2017年02月09日

ことわざアップデート「馬鹿と鋏は使いよう」

オリジナルの意味
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つものだということから、人を使うときは、その人の能力をいかせるように、うまく使うべきであるという教え。(出典:故事ことわざ辞典

アップデート
「稲田ともみは使いよう」
官僚が政治家にろくでもない答弁書を渡した際、その政治家が愚かだと、内容に疑いを持たずそのまま国会で読んでくれる。これによって、非常識な答弁が社会からどのような受け止められ方をするか、試すことができる。2017年2月8日、稲田朋美防衛相が衆院予算委員会で、南スーダンにおける陸上自衛隊の「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べたことによる。  

Posted by buu2 at 15:05Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年02月02日

日本はBrexitやトランプを批評している場合ではない

先日、知人の阪大教官がFacebookで「学生のレポートの日本語が酷い」と嘆いていた。

学生の文章が酷い理由は簡単で、子供の頃に良質なインプットを多くしていないからである。「ら抜き」も酷い文章表現の一例で、こうした表現をしてしまうのは、ちゃんとした日本語の感覚が身についていないからだ。これは音楽でいうところの「絶対音感」が欠落していることに該当する。大学生になってこの状態を意識的に改善するのはおそらく非常に難しい作業だろう。それは、第二外国語の感覚を非帰国子女が身につけにくいのと同じである。本来、言語は頭で考えるのではなく、感じて、反射して発せられるものだ。

#ドラゴンも、オビ=ワンも、"Don't think, feel!"と言っている。

文科省の教育方針の問題もあるだろうが、おそらく親がテレビ世代になってきていて、親に読書の習慣がないのだろう。親の背中を見て子供は育つ。幸いなことに、僕たちが子供の時代には、読書が娯楽の王様だった。僕の家にはサトウサンペイ氏に書いていただいた色紙が貼ってあったのだが、そこには「テレビを見るより本を読め」と書かれていた。金言である。

大学で日本語の再教育をするのは馬鹿らしい話だが、まともな日本語もできないのに卒業させてしまっては大学の資格がない。大学教官には気の毒な話だが、大学では、本筋とは異なる『日本語教育』も施される必要があるのだろう。

余談だが、僕の感覚からすると、伊坂幸太郎はリズム感の欠如したプロの代表で、彼の作品を読んでいると気持ち悪くて仕方がない。しかし、この感覚を理解してくれる人は本当にごくごくわずかである。というか、これまでに一人しかいない。それはプロの編集者だった。逆にリズム感の良いプロの代表は宮部みゆきだと思っている。字幕作家の松浦美奈もとても良いと思う。ただ、この辺は僕の感覚が正しいのか、単に好みなのか、正確にはわからない。

さて、話を元に戻す。先日、新聞に言語学者金田一秀穂さんのら抜き言葉に対する見解が載った時、

論点 「ら抜き」言葉、多数派に
http://mainichi.jp/articles/20170113/ddm/004/070/010000c

僕ははてブでこういうコメントをつけた。
日本人の過半数がバカになったってことじゃないの?特に、日本が、日本が、と連呼している自民党の政治家が使っていると、本当にバカだな、と思うよ。

この記事に対してつけられたはてブのコメントは、当然のようにら抜きを肯定するものが主流だったのだが、英国のEU離脱にしても、米国のトランプ選出やイスラム圏7カ国の入国禁止に関するExecutive Orderに対する反応にしても、韓国の釜山日本領事館前に設置された慰安婦像に対する姿勢にしても、過半数だからそれが正しいということではない。

#そもそも「正しさ」とは相対的なものなので、判断する人の立ち位置で変わってきてしまうものだが。

ら抜きを使わないということは、日本人に関する一つの指標なのだ。それは、「きちんと良質のインプットを重ねている」という指標である。小学生から中学生ぐらいまでに芥川や漱石や太宰や藤村といった作家たちの作品をかたっぱしから読んでいれば、少なくとも書き言葉としてら抜きを使う頻度は激減するはずだ。それをしていないから、ら抜きを書いても感覚的に問題ないのであって、つまりは教養が足りないということになる。

教養の足りない社会がどうなるかは、上に挙げた各国の状況を見れば明らかだ。今、米国に関して良く言われているのは、社会の分断がトランプ大統領を生み出したという話である。そして、NYやDCに住む知識層が、労働者層を無視してきたことが問題の根源にあると言われている。なぜ彼らは国内にも目を向けて、対話してこなかったのだ、と。日本も状況は米国や英国と五十歩百歩である。それは、何も中身のないアベノミクスを歓迎しているあたりからも容易に推察できる。この先に、明るい未来は多分存在しない。

「ら抜きを使うな」とは、文化の流動性を否定しているのではない。それでも、「ら抜きを使うな」という主張には反論が多い。その理由は、簡単に言ってしまえば、その反論の主の多くが、自らら抜きを使っていて、違和感を持たないからだと想像する。

では、こんな記事を読んだらどう思うのだろうか?

「Alexは女性名Alexandraの愛称である。ではAlexandraの愛称は何か?」4択問題で中学生の正答率45% その理由は?
https://togetter.com/li/1078386

このまとめの元記事は読売プレミアムに掲載されていて、有料記事なので一般の人は読むことができない。ざっくりとポイントになる部分を抜粋すると次のようになる。

戸田市立中6校の生徒計340人の基礎的な読解力を測るテストを実施した結果、4人に1人は問題文を正確に読めていなかった

問題によっては正答率が半分程度やそれ以下のケースもあった

普段のテストでも答えを何も書かない子たちから「問題で何を聞かれているか分からない」という声が出ていた

音真司氏が講師を務めた私大では、読書をする学生は少数で、3年でゼミに入るまで図書館に行ったことがない学生もいた

音氏は「試験やリポートではSNSや日記のような文章を書いてくる。文の構造を理解せず、考えも整理できない」と話す

(出典:2017年1月30日 読売新聞朝刊 読解力が危ない 問題文が理解できない)

多くの人は、「今時の中高生はこの程度のことも読解できないのか」と嘆くだろう。しかし、それは多くの人が、この問題を理解できる程度には教養を身につけたからに過ぎない。その「この程度のこともできないのか」は、僕からすればら抜きを書く人にも同じように適用される。

ら抜きを使っても平気な人は、「ら抜きで何が悪い」と開き直っている暇があるなら、もっと本を読んで、教養を身につけた方が良い。僕は、教養をベースにした見識こそが、各々が抱えている諸問題を越えて、彼らを明るい未来へ導くと信じている。日本語すらまともに使えないなら、それは無教養である。「無教養だって過半数ならそれが文化だ」と強弁するなら、英国のBrexitや米国のトランプ選出を全く笑えないのである。もちろん、未来も、英国や米国のそれと同じく、真っ暗闇である。  
Posted by buu2 at 14:38Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月30日

日本国民は安倍晋三が総理大臣で本当に良いの?

頭の悪い安倍晋三はトランプの人種差別政策について
米国の大統領令という形で米政府の考え方を示したものだろうと思う。私はこの場でコメントする立場にはない。いずれにせよ我々は、難民への対応は国際社会が連携して対応していくべきだと考えている

と述べたらしいが、何を言っているんだ、このバカは。こんなバカを支持している日本人が6割とか、笑っちゃうよ。

他国を見れば、フランスも、ドイツも、オランダも、それどころかニューヨーク州やワシントンDCも深い懸念や異論を表明しているわけで、日本のヘタレっぷりというか、ポチっぷりが激しく情けない。ちょっと前に僕はツイッターで




と書いたのだが、ダメなものはダメとどうして表明できないのだろう。安倍晋三は「出身や信仰で人に烙印を押すような政治」を否定できないようだが、日本国民は本当にそんな奴が自分たちの総理大臣で良いのか?  
Posted by buu2 at 16:23Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月26日

日本の官僚の手取り足取り具合に涙が出る

安倍晋三が馬鹿なのはすでに十分に知れ渡っているので、云々を「でんでん」と読んでしまったとしても、まぁ安倍だから、ぐらいの感想しかないのだが、実際に動画を見て別のところで感心した。



答弁を書き起こすとこんな感じだが、

民進党の皆さんだとは一言も申し上げていないわけであります。自らに思い当たる節がなければ、これはただ聞いていただければ良いんだろうとこのように思うわけでありまして、訂正でんでんというご指摘は全く当たりません。


最近の官僚は、こんなことまで書いてくれるんだね。「馬鹿らしくてやってらんねぇよ」とか思わないのかな?  
Posted by buu2 at 15:28Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月17日

川村雄介というノーベル賞至上主義のバカ

ツッコミどころ満載なので、ブログで紹介。

引用元:30年後もノーベル賞大国であるために、禁断の劇薬「国立大学を半数に」
http://forbesjapan.com/articles/detail/14834

大学法人化の後は、母校から毎月のように「寄付寄こせ」封書が届く。私とてささやかな協力くらいおしまない。だが、昨今のやり方は度が過ぎていないか。

バカじゃねぇの?ささやかじゃ足りないんだよ。東大出て、ワシントンで暮らしたことがあってこれかよ。スミソニアンは寄付金だけで運営されているんだぜ?

なまじ国立大学の現場を経験しただけに、余計腹立たしく感じるのである。

典型的老害。時代は変わってるんだよ。

絶対矛盾にぶつかっているのだ。

絶対矛盾でもなんでもない。景気が回復すれば税収も増える。お金は天から降ってくるもの、という感覚で、前提が変わりうることが認識できていない。国の税収が増えるように努力せず、自分たちの食い扶持のことばかり気にしているから、いつまで経っても変わらない。韓国の慰安婦像問題で「日本と喧嘩して、長期的にみて意味があるのか」と嘆いている日本人が多いけれど(これは僕もだけど)、近視眼的なことについては日本と韓国は大差ない。

国立大学を半数にまで減らすのだ。

ばーーーーか。地方の裕福でない学生の勉強の機会が失われるだろ。まずは私大への援助を減らせよ。それでも国立大学を減らしたいなら、東工大とか一橋とかお茶大とか、都内にゴロゴロある国立大学を東大に統合してしまえ。「裕福ではないから」という理由で志のある学生の勉強機会を失うことは避けよう、勉強の機会は極力平等に与えよう、というのは福沢諭吉の「学問のすすめ」以降の、日本人のコンセンサスだろ。ノーベル賞なんか、海外で研究を続けて取れば良いんだよ。別に、日本で研究する必要はない。  
Posted by buu2 at 01:08Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月14日

大阪市のプログラミング教育事業は受注者に注目すべき

大阪市が無償でプログラミング教育を受注する業者を募集していて話題になっていた。

概略はこちら参照
大炎上した大阪市の募集要項 「タダでプログラミング教育を」
http://www.j-cast.com/2017/01/13288028.html
簡単に言えば、「奥さん、大阪市が小学生にプログラミングを教えてくれる業者を募集しているらしいわよ。それで、報酬はゼロなんですって。タダ働きしろってことらしいざます」ということ。

それで、元の募集要項はこちら。

平成29年度小学校段階からのプログラミング教育の推進に当たり協力事業者を募集します。
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000386948.html

僕は経産省時代、この手の発注業務を担当していたので、まず、本省ではどういう作業の流れになっているのかを紹介する。

財務省以外の中央官庁の多くは、財務省に「今年はこれだけの事業をやりたいから、お金をくれ」と予算請求する。この予算要求の前に、役人たちは今年はどんな要求を出そうか、と相談する。その際、主に立案に当たるのが課長補佐である。課長補佐は係長や係員などと勉強会を開きつつ、あちこちにヒアリングに出かけてネタを探す。この時、ネタ元として良くあるのが事業者からの要請である。要請の場面は、各種委員会だったり、講演のあとの懇親会だったり、賀詞交換会だったり、役所に直接陳情にくる場合もあって、色々である。「元木さん、今はこんな事業が必要なんですよ」と教えてくれる。もちろん、その背後には「予算が取れたら、うちの会社をよろしく」という腹づもりがある。

さて、課長補佐はこうしてネタ探しをして、その中の有望そうな事業について部内で会議をやって、課としてどの企画で予算請求するかを詰める。

今は国家予算そのものが厳しいので、こうした企画を全部そのまま財務省に持ち込むことはできない。課内で調整した後、局内で調整し、場合によっては他の局や課の企画と合流して申請することもある。財務省からノーと言われたらそれまでだし、途中で役所としての上限額が決められるので、その数字に合わせて省内調整も必要になる。省内での根回しも重要だし、特に実現性が十分なのかについては検討が必要だ。

一番困るのは、予算を取って、応募を開始してみたら誰も応募してくれなかった、という事態である。なので、民間事業者へのヒアリングの際には「事業を企画したらこいつは応募してくれるかな?」という情報も合わせて収集する。委託金業務にしても、補助金業務にしても、常識的に言えば役所が金を出すし、そもそものネタ元はヒアリング先なので、よっぽど酷い条件でない限り応募はあるのだが、その辺は役人なので抜かりなく準備していく。

さて、無事予算を獲得できたら、いよいよ事業を開始するわけだが、その最初の一歩が「募集」である。ということで、この大阪市の募集要項を見てみよう。僕が書いた事例はあくまでも経済産業省製造産業局の一例だが、地方自治体でもそう大きく変わることはないだろう。

パッと見て違和感を持つのが「無償で実施できる民間事業者」という記述である。違和感というか、癒着の香りしか感じられない。その違和感の原因は、この事業を担当した時の受注業者のメリットが全く見えてこないところにある。企画立案から学校との調整まで含め、必要な費用は全部業者負担となると、事業者はどこで稼ぐのだろう。しかし、役所が考える事業なので、応募がないという事態は考え難い。どこかの業者が、何らかの事情から「ただでもやりたい」と大阪市に入れ知恵したぐらいしか、説明がつかない。

記事によれば、大阪市の担当者は取材に対して「特定の業者との結びつきをなくし、公平性を担保するためにも『無償』という形をとった」と答えたようだが、これが事実とは到底考えられない。逆に、特定の業者との強い癒着があるからこそ、今回のような募集になったと考えるのが自然だ。

だいたい、本当にただでできるなら、大阪市の事業として実施する必要性はなく、事業者は勝手に、ただで事業を展開すれば良いのである。「ただでプログラミングを教えますよ」と。いまどき、そんなことがあるわけがない。

では、事業者の「隠されたメリット」とは何だろう?募集要項の協定書をざっと見て気がついたのは、著作権についての取り決めがないことである。特許についてはその扱いについて記載されているが、著作権については記載がない。ということは、小学校の教員や有識者と共同で作り上げた小学生向けのテキストは、すべて事業者のものとなる可能性が高い。そして、この事業は単年度事業である。したがって、事業終了後、一定の成果物(著作物)が出きた場合には、事業者がその成果物を根拠に「良いテキストがあるので、次年度からはこの金額で」と請求してくる可能性がある。その金額が安いなら、「それはそれで良いんじゃないの?」と考える人もいるかもしれないのだが、無償の事業に応募させることによって担当事業者を実質的に絞り込んでおり、これは癒着だし、縁故資本主義である。著作権については単に書き洩らしかもしれず、断定はできないのだが、違うとしてもこれに類するメリットが何かあるのだろう。

なお、協定書では
特許権、実用新案権、意匠権、商標権その他日本国の法令に基づき保護される第三者の権利(以下「特許権等」という。)

と「特許権等」を定義しているのだが、そのすぐ後の18条2項で
特許権等の対象となるべき発明又は考案をした場合には

と、当事者(第三者ではないもの)が特許権等を発明した場合を記述しており、何が何だかわからないものになっている。

事業を通じて何らかのメリットが得られないのであれば、企業がその事業を担当する理由はない。そのメリットは募集の段階で明確にされるべきだし、募集にあたっては、最低でも事業にかかる費用の積算と、その請求、および、事業後の成果物の取り扱いについて明示されているべきである。

この募集については癒着の香りしかしないので、特に大阪市民は、どの業者が受注するのかに特段の注意をもって監視すべきだろう。  
Posted by buu2 at 02:02Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月10日

メリル・ストリープの反トランプ・スピーチ

僕の周囲のほとんどの人は、日本に関わりがあろうとなかろうと、反トランプである。だから、僕が一番好きな女優であるメリル・ストリープが昨日のゴールデン・グローブ賞の授賞式で、反トランプのスピーチを展開したことを喜んでいる。

スピーチの全文はこちら。

The full text of Meryl Streep's six-minute acceptance speech for a lifetime achievement award at the Golden Globes on Sunday:
http://money.cnn.com/2017/01/09/media/meryl-streep-golden-globes-trump-text/index.html

動画はこちら。

声が枯れちゃっているのは残念だけど。

村上春樹にしても、メリルにしても、作家として、あるいは俳優として好きになったあとに、今の僕のスタンスを的確に表現してくれる意見表明をしてくれるあたり、不思議な感じがする。

メリルが批判したトランプの行動についてはこちら。
トランプ氏、身体障害の記者の姿態あざける NYT紙反発
http://www.cnn.co.jp/usa/35074075.html

  
Posted by buu2 at 00:44Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2017年01月05日

初詣にベビーカーを持って行くと迷惑がられる日本社会

雨模様のワシントンDCからこんにちは。

暇なのでネットサーフしていたら、こんなニュースを見つけた。

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分
http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

初詣にベビーカー持参で行くことの是非についてなのだが、乙武さんが次のようにコメントした気持ちは良くわかる。



このコメントと、この記事に関しては恐ろしく不寛容なコメントが並んでいて、日本を逃げ出して良かったな、というのが正直なところである。
















キリがないのでこの辺でやめておくが、反乙武のつぶやきがTwitterには溢れている。しかし、この件に関しては、僕の立ち位置は明確に乙武側である。僕はDCに移り住んで、何度もこちらのネイティブに「日本と比べて何が違いますか?」と聞かれ、その度に、「米国では、車椅子の人を頻繁に見かけます。あちこちで、補助の人なしで出歩いている障害者たちを見かけます。日本ではこの状態は考えられません」と答えてきた。

僕は米国在住と言っても、ワシントンDCと、メリーランドと、ヴァージニアと、ニューヨークと、オーランドぐらいしか見てないので、僕の知識が全米全域について適用されるかどうかはわからないのだが、少なくとも、DCやNYは障害者に対して非常に寛容な街である。そして、同時にベビーカーに対しても寛容だ。こと障害者対応に限れば米国の状況は日本に比べてかなり理想的だと感じているのだが、日本がそれを真似ようとしても、非常に難しい現実がある。

米国と日本は何がどのように異なっていて、なぜ日本では実現が難しいのか。

最初に種明かしをしてしまえば、日本の、特に東京の人口密度が高すぎるのだ。

DCでは、朝8時とか、夕方6時ぐらいのごく限られた時間の、ごく限られた路線のみ、地下鉄で立っている乗客が見られるのだが、その他の時間は常に座っていられる。じゃぁ、ものすごい本数の電車が走っているのかといえば、そんなこともない。20分電車が来ないなんて、日常茶飯事である。ちょっと遅い時間になれば、30分待ちという事態もざらである。

ちなみに、DCの地下鉄には時刻表がない。本当はあるのかもしれないが、見たことがない。駅には何分後に電車が来る、という表示があるだけだ。後続の電車について知りたければ、スマートフォンのアプリで調べる必要がある。これも、表形式ではなく、何分後に到着するかだ。そして、そのアプリで5分後に来る、と表示があったのに、5分後に見てみると、また到着まで5分になっていたりする。非常にルーズなのだ。しかし、このルーズさに、米国人の障害者への寛容さが隠されている。

米国では、車椅子の乗客が誰の補助もなく、一人でバスや地下鉄に乗ることができる。バスはバス停で自動的に車高が低くなって、機械式の橋が出てくる。車椅子の乗客は、これを使ってバスに乗り、揺れた時に動いてしまわないように、ベルトで固定する。この間、だいたい、3分ぐらいはかかってしまう。障害者の利便性を考えると、定刻通りの運行は不可能なのだ。ルーズな運行が先だったのか、障害者対応でルーズにならざるを得なかったのかはわからないが、この国の国民性を考えれば、恐らくは前者だろう。

僕は良く、米国人達に「日本人はとてもパンクチャルである。それはとても良い習慣だが、時々、パンクチャル過ぎて、息苦しい社会である」と説明している。高度にオーガナイズドされた社会は、小さな受け皿を最大限に利用するためには避けることができない。しかし、高度であればあるほど、異分子を受け入れることも、必要に応じてマイナーチェンジすることも難しくなる。日本の主要都市は、詰め込みすぎて、余裕がなくなっているのだ。

丸ノ内線が4分間隔で精緻に運行しているのはとても素晴らしいことだが、その背後で犠牲になっているものも、間違いなく存在している。それが、障害者対応である。これは健常者の視点からは気付きようがない。日本の交通インフラは、ハード面だけでなく、ソフト面でも障害者を排除している。だから、日本の歩道には、車椅子がほとんど存在しない。日本と、米国の、足が不自由な人の割合に大きな差があるとも思えないので、日本では、外出したくても、足が不自由で思うようにならない人がたくさんいるのではないか。

米国がこういう状態になっているのには当然理由があって、それは「障害を持つアメリカ人法」: Americans with Disabilities Act of 1990である。これは、1990年に制定された連邦法だ。この法律によって、障害者の社会参画は全面的に保障されている。おかげで、映画館も、トイレも、スタバも、アパートも、どこへ行っても、必ずバリア・フリーだし、実際、街を歩いていれば頻繁に車椅子を見かけるのだ。

そして、車椅子に優しい社会は、そのままベビーカーにも優しい社会なのである。だから、冒頭の記事で書かれている寺のようなトラブルは、米国ではまずお目にかかれない。ベビーカーも電車内で見かけるし、バスの前部には2台まで自転車を乗せることができるキャリアーまでついている。これは健常者の話になるが、自転車の客がいると、バスはその客が自転車をキャリアーに積み込む間、のんびり待っているのである。

もしかしたら、タイムズスクエアでの年越しカウントダウンイベントなどでは日本と同様の不自由はあるのかもしれないが、年に一度、タイムズスクエアのごく限られた地域の話を日本の寺社仏閣と同一に論じるのは無理がある。

もちろん、何の理由もなく日本人が車椅子やベビーカーに冷たいわけではないはずで、そこは日常生活が車椅子やベビーカー前提で構築されていないから、必然的にそうなってしまうのだろう。DCのように、いつも電車で座ることができる状態なら、ベビーカーに目くじらを立てる必要もないのである。結局、寺にしても、電車にしても、混雑しているのが問題なのだ。

では、満員電車や、初詣客の集中をなくすにはどうしたら良いのか。簡単な話で、人口集中地域の人口を減らせば良いのだ。東京の人口が半分になるだけで、状況はガラッと変わるのではないだろうか。そのための方策も、ないわけではない。政府は首都機能の移転を前から言っているのだが、そんな面倒なことをしなくても、所得税減税だけでかなり効果がありそうに感じる。法人所得税率を都市部と地方で20%程度差をつければ、首都機能なんて移転しなくても、民間事業者はどんどん外に出て行くはずだ。何の根拠もなしに法人税減税してしまうのはもったいないので、例えば米軍基地周辺10キロ以内を「迷惑施設周辺減税特区」にしてしまえば、法人税を安くあげたい企業が米軍基地の周辺に集まってくるだろう。これが実現すれば、沖縄の米軍基地問題にも解決の糸口が見えて来ると思っている。嫌がる人を無理やり理屈で納得させるより、好きで集まってくる状況を構築した方が、作業はずっと楽である。

日本が抱える問題の大きなものとして都市部への人口集中が挙げられるのは間違いないことで、それが顕在化した例が、初詣のベビーカー問題なのだ。そして、乱暴なやり方かもしれないが、人口を地方へ分散させる手段もないことはない。あとは、やる気の問題である。でも、日本人は、将来自分の足が不自由になることなど想像できないので、多分やる気は出ないだろう。

だけど、大丈夫。足が不自由になったら、なんとかして米国に脱出してくれば良いのだから。ここにあるのは、relaxed lifeである。  
Posted by buu2 at 17:04Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年12月06日

乗るタクシーを選ぶことができない日本社会

ASKAの個人情報問題でこんなつぶやきがあったんだけど、




これを見て思ったのは、個人情報保護法とは全然関係ないんだけれど、日本って、実質的にはほとんどタクシーを選ぶことはできないよな、ということ。夜中の新宿界隈で個タクを探してちょうちんはー、でんでんむしはー、とさまようことはあるけれど、会社名までは選ばない。基本、来た車に乗る。これが田舎になるともっと深刻で、歌志内なんか、今はタクシー会社が一つしかないから、選びようがない。

ところが、米国はUberがあるので、いくらでも運転手を選ぶことができる。車種、運転手、価格、今いるところまでの所要時間などによって好きなタクシーを選ぶことができるので、とても快適である。きちんとITを利用すれば世の中はこんなに便利になる、という見本なのだが、日本の為政者はバカなのでそういう制度設計ができない。どこかの既得権者が「そんな白タクを許可して、事故ったらどうする」とか言い始めると、そうかもしれないなぁ、と納得してしまう飼いならされた社会主義者たちの集団である。

こんな国に明るい将来があるとは思えないのだが、もうちょっとなんとかならんものかね?聞くところによれば、日本ではタクシーだって病院に突っ込んだりしているらしいじゃない。

電気代の値上げだってそうだけど、福島の事故の処理費用を上乗せする会社と、上乗せしない会社から、同じ土俵で好きな方を選べてはじめて自由主義社会なんじゃないの?実質的に選択の余地がない中で「三兆円上乗せします」って、それは東電のバカの責任を強制的に国民に負わせているだけだよね。

タクシーだって、選びたい人がちゃんと選べるのが理想的なんじゃないかなぁ。で、そういうシステムがすでに構築可能なのに、実現できない社会って何なんだろうね?

二ヶ月前にも同じようなことを書いたんだけどね。

参考:日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例
http://buu.blog.jp/archives/51533963.html  
Posted by buu2 at 00:03Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年12月01日

給付型奨学金制度に見る、目的はとても正しいのに、やり方が馬鹿という事例

やろうとしていることは基本的に良いことなのに、やり方が馬鹿だから、いつまで経っても日本は三流国と評価され続けるという事例があったので紹介しておく。この記事で紹介されている給付型奨学金である。

給付型奨学金、1学年2万人を対象 自公が首相に提言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161130-00000105-asahi-pol

貧乏な苦学生にもチャンスを、という、機会の公平性の観点からは非常に良い施策なのだが、馬鹿が設定するから問題の多いものとなる。諸悪の根源はこの部分である。

対象者はすべて学校推薦で選ぶ。具体的には、約2万人分の枠を全国約5千の高校に各1人以上割り振り、各校は国が作る成績基準などの指針に基づいて推薦する。複数の対象者が割り振られる高校は、日本学生支援機構などが決めるという。


主観に依存する部分を残したがるところが、三流国の政治家が考えた案の特徴である。学校推薦になれば、学校内で「誰を選ぶのか」という問題が発生する。「うちは貧乏なので」という、貧乏自慢ぐらいならまだ良いのだが、「うちの子は先生に気に入られているから」といった話になってくると、なんとかハラスメントの温床になりかねない。クラス間での調整が必要になった時も、担任の力関係が選出に影響を及ぼしかねない。また、各高校への割り振りにも主観が関係してくるので、高校が日本学生支援機構に接待攻撃をかける可能性だってある。こうした可能性を、この制度のままで完全に排除するのはとても面倒だ。

日本の政治家は縁故資本主義の中で選ばれてきているので、こういうコネカネの世界に非常に鈍感である。フェアであることが最優先されるなら、この制度の概要を読んですぐに「これはおかしい」と気付くはずなのだが、そういう感覚が失われているのだろう。

給付型奨学金を設計するなら、基準は全国一律であるべきで、日本学生支援機構や各高校に裁量を与えるべきではない。単に、各家庭の収入と、あとはセンター試験の成績で決めてしまえば良いだけのことである。

日本におけるかつての共通一次試験、およびセンター試験の評価は非常に低いようだが、僕はこの客観テストは、数少ない、日本における非常に効果的な試験制度だと思っている。せっかく客観的に、全国横断的に学生のランク付けができるのだから、この仕組みを使わない手はないはずなのだが、なぜそれを避けるのか、さっぱり理解できない。多分、「俺たちは優秀だから、俺たちの主観で決めることが一番正しいに違いない」と考えているのだろう。勘違いも甚だしい。

日本人は、人間を客観的にランク付けするのは凄く苦手なくせに、主観的にランク付けするのは大好きだ。だから、いつまで経っても不公平な国のままだ。もうちょっと、公平とはどういうことか、まじめに考えた方が良い。  
Posted by buu2 at 08:00Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月25日

ジェネラリスト偏重によって国際競争力を下げ続ける日本と、その対策

電通の過労死問題を機にちょっとだけ盛り上がっている労働問題だが、いつも言っているようにほとんどの人が本質に切り込めず、また分かってはいても言及できずにいる。だいたい、ちょっと思いついて語る意見、いわゆるjust ideaに傾聴する価値があるものが多いはずがない。

そんな中、以下のコンテンツは、一年前に発表されているのだが、かなり良くまとまっている。

日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2015/japanese-labor-productivity-levels/

ただ、ところどころで言葉が足りない感じがするので、「この視点が欲しかった」ということを書いておきたい。それは、社会で求められている人材の質がジェネラリストからスペシャリストへと変移しつつある中、日本は相変わらずジェネラリストの育成に終始している点である。

例えば、生物系研究者のキャリアを見てみても、若いうちはテクニカルスタッフのような働きを任され、やがて自分で研究するようになり、そしてマネージメントや教育へと立ち位置が変わっていく。研究という意味では一本軸が通っているのだが、「技術者」、「研究者」、「教育者」あるいは「管理者」と役割が変わっていき、同時にそれに求められるものは「労働力」、「思考力」、「指導力」あるいは「政治力」と変わっていく。日本ではテクニシャンの評価が非常に低いので、ほとんどの人が研究者を目指すのだが、精力的に研究できる期間は結構短くて、偉くなっても研究室のマネージメントに忙殺される、という話も珍しくない。日本が特異的なのは、このキャリアパスをほぼ全員に適用する点である。つまり、生涯テクニシャンとか、研究一本で教育にはノータッチといったスペシャリストのキャリアパスがほとんど存在しない。理研時代に榊さん、林崎さん、横山さんという三人のプロジェクトリーダーたちをそばで見てきたけれど、彼らが試験管を持つところを見たことがなかった。プロジェクトリーダーとは、お金を取ってきて、研究者たちを差配するだけの存在だった。おそらく、この先、彼らが試験管を手にすることはないだろう。

全ての研究者たちがこういったキャリアパスを希望しているなら構わないのだが、生涯技術だけに特化したいとか、教育に専念したいというタイプも当然存在するはずで、そういう人がスペシャリストに育つはずなのに、実際はジェネラリストばかりが量産されている。

実はこれは終身雇用、年功序列の日本社会にはとてもフィットした手法だった。ジェネラリストなら、いつ、どんな配置転換があっても、すぐに適応できる。誰かが死んだとか、誰かが退職したという事態に簡単に対応できる。草野球チームでみんなが全てのポジションをこなせるなら、ピッチャーが急用で参加できなくなっても、誰かが代わりにピッチャーをやれば良い。

ところが、時代は変わり、各人に要求されるスキルのレベルがアップした。草野球なら良かったけれど、プロ野球だと、付け焼き刃のピッチャーなど通用しない。どのポジションにも相応のスペシャリストが必要になってくる。そうしたとき、ジェネラリスト集団は決して一流になることができない。

では、一流のスペシャリストを揃えれば良いではないか、となるのだが、ここで障害になってくるのが「終身雇用」という制度である。よそのチームに凄く良い内野手がいるのに、自分のチームの内野手のクビを切れなければ、誰かを飼い殺しにする必要が出てくる。現実的にはそれは難しいので、優秀な選手の獲得を諦めざるを得なくなる。

あるいは、もっとドラスティックに、「野球は斜陽なので、みんなでサッカーやろうぜ」となった時にも、野球選手たちはお荷物になる。お荷物はクビにできたら良いのに、それができない。

こうした事態の具体例がカネボウである。繊維産業はすっかり斜陽で全く採算が取れなくなってしまった。せっかく化粧品部門が堅調なのに、トータルで見ると経営は悪化の一途。それでも大規模なリストラには踏み切れず、社内では対応不能に陥り、最終的には外部の協力を得て解体された。

労働者たちは、労働力の流動化そのものには反対しないのだが、それとセットで語られる解雇規制の緩和には非常にナーバスだ。そのせいで、日本の労働環境は一向に改善されず、企業の国際競争力は低下する一方である。解雇規制という目の前の毒を恐れて、結果的に自分の立っている地盤そのものが急速に弱体化していることから目を背けている。これは浸水が進んで沈没しそうな大型客船で、自分の部屋にだけは水が入ってこないように土嚢を積んでいるようなもので、事態は全く改善せず、むしろ死期を早めているだけである。そのことについてはOECDも再三勧告を出しているのだが、事態は一向に改善しない。世界経済フォーラムの2012年のリポートでは、社員の雇用・解雇のやりやすさに関するランキングでは、日本は144カ国中134位と最低レベルである。
出典:「アングル:道険しい安倍政権の雇用改革、際立つ日本の硬直性」
http://jp.reuters.com/article/l4n0fh2fk-angle-japan-employment-idJPTYE96B01G20130712?sp=true

こういうことを僕は10年ぐらいこのブログで書いてきているのだが、多分、10年後も日本は今のままの硬直した労働市場を維持しているだろう。それは、解雇規制の緩和を忌避する人たちが大勢いるのだから仕方がない。そこで、特に若い人に言っておきたいのは、職場は日本だけではないということだ。日本よりも環境の良い国は他にある。だから、「あっちの方が良いな」と思った時、それがきちんと選択肢になる必要がある。その時に要求されるのが英語力である。英語だけはちゃんと勉強しておくと良い。特に、リスニング能力は磨いておけ。英語ができないから日本を脱出できない、という事態だけは避けるべきだ。  
Posted by buu2 at 14:29Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月21日

ブラック国家日本から脱出せよ

電通の過労自殺に関して
大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ

出典:長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない
http://buu.blog.jp/archives/51534531.html

と書いたけれど、若干補足しておく。

まず訴えたいのは、長時間労働は日本が抱えているたくさんの労務問題のうちのひとつだということだ。そして、その問題は単体では解決できない。

サッカーでいえば「得点力不足」という日本代表の問題点があって、じゃぁそこにメッシを連れてきたら全部解決するかといえばそんなことはない。ロナウドを連れてきたとしても、メッシを連れてきたとしても、それにあわせてチーム戦術を変えなくてはならない。それは、場合によってはゴールキーパーの選出にも影響を及ぼす。様々な要素が絡み合っていて、フォワードをひとり変更すれば万事オッケーというわけではない。

そこで、長時間労働を改善したいなら、最終型を描け、というのが先にあげたエントリーの主旨なのだが、なぜ最終的な姿をイメージしなくてはならないのかをわかっていない人が多そうだ。

ゴールセッティングが重要な理由は、おおよそ次のようなものである。

●フォーカスすべきポイントが明らかになる
●到達すべき目標が明確になる
●当事者を従事しつづけさせる
●予定よりも遅れたとしても諦めないで済む
●モチベーションが持続する


逆に、最終型が不明確だと、何をやって良いのかわからないし、目標が達成できたかどうかもわからないし、当事者も飽きてきちゃうし、予定より遅れたら諦めてしまう。目の前にある問題が独立して存在するならともかく、社会の中で必然的に生まれている状況ならば、社会全体を変えなくてはならないし、そのためには「こういう社会にしたい」という理想像の共有が必要なのである。

このゴールセッティングは社会的な問題に限らず、個人でも有効だ。たとえば「陶芸家になりたい」という目標を設定した場合、じゃぁ、何をやるべきか、と考えることができる。逆に、「陶芸が好きだ」では、何をしたら良いかさっぱりわからない。作品を見るのか、作るのか、本を読むのか、窯元を見学するのか、他の美術を学ぶのか、やれることはたくさんあるのだが、それがなんのためなのか、何を目標にしているのか、何もわからない。

先日の長谷川なんとかの炎上騒ぎにしても、彼がキチガイなのは間違いないのだが、それがなぜなのかはわかっていない人が多いと思う。

なぜダメなのか。それは、話が透析患者に限定されたものではなく、ほとんどありとあらゆる領域で、本人の不注意や不摂生で病気や怪我が発生していて、どこに線引きして良いかわからない、つまり、非常に実現性の低い話を展開していたからに他ならない。つまり、ゴールセッティングができてなくて、目の前の問題に感情的になっていたからダメだったのだ。

このブログではそこをきちんと書いたつもりなのだが、世の中の多くは「殺せ」という単語の不適切さにこだわっていたようだ。

かように、何かをやろうとするなら、ゴールのセッティングは非常に大切になってくる。全ての議論は、まずはそこからスタートなのである。ちなみに、日本の労働問題に関して僕が考えているゴールは前述のエントリーで箇条書きにしたけれど、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化


である。でも、きっとこの内容でコンセンサスを形成するのは難しいのだろう。若い人は、可能なら、さっさと日本を脱出した方が良い。会社を辞められないのも、日本から脱出できないのも、僕からみたら同じである。もらえもしない年金をチラつかせて若者からお金を搾り取るぐらいに、日本は国家としてブラックである。

関連エントリー:なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html  
Posted by buu2 at 00:25Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月16日

長時間労働問題は、単体で議論しているといつまで経っても解決しない

件の電通社員過労死問題にあたっての反応をネットで読むにつけ、本当に日本は近視眼的だなと感心する。大勢の反応は「長時間労働けしからん」という論調だが、この調子で主張するから、いつまで経っても日本人の長時間労働はなくならないのだ。そのことに気がつかないところが残念至極なのだが、若い人たちがそれに気がつかないのはある程度仕方がないのかもしれない。なので、繰り返しだが、懲りずに書いておく。

何度も書いているのだが、カネボウやら、シャープやら、日本の古い企業が潰れている中、それでも多くの企業がなんとか踏みとどまっているのは、優秀な社員が長時間の労働に耐えているからに他ならない。ただ、その陰には、その何倍もの数の企業にとっては優秀でない社員が半強制的に働かされているのも確かだ。効率が悪いとはいえ、一定の成果を出しているのも間違いないので、今ここで一律に「全員、長時間労働禁止」としたら、多くの会社は優秀な人間のアウトプットと、それなりの人間のアウトプットの両方を失って、競争力はさらに減退するだろう。これによって、ただでさえ状態の悪い日本の景気は一層悪化するはずだ。このくらいのことは日本の大企業で管理職をやるぐらいになれば誰でもわかるので、実数としては多数派の非ホワイトカラーたちが「長時間労働反対」と主張しても、一向に事態は変化しない。もちろん、多数派の主張を盲目的に取り入れたなら、それはそれで大変な話なのだが。

では、何が悪いのか。簡単に言えば、日本の企業の生産性が低いからである。日本の企業は、その体質により、構造的に低い効率と生産性から逃れることができない。簡単に言えば、会社で能力を発揮できなくなった社員のクビを切れないので、その社員に足を引っ張られてしまう。低い生産性をリカバリーするために、長時間労働せざるを得なくなる。

だから、長時間労働の対策は、効率と生産性をアップさせれば良い。低効率・低生産性の原因はこれまた何度も書いているけれど、旧態依然とした日本の雇用習慣である。目指すべき環境ははっきりしていて、

●同一労働同一賃金(有期雇用、パート、派遣労働者の保護と社会保障強化を含む)
●新卒一括採用の廃止
●年功序列の廃止
●終身雇用の廃止
●最低賃金のアップ
●労働力の流動化

などである。え?いきなり話が飛んでない?と思うかもしれないが、長時間労働とこれらの日本特有の労働環境問題は密接な関わりがある。

上述の「目指すべき環境」には異論はあるかもしれないが、日本の低成長を危惧しているOECDからも2008年に勧告がでている。

Japan could do more to help young people find stable jobs
http://www.oecd.org/japan/japancoulddomoretohelpyoungpeoplefindstablejobs.htm

この勧告ではストレートに上述の6項目を列挙しているわけではないが、勧告を実現するためには、この6項目の多くを実現する必要があると思う。この環境を実現するためには労働者サイドにも不利な話はあって、それはたとえば労働力の流動化には無期雇用者の解雇規制の緩和がセットで語られることになる。すると、「それはけしからん」みたいな話になるので、いつまで経っても、日本の労働環境は改善せず、そのしわ寄せは若い人の方に向かう。ところが残念なことに、若い人は、社会経験が少なすぎて現実的な最適解を見つけることができない。自分たちで墓穴を掘ってしまっているのだが、多分、ほとんどの人はそのことに気がついていないのだろう。とりあえず、若い人たちは上の勧告だけでも読んだ方が良い。

とりあえず、長時間労働に絞って書くと、自己の裁量で働き自己を管理できる人間と、他人に管理されて働く人間とは、全く異なる人種なので、それを同一に論じるのは無理なのだ。それゆえの「ホワイトカラー・イグゼンプション」なのだが、なぜかホワイトカラーではない人たちがこの制度の導入に反対して、労働環境の改善が遅々として進まないのが今となっては滑稽ですらある。

その原因がどこにあるのかは不明なのだが、もしかしたら、労働者を使える人間と使えない人間とに分けてしまうと受け止められているのかもしれない。つまり、非ホワイトカラーになってしまったら、一生搾取される側になる、みたいなことだ。この辺になってくると今度は年功序列と密接な話になってくるのだが、こうした「労働環境の改善に関するちょっとしたお話」ぐらいでもすでにいくつかの要素が関係してくる。上に6つの要素を列挙したのだが、実はその6つは独立に存在しているのではなく、相互に密接な関係を持っている。どれかひとつだけを実現しようとしても無理なのだ。また、逆にいうなら、この中で海外からも強く実現を要請されている「同一労働同一賃金の実現」を実現しようと思えば、他の5つも全て何らかの対応が求められる。

とはいえ、いっせいのせのかけ声のもと、全部変えてしまっては大混乱になる。大事なことは、日本が目指すべき労働環境の最終型を描いて、それに対する国民的理解を実現し、その実現に向けたマイルストンを設置し、たとえば10年ぐらいの期間を設けて確実に変革させることなのだ。

「人が死んじゃった。なんとかしなくちゃ」で済む話ではない。目先の問題を解決しようとしても、それだけでは事態は好転しないし、むしろ悪化する可能性が高い。過労死は、会社単体の問題ではないということはここに書いた通りである。

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか
http://buu.blog.jp/archives/51534031.html

かように長時間労働問題はそれだけ切り出して実現することは不可能なのだが、議論として長時間労働問題を解決する手段を考えるなら、「法律でホワイトカラーと非ホワイトカラーを明確に分離し、非ホワイトカラーについてはきちんと保護せよ」ということになる。

#長時間労働対策だけをするのであれば、これだけで可能である。しかし、非ホワイトカラーの労働時間を削減すれば企業の生産力は落ちるので、このままでは企業の競争力が落ちて、企業そのものが退場に追い込まれてしまう。焼け野原に外資系企業がやってきて、日本は外資系企業の天国になってしまうかもしれない。

それにしても、いつまで経っても日本では「総合的なパッケージで労働環境全体を変えていかなくてはダメなんですよ」という話になって来ないのが不思議で仕方ないのである。


  
Posted by buu2 at 23:08Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月12日

物価さえ上昇すれば良い、という思考

経済学者って、面白いなぁ。以下、日経新聞から引用。

出典:消費 統計に現れぬ実態
賃上げ不十分で防衛意識 東京大学大学院教授 渡辺努氏
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO08284710S6A011C1NNS000/

アベノミクスの異次元緩和でもたらされたもので、何もしなければすぐにでも崩れやすい。


そうですね。

賃金が思ったほど増えず、消費者は値上げに悲鳴を上げたのだ。


そうですね。

商品が同質化し、価格競争に陥っている。


わかっていらっしゃる。商品の質が向上しないから、消費者は必要以上のお金を出さないのです。

これまで購入していた商品が安い時にタイミングよく買っていて


僕も、ユニクロでは割引商品しか買いません。

消費が不振な背景には賃上げが不十分なことがある。


そうですね。

政府・日銀は賃上げにもっと関与すべきだ。さらに政府がコントロールできる国立大学授業料や公共料金などサービス料金を引き上げ、物価上昇への本気度を示すことが必要だ。


は?収入が増えないのに生活に必要不可欠な公共料金が上がったら、民間企業の商品の売り上げが落ちて、給料は上がらなくなりますよ。公務員以外の生活は苦しくなるばかりで、デフレに拍車がかかりそうです。

あなたは、物価さえ上昇すれば、国民の生活はどうなっても良いのでしょうか?それで景気は良くなるんですか?  
Posted by buu2 at 22:00Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月09日

なぜ日本の労働市場は変わらなくてはならないのか

電通の若手社員が過労による自殺をした件を端緒に、日本の労働環境について考えてみる。

巷には「100時間で過労死なんて情けない」という考え方もあるようだが、これは実際に過労死している現実を踏まえているとしたら、不適切な意見だろう。残業耐性には個人差があって、できる奴もいればできない奴もいる。できる奴が自分の意思で残業するのは勝手だが、そのルールを他人にも押し付けるのは迷惑な話である。僕も残業という概念でくくるなら月間200時間ぐらいの残業をしたことがあるし、知人の中には二カ月連続で400時間の残業をやった奴もいるが(参考「人はどれだけ残業できるのか」http://buu.blog.jp/archives/51435509.html)、だからといって誰でもそんな状態で耐えられるとは思っていない。嫌なのに強制されるなら、違法なものは違法であって、根性論でどうにかなるものではない。その辺は、裁判の結果を見れば明らかである。

しかし、「過労で自殺」みたいな話があるたびにすぐに飛びついて「残業規制を強化すべし!」と怒鳴り散らす社会主義者たちも迷惑である。闇雲に規制強化に走れば、ただでさえ低下している日本の競争力がさらに低下するだろう。今の日本がなんとか踏みとどまっていられるのは、少数の精鋭たちが死ぬほど働いているからでもある。たとえばサッカーの本田選手が不調に陥って、普段の倍練習したとして、「その練習は違法なのですぐにやめるように」と本田選手に主張する人がいるだろうか。宇多田ヒカルが働きすぎとか、園子温監督が働きすぎとか、羽生名人や渡辺竜王が将棋を指しすぎとか、浦沢直樹や他の超売れっ子の漫画家が描きすぎとか、超売れっ子の俳優が働きすぎとか、そういう文脈で労働時間の違法性が論じられたことを、これまで僕は寡聞にして知らない。真のプロが、自分の意思と裁量で働く限り、他者が口を出すべき話ではないと思う。

全員働け、も暴論なら、全員働くな、も暴論なのだ。農耕民族としての団体行動思考が染み付いている多くの日本人には理解できないかもしれないが、先に書いたエントリーで述べた「研究は個人的なもの」というのと同様に、労働も個人的なものであるべきだ。価値観が多様化してきた今、僕たちの労働は、もっと高い自由度が確保されているべきなのである。それは、個人の日常の働き方というレベルにおいても必要だが、職業を選ぶ際にも必要になる。過労死という視点では、個人の自由意志による「働き方」よりも、会社という共同体の中において労働を強制される可能性がある「職業」の方が深刻なので、職業選択の自由度に焦点を当てる。

職業の自由度を考える際には、どういう選択肢があるのかをまず考えなくてはならない。選択肢にはどのようなものがあるのか。定性的に大きく分けて、2つである。それは、

(1)自由度と給与が高い代わりに、リスクも高い職業
(2)自由度が低く給与も低いが、安定していて保護も手厚い職業

である。

一つ目はいわゆるホワイトカラーである。なぜかホワイトカラーを残業規制から外そう(ホワイトカラー・イグゼンプション)という動きに対して反対運動が起きるのだが、その理由の最大のものは、日本の労働環境が終身雇用前提とされているからだろう。米国なら、「嫌ならさっさとやめちゃえば良い」が成り立つが、日本ではそれが成り立つかどうか不透明なことが問題になると想像される。では、日本の労働者はなぜ会社を辞めることができないのか。これも理由は二つあって、一つは労働市場が硬直していて、転職が難しいことである。もう一つは、企業でホワイトカラーに認定されそうな、年収1000万円以上とか、自己の裁量で仕事量を調整できるとか、知的教育による高度な知識を持つはずの労働者たちの少なくない部分が、期待されているようなスキルを持ち合わせていないことである。簡単に言えば、「転職先がない」「転職するための能力がない」である。この二つの問題はどちらかを解決しても、それだけでは労働市場は流動化しない。そのせいもあってか、いつまで経っても労働市場の流動化は実現しないのだが、その根底にあるのは既得権者たちの反抗なのである。

選択肢が用意されても、労働市場が流動化していなくては意味がない。今の日本の会社は乗客が満員の飛行機みたいなもので、みんな降りようとしないし、降りても、それ以外の便が全部満席で、一度降りたら最後、どこにも空席が見当たらない状態だ。離陸前に気分が悪くなっても乗り換えできないし、途中で降りることはもちろんできない。「労働市場は流動化していた方が効率的ですよね」という意見には偉いセンセイたちはもちろん、感度の高い生活者も同意するのだが、それが解雇規制の緩和とセットになると、突然反対に回るから困る。解雇規制がガチガチの状態では、そもそも空席が生じないのだから、労働市場が流動化などするはずがないのだが、民間企業でまともに働いたことのない学者センセイたちはその辺が理解できずに机上の空論を展開するばかりである。こうした無能な研究者がいつまで経っても退場しないのも終身雇用の弊害で、三菱総研というそこそこでかい民間企業、理研という特殊法人、経済産業省、民間企業の雇われ社長、そして現職の創業社長と色々渡り歩いてきた僕から見ると、俺の方がよっぽど専門家だろ、と思ってしまうが、彼らはせっかくアカデミアの職に就いた既得権者なので、顔を真っ赤にして反論するに違いない。大丈夫ですよ、あなたたちの職を奪う気なんてさらさらないですから。

さて、まずはホワイトカラー以外の人たちについて考えてみる。ほとんど何のスキルもない人の受け皿は必要で、それは英語で言えば「JOB」である。何のスキルアップにも繋がらないし、特別なスキルも必要ないが、時間を割くことによってお金を稼ぐことができる。ここで必要になってくるのが最低賃金の引き上げで、米国の都市部だと1500円から1800円程度だ。ちょっと話がそれるのだが、米国の場合、最低賃金が高いので、人の手が必要なファストフードの価格は高い。マクドのビッグマックが一つ500円程度である。ところが、食品の原価は安いので、ビッグマック二つで520円だったりする。この手のセット売りはファストフードやスーパーでは常態化している。そして、工業製品は安く、人の手がかかっている食品は高い、となるので、低所得者たちは自分で食材を買ってきて料理したり、5枚で500円の冷凍ピザを買ってきてオーブンで焼いたりする。米国で外食するとチップ込みで2000円はほぼ最低料金なので、日本でいうファミレスのような業態は成り立たないし、コンビニの夜間営業も淘汰されるだろう。しかし、米国で暮らしてみればわかるが、コンビニの深夜営業がなくても、何も困ることはない。コンビニの深夜営業がないと困ってしまうようなライフスタイルの方が問題なのだ。こんな感じで、最低賃金を二倍にするだけで日本の特に都市部の生活は大きく様変わりするだろうが、大きな問題ではないだろう。ともあれ、JOBで稼いでいく人たちの収入源はきちんと確保しておく必要がある。

要すれば、受け皿としてそこそこの給料を貰える職場はありますよ、だから、スキルがなくても大丈夫です。その代わり、外食とか、贅沢はできないから、自分で工夫して下さいね、ということだ。こうした職場の量は米国ではかなり重視されていて、それが減少しないように、海外からの移民に対してはそれなりに厳しい姿勢でいる。日本は、弱者の労働機会を確保する、という視点がほとんど存在しないので、生活保護のような、まったく社会に貢献できない人たちが生まれてしまう。

また、こうしたスキルのない人たちでも、それなりに職業を選択する自由が保証されている必要もある。今やっている仕事に飽きたり、嫌になったなら辞めて違う職につくだけの自由度が必要なのだ。これは雇用サイドへの圧力にもなる。きちんとした労働環境を与えることができなければ、すぐに人手不足に陥る、という状況は、労働者の職場環境の向上に、直接つながる。

スキルのない人たちにはスキルアップの機会が必要で、それはそれで別途考えていく必要がある。米国ではこの役割を果たしているのがcollegeあるいはcommunity collegeで、誰でも安価にスキルを身につける事ができる。やる気さえあれば、ステップアップのチャンスは与えられているのである。一方で、日本にはこういう組織は見当たらない。金を払えば学位をくれる、名ばかり大学が大量に存在するのだが、少子化の影響もあって経営不振に陥った大学は、海外からの留学生を集めて大学の体を為すのではなく、community college化に注力すべきである。また、ここで大事なのは入学者の年齢で、やる気さえあれば年齢とは無関係に、どんどん入学して勉強できる雰囲気作りが大切になる。ここで思い出されるのが2年ぐらい前の文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」である。この会議で冨山和彦氏が提出した資料がネットで議論を呼んだのだが、要は「トップ大学以外は職業訓練学校化すべし」という内容だったからだ。実は、冨山氏の論理展開と示した事例は非常に稚拙で叩かれてしかるべし、というものだった。簡単に言えば、彼の主張は大学を、大学の名称のままで職業訓練学校化しろというものだったからだ。しかし、職業訓練を主目的にするなら、それはもはや大学ではない。大学を大学ではないものに変えてしまえ、というのは暴論であろう。しかし、大学ではない組織として、職業訓練のための組織、米国でいうcommunity collegeが存在することは絶対に必要で、経営不振でどうにもならない大学が自主的にcommunity collegeへと改組するのであれば、それは歓迎されるべき話なのである。大体、社会から見たら、機能としては本来大学よりもcommunity collegeの方が重要になりつつあるのだ。

スキルアップの機会は米国では主として社外に存在するが、日本ではOJTという名の下に企業や役所の内部で実施される。ここがまた大きな問題の温床になるのだが、それはそこで身につけたスキルが他の会社では役に立たないことがある点である。また、その会社で行われるトレーニングで生き残った人しか存在しないので、肌が合わないと悲惨なことになる。そういった事態になったとき、受け皿が用意されていないのが日本の社会である。

米国の事例を中心に、スキルが高くない労働者をどう社会に馴染ませ、場合によってはスキルアップの手助けをすることについて書いてきたのだが、次はホワイトカラーについて考えていくことにする。

ホワイトカラーの労働環境に求められるのも、流動性である。実は、日本はホワイトカラーの多くがパーマネントの地位にあることが大問題なのだ。特に、年功序列によってスキルが不十分なのに高い地位にのぼりつめ、高い給料をもらっている人たちがお荷物なのだ。野球で言えば、40歳の大ベテランで、打率が1割、本塁打は0なのに、4番から微動だにしないようなものだ。監督が「ちょっと、ベンチに下がってくれないか」と相談すると、「それは判例で違法とされている」と言い出して交代を拒否する始末である。ここをなんとかしないと、本当にどうにもならない。空席ができなければ、次の人が座る場所がないのである。給料が高いのだから、能力不足を理由に解雇されるリスクぐらいは背負って欲しいものなのだが、日本はなぜかそうならない。安定と、高給の両方を既得権者が保持し続けるのが今の日本である。

ところで、ここで件の電通の自殺社員の話になる。あの社員はホワイトカラーではないのか、ということになるのだが、もちろん違う。彼女の場合、おそらく年収1000万円にはならないだろうし、自己の裁量で仕事量を決めることも不可能だった。これではホワイトカラーとは言えない。彼女は法律で守られるべきだったし、周囲からの配慮も受けられるべきだった。

ここで、三菱総研と中央官庁で働いた経験から、電通の仕事の難しさを書いておきたい。三菱総研と電通の仕事に共通する難しさは、「100点満点が存在しない」ということだ。どんなに努力しても、さらに時間をかければアウトプットが良くなる可能性がある。野球選手にホームランや完全試合のような究極の到達点があるのと違うところが悩ましい。そして、仕事はほとんど全て委託業務なので、客が納得しないならそれまでなのである。僕は経済産業省の役人としてシンクタンクを利用する立場になったこともあるのだが、その時に同僚から聞いた言葉は、「シンクタンクは生かさず殺さずだ」というものである。死なない程度に絞りあげろ、という意味だ。僕は広告代理店を使う立場になったことがないのだが、電通にとってのクライアントもおそらくこういう姿勢で、「広告代理店は生かさず殺さずだ」と考えているのだろう。発注者とすれば、少しでも長く受注者を働かせることが、アウトプットの質の向上につながる。本来なら、仕様書によってこのあたりの仕事の量と質を明確に規定すべきなのだが、受注の成否につながるので、仕様書はいい加減に書いておくのがこれらの業界の常でもある。おかげで作業はエンドレスになることが多い。相手を内容で満足させるのではなく、努力の量で納得させるのである。シンクタンクや広告代理店というとスマートなイメージかもしれないが、実際はこんな感じの古い体育会系の仕事だ。

「次の仕事」という餌をちらつかせられて、こき使われるのがこういった会社である。だからこそ、これらの会社の管理職は自己と、部下の管理が大切になってくる。不幸な事態は、全て人災なのだ。そして、社内での「使われる側」は、上長に対して常に「ノー」という準備が必要になってくる。一番難しいのは、このホワイトカラーと非ホワイトカラーの境界領域で、この間の調整は時間をかけて落とし所を見つけていかなくてはならない。そして、運悪く、自分の上司がこの調整作業がうまくできなかった場合は、まずは直属の上司にかけあい、それでもダメなら人事部にかけあい、やっぱり無理なら、辞めてしまえば良いのである。その時に重要なのが、「会社を辞めても、すぐに次の仕事が見つかる」という環境なのだ。

「つらい。やめたい」と漏らしている人がいたとき、「何いつまでもしがみついてんだよ、馬鹿だな。さっさとやめちまえ。何だったら、うちの会社の上司を紹介してやるよ。なんか、ちょうど人探してるみたいだから」と言ってあげられる社会にしなくてはならない。今は「私だけじゃなくて、みんな頑張っているから」と、孤立感を深め、一層のどつぼにはまっていくのである。

過労による精神障害と自殺の件数は、厚労省の資料によれば2015年度の決定件数だけでそれぞれ1306件、205件となっている。その背後には、発覚に至らないケースや、ちょっと手前で踏みとどまったケースが何倍も、あるいは何十倍もあるに違いない。そろそろ真剣に、労働環境の改善を考えたほうが良い。それは、労働者サイドから一方的に規制強化を唱えるのではなく、労働市場の流動化を目指して、解雇規制の緩和を含め、様々な角度から変えていかなくてはならないというのが僕の考えである。

米国が全てではないし、米国にも改善すべきところは多々ある。しかし、それ以上に、日本が米国に学ぶべきところはたくさんある。日本の古くからの習慣を良しとして、旧態依然とした労働市場を継続していることが、そのまま日本を世界の負け組に誘っていることに気付かなくてはならない。そして、その影響は、経済指標だけではなく、「過労による自殺者数」といった数字にも現れていると思う。  
Posted by buu2 at 10:25Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年10月08日

過労死した電通の高橋まつりさんのTwitterをざっと読んでみたが




と書いてあったので、証拠を色々読んでみた。

高橋まつり氏のTwitter
https://twitter.com/matsuririri

色々気の毒で悲しくなってくる内容だが、読んですぐに感じたのは、「最長月130時間」と書かれていた残業時間に対する違和感。

参考:24歳東大卒女性社員が過労死 電通勤務「1日2時間しか寝れない」 クリスマスに投身自殺 労基署が認定(産経ニュース)
http://www.sankei.com/affairs/news/161007/afr1610070012-n1.html

このスタイルだと、残業時間は200前後か、あるいはそれ以上だと思う。  

2016年10月07日

日本社会が社会主義社会であることのいくつかの典型的事例

米国は車社会である。お金持ちでなくても、車を持っている家庭が多い。ワシントンDCのような都市部であっても、通勤を含めて移動の手段としては車を利用するのが主流派だ。ワシントンDCは全米各州の中で公共機関によって通勤する人の割合が最も多い州だが、その数は2006年で33.6%、ニューヨーク州だと25.1%である(2006 U.S. Bureau)。

そんな風に一般的な自家用車だが、もちろん、持っていない人もいる。かくいう僕も、車を持っていない。よくみんなから「なんで持ってないんだ」「不便で仕方ないだろう」と言われるが、別にそんなこともない。地下鉄やバスを乗り継げば大抵の場所へ行けてしまうし、それが無理でも、Uberを使えば何の問題もない。実は、今日もエステート・セールに行くのに、Uberを利用した。片道30分の行程で、料金は一人当たり12ドル程度である。公共交通機関を使うと片道8ドル程度、所要時間は1時間30分程度、徒歩も5分程度含まれているから、費用対効果はとても優れている。

日本ではタクシー業界のロビー活動によっていつまで経っても本格導入が実現しないUberなので、これがどんなシステムなのか、知らない人も多いかもしれない。まず、Uberについて簡単に説明しておく。

登録にあたっては、支払いの手段としてクレジットカードかpaypalの登録が必要で、実はこれが最大のミソになる。料金はルートや道の混雑具合に左右されず、事前に提示された額で一定になる。定額なのもさることながら、運転手も、利用者も、現金を扱うことがないので、強盗にあうリスクが激減する。

さて、実際に利用する際は、利用者はウェブサイトやアプリで、自分のいる場所と目的地、乗車人数を入力する。すると、候補になるUberの車種、運転手、料金の一覧、今いる場所までの所要時間が表示される。今のDCはいたるところでUberが走っているので、大抵2、3分で乗ることができる。これまでの経験では、一番待ったのが6分である。僕はいつも貧乏旅行なので、今日の場合は往路がプリウス、復路がデュークだった。なお、使ったことはないが、事前予約も可能だ。

乗車中は特にやることもなく、普通のタクシーと同じように乗っていれば良い。ときどき渋滞などがあると「渋滞がひどいので、遠回りだけど高速を降りて一般道で行ってもいいか?」などと相談されるが、「適切だと思うルートを選んでください」と任せておけば良い。

そして、目的地に到着したら、運転手に「Have a nice day」とでも声をかけて下車する。

最後に、今日の運転手について、アプリで星1つから5つまでで評価を入力して終了である。

今日はメリーランド州の最もDCよりの場所からヴァージニア州のViennaという街の住宅街まで、22キロの行程だった。

こんな便利なものはない。

このUber、日本では何度か導入が図られているのだが、その度に国土交通省からの指導やタクシー業界からの反対を受けて本格導入が実現しないでいる。安倍晋三首相も「過疎地などで」との条件付きによる導入を検討するだけで、京都での参入も山ほど制約が与えられた様子である。

ウーバー「縛りだらけ」の日本参入 タクシー業界抵抗
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ26I1Y_W6A520C1TI1000/

本格的な導入までは程遠い状況だが、その理由はこの日経新聞の記事を読めば明らかである。

本格参入されれば市場を一気に奪われる――。市議会議員への働きかけを強め、市は3月、実験予算を撤回する。


確かに、タクシー業界にとっては打撃かもしれない。しかし、運転手にとっては特に打撃でもないはずだ。自分も、Uberの運転手になれば良いだけのことである。自己紹介で「タクシー運転歴・・年」などとキャリアをアピールすれば良い。

富田昌孝全国ハイヤー・タクシー連合会会長は「白タク解禁や合法化の動きにはいかなる妥協も条件付き容認もない」と言い切る。


このコメントなんかも、既得権の主張丸出しで笑える話である。要は、「理屈なんか関係ない。誰がなんと言おうとダメだ。理由は俺たちが貧乏になるからだ」である。これがまかり通るところが日本なのである。

事業者の都合が優先されたままでは、日本の消費者の利便性は置き去りにされる。


置き去りにされているのは上にも書いたように、消費者だけでなく、労働者も、なのである。

ことほどさように、日本社会は社会主義性が非常に強い。そして、競争を導入しようとすれば、既得権者達が猛反対する。

先日、ノーベル賞の受賞が決まった大隅良典さんも、東工大での講演で

「日本の大学の基礎体力が低下しているのは深刻な問題」と指摘。研究費の多くが競争的資金になると長期的な研究が困難になるとし、今後、新しい研究分野で日本人がノーベル賞を受賞するのは「非常に難しくなっているのではないかと危惧している」

「日本人受賞で浮かれている状態でない」 大隅さん講演
http://www.asahi.com/articles/ASJB761JLJB7ULBJ019.html

と述べたようだが、これなども既得権者側のポジション・トーク色が濃いと言わざるをえない。この辺の事情については「ノーベル賞の使者」というエントリーで解説したとおり、すでに大隅良典さんもあちら側の人なのである。

総統閣下はお怒りです「ノーベル賞の使者」
http://buu.blog.jp/archives/51432975.html

こういう講演があると乞食みたいな学者やその予備軍が大絶賛するので海のこちら側から見ていると猿山の猿に餌を投げ込んだみたいな状況で失笑を禁じえないのだが、日本にいる人たちにとっては他人事ではあるまい。それどころか、多くの日本人は日本人のノーベル賞受賞というのをめでたがって、もっと研究費を増やすべきだと大隅さんの講演に同調しているかもしれない。しかし、忘れてはならないのは、世界中で最もノーベル賞を獲ってきているのは、大隅さんがまさに批判している競争的資金を広範にわたって導入している米国なのだということだ(2014年で、日本の競争的資金は3500億円、米国は2002年で300億ドル)。

競争は悪、というのは弱者の理論で、社会主義的な発想である。もちろん、競争のすべてが正しいわけではないが、先日例に挙げた敦賀市の例を見ても明らかなように、既得権者たちは大抵堕落するし、グルーバルな視点からの競争力は下落する。そして、業界は不活性化し、公的な支援が必要になっていく。公的支援の主たる原資はもちろん税金である。

敦賀の住民のマインド
http://buu.blog.jp/archives/51531979.html

国に支援を要求する人たちが既得権者の場合は、納税者はきちんと厳しい目で精査する必要がある。役人任せではダメなのだ。たとえばタクシー業界と国土交通省はグルだし、ノーベル賞受賞者の多くと文科省はグルなのである。こうした癒着も、日本をダメにした大きな要因であることを知っておく必要がある。

参考:今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について
http://buu.blog.jp/archives/50339835.html
(日本における大型予算の決まり方について記述)  
Posted by buu2 at 18:41Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年09月28日

国立がん研究センターと日本たばこ産業株式会社の対決

国立研究開発法人国立がん研究センターが「受動喫煙によって肺がんになるリスクは1.3倍ですよ」という論文を出し、それに伴って受動喫煙のリスク評価が「ほぼ確実」から、「確実」へ変更され、がん予防のための行動ガイドラインを、他人のたばこの煙を「できるだけ避ける」から“できるだけ”を削除し「避ける」へ文言変更した旨リリースを出したのが8月31日である。

受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍
肺がんリスク評価「ほぼ確実」から「確実」へ
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20160831.html

これに対応して、JTの社長が「過去に実施された日本人を対象とした疫学研究論文から9つの論文を選択し」とか、「JTは、本研究結果だけをもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づけることは、困難であると考えています」とか、「疫学研究だけの結果をもって喫煙との因果関係を結論付けられるものではありません」とか、「科学的に説得力のある形で結論付けられていない」とか、コメントを発表したのが同じく(!)31日である。

受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/opinion/fsc_report/20160831.html

そして、このJT社長のコメントを捻りつぶすようなリリースが出たのが約一ヶ月後の9月28日である。

受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html

JTの社長が脊髄反射的にコメントを出したのも笑えるのだが、それに対してずっしりと体重が乗ったダブル・クロス・カウンターを繰り出したがん研究センターである。時間をかけてじっくり検討したと想像できる反論は非常に科学的である。

JTは今度はどんなリリースを出すのか、いつ出すのか、今から楽しみで仕方がない。あしたのジョーなら、トリプル・クロス・カウンターが決まると致命的なんだよね。ホセ・メンドーサは倒れなかったけど。

ちなみに、今の時点での僕の採点は10−0で「がんセンター勝勢」です。  
Posted by buu2 at 16:12Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年09月14日

敦賀の住民のマインド

いよいよもんじゅの命運が尽きそうな雲行きである。

稲田防衛相、「もんじゅ」廃炉に前向きな考え示す
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160913-00000155-fnn-pol

これに関連して思い出すのが、敦賀でのコンサル案件である。そのとき、顧客から聞いた話は、こんな内容だった。

敦賀市には競争がないのです。お金は国からどんどん降ってきます。だから、私たちはそれを仲良く分配するだけなのです。仕事は、みんなで順番にまわしていきます。競争がないから、価格が下がることもないし、広告にお金をかける必要もありません。上から降ってくるお金を順番にわけているだけで、みんなが良い生活ができて、本当に平和なのです。


お前ら、それは、敦賀市以外では談合っていうんだよ(笑)。

まぁ、もんじゅが廃炉になっても、まだまだお金は落ちるんだろうけどね。  
Posted by buu2 at 03:09Comments(2)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年08月30日

マンホールの蓋 新横浜編

マンホールの蓋って全然注目した事がなかったけど、きっといろんなデザインがあるんだろうね。


  
Posted by buu2 at 19:30Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年08月20日

朴柱奉(パク・ジュボン)バドミントン日本代表ヘッドコーチについて

今日は韓国人のファミリーを自宅に招いてのパーティだった。和風からあげ、和風カレーライス、和風ハンバーグという、純日本料理とは言えない手料理の数々でもてなしたのだが、料理は総じて好評だった。一番日本を味わえるはずの土鍋炊きのご飯と、昆布と鰹節でちゃんと出汁を取った味噌汁が、料理の数々の陰に隠れてしまったのはご愛嬌というもの。

例によって大量のビールを飲みながら会話していたのだが、ちょうど聞きたいことがあったので、質問してみた。それは、日本バドミントンチームのヘッドコーチをなぜ韓国人がやっているのか、ということだった。

彼の回答はおおよそ次のような感じだった。

韓国は、これまでバドミントンで非常に良い成績を残してきた。たくさんの五輪メダルも獲ってきた。そのおかげで、韓国にはバドミントンの英雄と評されている元選手がたくさんいる。今の、韓国代表チームの監督もその一人だ。日本の代表ヘッドコーチも、韓国では英雄とされている元選手で、僕は彼の名を冠したラケットを使っている。

日本において、柔道界には金メダリストがたくさんいるので、元選手の中には海外のチームの監督としてその手腕を発揮している人がいてもおかしくない、というのと同じなのだろう。

それにしても、朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチの手腕はすばらしい。2004年にヘッドコーチに就任後、着実に日本チームの成績をアップさせてきている。かなりのスパルタ式のようだが、日本人のマインドにはフィットしているのだろう。シンクロの井村ヘッドコーチが、同じようにスパルタ式で成果をあげていることからも、スパルタ式のコーチングが日本選手にフィットしていることは想像できる。

いつの日か、朴ヘッドコーチも井村氏と同じように母国に戻り、母国の選手のためにその手腕を振るう日が来るのかもしれない。それまでの間は、ぜひ日本チームのために頑張って欲しい。

ワシントンDCで暮らしていると、韓国だけでなく、ジャマイカ、ウクライナ、ペルー、ブラジル、エチオピア、イラン、パキスタン、バングラデシュ、ガボン、マリ・・・と、日本で暮らしていたらほとんどコミュニケーションをとる機会のない人たちと色々と会話できる。旅行でも会話ぐらいはできるかもしれないが、実際に生活しているのとは機会の数も、会話の密度も変わってくる。世界は米英仏独だけではないことを知ることができて、とても刺激的だ。同時に、日本社会は本当に均質で、閉鎖的だと感じる。50歳近くになっても海外に出てみて本当に良かった。  
Posted by buu2 at 18:17Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年08月12日

鳥越俊太郎版、敗軍の将の弁

鳥越俊太郎氏が敗軍の将として色々語っていたので読んでみた。

「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗の都知事選を振り返る【独占インタビュー】
http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

以下、引用しつつコメント。

自分が出なかったら、ひょっとしたら後で後悔するかもしれない


一番は、都民のためじゃなくて自分の気持ちが理由だったということ。

テレビ番組のアンカーをやっていた時も


テレビ番組のアンカーと都知事が同じだと(笑)

新聞記者の時だってそう


新聞記者と都知事が同じスタンスで良いなら、産経新聞の記者でも都知事ができてしまうわけで。

急ごしらえでガーッと詰め込まなければいけない仕事をしてきている


こんな人が都知事にならなくて良かったですね。

僕はペンの力なんか全然信用していません


ジャーナリストって、基本はペンで戦う人たちなんじゃないの?

痴漢してないということをどうやって証明するかというと、できない


いや、結構なところまではできると思うんですが。

「この人がこう言っている」というだけで載っちゃうのね


全然ダメなはずのペンにやられたと(笑)

僕はそれで行くしかないと思っていた


この記事の中では珍しく、自己の判断に責任が帰着したところ。判断はまずかったと思うけど(笑)

説明責任というのは美しい言葉だけど、実際にはこれほど難しいことはない


難しいからといってみんなが説明責任を放棄したら、それはそれで困りますよね。特に自治体の首長とかは説明責任を果たすことが重要で。

僕はニコ生は基本的にメディアとして認めていない


それはそれで一つの見識だけど、そういう姿勢ってこうして発言しなくてもちゃんとニコ生のファンには伝わるわけで、それが敗因のひとつでしょうね。

あんな文字がどんどん画面に出てくるようなところに出たくないですよ


また、ペンに負けている(笑)

あんなのおかしいじゃないですか


同意を求められてもねぇ。

全く関与していない


他人の判断だと。

候補者が何でも知っていて、何でも決めていると思うだろう?


何でもとは思わないけれど、重要な判断は自分でしないとね。それに、何も知らないとしても、判断には責任を持たないと。たとえば都知事が行政判断について「都知事が何でも知っていて、何でも決めているわけではない」と開き直って責任を放棄してしまうなら、議会も、都職員もついてこないよね。首長って、要は最終責任者だから。

それは僕ではなくて、選対の判断だから


でも、それは判断を選対にまかせたこの人の責任。

選対の部分でカットしているから、なぜか僕は全く知らない


悪いのは全部選対(笑)

相手に聞ける質問なんて、1問が限界


数少ない時間を使ってネガキャンをやるのが作戦じゃあなぁ。その作戦を考えたのは選対かもだけど(笑)

俺は知らなかったの。ニコニコから話が来ていたなんて


悪いのは全部選対(笑)

僕は何も知らない


悪いのは選対だけど、そこの責任者については何も知らない、と(笑)

僕は全くノータッチだから


この人は一体何をやっているのだろう?

ネットにそんなに信頼を置いていない。しょせん裏社会だと思っている


えーーーと、この人、オーマイニュース(ネット新聞サイト)の初代編集長だったんですが(笑)。まぁ、潰れたんですが。


総じて思うのは、徹頭徹尾「悪いのは私ではない」というスタイルで、都知事にはふさわしくないということ。これなら無能だけど責任は取る人や右翼だけど責任は取る人の方がまだマシ。これから都政がどうなっていくのかはわからないけれど、少なくとも鳥越俊太郎ではダメだったということはわかった。  
Posted by buu2 at 02:53Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年08月05日

稲田朋美がなぜキモいか

ウィキペディアから引用しつつ、書いてみます。

夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった


産経新聞かよ。いきなりキモい理由がわかった。でも、これじゃぁブログの記事としては貧弱なので、続けます。

「南京虐殺の象徴とされる百人斬りは虚偽だと立証できたと思っていた」が最高裁では棄却されている


自分に都合の良い解釈をするんだよね。それで、裁判で負ける。

「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と述べている


そんなところとは知らずに何度もお花見やっちゃったよ。ところで、「何か」って、何?

検閲の意図は全くないが、政治的に中立な映画かどうかは若干の疑問を感じた


事実上の検閲だろ。これが検閲じゃないなら、検閲を定義しろよ。

大江の記述には合理的根拠が認められ、書籍発行時において大江が「真実であると信じる相当の理由があったと言える」とされ敗訴した


また負けかよ(笑)。

「河野談話」に対する個人的見解として、慰安婦制度に「強制性はなかった」と述べている


裁判やったら5分で敗訴(笑)

「成人にも悪影響を与える暴力的なコミックと過激なゲームソフト」がある


こういう思い込みがキモい。

「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない」


これもキモい思い込み。

男女共同参画社会基本法について「おいおい気は確かなの?と問いたくなる」「女性の割合を上げるために能力が劣っていても登用するなどというのはクレージー以外の何ものでもない」と述べている


法律を読む限りでは男女の取り扱いに差異はなく、能力が劣っている女性を登用すべし、という主旨の内容にはなっていない。

参考:男女共同参画社会基本法
http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html

尊属殺人規定の復活を主張している


なんか、理屈ではなく感情的にキモい。

「『最高裁から(判決が)出たんだから変えるのは当然だ』という無責任な考え方で改正をしてもらっては困る」と反対意見を展開


この人、憲法(との整合性を判断する最高裁)と対立できると勘違いして政治家になったのか?この裁判では、国籍法が違憲だから改正せよ、という判決だったのだが。不満なら弾劾裁判やれよ。

日本独自の核保有を、単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき


もう、この辺が決定的にキモい。

真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること


ひぃーーー。まずはお前の息子を差し出せよ。

保育所増設の政策などを見ていると『ほんとに母乳を飲んでいる赤ちゃんを預けてまで働きたいと思っているかな』と疑問に思う


働きたいんじゃなくて、働かなきゃ、育てられない人もいるだろうに。色々な立場や可能性に配慮できない視野の狭さがキモい。

『女性初の宰相候補という「稲田朋美」政調会長の地元の疑惑』(2015年4月2日号)について“載せるなら法的措置を採る”と通知して来た夫・龍示が「記事も見ないで“裁判!裁判!”の弁護士バカ」と評された(2015年4月9日号)事について名誉毀損で提訴したが、大阪地方裁判所は「内容は論評の域を出ていない。新潮の言うような対応が為されたことは事実」として訴えを却下


全盛期の阪神並みに裁判に弱い。

2016年3月11日、大阪地方裁判所は、サンデー毎日の記事の内容が真実であり公益性があるとして、稲田側の請求を棄却した


連戦連敗(笑)。

あぁ、キモかった。結局、ずれた思い込みが激しくて、自分が正義だと思って裁判をやっては負けるというのを繰り返しているんだよね、このキモいおばちゃんは。櫻井よしこも、福島瑞穂もキモいけど、負けず劣らずキモいよな。  
Posted by buu2 at 21:13Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年07月12日

タレントが売るものと、春日匠という馬鹿について

石田純一の都知事立候補にあたり、こんなニュースがあった。

石田純一「数日で何百万、何千万」出馬表明で違約金
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160709-00000130-nksports-pol

この記事に対して、Facebookの友達である平川秀行氏が「政権に対して批判的立場で立候補をほのめかしただけで社会的に袋叩きにされる」という意見を表明していたのだが、果たしてそうだろうか。これまでに企業や特殊法人の広報を担当し、何人もの芸能人のウェブサイト運用を手伝い、政治家が運営するネットテレビ局の運営の手伝いをし、ネットテレビ局のメインキャスターとして1時間の生番組を週二回、2年以上やってきたりした実績をもとに、主として「タレントのイメージ」について考えてみる。

CM出演料を出す立場が一番偉いし、主役でもあるので、まず広告主の立場からタレントのイメージを考えてみる。CMは広告主のイメージを決定づける重要なコンテンツなので、それに出演する俳優には少しでも良いイメージを持っていて欲しいのは当然のことである。誰が好き好んで悪いイメージのタレントを使いたがるものか、ということだ。また、大抵の場合はCMに出演するタレントはすでに何らかのカラーが付随しているので、そのイメージが自社や商品のイメージに合致している必要がある。たとえば吉高由里子なら三井住友のカラーがついているので、他行の担当者は起用しにくい。

#というか、それ以前に三井住友から「他行とそのグループのCMには出てはいけない」という制約がつけられているはずだ。

そして、出演するタレントには、CMを流している間中、余計なカラーがつかないことを要求する。清廉なイメージがあるからといって起用したタレントが、CMを流し始めた後に消費者金融やパチンコのCMに出てしまったら、「え?」となるはずだ。そして、こうした事項については、契約書で「イメージを損なわないように」と抽象的に書かれているはずだ。なぜなら、個別具体的に「これはダメ」と書く形式だと、漏れがある可能性があって「これは書いてないからオッケー」と曲解されてしまうリスクがあるからである。これは契約業務では非常に一般的な話で、主契約書は曖昧に書いて、あとは覚書にまわしたり、別途相談としたりするのが当たり前である。このあたりは企業の代表として弁護士を含めて契約業務をやったことがある人なら誰でも知っているはずだ。

また、イメージを損なう可能性がある活動を希望する場合には、両者で事前相談する旨、主契約書に記載されているのもほぼ間違いない。ちなみに、「可能性のある事項」は広告主が求めるイメージ次第で、ライザップなら太らないとか、独身っぽいイメージが売りなら結婚しないとか、保険会社なら交通事故を起こさないとか(これはわざと事故を起こすはずがないので、不可抗力で事故が起きないように、最初からハンドルを握らないことになったりする)、お酒のCMなら妊娠しないとか、山ほど想定されるし、わざわざ記載しなくても、犯罪を犯さないといった条件も言外に含まれているはずである。

そうした様々な条件と引き換えに、広告主はタレントに対して高額の契約料を支払うことになる。若いタレントでも数千万円単位の契約料をもらえる背景には、こうした様々な制約が存在する。彼らが売っているのは、イメージそのものであり、イメージが商品なのだ。

次に、CMに出るタレントの視点から考えてみる。タレントにとって、イメージは最も重要な要素である。たとえば一度ダイエット食品の広告に出てしまったら、食いしん坊万歳には出演しにくくなるだろう。CMに出て無色透明でいられるはずはないので、今後、そのタレントをどういうカラーで売っていくのかについて、タレントと事務所で相談して、出演CMを慎重に選んでいくことになるはずだ。

前述の吉高由里子で言うなら、今では三井住友のカードローン、みたいに決して良くないカラーがついてしまった。一度定着したイメージはなかなか払拭できないので、「当分これでやっていく」という覚悟も求められる。このように、タレントとしてもCM出演は冒険になる。

テレビ局のサイドから見たらどうだろう。中立で不偏不党と思っていた、自局の番組のCM出演者が突然都知事選挙に立候補してしまえば、困ったことになる可能性も少なからずある。たとえば報道ステーションのCMなら、視聴者だって「あれ?この番組は特定政党に偏った番組なの?」となる。さらに、実際に立候補した場合は、選挙期間中にCMを流すことができなくなる。これはCM出演者側の自己都合なので、テレビ局には何の落ち度もないが、代わりに何かを流す必要が生じて、その手配はテレビ局と広告代理店の仕事になる。

こうしたもろもろを調整するのは、有名タレントの場合は主に広告代理店やタレントの事務所だろうが、彼らとしても余計な仕事が増えることは間違いなく、少なくとも事前にちゃんと相談してくれよ、という話である。

さて、ここでタレントが野党の統一候補として(別に自民党・公明党の候補でも構わないが)都知事選に出馬したらどうなるか。そのタレントがそれまで政治的に無色透明であれば、広告主たちは椅子から転げ落ちるほどにびっくりするだろう。都を二分するような政治的課題が存在するなら、大雑把に見ても、都民の半分からは反感を買うことになる。それまで0のイメージだった人たちが、プラス100とマイナス100に分かれてしまうことになる。2ちゃんねるなどを見ていてもわかるように、日本ではポジティブな感情よりもネガティブな感情のほうが表出しやすい傾向があり、企業はこのネガティブなイメージを非常に恐れる。

また、石田純一の場合も該当するが、これまでにも多くの政治的発言を繰り返していたタレントや、あるいは石原良純のように親や兄弟に特定政党の政治家を持つ人間だとしても、立候補するとなればそのカラーは決定的になる。曖昧なカラーと決定したカラーは大きく異なる。職業として政治家を選ぶのであれば、曖昧なカラーではありえない。

繰り返しだが、CMタレントが売っているものは「イメージ」そのものである。一般論でいえば、政治や新興宗教はイメージが売り物のCMタレントにとって最もtouchyな話題である。主義主張や信仰がだめなのではなく、それが明確化することが広告主から敬遠される。人権がどうとか、そういう話ではなく、そういうものであって、嫌ならCMタレントとして経済活動をやるべきではないのである。

つまり、今回の石田純一の立候補示唆は、自民党に批判的な立場だったから疑問を呈されたのではなく、おそらくCMに出演しているタレントとして、ビジネスパートナーから契約違反を指摘されたに過ぎない。また、この文章ではCMについて書いてきたが、ワイドショウのコメンテーターとしての出演などでも事態はほぼ同じである。

ここまで書いてきたことはほとんどが一般論である。個別具体的には実際に石田純一が交わしている契約書の内容を精査する必要があって、それは弁護士や裁判所の仕事である。この辺は法律やら契約やらの話で、政治とは関係がない。もともと石田純一の場合は脱原発を明確にするなど反自民色を明確にしているタレントなので、「主張が反自民党だから」という理由だけで違約金がどうのこうのという話に発展するとは考えにくいところがある。

今回の事象は芸能界の一般的なルールから外れているので、違約金が発生するかもしれないという石田純一の発言を以って「反自民だから」とやらかすのは被害妄想に感じられる。良いものは良い、ダメなものはダメと冷静に、是々非々で判断する必要があって、そういう視点がないと、「あの人はちょっとおかしい」と疎まれてしまう。そうした溝がどんどん深くなると、今の社民党のように孤立無援になっていく。

僕は平川氏に対して「通常の契約なら禁止事項や事前調整の必要性についてはきちんと明記されているはずで、その契約内容の確認もなしに「これはひどい」と喧伝するのはヒステリーに見えます」と書いた。もちろん、精査してみれば平川氏の指摘するような事態が背後には存在するかもしれない。しかし、現段階では、常識的にみておかしいのは石田純一の方だ。そして、ただでさえ叩かれやすいのが政治家である。その余地をふんだんに残したままで立候補を示唆したことは軽率と言えるだろう。

#今回は、この話題について僕が経産省時代に省庁横断的委員会を開いたときの委員だった平川氏と話している最中に、呼んでもいないのにカスが小じゃなく春日匠とかいう馬鹿がスレッドに乱入してきて、「奴隷制につながる契約や臓器売買を前提とした契約と同等で無効であるべきだ」とか書いてきて呆れたのだが、この馬鹿は恐らくこれまで民間企業同士の契約業務を担当したこともなければ、広報活動のプロとして社会活動もしたことのない脳みそお花畑の人物であろう。臓器売買と政治家立候補禁止が同列って、どこかに似たようなタイプがいたな、と思い返してみたら福島瑞穂だった。Facebook上の公開されたやりとりなので横から会話に参加してくること自体は何の問題もないが、どこの誰とも知れない人物が、主張の背景すら表明せずに馬鹿を晒すのは迷惑行為である。やりとりをキャプってこのブログで紹介しようとしたら「ツイッターでやってくれ」とか言ってくるし。以前、キクマコ氏の取り巻きに粘着されてから、ああいう匿名メディアでは時間の無駄だから議論はしないんだよ。目障りな奴はどんどんブロックするけれど、その手間までもが馬鹿らしいから、こういう馬鹿とは関わらないに限る。僕の中には馬鹿リストが存在していて、榎木英介とか、内田麻里香とかが該当するのだが、春日匠という名前も追加しておいた。小物すぎて全然知らないけど(笑)、これとこれは同じ、と言いながら月とスッポンほども違うものを列挙する奴にまともな奴はいない。

歌手が、「コンサートで歌う約束をしたけれど、歌を歌いたくなくなったので歌うのはやめるって言ったら、『もうチケットを売っちゃったので損害賠償だ』って言われた」とか言いだしても、「本人が歌いたくないって言ってるんだから、無理やり歌わせるのは人権侵害だ。それは臓器売買を前提とした契約と同じだ」とは言わないでしょ?(こっちは上手な類似事例の提示だな(笑))

なんで科学コミュニケーション関連ってろくでもない奴が大勢いるんだろうね?あ、日本の科学コミュニケーションって、科学のメインストリームで使い物にならない奴らの受け皿だから?

ともかく、アベノミクスは馬鹿だし、自民党の憲法草案も馬鹿だし、安保法も馬鹿だし、安倍晋三も馬鹿だけど、批判すべきところと批判すべきではないところはきちんと見分ける必要がある。クソも味噌も一緒にしてしまうようなら、「あいつは電波だから」と一括りにされて、正しい主張も埋もれてしまう。

あと、専門的な話には、ど素人は付け焼き刃の知識で首を突っ込まないほうが良い。ちなみに僕は慎重なので、この文章も公開前に広告代理店の知人に「おかしなところはない?」と問い合わせ済みである。回答は「その通りだし、何の問題もない」であった。

関連エントリー
科学コミュニケーションの向かうべき方向
http://buu.blog.jp/archives/51426321.html

急募!「まともな」サイエンス・コミュニケーター!
http://buu.blog.jp/archives/51245931.html  
Posted by buu2 at 03:19Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月30日

岡口基一氏の一件は日本人を試すリトマス試験紙である

岡口基一裁判官が素晴らしいと書いたのだが、これは本能的に「あ、この人は超一流だな」と感じたからである。

参考エントリー:朝日新聞に載った岡口基一裁判官が素晴らしい件
http://buu.blog.jp/archives/51527002.html

そのあと、岡口氏のTwitterをさらに詳しく読みながら色々と思ったことを追記しようとしていたら結構な分量になったので、追記ではなく新しいエントリーとして書いてみる。

僕たちはまず、岡口氏がなぜ実名顔出しでつぶやいているかを考えてみる必要がある。「一種の露出狂だから」という考え方もあるとは思うが、僕はそうは思わない。彼の行動原理は、一種の性的マイノリティ(なのかどうかも不明だが)の立場から、その存在の権利を主張することに見える。もちろん個人的趣味はあるのだろうが、同時に社会に対して問題提起している色合いを感じる。

「面白い写真をアップしたい」と思った時に、一瞬でも「でも、社会的に良いのかな?」と確認するフェイズがあるはずで、その上で「やっちゃえ」と思わせる何かがあるはずだ。

僕はかなり前に「マツコ・デラックスはメディアには珍しく非常に良識的な人間である」と書いたことがあるのだが、マツコと比較的近い立ち位置の人物に見える。では、岡口氏の提起している問題とは何か。

大前提として、彼の行動は全くもって合法であり(それは、裁判官という極度に専門性の高い職業の人間が続けていることからも明らかだろう)、何ら処分に値するものではない。この点はきちんと把握しておく必要がある。今はやりの、「違法ではない」というやつだ。

それでもなおこうして新聞記事になったりするのは、彼の行動が一般常識、いわゆる日本人の常識の外にあったからだろう。これもはやりの「不適切」というやつだ。最近ネット内では「マスコミは舛添を叩きすぎ」という意見が散見されたのだが、これとは似ているようでいて、大きく異なる。舛添氏は原資が税金のお金をちょろまかしていた疑惑があったにも関わらず、それをきちんと説明しなかったからこそ、辞任に追い込まれたのである。彼の使い込みの調査にあたり、”彼が選任した彼にとって都合の良い第三者”ではなく、むしろ彼を告発したい立場の弁護士らが調査していたらどうだっただろう。それでもなおシロで、担当した弁護士たちが記者会見で苦渋に満ちた表情を浮かべながら「かなり綿密に調査したのだが、残念ながら違法とも、不適切とも言える出費は発見できなかった。力及ばずで申し訳ない」と頭を下げていれば、おそらく舛添氏はリオ五輪を満面の笑みで奥さんとともに都知事として訪問していたはずだ。舛添氏がだめだったのは、あくまでも自分が決めた行司によって、自分の土俵で相撲を取り続け、物言いがつこうが何しようが耳を貸さず、最後まで説明を拒否し続けたからである。一方で、岡口氏はそういった不始末は一切行っていない。ただTwitterにパンツ一丁(水着?)の写真を載せたり、「フル勃起」と書いたりしただけである。

では、これが裁判官としてふさわしいか、ふさわしくないか、ということなのだが、岡口氏は別に裁判官としてこれをやったわけではない。裁判所で突然法衣を脱いで白ブリーフ一丁になったとか、判決で突然「被告は犯行にあたりフル勃起で」と述べたわけでもない。Twitterのアカウントプロフィールにも、高裁の裁判官であることは記載されていない。したがって、ふさわしいか、ふさわしくないかを議論する以前の状態なのである。例えば僕はライブログ社の社長としてこのブログを運用していて、このブログはすなわちライブログ社の公式見解とされても文句は言えないのだが(実際には取締役会にかけているわけではないので、公式見解ではない)、岡口氏のTwitterはそういった色合いではない。「東京高裁の裁判官の公式Twitter」ではないし、それを示唆しているわけでもないのだ。

これが問題だと司法組織がいうなら、僕たちは司法組織自らが表現の自由の侵害を行っていることにこそ、問題意識を持つべきだと思う。

今回の件は、性格からいって週刊誌が飛びつきそうな話だが、おそらくちょっと調べれば、叩くべきは岡口氏個人か、彼が所属し問題と考えて処分した組織か、どちらなのかはすぐにわかるはずだ。これは、日本社会と、マスコミに対するリトマス試験紙である。これだけ話題になっているのだから、早晩、どこかの週刊誌が記事にするだろう。そのとき、僕たちはそのメディアが一流なのか、三流なのかを知ることができる。

僕は、岡口氏を叩く人やメディアの側に立つことはない。

どこかの三流メディアや頭が悪い政治家あたりが岡口氏を叩くなら、司法組織はこれ幸いと彼を取り除くことに全力を挙げるだろう。そして、それを実現するまでにはそれほど長い時間がかからないはずだ。では、そうなったとき、困るのは誰なのか。少なくとも、岡口氏が困るとは到底思えない。今の地位に就くまでに彼の行動が組織に知られていないはずもなく、それでも今の地位にある以上、岡口氏の実力は相当なものだ。ちょっと考えただけでも、「5時に夢中」のようなメディアが放っておくとも思えない。「本当に日本社会はレベルが低いな」と嘲笑しつつ野に下るのではないか。弁護士をやって日銭を稼ぎ、コメンテーターとしておもしろおかしく生きていけば良いのである。大きな損失は、僕らのサイドにある。

日本は「出る杭は打たれる」と啓蒙し、「由らしむべし知らしむべからず」という理念で庶民を均質化し、飼いならしてきた。この状態は、昭和40〜60年代のように順調に回っているうちは好循環が続くのだが、ひとたびネジが外れると対応能力が非常に低い。僕の専門領域である生物で言えば、均質化された生態系は災害耐性が低いというのと同じである。多様化した生物相ならインフルエンザがはやっても、かかる人もいればかからない人もいるのだが、みんなが同じ遺伝情報を持っていたら、全員が罹患して絶滅してしまう可能性もある。

米国に住んでいると強く感じるのだが、日本の社会は高度に均質化が進んだ社会で、そのデメリットの顕在化が、今の低成長社会だと思っている。

「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として有名な中島誠之助氏が「鑑定のカチマケ」という本で加藤唐九郎(加藤嶺男氏の父)に言及した際に「まともな人間には、やはりいいものは作れません。ちょっと変わっていてアブノーマルなくらいでなければ、天才的な作品は生み出せない。今はアブノーマルを全部排除するような方向へいっているから、完備はされているけれども面白味のない、つまらないものばかりの世の中になっています」と述べているのだが、岡口氏もこういうタイプの人間の一人だと思う。

均質化した日本社会において、岡口氏は明らかに異端者である。しかし、違法でもなければ、不適切でもない異端者だ。彼を排除すべしと主張する人がいれば、僕たちが排除すべきは表現の自由を侵害しようとしている側、すなわち彼を排除しようとする側である。彼のような異端者が司法組織にいることを、僕たちは喜ぶべきだし、少しでも長く彼にそこにいてもらえるように努力すべきだ。彼のような人材が司法組織の上層部に立てば、司法制度改革の失敗をきちんと評価し、反省し、望ましい司法制度に改革してくれるかもしれない。今の司法組織では、口が裂けても司法制度改革が失敗だったとは言わないだろう。

岡口氏は、日本の司法における新たなる希望なのだと思う。

今回の新聞記事や岡口氏のTwitterを読んで、「気持ち悪い」と少しでも思ったのなら、良いチャンスでもある。そういう人は、すでに日本型の洗脳社会に無意識のうちに取り込まれている可能性がある。多様な価値観の存在を認めず、異端を排除しようとしてしまう自分に気がついたのなら、階段を一段上に登ることができるかもしれない。

岡口氏の真意は、多様な価値観を許容するのかしないのか、そのための議論を生むところにあると思う。「そんなのは結論明々白々ではないか」というかもしれないが、理性と感情は違う場所にある。長い年月によって刷り込まれたものは、感情に反映され、マスメディアによって視覚化される。これから1、2週間、ワイドショーや週刊誌がこの件をどう扱うか、あるいは無視するか、興味深く見守りたい。


<見つけ次第追記>
こちら側だった事例
(1)日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/184599

(2)週刊ポスト
「ネットのバカ 現実のバカ」で肯定的に掲載

(3)中川淳一郎
2の著者

あちら側だった事例
(1)江原啓之氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判
http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/f-et-tp0-160629-0053.html

(2)美保純氏
5時に夢中の夕刊ベスト8のコーナーで批判

(3)東京スポーツ
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/559455/  
Posted by buu2 at 00:05Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月28日

朝日新聞に載った岡口基一裁判官が素晴らしい件

ネットサーフしていたらこんな記事を見つけた。

高裁裁判官、ツイッターに上半身裸の写真投稿 厳重注意
http://www.asahi.com/articles/ASJ6W51FFJ6WUTIL02B.html

なんでも、

自身のツイッターに縄で縛られた上半身裸の男性の写真などを投稿した


とのこと。別にこのくらい構わないだろ、それにしてもどうしてバレたんだ?と不審に思い、件のツイッターアカウントを調べてみたら、実名顔出しで堂々とやっていた。

https://twitter.com/okaguchik

これは素晴らしい。

それで、謝罪のつぶやきを探しながらつらつらつぶやきを読んでいくと、どれもこれも、至極まっとうな内容である。ということは、問題になったつぶやきも確信犯。つまりは、件の謝罪も本人的には全く謝罪の意図などなく、「上司が言うので仕方なしに謝罪しておきます」という感じ。最近時々見かける、馬鹿な学生やフリーターが勢いで露悪的な写真を載せて炎上するのとはレベルが全く異なる。逆に、こうして記事になることによって、自らの信条を世間に訴えている。

通り一遍の謝罪こそしても、「何が問題なんだ。法律に照らしても何も後ろめたいことはない。仕事だって、やるべきことはきちんとやっているぞ」という主張がストレートに伝わって来る。このあたりの、「どこまでがオッケーか」の判断も素人には難しいところがあるのだが、そこはさすが本職。同時に自信もみなぎっている。

僕は10年ぐらい前に「出すぎた釘は打たれない」という話を東大でしたことがあるのだけれど、岡口裁判官はその典型例だろう。誰にでもできることではなく、また性的に潔癖すぎる村社会日本では非常に難しい行動でもある。尊敬に値するとはこのことだ。朝日新聞の記事で「馬鹿だな、こいつ」と思われるべきは戸倉三郎・高裁長官の方である。

#実際には、戸倉長官ですら内心は「全然構わないけど、上がうるさいからとりあえず謝らせておけ」と思っているかもしれず、真の馬鹿はもっと別のところにいるかもだが。

ということで、早速岡口裁判官のツイッターアカウントをフォローしておいた。  
Posted by buu2 at 00:06Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月27日

今の日本の女の子達は本当にお気の毒

名古屋市がせっかく良い調査を行ったのに、馬鹿がいるおかげでその結果を公表できなくなった様子。

正しくは「速報と変わらず因果関係なし」
名古屋市子宮頸がんワクチン副反応疫学調査「事実上撤回」の真相
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7148

名古屋市は名古屋市で情けないのだが、本当にこの国のバカ達は始末に負えないと暗澹たる気持ちになる。科学をまともにやったことのある人間で子宮頸がんワクチンに反対する奴がいるのだろうか?もちろん、「生涯セックスしない」という対応策もあるし、ちゃんと毎年検診を受けて早期発見に努めるという対策もありうるから絶対に必要なことでもないのだが、今の日本ではワクチンは危険という意見がマジョリティということなのかな?それとも、ノイズィマイノリティへの対応が面倒臭すぎて黙っているの?

それにしても、「科学的な成果」をなかったことにしちゃうって、何なんだろう。

一般の生活者、特に女児を持つ親達がワクチン接種のリスクと子宮頸がんになるリスクをきちんと評価できているのかとても疑問なのだけれど、有識者は「もう本当に面倒臭いので、あとは行政にまかせておこう。自分が子宮頸がんになるわけじゃないし」という考えなのかな。

ま、僕も子宮頸がんになるわけじゃないんだけどね。今の日本の女の子達は本当にお気の毒だと思います。健康食品みたいにバカだとお金を損するというのに比較すると、ある意味ずっと深刻だからね。かなりの確率で死んじゃうわけで。

関連エントリー
子宮頸がんワクチンについての雑感
http://buu.blog.jp/archives/51526649.html  
Posted by buu2 at 13:21Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月24日

さようなら

開票率と残留派得票率の推移。


開票率61.3%ー残留派得票率48.8%

以後
66.0ー48.8
67.3ー48.6
68.1ー48.5
68.6ー48.5
69.1ー48.4
70.2ー48.5 
72.3ー48.2 
73.3ー48.3
75.7ー48.2
79.3ー48.3 
81.2ー48.3
81.9ー48.2
83.5ー48.4
85.3ー48.4
88.5ー48.3
89.0ー48.3
90.3ー48.2
92.7ー48.3
94.2ー48.2
95.0ー48.2
95.5ー48.2
95.8ー48.2
96.1ー48.2
96.9ー48.3



  
Posted by buu2 at 13:00Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月23日

子宮頸がんワクチンについての雑感

子宮頸がんワクチンについての日本の迷走っぷりは酷い状態である。真剣に全部書き下すとすごい分量になるので、ざっと基礎知識とこれまでの経緯をまとめてみる。

(1)子宮頸がんに関する基礎知識(出典は主に厚生労働省、がん情報サービスなど)
○子宮頸がんは定期的な検診によって予防可能ながんである。
○子宮頸がんのうち8割を占める扁平上皮がんの多くは、ヒトパピローマウィルス(HPV)による感染症であり、子宮頸がん患者のほぼ100%にヒトパピローマウィルスが発見される。
○2007年のWHO統計によれば、全世界で年間約50万人に子宮頸がんが発生し、約27万人が死亡している。
○日本では、年間約9800人に子宮頸がんが発生し、約2700人が死亡している。

(2)HPVワクチンに関する基礎知識
○HPVワクチンの導入によって、海外の疫学調査ではHPV感染者が減少している。
○海外の解析モデルによる推測では、ワクチンの導入によって子宮頸がんの発症及び死亡を7〜8割減少できると考えられている。
○HPVワクチンは全世界26000名が参加した臨床試験によって、人種や地域に関わらず有効性、免疫原性、安全性が実証されている。

(3)HPVワクチンの日本での利用の経緯
○2009年12月より販売が開始され、2010年からは公的助成もあって、中学・高校の女子は無料、あるいは低額でワクチンの接種を受けることができた。
○2013年6月、ワクチン接種後に原因不明の痛みを発症するなどの事例が報告され、厚生労働省はワクチンの積極的接種を中断した。このため、接種率は70%から激減した。
○2013年7月、WHOは、日本における疼痛の症例が他国では認められておらず、HPVワクチンの接種との因果関係は根拠がないとリリースを出した。
○2015年8月、日本産科婦人科学会は『子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)接種の勧奨再開を求める声明』を発表した。
○2015年12月、WHOは「日本の決定は薄弱な根拠に基づいた非科学的な政策決定であり、これによって大きな被害へ拡大する懸念があるとリリースを出した。

(4)HPVワクチンの副反応に関する基礎知識
○急性期には、疼痛、発赤、疲労、筋肉痛、頭痛、発熱などが知られており、接種後には状態を観察することを推奨している。
○重大な副反応として、アナフィラキシー、ギラン・バレー症候群などがある。
○フランスで実施された200万人の女性による臨床試験では、10万人に1人程度のギラン・バレー症候群発症リスクの上昇が認められた。
○2015年12月にはネイチャーにHPVワクチンの安全性を認めるコラムが掲載された。
○ワクチン接種後に死亡した事例は米国FDAの報告では32例あったが、ワクチンとの因果関係が認められるケースはなかった。
○オーストラリアで1例、ドイツで1例、英国で1例、日本で1例の接種後死亡例が報告されているが、全てにおいて接種との直接的因果関係は否定された。

(5)日本におけるHPVワクチンの副反応に関する基礎知識
○10%以上において痛み、腫れなどがある。
○1〜10%の範囲において蕁麻疹、めまい、発熱などがある。
○1%未満において知覚異常、しびれ、全身の脱力、手足の痛み、腹痛などがある。
○頻度不明な範囲において失神などがある。
○重い副反応としてはアナフィラキシー(96万回の接種に1回)、ギラン・バレー症候群(430万回の接種に1回)、急性散在性脳脊髄炎(430万回の接種に1回)、複合性局所疼痛症候群(860万回の接種に1回)が発生しうると評価されている。
○国内ではこれまでに338万人がのべ890万回ワクチンを接種しており、副反応が未回復の事例は186人(被接種者の0.005%、のべ接種回数の約0.002%)となっている。
○2015年12月、名古屋市在住の若い女性7万人についてワクチンの副反応について調査したが、各種症状とワクチンの接種に関連性は見出すことができなかった。

なお、(3)で言及した2015年のWHOリリースはかなり厳しいトーンだった。

Global Advisory Committee on Vaccine safety Statement on Safety of HPV vaccines
17 December 2015
http://www.who.int/vaccine_safety/committee/GACVS_HPV_statement_17Dec2015.pdf

一応(1)〜(5)までで簡潔にわかりやすくまとめたつもりだが、さらに短くまとめるなら、「子宮頸がんは若い女性が罹患しうるとても恐ろしい病気だが、ワクチンの接種と定期的な検診によってかなりのところまで予防できる病気であると考えられている。このことから世界各国で予防のためのワクチン接種が進んでいるが、日本では因果関係不明の接種後反応が複数報告され、以後、積極的なワクチン接種がストップしている。この状況はWHOから強く非難されている」ぐらいになる。

こうした状況にあって、厚生労働省は「安全性が確認でき、国民の理解が得られるならワクチン接種を再開したい」という思いのもとに研究を進めていたと想像できる。その成果の発表が今年3月にあったのだが、それらは池田修一・信州大学脳神経内科教授を班長とする「子宮頸がんワクチン接種後の神経障害に関する治療法の確立と情報提供についての研究」と、牛田享宏・愛知医科大学医学部学際的痛みセンター教授を班長とする「慢性の痛み診療・教育の基盤となるシステム構築に関する研究」である。このうち、池田教授サイドの研究成果が「マジで?」という内容だったのだが、これについて村中璃子さんが追求を続けている(ちょっと素人には難しい内容だが、研究費欲しさか、論文欲しさか不明だが、「お粗末な発表をしている」というのが概要)。

子宮頸がんワクチンと遺伝子
池田班のミスリード
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6418

子宮頸がんワクチン「脳障害」に根拠なし
誤報の震源は医学部長
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6421

子宮頸がんワクチン
薬害研究班に捏造行為が発覚
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7080

#wedgeって右傾化が激しくて僕の中ではトンデモ系の雑誌なんだけれど、たまにはまともな記事があるので侮れない。

この件についてはこのまとめも参考になる。

HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)薬害研究班発表は薬害を全然実証していない
http://togetter.com/li/990218

これらを読んでいるとなんだかなぁ、という感じである。ワクチン反対派の行動原理というか、モチベーションというか、この人たちを突き動かしているものは一体何なのだろう。ともあれ、ワクチン接種に舵を切り直すまでにはまだ時間がかかりそうだ。

最終的には、副反応の可能性と子宮頸がんになる可能性を天秤にかけることになるのだが、なぜかメディア情報はワクチン否定派に大きく偏っているように見える。この件は若い女性たちの将来に密接に関係するので、ウェートは決して軽くない。現状では個人個人(というか、家族)がそれぞれに勉強し、判断しなくてはならないのだが、親戚や信頼できる知人をたどっていけば、一人や二人ぐらいは医者がいるはずだ。自分で判断できないなら、そういう人を探して質問してみれば良い。まともに勉強している医者や分子生物学者なら、子宮頸がんワクチンを「だめ、絶対」と否定するケースは滅多にないと想像する。

#でも、万一副反応があれば恨まれるから、否定的な意見を言うのかな?20年後に相談者の家族が子宮頸がんになっても、すでに人間関係切れていても不思議じゃないしね。

#ワクチンはやめておいて、早期発見のためにまめに検査を受けて、異常が見つかったらさっくりオペしちゃうという手もある。

#他にも、一生セックスしないという選択肢もあるはず。

どれを選ぶかは親の責任で、ぜひ。

個人的にはワクチン接種積極派です。宗教家ではなく、元科学者なので。ワクチンを接種させない親の子供として生まれた人は、将来にわたってリスクを背負うのでかわいそうだなとも思います。ワクチン接種非推奨の日本では、今後も子宮頸がんウイルスが蔓延したままでしょうから。子供は親を選ぶことができないというのが最大の不幸。

関連エントリー(5で言及した名古屋市の疫学調査に関するお粗末な顛末)
今の日本の女の子達は本当にお気の毒
http://buu.blog.jp/archives/51526958.html  
Posted by buu2 at 09:48Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

『「健康食品」の素材情報データベース』バンザイ

僕が国立健康・栄養研究所の運営している『「健康食品」の素材情報データベース』をブログで紹介したのは2011年ぐらいが最初のようである。たとえば次のようなエントリーにおいて、このデータベースを参照している。

二日酔いについて考える
http://buu.blog.jp/archives/51267844.html

サプリメントなんて、もう要らないかも?
http://buu.blog.jp/archives/51302163.html

科学的には、コラーゲンは効かない
http://buu.blog.jp/archives/51368896.html

特に二つ目のエントリーでは
それにしてもこの「健康食品」の安全性・有効性情報というサイトは素晴らしい。このサイトを運営している独立行政法人国立健康・栄養研究所は偉い。

と絶賛しているのだけれど、このサイトに水素水について掲載されたとj-castニュースが紹介していた。

水素水に「有効データ見当たらない」 国立研究所「発表」が論争にピリオド?
http://www.j-cast.com/2016/06/22270406.html

論争も何も、こんなもの、”普通に”理系の大学を卒業していたら信じる馬鹿はいないのだが、日本にはなんちゃって大卒や文系の人たちがたくさんいるので仕方ない。

本当なら、科学的エビデンスを調べるまでもなく、水素なんてそこらへんにそれなりの量が存在していたら危なくて仕方ないし、水素イオンなら放っておいても水の中にたくさん存在していることを(中高でまじめに勉強していたら)誰でも知っているんじゃないのか?もし知らないとしたら、義務教育の方向が間違っているだろ。

このサイトが権威として機能していないのが残念で仕方がなかったのだが、論争に終止符を打てるほどにステータスを上げていたのなら素晴らしい。

ついでにちょっと気になってユーグレナについて調べてみたら、ちゃんと
俗に、「コレステロールを低下させる」「血圧を下げる」「アレルギーによい」などと言われているが、ヒトでの有効性、安全性については信頼できるデータが見当たらない。

と掲載されていた。ユーグレナについてはこちらで詳細を書いたけれど、

株式会社ユーグレナについて調べたら、異常なまでの優良会社であることが判明
http://buu.blog.jp/archives/51485099.html

ザバスとかで普通に摂取可能な栄養素に東大の看板をつけて、ザバスの10倍以上の価格で売りつけているいわば原野商法である。こんなものに金を払うのは馬鹿か、物好きか、情報弱者ぐらいだろう。僕のユーグレナ社に対する見解は今も昔もこんな感じ。


繰り返しだけど、『「健康食品」の素材情報データベース』が論争に終止符を打てるようなサイトとして認知されてきたのなら喜ばしい限り。科学立国とか言ってるんだから、もうちょっと科学的にものを考えようよ。

これも前から言ってることだけれど、健康食品は、効かないから健康食品なんだよ。本当に効果のある成分が含まれていたら、さっさと精製して薬にするの。指をくわえてのんびり眺めているほど、製薬会社の研究者たちは間抜けじゃない。あと、仮に有効成分の抽出が現時点で不可能だったとしても、その有効成分の摂取を目的にしてそれを食べるのもダメ。なぜなら、未知の有効成分以上に不要な成分がたくさん含まれていて、それを過剰に摂取することによって他の不具合が生じるから。たとえばコカコーラに抗がん成分が含まれていたとして(含まれていないですよ)、がんを治そうと思ってコーラを飲み続けたら、糖分の摂りすぎでデブになるでしょう?

ほんの少しの例外を除けば、健康食品は全く効かないし、効くほど食べたら不健康食品なんです。あーー、口がすっぱい、すっぱい。何度書いたら理解してくれるのやら。  
Posted by buu2 at 00:30Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月16日

50億もかかるんだから

「都知事選挙になれば50億もかかる」という意見があるが、だからなんだというのだ。それは必要なコストだし、不適切な知事をクビに出来ない理由にはならない。クビにするだけの問題があったのかという点については検証が必要だ。ところが、この検証にあたっての情報提供がなされず、自分が連れてきた弁護士に調査させてお茶を濁している。さらなる情報提供を迫れば「政治家としての信義」などというよく分からないものを持ち出して逃げる。挙げ句の果てには、五輪を人質にしてほとぼりが冷めるのを待とうというのだから始末に負えない。

50億のお金とバーターにすべきことが不明確な状態で、50億がもったいないと言えてしまう人間がいるのは不思議だ。もしそうことを言うなら、舛添都知事のこれまでの実績と、やりかけている政策課題を提示した上で、不適切な処理の詳細と比較して「余人を以って代えがたい」ことを主張すべきである。残念ながら、ざっと見た限りでは「いじめられてかわいそう」ぐらいの文章しか見つけることができない。

50億がもったいないのはもちろんで、そのお金があれば他にいろいろなことができたはずだ。だけど、それは知事の続投を正当化しない。そんな知事を選挙で選んだ都民が悪いのである。お金がもったいないから不適切な知事でも続投となれば、不都合な歴史を新しく積み重ねることになる。そういう蓄積の上に、今の都政が成立していることを良く考えるべきだ。50億円は石原、猪瀬、舛添とろくでもない知事が続いていることを反省するための勉強代であるとも言える。これを無駄遣いに終わらせるかどうかは都民次第である。

多くの舛添擁護者は単に「クビ」という、予想よりも厳しい結果にビビっているように見える。しかし、仮に舛添氏の諸々の不始末が「違法性はないが不適切」だとしても、クビになるのは全く問題ない。私たちは、頻繁に「あとは有権者の判断に任せます」という政治家の開き直りを何度も見てきている。これは、逆に言えば、有権者がノーと言うなら、法的には問題がなくても責任を取る」という意味だ。そして、今回は、有権者がこぞってノーを突きつけた。違法ではなく、有権者の感覚で不適切だから、不信任案が提出されたり、選挙で落選したりするのである。法律とは別のフィルターがあるからこそ、政治家は法律から守られているところがあることを忘れてはならない。

何よりも、知事が不適切に使ったお金の原資は税金であることに留意する必要がある。この国では政治家にしても、公務員にしても、大学の研究者にしても、「税金を使う」ということに対して鈍感な人が多いようだが、税金はそんなに軽くない。少なくとも政治家は直接選挙で選ぶことができるので、税金の使い方に対して無頓着なら退場してもらうことができる。

舛添ばかりいじめているが、甘利や東京五輪はどうなんだ、という意見があるが、もっともである。これは、舛添はこの程度で、という意味ではなく、舛添氏の追求は辞任以後も継続するとして、甘利や東京五輪誘致関連もきちんと追求しろということだ。比較の問題ではなく、不正の追求は全てについて実施されていく必要がある。また、派生している事項として、「選挙に金がかかかりすぎる」というのなら、こちらも解決策を検討すべきだろう。

50億もかかるんだから、大目に見よう、では話があべこべだ。50億もかかるんだから、ちゃんと選ぼう、でなくては困る。  
Posted by buu2 at 01:33Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月14日

都知事が問われているのは透明性と説明責任

舛添都知事が都民と議会にこんな要望を出したらしい。
私は、一つ伏して都民、都議会のみなさまにお願いしたいことがある。
もし、私への不信任が可決されれば、私が辞任するか、議会を解散するかという選択をすることになる。いずれにしても選挙になる。選挙の時期はどうしてもリオ五輪、パラリンピックと重なる。知事として断腸の思いでいるのは、リオの時期に選挙をやるのは、国家的事業である、2020年(東京)大会にとって極めてマイナスだ。
もちろん私の不徳のいたすところであることは重々承知している。そういう思いで、どうか少しの猶予をいただきたい。それは、私が知事の座に連綿としがみつくのではない。給料もご辞退申し上げたい、都民のために働きたいと思っている。今、知事として、選挙はリオで重なるので、そういうものはどうしても公益にそぐわない。極めて厳しい判断をしている。
どうかこの時期を猶予していただき、その上でふさわしくないというご判断をなさるときは不信任案を出してもらえればと思う。

出典:集中審議の詳報(14)リオの時期の選挙は極めてマイナス 猶予を(毎日新聞)

なんとも不思議なのだが、リオ五輪とはそんなに大切なのだろうか?都知事としてやらなくてはならないことはたくさんあるはずで、その中で他国で開催される五輪が不信任案の提出を保留するほど、すなわち、他の政治的課題の解決を棚上げするほどのことなのか、と思う。

何か、「子供と『リオ五輪に連れて行ってあげる(税金で)』と約束してしまった手前、なんとしてもリオ五輪だけは行かせて欲しい」と言っているように聞こえてならない。

話がこじれたのは、知事の頑なにして自分勝手な姿勢を貫いているからに他ならない。第三者の調査を受けようというなら、その第三者は自分で選ぶべきではないし、その調査の結果、さまざまな疑惑が派生してきたなら、その疑惑にはきちんと答えるべきだった。第三者の弁護士に説明を任せるなら、任された弁護士はきちんと説明責任を果たすべきだった。

それらを全てすっ飛ばして、返答に困ると「政治家としての信義」を持ち出すなら、政治家としての信義を貫いてさっさと退場しろ、となる。

ところどころで「弁護士が違法ではないと判断したんだから詰めすぎでは」という話を目にするのだが、その弁護士の調査と判断が信用ならないというのが現状だろう。佐々木弁護士は検事としては優秀だったかもしれないが、調査は週刊文春の方が厳密みたいだし、都民を前にして第三者の代表として知事の潔白性を説明するには能力不足だったということだと思う。つまりは人選ミスで、これまた知事の自己責任である。都知事として現段階で問われているのは、やったことの是非以前に、その調査が信用できないのである。それは、第三者の選択方法など、調査に至るまでの経緯について説明責任を果たしていないことに起因する。

今、社会は透明性を重視する。インターネットの普及によってインフラ的にはほとんど全ての会議が実況中継可能となっていて、録画を使えば誰でもいつでもそういった動画にアクセスできる。特に行政については「由らしむべし知らしむべからず」という世の中が少しずつ変わってきているのだが、その雰囲気の変化に鈍感な政治家は退場を迫られてしまう。どこまでも自分の土俵で相撲を取ろうとする舛添都知事は、その代表例だろう。

ことここに至っては、「そんなにリオに行きたければ、私人としてどうぞ。ファーストクラスでも、家族旅行でも構いません。ただし、自費で」としか言いようがない。

まぁ、僕は都民になったことはないので、所詮は第三者なんだけれど。  
Posted by buu2 at 22:06Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月09日

ワシントンDCより舛添都知事のパレードの様子を写真でお知らせします

舛添都知事が議会でこんな風に追求されているようなのですが

熊本地震には多くの自治体から支援が寄せられましたが、特に東日本大震災や関東東北豪雨の被災自治体の首長は自分たちが被災した経験からその対応は真摯(しんし)なものであったと聞いています。知事はこのとき、ワシントン、ニューヨークを視察中。ワシントンは世界に発信できる拡声器効果がある場所といわれているにも関わらず、インターネットに流れた映像が、先ほど島田(幸成)議員が紹介したように、オープンカーで満面の笑みを浮かべた知事の姿でした


出展:舛添氏追及・都議会一般質問(15)完 「熊本地震の時、満面の笑みでパレード」指摘に、舛添氏「真摯に受け止める」

記事には写真が掲載されていないので、一応、情報としてどんな感じだったのかを都民の皆様にお知らせしておきます。























  
Posted by buu2 at 17:47Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年06月05日

誰のおかげで経済はまわるのか?

こんなニュースを見かけたのだが。

伸びる「機能性表示食品」市場 トクホからシフト進む?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160605-00000002-wordleaf-bus_all

僕は経産省生物化学産業課で2002年ごろ、トクホを中心とした機能性食品を担当していた。こういう記事を読むと、本当に日本人は馬鹿が多いんだな、と感じる。

このブログでも何度か書いているのだけれど、食べて健康になる食品など、ほとんど存在しない。なぜか。効くなら、それは食品ではなく、薬品として流通するからだ。そちらの方が儲かるのだから、あたりまえ。逆に言えば、効かないから健康食品なのだ。それは、黒酢だろうか、ユーグレナだろうが、コラーゲンだろうが、全部同じである。そして、その効かない食品を喜んで買う馬鹿がいるから困る。いや、困らないか。馬鹿のおかげで経済が回り、税収が増えるのだから、国としてはありがたいのかも知れない。しかし、資生堂やら、サントリーやらが「国民は馬鹿だから、しょうもない商品を作って、たくさん宣伝して売れば良い」と考えるから、日本のサイエンスの質は下がる一方である。

繰り返し書いているけれど、一向に馬鹿が減らないのでもう一度書いておく。たとえば、にんにくにとても体に良い成分が含まれているとする。それなら、にんにくを食べ続ければ良いかといえば、そんなことはない。現在までに、科学的に証明され、世界中で正しいとされている知見は「健康のためには、バランスの良い、かつ適量な食生活が良い」ということだけだ。これはWHOや世界中の国々の健康機関(日本なら厚生労働省)のウェブサイトで確認できる。にんにくが良いから、という理由で食べ続けるのは偏食であり、食のバランスを崩すことに他ならない。では、本当ににんにくに有用成分が含まれていたらどうするのか。その有用成分がなんなのかを突き止め、その成分だけを製剤する。すなわち薬にする。なぜこうするかといえば、にんにくの有用成分を目的ににんにくを食べ続ければ、同時ににんにくに含まれる不要な成分をも摂り続けることになり、これが健康を害するからである。摂取したいのは有用成分だけで、ほかは不要だからだ。にんにくよりももっとわかりやすい例を想定するなら、「海水にはがんに効く成分が含まれているようだ」という情報をもとに海水を飲み続ければ塩の摂りすぎで高血圧や胃がんになるし、「たばこが不眠に効くようだ」と言って喫煙を続ければ(食べ物ではないけれど)不眠症は改善しても肺がんや食道がんになる、ということである。

目的をもってなんらかの食品を食べ続ければ、ほぼ間違いなく他の副作用によって不具合が生じる。食品によって健康を維持するという考え方がそもそも間違いであって、それは世界中が「バランスの良い食生活」を推進していることによって裏付けられている。

逆は存在するのだ。すなわち、特定の食品を避けることによって健康を維持するということだ。それは塩であったり、油脂であったり、アレルギーを誘発する物質だったりする。しかし、特定の食品によって健康になることはないし、もしその目的で何かを摂取するのであれば、それは薬品という形でになるのである。

トクホについてこのブログで批判したこともあるのだが、トクホは効かないからトクホなのであって、トクホが効くほど食べ続ければ、おそらく目的外の不具合がでる。仮に出ないとしても、薬を飲んだ方がずっと効果的である。トクホですらこの有様なのだから、トクホ以外の健康食品ならなおさら効かない。こんなものを健康目的で食べるのは、馬鹿だけだ。

でも、国民の多くがそうした知恵をつけてしまうと、今度は薬が売れすぎて、国民皆保険の日本では保険料が増えすぎて困ってしまう。厚生労働省としては、馬鹿な国民は病院で薬を処方されるのではなく、スーパーで健康食品を買ってくれた方が喜ばしいのである。厚労省だけではない。これで経済が回るなら、経済産業省だってホクホクなのだ。

そういうわけで、情報弱者の財布の中身を燃料にして、健康食品は売れ続ける。それはそれで喜ばしいことなのかも知れないが、僕は日本にいるときはナトリックスとアジルバとフェブリクとイコサペント酸エチルを飲み続けていた。おかげで血圧も、尿酸値も、中性脂肪も全部正常値だったけれど、それは薬のおかげで、その支払いの7割は公的なお金が原資だったので、ちまたで健康食品を買っていた皆さんのおかげでもあった。してみると、健康食品を買っている人たちを馬鹿とこき下ろすのは申し訳ない。皆さんのおかげで僕は健康でいられました。その調子で健康食品をお買い上げください。って、もう僕は米国在住で健康保険証も持っていないので、どうでも良いんだけど。

でも、僕と仲の良い人にだけは言っておきます。健康食品を買うなんて大馬鹿だからおやめなさい。  
Posted by buu2 at 21:21Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年04月10日

東京五輪・パラのエンブレム最終候補

新国立競技場をどうするのかなぁ、と思っていたら、その前にエンブレムの案が提示された。あぁ、そういえば、という感じである。

https://m.tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/

色々と説明を受ければそれぞれなるほどなぁ、と思うのだが、まず第一印象としてA案は地味すぎる。わびさびと言っても、世界から理解を得るのは難しそうだ。また、単色でどこでもありそうなデザインなので、あちこちにパクリ疑惑のデザインが出てきて、社会を混乱させかねない。C案も、風神雷神と言われれば確かにその通りなのだが、説明がない状態で見てしまうと岡本太郎と長野五輪のスノーフラワーを足して二で割ったような印象である。またこんなの?と思ってしまう。この2つを消去した上で残りを見ると、B案はあまりにオーソドックスな上に、五輪とパラで微妙に統一性がない。一方でD案はどこかの国の国旗のようでもあるし、なぜ朝顔?と日本人でも思ってしまう。この2つに比べると、誘致で使った桜のデザインの方が上に見えてしまうのが残念なのだが、桜のデザインは権利の関係で継続使用が難しいというなら仕方がない。ここは好みだとは思うが、僕ならより抽象的なB案を選びたい。  

2016年04月09日

カップヌードルのCMが放送中止になった件

カップヌードルのCMが、苦情が多くて放送中止になったらしい。

http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/08/cup-noodle-ceased-cm_n_9641780.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

それだけではなく、日清食品は謝罪までしている。

http://www.cupnoodle.jp/s/obakasuniversity/

日の出テレビでキャスターをやっていた時もこの手のノイズィーマイノリティたちの声は聞こえてきたものだけれど、要はネット時代になって文句が言いやすくなった(=届きやすくなった)ということ。今も僕や僕のブログに粘着している岡山県の吉岡という馬鹿がいるけれど、彼らの行動の基盤は「匿名だから何をやっても大丈夫」というもので、その威力のおかげでやりたい放題である。

#ちなみに吉岡氏は一品もの焼き物の写真をあわせてブログに載せたり、おびき寄せる目的で書いたエントリーにIPを隠しもせずにアクセスしてきてコメントを残すようなおっちょこちょいなので、匿名もへったくれもなく全部バレバレなのだが(笑)。ちなみに、忙しかったのでまだ下の奴みたいには叩いていない。証拠は保全してあるけれど。

http://buu.blog.jp/archives/51421090.html

日清の件で言うなら、CMには大きな問題は見当たらない。登場人物たちは不倫やら、ゴーストライティングやらで社会的に制裁を受けた人たちで、それを自虐ネタにして笑いにつなげているだけだ。主役の位置付けのビートたけし氏だって、何十年もそういうことをやってきた文化人である。フライデー襲撃も、酒気帯びでのバイク転倒事故も、次元は同じである。

好き、嫌いはあって良いし、僕自身も矢口真里氏はどちらかといえば嫌いなタレントだけど、別にどうだって良いし、間違っても日清食品に苦情を書くようなことはない。そんな暇があるなら「私自身、TPP断固反対と言ったことは、ただの一回もございません」などと国会で発言する安倍晋三に文句を言うべきである。

http://matome.naver.jp/odai/2146002748091847001

#でもまぁ、内閣府とか首相官邸とかは、匿名の意見は受け付けてくれないかも?

以前、日刊スポーツの記事でビートたけし氏のコメントとして「他の嫌なものも認める余裕がないといけない」というものが掲載されたことがあるのだが、まさにこれである。ダメなものを指摘して苦情を述べるのは一向に構わないし、僕自身も10年前にサンヨーを数十億のリコールに至らせたことがあるのだが、

http://w32sa.seesaa.net

「嫌い」というのはそれとは別の話である。嫌いなものを削除していく先に豊かな文化は存在しないと思う。

#もちろん、「あのCMが嫌いだから、カップヌードルは食べない」というのはあり。  
Posted by buu2 at 22:06Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年03月29日

既得権者が有能な人間の可能性を奪う日本社会

こういう判決が日本をダメにしているわけで、裁判官もアホと言いたくなるのだけれど、過去の判例がこの判決を支持しているので、どうしようもないのかな。

日本IBM元社員5人の解雇は「無効」 東京地裁で判決
http://digital.asahi.com/articles/ASJ3X4JXBJ3XUTIL026.html

判決は、5人に一定の業績不良や問題行動があったと認める一方、「適性のある業種に配転したり、解雇の可能性を伝えて業績改善の機会を与えたりせずに解雇した」と指摘


業績不良と問題行動があれば十分だろ(笑)会社は問題行動を起こさず、業績の良い社員を雇いたいんだよ。そして、そういうポテンシャルを持っている人間が外部に存在する可能性があるわけで。

原告らが長期間雇用され、配置転換された経験があり、比較的高い評価だった時期もあることなどを理由に、解雇は無効だと判断した


長期間雇用が解雇無効の根拠になるって、馬鹿じゃないの?高い評価だった時期もあったとしても、今、評価が低いなら必要ないじゃん。野球選手だって、サッカー選手だって、成績不良なら解雇されるんだよ。で、これが公務員とか、日立や東芝みたいな旧態依然とした大企業の話だというならまだしも、外資系の会社だぜ?

「相対評価が低くても解雇理由にならないことが、能力主義の会社でも明確にされた」。原告側の代理人弁護士はこの日の判決の意義をこう強調した。


その結果、外資系の会社は、「日本で日本人を雇用するなんてリスクが大きすぎて馬鹿らしい。どうせ市場規模も大したことないんだし、そろそろ撤退を視野に入れようかな」と考えるわけだ。

新卒採用でずっと同じ会社で働く人の利益を考慮してきたためだ。今回の判決も、そうした日本の雇用慣行を踏まえた。


はいはい(笑)。だからダメなんだよ、という反省は、判例主義の国では必要ないですもんね。で、そういう雇用慣行のおかげで今のどうしようもない日本があるわけで、その硬直化した状況をなんとかするための希望が外資系企業なわけだけど、それさえも潰しちゃうところが悲しい。

原告を支援する労働組合幹部は「業績が悪い社員は解雇できる流れが作られようとしている。解雇を自由にする流れにくさびを打ちたい」と話した。


ほんと、ダメな国だよな。無能な奴らが既得権を主張して、有能な人間たちの可能性を奪う。
  
Posted by buu2 at 10:48Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年03月27日

朝霞市で一番有名な女性が発見された件

不明少女を2年ぶり保護、23歳男の逮捕状取る
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160327-00050044-yom-soci

2014年の3月に防災放送で何度も呼びかけがあってから二年以上である。

無事発見されたのは良かったのだけれど、驚いたのは、あれだけベタベタ張られていたチラシが素晴らしいスピードで一掃されたことと、あっという間に匿名化されたこと。皆さん、お疲れ様でした。  
Posted by buu2 at 18:00Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年03月01日

認知症男性JR事故死の最高裁判決

感覚的に「それはおかしいんじゃないの?」という裁判だったのだが、最高裁でようやく「あたりまえ」と思う判決が出てきた。

【事件番号】平成26(受)1434等
【事件名】損害賠償請求事件
【裁判年月日】平成28年3月1日
【法廷名】最高裁判所第三小法廷
【全文】全文(PDF)


全員一致での判決なので、「こっちはやることやってたんだ。ひょっとして、おたくの防止策の方がまずかったんじゃないの?」ということかも知れない。

今回は、「死亡した男性の家族は悪くない」という結論だけど、誰も悪くない、という結論って、ありうるのかな?  
Posted by buu2 at 23:09Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年02月18日

最近の自民党の馬鹿たち

丸山和也
オバマ米大統領を念頭に「黒人の血を引く。奴隷ですよ」などと発言

丸川珠代
東京電力福島第1原発事故による除染の長期目標を「何の科学的根拠もない」と発言

島尻安伊子
記者会見で北方四島の「歯舞」を読めない

長坂康正
「言論統制するのか」とやじ  
Posted by buu2 at 20:00Comments(2)TrackBack(0)ニュース

編集

2016年02月07日

スキーヤーやボーダーがゲレンデで考えておかなくてはならないこと

またスキーで人が亡くなった。

良く聞くのはバックカントリーに出て雪崩に巻き込まれた、とか、帰り道がわからなくなってそのまま凍死、とか、立木に衝突、とかなのだが、今回は一般ゲレンデで滑走中に衝突したらしい。

スキー教室衝突死 教師ら「事故、見ていなかった」…広島
http://mainichi.jp/articles/20160204/k00/00m/040/165000c

この件、記事はあたかも児童を見渡すことのできない場所にいた教師が悪いみたいに書かれているが、
児童の指導役の教師ら2人が「事故の様子は見ていなかった」と話していることを明らかにした。2人とも児童を見渡せる場所にいなかったという。

実際のところ、全てを見渡すことができる場所を選ぶのは難しい。これは環境省の規制によって幅の広いゲレンデを作れないこともあるし、スキーヤーの技術レベルがアップすると、そうそう短い区間で区切って滑走させることもできないからだ。この記事によれば今回事故にあった小学生は事故に遭うまで上級者コースで滑っていたとのことで、レベルはそこそこ高かったはずである。「常時、ちゃんと見張っていろ」というのも難しい。僕達が日頃行っているポールトレーニングでも、スタートからゴールまでを完全に監視することはまずない。

また、同じ事故についての記事でこんなものがある。

小6女児死亡 スノボ男性と衝突
http://mainichi.jp/articles/20160203/k00/00m/040/010000c

この記事ではあたかもスノーボードが悪いみたいな書き方をしているのだが、
スノーボードについて、同協議会の富樫泰一調査委員は「動きが直線的なスキーとは異なり、大きな弧を描いて滑るので衝突の可能性が高くなる。横乗りのため、背面方向が見えないという危険もある。その一方で若い愛好者が多く、注意力が散漫だったり自信過剰だったりする人もいる」と指摘する。

それもどうか。例えば、先日、僕が滑っているところをGoProで撮影した動画があるのだが、そのラスト近くではスキーヤーとボーダーの両方が近くに寄ってきて、滑ってる側はちょっとビビっている。

https://youtu.be/V2mKeEYeSEA?t=128

別にボーダーが悪いわけではなく、ゲレンデで滑っている以上、滑っている人間はいつでも危険と隣り合わせだということだ。ちょっと流して滑っていても上級者なら時速40キロぐらいはすぐに出てしまう。このビデオの前半だと、斜度があるのでもっとスピードは出ているだろう。僕のようなレーサーは特に長くて曲がりにくい板を使っているので、緊急回避が難しく、「危ないところには近づかない」というのが最大の事故防衛手段である。
いつでも人を避けられるようスピードをコントロールする

なんてことが書いてあるが、こんなことは実際には無理である。少なくとも、大回転用の板を使っていたら絶対に無理だし、これを要求したら、少なくとも競技スキーの練習はできなくなってしまう。

もちろん、レーサーは誰でも一般ゲレンデを滑るときは周囲に気を配るものだ。僕だっていつでも配慮するし、危険回避のための急なスキー操作も避けられないので、滑り終われば膝や腰に痛みが残る。それでも、「いつでも人を避けられるようスピードをコントロールする」なんて机上の空論に過ぎない。スキーに限れば、カービングスキーの登場以降、板はずれにくくなり、いわばレールの上を走っている状態なので、特にターン後半でスキーの軌道を変更するのはとても難しい。競技用の長い板になれば、なおさらである。

記事によれば、事故にあった小学生はヘルメットを着用していたようなので、できるだけの防御はしていたんだと思う。それでもなお、事故が起きてしまったことは非常に残念なのだが、運が悪かったとしか言い様がない(もちろん、今後の詳細な調査によって、誰かの過失が明らかになる可能性はあるのだが、現時点では読み取れない)。

僕の場合、加害者にも、被害者にもなりたくないので、まず、混雑しているスキー場にはなるべく近づかないようにしている。また、スタート地点で待機していて、下手なスキーヤー、ボーダーが滑りだした直後には滑走を開始しないようにしている。上に掲載したビデオは滑走場面だけを切り取って掲載しているのだが、実際にはかなり長い時間、スタート地点でスタンバイして滑りだすタイミングを計っている。あと、もちろんヘルメットは常時着用している。以前、知り合いの馬鹿が別の知人に「ヘルメットって必要?」と相談された時に「スキーでヘルメットとか、格好悪い」と笑っていて、こいつは本当に馬鹿だな、と感心するとともに、相談していた人にはあとで「絶対に着用したほうが良い」とアドバイスしたことがあるのだが、何が起こるかわからないのだから、自分の身を守るのは当たり前の話である。格好が良い、悪いではない。もし、事故っても、「ヘルメットなんて格好わるいから要らない」とアドバイスした馬鹿は絶対に責任を取らないのだから。僕の周りのスキーヤーには、ヘルメットを使わない人間は一人もいない。

いくら自己防衛しても事故は起こりうるのだが、結局のところ、各人がそれぞれに自己防衛するしかない。高校生の時、学校の先生が「君たちはおとなになったらみんな運転免許を取得するだろうが、車を運転するということは、日本刀を持って道を走るようなものだ。そのことを良く覚えておくように」と語ったことを今でも覚えているのだが、それはスキーやスノボでも同じである。  
Posted by buu2 at 11:08Comments(0)TrackBack(0)スキー

編集

2016年01月18日

若者と高齢者の貧困を解決するためのいくつかの矢

スキー関連の仕事をしていることもあって、今回の事故にはかなり強い関心を持っているのだけれど、こんな文章を読んだので。

スキーバス事故から見える社会の課題ー若者と高齢者の貧困が交錯する場所ー
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20160118-00053523/

別に書いてあることに反論があるわけじゃないんだけど、対応策に全く言及がなくて、評論家的な内容だなぁと思う次第。ポイントをギュギュっと絞ると、藤田氏の主張は次の2つ。

  1. 国立大学の学費が高い
    高齢者が過酷な単純労働をさせられていて気の毒


確かにその通りなんだけれど、じゃぁ、どうしたら良いの?という話。

>国立大学の学費が高い

では、どこかから財源を確保しなくてはいけませんね。でも、日本にはお金がありません。厳密にはあるにはあるようですが(例えば高齢者にばらまくお金や、新聞社のごきげんをとるために支払うお金はあるようです)、選挙に行かない、すなわち、自分たちの票につながらないお金をバラまく気は、安倍自民党の政治家の皆さんにはなさそうです。

あるいは、大学の総数を減らすという手もあります。確かに、ちょっと国立大学の数は多すぎる気がします。国立大学は、北大、東北大、東大、名古屋大、京大、阪大、九大ぐらいで十分かも知れません。そこまで絞って、代わりに授業料を安くして、さらに地方からの国立大生のための寮を確保する、といった政策は考慮の価値が十分にあると思います。え?現存する他の国立大学はどうするのかって?私大に改組すれば良いんじゃないですか?

>高齢者が働かされて気の毒

では、彼らは他に何か技能を身につけていたのでしょうか?ここがまず大きな問題です。もし何か他の能力があったとすれば、あとは雇用が流動化していないのが悪いのでしょう。

年金生活させてあげたかったとすれば、年金の財源を確保しなくてはなりません。これは国立大学の問題と同じで、「お金がない」で終了です。お金を生み出す、すなわち税収をアップさせるためには、国民を増やすか、産業を育成するしかありません。しかし、アベノミクスでは国民を増やしてきませんでしたし、産業を育成してきませんでした。役に立たなかった3本の矢と、役に立たないであろう新3本の矢を信じている人が相変わらずたくさんいるのなら仕方ないとしか言いようがありません。

「年金だけでは暮らせない、しかし、単純作業しかできない高齢者」を生み出してしまったとすれば、それは年功序列、終身雇用、同一労働同一賃金ではないこれまでの日本社会の責任です。「もう、目の前にいるのだから仕方ない。飢え死にしろと言うのか?」という指摘はその通りです。そうなってしまったのはこれまでの政治家たち(その多くはもう墓で眠っているのでしょうが)が悪いのですが、そのとばっちりを受けてしまう若い人たちは気の毒ですね。子供は親を選ぶことができませんから。こんな世の中では、一層少子高齢化が進むのもやむを得ないと思います。

>どうしたら良いのでしょうか?

日本の今の雇用習慣は、高度成長時には機能したけれど、少子高齢化社会では機能しません。少子高齢化社会を変革するのは非常に難しいので、残された方策は年功序列をやめ、終身雇用をやめ、同一労働同一賃金を徹底し、雇用の流動化と性差別、年齢差別のない雇用環境を実現するしかないと僕は思っています。

それ以外に何か良い方法があれば、もう誰かがやっていると思います。“やるしかないけれど、それじゃぁ選挙に勝てないから誰もやらなかった政策”だけが残っているわけです。え?実際問題として、どうやったらそんな社会が作れるのか?別に特別な法律を作る必要はないんです。「年功序列、終身雇用を継続している会社と、同一労働同一賃金を実現していない会社、およびその親会社(子会社)には、公的資金を一切提供しない」とすれば良いだけ。

皆さんはあまり知らないかも知れませんが、公的なお金はNHKとか理研とか以外にもじゃぶじゃぶばらまかれているのです。

「じゃぁ、もう公的なお金には頼らないよ!」と、独自路線を突っ走る会社が現れるとしたら、それはそれで大歓迎じゃないですか。旧態依然とした体質の会社を希望する人達の受け皿にもなるし、何しろ、何が起きても国は彼らを助ける必要がないのです。

3本の矢も、新3本の矢も要らないので、国立大学を減らすことと、雇用の流動化だけでも何とかして欲しいものです。あ、どちらか一つというなら、雇用の流動化の方で、ぜひ。  
Posted by buu2 at 16:14Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年12月29日

なぜ長時間労働がなくせないのか

朝日新聞デジタルにこんな記事が載ったけど、

仕事のために生きる? 長時間労働はなくせないのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151228-00000006-asahi-soci

長時間労働の良し悪しは別にして、もし本気で行政が長時間労働を禁止しようと思うなら、話はかなり簡単である。「長時間労働を行わせていることが判明した会社と、その関連企業に対しては、判明後5年間、公的補助金や委託金、公的発注を出さない」としてしまえば良い。ただ、いきなりこれをやると、日本中の会社が「仕方ないけど、もう助成金は諦める」となって、長時間労働はなくならず、補助金の行き先がなくなり、政府のバラマキが難しくなる(笑)。なので、1年ぐらいの猶予期間は必要だろう。これをやれば、長時間労働に依存している会社は、抜本的な体質改善を行うか、潰れるかしかなくなる。

駐車違反の取り締まりは、首都圏においては警察がかなり本気になったので、違法駐車は激減して、環八や環七は凄く走りやすくなった。おかげでそういった道路の沿道にあったラーメン屋などは駐車場の確保などで負担増になったはずだが、それらは圧力にならなかったのだろう。

一方で、路上喫煙はまだまだ取り締まりが甘いので、歩きタバコをする人間は相変わらず歩きタバコを吸っている。

結局、規制する側のやる気の問題で、長時間労働については行政も、政治家も、本腰を入れてやろうと思っていないだけだ。

もちろん、会社を潰す目的でわざと長時間労働して告発するといった不届きものが現れる可能性もあるし、一度摘発されて(例えば)5年間の補助金凍結の対象となってしまったら、開き直って高残業体質のブラック企業まっしぐら、という可能性もあるのだが、それはそれで対策を講じれば良い。

企業とか役所とかの本音は「有能な奴がたくさん働いてくれるのが一番効率的」だし、「転職先のない奴はサービス残業させて搾り取れば良い」だし、「若手は修行と称してこき使うのが良い」だし、「ボランティアとか、インターンシップとか、便利だよね」ということだ。昔、僕がキャスターをやっていた自民党神奈川県関連のテレビ局「日の出テレビ」でも、僕以外の自民党員たちはボランティアと称してサブキャスターたちをタダ働きさせていた。「タダでもやりたいっていうんだから、良いんだよ」というのがふくだ峰之氏(現自民党衆議院議員神奈川県第8選挙区)の理屈だった。

長時間労働の背景には色々な事情があるだろうが、基本的に働く側の意識改革では改善が難しい。変えるなら、管理する側が変わる必要がある。そして、そのためには行政か、株主からの圧力が必要だ。しかし、長い目で見れば利益が出るとしても、短期的にはほぼ間違いなく損失が生じるので、株主からの圧力は難しい。行政からの圧力に頼らざるを得ない。行政から管理する側への圧力も色々あるのだが、最初に書いた補助金や公的発注などのバラマキを絡めるのは非常に有効なはずだ。

#三菱総研とか、潰れるんじゃないの(笑)?

あるいは、軽減税率とかも、食品をどうする、新聞をどうすると詰めているくらいなら、「脱・長時間労働の会社は法人税5%軽減」などとしたら良い。手段は色々あるのだ。なぜやらないかって、「そんなことされたら、会社が成り立たない」という無言の圧力があるからだ。「長時間労働はけしからん」と言っている厚労省官僚たちだって高残業体質なのだ。

なぜ長時間労働がなくならないかって、簡単に言えば、行政になくす気がないからである。

ちなみにこのブログでは三菱総研や経産省といった高残業体質の組織で働いてきた経験をもとに「残業」について色々考察しているので、興味がある人はこちらをどうぞ。このエントリーとは焦点が違う記事がほとんどだけど。

このブログの中を「残業」で検索した結果  
Posted by buu2 at 11:37Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年11月01日

総統閣下はお怒りです 「ソーセージ作戦」

登場人物
nakama

総統閣下(左):日本征服を企む独裁者。堀北真希が結婚して、今は桐谷美玲ファン。ガンダムが好き。
モリタック(左から二番目):総統閣下の側近。給料が安くいつも貧乏。森永卓郎氏に似ている。
ノブポン(左から三番目):作戦室最若手。非常にまわりくどい言い方をする。池田信夫氏には似ていない。今、休暇中。
ヒロッコ(右):総統閣下の作戦室で統計・調査を担当する女性。荻原博子氏に似ている。


モリタック 総統!大変です!加工肉はタバコと同じくらいの発がん性らしいですよ!もうソーセージやハム、ベーコンを食べることはできません!!

ヒロッコ また何か拾って食べたんでしょ?だからあれほど、拾ったものを・・・

モリタック 違いますよ。今日は産経新聞を拾って読んだんです!!

総統閣下 産経新聞じゃ、犬のうんこと大差ないな。

モリタック とにかく、これを読んで下さい!!!

ヒロッコ 仕方ないわねぇ。東スポよりも発行部数が少ないなんちゃって新聞に信憑性があるとは思えないんだけど。

総統閣下 どれどれ

毎日ハム2枚 がん発症率18%UP WHO報告に食肉業界猛反発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151031-00000533-san-hlth

ヒロッコ やっぱり、産経新聞クオリティねぇ(笑)

総統閣下 全く、酷いレベルだな。良くこんなので新聞社を名乗っていると感心してしまうぞ。

モリタック ええ?どうしてですか???

ヒロッコ とりあえず、WHOの出したリリースを読んでみなさい。

IARC Monographs evaluate consumption of red meat and processed meat
http://www.iarc.fr/en/media-centre/pr/2015/pdfs/pr240_E.pdf

モリタック 英語じゃないですか!!!

ヒロッコ そのくらい、ちゃんと理解しなさい。

モリタック わかんないですよ。説明お願いします。

ヒロッコ 仕方ないわね。要すれば、赤身肉はIARC発がん性リスク一覧のグループ2Aに、加工肉はグループ1に分類された、ということよ。

モリタック そのくらいは私にもわかります。

総統閣下 モリタックは、IARCの発がん性リスクについてわかっていないんだろう?

モリタック もちろん・・・

ヒロッコ わかってないのよね。

モリタック はい・・・

総統閣下 IARCの発がん性リスクは日本看護協会のこの資料とかがわかりやすいかもな。

国際がん研究機関(IARC)による発がん性リスク
https://www.nurse.or.jp/nursing/shuroanzen/jikan/pdf/02_02_05.pdf

モリタック あれ?アルコール飲料と喫煙が同じグループなんですか?

ヒロッコ そして、そのグループに加工肉も追加されたということよ。

モリタック お酒と、たばこと、加工肉ですか。私の感覚では、たばこは凄く危険で、お酒はそういうこともあるかなぁ、飲み過ぎれば肝臓がんになるかもなぁ、でも、加工肉は良くわからないなぁ、という感じですが。

ヒロッコ モリタックにしては珍しく普通の感覚ね。

モリタック えへへ。私は常識人ですから。

総統閣下 一件落着だな。

モリタック ちょ、ちょっと待って下さい。まだ何も解決してないです。

総統閣下 どうしたんだ?何がわからないんだ。さっき、日本看護協会の資料を教えてやっただろう?

モリタック えーーーーーーーと・・・・

ヒロッコ 資料の文字を良く読みなさい。グループ1は、「発がん性がある」もので、グループ2Aは「発がん性がおそらくある」よ。

モリタック はい、私も日本語はそれなりにわかります。

総統閣下 10回ぐらい繰り返して読んでみたらどうだ?ヒロッコ、カウントしてやれ。

ヒロッコ はーーーい。いーち、にーい、さーん・・・10回!どう?わかった?

モリタック 全然わかりません。

総統閣下 仕方ないな。「関係性の強さ」と、「結果の重大性」は違うということだ。例えば、歩道を歩いている人と、高速道路の路肩を歩いている人の交通事故について考えてみろ。

モリタック はい。

総統閣下 どっちがより危険なのかはわからないが、事故の危険性はあるよな?

ヒロッコ 少なくとも、家で昼寝をしているときに比較すれば、歩道も、高速の路肩も、交通事故にあう可能性はあるでしょ?

モリタック それはそうですね。

ヒロッコ それが、関係性の強さよ。今、閣下が例示しただけだから資料がなくて感覚的だけど、多分、交通事故にあう可能性は、

歩道、高速の路肩 > 家

なの。IARCの「発がん性リスク」を「交通事故リスク」に置き換えるなら、歩道と高速の路肩はグループ1の「交通事故のリスクがある」に分類されて、家はグループ4の「交通事故のリスクはおそらくない」に分類されるのよ。

モリタック なるほど。

ヒロッコ じゃぁ、同じグループ1になった歩道と高速道路の路肩の、事故が起きた時の重大性はどうかと比較したらどうなるか、ということ。

モリタック 言葉が多くてわかりません。

ヒロッコ 一般道の歩道で事故にあうのと、高速の路肩で事故にあうのと、どっちが大変そう?

モリタック そりゃぁ、スピードが出ている分、高速の方が危険ではないでしょうか?

ヒロッコ 実際はどうかわかんないけど、私もそう思うわね。

総統閣下 その、事故の重大性がたばこと加工肉の違いだ。WHOやIARCは「加工肉が発がんと関係あるのは、たばこと発がんが関係あるのと同じで確実だ」と言っているだけで、加工肉を食べることとたばこが同じように危険である」と言っているわけではない。

ヒロッコ 「危険性」と「危険度」は違うとも言えるのかも知れず、産経新聞はそのあたりをきちんと使い分けているのかも知れないけど、

IARCは発がん性を5段階で評価しており、加工肉を最高レベルの「グループ1」に分類した。たばこやアスベストのほか、ディーゼル車の排ガスやホルムアルデヒドといった発がん性物質と同じレベルだ。


と書いてしまうのは大問題ね。たばこやアスベストと、加工肉が同じぐらいがんになりやすいと誤解しちゃう可能性が高いわ。

モリタック じゃぁ、加工肉を食べても良いんですか?

ヒロッコ だって、あなた、毎日歩道を歩いているでしょう?

モリタック はい。

ヒロッコ 歩道を歩いているときのリスクと、加工肉を食べた時のリスクの違いはわかんないけど、私は同じように「そんなに神経質にならなくても良いんじゃないの?」とは思うわね。

総統閣下 大体、日本人は今の生活習慣で世界でもトップレベルの平均寿命なんだ。

モリタック そうですね。

総統閣下 あまり神経質になる必要はない。あれが体に良い、これが体に悪い、と気にするよりも、バランスを考えるべきだな。いつも加工肉ばかり食べていたら大腸がんになりやすいから、ちゃんとバランスの取れた食生活を送りなさい、というとてもありきたりな話だよ。

ヒロッコ 閣下は塩分の摂り過ぎにご注意願います。

総統閣下 御意。

  

2015年09月22日

国立大がAO・推薦枠倍増して3割にするそうで

馬鹿な文科相と馬鹿な文科省がセットになるとこうなってしまうという悪い見本である。

国立大AO・推薦枠倍増、3割に…18年度目標
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150921-00050141-yom-soci

そこそこ機能している入試制度を壊しても、大して良いことは起きない。大体、そのモチベーションが「優れた資質、能力の学生を確保するため」なら、なおさらである。そもそも、子供の数が減っているのだから、普通に考えれば比例して優秀な学生の数も減る。これを解決する手段はたったの2つしかなくて、ひとつは子供の数を増やすこと。もうひとつは、高校の教育をもっと良くすることである。実際問題として、両方とも難しいんだから、何をやっても無駄という話だ。それでもなお、優秀な学生を集めるにはどうしたら良いかって、やるべきことは入試制度をいじることではなく、教育の質を向上させることしかない。それを図るものさしは一杯あって、就職率のアップでも良いし、司法試験の合格率アップでも良いし、ノーベル賞の受賞でも良い。とにかく、「あの大学は素晴らしい」という認識が共有されれば、優秀な学生が集まってくるのである。

現在の日本の大学入試制度は、きちんと客観的な一発勝負になっていて、大きな問題は感じられない。それは、問題とは何かということを考えてみればわかる。大学入試がきちんと機能しているか、いないかを判断するものさしは、「ちゃんと努力した受験生が、その成績に見合った大学に入学できること」である。一発勝負では、たまたま試験日に病気だったとか、苦手な分野で出題があったとか、偶発的な問題は発生する可能性がある。しかし、その可能性は、小さな誤差に含まれてくる。たとえば僕は大学院の入試で、問題が表と裏にあることに気が付かず、裏の問題を回答せずに一番で途中退室し、麻雀をやりに行ってしまったのだが、それでもちゃんと合格した。小さなミスなど取り返すだけの実力があれば何の問題もない。また、それでも一発勝負は問題があるというのなら、受験の回数を増やせば良いだけのことである。現状抱えている問題の大きさと、対応の難しさを考えてみても、客観的な試験から、主観的な試験に転換するだけの説得力は存在しない。何しろ、面接みたいな主観的な方法は、圧倒的に不公平なのだ。そして、そういう主観的な選抜の延長に、むしろ大きな問題が生じうることは、小保方氏の件で日本人全員が知ることになったはずである。

もちろん、「成績なんかどうでも良い。ボランティアで頑張った子供に来て欲しい」と思う大学があっても良いのだが、一番困るのは勉強で頑張った学生と、ボランティアで頑張った学生が混在してしまうことで、そんな状況で、きちんとした教育ができる教師はほとんど存在しないだろう。勉強を頑張ってきた学生と、ボランティアを頑張ってきた学生が、大学に求めるものは大きく異なるはずで、それを全部合わせて飲み込むだけの包容力があるとは思えない。ボランティアで学生を選ぶなら、ボランティアが大好きな学生ばかりを集めた大学を作れば良いだけのことである。

例えば僕は東工大の体育会で、そこそこまじめに部活をやっていたけれど、同時に勉強もやっていた。スキーだけやっていて卒業できる大学ではなかったし、スキーをやりつつも、ちゃんと勉強していれば相応の成績を残すレベルの学生を入試の段階で選抜していた。それは大学全体としてのコンセンサスだったと思う。理系で言えば、少なくとも東大、京大、阪大、東工大ぐらいまではそういう大学であって、だから大学の看板である程度学生の質が担保できるんだと思う。それが大学のカラーである。

そのカラーを、入試制度の変更で作っていこうというのは、「馬鹿だなぁ」のひとことである。カラーを決める要素は、まず教育の内容・質があって、それに見合った学生を選ぶ手法は二番目だ。きちんと、「うちの大学はこれをやる」という独創的な教育内容の提示があって、その目的を達成するためにAO入試こそが非通用だ、というのなら話はわかるのだが、そんな独創的なポリシーを見たことがない。例えば、ある大学の総長ご挨拶を読んでみると、こんな文言が書いてある。

「自由闊達」
「創造的な研究活動によって真理を探究し、世界屈指の知的成果を産み出す」
「自発性を重視する教育実践によって、論理的思考力と想像力に富んだ勇気ある知識人を育てる」
ノーベル賞を受賞した日本人13名のうち6名が本学関係者
社会の様々な分野でリーダーとなる多くの人材を世に送り出してきた
「時代とともに変化する社会のニーズにマッチした人材」
「社会の様々な分野でリーダーとして活躍できる人材」
高い見識と確かな知識や技術でたくましくリーダーシップをとれる人材
国際化、男女共同参画、社会貢献に取り組んでいます
多くのプロジェクトを、アジアを含む世界各地に展開
海外から受け入れている留学生総数は全学生数の約14%
英語教育の強化
保育所の整備にとどまらず学童保育の導入
様々な連携事業
未来志向の大学


さて、これだけたくさんの情報が書かれているが、これがどこの大学の総長の言葉だかわかる人がどれだけいるだろうか。ノーベル賞の人数あたりは大きなヒントになりうるのだが、それでも、この文言からきちんと自信をもって大学名を答えられる人はほとんどいないと思う。要は、今の国立大学なんて、どこにあるかと、どのくらいの偏差値なのかぐらいしか特徴がないのである。

大学の教育方針がしっかりしていて、かつそれがユニークなものであり、それに見合った学生を確保したいにも関わらず、現在の入試制度は不備があって、思ったような学生が確保できずにいる。その状況を打破するためには、AO入試や推薦こそが必要である、ということなら理解可能なのだけれど、そこまでの意気込みは既存国立大学からは感じ取れない。そんな中で、なんとなく入試制度をいじってみても、レベルが低い学生が入ってきて、卒業生の質が落ちたり、留年率や中退率がアップするだけだろう。AOや推薦を増やすとか、本当に馬鹿だなぁ、と思うのだが、まぁ、あと10年もすれば結論が出てくるだろう。そのとき、下村博文は70歳を超えているのだけれどね。もし「あのせいで学生の質が低下した」ということになったとしても、責任は取らないだろうな。  
Posted by buu2 at 14:16Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年09月06日

続々 五輪エンブレムについて

先に書いたこの問題に関する記事はこちら

五輪エンブレムについて
http://buu.blog.jp/archives/51504847.html

続 五輪エンブレムについて
http://buu.blog.jp/archives/51505232.html

さて、日本人はバランスを取りたがる民族なのか、一方的に叩かれてノックダウンされた佐野氏を擁護する意見がチラホラでてきた。どれも「はて?」と思わされる内容だったのだが、今回、かなり長文にまとめた記事を見つけたので、それにコメントしつつ、今回の佐野氏のエンブレムが撤回されたことが妥当だったのかを明確にしたい。

まず、記事はこちら。
それでもあの五輪エンブレムは”パクリ”ではない!
〜そもそもデザインとは何か?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44972

以下、引用しつつコメントしていく。
撤回へのきっかけとなった原案よりも、私個人は最終案のほうがアイデアのスケールが大きいと感じる。

まず、今回の大きな問題点がこの不透明な「変更」なのだが、その点について本稿は全く言及がない。今回の騒動の流れとしては

0.エンブレムのデザインと、そのコンセプトが発表された
1.エンブレムのデザインのだささが指摘された
2.エンブレムとリエージュ劇場のロゴの類似性が指摘された
3.現在の案は最終案で、原案が存在したことが説明された(8月28日)
4.当初案とヤン・チヒョルト展のポスターとの類似性が指摘された

というものだが、おかしかったのは、3の説明における「原案」と、0で発表された「エンブレムのコンセプト」に乖離があったことだ。エンブレム(最終案)のコンセプトの説明では「正方形を9分割したものと日の丸を重ねて、1964東京五輪のエンブレムへのオマージュとした」という主旨の話があったのだが、原案には日の丸を重ねたコンセプトが全く存在していなかった。デザインにおいてベースとなるべき「コンセプト」が、組織委員会の指摘によってあと付けされたことが判明してしまい、「なんだそれ」となったわけである。

盗用というのはふつう「バレない」ようにするのが基本だろう。デザイナーとしてのキャリアが20年以上ともなる佐野氏が、ここ一番のコンペでそこまで杜撰な盗用をするだろうか。

何か論理的な説明があるのかと思ったら、著者の主観による推測が論旨でびっくりした。しかも、すぐあとで
あそこまでわかりやすく似せる

と、デザインが良く似ていることについて主観を述べている。「あの五輪エンブレムは”パクリ”ではない!」とタイトルしておいて、「だって、そんな馬鹿なことするわけないじゃん」では拍子抜けも甚だしい。

たとえば写真でもトリミングが1mmずれただけで、ビジュアルの印象というものはかなり変わってくる。見る側は理性ではなく、感性でその細かな違いを実は見分けている。そこまできちんと計算して世に送り出せるのがプロである。そのこだわりが極まって、0.1mmレベルの世界で作業をしているデザイナーもざらにいる。

このデザインに対するこだわりがどこまで本当なのかはさっぱりわからないし、トリミングにおける1ミリがどのくらいのサイズの写真での話なのかという重要な情報が欠落していて、筆者の説明力の低さが窺われるのだが、ともかく、これを是とするなら、「1ミリにもこだわるデザイナーが、組織委員会の指摘によってコロコロ2度もデザインに修正を加えるのか。結果として、原案と最終案は全く異なるものになっているが、デザイナーとしての矜持はどこへ消えたのか?」となる。

以下、今回の問題とは離れた筆者の個人的主張が続くのでざっくりと割愛して8ページに飛ぶ。
美術やデザインの教科書などでもよく紹介される名作、国宝「平家納経」の見返しに俵屋宗達が描いた鹿の画をヌケヌケというほど見事にトレースしている。このポスターが制作された当時は、ネットの画像検索などなかったわけだが、多くの人たちが元ネタを知っていたので、これは明らかに「わざと」かつ「あえて」なチャレンジである。

同様の意見として、風神雷神図を例に、似ている芸術は山ほどある、という擁護論を開陳している例があるのだけれど、それらと今回の一件とには重要な相違がある。それは、インスパイアされていることが発表時において明らかかどうかである。仮に俵屋宗達が全く無名の画家で、宗達が尾形光琳のもとに「こんな絵を描いてみました」とやってきて、尾形光琳がその絵の存在を握りつぶした上で、自身のオリジナルとして風神雷神を描いていて、後日そのことが明らかになったのであれば、光琳の風神雷神の評価は全く異なるものとなるだろう。こっそり盗むことと、おおっぴらに参考にすることは全く違う。そうした全く違う性質のものをあえて並べることによって、佐野氏のデザインの正当性を主張する書き方からは悪意しか感じ取ることができない。

補足:佐野氏が手がけたデザインは盗用か?

ここでも、それほど問題とは思えない事例を大きく扱っていて、明らかに問題と思われる事例を簡単にスルーしたり、あるいは言及すらなかったりするので拍子抜けする。世間の趨勢は知らないが、少なくとも僕は東山動植物園と太田市美術館・図書館のロゴについてはパクリだとは思わない。前の文章を読んでもらえればわかるが、僕が明らかにクロだと思ったのはサントリーのトートーバッグと、展開例の資料で使った画像で、この2つにおいてだけで、エンブレム作成の担当者として欠格だと考えている。加えて、エンブレムの原案は限りなくクロに近いグレーと考えている。その後に発見された多摩美大のポスター数点について盗用の指摘がなされているが、

佐野氏の盗用が次々と発覚 多摩美大のポスター、『Zoff』のメガネ写真を無断利用か
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1852106.html

この、文字が溶けている奴などは劣化コピーの可能性が非常に高いと思っている(YOUR LIFは、溶けている文字の量によって水中の墨の量が変化しているのだが、佐野氏のポスターはその辺が整合が取れていないところが「劣化」)。Zoffのメガネもトレースの可能性は高いと思う。

また、サントリーについて本稿は
明らかに問題があると思うのは、エンブレムの展開写真の無断使用とサントリー・ALL FREEの「夏は昼からトート」キャンペーンの全30点中の1点。

と書いているのだが、すでに8つの作品について他人の著作物をトレースして利用したことを根拠に、佐野氏自身がデザインを取り下げているのである。それらについて問題なしと判断する著者の姿勢からも、「単に意識が甘いか、佐野氏と仲良しなだけ」という印象を受ける。

さて、まとめておこう。佐野氏は、サントリーのトートバッグと、五輪エンブレム展開例の資料において、盗用を行った。これは本人も認めている事実である。そのような、他者の権利に対して無頓着な作家は五輪エンブレム制作者としての品格に欠けると思う。そして、五輪エンブレムの原案は、すでに発表されていたデザインに酷似していた。その関連性については厳密な判断は不可能なので、これ以上の追求は無意味だろう。過去に盗用を行っていた人物が、盗用を疑われる作品を提出した、ということだ。「李下に冠を正さず」とはよく言ったものである。さらに加えて、最終案の説明にあったデザインコンセプトが原案には存在せず、応募、選考、修正、決定にいたるプロセスにおいて何らかの不公正が行われた可能性を否定できない。以上において、今回の佐野氏によるエンブレムが撤回されたことは、妥当な判断だと思う。ただし、その責任のすべてが佐野氏にあるとは思わない。組織委員会の側にも大きな瑕疵があったと思う。
  
Posted by buu2 at 21:30Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年09月05日

愛知県警の馬鹿コンテンツ

警察って、ここまで馬鹿だったんだな、と感心した。

星座から見た交通死亡事故の特徴
https://www.pref.aichi.jp/police/koutsu/topics/seiza.html

これが企画として成立して、一般に対して公開されちゃったところが凄い。ちなみに賭けても良いんだけど(って、警察に怒られるから賭けらんないけど)、このコンテンツは一ヶ月以内に消えるから、興味のある人は早めにアクセスして、ファイルを保存しておいたほうが良い。丁寧にPDF化されているので、保存は簡単。

しかし、このコンテンツを作るために使われた税金は、全額責任者の給料から差し引かれるべきだよな。

#愛知県って、こんな馬鹿が拳銃持ってウロウロしていると思うと、怖くて近寄れないよ。  
Posted by buu2 at 18:44Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年09月03日

続 五輪エンブレムについて

どうなるか注目していたのだが、佐野氏は逃げ切りに失敗した。それを伝えるのが次の記事だ。

東京五輪エンブレム取り下げ 組織委、新たに公募へ
http://digital.asahi.com/articles/ASH915RS0H91UTQP02D.html

この記事を読むと、「はて?」と思う部分がいくつかある。

佐野氏は相変わらず正当性を主張しているのだが、彼がここで認めたらデザイナー人生は終了なので当たり前である。個人的には取り下げられた最終案とベルギーのリエージュ劇場のロゴの関係性については次のように判断を保留していたのだが
今回のエンブレムが盗用なのか、それともたまたま似てしまったのかは判断が難しく

五輪エンブレムについて
http://buu.blog.jp/archives/51504847.html

その後に出てきた原案と、ドイツのタイポグラファー、ヤン・チヒョルトの展覧会ポスターについてはクロだと考えた。これは実は選考委員会も認知していて、だからこそ二度に渡って修正を要求したんだと思う。その際、リエージュ劇場のロゴを参考にしたかどうかは不明だが、審査委員会がなぜ二度も修正を要求してまで佐野氏の起用に拘ったのかはちょっと理解に苦しむところである。ともあれ、この限りなくクロに見える原案と、その説明に利用した「活用例」の明らかな盗用によって、佐野氏は逃げ道を塞がれ、擁護派もこれ以上の擁護が困難であると判断したのだろう。

加えて、今回の騒動を契機にして穿り返された、過去のパクリ疑惑も問題になったはずだ。特に多摩美大関連のパクリ疑惑についてはこれまたクロの疑いが強い。無断使用を認めて撤回したサントリーのトートーバッグの件をあわせて考えると、佐野氏の今回のエンブレム案は、グレーであってもクロに近いと思わされてしまう。上にリンクした「五輪エンブレムについて」というエントリーでも書いたのだが、佐野氏には五輪エンブレムを描くだけの品格が不足していたと思う。

ただ、問題は佐野氏が手がけたデザインのみにあることなので、今の段階では彼を養護するデザイン関係者や、佐野氏の家族には関係がない。記事に書かれているような佐野氏の家族にまで悪影響があったとすれば、それはお門違いと言える。こういった誹謗が事実であれば、それはそれで非難されるべきだろう。目的は手段を正当化しない。正しい目的は、正しい行動のみの集積によって実現されるべきだ。

#ただ、佐野氏の家族や親しい知人の中には五輪エンブレムの決定過程においてその結論に影響を与えかねない人物が複数おり、そういった人物たちについては「関係がない」とは言い切れないところがある。

次に、武藤事務総長のコメントである。事務総長は「審査時の内部資料として作ったが、公になる際に権利者の了解を得るのを怠った。不注意だった」と無断転用を認めつつ、内部資料だったから問題ないという見解を示している。しかし、著作権法で認められているのは私的利用の範囲内であって、内部資料はこれに当たらない(私的利用は、個人や家庭内、それに準ずる範囲(家族同様の親しい範囲))。加えて、今回の無断転用は、わざわざ「copyright」の表記をトリミングして削除していた。内部資料として転用するだけならこの表示を削除する必要性は一切なかったはずだし、もしそれが残っていれば、28日の説明会見の前に権利者への打診があったはずである。法律の認識もおかしいが、内部資料だからオッケーとしても、わざわざ「copyright」表記を削ったことに対する追求があってしかるべきなのに、それを怠っている。こういう体質こそが、今回の事態を招いたのだろう。

審査委員の永井代表のコメントもおかしいと思う。「模倣でないとの説明は専門家には分かるが、一般国民の納得を得るのは難しい」とは、「こっちは悪くないが、衆愚の圧力に屈した」という感じである。僕は専門家ではないので、ヤン・チヒョルトの展覧会ポスターと原案はそっくりに見える。この類似性を専門家以外の一般の人に対して平易な言葉を使って否定できないなら、専門家の腕が悪いのではないだろうか?加えて、佐野氏がこれまでパクリを繰り返している人物であることの評価が何もない。「李下に冠を正さず」で言うなら、これまで何度もすももを盗んでいる人物がすももの樹の下で冠を正しているのだ。その点にも言及があってしかるべきだろう。

さて、ともあれ佐野案は取下げられたので、新しいデザインを選ぶ必要がある。いっそのこと1964のデザインをそのまま、という意見もあるが、これには全く同意できない。ダメなのは佐野氏や審査委員を含めた既得権者や、これまでの価値観に胡座をかいている老害たちであって、デザイナー全体ではない。五輪エンブレムはデザイナーにとって大きなチャンスなのだから、きちんと再公募して、国民的な投票で決めれば良い。その際、応募資格はなるべく緩和するのが望ましいし、募集する側はデザインに求められる思想や、デザイン上の制約などを明示すべきだ。「粗製乱造では困る」という指摘はもっともなので、イラレやフォトショでのファイル提出を要求するとか、公式サイトにおける事前投票で一定数以上の推薦票がなかった場合には足切りにするといった手段もありだろう。

以下、全くの余談だが、アルファベットをモチーフにデザインするのは非常に危険なので避けるべきだろう。  

2015年08月29日

五輪エンブレムについて



ピンズコレクターをやっている都合上、日頃から五輪やワールドカップのエンブレムに囲まれて生活しているので、東京2020のエンブレムのパクリ問題についてはずっと注目していた。最近になって大慌てで日本航空が大きなエンブレム入りポスターを作ったあたりで「ははぁ、組織委員会は既成事実を積み重ねて逃げ切りを図るつもりだな」と思っていた。

2020東京五輪ロゴに関する緊急指令
http://buu.blog.jp/archives/51504000.html

その後も組織委員会は佐野氏の後方支援を懸命に続けていたのだが、

五輪エンブレム:「オリジナルと確信」…組織委、原案公表
http://mainichi.jp/select/news/20150829k0000m040052000c.html

当のデザイナーにその意識が希薄なようで、相変わらずパクリを続けているようだ。これでは組織委員会も足元から砂が波にさらわれていく気分だろう。

佐野研二郎、海外ブログの写真からCopyrightの文字を削り盗用か?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1851742.html

今回のエンブレムが盗用なのか、それともたまたま似てしまったのかは判断が難しく、いくら議論しても生産的なものにはならない。それでもなぜこんなに批判されるのかといえば、デザインの質が低いからだと思う。僕も正直、エンブレムを観た瞬間に「だっせぇー」と感じた。仮にエンブレムの質が高ければ、これだけの注目は浴びなかったのではないか。なぜこんなデザインを選んでしまったのか理解に苦しむ。

日本で最後に行われた五輪は1998年の長野五輪だが、そのエンブレムはなかなか秀逸だった(デザインは篠塚正典氏)。
nagano

篠塚氏のブログから引用)
言われなければわからないが、五輪競技をそれぞれデザイン化し、それをすべて集めることによって花になるようにしたものだ。最初に観た瞬間は「あぁ、花びらなのね」で終わってしまうのだが、デザインの意味を教えられると「なるほど」と思い、その瞬間から親近感がわく。もう20年近く経つのだが、個人的には今でも飽きることがないし、歴代の五輪エンブレムの中でも指折りのデザインだったと思っている。一方で、今回のエンブレムは観た瞬間にダサく感じ、説明を受けるとその思いが一層強まる。これはあくまでも僕個人の主観だが、同じように感じる人が多かったからこそ、「なんでこれ?」と思い、そして調査をしたんだと思う。今となっては、興味は組織委員会が逃げ切ることができるのか、という一点に絞られてしまった。

#ちなみにエンブレムが変更になると、現在のエンブレムを使ったアイテムの値段はぽーんっと跳ね上がるはずだ(笑)。

五輪にしても、ワールドカップにしても、国際的な大イベントの場合、まず「招致活動」が行われる。この際、招致ロゴが作られるのだが、ここ数年の招致ロゴは大阪2008にしても、東京2016にしても、あまり工夫がなくぱっとしなかった。ところが、東京2020の招致ロゴはなかなか良いデザインだった。



招致ロゴが良かったのに、本番のエンブレムがダサかったという落差も、今回の国民的反佐野現象に拍車をかけている気がする。「こんなのにするなら、招致ロゴデザインのままで良かったのでは?」とは、多くの人が感じるところかも知れない。

とはいえ、「これはパクリっぽい」とか、「これはダサい」というのはあくまでも個人の主観である。エンブレムを選んだ審査員の面々(永井一正、浅葉克己、細谷巖、平野敬子、長嶋りかこ、高崎卓馬、片山正通、真鍋大度)は、このデザインが素晴らしいと判断したのだから仕方がない。まぁ、最終まで残った2作品(原研哉、葛西薫)も見てみたい気はするのだが、それを見て「こっちのほうが良いじゃん。審査員は馬鹿なの?」と言っても仕方がない。

ただ、主観とは違う場所での問題がいくつか指摘されつつある。それがサントリーのトートーバッグで、今回の『展開例』の盗用疑惑である。後者についてはまだ佐野氏から正式なコメントがないので誰がやったのかについて明確ではないが、前者については佐野氏本人も認めているところである。

サントリー、佐野研二郎氏デザインのトートバッグプレゼントを一部取り下げ ネット画像無断使用の指摘
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/13/news087.html

仮に後者についてもクロだったとすれば、もはや弁解の余地はあるまい。五輪といえば、世界の2大スポーツイベントの1つである。それだけ注目されるイベントのエンブレムを作る人間としては相応しくない。ちなみに今回のエンブレムのコンペ応募資格は次のようなものだったのだが、

東京ADC賞、TDC賞、JAGDA新人賞、亀倉雄策賞、ニューヨークADC賞、D&AD賞、ONE SHOW DESIGN のうち、過去に2種以上受賞( 佳作・ショートリスト・インブックは対象外)しているデザイナー・グラフィックデザイナー・アートディレクター。
[補足] 同一賞2回以上の受賞者も含む。
・デザイナー個人としての応募であること(事務所・会社名義での応募は不可)
・日本語でのコミュニケーションが可能な方(通訳によるコミュニケーションも可)
・日本国内での行事・打合せ等に参加可能な方


明文化されていないあたり前のこととして「過去に盗作を行っていない方」があってしかるべきである。それは、佳子様の警護にあたる人間に「幼女買春で捕まったことのない人」という明文化されていない条件があるべきなのと同じである。

ことはデザインの良し悪しの問題ではない。デザインをするだけの資質を持ちわせていたか、品格は足りていたかという問題だ。ハードルとしては決して高くないものだと思うのだが、このままなら残念ながら佐野氏はそれに足りていなかったと判断せざるを得ない。サントリーの一件でもかなり疑問があったのだが、今回の『展開例』までもが佐野氏の手によるものだとすれば、組織委員会は可及的速やかに現在のエンブレムを取り下げ、新たにコンペをやり直すべきだろう。そのスピードが落ちれば落ちるほど組織委員会の評価は悪くなり、東京五輪のキズとなっていくだろう。

2015/08/30追記:言い逃れで使った「元デザイン」もパクリだったことが判明したようで。どこまで逃げることができるのか。

【やっぱりか】佐野研二郎氏の五輪エンブレム原案も『ヤン・チヒョルト』展のポスターからのパクリだと判明wwwwww もう決定的じゃねーかwwwwwwwww
http://dechisoku.com/archives/1038498635.html  
Posted by buu2 at 10:56Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集

2015年07月30日

東京五輪エンブレムについて

リエージュ劇場のエンブレムにそっくりと話題の東京五輪エンブレムですが、

orz2


確かに似ていますね。そして、似ている上に、この部分に

orz


なんか、「orz」が隠されているような。リエージュ劇場プラス土下座?  
Posted by buu2 at 10:59Comments(0)TrackBack(0)ニュース

編集