「あるある大事典」の捏造事件は納豆から始まってレタス、みそ汁などへとどんどん拡大している。僕はもともとバイオの人間だから、「この番組がフィクションだったって、みんな知らなかったの?」とそちらの方が驚きだが、ゆとりの教育とやらのおかげでまともに生物の勉強をさせてもらえなかった人たちにはこの手の知識がなかったのかもしれない。
この件でちょっと「面白いなぁ」と思うのはこのニュース。
番組関連本を出荷停止=「あるある」で扶桑社
捏造の証拠をわざわざ自分で晒していたわけで、これからこの本を買う人たちは「一体こいつらどんなことをやっていたんだろう」と興味本位というか、捏造探しで購入するはず。少なくとも、「暮らしを豊かにするちょっとしたヒントを得たい」などと思うことはないし、今でもそう思っているとしたらそれはそれで情報敗者である。ということで、ここへきてさも「捏造への対応をしています」などと見せていても、その内実は証拠隠し。「恥ずかしいから出荷するな」ということである。ウェブ2.0時代の特徴は少数の専門家によって引っ張られている社会ではなく、大勢の非専門家による情報集積&フィルタリング社会ということ。つまり、この手の問題が持ち上がったときには、多くの人がこの本を買った上で、無名の知識人たちが「これはおかしいなぁ」「これを試してみたけど全然効果がない」などとネットで情報発信し、それが集積され、結果として「こいつらとんでもない」ということになる可能性がある。扶桑社はいち早くその危険性に気付き、「やばいから回収しろ」ということになったんじゃないだろうか。
年功序列、終身雇用型社会では、勤続年数がそのまま評価につながる。したがって、社員は「どうやって失点を少なくするか」を考える。今、日本社会の中枢にいる人たちはこの価値観で働いてきていて、頭の中はそのまんま守りの体制である。したがって、ウェブ2.0の良さを僕たちがいくら説明してもなかなかそれを理解してもらえない。一方で、ウェブ2.0の危険性については非常にセンシティブである。世の中が変わりつつある中で、自分が失敗しないためにはどうしたら良いのかを考え、その対応に腐心する。なので、扶桑社の人たち、あるいは関西テレビからの指示かもしれないが(って、扶桑社も関西テレビもフジテレビが大株主(扶桑社は持ち株比率は不明だが、
ウェブサイトによれば恐らく筆頭株主、関西テレビはフジテレビが筆頭株主で持ち株比率は19.85%)なので、フジテレビからの圧力かも知れないけれど)、そのあたりを敏感に察知したんだろう。メリット、デメリットに対する感受性はテーマによるのだけれど、大抵の場合デメリットに対してメリットが5年遅れでやってくる(あくまでも個人的主観)ので、あと5年の我慢だなぁ、などと思うわけだけど、それはそれとして、扶桑社の人たちもデメリットに対する意識はそれなりに高いようだ。扶桑社も商魂豊かなら本の帯に「捏造か?真贋を見極めるのはアナタ」などと書いて売り出せばまだまだ売れるだろうに、と思うのだけれど(笑)。
さて、ネット社会になって、情報格差がものすごく大きくなってきているわけだが、その格差というのは取得する情報の絶対量と同時にフィルタリング能力によって生じている。件の問題についても、情報のフィルタリング能力があればいくらテレビでフィクションを流されたとしても問題はなかったはずで、例えば東スポが「荒川静香は背骨が二つ多かった!!?」と見出しをつけようが、矢追純一氏が「冥王星には本当に反射衛星砲があった!」と番組で喋ろうが、みんな「はいはい、そうですか。面白いですね」で済んじゃって、問題にならなかったはず。問題なのは、受け手にフィルタリング能力がない状態において(フィクションであるという国民的合意がない中で)情報発信されていたということである。
ウェブ2.0的な豊かな暮らしとは、
1.大量の情報を集める
2.その中から有用な情報をフィルタリングする
3.自分にフィットするものだけを活用する
という流れで実現されるのだと思うのだけれど、今回納豆を食べまくった人たちというのは恐らく1のところにもいかず、少数の情報だけを妄信し、それをフィルタリングなしに活用してしまったということ。つまりは1と2をすっ飛ばしてしまっていたわけだけれど、まぁまだまだ社会というのはそのくらいのところが標準なのかなぁと感じた次第。
ところで、こうした社会環境においては、どうしても広告偏重型の社会が形成される。「これは体に良いですよ」とパワーメディアで情報発信されるとすぐにそれが受け入れられてしまうので、当たり前と言えば当たり前。こうした社会状況を示すんじゃないかと感じられる別のニュースを見たのでちょっとそれについても触れてみる。
邦画のシェアが21年ぶりに洋画を上回る。06年国内映画動向
ちょっと、邦画の興行成績が良いものの配給と製作を並べてみる。
ゲド戦記
配給:東宝
製作:スタジオジブリ
LIMIT OF LOVE 海猿
配給:東宝
製作:フジテレビジョン、ROBOT、ポニーキャニオン、東宝、小学館、、FNS加盟27社
THE 有頂天ホテル
配給:東宝
製作:亀山千広、島谷能成
日本沈没
配給:東宝
製作:「日本沈没」製作委員会(TBS・東宝・セディックインターナショナル・電通・J-dream・S-D-P・MBS・小学館・毎日新聞社)
デスノート the Last name
配給:ワーナー・ブラザーズ
製作:日本テレビ放送網
男たちの大和/YAMATO
配給:東映
製作:「男たちの大和/YAMATO」製作委員会(東映、角川春樹事務所、テレビ朝日、東映ビデオ、朝日放送、広島ホームテレビ、九州朝日放送、北海道テレビ、長崎文化放送、鹿児島放送、朝日新聞社、中国新聞社、北日本新聞社、東映アニメーション、TOKYO FM、東映エージエンシー他)
面倒だからこのあとの作品は関係だけ書くけど、「劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ポケモンレンジャーと蒼海の王子 マナフィ」はテレビ東京、「映画ドラえもん/のび太の恐竜2006」はテレビ朝日、「涙そうそう」はTBS、「名探偵コナン/探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)」は小学館・讀売テレビ・日本テレビといった具合。まぁ当たり前だけど、ほとんどの作品がテレビ局絡みなわけです。効きもしない納豆を「ダイエットに効きます」と宣伝したのと同様、面白くもない映画を「面白いです」と宣伝したのかもしれない。別に僕はこうした手法を否定する気はないし、また洋画のラインナップを見ても確かに去年は不作だったなぁと思ってしまうのだけれど、僕の個人的な映画評はこんな感じなわけで、
ウォーク・ザ・ライン 3.0
ミュンヘン 3.0
カジノ・ロワイヤル 3.0
ナイロビの蜂 2.5
トゥモローワールド 2.5
手紙 2.5
博士の愛した数式 2.5
ポセイドン 2.5
Vフォー・ヴェンデッタ 2.5
M:I:III 2.5
グエムル 2.0
明日の記憶 2.0
ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ! 2.0
デスノート後編 2.0
父親たちの星条旗 2.0
X-MEN ファイナルディシジョン 2.0
有頂天ホテル 1.5
ワールド・トレード・センター 1.5
ダ・ヴィンチコード 1.5
ナルニア 1.5
嫌われ松子の一生 1.0
帰ってきたスーパーマン 1.0
ハリーポッターと炎のゴブレット 1.0
日本沈没 0.0
まぁ、世の中の実績とは随分乖離があるなぁと思わないでもない。
放送局が自分で製作した映画の宣伝をバンバン放送するのが(場合によっては出演者を局のバラエティ番組に連れてきたりもするわけで)放送法に定めるところの「不偏不党」に該当するのかと聞かれるとそれはちょっとなぁ、と思わずにいられないのだけれど(そもそも、株式会社が不偏不党は無理でしょう、株主が国であっても)、まぁそれはそれとして、映画の出来と興行成績がほとんどリンクしないという事象を見ても(って、スイマセン、映画の出来というのは完全に僕の主観です)、世の中の経済の動きは物凄くマスメディアに操作されていて、自分達が常にそうした洗脳型社会の一員であることを意識している必要があると思う。
テレビやラジオ、雑誌の広告というのは物凄く古い種類の媒体を使っていて、手法としてはかなり熟成されている。そうした積み重ねが受け手に対して安心感を生んでいる部分も少なからずあるとは思うのだけれど、所詮は消費者の購買意欲を喚起する目的のものである。そうした意図のもとに発信されている情報に対して、自分の立ち位置がどこにあるのか、これを常に意識しておく必要があるのが、現代の洗脳型社会のライフスタイルだと思う。