そしてマネージメントや教育へと立ち位置が変わっていく。研究という意味では一本軸が通っているのだが、「技術者」、「研究者」、「教育者」あるいは「管理者」と役割が変わっていき、同時にそれに求められるものは「労働力」、「思考力」、「指導力」あるいは「政治力」と変わっていく。日本ではテクニシャンの評価が非常に低いので、ほとんどの人が研究者を目指すのだが、精力的に研究できる期間は結構短くて、偉くなっても研究室のマネージメントに忙殺される、という話も珍しくない。日本が特異的なのは、このキャリアパスをほぼ全員に適用する点である。つまり、生涯テクニシャンとか、研究一本で教育にはノータッチといったスペシャリストのキャリアパスがほとんど存在しない。理研時代に榊さん、林崎さん、横山さんという三人のプロジェクトリーダーたちをそばで見てきたけれど、彼らが試験管を持つところを見たことがなかった。プロジェクトリーダーとは、お金を取ってきて、研究者たちを差配するだけの存在だった。おそらく、この先、彼らが試験管を手にすることはないだろう。

全ての研究者たちがこういったキャリアパスを希望しているなら構わないのだが、生涯技術だけに特化したいとか、教育に専念したいというタイプも当然存在するはずで、そういう人がスペシャリストに育つはずなのに、実際はジェネラリストばかりが量産されている。

実はこれは終身雇用、年功序列の日本社会にはとてもフィットした手法だった。ジェネラリストなら、いつ、どんな配置転換があっても、すぐに適応できる。誰かが死んだとか、誰かが退職したという事態に簡単に対応できる。草野球チームでみんなが全てのポジションをこなせるなら、ピッチャーが急用で参加できなくなっても、誰かが代わりにピッチャーをやれば良い。

ところが、時代は変わり、各人に要求されるスキルのレベルがアップした。草野球なら良かったけれど、プロ野球だと、付け焼き刃のピッチャーなど通用しない。どのポジションにも相応のスペシャリストが必要になってくる。そうしたとき、ジェネラリスト集団は決して一流になることができない。

では、一流のスペシャリストを揃えれば良いではないか、となるのだが、ここで障害になってくるのが「終身雇用」という制度である。よそのチームに凄く良い内野手がいるのに、自分のチームの内野手のクビを切れなければ、誰かを飼い殺しにする必要が出てくる。現実的にはそれは難しいので、優秀な選手の獲得を諦めざるを得なくなる。

あるいは、もっとドラスティックに、「野球は斜陽なので、みんなでサッカーやろうぜ」となった時にも、野球選手たちはお荷物になる。お荷物はクビにできたら良いのに、それができない。

こうした事態の具体例がカネボウである。繊維産業はすっかり斜陽で全く採算が取れなくなってしまった。せっかく化粧品部門が堅調なのに、トータルで見ると経営は悪化の一途。それでも大規模なリストラには踏み切れず、社内では対応不能に陥り、最終的には外部の協力を得て解体された。

労働者たちは、労働力の流動化そのものには反対しないのだが、それとセットで語られる解雇規制の緩和には非常にナーバスだ。そのせいで、日本の労働環境は一向に改善されず、企業の国際競争力は低下する一方である。解雇規制という目の前の毒を恐れて、結果的に自分の立っている地盤そのものが急速に弱体化していることから目を背けている。これは浸水が進んで沈没しそうな大型客船で、自分の部屋にだけは水が入ってこないように土嚢を積んでいるようなもので、事態は全く改善せず、むしろ死期を早めているだけである。そのことについてはOECDも再三勧告を出しているのだが、事態は一向に改善しない。世界経済フォーラムの2012年のリポートでは、社員の雇用・解雇のやりやすさに関するランキングでは、日本は144カ国中134位と最低レベルである。
出典:「アングル:道険しい安倍政権の雇用改革、際立つ日本の硬直性」
http://jp.reuters.com/article/l4n0fh2fk-angle-japan-employment-idJPTYE96B01G20130712?sp=true

こういうことを僕は10年ぐらいこのブログで書いてきているのだが、多分、10年後も日本は今のままの硬直した労働市場を維持しているだろう。それは、解雇規制の緩和を忌避する人たちが大勢いるのだから仕方がない。そこで、特に若い人に言っておきたいのは、職場は日本だけではないということだ。日本よりも環境の良い国は他にある。だから、「あっちの方が良いな」と思った時、それがきちんと選択肢になる必要がある。その時に要求されるのが英語力である。英語だけはちゃんと勉強しておくと良い。特に、リスニング能力は磨いておけ。英語ができないから日本を脱出できない、という事態だけは避けるべきだ。  
Posted by buu2 at 14:29Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年10月21日

ブラック国家日本から脱出せよ

電通の過労自殺に関して
大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ

出典:長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない
http://buu.blog.jp/archives/51534531.html

と書いたけれど、若干補足しておく。

まず訴えたいのは、長時間労働は日本が抱えているたくさんの労務問題のうちのひとつだということだ。そして、その問題は単体では解決できない。

サッカーでいえば「得点力不足」という日本代表の問題点があって、じゃぁそこにメッシを連れてきたら全部解決するかといえばそんなことはない。ロナウドを連れてきたとしても、メッシを連れてきたとしても、それにあわせてチーム戦術を変えなくてはならない。それは、場合によってはゴールキーパーの選出にも影響を及ぼす。様々な要素が絡み合っていて、フォワードをひとり変更すれば万事オッケーというわけではない。

そこで、長時間労働を改善したいなら、最終型を描け、というのが先にあげたエントリーの主旨なのだが、なぜ最終的な姿をイメージしなくてはならないのかをわかっていない人が多そうだ。

ゴールセッティングが重要な理由は、おおよそ次のようなものである。

●フォーカスすべきポイントが明らかになる
●到達すべき目標が明確になる
●当事者を従事しつづけさせる
●予定よりも遅れたとしても諦めないで済む
●モチベーションが持続する


逆に、最終型が不明確だと、何をやって良いのかわからないし、目標が達成できたかどうかもわからないし、当事者も飽きてきちゃうし、予定より遅れたら諦めてしまう。目の前にある問題が独立して存在するならともかく、社会の中で必然的に生まれている状況ならば、社会全体を変えなくてはならないし、そのためには「こういう社会にしたい」という理想像の共有が必要なのである。

このゴールセッティングは社会的な問題に限らず、個人でも有効だ。たとえば「陶芸家になりたい」という目標を設定した場合、じゃぁ、何をやるべきか、と考えることができる。逆に、「陶芸が好きだ」では、何をしたら良いかさっぱりわからない。作品を見るのか、作るのか、本を読むのか、窯元を見学するのか、他の美術を学ぶのか、やれることはたくさんあるのだが、それがなんのためなのか、何を目標にしているのか、何もわからない。

先日の長谷川なんとかの炎上騒ぎにしても、彼がキチガイなのは間違いないのだが、それがなぜなのかはわかっていない人が多いと思う。

なぜダメなのか。それは、話が透析患者に限定されたものではなく、ほとんどありとあらゆる領域で、本人の不注意や不摂生で病気や怪我が発生していて、どこに線引きして良いかわからない、つまり、非常に実現性の低い話を展開していたからに他ならない。つまり、ゴールセッティングができてなくて、目の前の問題に感情的になっていたからダメだったのだ。

このブログではそこをきちんと書いたつもりなのだが、世の中の多くは「殺せ」という単語の不適切さにこだわっていたようだ。

かように、何かをやろうとするなら、ゴールのセッティングは非常に大切になってくる。全ての議論は、まずはそこからスタートなのである。ちなみに、日本の労働問題に関して僕が考えているゴールは前述のエントリーで箇条書きにしたけれど、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化


である。でも、きっとこの内容でコンセンサスを形成するのは難しいのだろう。若い人は、可能なら、さっさと日本を脱出した方が良い。会社を辞められないのも、日本から脱出できないのも、僕からみたら同じである。もらえもしない年金をチラつかせて若者からお金を搾り取るぐらいに、日本は国家としてブラックである。

関連エントリー:なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html  
Posted by buu2 at 00:25Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年10月16日

長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない

件の電通社員過労死問題にあたっての反応をネットで読むにつけ、本当に日本は近視眼的だなと感心する。大勢の反応は「長時間労働けしからん」という論調だが、この調子で主張するから、いつまで経っても日本人の長時間労働はなくならないのだ。そのことに気がつかないところが残念至極なのだが、若い人たちがそれに気がつかないのはある程度仕方がないのかもしれない。なので、繰り返しだが、懲りずに書いておく。

何度も書いているのだが、カネボウやら、シャープやら、日本の古い企業が潰れている中、それでも多くの企業がなんとか踏みとどまっているのは、優秀な社員が長時間の労働に耐えているからに他ならない。ただ、その陰には、その何倍もの数の企業にとっては優秀でない社員が半強制的に働かされているのも確かだ。効率が悪いとはいえ、一定の成果を出しているのも間違いないので、今ここで一律に「全員、長時間労働禁止」としたら、多くの会社は優秀な人間のアウトプットと、それなりの人間のアウトプットの両方を失って、競争力はさらに減退するだろう。これによって、ただでさえ状態の悪い日本の景気は一層悪化するはずだ。このくらいのことは日本の大企業で管理職をやるぐらいになれば誰でもわかるので、実数としては多数派の非ホワイトカラーたちが「長時間労働反対」と主張しても、一向に事態は変化しない。もちろん、多数派の主張を盲目的に取り入れたなら、それはそれで大変な話なのだが。

では、何が悪いのか。簡単に言えば、日本の企業の生産性が低いからである。日本の企業は、その体質により、構造的に低い効率と生産性から逃れることができない。簡単に言えば、会社で能力を発揮できなくなった社員のクビを切れないので、その社員に足を引っ張られてしまう。低い生産性をリカバリーするために、長時間労働せざるを得なくなる。

だから、長時間労働の対策は、効率と生産性をアップさせれば良い。低効率・低生産性の原因はこれまた何度も書いているけれど、旧態依然とした日本の雇用習慣である。目指すべき環境ははっきりしていて、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化

などである。え?いきなり話が飛んでない?と思うかもしれないが、長時間労働とこれらの日本特有の労働環境問題は密接な関わりがある。

上述の「目指すべき環境」には異論はあるかもしれないが、日本の低成長を危惧しているOECDからも2008年に勧告がでている。

Japan could do more to help young people find stable jobs
http://www.oecd.org/japan/japancoulddomoretohelpyoungpeoplefindstablejobs.htm

この勧告ではストレートに上述の6項目を列挙しているわけではないが、勧告を実現するためには、この6項目の多くを実現する必要があると思う。この環境を実現するためには労働者サイドにも不利な話はあって、それはたとえば労働力の流動化には無期雇用者の解雇規制の緩和がセットで語られることになる。すると、「それはけしからん」みたいな話になるので、いつまで経っても、日本の労働環境は改善せず、そのしわ寄せは若い人の方に向かう。ところが残念なことに、若い人は、社会経験が少なすぎて現実的な最適解を見つけることができない。自分たちで墓穴を掘ってしまっているのだが、多分、ほとんどの人はそのことに気がついていないのだろう。とりあえず、若い人たちは上の勧告だけでも読んだ方が良い。

とりあえず、長時間労働に絞って書くと、自己の裁量で働き自己を管理できる人間と、他人に管理されて働く人間とは、全く異なる人種なので、それを同一に論じるのは無理なのだ。それゆえの「ホワイトカラー・イグゼンプション」なのだが、なぜかホワイトカラーではない人たちがこの制度の導入に反対して、労働環境の改善が遅々として進まないのが今となっては滑稽ですらある。

その原因がどこにあるのかは不明なのだが、もしかしたら、労働者を使える人間と使えない人間とに分けてしまうと受け止められているのかもしれない。つまり、非ホワイトカラーになってしまったら、一生搾取される側になる、みたいなことだ。この辺になってくると今度は年功序列と密接な話になってくるのだが、こうした「労働環境の改善に関するちょっとしたお話」ぐらいでもすでにいくつかの要素が関係してくる。上に6つの要素を列挙したのだが、実はその6つは独立に存在しているのではなく、相互に密接な関係を持っている。どれかひとつだけを実現しようとしても無理なのだ。また、逆にいうなら、この中で海外からも強く実現を要請されている「同一労働同一賃金の実現」を実現しようと思えば、他の5つも全て何らかの対応が求められる。

とはいえ、いっせいのせのかけ声のもと、全部変えてしまっては大混乱になる。大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ。

「人が死んじゃった。なんとかしなくちゃ」で済む話ではない。目先の問題を解決しようとしても、それだけでは事態は好転しないし、むしろ悪化する可能性が高い。過労死は、会社単体の問題ではないということはここに書いた通りである。

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html

かように長時間労働問題はそれだけ切り出して実現することは不可能なのだが、議論として長時間労働問題を解決する手段を考えるなら、「法律でホワイトカラーと非ホワイトカラーを明確に分離し、非ホワイトカラーについてはきちんと保護せよ」ということになる。

#長時間労働対策だけをするのであれば、これだけで可能である。しかし、非ホワイトカラーの労働時間を削減すれば企業の生産力は落ちるので、このままでは企業の競争力が落ちて、企業そのものが退場に追い込まれてしまう。焼け野原に外資系企業がやってきて、日本は外資系企業の天国になってしまうかもしれない。

それにしても、いつまで経っても日本では「総合的なパッケージで労働環境全体を変えていかなくてはダメなんですよ」という話になって来ないのが不思議で仕方ないのである。


  
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2016年10月12日

物価さえ上昇すれば良い、という思考

経済学者って、面白いなぁ。以下、日経新聞から引用。

出典:消費 統計に現れぬ実態
賃上げ不十分で防衛意識 東京大学大学院教授 渡辺努氏
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08284710S6A011C1NNS000/

アベノミクスの異次元緩和でもたらされたもので、何もしなければすぐにでも崩れやすい。


そうですね。

賃金が思ったほど増えず、消費者は値上げに悲鳴を上げたのだ。


そうですね。

商品が同質化し、価格競争に陥っている。


わかっていらっしゃる。商品の質が向上しないから、消費者は必要以上のお金を出さないのです。

これまで購入していた商品が安い時にタイミングよく買っていて


僕も、ユニクロでは割引商品しか買いません。

消費が不振な背景には賃上げが不十分なことがある。


そうですね。

政府・日銀は賃上げにもっと関与すべきだ。さらに政府がコントロールできる国立大学授業料や公共料金などサービス料金を引き上げ、物価上昇への本気度を示すことが必要だ。


は?収入が増えないのに生活に必要不可欠な公共料金が上がったら、民間企業の商品の売り上げが落ちて、給料は上がらなくなりますよ。公務員以外の生活は苦しくなるばかりで、デフレに拍車がかかりそうです。

あなたは、物価さえ上昇すれば、国民の生活はどうなっても良いのでしょうか?それで景気は良くなるんですか?  
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2016年10月09日

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか

電通の若手社員が過労による自殺をした件を端緒に、日本の労働環境について考えてみる。

巷には「100時間で過労死なんて情けない」という考え方もあるようだが、これは実際に過労死している現実を踏まえているとしたら、不適切な意見だろう。残業耐性には個人差があって、できる奴もいればできない奴もいる。できる奴が自分の意思で残業するのは勝手だが、そのルールを他人にも押し付けるのは迷惑な話である。僕も残業という概念でくくるなら月間200時間ぐらいの残業をしたことがあるし、知人の中には二カ月連続で400時間の残業をやった奴もいるが(参考「人はどれだけ残業できるのか」http://buu.blog.jp/archives/51435509.html)、だからといって誰でもそんな状態で耐えられるとは思っていない。嫌なのに強制されるなら、違法なものは違法であって、根性論でどうにかなるものではない。その辺は、裁判の結果を見れば明らかである。

しかし、「過労で自殺」みたいな話があるたびにすぐに飛びついて「残業規制を強化すべし!」と怒鳴り散らす社会主義者たちも迷惑である。闇雲に規制強化に走れば、ただでさえ低下している日本の競争力がさらに低下するだろう。今の日本がなんとか踏みとどまっていられるのは、少数の精鋭たちが死ぬほど働いているからでもある。たとえばサッカーの本田選手が不調に陥って、普段の倍練習したとして、「その練習は違法なのですぐにやめるように」と本田選手に主張する人がいるだろうか。宇多田ヒカルが働きすぎとか、園子温監督が働きすぎとか、羽生名人や渡辺竜王が将棋を指しすぎとか、浦沢直樹や他の超売れっ子の漫画家が描きすぎとか、超売れっ子の俳優が働きすぎとか、そういう文脈で労働時間の違法性が論じられたことを、これまで僕は寡聞にして知らない。真のプロが、自分の意思と裁量で働く限り、他者が口を出すべき話ではないと思う。

全員働け、も暴論なら、全員働くな、も暴論なのだ。農耕民族としての団体行動思考が染み付いている多くの日本人には理解できないかもしれないが、先に書いたエントリーで述べた「研究は個人的なもの」というのと同様に、労働も個人的なものであるべきだ。価値観が多様化してきた今、僕たちの労働は、もっと高い自由度が確保されているべきなのである。それは、個人の日常の働き方というレベルにおいても必要だが、職業を選ぶ際にも必要になる。過労死という視点では、個人の自由意志による「働き方」よりも、会社という共同体の中において労働を強制される可能性がある「職業」の方が深刻なので、職業選択の自由度に焦点を当てる。

職業の自由度を考える際には、どういう選択肢があるのかをまず考えなくてはならない。選択肢にはどのようなものがあるのか。定性的に大きく分けて、2つである。それは、

(1)自由度と給与が高い代わりに、リスクも高い職業
(2)自由度が低く給与も低いが、安定していて保護も手厚い職業

である。

一つ目はいわゆるホワイトカラーである。なぜかホワイトカラーを残業規制から外そう(ホワイトカラー・イグゼンプション)という動きに対して反対運動が起きるのだが、その理由の最大のものは、日本の労働環境が終身雇用前提とされているからだろう。米国なら、「嫌ならさっさとやめちゃえば良い」が成り立つが、日本ではそれが成り立つかどうか不透明なことが問題になると想像される。では、日本の労働者はなぜ会社を辞めることができないのか。これも理由は二つあって、一つは労働市場が硬直していて、転職が難しいことである。もう一つは、企業でホワイトカラーに認定されそうな、年収1000万円以上とか、自己の裁量で仕事量を調整できるとか、知的教育による高度な知識を持つはずの労働者たちの少なくない部分が、期待されているようなスキルを持ち合わせていないことである。簡単に言えば、「転職先がない」「転職するための能力がない」である。この二つの問題はどちらかを解決しても、それだけでは労働市場は流動化しない。そのせいもあってか、いつまで経っても労働市場の流動化は実現しないのだが、その根底にあるのは既得権者たちの反抗なのである。

選択肢が用意されても、労働市場が流動化していなくては意味がない。今の日本の会社は乗客が満員の飛行機みたいなもので、みんな降りようとしないし、降りても、それ以外の便が全部満席で、一度降りたら最後、どこにも空席が見当たらない状態だ。離陸前に気分が悪くなっても乗り換えできないし、途中で降りることはもちろんできない。「労働市場は流動化していた方が効率的ですよね」という意見には偉いセンセイたちはもちろん、感度の高い生活者も同意するのだが、それが解雇規制の緩和とセットになると、突然反対に回るから困る。解雇規制がガチガチの状態では、そもそも空席が生じないのだから、労働市場が流動化などするはずがないのだが、民間企業でまともに働いたことのない学者センセイたちはその辺が理解できずに机上の空論を展開するばかりである。こうした無能な研究者がいつまで経っても退場しないのも終身雇用の弊害で、三菱総研というそこそこでかい民間企業、理研という特殊法人、経済産業省、民間企業の雇われ社長、そして現職の創業社長と色々渡り歩いてきた僕から見ると、俺の方がよっぽど専門家だろ、と思ってしまうが、彼らはせっかくアカデミアの職に就いた既得権者なので、顔を真っ赤にして反論するに違いない。大丈夫ですよ、あなたたちの職を奪う気なんてさらさらないですから。

さて、まずはホワイトカラー以外の人たちについて考えてみる。ほとんど何のスキルもない人の受け皿は必要で、それは英語で言えば「JOB」である。何のスキルアップにも繋がらないし、特別なスキルも必要ないが、時間を割くことによってお金を稼ぐことができる。ここで必要になってくるのが最低賃金の引き上げで、米国の都市部だと1500円から1800円程度だ。ちょっと話がそれるのだが、米国の場合、最低賃金が高いので、人の手が必要なファストフードの価格は高い。マクドのビッグマックが一つ500円程度である。ところが、食品の原価は安いので、ビッグマック二つで520円だったりする。この手のセット売りはファストフードやスーパーでは常態化している。そして、工業製品は安く、人の手がかかっている食品は高い、となるので、低所得者たちは自分で食材を買ってきて料理したり、5枚で500円の冷凍ピザを買ってきてオーブンで焼いたりする。米国で外食するとチップ込みで2000円はほぼ最低料金なので、日本でいうファミレスのような業態は成り立たないし、コンビニの夜間営業も淘汰されるだろう。しかし、米国で暮らしてみればわかるが、コンビニの深夜営業がなくても、何も困ることはない。コンビニの深夜営業がないと困ってしまうようなライフスタイルの方が問題なのだ。こんな感じで、最低賃金を二倍にするだけで日本の特に都市部の生活は大きく様変わりするだろうが、大きな問題ではないだろう。ともあれ、JOBで稼いでいく人たちの収入源はきちんと確保しておく必要がある。

要すれば、受け皿としてそこそこの給料を貰える職場はありますよ、だから、スキルがなくても大丈夫です。その代わり、外食とか、贅沢はできないから、自分で工夫して下さいね、ということだ。こうした職場の量は米国ではかなり重視されていて、それが減少しないように、海外からの移民に対してはそれなりに厳しい姿勢でいる。日本は、弱者の労働機会を確保する、という視点がほとんど存在しないので、生活保護のような、まったく社会に貢献できない人たちが生まれてしまう。

また、こうしたスキルのない人たちでも、それなりに職業を選択する自由が保証されている必要もある。今やっている仕事に飽きたり、嫌になったなら辞めて違う職につくだけの自由度が必要なのだ。これは雇用サイドへの圧力にもなる。きちんとした労働環境を与えることができなければ、すぐに人手不足に陥る、という状況は、労働者の職場環境の向上に、直接つながる。

スキルのない人たちにはスキルアップの機会が必要で、それはそれで別途考えていく必要がある。米国ではこの役割を果たしているのがcollegeあるいはcommunity collegeで、誰でも安価にスキルを身につける事ができる。やる気さえあれば、ステップアップのチャンスは与えられているのである。一方で、日本にはこういう組織は見当たらない。金を払えば学位をくれる、名ばかり大学が大量に存在するのだが、少子化の影響もあって経営不振に陥った大学は、海外からの留学生を集めて大学の体を為すのではなく、community college化に注力すべきである。また、ここで大事なのは入学者の年齢で、やる気さえあれば年齢とは無関係に、どんどん入学して勉強できる雰囲気作りが大切になる。ここで思い出されるのが2年ぐらい前の文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」である。この会議で冨山和彦氏が提出した資料がネットで議論を呼んだのだが、要は「トップ大学以外は職業訓練学校化すべし」という内容だったからだ。実は、冨山氏の論理展開と示した事例は非常に稚拙で叩かれてしかるべし、というものだった。簡単に言えば、彼の主張は大学を、大学の名称のままで職業訓練学校化しろというものだったからだ。しかし、職業訓練を主目的にするなら、それはもはや大学ではない。大学を大学ではないものに変えてしまえ、というのは暴論であろう。しかし、大学ではない組織として、職業訓練のための組織、米国でいうcommunity collegeが存在することは絶対に必要で、経営不振でどうにもならない大学が自主的にcommunity collegeへと改組するのであれば、それは歓迎されるべき話なのである。大体、社会から見たら、機能としては本来大学よりもcommunity collegeの方が重要になりつつあるのだ。

スキルアップの機会は米国では主として社外に存在するが、日本ではOJTという名の下に企業や役所の内部で実施される。ここがまた大きな問題の温床になるのだが、それはそこで身につけたスキルが他の会社では役に立たないことがある点である。また、その会社で行われるトレーニングで生き残った人しか存在しないので、肌が合わないと悲惨なことになる。そういった事態になったとき、受け皿が用意されていないのが日本の社会である。

米国の事例を中心に、スキルが高くない労働者をどう社会に馴染ませ、場合によってはスキルアップの手助けをすることについて書いてきたのだが、次はホワイトカラーについて考えていくことにする。

ホワイトカラーの労働環境に求められるのも、流動性である。実は、日本はホワイトカラーの多くがパーマネントの地位にあることが大問題なのだ。特に、年功序列によってスキルが不十分なのに高い地位にのぼりつめ、高い給料をもらっている人たちがお荷物なのだ。野球で言えば、40歳の大ベテランで、打率が1割、本塁打は0なのに、4番から微動だにしないようなものだ。監督が「ちょっと、ベンチに下がってくれないか」と相談すると、「それは判例で違法とされている」と言い出して交代を拒否する始末である。ここをなんとかしないと、本当にどうにもならない。空席ができなければ、次の人が座る場所がないのである。給料が高いのだから、能力不足を理由に解雇されるリスクぐらいは背負って欲しいものなのだが、日本はなぜかそうならない。安定と、高給の両方を既得権者が保持し続けるのが今の日本である。

ところで、ここで件の電通の自殺社員の話になる。あの社員はホワイトカラーではないのか、ということになるのだが、もちろん違う。彼女の場合、おそらく年収1000万円にはならないだろうし、自己の裁量で仕事量を決めることも不可能だった。これではホワイトカラーとは言えない。彼女は法律で守られるべきだったし、周囲からの配慮も受けられるべきだった。

ここで、三菱総研と中央官庁で働いた経験から、電通の仕事の難しさを書いておきたい。三菱総研と電通の仕事に共通する難しさは、「100点満点が存在しない」ということだ。どんなに努力しても、さらに時間をかければアウトプットが良くなる可能性がある。野球選手にホームランや完全試合のような究極の到達点があるのと違うところが悩ましい。そして、仕事はほとんど全て委託業務なので、客が納得しないならそれまでなのである。僕は経済産業省の役人としてシンクタンクを利用する立場になったこともあるのだが、その時に同僚から聞いた言葉は、「シンクタンクは生かさず殺さずだ」というものである。死なない程度に絞りあげろ、という意味だ。僕は広告代理店を使う立場になったことがないのだが、電通にとってのクライアントもおそらくこういう姿勢で、「広告代理店は生かさず殺さずだ」と考えているのだろう。発注者とすれば、少しでも長く受注者を働かせることが、アウトプットの質の向上につながる。本来なら、仕様書によってこのあたりの仕事の量と質を明確に規定すべきなのだが、受注の成否につながるので、仕様書はいい加減に書いておくのがこれらの業界の常でもある。おかげで作業はエンドレスになることが多い。相手を内容で満足させるのではなく、努力の量で納得させるのである。シンクタンクや広告代理店というとスマートなイメージかもしれないが、実際はこんな感じの古い体育会系の仕事だ。

「次の仕事」という餌をちらつかせられて、こき使われるのがこういった会社である。だからこそ、これらの会社の管理職は自己と、部下の管理が大切になってくる。不幸な事態は、全て人災なのだ。そして、社内での「使われる側」は、上長に対して常に「ノー」という準備が必要になってくる。一番難しいのは、このホワイトカラーと非ホワイトカラーの境界領域で、この間の調整は時間をかけて落とし所を見つけていかなくてはならない。そして、運悪く、自分の上司がこの調整作業がうまくできなかった場合は、まずは直属の上司にかけあい、それでもダメなら人事部にかけあい、やっぱり無理なら、辞めてしまえば良いのである。その時に重要なのが、「会社を辞めても、すぐに次の仕事が見つかる」という環境なのだ。

「つらい。やめたい」と漏らしている人がいたとき、「何いつまでもしがみついてんだよ、馬鹿だな。さっさとやめちまえ。何だったら、うちの会社の上司を紹介してやるよ。なんか、ちょうど人探してるみたいだから」と言ってあげられる社会にしなくてはならない。今は「私だけじゃなくて、みんな頑張っているから」と、孤立感を深め、一層のどつぼにはまっていくのである。

過労による精神障害と自殺の件数は、厚労省の資料によれば2015年度の決定件数だけでそれぞれ1306件、205件となっている。その背後には、発覚に至らないケースや、ちょっと手前で踏みとどまったケースが何倍も、あるいは何十倍もあるに違いない。そろそろ真剣に、労働環境の改善を考えたほうが良い。それは、労働者サイドから一方的に規制強化を唱えるのではなく、労働市場の流動化を目指して、解雇規制の緩和を含め、様々な角度から変えていかなくてはならないというのが僕の考えである。

米国が全てではないし、米国にも改善すべきところは多々ある。しかし、それ以上に、日本が米国に学ぶべきところはたくさんある。日本の古くからの習慣を良しとして、旧態依然とした労働市場を継続していることが、そのまま日本を世界の負け組に誘っていることに気付かなくてはならない。そして、その影響は、経済指標だけではなく、「過労による自殺者数」といった数字にも現れていると思う。  
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2016年10月08日

過労死した電通の高橋まつりさんのTwitterをざっと読んでみたが




と書いてあったので、証拠を色々読んでみた。

高橋まつり氏のTwitter
https://twitter.com/matsuririri

色々気の毒で悲しくなってくる内容だが、読んですぐに感じたのは、「最長月130時間」と書かれていた残業時間に対する違和感。

参考:24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定(産経ニュース)
http://www.sankei.com/affairs/news/161007/afr1610070012-n1.html

このスタイルだと、残業時間は200前後か、あるいはそれ以上だと思う。  

2016年10月07日

日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例

米国は車社会である。お金持ちでなくても、車を持っている家庭が多い。ワシントンDCのような都市部であっても、通勤を含めて移動の手段としては車を利用するのが主流派だ。ワシントンDCは全米各州の中で公共機関によって通勤する人の割合が最も多い州だが、その数は2006年で33.6%、ニューヨーク州だと25.1%である(2006 U.S. Bureau)。

そんな風に一般的な自家用車だが、もちろん、持っていない人もいる。かくいう僕も、車を持っていない。よくみんなから「なんで持ってないんだ」「不便で仕方ないだろう」と言われるが、別にそんなこともない。地下鉄やバスを乗り継げば大抵の場所へ行けてしまうし、それが無理でも、Uberを使えば何の問題もない。実は、今日もエステート・セールに行くのに、Uberを利用した。片道30分の行程で、料金は一人当たり12ドル程度である。公共交通機関を使うと片道8ドル程度、所要時間は1時間30分程度、徒歩も5分程度含まれているから、費用対効果はとても優れている。

日本ではタクシー業界のロビー活動によっていつまで経っても本格導入が実現しないUberなので、これがどんなシステムなのか、知らない人も多いかもしれない。まず、Uberについて簡単に説明しておく。

登録にあたっては、支払いの手段としてクレジットカードかpaypalの登録が必要で、実はこれが最大のミソになる。料金はルートや道の混雑具合に左右されず、事前に提示された額で一定になる。定額なのもさることながら、運転手も、利用者も、現金を扱うことがないので、強盗にあうリスクが激減する。

さて、実際に利用する際は、利用者はウェブサイトやアプリで、自分のいる場所と目的地、乗車人数を入力する。すると、候補になるUberの車種、運転手、料金の一覧、今いる場所までの所要時間が表示される。今のDCはいたるところでUberが走っているので、大抵2、3分で乗ることができる。これまでの経験では、一番待ったのが6分である。僕はいつも貧乏旅行なので、今日の場合は往路がプリウス、復路がデュークだった。なお、使ったことはないが、事前予約も可能だ。

乗車中は特にやることもなく、普通のタクシーと同じように乗っていれば良い。ときどき渋滞などがあると「渋滞がひどいので、遠回りだけど高速を降りて一般道で行ってもいいか?」などと相談されるが、「適切だと思うルートを選んでください」と任せておけば良い。

そして、目的地に到着したら、運転手に「Have a nice day」とでも声をかけて下車する。

最後に、今日の運転手について、アプリで星1つから5つまでで評価を入力して終了である。

今日はメリーランド州の最もDCよりの場所からヴァージニア州のViennaという街の住宅街まで、22キロの行程だった。

こんな便利なものはない。

このUber、日本では何度か導入が図られているのだが、その度に国土交通省からの指導やタクシー業界からの反対を受けて本格導入が実現しないでいる。安倍晋三首相も「過疎地などで」との条件付きによる導入を検討するだけで、京都での参入も山ほど制約が与えられた様子である。

ウーバー「縛りだらけ」の日本参入 タクシー業界抵抗
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ26I1Y_W6A520C1TI1000/

本格的な導入までは程遠い状況だが、その理由はこの日経新聞の記事を読めば明らかである。

本格参入されれば市場を一気に奪われる――。市議会議員への働きかけを強め、市は3月、実験予算を撤回する。


確かに、タクシー業界にとっては打撃かもしれない。しかし、運転手にとっては特に打撃でもないはずだ。自分も、Uberの運転手になれば良いだけのことである。自己紹介で「タクシー運転歴・・年」などとキャリアをアピールすれば良い。

富田昌孝全国ハイヤー・タクシー連合会会長は「白タク解禁や合法化の動きにはいかなる妥協も条件付き容認もない」と言い切る。


このコメントなんかも、既得権の主張丸出しで笑える話である。要は、「理屈なんか関係ない。誰がなんと言おうとダメだ。理由は俺たちが貧乏になるからだ」である。これがまかり通るところが日本なのである。

事業者の都合が優先されたままでは、日本の消費者の利便性は置き去りにされる。


置き去りにされているのは上にも書いたように、消費者だけでなく、労働者も、なのである。

ことほどさように、日本社会は社会主義性が非常に強い。そして、競争を導入しようとすれば、既得権者達が猛反対する。

先日、ノーベル賞の受賞が決まった大隅良典さんも、東工大での講演で

「日本の大学の基礎体力が低下しているのは深刻な問題」と指摘。研究費の多くが競争的資金になると長期的な研究が困難になるとし、今後、新しい研究分野で日本人がノーベル賞を受賞するのは「非常に難しくなっているのではないかと危惧している」

「日本人受賞で浮かれている状態でない」 大隅さん講演
http://www.asahi.com/articles/ASJB761JLJB7ULBJ019.html

と述べたようだが、これなども既得権者側のポジション・トーク色が濃いと言わざるをえない。この辺の事情については「ノーベル賞の使者」というエントリーで解説したとおり、すでに大隅良典さんもあちら側の人なのである。

総統閣下はお怒りです「ノーベル賞の使者」
http://buu.blog.jp/archives/51432975.html

こういう講演があると乞食みたいな学者やその予備軍が大絶賛するので海のこちら側から見ていると猿山の猿に餌を投げ込んだみたいな状況で失笑を禁じえないのだが、日本にいる人たちにとっては他人事ではあるまい。それどころか、多くの日本人は日本人のノーベル賞受賞というのをめでたがって、もっと研究費を増やすべきだと大隅さんの講演に同調しているかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、世界中で最もノーベル賞を獲ってきているのは、大隅さんがまさに批判している競争的資金を広範にわたって導入している米国なのだということだ(2014年で、日本の競争的資金は3500億円、米国は2002年で300億ドル)。

競争は悪、というのは弱者の理論で、社会主義的な発想である。もちろん、競争のすべてが正しいわけではないが、先日例に挙げた敦賀市の例を見ても明らかなように、既得権者たちは大抵堕落するし、グルーバルな視点からの競争力は下落する。そして、業界は不活性化し、公的な支援が必要になっていく。公的支援の主たる原資はもちろん税金である。

敦賀の住民のマインド
http://buu.blog.jp/archives/51531979.html

国に支援を要求する人たちが既得権者の場合は、納税者はきちんと厳しい目で精査する必要がある。役人任せではダメなのだ。たとえばタクシー業界と国土交通省はグルだし、ノーベル賞受賞者の多くと文科省はグルなのである。こうした癒着も、日本をダメにした大きな要因であることを知っておく必要がある。

参考:今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について
http://buu.blog.jp/archives/50339835.html
(日本における大型予算の決まり方について記述)  
Posted by buu2 at 18:41Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年09月28日

国立がん研究センターと日本たばこ産業株式会社の対決

国立研究開発法人国立がん研究センターが「受動喫煙によって肺がんになるリスクは1.3倍ですよ」という論文を出し、それに伴って受動喫煙のリスク評価が「ほぼ確実」から、「確実」へ変更され、がん予防のための行動ガイドラインを、他人のたばこの煙を「できるだけ避ける」から“できるだけ”を削除し「避ける」へ文言変更した旨リリースを出したのが8月31日である。

受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍
肺がんリスク評価「ほぼ確実」から「確実」へ
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160831.html

これに対応して、JTの社長が「過去に実施された日本人を対象とした疫学研究論文から9つの論文を選択し」とか、「JTは、本研究結果だけをもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づけることは、困難であると考えています」とか、「疫学研究だけの結果をもって喫煙との因果関係を結論付けられるものではありません」とか、「科学的に説得力のある形で結論付けられていない」とか、コメントを発表したのが同じく(!)31日である。

受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/opinion/fsc_report/20160831.html

そして、このJT社長のコメントを捻りつぶすようなリリースが出たのが約一ヶ月後の9月28日である。

受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html

JTの社長が脊髄反射的にコメントを出したのも笑えるのだが、それに対してずっしりと体重が乗ったダブル・クロス・カウンターを繰り出したがん研究センターである。時間をかけてじっくり検討したと想像できる反論は非常に科学的である。

JTは今度はどんなリリースを出すのか、いつ出すのか、今から楽しみで仕方がない。あしたのジョーなら、トリプル・クロス・カウンターが決まると致命的なんだよね。ホセ・メンドーサは倒れなかったけど。

ちなみに、今の時点での僕の採点は10−0で「がんセンター勝勢」です。  
Posted by buu2 at 16:12Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年09月14日

敦賀の住民のマインド

いよいよもんじゅの命運が尽きそうな雲行きである。

稲田防衛相、「もんじゅ」廃炉に前向きな考え示す
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160913-00000155-fnn-pol

これに関連して思い出すのが、敦賀でのコンサル案件である。そのとき、顧客から聞いた話は、こんな内容だった。

敦賀市には競争がないのです。お金は国からどんどん降ってきます。だから、私たちはそれを仲良く分配するだけなのです。仕事は、みんなで順番にまわしていきます。競争がないから、価格が下がることもないし、広告にお金をかける必要もありません。上から降ってくるお金を順番にわけているだけで、みんなが良い生活ができて、本当に平和なのです。


お前ら、それは、敦賀市以外では談合っていうんだよ(笑)。

まぁ、もんじゅが廃炉になっても、まだまだお金は落ちるんだろうけどね。  
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2016年08月30日

マンホールの蓋 新横浜編

マンホールの蓋って全然注目した事がなかったけど、きっといろんなデザインがあるんだろうね。


  
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2016年08月20日

朴柱奉(パク・ジュボン)バドミントン日本代表ヘッドコーチについて

今日は韓国人のファミリーを自宅に招いてのパーティだった。和風からあげ、和風カレーライス、和風ハンバーグという、純日本料理とは言えない手料理の数々でもてなしたのだが、料理は総じて好評だった。一番日本を味わえるはずの土鍋炊きのご飯と、昆布と鰹節でちゃんと出汁を取った味噌汁が、料理の数々の陰に隠れてしまったのはご愛嬌というもの。

例によって大量のビールを飲みながら会話していたのだが、ちょうど聞きたいことがあったので、質問してみた。それは、日本バドミントンチームのヘッドコーチをなぜ韓国人がやっているのか、ということだった。

彼の回答はおおよそ次のような感じだった。

韓国は、これまでバドミントンで非常に良い成績を残してきた。たくさんの五輪メダルも獲ってきた。そのおかげで、韓国にはバドミントンの英雄と評されている元選手がたくさんいる。今の、韓国代表チームの監督もその一人だ。日本の代表ヘッドコーチも、韓国では英雄とされている元選手で、僕は彼の名を冠したラケットを使っている。

日本において、柔道界には金メダリストがたくさんいるので、元選手の中には海外のチームの監督としてその手腕を発揮している人がいてもおかしくない、というのと同じなのだろう。

それにしても、朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチの手腕はすばらしい。2004年にヘッドコーチに就任後、着実に日本チームの成績をアップさせてきている。かなりのスパルタ式のようだが、日本人のマインドにはフィットしているのだろう。シンクロの井村ヘッドコーチが、同じようにスパルタ式で成果をあげていることからも、スパルタ式のコーチングが日本選手にフィットしていることは想像できる。

いつの日か、朴ヘッドコーチも井村氏と同じように母国に戻り、母国の選手のためにその手腕を振るう日が来るのかもしれない。それまでの間は、ぜひ日本チームのために頑張って欲しい。

ワシントンDCで暮らしていると、韓国だけでなく、ジャマイカ、ウクライナ、ペルー、ブラジル、エチオピア、イラン、パキスタン、バングラデシュ、ガボン、マリ・・・と、日本で暮らしていたらほとんどコミュニケーションをとる機会のない人たちと色々と会話できる。旅行でも会話ぐらいはできるかもしれないが、実際に生活しているのとは機会の数も、会話の密度も変わってくる。世界は米英仏独だけではないことを知ることができて、とても刺激的だ。同時に、日本社会は本当に均質で、閉鎖的だと感じる。50歳近くになっても海外に出てみて本当に良かった。  
Posted by buu2 at 18:17Comments(0)TrackBack(0)ニュース

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2016年08月12日

鳥越俊太郎版、敗軍の将の弁

鳥越俊太郎氏が敗軍の将として色々語っていたので読んでみた。

「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

以下、引用しつつコメント。

自分が出なかったら、ひょっとしたら後で後悔するかもしれない


一番は、都民のためじゃなくて自分の気持ちが理由だったということ。

テレビ番組のアンカーをやっていた時も


テレビ番組のアンカーと都知事が同じだと(笑)

新聞記者の時だってそう


新聞記者と都知事が同じスタンスで良いなら、産経新聞の記者でも都知事ができてしまうわけで。

急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきている


こんな人が都知事にならなくて良かったですね。

僕はペンの力なんか全然信用していません


ジャーナリストって、基本はペンで戦う人たちなんじゃないの?

痴漢してないということをどうやって証明するかというと、できない


いや、結構なところまではできると思うんですが。

「この人がこう言っている」というだけで載っちゃうのね


全然ダメなはずのペンにやられたと(笑)

僕はそれで行くしかないと思っていた


この記事の中では珍しく、自己の判断に責任が帰着したところ。判断はまずかったと思うけど(笑)

説明責任というのは美しい言葉だけど、実際にはこれほど難しいことはない


難しいからといってみんなが説明責任を放棄したら、それはそれで困りますよね。特に自治体の首長とかは説明責任を果たすことが重要で。

僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない


それはそれで一つの見識だけど、そういう姿勢ってこうして発言しなくてもちゃんとニコ生のファンには伝わるわけで、それが敗因のひとつでしょうね。

あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ


また、ペンに負けている(笑)

あんなのおかしいじゃないですか


同意を求められてもねぇ。

全く関与していない


他人の判断だと。

候補者が何でも知っていて、何でも決めていると思うだろう?


何でもとは思わないけれど、重要な判断は自分でしないとね。それに、何も知らないとしても、判断には責任を持たないと。たとえば都知事が行政判断について「都知事が何でも知っていて、何でも決めているわけではない」と開き直って責任を放棄してしまうなら、議会も、都職員もついてこないよね。首長って、要は最終責任者だから。

それは僕ではなくて、選対の判断だから


でも、それは判断を選対にまかせたこの人の責任。

選対の部分でカットしているから、なぜか僕は全く知らない


悪いのは全部選対(笑)

相手に聞ける質問なんて、1問が限界


数少ない時間を使ってネガキャンをやるのが作戦じゃあなぁ。その作戦を考えたのは選対かもだけど(笑)

俺は知らなかったの。ニコニコから話が来ていたなんて


悪いのは全部選対(笑)

僕は何も知らない


悪いのは選対だけど、そこの責任者については何も知らない、と(笑)

僕は全くノータッチだから


この人は一体何をやっているのだろう?

ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている


えーーーと、この人、オーマイニュース(ネット新聞サイト)の初代編集長だったんですが(笑)。まぁ、潰れたんですが。


総じて思うのは、徹頭徹尾「悪いのは私ではない」というスタイルで、都知事にはふさわしくないということ。これなら無能だけど責任は取る人や右翼だけど責任は取る人の方がまだマシ。これから都政がどうなっていくのかはわからないけれど、少なくとも鳥越俊太郎ではダメだったということはわかった。  
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2016年08月05日

稲田朋美がなぜキモいか

ウィキペディアから引用しつつ、書いてみます。

夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった


産経新聞かよ。いきなりキモい理由がわかった。でも、これじゃぁブログの記事としては貧弱なので、続けます。

「南京虐殺の象徴とされる百人斬りは虚偽だと立証できたと思っていた」が最高裁では棄却されている


自分に都合の良い解釈をするんだよね。それで、裁判で負ける。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と述べている


そんなところとは知らずに何度もお花見やっちゃったよ。ところで、「何か」って、何?

検閲の意図は全くないが、政治的に中立な映画かどうかは若干の疑問を感じた


事実上の検閲だろ。これが検閲じゃないなら、検閲を定義しろよ。

大江の記述には合理的根拠が認められ、書籍発行時において大江が「真実であると信じる相当の理由があったと言える」とされ敗訴した


また負けかよ(笑)。

「河野談話」に対する個人的見解として、慰安婦制度に「強制性はなかった」と述べている


裁判やったら5分で敗訴(笑)

「成人にも悪影響を与える暴力的なコミックと過激なゲームソフト」がある


こういう思い込みがキモい。

「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない」


これもキモい思い込み。

男女共同参画社会基本法について「おいおい気は確かなの?と問いたくなる」「女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」と述べている


法律を読む限りでは男女の取り扱いに差異はなく、能力が劣っている女性を登用すべし、という主旨の内容にはなっていない。

参考:男女共同参画社会基本法
http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html

尊属殺人規定の復活を主張している


なんか、理屈ではなく感情的にキモい。

「『最高裁から(判決が)出たんだから変えるのは当然だ』という無責任な考え方で改正をしてもらっては困る」と反対意見を展開


この人、憲法(との整合性を判断する最高裁)と対立できると勘違いして政治家になったのか?この裁判では、国籍法が違憲だから改正せよ、という判決だったのだが。不満なら弾劾裁判やれよ。

日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき


もう、この辺が決定的にキモい。

真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること


ひぃーーー。まずはお前の息子を差し出せよ。

保育所増設の政策などを見ていると『ほんとに母乳を飲んでいる赤ちゃんを預けてまで働きたいと思っているかな』と疑問に思う


働きたいんじゃなくて、働かなきゃ、育てられない人もいるだろうに。色々な立場や可能性に配慮できない視野の狭さがキモい。

『女性初の宰相候補という「稲田朋美」政調会長の地元の疑惑』(2015年4月2日号)について“載せるなら法的措置を採る”と通知して来た夫・龍示が「記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ」と評された(2015年4月9日号)事について名誉毀損で提訴したが、大阪地方裁判所は「内容は論評の域を出ていない。新潮の言うような対応が為されたことは事実」として訴えを却下


全盛期の阪神並みに裁判に弱い。

2016年3月11日、大阪地方裁判所は、サンデー毎日の記事の内容が真実であり公益性があるとして、稲田側の請求を棄却した


連戦連敗(笑)。

あぁ、キモかった。結局、ずれた思い込みが激しくて、自分が正義だと思って裁判をやっては負けるというのを繰り返しているんだよね、このキモいおばちゃんは。櫻井よしこも、福島瑞穂もキモいけど、負けず劣らずキモいよな。  
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2016年07月12日

タレントが売るものと、春日匠という馬鹿について

石田純一の都知事立候補にあたり、こんなニュースがあった。

石田純一「数日で何百万、何千万」出馬表明で違約金
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160709-00000130-nksports-pol

この記事に対して、Facebookの友達である平川秀行氏が「政権に対して批判的立場で立候補をほのめかしただけで社会的に袋叩きにされる」という意見を表明していたのだが、果たしてそうだろうか。これまでに企業や特殊法人の広報を担当し、何人もの芸能人のウェブサイト運用を手伝い、政治家が運営するネットテレビ局の運営の手伝いをし、ネットテレビ局のメインキャスターとして1時間の生番組を週二回、2年以上やってきたりした実績をもとに、主として「タレントのイメージ」について考えてみる。

CM出演料を出す立場が一番偉いし、主役でもあるので、まず広告主の立場からタレントのイメージを考えてみる。CMは広告主のイメージを決定づける重要なコンテンツなので、それに出演する俳優には少しでも良いイメージを持っていて欲しいのは当然のことである。誰が好き好んで悪いイメージのタレントを使いたがるものか、ということだ。また、大抵の場合はCMに出演するタレントはすでに何らかのカラーが付随しているので、そのイメージが自社や商品のイメージに合致している必要がある。たとえば吉高由里子なら三井住友のカラーがついているので、他行の担当者は起用しにくい。

#というか、それ以前に三井住友から「他行とそのグループのCMには出てはいけない」という制約がつけられているはずだ。

そして、出演するタレントには、CMを流している間中、余計なカラーがつかないことを要求する。清廉なイメージがあるからといって起用したタレントが、CMを流し始めた後に消費者金融やパチンコのCMに出てしまったら、「え?」となるはずだ。そして、こうした事項については、契約書で「イメージを損なわないように」と抽象的に書かれているはずだ。なぜなら、個別具体的に「これはダメ」と書く形式だと、漏れがある可能性があって「これは書いてないからオッケー」と曲解されてしまうリスクがあるからである。これは契約業務では非常に一般的な話で、主契約書は曖昧に書いて、あとは覚書にまわしたり、別途相談としたりするのが当たり前である。このあたりは企業の代表として弁護士を含めて契約業務をやったことがある人なら誰でも知っているはずだ。

また、イメージを損なう可能性がある活動を希望する場合には、両者で事前相談する旨、主契約書に記載されているのもほぼ間違いない。ちなみに、「可能性のある事項」は広告主が求めるイメージ次第で、ライザップなら太らないとか、独身っぽいイメージが売りなら結婚しないとか、保険会社なら交通事故を起こさないとか(これはわざと事故を起こすはずがないので、不可抗力で事故が起きないように、最初からハンドルを握らないことになったりする)、お酒のCMなら妊娠しないとか、山ほど想定されるし、わざわざ記載しなくても、犯罪を犯さないといった条件も言外に含まれているはずである。

そうした様々な条件と引き換えに、広告主はタレントに対して高額の契約料を支払うことになる。若いタレントでも数千万円単位の契約料をもらえる背景には、こうした様々な制約が存在する。彼らが売っているのは、イメージそのものであり、イメージが商品なのだ。

次に、CMに出るタレントの視点から考えてみる。タレントにとって、イメージは最も重要な要素である。たとえば一度ダイエット食品の広告に出てしまったら、食いしん坊万歳には出演しにくくなるだろう。CMに出て無色透明でいられるはずはないので、今後、そのタレントをどういうカラーで売っていくのかについて、タレントと事務所で相談して、出演CMを慎重に選んでいくことになるはずだ。

前述の吉高由里子で言うなら、今では三井住友のカードローン、みたいに決して良くないカラーがついてしまった。一度定着したイメージはなかなか払拭できないので、「当分これでやっていく」という覚悟も求められる。このように、タレントとしてもCM出演は冒険になる。

テレビ局のサイドから見たらどうだろう。中立で不偏不党と思っていた、自局の番組のCM出演者が突然都知事選挙に立候補してしまえば、困ったことになる可能性も少なからずある。たとえば報道ステーションのCMなら、視聴者だって「あれ?この番組は特定政党に偏った番組なの?」となる。さらに、実際に立候補した場合は、選挙期間中にCMを流すことができなくなる。これはCM出演者側の自己都合なので、テレビ局には何の落ち度もないが、代わりに何かを流す必要が生じて、その手配はテレビ局と広告代理店の仕事になる。

こうしたもろもろを調整するのは、有名タレントの場合は主に広告代理店やタレントの事務所だろうが、彼らとしても余計な仕事が増えることは間違いなく、少なくとも事前にちゃんと相談してくれよ、という話である。

さて、ここでタレントが野党の統一候補として(別に自民党・公明党の候補でも構わないが)都知事選に出馬したらどうなるか。そのタレントがそれまで政治的に無色透明であれば、広告主たちは椅子から転げ落ちるほどにびっくりするだろう。都を二分するような政治的課題が存在するなら、大雑把に見ても、都民の半分からは反感を買うことになる。それまで0のイメージだった人たちが、プラス100とマイナス100に分かれてしまうことになる。2ちゃんねるなどを見ていてもわかるように、日本ではポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが表出しやすい傾向があり、企業はこのネガティブなイメージを非常に恐れる。

また、石田純一の場合も該当するが、これまでにも多くの政治的発言を繰り返していたタレントや、あるいは石原良純のように親や兄弟に特定政党の政治家を持つ人間だとしても、立候補するとなればそのカラーは決定的になる。曖昧なカラーと決定したカラーは大きく異なる。職業として政治家を選ぶのであれば、曖昧なカラーではありえない。

繰り返しだが、CMタレントが売っているものは「イメージ」そのものである。一般論でいえば、政治や新興宗教はイメージが売り物のCMタレントにとって最もtouchyな話題である。主義主張や信仰がだめなのではなく、それが明確化することが広告主から敬遠される。人権がどうとか、そういう話ではなく、そういうものであって、嫌ならCMタレントとして経済活動をやるべきではないのである。

つまり、今回の石田純一の立候補示唆は、自民党に批判的な立場だったから疑問を呈されたのではなく、おそらくCMに出演しているタレントとして、ビジネスパートナーから契約違反を指摘されたに過ぎない。また、この文章ではCMについて書いてきたが、ワイドショウのコメンテーターとしての出演などでも事態はほぼ同じである。

ここまで書いてきたことはほとんどが一般論である。個別具体的には実際に石田純一が交わしている契約書の内容を精査する必要があって、それは弁護士や裁判所の仕事である。この辺は法律やら契約やらの話で、政治とは関係がない。もともと石田純一の場合は脱原発を明確にするなど反自民色を明確にしているタレントなので、「主張が反自民党だから」という理由だけで違約金がどうのこうのという話に発展するとは考えにくいところがある。

今回の事象は芸能界の一般的なルールから外れているので、違約金が発生するかもしれないという石田純一の発言を以って「反自民だから」とやらかすのは被害妄想に感じられる。良いものは良い、ダメなものはダメと冷静に、是々非々で判断する必要があって、そういう視点がないと、「あの人はちょっとおかしい」と疎まれてしまう。そうした溝がどんどん深くなると、今の社民党のように孤立無援になっていく。

僕は平川氏に対して「通常の契約なら禁止事項や事前調整の必要性についてはきちんと明記されているはずで、その契約内容の確認もなしに「これはひどい」と喧伝するのはヒステリーに見えます」と書いた。もちろん、精査してみれば平川氏の指摘するような事態が背後には存在するかもしれない。しかし、現段階では、常識的にみておかしいのは石田純一の方だ。そして、ただでさえ叩かれやすいのが政治家である。その余地をふんだんに残したままで立候補を示唆したことは軽率と言えるだろう。

#今回は、この話題について僕が経産省時代に省庁横断的委員会を開いたときの委員だった平川氏と話している最中に、呼んでもいないのにカスが小じゃなく春日匠とかいう馬鹿がスレッドに乱入してきて、「奴隷制につながる契約や臓器売買を前提とした契約と同等で無効であるべきだ」とか書いてきて呆れたのだが、この馬鹿は恐らくこれまで民間企業同士の契約業務を担当したこともなければ、広報活動のプロとして社会活動もしたことのない脳みそお花畑の人物であろう。臓器売買と政治家立候補禁止が同列って、どこかに似たようなタイプがいたな、と思い返してみたら福島瑞穂だった。Facebook上の公開されたやりとりなので横から会話に参加してくること自体は何の問題もないが、どこの誰とも知れない人物が、主張の背景すら表明せずに馬鹿を晒すのは迷惑行為である。やりとりをキャプってこのブログで紹介しようとしたら「ツイッターでやってくれ」とか言ってくるし。以前、キクマコ氏の取り巻きに粘着されてから、ああいう匿名メディアでは時間の無駄だから議論はしないんだよ。目障りな奴はどんどんブロックするけれど、その手間までもが馬鹿らしいから、こういう馬鹿とは関わらないに限る。僕の中には馬鹿リストが存在していて、榎木英介とか、内田麻里香とかが該当するのだが、春日匠という名前も追加しておいた。小物すぎて全然知らないけど(笑)、これとこれは同じ、と言いながら月とスッポンほども違うものを列挙する奴にまともな奴はいない。

歌手が、「コンサートで歌う約束をしたけれど、歌を歌いたくなくなったので歌うのはやめるって言ったら、『もうチケットを売っちゃったので損害賠償だ』って言われた」とか言いだしても、「本人が歌いたくないって言ってるんだから、無理やり歌わせるのは人権侵害だ。それは臓器売買を前提とした契約と同じだ」とは言わないでしょ?(こっちは上手な類似事例の提示だな(笑))

なんで科学コミュニケーション関連ってろくでもない奴が大勢いるんだろうね?あ、日本の科学コミュニケーションって、科学のメインストリームで使い物にならない奴らの受け皿だから?

ともかく、アベノミクスは馬鹿だし、自民党の憲法草案も馬鹿だし、安保法も馬鹿だし、安倍晋三も馬鹿だけど、批判すべきところと批判すべきではないところはきちんと見分ける必要がある。クソも味噌も一緒にしてしまうようなら、「あいつは電波だから」と一括りにされて、正しい主張も埋もれてしまう。

あと、専門的な話には、ど素人は付け焼き刃の知識で首を突っ込まないほうが良い。ちなみに僕は慎重なので、この文章も公開前に広告代理店の知人に「おかしなところはない?」と問い合わせ済みである。回答は「その通りだし、何の問題もない」であった。

関連エントリー
科学コミュニケーションの向かうべき方向
http://buu.blog.jp/archives/51426321.html

急募!「まともな」サイエンス・コミュニケーター!
http://buu.blog.jp/archives/51245931.html  
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2016年06月30日

岡口基一氏の一件は日本人を試すリトマス試験紙である

岡口基一裁判官が素晴らしいと書いたのだが、これは本能的に「あ、この人は超一流だな」と感じたからである。

参考エントリー:朝日新聞に載った岡口基一裁判官が素晴らしい件
http://buu.blog.jp/archives/51527002.html

そのあと、岡口氏のTwitterをさらに詳しく読みながら色々と思ったことを追記しようとしていたら結構な分量になったので、追記ではなく新しいエントリーとして書いてみる。

僕たちはまず、岡口氏がなぜ実名顔出しでつぶやいているかを考えてみる必要がある。「一種の露出狂だから」という考え方もあるとは思うが、僕はそうは思わない。彼の行動原理は、一種の性的マイノリティ(なのかどうかも不明だが)の立場から、その存在の権利を主張することに見える。もちろん個人的趣味はあるのだろうが、同時に社会に対して問題提起している色合いを感じる。

「面白い写真をアップしたい」と思った時に、一瞬でも「でも、社会的に良いのかな?」と確認するフェイズがあるはずで、その上で「やっちゃえ」と思わせる何かがあるはずだ。

僕はかなり前に「マツコ・デラックスはメディアには珍しく非常に良識的な人間である」と書いたことがあるのだが、マツコと比較的近い立ち位置の人物に見える。では、岡口氏の提起している問題とは何か。

大前提として、彼の行動は全くもって合法であり(それは、裁判官という極度に専門性の高い職業の人間が続けていることからも明らかだろう)、何ら処分に値するものではない。この点はきちんと把握しておく必要がある。今はやりの、「違法ではない」というやつだ。

それでもなおこうして新聞記事になったりするのは、彼の行動が一般常識、いわゆる日本人の常識の外にあったからだろう。これもはやりの「不適切」というやつだ。最近ネット内では「マスコミは舛添を叩きすぎ」という意見が散見されたのだが、これとは似ているようでいて、大きく異なる。舛添氏は原資が税金のお金をちょろまかしていた疑惑があったにも関わらず、それをきちんと説明しなかったからこそ、辞任に追い込まれたのである。彼の使い込みの調査にあたり、”彼が選任した彼にとって都合の良い第三者”ではなく、むしろ彼を告発したい立場の弁護士らが調査していたらどうだっただろう。それでもなおシロで、担当した弁護士たちが記者会見で苦渋に満ちた表情を浮かべながら「かなり綿密に調査したのだが、残念ながら違法とも、不適切とも言える出費は発見できなかった。力及ばずで申し訳ない」と頭を下げていれば、おそらく舛添氏はリオ五輪を満面の笑みで奥さんとともに都知事として訪問していたはずだ。舛添氏がだめだったのは、あくまでも自分が決めた行司によって、自分の土俵で相撲を取り続け、物言いがつこうが何しようが耳を貸さず、最後まで説明を拒否し続けたからである。一方で、岡口氏はそういった不始末は一切行っていない。ただTwitterにパンツ一丁(水着?)の写真を載せたり、「フル勃起」と書いたりしただけである。

では、これが裁判官としてふさわしいか、ふさわしくないか、ということなのだが、岡口氏は別に裁判官としてこれをやったわけではない。裁判所で突然法衣を脱いで白ブリーフ一丁になったとか、判決で突然「被告は犯行にあたりフル勃起で」と述べたわけでもない。Twitterのアカウントプロフィールにも、高裁の裁判官であることは記載されていない。したがって、ふさわしいか、ふさわしくないかを議論する以前の状態なのである。例えば僕はライブログ社の社長としてこのブログを運用していて、このブログはすなわちライブログ社の公式見解とされても文句は言えないのだが(実際には取締役会にかけているわけではないので、公式見解ではない)、岡口氏のTwitterはそういった色合いではない。「東京高裁の裁判官の公式Twitter」ではないし、それを示唆しているわけでもないのだ。

これが問題だと司法組織がいうなら、僕たちは司法組織自らが表現の自由の侵害を行っていることにこそ、問題意識を持つべきだと思う。

今回の件は、性格からいって週刊誌が飛びつきそうな話だが、おそらくちょっと調べれば、叩くべきは岡口氏個人か、彼が所属し問題と考えて処分した組織か、どちらなのかはすぐにわかるはずだ。これは、日本社会と、マスコミに対するリトマス試験紙である。これだけ話題になっているのだから、早晩、どこかの週刊誌が記事にするだろう。そのとき、僕たちはそのメディアが一流なのか、三流なのかを知ることができる。

僕は、岡口氏を叩く人やメディアの側に立つことはない。

どこかの三流メディアや頭が悪い政治家あたりが岡口氏を叩くなら、司法組織はこれ幸いと彼を取り除くことに全力を挙げるだろう。そして、それを実現するまでにはそれほど長い時間がかからないはずだ。では、そうなったとき、困るのは誰なのか。少なくとも、岡口氏が困るとは到底思えない。今の地位に就くまでに彼の行動が組織に知られていないはずもなく、それでも今の地位にある以上、岡口氏の実力は相当なものだ。ちょっと考えただけでも、「5時に夢中」のようなメディアが放っておくとも思えない。「本当に日本社会はレベルが低いな」と嘲笑しつつ野に下るのではないか。弁護士をやって日銭を稼ぎ、コメンテーターとしておもしろおかしく生きていけば良いのである。大きな損失は、僕らのサイドにある。

日本は「出る杭は打たれる」と啓蒙し、「由らしむべし知らしむべからず」という理念で庶民を均質化し、飼いならしてきた。この状態は、昭和40〜60年代のように順調に回っているうちは好循環が続くのだが、ひとたびネジが外れると対応能力が非常に低い。僕の専門領域である生物で言えば、均質化された生態系は災害耐性が低いというのと同じである。多様化した生物相ならインフルエンザがはやっても、かかる人もいればかからない人もいるのだが、みんなが同じ遺伝情報を持っていたら、全員が罹患して絶滅してしまう可能性もある。

米国に住んでいると強く感じるのだが、日本の社会は高度に均質化が進んだ社会で、そのデメリットの顕在化が、今の低成長社会だと思っている。

「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として有名な中島誠之助氏が「鑑定のカチマケ」という本で加藤唐九郎(加藤嶺男氏の父)に言及した際に「まともな人間には、やはりいいものは作れません。ちょっと変わっていてアブノーマルなくらいでなければ、天才的な作品は生み出せない。今はアブノーマルを全部排除するような方向へいっているから、完備はされているけれども面白味のない、つまらないものばかりの世の中になっています」と述べているのだが、岡口氏もこういうタイプの人間の一人だと思う。

均質化した日本社会において、岡口氏は明らかに異端者である。しかし、違法でもなければ、不適切でもない異端者だ。彼を排除すべしと主張する人がいれば、僕たちが排除すべきは表現の自由を侵害しようとしている側、すなわち彼を排除しようとする側である。彼のような異端者が司法組織にいることを、僕たちは喜ぶべきだし、少しでも長く彼にそこにいてもらえるように努力すべきだ。彼のような人材が司法組織の上層部に立てば、司法制度改革の失敗をきちんと評価し、反省し、望ましい司法制度に改革してくれるかもしれない。今の司法組織では、口が裂けても司法制度改革が失敗だったとは言わないだろう。

岡口氏は、日本の司法における新たなる希望なのだと思う。

今回の新聞記事や岡口氏のTwitterを読んで、「気持ち悪い」と少しでも思ったのなら、良いチャンスでもある。そういう人は、すでに日本型の洗脳社会に無意識のうちに取り込まれている可能性がある。多様な価値観の存在を認めず、異端を排除しようとしてしまう自分に気がついたのなら、階段を一段上に登ることができるかもしれない。

岡口氏の真意は、多様な価値観を許容するのかしないのか、そのための議論を生むところにあると思う。「そんなのは結論明々白々ではないか」というかもしれないが、理性と感情は違う場所にある。長い年月によって刷り込まれたものは、感情に反映され、マスメディアによって視覚化される。これから1、2週間、ワイドショーや週刊誌がこの件をどう扱うか、あるいは無視するか、興味深く見守りたい。


<見つけ次第追記>
こちら側だった事例
(1)日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/184599

(2)週刊ポスト
「ネットのバカ 現実のバカ」で肯定的に掲載

(3)中川淳一郎
2の著者

あちら側だった事例
(1)江原啓之氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp0-160629-0053.html

(2)美保純氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判

(3)東京スポーツ
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/559455/  
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2016年06月28日

朝日新聞に載った岡口基一裁判官が素晴らしい件

ネットサーフしていたらこんな記事を見つけた。

高裁裁判官、ツイッターに上半身裸の写真投稿 厳重注意
http://www.asahi.com/articles/ASJ6W51FFJ6WUTIL02B.html

なんでも、

自身のツイッターに縄で縛られた上半身裸の男性の写真などを投稿した


とのこと。別にこのくらい構わないだろ、それにしてもどうしてバレたんだ?と不審に思い、件のツイッターアカウントを調べてみたら、実名顔出しで堂々とやっていた。

https://twitter.com/okaguchik

これは素晴らしい。

それで、謝罪のつぶやきを探しながらつらつらつぶやきを読んでいくと、どれもこれも、至極まっとうな内容である。ということは、問題になったつぶやきも確信犯。つまりは、件の謝罪も本人的には全く謝罪の意図などなく、「上司が言うので仕方なしに謝罪しておきます」という感じ。最近時々見かける、馬鹿な学生やフリーターが勢いで露悪的な写真を載せて炎上するのとはレベルが全く異なる。逆に、こうして記事になることによって、自らの信条を世間に訴えている。

通り一遍の謝罪こそしても、「何が問題なんだ。法律に照らしても何も後ろめたいことはない。仕事だって、やるべきことはきちんとやっているぞ」という主張がストレートに伝わって来る。このあたりの、「どこまでがオッケーか」の判断も素人には難しいところがあるのだが、そこはさすが本職。同時に自信もみなぎっている。

僕は10年ぐらい前に「出すぎた釘は打たれない」という話を東大でしたことがあるのだけれど、岡口裁判官はその典型例だろう。誰にでもできることではなく、また性的に潔癖すぎる村社会日本では非常に難しい行動でもある。尊敬に値するとはこのことだ。朝日新聞の記事で「馬鹿だな、こいつ」と思われるべきは戸倉三郎・高裁長官の方である。

#実際には、戸倉長官ですら内心は「全然構わないけど、上がうるさいからとりあえず謝らせておけ」と思っているかもしれず、真の馬鹿はもっと別のところにいるかもだが。

ということで、早速岡口裁判官のツイッターアカウントをフォローしておいた。  
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2016年06月27日

今の日本の女の子達は本当にお気の毒

名古屋市がせっかく良い調査を行ったのに、馬鹿がいるおかげでその結果を公表できなくなった様子。

正しくは「速報と変わらず因果関係なし」
名古屋市子宮頸がんワクチン副反応疫学調査「事実上撤回」の真相
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7148

名古屋市は名古屋市で情けないのだが、本当にこの国のバカ達は始末に負えないと暗澹たる気持ちになる。科学をまともにやったことのある人間で子宮頸がんワクチンに反対する奴がいるのだろうか?もちろん、「生涯セックスしない」という対応策もあるし、ちゃんと毎年検診を受けて早期発見に努めるという対策もありうるから絶対に必要なことでもないのだが、今の日本ではワクチンは危険という意見がマジョリティということなのかな?それとも、ノイズィマイノリティへの対応が面倒臭すぎて黙っているの?

それにしても、「科学的な成果」をなかったことにしちゃうって、何なんだろう。

一般の生活者、特に女児を持つ親達がワクチン接種のリスクと子宮頸がんになるリスクをきちんと評価できているのかとても疑問なのだけれど、有識者は「もう本当に面倒臭いので、あとは行政にまかせておこう。自分が子宮頸がんになるわけじゃないし」という考えなのかな。

ま、僕も子宮頸がんになるわけじゃないんだけどね。今の日本の女の子達は本当にお気の毒だと思います。健康食品みたいにバカだとお金を損するというのに比較すると、ある意味ずっと深刻だからね。かなりの確率で死んじゃうわけで。

関連エントリー
子宮頸がんワクチンについての雑感
http://buu.blog.jp/archives/51526649.html  
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2016年06月24日

さようなら

開票率と残留派得票率の推移。


開票率61.3%ー残留派得票率48.8%

以後
66.0ー48.8
67.3ー48.6
68.1ー48.5
68.6ー48.5
69.1ー48.4
70.2ー48.5 
72.3ー48.2 
73.3ー48.3
75.7ー48.2
79.3ー48.3 
81.2ー48.3
81.9ー48.2
83.5ー48.4
85.3ー48.4
88.5ー48.3
89.0ー48.3
90.3ー48.2
92.7ー48.3
94.2ー48.2
95.0ー48.2
95.5ー48.2
95.8ー48.2
96.1ー48.2
96.9ー48.3



  
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2016年06月23日

子宮頸がんワクチンについての雑感

子宮頸がんワクチンについての日本の迷走っぷりは酷い状態である。真剣に全部書き下すとすごい分量になるので、ざっと基礎知識とこれまでの経緯をまとめてみる。

(1)子宮頸がんに関する基礎知識(出典は主に厚生労働省、がん情報サービスなど)
○子宮頸がんは定期的な検診によって予防可能ながんである。
○子宮頸がんのうち8割を占める扁平上皮がんの多くは、ヒトパピローマウィルス(HPV)による感染症であり、子宮頸がん患者のほぼ100%にヒトパピローマウィルスが発見される。
○2007年のWHO統計によれば、全世界で年間約50万人に子宮頸がんが発生し、約27万人が死亡している。
○日本では、年間約9800人に子宮頸がんが発生し、約2700人が死亡している。

(2)HPVワクチンに関する基礎知識
○HPVワクチンの導入によって、海外の疫学調査ではHPV感染者が減少している。
○海外の解析モデルによる推測では、ワクチンの導入によって子宮頸がんの発症及び死亡を7〜8割減少できると考えられている。
○HPVワクチンは全世界26000名が参加した臨床試験によって、人種や地域に関わらず有効性、免疫原性、安全性が実証されている。

(3)HPVワクチンの日本での利用の経緯
○2009年12月より販売が開始され、2010年からは公的助成もあって、中学・高校の女子は無料、あるいは低額でワクチンの接種を受けることができた。
○2013年6月、ワクチン接種後に原因不明の痛みを発症するなどの事例が報告され、厚生労働省はワクチンの積極的接種を中断した。このため、接種率は70%から激減した。
○2013年7月、WHOは、日本における疼痛の症例が他国では認められておらず、HPVワクチンの接種との因果関係は根拠がないとリリースを出した。
○2015年8月、日本産科婦人科学会は『子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)接種の勧奨再開を求める声明』を発表した。
○2015年12月、WHOは「日本の決定は薄弱な根拠に基づいた非科学的な政策決定であり、これによって大きな被害へ拡大する懸念があるとリリースを出した。

(4)HPVワクチンの副反応に関する基礎知識
○急性期には、疼痛、発赤、疲労、筋肉痛、頭痛、発熱などが知られており、接種後には状態を観察することを推奨している。
○重大な副反応として、アナフィラキシー、ギラン・バレー症候群などがある。
○フランスで実施された200万人の女性による臨床試験では、10万人に1人程度のギラン・バレー症候群発症リスクの上昇が認められた。
○2015年12月にはネイチャーにHPVワクチンの安全性を認めるコラムが掲載された。
○ワクチン接種後に死亡した事例は米国FDAの報告では32例あったが、ワクチンとの因果関係が認められるケースはなかった。
○オーストラリアで1例、ドイツで1例、英国で1例、日本で1例の接種後死亡例が報告されているが、全てにおいて接種との直接的因果関係は否定された。

(5)日本におけるHPVワクチンの副反応に関する基礎知識
○10%以上において痛み、腫れなどがある。
○1〜10%の範囲において蕁麻疹、めまい、発熱などがある。
○1%未満において知覚異常、しびれ、全身の脱力、手足の痛み、腹痛などがある。
○頻度不明な範囲において失神などがある。
○重い副反応としてはアナフィラキシー(96万回の接種に1回)、ギラン・バレー症候群(430万回の接種に1回)、急性散在性脳脊髄炎(430万回の接種に1回)、複合性局所疼痛症候群(860万回の接種に1回)が発生しうると評価されている。
○国内ではこれまでに338万人がのべ890万回ワクチンを接種しており、副反応が未回復の事例は186人(被接種者の0.005%、のべ接種回数の約0.002%)となっている。
○2015年12月、名古屋市在住の若い女性7万人についてワクチンの副反応について調査したが、各種症状とワクチンの接種に関連性は見出すことができなかった。

なお、(3)で言及した2015年のWHOリリースはかなり厳しいトーンだった。

Global Advisory Committee on Vaccine safety Statement on Safety of HPV vaccines
17 December 2015
http://www.who.int/vaccine_safety/committee/GACVS_HPV_statement_17Dec2015.pdf

一応(1)〜(5)までで簡潔にわかりやすくまとめたつもりだが、さらに短くまとめるなら、「子宮頸がんは若い女性が罹患しうるとても恐ろしい病気だが、ワクチンの接種と定期的な検診によってかなりのところまで予防できる病気であると考えられている。このことから世界各国で予防のためのワクチン接種が進んでいるが、日本では因果関係不明の接種後反応が複数報告され、以後、積極的なワクチン接種がストップしている。この状況はWHOから強く非難されている」ぐらいになる。

こうした状況にあって、厚生労働省は「安全性が確認でき、国民の理解が得られるならワクチン接種を再開したい」という思いのもとに研究を進めていたと想像できる。その成果の発表が今年3月にあったのだが、それらは池田修一・信州大学脳神経内科教授を班長とする「子宮頸がんワクチン接種後の神経障害に関する治療法の確立と情報提供についての研究」と、牛田享宏・愛知医科大学医学部学際的痛みセンター教授を班長とする「慢性の痛み診療・教育の基盤となるシステム構築に関する研究」である。このうち、池田教授サイドの研究成果が「マジで?」という内容だったのだが、これについて村中璃子さんが追求を続けている(ちょっと素人には難しい内容だが、研究費欲しさか、論文欲しさか不明だが、「お粗末な発表をしている」というのが概要)。

子宮頸がんワクチンと遺伝子
池田班のミスリード
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6418

子宮頸がんワクチン「脳障害」に根拠なし
誤報の震源は医学部長
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6421

子宮頸がんワクチン
薬害研究班に捏造行為が発覚
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7080

#wedgeって右傾化が激しくて僕の中ではトンデモ系の雑誌なんだけれど、たまにはまともな記事があるので侮れない。

この件についてはこのまとめも参考になる。

HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害研究班発表は薬害を全然実証していない
http://togetter.com/li/990218

これらを読んでいるとなんだかなぁ、という感じである。ワクチン反対派の行動原理というか、モチベーションというか、この人たちを突き動かしているものは一体何なのだろう。ともあれ、ワクチン接種に舵を切り直すまでにはまだ時間がかかりそうだ。

最終的には、副反応の可能性と子宮頸がんになる可能性を天秤にかけることになるのだが、なぜかメディア情報はワクチン否定派に大きく偏っているように見える。この件は若い女性たちの将来に密接に関係するので、ウェートは決して軽くない。現状では個人個人(というか、家族)がそれぞれに勉強し、判断しなくてはならないのだが、親戚や信頼できる知人をたどっていけば、一人や二人ぐらいは医者がいるはずだ。自分で判断できないなら、そういう人を探して質問してみれば良い。まともに勉強している医者や分子生物学者なら、子宮頸がんワクチンを「だめ、絶対」と否定するケースは滅多にないと想像する。

#でも、万一副反応があれば恨まれるから、否定的な意見を言うのかな?20年後に相談者の家族が子宮頸がんになっても、すでに人間関係切れていても不思議じゃないしね。

#ワクチンはやめておいて、早期発見のためにまめに検査を受けて、異常が見つかったらさっくりオペしちゃうという手もある。

#他にも、一生セックスしないという選択肢もあるはず。

どれを選ぶかは親の責任で、ぜひ。

個人的にはワクチン接種積極派です。宗教家ではなく、元科学者なので。ワクチンを接種させない親の子供として生まれた人は、将来にわたってリスクを背負うのでかわいそうだなとも思います。ワクチン接種非推奨の日本では、今後も子宮頸がんウイルスが蔓延したままでしょうから。子供は親を選ぶことができないというのが最大の不幸。

関連エントリー(5で言及した名古屋市の疫学調査に関するお粗末な顛末)
今の日本の女の子達は本当にお気の毒
http://buu.blog.jp/archives/51526958.html  
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『「健康食品」の素材情報データベース』バンザイ

僕が国立健康・栄養研究所の運営している『「健康食品」の素材情報データベース』をブログで紹介したのは2011年ぐらいが最初のようである。たとえば次のようなエントリーにおいて、このデータベースを参照している。

二日酔いについて考える
http://buu.blog.jp/archives/51267844.html

サプリメントなんて、もう要らないかも?
http://buu.blog.jp/archives/51302163.html

科学的には、コラーゲンは効かない
http://buu.blog.jp/archives/51368896.html

特に二つ目のエントリーでは
それにしてもこの「健康食品」の安全性・有効性情報というサイトは素晴らしい。このサイトを運営している独立行政法人国立健康・栄養研究所は偉い。

と絶賛しているのだけれど、このサイトに水素水について掲載されたとj-castニュースが紹介していた。

水素水に「有効データ見当たらない」 国立研究所「発表」が論争にピリオド?
http://www.j-cast.com/2016/06/22270406.html

論争も何も、こんなもの、”普通に”理系の大学を卒業していたら信じる馬鹿はいないのだが、日本にはなんちゃって大卒や文系の人たちがたくさんいるので仕方ない。

本当なら、科学的エビデンスを調べるまでもなく、水素なんてそこらへんにそれなりの量が存在していたら危なくて仕方ないし、水素イオンなら放っておいても水の中にたくさん存在していることを(中高でまじめに勉強していたら)誰でも知っているんじゃないのか?もし知らないとしたら、義務教育の方向が間違っているだろ。

このサイトが権威として機能していないのが残念で仕方がなかったのだが、論争に終止符を打てるほどにステータスを上げていたのなら素晴らしい。

ついでにちょっと気になってユーグレナについて調べてみたら、ちゃんと
俗に、「コレステロールを低下させる」「血圧を下げる」「アレルギーによい」などと言われているが、ヒトでの有効性、安全性については信頼できるデータが見当たらない。

と掲載されていた。ユーグレナについてはこちらで詳細を書いたけれど、

株式会社ユーグレナについて調べたら、異常なまでの優良会社であることが判明
http://buu.blog.jp/archives/51485099.html

ザバスとかで普通に摂取可能な栄養素に東大の看板をつけて、ザバスの10倍以上の価格で売りつけているいわば原野商法である。こんなものに金を払うのは馬鹿か、物好きか、情報弱者ぐらいだろう。僕のユーグレナ社に対する見解は今も昔もこんな感じ。


繰り返しだけど、『「健康食品」の素材情報データベース』が論争に終止符を打てるようなサイトとして認知されてきたのなら喜ばしい限り。科学立国とか言ってるんだから、もうちょっと科学的にものを考えようよ。

これも前から言ってることだけれど、健康食品は、効かないから健康食品なんだよ。本当に効果のある成分が含まれていたら、さっさと精製して薬にするの。指をくわえてのんびり眺めているほど、製薬会社の研究者たちは間抜けじゃない。あと、仮に有効成分の抽出が現時点で不可能だったとしても、その有効成分の摂取を目的にしてそれを食べるのもダメ。なぜなら、未知の有効成分以上に不要な成分がたくさん含まれていて、それを過剰に摂取することによって他の不具合が生じるから。たとえばコカコーラに抗がん成分が含まれていたとして(含まれていないですよ)、がんを治そうと思ってコーラを飲み続けたら、糖分の摂りすぎでデブになるでしょう?

ほんの少しの例外を除けば、健康食品は全く効かないし、効くほど食べたら不健康食品なんです。あーー、口がすっぱい、すっぱい。何度書いたら理解してくれるのやら。  
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2016年06月16日

50億もかかるんだから

「都知事選挙になれば50億もかかる」という意見があるが、だからなんだというのだ。それは必要なコストだし、不適切な知事をクビに出来ない理由にはならない。クビにするだけの問題があったのかという点については検証が必要だ。ところが、この検証にあたっての情報提供がなされず、自分が連れてきた弁護士に調査させてお茶を濁している。さらなる情報提供を迫れば「政治家としての信義」などというよく分からないものを持ち出して逃げる。挙げ句の果てには、五輪を人質にしてほとぼりが冷めるのを待とうというのだから始末に負えない。

50億のお金とバーターにすべきことが不明確な状態で、50億がもったいないと言えてしまう人間がいるのは不思議だ。もしそうことを言うなら、舛添都知事のこれまでの実績と、やりかけている政策課題を提示した上で、不適切な処理の詳細と比較して「余人を以って代えがたい」ことを主張すべきである。残念ながら、ざっと見た限りでは「いじめられてかわいそう」ぐらいの文章しか見つけることができない。

50億がもったいないのはもちろんで、そのお金があれば他にいろいろなことができたはずだ。だけど、それは知事の続投を正当化しない。そんな知事を選挙で選んだ都民が悪いのである。お金がもったいないから不適切な知事でも続投となれば、不都合な歴史を新しく積み重ねることになる。そういう蓄積の上に、今の都政が成立していることを良く考えるべきだ。50億円は石原、猪瀬、舛添とろくでもない知事が続いていることを反省するための勉強代であるとも言える。これを無駄遣いに終わらせるかどうかは都民次第である。

多くの舛添擁護者は単に「クビ」という、予想よりも厳しい結果にビビっているように見える。しかし、仮に舛添氏の諸々の不始末が「違法性はないが不適切」だとしても、クビになるのは全く問題ない。私たちは、頻繁に「あとは有権者の判断に任せます」という政治家の開き直りを何度も見てきている。これは、逆に言えば、有権者がノーと言うなら、法的には問題がなくても責任を取る」という意味だ。そして、今回は、有権者がこぞってノーを突きつけた。違法ではなく、有権者の感覚で不適切だから、不信任案が提出されたり、選挙で落選したりするのである。法律とは別のフィルターがあるからこそ、政治家は法律から守られているところがあることを忘れてはならない。

何よりも、知事が不適切に使ったお金の原資は税金であることに留意する必要がある。この国では政治家にしても、公務員にしても、大学の研究者にしても、「税金を使う」ということに対して鈍感な人が多いようだが、税金はそんなに軽くない。少なくとも政治家は直接選挙で選ぶことができるので、税金の使い方に対して無頓着なら退場してもらうことができる。

舛添ばかりいじめているが、甘利や東京五輪はどうなんだ、という意見があるが、もっともである。これは、舛添はこの程度で、という意味ではなく、舛添氏の追求は辞任以後も継続するとして、甘利や東京五輪誘致関連もきちんと追求しろということだ。比較の問題ではなく、不正の追求は全てについて実施されていく必要がある。また、派生している事項として、「選挙に金がかかかりすぎる」というのなら、こちらも解決策を検討すべきだろう。

50億もかかるんだから、大目に見よう、では話があべこべだ。50億もかかるんだから、ちゃんと選ぼう、でなくては困る。  
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2016年06月14日

都知事が問われているのは透明性と説明責任

舛添都知事が都民と議会にこんな要望を出したらしい。
私は、一つ伏して都民、都議会のみなさまにお願いしたいことがある。
もし、私への不信任が可決されれば、私が辞任するか、議会を解散するかという選択をすることになる。いずれにしても選挙になる。選挙の時期はどうしてもリオ五輪、パラリンピックと重なる。知事として断腸の思いでいるのは、リオの時期に選挙をやるのは、国家的事業である、2020年(東京)大会にとって極めてマイナスだ。
もちろん私の不徳のいたすところであることは重々承知している。そういう思いで、どうか少しの猶予をいただきたい。それは、私が知事の座に連綿としがみつくのではない。給料もご辞退申し上げたい、都民のために働きたいと思っている。今、知事として、選挙はリオで重なるので、そういうものはどうしても公益にそぐわない。極めて厳しい判断をしている。
どうかこの時期を猶予していただき、その上でふさわしくないというご判断をなさるときは不信任案を出してもらえればと思う。

出典:集中審議の詳報(14)リオの時期の選挙は極めてマイナス 猶予を(毎日新聞)

なんとも不思議なのだが、リオ五輪とはそんなに大切なのだろうか?都知事としてやらなくてはならないことはたくさんあるはずで、その中で他国で開催される五輪が不信任案の提出を保留するほど、すなわち、他の政治的課題の解決を棚上げするほどのことなのか、と思う。

何か、「子供と『リオ五輪に連れて行ってあげる(税金で)』と約束してしまった手前、なんとしてもリオ五輪だけは行かせて欲しい」と言っているように聞こえてならない。

話がこじれたのは、知事の頑なにして自分勝手な姿勢を貫いているからに他ならない。第三者の調査を受けようというなら、その第三者は自分で選ぶべきではないし、その調査の結果、さまざまな疑惑が派生してきたなら、その疑惑にはきちんと答えるべきだった。第三者の弁護士に説明を任せるなら、任された弁護士はきちんと説明責任を果たすべきだった。

それらを全てすっ飛ばして、返答に困ると「政治家としての信義」を持ち出すなら、政治家としての信義を貫いてさっさと退場しろ、となる。

ところどころで「弁護士が違法ではないと判断したんだから詰めすぎでは」という話を目にするのだが、その弁護士の調査と判断が信用ならないというのが現状だろう。佐々木弁護士は検事としては優秀だったかもしれないが、調査は週刊文春の方が厳密みたいだし、都民を前にして第三者の代表として知事の潔白性を説明するには能力不足だったということだと思う。つまりは人選ミスで、これまた知事の自己責任である。都知事として現段階で問われているのは、やったことの是非以前に、その調査が信用できないのである。それは、第三者の選択方法など、調査に至るまでの経緯について説明責任を果たしていないことに起因する。

今、社会は透明性を重視する。インターネットの普及によってインフラ的にはほとんど全ての会議が実況中継可能となっていて、録画を使えば誰でもいつでもそういった動画にアクセスできる。特に行政については「由らしむべし知らしむべからず」という世の中が少しずつ変わってきているのだが、その雰囲気の変化に鈍感な政治家は退場を迫られてしまう。どこまでも自分の土俵で相撲を取ろうとする舛添都知事は、その代表例だろう。

ことここに至っては、「そんなにリオに行きたければ、私人としてどうぞ。ファーストクラスでも、家族旅行でも構いません。ただし、自費で」としか言いようがない。

まぁ、僕は都民になったことはないので、所詮は第三者なんだけれど。  
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2016年06月09日

ワシントンDCより舛添都知事のパレードの様子を写真でお知らせします

舛添都知事が議会でこんな風に追求されているようなのですが

熊本地震には多くの自治体から支援が寄せられましたが、特に東日本大震災や関東東北豪雨の被災自治体の首長は自分たちが被災した経験からその対応は真摯(しんし)なものであったと聞いています。知事はこのとき、ワシントン、ニューヨークを視察中。ワシントンは世界に発信できる拡声器効果がある場所といわれているにも関わらず、インターネットに流れた映像が、先ほど島田(幸成)議員が紹介したように、オープンカーで満面の笑みを浮かべた知事の姿でした


出展:舛添氏追及・都議会一般質問(15)完 「熊本地震の時、満面の笑みでパレード」指摘に、舛添氏「真摯に受け止める」

記事には写真が掲載されていないので、一応、情報としてどんな感じだったのかを都民の皆様にお知らせしておきます。























  
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2016年06月05日

誰のおかげで経済はまわるのか?

こんなニュースを見かけたのだが。

伸びる「機能性表示食品」市場 トクホからシフト進む?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160605-00000002-wordleaf-bus_all

僕は経産省生物化学産業課で2002年ごろ、トクホを中心とした機能性食品を担当していた。こういう記事を読むと、本当に日本人は馬鹿が多いんだな、と感じる。

このブログでも何度か書いているのだけれど、食べて健康になる食品など、ほとんど存在しない。なぜか。効くなら、それは食品ではなく、薬品として流通するからだ。そちらの方が儲かるのだから、あたりまえ。逆に言えば、効かないから健康食品なのだ。それは、黒酢だろうか、ユーグレナだろうが、コラーゲンだろうが、全部同じである。そして、その効かない食品を喜んで買う馬鹿がいるから困る。いや、困らないか。馬鹿のおかげで経済が回り、税収が増えるのだから、国としてはありがたいのかも知れない。しかし、資生堂やら、サントリーやらが「国民は馬鹿だから、しょうもない商品を作って、たくさん宣伝して売れば良い」と考えるから、日本のサイエンスの質は下がる一方である。

繰り返し書いているけれど、一向に馬鹿が減らないのでもう一度書いておく。たとえば、にんにくにとても体に良い成分が含まれているとする。それなら、にんにくを食べ続ければ良いかといえば、そんなことはない。現在までに、科学的に証明され、世界中で正しいとされている知見は「健康のためには、バランスの良い、かつ適量な食生活が良い」ということだけだ。これはWHOや世界中の国々の健康機関(日本なら厚生労働省)のウェブサイトで確認できる。にんにくが良いから、という理由で食べ続けるのは偏食であり、食のバランスを崩すことに他ならない。では、本当ににんにくに有用成分が含まれていたらどうするのか。その有用成分がなんなのかを突き止め、その成分だけを製剤する。すなわち薬にする。なぜこうするかといえば、にんにくの有用成分を目的ににんにくを食べ続ければ、同時ににんにくに含まれる不要な成分をも摂り続けることになり、これが健康を害するからである。摂取したいのは有用成分だけで、ほかは不要だからだ。にんにくよりももっとわかりやすい例を想定するなら、「海水にはがんに効く成分が含まれているようだ」という情報をもとに海水を飲み続ければ塩の摂りすぎで高血圧や胃がんになるし、「たばこが不眠に効くようだ」と言って喫煙を続ければ(食べ物ではないけれど)不眠症は改善しても肺がんや食道がんになる、ということである。

目的をもってなんらかの食品を食べ続ければ、ほぼ間違いなく他の副作用によって不具合が生じる。食品によって健康を維持するという考え方がそもそも間違いであって、それは世界中が「バランスの良い食生活」を推進していることによって裏付けられている。

逆は存在するのだ。すなわち、特定の食品を避けることによって健康を維持するということだ。それは塩であったり、油脂であったり、アレルギーを誘発する物質だったりする。しかし、特定の食品によって健康になることはないし、もしその目的で何かを摂取するのであれば、それは薬品という形でになるのである。

トクホについてこのブログで批判したこともあるのだが、トクホは効かないからトクホなのであって、トクホが効くほど食べ続ければ、おそらく目的外の不具合がでる。仮に出ないとしても、薬を飲んだ方がずっと効果的である。トクホですらこの有様なのだから、トクホ以外の健康食品ならなおさら効かない。こんなものを健康目的で食べるのは、馬鹿だけだ。

でも、国民の多くがそうした知恵をつけてしまうと、今度は薬が売れすぎて、国民皆保険の日本では保険料が増えすぎて困ってしまう。厚生労働省としては、馬鹿な国民は病院で薬を処方されるのではなく、スーパーで健康食品を買ってくれた方が喜ばしいのである。厚労省だけではない。これで経済が回るなら、経済産業省だってホクホクなのだ。

そういうわけで、情報弱者の財布の中身を燃料にして、健康食品は売れ続ける。それはそれで喜ばしいことなのかも知れないが、僕は日本にいるときはナトリックスとアジルバとフェブリクとイコサペント酸エチルを飲み続けていた。おかげで血圧も、尿酸値も、中性脂肪も全部正常値だったけれど、それは薬のおかげで、その支払いの7割は公的なお金が原資だったので、ちまたで健康食品を買っていた皆さんのおかげでもあった。してみると、健康食品を買っている人たちを馬鹿とこき下ろすのは申し訳ない。皆さんのおかげで僕は健康でいられました。その調子で健康食品をお買い上げください。って、もう僕は米国在住で健康保険証も持っていないので、どうでも良いんだけど。

でも、僕と仲の良い人にだけは言っておきます。健康食品を買うなんて大馬鹿だからおやめなさい。  
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2016年04月10日

東京五輪・パラのエンブレム最終候補

新国立競技場をどうするのかなぁ、と思っていたら、その前にエンブレムの案が提示された。あぁ、そういえば、という感じである。

https://m.tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/

色々と説明を受ければそれぞれなるほどなぁ、と思うのだが、まず第一印象としてA案は地味すぎる。わびさびと言っても、世界から理解を得るのは難しそうだ。また、単色でどこでもありそうなデザインなので、あちこちにパクリ疑惑のデザインが出てきて、社会を混乱させかねない。C案も、風神雷神と言われれば確かにその通りなのだが、説明がない状態で見てしまうと岡本太郎と長野五輪のスノーフラワーを足して二で割ったような印象である。またこんなの?と思ってしまう。この2つを消去した上で残りを見ると、B案はあまりにオーソドックスな上に、五輪とパラで微妙に統一性がない。一方でD案はどこかの国の国旗のようでもあるし、なぜ朝顔?と日本人でも思ってしまう。この2つに比べると、誘致で使った桜のデザインの方が上に見えてしまうのが残念なのだが、桜のデザインは権利の関係で継続使用が難しいというなら仕方がない。ここは好みだとは思うが、僕ならより抽象的なB案を選びたい。  

2016年04月09日

カップヌードルのCMが放送中止になった件

カップヌードルのCMが、苦情が多くて放送中止になったらしい。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/08/cup-noodle-ceased-cm_n_9641780.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

それだけではなく、日清食品は謝罪までしている。

http://www.cupnoodle.jp/s/obakasuniversity/

日の出テレビでキャスターをやっていた時もこの手のノイズィーマイノリティたちの声は聞こえてきたものだけれど、要はネット時代になって文句が言いやすくなった(=届きやすくなった)ということ。今も僕や僕のブログに粘着している岡山県の吉岡という馬鹿がいるけれど、彼らの行動の基盤は「匿名だから何をやっても大丈夫」というもので、その威力のおかげでやりたい放題である。

#ちなみに吉岡氏は一品もの焼き物の写真をあわせてブログに載せたり、おびき寄せる目的で書いたエントリーにIPを隠しもせずにアクセスしてきてコメントを残すようなおっちょこちょいなので、匿名もへったくれもなく全部バレバレなのだが(笑)。ちなみに、忙しかったのでまだ下の奴みたいには叩いていない。証拠は保全してあるけれど。

http://buu.blog.jp/archives/51421090.html

日清の件で言うなら、CMには大きな問題は見当たらない。登場人物たちは不倫やら、ゴーストライティングやらで社会的に制裁を受けた人たちで、それを自虐ネタにして笑いにつなげているだけだ。主役の位置付けのビートたけし氏だって、何十年もそういうことをやってきた文化人である。フライデー襲撃も、酒気帯びでのバイク転倒事故も、次元は同じである。

好き、嫌いはあって良いし、僕自身も矢口真里氏はどちらかといえば嫌いなタレントだけど、別にどうだって良いし、間違っても日清食品に苦情を書くようなことはない。そんな暇があるなら「私自身、TPP断固反対と言ったことは、ただの一回もございません」などと国会で発言する安倍晋三に文句を言うべきである。

http://matome.naver.jp/odai/2146002748091847001

#でもまぁ、内閣府とか首相官邸とかは、匿名の意見は受け付けてくれないかも?

以前、日刊スポーツの記事でビートたけし氏のコメントとして「他の嫌なものも認める余裕がないといけない」というものが掲載されたことがあるのだが、まさにこれである。ダメなものを指摘して苦情を述べるのは一向に構わないし、僕自身も10年前にサンヨーを数十億のリコールに至らせたことがあるのだが、

http://w32sa.seesaa.net

「嫌い」というのはそれとは別の話である。嫌いなものを削除していく先に豊かな文化は存在しないと思う。

#もちろん、「あのCMが嫌いだから、カップヌードルは食べない」というのはあり。  
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2016年03月29日

既得権者が有能な人間の可能性を奪う日本社会

こういう判決が日本をダメにしているわけで、裁判官もアホと言いたくなるのだけれど、過去の判例がこの判決を支持しているので、どうしようもないのかな。

日本IBM元社員5人の解雇は「無効」 東京地裁で判決
http://digital.asahi.com/articles/ASJ3X4JXBJ3XUTIL026.html

判決は、5人に一定の業績不良や問題行動があったと認める一方、「適性のある業種に配転したり、解雇の可能性を伝えて業績改善の機会を与えたりせずに解雇した」と指摘


業績不良と問題行動があれば十分だろ(笑)会社は問題行動を起こさず、業績の良い社員を雇いたいんだよ。そして、そういうポテンシャルを持っている人間が外部に存在する可能性があるわけで。

原告らが長期間雇用され、配置転換された経験があり、比較的高い評価だった時期もあることなどを理由に、解雇は無効だと判断した


長期間雇用が解雇無効の根拠になるって、馬鹿じゃないの?高い評価だった時期もあったとしても、今、評価が低いなら必要ないじゃん。野球選手だって、サッカー選手だって、成績不良なら解雇されるんだよ。で、これが公務員とか、日立や東芝みたいな旧態依然とした大企業の話だというならまだしも、外資系の会社だぜ?

「相対評価が低くても解雇理由にならないことが、能力主義の会社でも明確にされた」。原告側の代理人弁護士はこの日の判決の意義をこう強調した。


その結果、外資系の会社は、「日本で日本人を雇用するなんてリスクが大きすぎて馬鹿らしい。どうせ市場規模も大したことないんだし、そろそろ撤退を視野に入れようかな」と考えるわけだ。

新卒採用でずっと同じ会社で働く人の利益を考慮してきたためだ。今回の判決も、そうした日本の雇用慣行を踏まえた。


はいはい(笑)。だからダメなんだよ、という反省は、判例主義の国では必要ないですもんね。で、そういう雇用慣行のおかげで今のどうしようもない日本があるわけで、その硬直化した状況をなんとかするための希望が外資系企業なわけだけど、それさえも潰しちゃうところが悲しい。

原告を支援する労働組合幹部は「業績が悪い社員は解雇できる流れが作られようとしている。解雇を自由にする流れにくさびを打ちたい」と話した。


ほんと、ダメな国だよな。無能な奴らが既得権を主張して、有能な人間たちの可能性を奪う。
  
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