2013年01月10日

朧の森に棲む鬼(ゲキ×シネ)

「ゲキ×シネ」という、演劇のビデオを映画館で観ちゃおう、というちょっと「?」なものを観てきた。演目は劇団☆新感線と松竹のコラボ作品「朧の森に棲む鬼」。劇団☆新感線は渡辺いっけい、筧利夫、古田新太、高田聖子あたりを通じて夢の遊眠社、第三舞台などと交流が深く、よその舞台では色々と所属俳優、卒業俳優の舞台を観てきていたのだけれど、劇団☆新感線オリジナルは観たことがなかった。

また、演劇をビデオ(映画?)という形態で観ることにも僕は比較的否定的で、実際に僕自身、夢の遊眠社のビデオをたくさん持っているけれど、それはあくまでも「完全に失われてしまったものを再現するためのツール」としての利用であって、やっぱり舞台の魅力はライブでしか味わえないよなぁ、と思っている。

そんな僕だが、なぜこのコンテンツを観てきたかといえば、それは阿部サダヲ、真木よう子、秋山菜津子といった、お気に入りの役者たちが出演していたから。あと、一度は新感線を観ておきたかったというのもある。

結論から言うと、ゲキ×シネは結構面白かった。まず、音が予想よりも良かった。観に行った大泉学園のT・ジョイは他の映画館に比べてやや音が大きい設定の映画館で、他の映画館と比較してちょっとやかましく感じるのだが、それがこのゲキ×シネには良かったような印象を受ける。それから、そこそこの台数のカメラを利用して撮影しているので、役者の表情をきちんと追えているのも良かった。

マイナス点ももちろんあって、最大のものは画質。暗い舞台を撮影していることで、光量が足りずに粗い映像だった。役者はほとんどの役者が魅力的な演技を見せていた中にあって、お気に入りの真木よう子の演技力と歌唱力がちょっと、という感じだった。ストーリーにもひねりがなくて、キャラメルボックスに通じる物足りなさを感じた。ただ、これは映像だったからかも知れない。というのは一つ一つの伏線を一々強調した絵作りになっていたので、「あ、こうなるのね」みたいなのが大体わかってしまったのだ。

第一幕までは素晴らしい出来だったと思うのだけれど、広げた風呂敷のたたみ方がイマイチ爽快感に欠けるというか、なんというか。評価は☆3満点で☆2つ。

髑髏城の七人には小池栄子が出ているので、こちらも観てこようと思う。

#新感線って、今、渋谷で「ZIPANG PUNK〜五右衛門ロック3」っていうのをやっているんだけど、S席で12,500円!!これはすげぇ。

ZIPANG PUNK〜五右衛門ロック3  

Posted by buu2 at 11:05Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2012年10月03日

NODA・MAP「THE BEE」再演

最近の野田秀樹作品はちょっと割高に感じられること、あて書きで書かれているので、再演になると作品の質が落ちること、宮沢りえは嫌いじゃないけれど喉の調子が悪い状況でもタバコを吸う女優であること、初演時に日英バージョン併せて3回観たことあたりが理由で、観に行かなかったこの舞台。WOWOWでやっていたので、テレビで観てみた。

僕としては、秋山菜津子、浅野和之の初演バージョンのほうが良かったかな(って、これは野田秀樹作品ではほとんどのケースで言えると思うけれど)。宮沢りえが上品すぎてフィットしていない印象を受けた。

初演時に使っていた小道具は日本バージョンが紙、英国バージョンがゴムだったけれど、本作では紙とゴムの両方を使っていた。  
Posted by buu2 at 12:40Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2012年09月29日

「エッグ」野田地図 第17回公演(@東京芸術劇場プレイハウス)二回目

二回目の鑑賞。一回目の感想はこちら。

NODA・MAP 第17回公演 「エッグ」(初日)
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51358491.html

鑑賞前に「新潮 10月号」に掲載された戯曲をざっと読んでおいた。

前回は初日ということもあって芝居にもややまとまりがない印象を受けたのだが、今回は大分こなれていたような気がする。そして、観る側も戯曲を読んでいたので、非常に理解しやすかった。これから観る人に言っておきたいことは、戯曲の冒頭の6ページぐらいで構わないので、読んでおいた方が良いということだ。それだけで、芝居の構造がわかる(時空の配置と、野田秀樹のセリフ、そして深津絵里の歌う歌の歌詞)。特に、前から10列目程度よりも後方の席で観る人にはお勧めしたい。野田秀樹は以前からちょっとセリフの聞き取りやすさに難のある役者だったが、舞台が大きくなるとそれが顕著になる。この箱は役者野田秀樹にはちょっと大きすぎて、何を言っているのかが聞き取れない。そして、それが聞き取れないと、舞台の構造がわからなくなってしまうのである。

舞台が役者にとって大きすぎる、というのは、本作の場合、野田秀樹だけに当てはまるわけではない。名優橋爪功にもちょっと持て余し気味な印象だし、女子高生役の女の子たちは言うに及ばず、妻夫木聡にも大きすぎる。むしろ、大丈夫な役者の方が少ないくらいだ。物語を見せる現在の野田秀樹の芝居にとっては声が届かないというのは致命的で、それは観客サイドで補う必要がある。それが、「戯曲を読む」という行為である。また、全般的に良い演技を見せていた深津絵里だが、残念ながら歌唱の際の滑舌に問題がある。ここを補う意味でも、戯曲は役に立つ。

別に新潮社から何かをもらっているわけではないけれど、「新潮 10月号」は他にも面白い文章が掲載されていて、見所が多く、買って損はないと思う。

いや、ちょっと思うのは、劇団の先行予約で受け付けておいて、15列目とかはちょっとないんじゃないのかなぁー、と。そのあたりになると、正直、S席相当ではないと思う。下記を見るとわかるけれど、ほとんどS席なんだよね。

エッグ 座席表
http://www.nodamap.com/productions/egg/img/playhouse.pdf

でも、J列以降だと、この出演者では正直厳しい。正面を向いて発声していれば問題ないものの、ちょっと横を向いて声を出していたら、15列目までは声が届かない役者が半分くらいいるのだ。見切れてしまうから安くするというのは当たり前だが、声が届かないのも同じように安くするのが当たり前だと思う。

劇評が日経新聞に掲載されているのを読んだが、恐らくこれを書いている人の座席はかなり前方なんだと思う。ぜひ二階席正面などから観劇してみて欲しい。受ける印象は全く異なるはずだ。きちんと声が届いているなら「遠いほうが全体の構図がわかりやすい」などの考え方もあるが、最近の野田秀樹作品は「遠くから観たのではつまらない」という状態になっていることがわかると思う。

僕は野田秀樹がシス・カンパニーと文化村から離れたことを歓迎したクチである。その理由は、シスがあまりにも興行重視で、劇の質を無視していることと、文化村の料金の高さにあった。シスを離れ、拠点を芸術劇場に移して、それが改善されるかと思ったら、さにあらず。これでは何で変化を求めたのかがわからない。

#野田さんは、観客が満員に入っている状態で、客席の後ろの方から自分の芝居を観たことがないのだろうか・・・。それとも、シスや文化村とは別の問題をやっぱり抱えていて、思ったような芝居ができないでいるんだろうか。

さて、今回は運良くH列29番という、端ではあっても前から8列目というポジションだったので、内容はきっちりと把握できた。物語の流れは過去に一方的に遡っていくだけなので、以前の野田作品のような難解さはない。そして、後半、強烈にアピールする人間の「醜さ」には何の救いもない。まぁ、それはそれで良いのだけれど、何十年経っても心に残っている、「少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ」といった、「セリフ」そのものが野田作品の特徴だったはず。そういうパワーを持った言葉が失われてしまい、道具を使った演出中心に力が入っているのがちょっと残念だった。これは、言葉が通じない海外での公演を通じての、野田秀樹なりの進歩なのかも知れないけれど、日本人としては、ちょっと残念である。

二度目を観ても、やはり評価は☆2つ。面白い作品ではあるものの、この芝居が9,500円のスタンダードになってしまうのはちょっと合点がいかない。衣装や美術、音楽に力が入っているのはわかるけれど、それでも6,000円ぐらいでぜひ、という感じである。

チケットは完売だから、この価格でも観る人が溢れているわけで、それなら価格を下げる理由はないんだけどね・・・。建物、立派になったし。

12_09_26_1736


12_09_26_1737
  
Posted by buu2 at 02:26Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2012年09月06日

NODA・MAP 第17回公演 「エッグ」(初日)

野田地図の新作「エッグ」を観てきた。

CCF20120906_00000


前作で北朝鮮を扱った野田さんだが、本作では満州の731部隊がテーマ。複数回観劇する予定の人はフラットで観ても問題ないけれど、一度しか観ない予定の人はウィキペディアで731部隊についてちょっと勉強しておくと良いだろう。

731部隊(ウィキペディア)

毎回野田作品のキーとなる「道具」は、今回はロッカーとカーテン。このふたつが巧妙に舞台の上で活躍する。

さて、芝居の内容について。前半は「エッグ」という仮想スポーツの五輪正式種目化と日本代表初出場を目指す姿を、中心選手、監督、そしてそれを応援する歌手を中心に描いていく。それが、ある登場人物の退場を機に、話が一気に暗くなる。そこから先は、ずっと日本の暗部をえぐり出すような展開が続いていく。その対照が鮮やか。ただ、後半の迫力に比較して、前半はちょっとテンポが悪かった印象。これは初日の初回ということもあって、まだ熟成が足りないんだと思う。

野田作品としては珍しく(覚えている限りでは遊眠社時代の「半神」以降、初めて)、音楽をかなり前面に出しているのも印象的。

役者のメンツは野田作品の常連が中心だけど、ちょっとびっくりしたのは仲村トオルさん。映画では最近だと「劒岳 点の記」とか、「おっぱいバレー」「K-20 怪人二十面相・伝」などで観ていたけれど、舞台で観たのは初めて。これが、非常に存在感があった。一方で野田さんが大好きな妻夫木君は相変わらずちょっと線が細い。深っちゃんと秋山菜津子さんも良かったし、橋爪さん、藤井隆さん、大倉孝二さんあたりの、野田地図常連メンバーも無難。野田さんのセリフの聞き取りにくさは相変わらず(笑)。他にも、女学生役の女の子達はこの箱でやるにはちょっと能力・技術不足で、後方の座席までは十分に声が届かなかった。

寺山修司へのオマージュ、自らの芸術劇場の芸術監督という立場のパロディなどが盛り込まれているのだけれど、僕は寺山作品も、天井桟敷もあんまり詳しくないので、なんともかんとも(^^;

とりあえず、一回目の評価は☆2つ。もう一回観る予定。

フラットで観劇 > 戯曲を読む > もう一度観劇

というのがオススメだけど、最近の野田作品はS席で9,500円と、結構お高い。当日の立ち見が3,500円なので、体力に自信がある人はこれでも良いんじゃないかと思う。あと、今回はまだどこにも戯曲が載っていないようで、うーーーん。

10月28日まで、東京芸術劇場 プレイハウス

エッグ公式サイト
http://www.nodamap.com/productions/egg/index.html  
Posted by buu2 at 12:52Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2012年03月18日

秦組ワークショップ「TAKE1」九期生卒業公演「Pain」

秦組のワークショップ「TAKE1」九期生の卒業公演があるというので、知り合いもいることだし、ちょっと上野まで観に行ってきた。

ちゃんとしたプロが演じた「PAIN」の劇評はこちら。

Pain
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/51291340.html

秦さんには月に2回ほど一緒にフットサルで遊んでいただいているので大きな恩があるのだけれど、それはそれ。いつもどおり、ストレートに書いてみる。

まず感じたのは、役者が下手だと、脚本のアラも目に付いてしまう、ということ。僕はちゃんとしたプロの芝居ばかりを観てきているので、今回のような、まだ駆け出しの役者さんの芝居というのはほとんど初めてみたような感じ。冒頭、ダンスシーンがあるのだけれど、まずそのダンスがバラバラ。ここまで息の合っていないダンスシーンは生まれて初めてかも知れない。昔、第三舞台のダンスシーンを紀伊国屋ホールで観た時に「下手だなぁ」と感じたけれど、それに比較しても断然下手だったと思う。誰が悪い、というのではなく、全員が下手な感じ。続いて、彼らが全員で木を模して、林の中を演出するのだけれど、今度はそれがあたかも台風の真っ最中のよう。みんながグラグラ揺れているのである。まさか、わざと台風の中のゴルフコースを演出したんじゃないよね???ということで、始まってわずか10分ぐらいで、これは大丈夫かな???と不安になってしまった。

だけど、ポイントになるカメラマンと当たり屋の女の子あたりは押しの強い役柄だったこともあって、そつなくこなしていたと思う(ただ、当たり屋の子のラストは、ちょっと感情を出しすぎていた気もする。のめり込み過ぎると、観る方は逆にさめてしまう部分があると思う)。一方、この芝居ではもっと大事な役柄の御曹司と、そのママ(喪服の方)はちょっと力不足な感じで、ここが最大のネックになってしまったかな、と感じた。同じくちょっと抑えた役どころのマネージャーはなかなか良かったような気がする。あとは、うーーーん、まぁ、こんなものかなぁ。この芝居、少しでも大勢の役者に出番を与えたいと思って書いたのか、チョイ役がかなり多い。その役にあてられた役者は上手い、下手があまり関係ないので、芝居の質にも大きな影響が出ない感じである。

と、まぁ、そんな感じの役者陣だったのだけれど、彼らが演じたPainは、役者の下手さよりも脚本の問題点が浮き彫りになってしまうような感じだった。一番気になるのは、前回のプロによる芝居でも感じた、冒頭とラストのゴルフシーン。このシークエンスが、本編にほとんど絡んでこないのである。そのままだとゴルフの役者がフラストレーションを貯めるということなのか、途中にもいくつか、ファックス購入とか、ちょい役として出てくるシーンが用意されているのだけれど、このシーンの役割が良くわからない。むしろ、なくても良いんじゃないかと感じられてしまう。脚本として、「このシーンは必要不可欠」ということであれば、本編との絡みがもっとあっても良いと思う。僕としては、そこのところはばっさりカットしてもらって、代わりに、なぜ御曹司が振られてしまったのかとか、なぜ御曹司はああいう行動に出たのかとか、そのあたりをもうちょっと深堀りして欲しかった。写真家についての説明がたっぷりあっただけに、御曹司と、彼が惚れていた女性との描写が少なくて、ちょっと残念な気がした。

#まぁー、でも、僕みたいな素人に「秦さん、この脚本、ここを直したほうがいいですよ」と言われて直すとも思えず(笑)、多分、次にやるときもこの形なんだと思う。

あと、やっぱ、ボケママだなぁ。ここは芝居の中で一番重要な役どころで、無表情の中で時折見せる感情とのギャップの表現が物凄く難しい。「すげぇ下手くそ」とは思わないし、逆に上手だから彼女に配役したんだろうけれど、それでもウィークポイントになってしまった。

役者のパワーがないと、役者の力で押しきれるところがそのまま弱点として露呈してしまうというのが今回の発見だった。そんなことは多分秦さんも百も承知なはずで、それでも若手にチャンスを与えるために、あえて自分の作品を提供しているところは凄いなぁ、と感心した。

ところで一番残念だったのは、一番可愛い銀色の衣装の子が冒頭に出てきただけで、あとはパンダの着ぐるみを着てくるぐらいしか出番がなかったこと(後半のダンスシーンでは右側のちょい前ぐらいにいましたか?)。これは惜しい。凄く惜しい。ずーーーーっと昔、遊眠社で、野田秀樹が、明らかに実力不足の山下容莉枝(とは言っても、文学座を出たサラブレッドだけど)を、「華がある」とかいって、他の良い役者を押しのけて重役に使い続けたことがあったけれど、やっぱり可愛いのは重要なんだよな、女優は(笑)。

これまた余談だけど、プロ公演でボケママをやっていた女優さんがお手伝いに来ていた(と思う)。やっぱり、後輩のことが心配なんだなー。プロの役者から観たらどうだったのか、今度話を聞いてみたいと思った。

2,500円というチケット代は全く高くは感じなかったけれど、良い大人にあの座席はきついので、3,000円で、かつ最後列で良いから、もうちょっとクッションの良い椅子を用意してもらえると凄く嬉しいと思った。  
Posted by buu2 at 22:59Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年09月19日

Pain

ここ数年、まじめに観に行く芝居は野田秀樹さんが池袋芸術劇場でやるやつか、あるいは野田さんが連れてきて芸術劇場でやるものだけだったんだけど、この間、吉祥寺でやった秦さんの芝居がなかなか面白かったので、今回中目黒でやっている「Pain」も観てきた。

正直、これはめっけもん。適度に躍動感があって、適度に複雑で、そして面白い。冒頭から「この女性は何なの?幽霊?」って感じの登場人物がいて、彼女を中心にして1970年ぐらいと、2000年ぐらいの間を行ったり来たりする構成になっている。簡単に言ってしまえば母と子の物語なのだけれど、そこに描かれているものはなかなかに普遍的であり、奥が深い。一つの正解があるわけでもなく、それでいて秦さんの明示する一つの「解」があって、それが潔い。「観る人が勝手に解釈してくれ」じゃない。正直に言って僕はこの芝居が提示したものには共感ができない。それは物凄く近い境遇にある人間として。だけど、そういう人生もあるだろうな、と思う。

僕が「いちろう」だったり、母子家庭育ちだったり、ベンチャー企業の社長として金鉱探しをしていることもあって、何か、非常に個人的な芝居に感じられてしまった。

いくつか疑問点をあげるなら、まず、冒頭とラストにあったシークエンス。これ、なくても良かったと思う。別にあっても良いけれど、これがあるおかげで大きなメリットはなかったような。一方で、これ自体が結構面白いつかみなので、それが尾を引いてしまって、「あれ?あれは何だったの?」となってしまう。ダンスシーンも可愛らしいけれど、無理に子供たちを引っ張り出してきた意図は良くわからない。どういう意味なんだろう?あと、何か肝になる名台詞が欲しかった。この芝居を一言で表すならこれだ、というもの。もしかしたらあったのかも知れないけれど、ラストのシークエンスのおかげでそれがぼけてしまったと思う。そういう意味でも、ふたつのゴルフのシーンはなくても良かったな、と思う。

役者に言及すると、まず主役の藤原習作さんが良い。どこにも駄目な点が見当たらない。重要な役どころの築山万有美さんも良い。ほとんど感情を表に出さず、淡々とした演技に徹しているのだけれど、黒子のようなセリフのない動きを様々な場面の背景として提供していて、ここが一つの見所になっている(かといって、こればかり観ていると舞台のメインストリームを見失ってしまうのだが)。それから、これまた重要な役どころの藤沢大悟さんもなかなか味がある。ずっとテンション高めなんだけれど、その背後に悩みや影を背負った若者を好演している。何人かの感想を聞いたら、「あぁいう軽い男は嫌い」という女性がいたけれど、彼は軽いのかなぁ。あんまりそうは思えない。滅茶苦茶貫禄のある年増女性を演じていた比企理恵さんも良かった。もう十年以上観ていなかったと思うけれど、今でも活躍していて素晴らしい。

他の役者さんたちも、みんな地声で頑張っていて良かった。小さい劇場だから当たり前といえば当たり前なんだけれど、芝居はやっぱり地声が良い。

この芝居は本当に良い芝居だよ。これを観ないのはもったいない。まだチケットがあるのかどうか知らないけれど、明日、暇なら中目黒に行くべきだと思う。これが後に「あの芝居がさぁ・・・・」と語られるかどうか、僕はわからない。だけど、4500円の価値は間違いなくある。もし明日、空席ができるなら、その分は僕が埋めても良いくらいだ。

明日最終日。マチネが13時から。ソワレは18時から。  
Posted by buu2 at 03:06Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年05月26日

劇団「秦組」 vol.4 『らん―2011New version!!―』二回目

ちょっとモヤモヤがあったので、仕事を夜中にやってしまって無理やり時間を作り、もう一度観てきた。その前に原作(?)も読んでおいた。



さて、二度目。さすがに一度観ているから全体の流れがわかっているし、登場人物も主要な人たちは全部わかっている。「後日」のシーンで顔を隠していても、それが誰だかわかる。ということで、すっきり、さっぱり。

その上で評価してみると、やはりこの芝居の一番のポイントは殺陣。役者の体の切れ。このあたりを重視して役者を決めているんだと思う。二番目のポイントは津軽三味線を前面に出した音楽。そして多分、三番目のポイントは主役の矢島舞美さんの可愛さなんだろう。確かに可愛いし、体も切れるんだけど、演技と声量がイマイチで、僕にはちょっとピンと来なかった。ついでにいうと、主演男優も同じ。ただ、声量がないといっても座席後方(今日は11だったか、12列で鑑賞)まで届かないわけではなく、芝居を壊してしまうようなものではない。好みの部分が大きいかも知れない。役者の好みを言えば、石影、カブトと、もちろん月影。芝居慣れしていて客をいじれる元村長も良い感じでアクセントになっていた。この人がいれば日本語版総統閣下シリーズが作れそうだ。

一方で、マイナスポイント。大きなマイナスポイントって見当たらないけれど、細かいところはポツポツある。

まず、いくつか時間が前後に動くのだけれど、そのうちの一部に必然性が感じられず、単に分かりにくくしているだけの印象がある。もうちょっと効果的なやり方があったかも知れない。

それから、オープニング。一度目に観たときは誰の出産シーンなのかさっぱりわからなかったのだけれど(笑)、今回はさすがにわかった。わかったのは良いのだが、それが冒頭に来る必然性はわからなかった。というか、なくても良いシーンとすら思ってしまった。やはり、芝居は主人公のセリフで始まって欲しい。普通に子供時代のシーンで始まるんじゃだめだったのだろうか。あ、ラストも。最後も主人公のセリフで終わって欲しい。それも、凄くカッコイイセリフで。例えば「少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ」。そして暗転。僕にとっての演劇はこれなんだよなぁ(笑)。

また、登場人物の紹介パートで無関係の人物が大量に配置されていて、これが観客に不親切だったと思う。どこを観たら良いのか、わからない(笑)。そのおかげで、最初に観たときは誰が誰なのか、良くわからなくなってしまった。

最後に、現代っ子っぽい言い回しが再三出てくる(「はぁ?」「は?」「ってゆーか」を連発)。これが、おじさんの耳には凄く耳障りだった(笑)。僕は美しい日本語が好きなので、「ってゆーかぁ」みたいなのはかなり気になってしまう。

あぁ、もうひとつ。改めて月影中心に(笑)観てみると、最初から最後まで、月影はほとんど笑わない。段差の上で兄の石影が活躍しているのを見ているシーンと、あとはカーテンコールのときだけ(笑)。あとはずーーーっと眉間にしわが寄っている。そういう役どころだから仕方ないけれど、月影を観に行った人間としてはこれがちょっと残念だったりする。ただ、今日も花道のすぐ横だったのだけれど、冒頭のシーンで僕のすぐ横に月影が立ったので、「おお、右足にテーピングしている!!アキレス腱に張りがあるのか?」みたいなのをチェックできて少し得をした気分だった。

初日に比べると、随分と熟成した感じがする。この熟成要因のひとつは多分「演技力がちょっと下の人達がこなれてきて、レベルが均一になってきた」ということ。90点の人を95点にするのは難しいが、70点を90点にするのは比較的容易だ。本番を重ねることによって、そうやってちょっと下の方にいた人たちが、レベルアップしてきたんじゃないだろうか。あと、酔っ払った赤谷達のシーンとか、いくつか細かく手を加えているような。良くはわからないけれど。今日のソワレを含めて残り5公演。作り手たちが常に向上心を持っているので、少しずつ良いものにしていけるんじゃないか。と言っているうちに楽日になるんだけどね(笑)。

役者の体のキレを前面に押し出して、花道のある難しい舞台を走りまわって迫力を出しているのが印象的。今日は月影へのおまけなしで、評価は☆2つ半(満点は☆3つ)。やや荒削りではあるけれど、基本的なところをしっかりと押さえつつ、勢い良く見せていて、しかも生の声で頑張っている。なかなか良い舞台だったと思う。

#ところで、初日にピンタ3発もやってたっけ?あと、月影が三影を切るとき、刀背打ちじゃなかった(笑)。
#個人的には杉本有美という可愛い子を見つけたのが最大の収穫。  
Posted by buu2 at 18:45Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年05月23日

劇団「秦組」 vol.4 『らん―2011New version!!―』

初めて観る演出家、1人も知らない役者、初めて行く箱、と、予備知識ゼロでの観劇。こういうことって実は滅多にない。大抵の場合、一人ぐらいは贔屓の役者さんがいたりするものなのだ。なんか、サイスタのレッズ戦の完全アウェイ状態にも似ている。

吉祥寺ですら行ったのは10年ぶり以上だと思う。とにかく滅多にいかない場所である。いい加減な目星をつけて歩いていたら、井の頭公園に着いてしまった。やばい、ご飯を食べている時間すらない。軌道修正して、なんとか前進座に到着したのは開演の7分前。劇場の前ではオタクっぽい男子が「チケットあります」のダンボールを手にしていてちょっと微笑ましい。ダンボールじゃなくて、せめてiPadにすれば良かったのに、と思う。

前進座の中に入ってみると歌舞伎座のような花道があって、うわー、こんな難しい箱でやっちゃうんだ、すげえなぁ、というのが開演前の感想。この手の、客の視線が安定しない箱の演出は凄く難しそうに見える。僕の座席は前から3列目で、花道のすぐ横。こ、これは・・・なんか、怖い。客席は演劇に似合わず男性客が結構多く、かわい子ちゃん目当ての人も結構いる様子。一方で僕のような一見さんはあんまりいないんだと思う。

#そういえば、お約束の笑いがあったようで、僕は笑えないのにみんなが爆笑、というのが何度かあった(笑)。

さて、開演。いきなり大量の役者さんが山ほどいて、その向こう側でなにやらゴソゴソとやっている。どうやら出産シーンのようだ。が、花道にいる役者さん越しなので良く見えないのと、セリフが聞き取りにくいことがあって、良くわからない。えっと、誰が生まれたんですか?男の子だって言っていたから、主人公かな?そのあとも、大量の役者さんたちが出て来たり、花道後方で重要なシーンがあったりで、「うわ、役者さんたち、覚えきれるかな?」と心配になった。ところがなぜかそんなこともなく、次々と役者さん達の顔と役名が頭に入ってきた、などということはもちろんなくて、案の定、結構苦労した。この辺りはビジターはちょっと不利。知っている役者さんが数名でもいてくれると随分と違うんだけど。

しかしそれでもなんとか、開幕30分ぐらいでおおよその勢力分布と配役が把握できて、それからは物語に入っていけた。入っていけたのは良いんだけれど、僕が気に入ったのは月影というお姉さんで、この子はちょっと脇役。声量もそれほどないんだけれど、金属質の声質が僕の好みにぴったりで、混沌としたカオスの中でこの子を気に入ってしまったものだから、「あ、でも、この子は主役じゃないんだよなぁ」と修正する間もなく、僕にとっては「らん」ではなく「つきかげ」になってしまった。

他にも、らんのお父さん替わりの男優さんとか、月影のお兄さんの男優さんとか、頑張っている人はいたけれど、まぁ男優だからとりあえず僕のメインディッシュにはならない。そういうわけで全てのシーンを月影中心で観ることになってしまった。してみると、主役の女の子はそうだなぁ、もうちょっと髪の毛が短いほうが良かった。細かい演技はうーーーん。それよりも体のキレが良くてびっくりした。志穂美悦子か、みたいな。主役の男の子はちょっと声量とか滑舌に難有り?格好良いし、動きにはキレがあるんだけれど、舞台よりも映像で映えるタイプ。でも、箱が極端に馬鹿でかいわけじゃないし、ストーリーもわかりやすいので、多少セリフが聞き取れなくても問題なかったりはする。あと、殿様はガクトにやって欲しかったかなぁ。

えっと、まだ今日が初日の舞台なので、ネタバレしないように、ネタバレ部分は追記に書きます。それで、ネタバレなしの感想。

プラス評価部分は1.月影の子がナイス、2.舞台を上手に使っていた、3.音楽もナイス、4.殺陣の迫力は申し分なし、の4つ。マイナス部分は1.人数多すぎ(できればペラ一でも良いので、役者と配役の一覧が欲しかった)、2.ちょっと親切すぎ、3.月影が主役じゃないこと、かな。評価は☆2つのところ、月影ちゃんにおまけして☆2つ半。(満点は☆3つです)

やっぱり、完全ビジターって楽しいよね。

【出演】矢島舞美(℃-ute)、中村誠治郎、丸尾丸一郎(劇団 鹿殺し)、
    根本正勝、藤沢大悟、杉本有美、工藤里紗、清水宏、ほか
【日時】2011年5月22日(日)〜29日(日)
【劇場】前進座劇場(吉祥寺駅より徒歩12分)
【チケット】全席指定 前売5,500円 当日6,000円 未就学不可


ということで、バレが嫌な方はここでさようなら。詳細は追記に書きます。  続きを読む
Posted by buu2 at 02:02Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年03月31日

「南へ」千穐楽

二回目の鑑賞は前から5列目、舞台に向かって右サイドという比較的良ポジション。前回のレビューはこちら。

一番の注目点は、前回ダメダメだった蒼井優さんの声。始まってすぐにわかったけれど、彼女の声は指向が狭いと言ったら良いのかな、スイートスポットが狭いと言ったら良いのかな、ツボにはまると凄く良く届くのだけれど、その方向がものすごく限定されている。あと、自分でも声が通らないと気付いたのか、終始怒鳴りっぱなしで強弱がない。他の役者が10〜6のレンジで声を出している中、8でずっとやり続けているみたいに感じた。強弱がない上に常にイッパイイッパイなので、見ていて凄く心配になる(汗)。だ、大丈夫なのかな、みたいな。考えてみると野田秀樹さんはこういう女優さんが好きなんだよね。竹下明子さんもこういうタイプだった。しゃがれていて、イッパイイッパイの声を出す。でも、竹下明子さんの方が上手に芝居に溶け込んでいたかな。それは、竹下さんのほうが体が大きく使えたからだと思うのだけれど。今回は周囲の女優さんたちがみんなきちんとした発声の中、蒼井優さんだけがぎりぎりのところでやっている。もしかして、そういう状態で生まれる緊張感をわざと作っているなんてことは、ないよね???僕みたいな演劇素人がこういうことを言って良いのか悩むところだけれど、蒼井優さんは、発声にしても、表情の作り方にしても、一つ一つが大きい箱にフィットするだけのものを持っていない。というか、箱に無理やり合わせていることによって、常に全力投球になってしまっている。強弱、メリハリが無いので、見ていて疲れてしまう。余裕がないのだ。これが他の役者さんたちと全く違うところ(実際は、妻夫木聡さんもちょっと怪しいところなんだけれど、でも、以前より上手になったから)。もうちょっと小さいところからやらせてあげたら良かったのになぁ、と思うけれど、事務所の都合なんでしょうか。竹下明子さんと大竹しのぶさんを足して2で割ったような魅力がある女性なので、野田さんが気にいるのは全然不思議じゃないんですが。という、蒼井優さんだったけれど、前から5列目ということもあって、声はしっかり届いた。おかげで、「え?こんなセリフだったんだ」っていう場面がたくさんあって(笑)、なんか二度目って感じがしない。

役者さんで良かったのは、まずチョウソンハさん。彼は松澤一之さんみたいな感じで、野田さんも使いやすいんだろう。渡辺いっけいさんは無難なところ。古田新太さんと渡辺いっけいさんは野田地図では大体同じような役どころで、ちょっと枯れた感じの役割。古田さんに比較するとややテンション高めだけれど、決して悪くない。高田聖子さんも安定感抜群。でも、銀粉蝶さんと藤木孝さんの方が存在感があったかな。銀粉蝶さんはブリキの時からずっと中心でやってきた人だし、藤木さんは文学座出身だから、下手なわけがない。黒木華さんは凄く良いと思ったけれど出番が少なくて、太田緑ロランスさんはちょっと蒼井優さん的なテンション高め安定っぷりがちょっとどうかな、と。目を剥きすぎ(笑)。ただ、前から5列目というポジションなら、「残念」と感じる俳優さんは一人もいなかった。役者としての野田さんは、この芝居位の出番がちょうど良いんじゃないかと思う。

ストーリーは火山観測所にやってきた虚言癖のある女性と新しく配属された男性所員を中心に進んでいく。はじめはいつもどおりのドタバタ。やがてインチキ皇族が出てきて、徐々に話がこんがらがっていき、ドラマを期待するパンピーを意識したマスコミの暴走を皮肉り、天皇を中心とした国家体制を批判し、最後には北朝鮮に飛んでしまう。ストーリー的には大分まとまりがなく、突き詰めていこうとするとキリがないのだけれど、以前遊眠社時代の俳優さんたちと飲んだ時に「わかってんですか?」って聞いたら「あんまりわかってなかった」って言っていたので(笑)、多少わからなくても問題ない。漠然と、日本人に対する皮肉とか、日本人であることの意味を考え直すキッカケになれば良いんじゃないかと。火山の噴火と津波という差異こそあれ、とても大きな関連事象が起きて、それをはさんでの二度の観劇はなかなかに面白かった。今日は、とにかく、一つ一つの事件をこの間の地震に重ねあわせてしまうから。

毎回テーマを持って臨む小道具、今回はパイプ椅子。色々な表情を見せるパイプ椅子はなかなか面白かった。

全体としては、やはり多少まとまりの悪いところがあったと思う。メインの二人には、ちょっと舞台が大きすぎた感じ。紀伊国屋とか、本多劇場とか、頑張ってシアターアプルといった力量だと思う。特に蒼井優さんは池袋なら小ホールでやらせてあげれば凄く良い芝居を見せてくれそうなのに残念。

評価は☆2つ。ちょっと甘いかな。

舞台前にはさっきブログで紹介したアナウンスがあり、カーテンコールでは「地震以降(3月以降だったかな?)のチケット代は全部寄付している。小銭があれば、募金していってくれ」との話があった。今日限定で最近の3部作の写真集を先行発売するということだったので、ちょっとお金を多めに用意してあったんだけれど、写真集はいつでも買える(今回は先行発売)ということで、写真集用のお金は募金箱に入れてきた。しばらく野田さんの芝居はないみたいだけれど、地震のおかげで今回来ることができなくなってしまった人と、次は一緒に観ることができたら良いな、と思う。  
Posted by buu2 at 22:23Comments(4)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

しばらくの間さようなら、東京芸術劇場

この建物が結構好きだったので、今日で一時閉館となる東京芸術劇場で何枚か写真を撮っておいた。

リニューアルしたらどうなるのかな?

11_03_31_128


11_03_31_129


11_03_31_130


11_03_31_131


11_03_31_132


11_03_31_133


11_03_31_134


11_03_31_135


11_03_31_136
  
Posted by buu2 at 18:40Comments(0)TrackBack(0)Nikon COOLPIX P6000

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年02月12日

「南へ」のぴあ評がなぜ好評なのか

ぴあ、YouTubeを使って「南へ」関連の映像をバンバン流している。

こんなのとか。



「あぁ、野田地図がお金かけてプロモーションしてるんだね」と思っていたら、今度はぴあがこんな記事を書いている。

重厚なテーマを掲げた野田秀樹の新作で妻夫木聡&蒼井優らが躍動
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110210-00000001-pia-ent
(ちょっとネタバレしているから閲覧注意)

ぴあが何もなくてプロモーションする理由はないので、当然、野田地図と何らかのお金の関係があるはず。そして、その会社がこういうレビューを書くのって、どうなのかな、と思う。記事の内容はそれほど間違っていないけれど、蒼井優さんの出来は野田地図ファン、蒼井優ファンの僕から見ても「?」というものだった。記事を最初に読んだときは、「あぁ、最前列のど真ん中で見たんだろうな。ゲネプロか何かで」ぐらいに感じたけれど、大々的なプロモーションと合わせて考えるとどうなのかなぁ、と思わないでもない。

こういう、いかにも商業主義に汚染されていそうな評価が、オフィシャルな「評価」の信頼性を下げちゃうんだよねぇ。チケットを扱っている会社としては、こういう記事は書くべきではないんだよな。見ていると、「あぁ、イープラスに持って行かれちゃっている野田地図会員限定の先行予約システムを取り返したいのかな」とか勘ぐっちゃう。

ちなみに僕の評価はこんな感じ↓
南へ  
Posted by buu2 at 13:30Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2011年02月11日

南へ

一週間ほど前に当日の打ち合わせが入ってしまい、チケットが余りそうになってしまった。ミクシィで見つけた引き受け候補の人が雪で急遽キャンセルになったり色々あったのだけれど、最終的には僕が自分で観に行けることになって、ちょっと早めに現地に行って、当日券狙いで並んでいる人の最後尾の人に声をかけて、一枚定価で買ってもらった。大助かり。帰りに夜ご飯でもご馳走しようかと思ったけれど、シャイなので(笑)自粛。

DSCN3242


DSCN3240


さて、芝居。

ここ数作、分かりやすいというか、観客に対してとても親切な脚本が多かった印象のある野田秀樹さんだけれど、本作は久しぶりに「なにこれ」という感じの舞台になった。ただ、それは実は意図していないような気がする。なぜ「なにこれ」という舞台になってしまったのかと言えば、それは脚本のせいではなく、役者のせい、もっと言ってしまえば蒼井優さんのせいなのだ。

僕は蒼井優さんは結構好き、というか、かなり好きな俳優さんで、彼女が出ている映画は良く観ているし(中には『雷桜』みたいなすごい駄作もあるけれど)、彼女の演技力も高く評価している人間だ。だから、実は本作も宮沢りえさんや松たか子さんや大竹しのぶさんばかりの最近の野田作品に新しい才能が登場するかな、しかも、蒼井優さんか、ということで、3公演分も予約してしまったのだ(笑)。でも、今日の舞台の、冒頭の部分だけで、「あ、これは駄目だ」となってしまった。何しろ、声が客席に全く届かないのだ。他の役者は芸達者な役者さんを揃えているからそんなことは全然ない。基本的に、蒼井優さん「だけ」が駄目。声だけなら、蒼井優さんの鏡像のような女性の役者さんの方がずっと存在感があるのだ。登場する場面が少ないけど。この二人を交代させるだけでも良くなりそうな感じ。

ということで、主役である蒼井優さんの声が、L列までも届かないのだから、かなり大きな箱である芸術劇場中ホールでは、半分以上のお客さんには芝居が届かなかったと思う。僕のところもギリギリだった。いや、正直に言えば、届いていなかった。今の実力では、中ホールで野田作品の主役を張るだけのスキルは持っていない、というのが普通の評価だと思う。

内容は、いつもの野田作品らしく、日本人のアイデンティティを問うようなものになっていた。そこに白頭山などが出てきて、天皇、戦争なども絡め、色々と日本人としての「自分」を見つめ直すことを要求していたんだと思う。が、残念ながら、野田秀樹さんが意図していたような成果は出ていないと思う。それは舞台にいる野田さん自身が感じているんじゃないだろうか。前半の導入部における「天皇を利用した詐欺」の部分も、なかなか面白さが伝わってこない。面白くなりそうなのに、芝居がぶった切られてしまうのである。蒼井優さんの声が届かないから。

ただ、野田さんはこれまでも、ちょっと能力の足りない役者さんたちを上手に使い、そして上手に成長させてきた。この舞台を通じて、蒼井優さんも大きく成長できるかも知れない。問題は声量なので、短期間で一気に挽回する、というのは難しいかも知れないのだが、そういう一発逆転を待つべきだろう。野田秀樹さんの芝居は本人曰く「3回目が一番出来が良い」とのことだが、今日の3回目は全く不出来。そして、どうせ観に行くなら、公演も最後の方、3月後半に行くことをお薦めする。僕は2月中旬のチケットはすぐに友達に売ってしまった。3月末、最終版で舞台がどう変わっているかを楽しみにしたい。あるいは、5列目ぐらいまでなら楽しめるかも。

今日の段階での舞台の評価は☆半分。ただし、役者ごとの評価だとこんな感じ。

妻夫木聡 ○
蒼井優 ×
渡辺いっけい ◎
高田聖子 ○
チョウソンハ ◎
黒木華 ○
銀粉蝶 ◎
藤木孝 ◎
野田秀樹 ○

とにかく、蒼井優さんで全部だめになってしまった。でも、演技はちゃんとしているんですよ。地味な顔立ちなのに、大竹しのぶさんみたいな可愛らしさがあって。とにかく、声。声なんです。いきなり中ホールって、無理だったんじゃないかなぁ。小ホールなら全然問題ないと思う。でも、今、小ホールで毬谷友子さんがやってるんだよね。逆だろ、と。明日観てこようかな・・・。

「南へ」
3月31日まで、東京芸術劇場中ホール  
Posted by buu2 at 23:17Comments(7)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年12月19日

ジャンヌ・ダルク

10_12_18_034


全然観に行く予定はなかったんだけど、ミクシィの堀北真希コミュニティでチケットを余らせて困っている人がいたので、「じゃぁ、ちょっくら行ってくるか」ということで急遽赤坂ACTシアターへ。

正直、この劇場はあんまり好きじゃない。グローブ座チックな感じの縦長の箱型。舞台までの距離は近いけど、真上から観るような感じ。もっと、傾斜がないほうが僕は好みなんだよな。前の方で観るならどんな箱でも関係ないけど、今日は二階席の後ろのほうだったので、観劇環境としては決して良くない。

そして、芝居。まず、僕がどんなに堀北真希を贔屓にしているとは言っても、さすがに彼女にこの箱は無理でしょ。周囲の俳優さん、脚本、演出と一流どころをバッチリ揃えて、物凄いサポート体制。なんとか彼女を支えてやろうというのが伝わってくる。でも、やっぱりまず声量が足りないから、どうしたってマイクのボリュームが大きくなる。すると、セリフがエコーがかかったみたいに響いちゃう。最初はお城の中っていうのを表現するための演出かな、と思ったんだけど、そうじゃなかった。もう、終始その調子。これだけでもう、芝居って感じじゃなくなっちゃう。やっぱり芝居は地声じゃなくちゃ。じゃぁ、もっと小さいところでやったらどう?ってことになるんだけど、人気俳優だからそういうわけにも行かないのかも知れない。でもさ、彼女の人気は舞台女優としての人気じゃないわけで、やっぱり分相応っていうのがあると思うんだよね。彼女をメインに据えて、この箱でやったっていうのは、どうしたって無理がある。声だけじゃなくて、動きも小さい。特に前半の活躍シーンではもっと大きな動きが欲しいところだったけれど、身体能力的に難しかったんだと思う。体が硬いのかな?でも、意外って言ったら申し訳ないけど、結構健闘していたと思う。特に後半は「あぁ、ここまでできるんだ」と思った。一番ダメだったのは実は堀北ちゃんじゃなくて、シャルル七世だなぁ。他のみんながちゃんとしているから一層駄目が目立つ。この人がなんでシャルル七世役になったのか、意味不明。その他だと、上杉祥三はいつの間にか結構顔が丸くなって、田山涼成は頭が禿げた。いや、周囲を固めていた役者さんたちは凄く良かったと思う。

ストーリーは難しいことは何もなく、史実と、あとは良く言われているジャンヌ・ダルク私生児説みたいなものを適当に盛りこんでいる。特別な設定もないし、またそういった知識がなくても全然問題ないようにセリフで説明が入っていく。このあたりはなかなか良くできた脚本だったと思う。

戦闘シーンとかの演出も悪くないし、後半のだんだんと暗くなってくるあたりからの舞台演出も良かったと思う。

でもまぁ、ジャンヌ・ダルクとシャルル七世がね・・・・。評価は☆1と言いたいところだけど、堀北真希が頑張っていたから半分おまけして☆1つ半。東京は明日まで。

もっと前の方で観たらまた違った評価だったかも。そこそこ出来ることはわかったから、次にまた堀北真希が何か芝居に出ることがあったら、もうちょっと真剣にチケットを取ろうかな。あの距離だと、今の彼女じゃちょっと無理。  
Posted by buu2 at 00:11Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年11月21日

山口晃展『いのち丸』記念落語と劇団☆死期の旗揚げ公演

ミヅマアートギャラリーで山口晃さんが落語をやるというので(笑)、見てきた。僕と山口さんとの関係はこのブログの過去ログを適当に探してください。

さて、なんで落語だよ、と思うのだけれど、出たがり屋の山口さんだから仕方がない。そういえばサインをもらおうと思っていた作品集を持っていくの、忘れた。

11月27日(土)まで開催されている山口晃展『いのち丸』を記念してギャラリー1階駐車場スペースでやるというこの落語、前座は特殊人形劇団「劇団☆死期」(主宰・岡田裕子/顧問・会田誠)の旗揚げミニ公演だっていうのだから、「あーーーー・・・・・」というにおいがプンプンしていた。

1830ぐらいに現地に到着して作品展を見て、「おい、この富士山大爆発、ちゃんと描いてあるのか?」と思いつつ外に出てみるともう長蛇の列。素人がやる落語にここまで行列するってどうかしてんじゃないの?と思いつつ、僕も並んだ。いや、だって、僕は山口さんと古い知り合いだし、一緒に仕事やったんだからね!

さて、駐車場スペースの入り口で受付をやっていて、ホットなサングリアを一杯いただく。ドリンクチケットを受け取って場内に入ると、もう座席が数席しか残ってない。まぁ、こんなもんだよね、と思って席について適当にiPadで時間をつぶしながら開演を待っていたら、その間に凄い来客。150人ぐらいいるんじゃないか?

で、客が多すぎたからか、30分ほど遅れて上演開始。まずは例の劇団☆死期なんだが・・・・

DSCN2578


DSCN2576


珍妙な人形がサザエさんのアフリカ語版を展開していると思ったら、すぐにカオス。

DSCN2568


DSCN2570


いや、こうなるんじゃないかと思ったよ(笑)。

という、素晴らしくめちゃくちゃな旗揚げミニ公演のあと、真打の登場。

DSCN2572


さぁ、はじまるぞ、という段階になって理科大の学園祭のものと思われる花火の音がどっかん、どっかんと聞こえてきて、先行きに暗雲が・・・。でも、落語はわりとちゃんとしていた(笑)。

ただ、結構面白かったけれど、前座の勢いとサングリアの臭いにちょっと押されちゃった感じ(笑)。

なんとも変なものを観てしまった。これはなんだったんだろう(笑)。また観たい。ただ、劇団☆死期については、「これは面白い!」というよりは、しょーがねーなー、まったく、という感じだったのはモチロンのことである。

DSCN2584


山口さんには冬に鹿島槍に来てもらって、僕が作った創作落語をやってみて欲しいなぁ。

創作落語「鹿島槍」  
Posted by buu2 at 01:53Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年10月03日

野田秀樹さん 朝日賞スーパートーク

浜離宮朝日ホールで実施された「朝日賞スーパートーク」の招待状をもらえたので、聴きに行ってきた。古くからの野田ファン、遊眠社ファンとしては、それほど新しい話もなかったのは確かなのだけれど、結構楽しめた。前半は過去の芝居の動画とトークを織り交ぜたもの、後半は会場にいる学生さんを中心とした質疑応答といった構成。

「先生に連れられた学生さんが多いなぁ」と思っていたら、こんなところに動員に関する記事があったりして

野田秀樹スーパートーク、動員のお願い【城西地区情報】

なんか微笑ましい(笑)。こんな、動員をかけなくちゃならないようなことなのかな、とも思うのだけれど、ケータイ世代だと、どうしても引きこもり気味で、こういう大人からの圧力がないとだめなのかな、とも思う。僕が高校生の時とか、よその高校の学園祭まで演劇を観に行ったりしたものだけどねぇ。こんな風に過保護だからだめなんだよ、とも思うし、その一方で今の社会状況では致し方ないのかな、とも思うけれど、どちらにしても難儀な時代ではある。昔の野田さんなら「学生が多いねぇ。動員されたんでしょ」とかちくりと言いそうだけれど、そういうこともなく。野田さんもすっかり丸くなって、あと、そんな世代に対してもきちんと歩み寄って、何かを伝えて行かなくちゃいけないんだろうな、と感じるようになったのかも知れない。

以下、前半の面白かった話、記憶に残った話(ただ、こちらは場内が暗かったので、議事録を取ったわけではない)と、後半の質疑応答抄録(明るかったので、iPadを使ってほぼすべて収録、ただし、抜けはあるはず)。

前半:

劇団のために芝居をやるのは観客に悪い。今の日本はそんな劇団ばかりだけど。後期の遊眠社はそういう劇団、劇団を維持するための劇団、劇団員を食わせるための劇団になってしまった。それが嫌だった。

劇団員の生活を背負い込むのは辛い。そして、今なら逃げられると思った。だから劇団を解散して海外に行った。

遊眠社の、特に最後の六年間は辛かった。

僕は海外で芝居をやることに強い魅力を感じたが、劇団員の中には海外に行くことに疑問を持つ者もいた。

芝居は未来を語るのではなく、過去を語るもの。そして、語ったからと言って、過去に対して何かできるわけでもない。その意味で、芝居は祈りでしかない。ただ、それは暗黙の了解であるべき。

「キャラクター」において、僕はやってはいけないことをやってしまったんだと思う。みずから、「芝居なんて、祈りでしかないんだ」ということを明示してしまった。だから、これからは芝居をまた元のところに戻しに行くための芝居をやっていくことになると思う。


後半:

今の若者に求めるものは?
→テンションを高めに。脱力系に見えても良いものは脱力してない

大事にしているものは?
→表現を説明しないこと。表情で説明しようとするのはだめ。

海外の人と仕事をする時に大切にすることは?
→文化をリスペクトする必要がある。

ひとの目を気にしない?
→若い人は子供のころから動いている自分を見ていて、その結果どうなってきているのか、知りたい。自意識過剰になるんじゃないか。僕たちの自意識とは違うと思う。答えはないけれど興味はある。他人の評価は気になるが、だんだん図々しくなる。

最初、女役をやったときどうだったか
→小学校の時、赤ずきんをやった。抵抗はなかった。

歌舞伎の次の新作の予定はあるのか?
→あります。いつもやっている男とやる。別のタイプの原作ものもある。

一番難しい状況と、乗り越えた経験は
→しょっちゅうある。ロンドンでは劇場確保が大変だった。舞台をやっていると大きな事故とか色々ある。すぐ切り替えることが重要。落ち込むヒマを持たない。

平成っ子に出会った印象は
→ゲーム世代は喋らない。携帯世代は一緒にいる人間を無視する。そういう人が増えてきた。それを批判されている平成生まれは、チョロチョロ面白い奴が出てきている気がする。期待している。

やるのも観るのも生身だと、良いものも悪いのもあるだろうが、どう思ってやっているのか
→過剰な反応は困る。特に初日。熱心なファンの予定調和的な反応は余計なお節介になることもある。

精神的技術とは
→日本の共同体は精神的に幼い。鎖国のせいでひきこもり体質になったのでは。ただ、江戸時代の文化は鎖国を続けたせいで凄い文化ができた。それは、今、我々が抱えている幼稚さとは違う。自分が幼稚なら、それが価値になるように高めるべき。自分は演劇をやる上で、テーマ主義を離れ、言葉遊び、すなわちダジャレに走った。ダジャレは技術。親父ギャグと言われるけれど大変。それを35年続けるのは大変。

脚本を書くときに大事にしていることは
→本は自分の像なので、大事になってしまう。ある意味子供のようなものだが、それをカットする事が重要。色々切って、研ぎ澄ませる。本を書くなら他人の芝居を色々見た方が良い。ここは要らない、という作業をやるべき。僕は自分で人に言われる前に切る。

日本語の強み、弱味は
→英語しかわからないので、比較が英語だけだが、五七調を理解できるのが特徴。英語で考えるという事は、考え方を変えるということ。日本語は結論が最後に来るので、考えながら喋ることができる。一方、英語は「イエス」と、先に結論がくる。良い、悪いではなく、これが英語と日本語の違いだ。ちなみにフランス人は何でも「ノン」っていう。あいつらはとりあえず「ノン」って否定するのだけれど、最後まで聞いてみると「なんだ、イエスじゃん」ということになる。一方で日本人は何でもハイと言う。「はいはいはい」と聞いているけれど納得していなかったりする。

若いころに影響を受けたのは
→中井英夫、・・・・(ぼそぼそ語ったので聞き取れず)

役者になるのに役立つ事は
→なんでも。柔軟。観察。狭めない方が良い。ドラマは見てないので悪口も言えないが、役者は役を一所懸命演じているんだと思う。でも、それではだめ。演技は、役者が抱えているものを全部出すこと。僕がおばさんができるのはおばさんを観察していたから。柔軟はやっておいた方が良い。

観客が一度の観劇で理解するのは難しいのでは
→役者はピンポイントで理解している。観客はトータルで理解している。

演劇をやってなかったら
→いつから仕事になったかも分からず、演劇は仕事ではない。今日みたいなのは仕事。自分は運が良い。他の職業と言っても、良くわからないが、少なくとも歌手は無理だと思う。

美しいと感じるものは
→しょっちゅう思う。比べて見たことはない。笑顔でも良いし、自然でも良いし、言葉も、絵も、食べ物も。

役者さんに求めるものは
→作品によって違う。「表に出ろいっ!」みたいにテンションを求めるときもあるし、内容を良く考えてもらう事もある。

最近感動したことは
→あるけれど言いたくない。個人的なこと。こんなところで言いたくない。

次回作はどうなるか
→思案中。キーワードはあるが、言わないほうが良いと思う。アイデンティティとか、語り尽くされたものについて書いてみようかと思っている。最初は次作を前ニ作に絡めて、三作パッケージにしようかと思ったけれど、そうでもないかな、と思っている。どうなるかはわからない。

今日の感想は
→偉そうですいません。人生について語って、テレビに出ている江原なんとかさんかよ、とか。
  
Posted by buu2 at 08:52Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年09月08日

表に出ろいっ!

DSCN1322


大きな仕掛けがあるわけでもなく、場面はずっと同じ。ひとつの部屋で家族3人が織り成す会話劇である。野田秀樹、中村勘三郎の仲良し二人組にまだあまり舞台経験のなさそうな黒木華という女優さんの3人が登場人物。上演時間は約70分と短め。

NODA・MAPの番外公演は大抵の場合何かしらの小道具が大活躍するのだけれど、今回は「これ」というものが特になかった。強いて言えば、カラフルな色使い。これが照明の細工によってだんだんと彩度を失っていく演出が面白い。

家族3人はそれぞれディステニーランド、ジャパニーズ、あと、マクドナルドはなんだっけ、まぁ、どこかのファストフードにはまっている。そんな家族のうちの誰が留守番をするのか、という口論が延々と続いていく。表現されることがらはどこの家族でもありそうなことばかり。次から次へと出てくる乾いた笑いはちょっとした漫才を見ているよう。

しかし、正直なところ、野田秀樹の女役はもうすっかり見飽きてしまった感もある。やっぱり、粕羽聖子あたりが一番面白かった。って、それはもう20年以上も前?ということは、ずっとこんな感じでやり続けているのか。ある意味で定番ではある。定番ではあるのだけれど、正直ちょっと飽きてきた感じもする。その上で、中村勘三郎。最近は橋爪功と並んで野田秀樹のお気に入りのおじさん。もちろん非常に上手だけれど、やはり同じ舞台でも、ちょっと距離感の違う世界の人だから、こういう小さい舞台でのお客さんとの距離感は掴みづらそうにしている。必要以上にテレがあって、必要以上にテンションが高く、そのあたりの様子が逆にシラけた空気を生んでしまう。言葉にすれば、

野「ねぇ、俺の土俵にあがってみてよ」
中「いいよ、ちょっと照れくさいけどねぇ」
野「大丈夫、俺なんか、女役をやるんだよ」
中「でもさぁ、慣れてないし」
野「平気、平気。みんなそういう、普段見せない歌舞伎役者の別の顔を観たいんだから」
中「そうかぁ、じゃぁ、ちょっとやってみようかぁ」
野「そうだよそうだよ、軽い気持ちで行こうよ」

みたいな雰囲気なのだ。

だから、この二人だけで芝居を仕上げていたら、なんか仲間内による内輪受けの芝居になっちゃっていたと思う。もちろんそれでも許してもらえる雰囲気があるし、許してもらっても全然不思議ではない超一流の二人ではあるけれど、やはりそれでは全てのお客さんを満足させることはできない。

そんな、予想外に難しい状態を上手にまとめ上げた「つなぎ」が黒木華である。彼女は第一声から素晴らしかった。確かに荒削りの部分はある。昔で言えば、第三舞台の山下裕子みたいな感じ。ただ、これは無理に類型化すれば、ということであって、独特の雰囲気を持った女優さんである。何より、声がきちんと通るのが良い。小さめの舞台だったということも彼女にとっては追い風だっただろう。彼女の魅力が十分に生かされるものだった。

ここでちょっと思うのは、野田秀樹の演出家、劇作家としての能力に関することだ。僕が、非常に買っている彼の能力の一つに、「役者の能力を上手に引き出す」というものがある。例えば、円城寺あやのように、非常に個性的で、かつ使い方が難しいと思われる俳優さんを非常に巧妙に使ってきた。その、役者さんそれぞれをきちんと芝居に当てはめていく能力は他に類を見ないと思う。だから、彼女が彼女の能力や魅力を最大限にアピールできる舞台が用意されていることについて、それほど大きな驚きはない。興味深いのは、この芝居がダブルキャストである、ということ。もうひとりの役者さん、太田緑ロランスがこの舞台をやるとどうなるのか、ということだ。僕はもう一回分のチケットを持っているのだけれど、運悪く次も同じく黒木華の舞台になってしまった。彼女は彼女で非常に魅力的だったし、彼女の演技をもう一度観ることに不満はないのだが、もうひとりの舞台もやはり観てみたい。

当日券で観るしかないかな。

ところでこの芝居、後半に前回の本公演「キャラクター」の要素が出てくる。もちろん、そのことは「キャラクター」を観ていなければわからない。だから、「あれ?」という感じで終わってしまうラストのセリフも、もしかしたら何かに関係があるのかも知れない。歌舞伎なのかも知れず、能かも知れず、あるいは落語かも知れないのだけれど、何か、背景で知っておくべき何かがあったのだろうか。もしそれがあったのなら、あのラストも納得ではある。何もないとするなら、「お茶が怖い」ぐらいの落ちが欲しかったのも確かなのだが。

小品としては非常に楽しめた。評価は☆2つ。

2010.9.7
東京芸術劇場 小ホール1 D列9番 7500円  
Posted by buu2 at 19:36Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年08月25日

義経千本桜

歌舞伎もいろいろだけれど、僕みたいにあんまり歌舞伎を見慣れていない人間にはぴったりの「訪欧凱旋公演 義経千本桜」なんていうのをやっていたので観てきた。びっくりするような良い席。やっぱり歌舞伎は良い席で観たい。特に初心者の僕とかは。

DSCN1248


場所は新橋演舞場。東銀座からすぐ。

DSCN1246


DSCN1244


演目は義経千本桜では偽忠信ストーリーの「鳥居前」「道行初音旅(吉野山)」「川連法眼館(四ノ切)」の3つ。海外でやっても楽しんでもらえるものだから、当然日本人にもわかりやすい。ウリはラストの海老蔵宙乗り。

DSCN1242


DSCN1240


DSCN1238


海老蔵っていうと僕みたいなレベルの低い人間は「いつ離婚するんだろうなぁ」ぐらいしか連想できないんだけれど、実際に見てみたら彼もなかなかやるね。体が良く動くし、宙乗りはもちろんのこと、狐への早変りとか「えぇー」って感じだし、欄干渡りとかもきっちりやっていた。カッコ良い。そりゃぁモテるでしょうよ。

鳥居前とかも「これぞ歌舞伎だよね」っていうシーンがたくさんあって、歌舞伎初心者のためのお子様ランチみたい。

いやー、面白かった。また観たい。歌舞伎って、イイネ!!

この八月花形歌舞伎は8月28日まで。って、もうすぐ終りか!!!でも、今日も普通に当日券は売ってた。お薦めです。  
Posted by buu2 at 21:57Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年08月07日

ザ・キャラクター(二度目)

前回のレビューはこちら

今回は芝居の全体像がわかっているので、ひとつひとつの要素を確認しながらの観劇。冒頭のシーンからいきなり「うわぁ・・・・」という感じ。暗いよ、重いよ。一度目に観たときは「何が始まるんだろう」という期待感があったから素通りしちゃったんだと思うけれど、その後の展開を知ってから観ると、いきなりうんざりするようなオープニング。つまりは、それだけのものをきちんと表現しているところが凄い。

教祖が共犯者に仕立て上げていくために、再三殺人を目撃させるのも生理的な嫌悪感を呼び起こす。こいつ、きたねぇなぁ、と。

ラストがわかっているだけに、観ているとイヤーな感じがどんどん募ってくる。まだこんなことをやるのか、みたいな。そして、ラスト。

今日、このタイミングで観て思ったのは、野田さんは都民を中心とした首都圏の住民に、「アンタたち、忘れちゃいけないことがあるでしょ?それは、原爆の話だけじゃないんだよ。東京に住んでいる人間なら、これも忘れちゃいけない話。きちんと語り継いで、風化されることのないようにしないと」と訴えかけたかったのかな、ということ。救いのない話を救いのないままに表現したのは、そういうことなのかな、と。実際、まだ終わってない話だし。

舞台のできとしては、先日の方が格段に上だったと思う。というのは、セリフの聞き取りやすさ。僕は昔、第三舞台がみんなで声をあわせてセリフをしゃべるとき、「なんて聞きとりにくい芝居なんだろう」って思ったのだけれど、先日この芝居を観て、「お、ちゃんと聞き取れる。やっぱり、やる人によって違うんだな」と感心した。ところが、今日はやっぱり聞き取りにくかった。これは、座席の位置とか、声の調子などによるんだろうか。とにかく、前回の方がずっと良かったと思う。

前回の感想と一緒だけれど、凄い芝居ではあったけれど、楽しい芝居ではなかった。誰にでも勧められるものでもない。ただ、あの迫力とか、嫌悪感とかは、DVDなどでは再現不能。観たいなら、現場で観るべき。ただし、明日で終了。当日券はあるはず。  
Posted by buu2 at 17:59Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年06月27日

野田地図「ザ・キャラクター」速報レビュー

最近の野田演劇の特徴はストレートさ。それから、わかりやすさへの配慮。その傾向は本作でも一層顕著になっている。難解なら良い、というわけではないけれど、わかりやすいだけの演劇では飽きてしまうわけで、そのあたりのさじ加減はなかなか難しいところだ。

本作の構造はかつてないほどにストレートで、観る側の想像力を要求しない。本作で要求されるのは、一にも二にも、知識である。その知識は、日本語の知識、ギリシャ神話の知識、そしてオウム真理教の知識である。

日本語の知識は、これまでの野田演劇と大きな差はない。逆に、今までは耳が頼りだったものが、実際に漢字となって目の前に現れる分、一層親切でもある。

次に神話。こちらに対する知識はそれほど深い必要はない。しかし、知識があった方が楽しめるはずである。

最もポイントになるのがオウム真理教に関する知識だろう。観終わって最初に感じたのは「はたして高校生、大学生ぐらいでこの演劇が理解できるのか」ということ。僕ぐらいの年齢だと、リアルタイムでオウムの事件を見てきているし、地下鉄サリンのときなどは僕は大手町で働いていて、事件の当日は築地の寿司清で寿司を食べたりしていたので、物凄く身近な話でもあるし、知識も山ほどある。だから、この舞台を見ていても何の違和感もないし、難解な部分も欠片もないのだけれど、僕が連合赤軍を扱った小説や映画を見てもイマイチピンと来ないのと同じように、今20歳ぐらいの人がこの芝居を見ても何が何やら、良くわからないのではないかと思う。

なんで今頃オウムなのかな、と思うのだけれど、野田さんは常々これを芝居にしたくて、でも、なかなかできなくて、ようやく野田さんの中で、この事件を芝居にできるくらいに消化できたということなんだろうか。そのあたりのことはまだ良くわからない。何しろ、今日見てきたばかりだから。戯曲も読んでないし。

とりあえず、今日感じたのは、多分この芝居は僕たち40前後の人間がターゲットになっているのではないんだろうな、ということ。なぜなら、僕たちにはストレートすぎて、ひねりがなくて、しかも僕たちはこの事件のことを忘れないから、「風化しないように」というのは大きなお世話だし、何を今さら、という感じだし、実際のところ、見てもそれほど感じ入るものがなかった。だって、事件をリアルタイムで見て、比較的近いところにリアルに被害者が存在して、今もまだ裁判などがニュースになるし、そして彼らに関する記事とか、本とかを読む機会もあって、そういう小説よりも奇なる事実に触れてきているから。つまりは、この事件を伝聞でしか聞いたことのない、リアルな話として受け止めたことのない世代への野田さんからのメッセージなんだと思う。

この芝居で表現されるのは、命令されて言いなりになって動く人、集団の中で集団の動きに迎合する人である。その中で最初のうちは「考える」ことをしていた人、「主張する」ことをしていた人が、徐々に減っていく。考えることを放棄したり、あるいは放棄しなかった人は集団から削除されていく。今、例えばTwitterの中などではこうしたことが目に見える形で進んでいる。誰かが何かちょっと気の利いたことを書くと、特に考えることもなくリツイートする、みたいな。そうした社会の風潮に対して、野田さんは別に「ああしろ」「こうしろ」と具体的に述べているわけではないのだけれど、さすがにこの芝居が問題提起であることは気が付くだろう。

あとは、この芝居と自分の日頃の行動を照らし合わせてみて、自分の行動に危険な部分はないのか、そのあたりを考えてみる想像力が必要。

実際のところ、オウムの事件を実際に見てきた30代後半から40代の人間であっても、人に言われたからやる(あるいは、人に言われたからやらない)とか、みんながやっているからやる、というタイプの人は山ほどいる。そういう「思考の放棄」が何を招くのかを見て、知っているはずなのに。だから、この芝居を見ても、日本人の多くには伝わらないような気がする。単に「なんか、怖い演劇だったね」でおしまい。「何が言いたいのか良く分からないよね」とかもありそうな感想。

しかし、そういう若い人達に、きちんとメッセージを残しておきたいと思ったんだろうね、野田さんは。

評価は☆2つ。僕としては、最近で言えばロープとかの方が断然楽しめた。やっぱ、自分がこの芝居のターゲットじゃないってことが大きいんだろうなぁ。

DSCN7125


DSCN7123
  
Posted by buu2 at 01:25Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2010年03月06日

野田秀樹芸術監督就任記念プログラム「農業少女」

半年ほど前に「「匿名性」の文化から演劇を取り戻してください」というエントリーで野田秀樹さんの考えるところの「良い芝居」を見ると約束したので、松尾版「農業少女」を観てきた。

DSCN5452


これに先立って、タイ版の農業少女も観ているのだけれど、その感想はこちら。

農業少女 バンコク・シアター・ネットワーク版

さて、本作。タイ版に比較すると遥かに野田版に近い仕上がり。ただ、演出が違うとこうも違うのか、という感じ。そもそも、野田版のときとは劇場の構造が全然違っているはず(舞台を挟んで両サイドに座席があって、列も5列ぐらいまでしかなかった気がする)。小道具の使い方も大分あっさりした感じだ。野田版の時はこれでもか、というくらいに携帯電話が前面に出たけれど、今回はそうでもない。野田さんは携帯を使う際に役者にことさらに携帯電話を意識させるところがあると思う(ザ・ダイバーとかでも)のだけれど、松尾版ではそこに執着は感じられず、さらっとした感じ。一方で音声を加工したり、テレビモニターを使ったり、手品を多用したりといったところは松尾版の工夫という感じ。野田版よりも大きい箱を使って農業少女をどうやって見せるのか、という課題に対する松尾さんの回答がこれなんだろう。それなりにカラーが出ていたと思う。

今回、個人的に注目したのは多部未華子さんという女優さんがどこまでこの役を消化できるのか、ということ。朝の連ドラに出ていたのは知っていたけれど、なんかドタバタっぽい作りだったので見てなかった。他に特に活躍しているところも観ておらず、どの程度できるのかなー、と、ちょっと興味津々だった。それで、観た感じだと、意外と声がしっかり出ていて、これだけでもかなり高評価。今日は5列目で観ていたんだけれど、表情とかもなかなかに生き生きとしていて、良い感じ。ただまぁ、どうしても荒削りというか、演技における感情表現の幅が常に大きいところで一定していて、メリハリがありすぎる感じ。つまり、1〜10までのレンジがあるときに、1と2と9と10は上手に使えるんだけれど、3〜8の部分がもうちょっと、という感じだった。でも、テレビや映画を中心に活躍してきて、芝居はこれがまだ3作目、ということを考えれば、かなり頑張ったと思う。舞台役者としての今後に期待したいところ。

主演男優の山崎一さんという人も舞台で観るのは初めてだったけれど、結構落ち着いて上手にやっていたと思う。一方で吹越満さんは舞台の人だから、全く危なげない。この二人がきちんと脇を支えていたので、多部さんも安心してやっている感じだった。江本純子さんも実際に観たのは初めてだけれど、無難な感じ。吹越さんと江本さんの二人羽織っぽいシーンはちょっとした見所なんだけれど、息の合い具合がもう一歩、二歩。あそこがピッタリ行くと面白いと思うんだけれど。吹越さんが噛んだら江本さんが頭をぺちんって叩くとかね。

セリフを噛むといえば、始まったばかりということもあってか、みんながあちこちでセリフを噛んでいて、「もうちょっとガンバレー」って思わないでもなかった。

しかし、ストレートに言ってしまうと、やっぱりこの芝居は深津っちゃんの芝居なんだよな。本当に、野田芝居は最初のキャスト以外がやるのって凄く難しい。

今日の出来だと評価は☆1つ半。でも、もうちょっと小慣れてきたらすぐに☆2つになると思う。ただ、☆2つ半までは難しいかな?前売り券は完売しているみたいですが、当日券は並べば買える感じです。

ちなみに、あんまり関係ないけれど、自慢する機会が全然ないのであえてここで自慢しておくと、下記で出品された一品物のTシャツは僕のところにあります。

BUNGALOW50 [バンガロウ50]【松尾 スズキさん提供!】アートピース

↓これ
DSCN5457


DSCN5455
  
Posted by buu2 at 21:33Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年11月23日

農業少女 バンコク・シアター・ネットワーク版

833fecbb.jpg

この間、野田秀樹さんが東京芸術劇場の芸術監督に就任した際の挨拶をブログで取り上げた。

「匿名性」の文化から演劇を取り戻してください

ここで、

何しろ、野田氏が「こういう芝居が「良い芝居」だ」というのを色々観ておこうと思う。こういう思いはすぐに忘れるので、ちゃんと文章にしておく。これは決意表明です(笑)。


と書いたとおり、時間の許す範囲で東京芸術劇場で上演される芝居を色々と観てみたいと思っていて、実は先日も五反田団の「生きてるものはいないのか」を観たかったのだけれど、どうしても時間が合わず、観ることができなかった。ということで、私的演劇鑑賞力強化シリーズの第一弾はバンコク・シアター・ネットワークの「農業少女」になった。

タイ語上演ということで、字幕付きとのことだったのだけれど、実際にはイヤフォンガイドでの解説だった。確かに、ちょっとせりふが多すぎて、字幕にはフィットしない演目だったかも知れない。

ちなみに2000年9月にやった深津絵里バージョンに対する感想はこちら。

農業少女

さて、今日観た感想。もともと4人での芝居だったのだけれど、人数を増やして8人での上演。人数を増やした理由は分からないけれど(終演後のトーク・タイムで演出家ニコン氏に質問しようかと思ったのだけれど、残念ながら時間切れで果たせず)、人数が増えたおかげで、初演のときの大吟醸的な味わいは大分薄れ、やや持ち味が失われている気がした。また、野田演出で特徴的なスローモーションもちょっとメリハリがない印象だった。このあたりは役者の力量の問題なのかも知れず、観る側がイヤホンガイドに頼っていることによる注意力の低下が主因かも知れない。

何しろ、タイ語という日本人が耳慣れない言語での上演だったので、劇団にとってはかなり不利だったはず。また、ガイドの日本語もちょっと一本調子で、聞き取りにくい部分もあり、そのあたりは大分割り引いて考えなくてはならないところだと思う。字幕と違い、ガイドの音声で理解を助ける場合、必然的にガイドの声の演技力というのも要求されることになり、そのあたりが意識的に機械的になっていたため、どうしてもワンクッション増えてしまっている感じがした。

そういう理由もあってなのか、今回の上演では、深津版に比較して悲壮感、絶望感が軽く、観終わってもそれほど疲労感がないというか、さらっと終わった感じがした。これはおそらくは野田さんの意図したことではないと思うのだけれど、これはこれ。タイの演出家が意図したのか、意図しなかったのかは不明だけれど、あの暗い農業少女がこんなあっさりした味付けになるんだなぁ、というのは面白かった。

今日の芝居に☆評価をつけるのは野暮というものなので、評価はスルー。来年3月に松尾スズキ演出による新しい農業少女が上演されるので、そちらも楽しみにしたい。  
Posted by buu2 at 21:08Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年10月02日

名誉大英勲章

はっきり言うが、野田秀樹さんの才能を見つけたのはエリザベス二世女王より僕の方が大分先。

劇作家の野田秀樹さんに大英勲章 演劇で日英交流に貢献

野田秀樹、名誉大英勲章を受勲  
Posted by buu2 at 23:43Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年09月15日

「匿名性」の文化から演劇を取り戻してください

昨日、遊眠社関係の本を読んだ。制作者という立場から時々垣間見ることができる若き日の野田秀樹氏を見て、なんとなくテーブルの上にあった「2009年夏、野田秀樹、池袋、東京芸術劇場、芸術監督就任」というリーフレットを手にしてみた。あれ?これ、三つ折だったのね。表と裏しか見てなかった。で、中に「「匿名性」の文化から演劇を取り戻したい」という挨拶が載っていた。全然気がつかなかった(笑)気がついたのかも知れないけれど、忘れていた。非常に示唆に富む文章なので、許可を得ずに全文を転載します。いや、どこかにないかなーと思って、芸術劇場のサイトとか、色々探してみたんだけれど、見当たらない。著作権上問題があることはわかっているのですが、なんとももったいないので、悪いことを承知で全文載せちゃいます。

「匿名性」の文化から演劇を取り戻したい
芸術監督 野田秀樹

インターネットとやらが、流行りだした頃から、文化というものが怪しくなっているのを感じていた。
それは、「匿名性」が生み出す文化の怪しさであり危うさである。
ネット上に飛び交う、情報まがいの批評、或いは批評まがいの情報を見ると、一体、誰が、何の根拠を持って、何を良いとか悪いとか言っているのか、ちっともわからないのである。
例えば、ウィキぺディアとかいう百科事典など、格好の例である。「誰もが書き込み自由」という一見、偏狭な知識を自由の世界へ解放したかのような、まるで、匿名性で何かを創造しているかのような魔法の世界。だが、自由であるかのように見えて、実は、嘘八百を少ない労力で世に流布してしまう、もっとも安易な手段である。
今、演劇の世界といえども、こうした「匿名文化」と無縁ではない。一体誰が、こんな芝居を面白いことにしてしまったのか、なんで、こんなひどい芝居に客があふれかえり、これほどいい芝居なのに、客席がまばらであったりするのか。その責任の一端は、「らしいよ」という、誰が言ったか分からない、無責任な噂のような批評、批評のような噂。これが流布しているからである。
つまり、発信地がはっきりしないのである。これは恐ろしいことである。「らしいよ」というのは、言ったもの勝ちであるし、言われたもの負けなのである。
私が、「劇場」の芸術監督になることに決めたのは、その言葉を発信する場所、その言葉を発信する人間が誰であるかを、明確にしたいからである。私は、「東京芸術劇場」という場所から、創作者として、(自分の芝居だけでなく)こういう芝居が「いい芝居」だと思うのです、と発信をしたい。
「匿名」ではなく、「実名」である。作品によっては失敗もある。その批判は、「実名」で発信すれば「実名」に帰って来る。
「匿名性」を使って、あやふやなものを、いつまでも創っている、この日本の文化状況から、演劇の現場を取り戻したい。「実名」で発信する世界に戻したい。
演劇は、昔、「演劇の現場」だけから生まれていたのだ。こんな当たり前のことを、わざわざ声高にしゃべらなくてはいけない所に、今の文化の危うさがある。
こんな私の思いに応えてくださったからかどうかはわかりませんが、たくさんの皆様よりこの劇場に芸術監督が誕生したことを祝福して下さるメッセージを頂戴いたしました。心より感謝いたします。
問題山積みの劇場ではありますが、長い目で見てやってください。こちらも頑張れるだけ頑張ってみます。


こうやってべた打ちしてみると、野田さんの文章は意外と読点が多いのね。って、それはさておき、僕のようにネットを自分の情報発信のメインツールとして利用している人間には耳が痛いことがたくさん。ラーメン、映画、食べ歩きグルメ、演劇、本、新聞記事、誰かの発言、その他と、僕は色々なコンテンツについてブログを使って批評してきている。僕なりのこだわりというのはそれら全てについて「元木一朗」という実名でやっている、ということなのだけれど、「じゃぁ、元木一朗って、誰よ?」ということになると、多分ほとんど誰も知らない。別にテレビに出るわけじゃない、ラジオにでるわけじゃない、最近は雑誌にも出ない、本の出版もしばらくやってない、講演でも見かけない、なんだ、「元木一朗」って言ったって、ただの記号じゃん、みたいな。だから、実名であっても、実際のところ、匿名となんら変わりがないのである。それで、そういう実質匿名のポジションから情報まがいの批評を発信し続けているわけで、野田秀樹氏から見ると、僕なんかは野田氏から演劇を取り上げた典型的な人間なんだろうなぁ、と思う。別に、取り上げたつもりはないんだけれど。でも、このブログだって、多いときには3000を超えるアクセスがあるわけで、嘘八百を少ない労力で世に流布しているわけだ。

それで、演劇である。僕は正直、演劇の良し悪しはさっぱりわからない。好き嫌いはあるけれど、それは演劇の良し悪しとは別のものだ。それに、以前は色々観ていたけれど、最近はケラとキャラメルボックスと野田地図関連ばかり。ここ2年ぐらいはキャラメルボックスもすっかり飽きてしまい、多分もう観ることはないと思う。すっかり観劇頻度が落ちてしまっているわけだけれど、何でかなー、と言うと、やっぱりそれは一つには贔屓の俳優さんがあんまりいなくなってしまったこと。それから、チケットの価格。そして、チケットを取ることが面倒くさいということ。どうにも気軽に楽しむ、という感じにならない。しかもね、まじめに取ったチケットじゃないと、演劇を満喫できないってことを知っちゃってる。ときどき、「そういえば、世田谷で蒼井優さんが出ている奴をやっているはず」とか思い出すんだけれど、そのときにはもう良い座席がなかったり。

でも、この文を読んで、芸術劇場で芝居を観ようかな、という気になった。まずは、2月の農業少女かなぁ。って、これはこれでチケット入手困難っぽいんだけれど(笑)。

何しろ、野田氏が「こういう芝居が「良い芝居」だ」というのを色々観ておこうと思う。こういう思いはすぐに忘れるので、ちゃんと文章にしておく。これは決意表明です(笑)。  
Posted by buu2 at 22:36Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

僕と演劇と夢の遊眠社

僕と演劇と夢の遊眠社

今日は池袋で会議の後、昼ごはんまで少し時間があったので、久しぶりにジュンク堂を上から下まで冷やかしてみた。一番上の階でこの本を見つけて、そのまま買い物籠に入れた。

このブログでも何度も書いているけれど、僕の演劇鑑賞体験はほとんどが野田秀樹さんと一緒にある。大学3年生のときだったか、ぴあの特集記事で神奈川県青少年ホールでの「野獣降臨」のプレビュー公演についての記事を見つけ、何気なく会員優先予約の電話番号に電話したら、なぜか一発でつながり(当時は何時間もつながらないのが普通だった)、一列目のど真ん中で観たのが演劇鑑賞の最初。普通の理系大学生だった僕は今までに全く体験したことのないものをそこで目撃してしまい、以後の夢の遊眠社の公演は全て観ている。日本青年館での「桜の森の満開の下」は何度も観たし、その楽日の最前列で向井薫さんから雛あられをもらったことをきっかけに、劇団の役者さん数名とも連絡を取ったりしたし、今でもごく稀に一緒に飲みに行ったりさせてもらうこともある。最近でも野田秀樹さんの芝居は欠かさず観ているわけで、こと「演劇」という部分だけを切り出せば、僕の人生はほとんど野田秀樹さん一色であると言っても良い位だ。

そして、その演劇鑑賞体験の、ほぼ半分を占めているのが夢の遊眠社である。その劇団を制作という立場で見続けてきた高萩宏さんによる遊眠社の歴史本なのだから、面白くないはずがない。最初から最後まで一気に読んでしまった。僕が知らない頃の遊眠社、僕が観ていたころの遊眠社、その両方ともが非常に興味深かった。正直に言えば、僕は「役者から見た遊眠社」というものもいくつか断片的に聞いてきているので、そうした視点からの違いと言うか、故意に隠しているのかも知れない部分とかも感じてしまうのだけれど、まぁ、それはそれ。多少美化されていても、書かれていることの質が低下するわけではない。

印象に残った部分をいくつか抜き出してみる。

実力はあるものでなく、あると信じて努力すべきもの、結果は運に左右される


これはもう全く同意するところ。スキーをやっていると、スタートで「がんばっ」と声をかけるのが一般的。アルペンでも、ノルディックでも、である。でも、選手はたいていの場合、もうそれ以上頑張れないくらいに頑張っている。それでもさらに「頑張れ」と、精神的に鼓舞するのが日本人の気質なんだと思う。でも、こういう場面では、僕は欧米の人たちの考え方を真似するべきだと思う。Good luck!

(佐戸井けん太さんに)「開き直らずちゃんと売ってほしい」と強く言われたのを思い出す


僕は当時から佐戸井けん太さんのファンだったので、是非売り込んで欲しかった。でも、最近は色々な映画で見かけますね。つい先日見た「引き出しの中のラブレター」でも出ていたし、ハゲタカでも。同じくひいきにしていた段田さんに比較するとちょっと活躍度が低い感じだけれど、引き続き頑張って欲しいところ。

大勢の中でも自分の立場を見失ってはいけないということ。それぞれの人がたとえ良い人ではあっても、それぞれの事情があって動いている。そのそれぞれの事情に引っ張られていては、本当は自分が何をしたかったかも忘れてしまう。


これも全くその通りなんだよなぁ。いつも感じていることなんだけれど、時々こうやって文字として確認することって、重要。再確認した。同時に、こういうことをみんなにも理解して欲しいところ。それが出来ない奴が多すぎる。

すべてを一人で抱え込んではいけない。周りに情報を出すことでたくさんの人に助けてもらえる。


うんうん。

ビジネス書としても、いくつか良いことが書いてありました。よっぽどの演劇マニアじゃないと手に取らないと思うけれど、読めば色々と勉強になると思います。☆2つ半。  
Posted by buu2 at 01:30Comments(0)TrackBack(0)読書

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年09月06日

夢の遊眠社のポスターたち

昔のは当然ながら観てないものも多い。

野獣降臨のプレビュー公演を横浜でやったことがあって、そのとき、なぜか最前列のど真ん中で観た。それ以後は、全部観たなぁ。観ないわけにはいかなくなったから。

DSCN0514 DSCN0517

DSCN0520 DSCN0523

DSCN0526 DSCN0529

DSCN0532 DSCN0535

DSCN0538 DSCN0541  
Posted by buu2 at 01:33Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年09月04日

野田秀樹 芸術監督就任記念 プログラム 『ザ・ダイバー』二度目

大体野田秀樹さんの演劇は二度観ることにしているわけで、ダイバーももう一度観てきた。前回の感想はこちら。

野田秀樹 芸術監督就任記念 プログラム 『ザ・ダイバー』

今回は前から二列目の中央ということで、前回とは違った観方ができると思っていたのだけれど、予想どおり。冒頭の野田秀樹の動きからして、前回とは全く違う。体が上に吊り上げられるような細かい動きは、前のほうに陣取らないとわからない。でも、前から二列目だといきなり「凄い」という感じ。全編を通して、大竹しのぶさんが実はものすごく細かい表情を使い分けていたのも印象的だった。渡辺いっけいさんの力技が舞台後ろまで満遍なく届く一方で細かい出し入れ感覚がないのと対照的に、大竹さんの演技は前じゃないと満喫できない。もちろん、後方の座席でもそれなりに楽しめるけれど、これはやっぱり前のほうじゃないと。

英語版も含めればこれで都合4回目の鑑賞なので、さすがに色々と細かいところにも気づかされるし、その一方で「ここはあんまりこだわらずにスルーで」というところもあって、おかげで上映時間中たっぷり野田ワールドを満喫できた。

事前の劇評では「死刑制度がどうのこうの」などという話があったけれど、死刑制度の是非とか、この舞台では全然焦点が当たってないと思う。そんなことはないのかなぁ。この舞台で表現されているのは、ただただ、男に振り回された女の怨念と、その結果子供二人(四人)を殺すことになってしまった苦悩、そしてそれに対するほんのちょっとの救済じゃないのかなぁ。

冒頭、山中が精神科医に「あなたは私の子供」というところで始まり、そしてラストでは佐々木の妻にとりつくことが出来なかった怨念が精神科医に行き着く。怨念によって精神科医は山中の母体に回帰し、そして不倫相手が指示するままに堕胎せざるを得なかった悲しみを精神科医に見せ付けるところで幕になる。

その間、4人しかいないとは思えないような舞台が多重的に繰り広げられる。センス、椅子、赤と白の薄布にこれまた多重的な意味を持たせ、観る人の想像力を刺激するのもいつもの野田風味。ただ椅子を重ねているだけなのにちゃんとテレビに見えてくるし、センスを口にしているのにピザに見える。このあたりがロンドンから帰ってきたあとの野田秀樹の真骨頂であり、また、野田秀樹色でもある。それを満喫できる素晴らしい舞台だった。前回見たときは初日ということもあってややばらけた部分もあったのだけれど、今回は全体の調和を図ろうとする野田さん、本能的な演技で感情をこれでもかと表現する大竹さんのメイン二人がとにかく素晴らしかった。常にハイテンションで走り回る渡辺さんは近くで見ていると本当に暑苦しいだけなのだけれど、そういう演出で、観る側にそういう感じをちゃんと与えるところがまた良い。それと対を成すようにして配置された北村さんも公家のようなクールな演技で見事に成果を出している。観る側にあまりぶれを起こさせず、見せる側が思ったとおりに観客をコントロールする、そんな舞台だった。

ストーリーだけを追っていくと救いのない悲しい話ではあるのだけれど、その中に「面向不背の玉」のエピソードを救いとして配置し、さらに「能」という古典芸能の様式美を上手に取り入れ、源氏物語と現代の事件を結びつけた、見事な舞台だったと思う。4回見て、ようやく「あぁ、そうだったのか」という感じ。もちろん、誤解かも知れないのだけれど、とにかく自分の中では一つの結論に行き着いた感じがする。

何にしても、大竹しのぶは化け物だ(笑)(良い意味で)。☆3つ。  
Posted by buu2 at 01:24Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年08月20日

野田、来たる。〜野田秀樹芸術監督就任記念展〜

DSCN0223 DSCN0225

ダイバーをやっている隣でやっている展示をざーーーっと観てみた。僕にとっては野田秀樹さんと言えばその活動のほとんどが夢の遊眠社っていうイメージなんだけれど、こうやってポスターを並べてみると、もうすぐ解散した後の方が長くなるんですね。

芝居を観るついでじゃなくて、これを目的に観にいくなら、芝居をやっている最中に観るのがおすすめ。多分すいてます(笑)。芝居が終わってすぐに会場を出て、こちらに来たらがらがら。でも、すぐに一杯になっちゃいました。ゆっくり観たいものねぇ。今度、また来てみよう。

日時 2009年8月20日(木)〜9月6日(日)11:00〜21:00
※8/24(月)、31(月)を除く 
会場 東京芸術劇場 展示室1(B1F 小ホール1側)
料金 無料

野田、来たる。  
Posted by buu2 at 21:56Comments(0)TrackBack(0)美術

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

野田秀樹 芸術監督就任記念 プログラム 『ザ・ダイバー』

a0901476.jpg野田秀樹さんの作品の最大の特徴は「役者に合わせた作劇」であって、これが結果的に「再演はうまくいかない」という結果につながっているというのが僕の考え。これは遊眠社時代に半神をダブルキャストで演じたときから感じていることで、あまりにも役者を上手に使う、あまりにも役者の良さを引き出してしまうがゆえに、一つ一つの役が役者のためのオートクチュールになってしまう。そんな中での傑作英語劇、The Diverの日本語版上演である。

参考:現代能楽集検The Diver(ザ・ダイバー)

英語版でほぼ完璧に作り上げられていた役を天才大竹しのぶさんがどう演じるのか、というのがこの作品の最大の注目点だった。

日本語になって、劇そのものは格段にわかりやすくなった。英語版もきちんとした字幕がついていたけれど、それは細かい会話までは及ばない。役者のアドリブも表現できない。その点、日本語はどんなことでも聞き漏らす心配がない。渡辺いっけいさんのアドリブもきちんと拾える。そうやって、言葉の壁が取り払われてクリアーになった作品を、大竹しのぶさんが演じて、どうなったのか。一言で言えば、キャサリン・ハンターさんの剛に対して大竹しのぶさんの柔。ロンドンの兵隊のような直線的な動きに終始したキャサリンさんに対し、今日の大竹さんは日本女性らしい曲線的な動き。もちろん日本人の観客には大竹さんの演技の方が違和感がないのだけれど、その結果見えてきたものと言うのはストレートな生々しい愛憎劇だった。

日本の文化、日本の事件をベースにしたロンドンバージョンをロンドンでやるということは、いわば水の中の舞台を水辺から見させるようなもの。大まかなことは把握できるけれど、詳しいことは良くわからない。でも、雰囲気だけで引き込まれる。正直なんだかわからないストーリーだけれど、ラストには言葉のないシーンが配置され、「なんだか良くわからないけれど、凄い」という印象を与えたんじゃないだろうか。そのロンドンバージョンを日本で上演したのは、同じ水の中の舞台を水の中にいる観客に見せたような感じ。ただし、裸眼で。水辺で見るよりも色々と把握できるのだけれど、細かいところはクリアにならない。そこがもどかしいところでもあるけれど、英語版だから仕方がない。そして今回のバージョンは、水中の舞台を、水中にいる観客に、水中眼鏡をつけさせて見せたような感じ。今まで見えにくかったところが全てストレートに伝わってくる。気がつかなかった言葉や感情が刀となってどんどん飛んでくる。おかげで、観ていてものすごく痛い芝居になった。考えてみれば「THE BEE」も痛い芝居だったけれど、最近の野田さんはこのあたりに容赦がない。

細部までは良く見えないけれど、その分イメージが広がるロンドンバージョン、細かい心理描写までがくっきりしていて、主人公の苦しみがどんどん伝わってくる日本バージョン。どちらが好みかというのは観る人次第だと思うのだけれど、意外なまでに両者は違う芝居になっていて驚いた。

渡辺いっけいさんは、僕は芝居で色々観て、そのあとテレビで観たくちなので、「こっちに戻ってきてお帰りなさい。こっちの方が良いですよ」という感じ。同じことは佐戸井けん太さんにも言いたいけれど、まぁそれはそれ。一人で色々やらなくちゃならない役だったので大変そうだったけれど、楽しそうにやっていた。北村有起哉さんも野田さんの芝居にちょくちょく顔を出しているので、野田芝居は心得たもの。というか、そういう人だから野田さんは使ったんだろうけど。野田さんを含め、全ての役者が「芸術監督就任記念」にふさわしい演技をしていたと思う。

ここ数年、野田秀樹はこの手の小さな舞台は三茶でやることが多かったわけだけれど、これからは当分池袋なんだろう。どちらが良いか、というと、個人的には三茶の箱の方が好き。池袋はちょっと横にワイドで、客席の斜度が少ないので、ぱっと見、ちょっと観にくいかなぁ、という印象がある。でもまぁ、シアターアプルとかもこんな感じと言えばこんな感じだったので、それほどでもないのかなぁ。今日はH列2番で観たけれど、そんなに端という感じもなく、観にくいという印象も受けなかった。何しろ演劇はこのくらいの大きさの箱で、このくらいの距離で観るのが一番だ。

今日は初日と言うこともあって、若干危なっかしいところとか、こなれていないところがあったと思う。だから、評価は☆2つ半。でも、来週ぐらいには☆3つの舞台になっているんじゃないだろうか。6500円という値段も手ごろだし、毎日当日券も出るみたいなので、首都圏に住んでいる演劇ファンには満遍なくお勧めしておきたい。  
Posted by buu2 at 21:27Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年02月13日

NODA・MAP 第14回公演 パイパー 二度目

この間観て来たパイパーだけど、もう一度観て来た。

一度観ているし、戯曲も読んだし、ということで、頭の中はかなり整理されていて、きちんとストーリー、せりふをおうことができた。

例の宮沢・松の掛け合いのシーンは松たか子の表情の変化に芸の細かさを感じた。シアターコクーンのような大きな箱ではそこまで細かい演技はなかなか全ての観客まで伝わらないが、そのあたりをきっちりとやっているところがすばらしい。

前回のロープでも快演を見せた宮沢りえは妊娠6ヶ月とのこと。

宮沢りえ妊娠!結婚!お相手は実業家男性

ストーリー上は宮沢りえではなく松たか子が妊娠するのだけれど。  
Posted by buu2 at 08:24Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2009年01月15日

NODA・MAP 第14回公演 パイパー

b6719e1b.jpg野田地図の「パイパー」を観て来た。

野田地図というと最近はどうしても番外公演の小さいところの芝居を評価したくなるのだけれど、大きな箱における前作(新作という意味で)の「ロープ」が非常に良い出来だったので、どうしても期待してしまう。そういうわけで年度末かつ冬季の忙しい時期にも関わらず、3公演分のチケットを確保してあるのだけれど、その一回目の観劇。

結論から言うと、「ロープ」とはやや異なる視点からの感想ではあるものの、良い舞台だった。いや、「良い舞台」の一言で片付けて良いものなのか。凄い舞台だったと思う。

野田秀樹氏がシスカンパニーを離脱して最初の舞台ということで、演劇好きならどうしたって注目する舞台である。何が変わるんだろう、何が違うんだろう、というところにどうしてもフォーカスされてしまうところがあると思うし、僕自身、「キル」で「野田さん、劇団を解散してまでやりたかったのは、本当にこれですか?」とまで書いてしまったので、当然注目していた。野田さんの最大の特長は「出演者の良いところを極限まで引き出すことができる」というところ。この才能はほかに類を見ないと思う。しかし、その才能は再演ではどうしても発揮しにくい。それは、出演者を前提として作品を作り上げていくからだと思う。演じる人が変わってしまうとどうしてもその輝きは落ちてしまう。夜長姫は毬谷友子さんがやらなくてはだめで、農業少女で深津絵里さんがどんなに好演していたとしても、やはりフィットしないのである。だから、野田作品の新作は何をおいても観ておく必要があると思っている。

では、今日の舞台はどうだったのか。最大の見所は芝居のクライマックス。「あぁ、野田さんはこのシーンをやりたかったんだな」と思わされた。そのシーンのできは本当に素晴らしい。ロープを観たときに宮沢りえさんが実況する戦争シーンに打ちのめされたのだが、今回のシーンでは言葉の洪水の中で涙が出てきた。単純化され、かつ美しい舞台で二人のヒロインの口から出てくる絶望的な単語の数々。絶妙なふたりのタイミング、しかも一本調子ではなく緩急をつけた台詞回し、ところどころに配置された反復によるアクセント。宮沢りえさんが舞台で素晴らしい輝きを放つことは「ロープ」で観て知っていたのだけれど、いまひとつ良い印象がなかった松たか子さんも宮沢りえさんに負けず劣らず見事な演技で、「競演」という言葉がこれほどフィットする二人も滅多にいないと思った。このシーンだけで十分にチケット代の価値がある。というか、それまでのすべての時間はこのシーンへの誘導のためだけにあったのかも知れない。他にも、4歳の子供、食堂のおばちゃんと30代半ばの女性をしゃべりだけで演じ分けてみせたり、技巧のオンパレード。遠くから見るとわからないかも知れないが、松さんの表情の変化の見事さにも感心した。

物語の舞台は未来の火星。地球から移民してきた人々の1000年を語っていく。そこでベースになるのが幸せの度合いを示す数値。火星にいる人類がどの程度幸せなのか、その数値が常に表示される。その数字の上がり下がりに応じて物語が進んでいくが、実はその数値は「パイパー」という人工物によって制御されている。物語前半ではその数値は上昇し、後半では下降する。そうやって制御された「退廃」の中で、人は何を思って生きていくのか、というのを描いている。最後に提示されるのはロープでも提示されたものだが、ロープ同様、その大きさは限りなく小さい。そして、それすらも近い将来断たれてしまうことが暗示されている。それでも、それなしには生きていけない人という存在を描いていたんだと思う。

他にも、「生きている他を殺して食べること」と「死んでしまった同胞を食べること」を対比して、重い選択を迫ってみたりするあたりにストーリー上のアクセントがある。ともすると主題がどこにあるのかわかりにくくなり、何が言いたいのか良くわからなくなるのだけれど、そのあたりは「観る方で勝手に考えてちょうだい」といういつもの奴なんだと思う。

役者さんたちはどれもこれも芸達者で、ほとんど難点が見つからない。主演の女優二人はもちろん、橋爪功さん、大倉孝二さんなど、「いつものメンバー」たちがそれぞれに十分な存在感を見せていた。そんな中、今回の舞台で「あれれ?」と思ったのは二人。一人目はサトエリ。ちょっと演技力という意味ではどうなのかな、と思わないでもない。しかし、今回の芝居でサトエリに要求されたのは演技力ではなく、おっぱいの存在感である。そして、それはいかんなく発揮されていた。さすがは女好きの野田さんである。こと女性に関する限り彼の人選は間違いがなく、おかげで演技とか、歩き方とか、舌滑とか、そんなことはとりあえずどうでも良くなってしまった。「うわー、その衣装でそんなに動いたら、ポロリと行っちゃったりするんじゃないの?」と心配になってしまうと同時に、あるわけないのに「ポロリと行かないかな」と期待してしまう。完全に意識を持っていかれてしまった時点で、「やられた」ということだろう。そしてもう一人の「あれれ?」は野田さん本人である。動き自体は最初から抑えられた本になっているのだけれど、何がいただけないって、声である。もともと野田さんの声はそれほど通るものではなく、聞き取りにくいことは間違いがない。しかし、そこまでわかっていても、「あれれ?」と思ってしまうくらいの調子の悪さだった。おそらく風邪をひくとか、何らかのトラブルを抱えていたんだと思う。骨折したわけじゃないから代役を立てるほどではないにしても、やはりあれだけの調子だと「大丈夫かなぁ」と思ってしまう。もうちょっとコンディションが良ければ、もっと良かったのにと思う。

ストーリー、役者も良かったけれど、衣装や舞台芸術も相変わらず見事。パイパーの表現も素晴らしい(こちらは演出も含め)。

そうそう、毎回お楽しみの小道具。紙だったり、センスだったり、対象物が何になるのかは毎回注目されるところだけれど、今回はおはじき。なかなか面白い提案だったのだが、今回はいつもほどの存在感はなかった。ストーリー上では重要な役割を果たしているものの、その応用が少なかったと思う。ここについてはちょっと残念だった気もする。

あと一回は確実に観るので、今回はこのくらいにしておく。何しろ一回観ただけでは見落としもあるだろうし、当然のことながらすべてを語るのは無理だ。でも、評価は☆3つ。演劇が好きな人はもちろん、ちょっと興味がある、ぐらいの人でも十分に楽しめると思うし、演劇の良さも満喫できると思う(と言いつつ、だめな人にはだめなんだと思うけれど)。ただ、台詞が聞きにくいところとかは間違いなくあるので、事前に戯曲を読んで勉強しておくほうが良いと思う。「新潮」に掲載されている。

ところで、話を追いきれなかったみたいなんだけれど、ダイモスの食べ物はどこから出てきたの?  
Posted by buu2 at 01:30Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年12月17日

中島みゆき 夜会VOL.15〜夜物語〜「元祖・今晩屋」

ced80c20.JPG夜会ももう15回目なのかぁ。

一番最初の夜会のチケットは、まだチケットぴあがインターネット予約が出来なかった頃で、町田の小田急の駅のそばにあったグレーの公衆電話で電話をかけまくって取った記憶がある。あのころは、公衆電話にリセットボタンがあるものが少なくて、グレーの電話が貴重だったわけで。

僕はなんだかんだで第1回から欠かさず全部観ていたのだけれど、実は夜会VOL.12「ウィンター・ガーデン」だけは観てない。なぜなら、前年の再演だったから。夜会の価格はどんどん上がってしまい、さすがにちょっと手が出ない、というか、再演ならパス、ということだった。でも、そのあとはまたちゃんと見ているので、出席率はかなり高い部類。でも、内容は正確に覚えていないものが多い。

さて、今回の夜会は場所を青山劇場から赤坂に移しての一回目。今後はここでやるんだろうか。場所としては悪くない。良くもないけど(笑)。

さて、内容ですが、うーーーーん、結構難しい。山椒大夫をベースにしているようで、僕が覚えているシーンがいくつか現れていた。それは例えば姉が入水して履物がほとりに落ちていることとか、町の明かりを目指して逃げろ、と命じるところとか、逃げ込む先がお寺だっていうところとか、めくらのお母さんが藁で鳥を払っているところとか、そんなこんなである。劇の中で安寿と厨子王の固有名詞も出てきているので、モチーフが山椒大夫にあるのはほぼ間違いがない。

山椒大夫、確かに名作で、安寿と厨子王という名前は誰でも知っているが、では、その詳細は、というと覚えている人はそれほど多くはないかもしれない。僕が覚えている大まかなストーリーはこんな感じ。

九州に左遷させられてしまった父親を探しに歩いて旅をしている母と姉、妹が、その最中、新潟で人買いに騙される。母は佐渡に連れて行かれ、姉、弟は新潟で奴隷として扱われる。姉弟は逃げ出すチャンスを見計らいながら働き続け、あるとき、姉が犠牲になって弟を逃がす。逃げ出した弟は寺に逃げ込み、そこの坊さんに助けられ、やがて父に縁がある家に拾われる。弟はやがて偉くなり、父を探したものの、すでにこの世の人ではなく、続いて佐渡の母を捜す。あちらこちらを探していると田んぼで鳥を払っているめしいの女性を見つける。何か気になるところがあって近くによっていくと、「安寿恋しやなんちゃらかんちゃら、厨子王恋しやなんちゃらかんちゃら」と歌を歌っている。母であると確信した厨子王は安寿から授けられた仏像を母親に渡すと、母親の目が見えるようになる。

と、確かこんなストーリーだったと思うのだけれど、その場面場面をコラージュのように配置したような舞台だった。

さて、この舞台、こうしたストーリーを知っていてもかなり難解なものだった。観劇した人がこれ以上にきっちりとストーリーを覚えていることはあんまりないような気もするので(もちろん森鴎外の大ファンだというのなら話は別だけど)、せめて事前に「山椒大夫を読んでおくと良いですよ」ぐらいのアナウンスを出しておけば親切だったかな?と思わないでもない。かくいう僕も、大して長い話ではないので、事前に読み返しておけば良かったな、と思わないでもない。

セットは非常にお金がかかっていて、舞台の機能もきちんと活用していた。キャストもなかなかに歌唱力があって、贅沢な舞台だったことは間違いがない。

しかし、その一方で「歌でつないでいく物語」の難しさ(歌詞が聞き取りにくいところがあるとか)とか、細かい描写についての説明不足とか、いくつかの難点があることも間違いがない。そして、最も致命的なのが一人20000円という破格のチケット代である。簡単に「わかりにくかったから、もう一度観てみよう」などと思えないような価格設定で、正直コストパフォーマンス的にどうかと思うのである。

これが9000円の舞台なら文句は全くない。しかし、実際は倍以上。これだとコンサートツアーの方が良いなぁというのが正直な感想である。

でも、それでも全公演チケット完売というのであれば、文句を言うことではないのですがね。

評価は☆1つ半。  
Posted by buu2 at 00:47Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年12月14日

KERA・MAP「あれから」

NYLON100℃のケラの別ブランド「KERA・MAP」の新作、「あれから」を観て来た。

あれから

すれ違いが増えてきてギクシャクしている2組の夫婦が元さやに戻るまでを、いくつかのエピソードを交えて描いた2時間45分(15分休憩別)。

素晴らしく面白いストーリーが展開されるというわけでもないのだが、先のことしか考えてない若者達と、昔を振り返って思い出の中に生きることが徐々に増えてきた中年とを上手に絡み合わせて、まとまりの良い話に仕上げている。凄いどんでん返しがあるとか、色々考えさせるとか、そういう種類のものではなく、大人が観て、自分の人生と対照して、「あるある」とか思ってクスリと笑うような、大人のための大人の芝居という感じ。

なぜか小学生の女の子が観客席にいたけれど、いくらなんでも理解不能だったと思う(笑)

脚本的にはまぁまぁ。年末の忙しいときに肩肘張らずにさらっと、それでいて時間的には3時間近くを過ごすという意味では良くできていると思う。あちこちに配置された演劇らしい笑いも良かったと思う。

渡辺いっけい、高橋克実といった個人的に見慣れている役者さんたちが上手なのはもちろんだけれど、「寺山修司の秘蔵っ子」といわれつつ、ふぞろいの林檎たち以降テレビでの活躍が目立ち、あまり舞台で観る機会のなかった高橋ひとみ、自由劇場や東京壱組で活躍しながらこれまた最近は舞台で観る機会が少なかった余貴美子など、実力派がしっかりと中心に立っていて、おかげで舞台に緩みがない。さらに脇に配置された若手達もきちんとした演技を見せてくれるおかげで、「これなら8500円でも文句ないな」という出来。

観終わって悩むわけでもなく、何か人生が変わるきっかけになるわけでもない。じゃぁ、何なの?といえば、「あぁ、こういう、品のない(しかし、ある意味では逆に非常に知的で品のある)笑いや、大人のストーリーが楽しめちゃうような年になってしまったのね」と気づかされる作品だった。

いわゆるアラフォーぐらいの人たちにお勧め(笑)。28日まで。当日券あり。世田谷パブリックシアター。

  
Posted by buu2 at 21:18Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年09月28日

現代能楽集検The Diver(ザ・ダイバー)

58fe753c.jpg久しぶりの野田演劇を世田谷のシアタートラムで観てきた。前から二列目だったのだけれど、端っこだったためにちょっと字幕が見づらかった。

The Beeに比較すると非常にわかりにくく、大分野田カラーが濃く出た作品だった。日本人なら源氏物語とかに関する知識があるのである程度わかりやすいと思うのだけれど、イギリスでこれをやったら意味不明、チンプンカンプンっていう人も少なくなかったのではないか。

主軸はいわゆる「日野OL不倫放火殺人事件」。不倫の果てに不倫相手の子供を二人焼殺した女の話。

日野OL不倫放火殺人事件についてはこちらにウェブサイトあり

この主軸に能「海人」と源氏物語が交差して、物語を多重構造化している。事前に予習しておくなら、海人と、葵の上、六条御息所、夕顔ぐらいを読んでおくと良いと思う。ただ、イギリスで上演した際にはこれらに関する注釈はなかったと思われるので、事前勉強が必須ではない。

能「海人」
能「葵上」

葵の上
六条御息所
夕顔

不倫をめぐるドロドロを描いているのだけれど、主要なやりとりは犯人と精神分析医とが対峙するところ。ほとんどは場面転換なく、この二人を中心に進んでいく。そして、その分析の最中に、犯人は人格を様々な人物に変えていく。

音声なしに母体回帰を表現したり(多分)していたのだけれど、かなり観劇サイドに自由度を与えた舞台で、ほとんどの人が「もう一度観てみたい」と感じるのではないか。とりあえず、僕はあと2公演分のチケットを持っているので、最低でもあと一回は観てくる予定。ちょっと一発だけでは評価が難しいので、採点は保留。

以下、もうちょっと軽い気分で感想を書いてみる。

ものごとを見るには色々なポイント(視点)がある。「野田秀樹は自分で離婚しているくせに、良くこんな本を書いたよなぁ」ということを思うのだけれど(野田秀樹の離婚の原因は不倫ではないかもしれないけれど)、もし野田秀樹が今回の演劇のテーマを自分の視点からだけみていたら、ちょっとこういう本は書けなかったと思う。自分の過去の経験や、自分の現在の人格とは異なる視点からものを見て、それを作品に仕上げられるところが野田秀樹の天才たるゆえんだと僕は思う。

90分の芝居の中には上に挙げたたくさんのストーリーが盛り込まれている。僕の場合、英国人と同じようなほとんど白紙の状態でこの芝居を観たわけだが、あとになってこれらを読むと、なるほどなぁ、あの場面にはこういう意味があったのか、と思ったり、あるいは「あのセリフは実話だったのか」といったことがわかったりする。これが野田戯曲の醍醐味でもあるわけだが、野田秀樹という人間の知識とか、調べたこととかがコラージュのように、重層的に散りばめられている。これは普通の人が知識ナシに見た限りでは絶対に把握し切れない。僕も最初に観るときはこうした知識はナシに、丸裸で見てみることにしている。そうすると、大まかなストーリーとか、扇子や布を多義的に用いているといった表面的なところをストレートに理解できる。それは、絵画をぱっと見て、どういう感想を持つのか、というのと似ている。その上で、今度は自分なりにきちんと勉強して、考えて、そして自分なりの結論のようなもの、舞台に求めるものを明確にした上で、見てみる。これまた絵画で言えば、当時の時代背景はどうだったのか、同時期の画家にはどういう人がいて、その中で当該画家はどういうポジションにあったのか、そもそもその画家の社会的地位はどうだったのか、みたいなことを知識として仕入れた上で鑑賞する、みたいな感じである。こうすると、今度は芝居の凄く深いところを楽しむことができる。ただ、野田芝居というのは非常に野田秀樹の個人的な芝居で、彼自身、彼の芝居の全てを理解してもらうことを期待していないところがある。最低限のところはともかく、「わからなければそれでも構わない。わかる人だけわかれば。場合によっては、役者も含め誰もわかってくれなくてもいい」みたいなところがある。だから、全部わかるわけじゃないし、さらに次に見るとまた違った発見があったりもする。

という感じで、時間があれば色々と考えることができるし、別の楽しみ方もできるのが野田芝居。「まずサラで見て、いろいろ考えてみて、さらに色々調べてみて、その上でもう一度見る。理想的には最後にもう一度見るのが良い」というのが僕の考え方だ。ただ、凄く残念なことに、今の野田芝居はそういう「繰り返し」を楽しむにはちょっと金額が高すぎる。でも、今回の芝居は6500円。決して安いとはいえないが、野田芝居としては安い部類。立ち見でも良いから、複数回見てみることをお勧めする。

蛇足ながら、今日の舞台(土曜日のマチネ)、終盤の良いところで携帯を鳴らした馬鹿がいる。こいつはそのまま246に出て行って轢かれた方が良い。いや、それでは轢いた人に迷惑がかかるか。どこでも良いから、人に迷惑をかけない形で死ね。  
Posted by buu2 at 03:25Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年08月27日

深浦加奈子さんの訃報

記事を読んでびっくりしましたが。

深浦加奈子さん死去(女優)

僕が学生の頃は、遊眠社、第三舞台と並んで小劇場の旗手だった第三エロチカ。そこの看板女優だった深浦さん。劇団を退団してからは生で見る機会があまりなく、「美しきものの伝説」が最後だったと思います。時々映画とかで見かけたりしていましたが。

なんとも残念な話です。  
Posted by buu2 at 01:23Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年06月11日

ハックルベリーにさよならを

1b83c8e4.JPG「水平線の歩き方」同様、ブログライター枠でただで観劇。観たのは20列、17番で、かなり後ろの方だけれど、中央というポジション。

一人になりたがっている子供がちょびっと成長するという話。この芝居、ストーリー上の難点として、「水平線の歩き方」同様、ねたばれが早すぎるというのがある。最初から大内と實川さんの関係がギクシャクしていて、その謎がはっきりしないところがこの芝居の肝である。ところが、そのねたばれが早い。その謎解きをラストに持ってきたらもっとずっと良かったと思う。

演出上の細かいところを言うと、何がボートになるのか、というところで工夫があるのだが、そもそもその小道具自体いらない気もする。そうした小道具を使わないと、結果として観客の想像力に依存することになるわけだが、そういう部分でこの劇団は観る側の能力を信頼していないところがある。ストーリー面でもそうだけれど、もうちょっと観る側に自由度を持たせたらどうなんだろうな、と思う。

實川さんの「男の子」の演技はいつも上手。できれば野獣降臨のブリアンの役などをやらせてみたい。少年役の名俳優は結構多いのだけれど、今の彼女は結構色々できそうな、おいしい時期にいると思う。ぜひ一度、野田秀樹演出の舞台に立ってもらいたい。また、坂口さんはいつもどおり安定した演技だけれど、いつも似たようなキャラ。もうちょっと新しいキャラを与えられないものか。大内さんは今回は存在感が今ひとつだった。彼は最近キャラメル以外で2回観ているのだが、客演のほうが生き生きしていた印象がある。井上さんの怪演っぷりが昔の伊東由美子さんみたいで面白かった。今後の活躍が楽しみ。

時間的には水平線よりもずいぶん時間が早く感じた。役者の面で言えば、この面子はかなり良い面子なので、ハーフではもったいない気もする。

本当に細かいところでひとつ気になったのは、逃げる→捕まえる、となるべき演技が、逃げると捕まえるが同時になってしまっていて、やや不自然だったこと。

ところで、今から10年前って、携帯電話はそんなにポピュラーなグッズだったかなぁ。まだポケベルとか、PHSとか、そういう時代だった気もする。

こちらも芝居初心者には結構お勧めできる。「水平線の歩き方」よりは若干工夫がある。評価はトータルで☆2つ。前から10列目ぐらいなら4000円払う価値があると思う。

ところで、キャラメルボックスがこの手のハーフタイムシアターが赤字だと表明している。もちろんその内容は嘘ではないと思うのだけれど、見る側からすれば、この1時間の芝居に対して4000円というのはやはり割高感が伴う。普段の半分の分量なのに4000円かぁ、というのが正直なところ。劇場は2時間一本でも1時間二本でも基本的に賃料は一緒のはず(多少の変動はあるかもしれないけれど)。役者の日当も、8人を二本立てでも、16人で一本でも、基本的に変わらないはず。となると、パンフレットをつくったり、舞台装置にお金をかけたり、というところが二倍になるのが痛いのだろう。たしかに2時間一本よりは1時間二本の方が絶対にお金がかかる。しかし、その点で言えば2時間一本なら6500円のところ、1時間2本なら合計8000円なわけで、そのあたりの差額は吸収できていても良いのに、と思うのである。このあたりを考えると、ハーフタイムシアターに関しては通常公演よりも動員が難しいということなのかも知れない。しかし、ちょっとこの芝居に4000円より高額を払うのは難しいよなぁ、というのが正直なところ。僕はこの劇団のハーフタイムシアターが結構好きなんだけれど、赤字じゃぁなぁ。なかなか「もっとやってくれ」とも言えない。

それからもう一つ思うのは、もうちょっと座席ごとの金額設定を細かく分けたらどうなのか、ということ。最前列と20列目が同じ値段と言うのはいかにも解せない。最前列なら15000円、5列目なら10000円、10列目なら5000円、15列目以降なら2000円といった具合に、場所によって細かく価格設定をしたらどうなんだろう。キャラメルボックスの芝居は座席の位置によってかなり受ける印象が異なる。制作サイドはそういう指摘に対して大抵の場合、「後ろから観ると、芝居の全体像が観えて、それはそれで面白いんですよ」ということを言うのだが、それは方便。役者の能力にもよるが、やはり芝居は前で観るに越したことはない。汗が見える、涙が見える、つばが見える位置で見る迫力は、20列で見るそれとは全く異なる。そして、後ろに行けば後ろに行くほど、それは演劇から映画の領域に近くなる。今日は20列目でタダで観たわけだが、僕はこの場所での観劇には2000円でも払うことはない。「じゃぁ、ファンクラブに入るなり、頑張って発売初日にチケットを取れば良いじゃないか」という指摘がありそう。ごもっとも。しかし、それではファン層の拡大にはつながらない。コアなファンの、コアなファンによる、コアなファンのためのキャラメルボックスになるだろう。実際、劇団を取り巻く雰囲気はそういうものになってきている気がする。そして、そのせいもあって、僕なども観にいく機会がだんだん減ってきているのである。既存のファンも大事だが、新しいファンを獲得することも考えてみたらどうなんだろう。それがなかなか難しいことだということは百も承知なのだけれど。

なお、こちらもトラックバックの都合上、製作総指揮の加藤さんのブログにリンクをはっておきます。

ハーフタイムシアター、最高の初日開く!!  続きを読む
Posted by buu2 at 18:10Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

水平線の歩き方

7aed91d3.JPGキャラメルボックスの「水平線の歩き方」を観てきた。ブログライター枠で無料で見たので、20列目、10番という、シアターアプルではほぼ最後尾という、あまり良いとはいえない条件での観劇。

物語は、一人で生きてきたつもりだった青年が、一人で生きていなかったことに気がつくという話で、テーマ自体はそれほど新しいものではない。ポイントはそれをどうやって見せるか、なのだが、この芝居はマザコン青年のドラマとして仕上げているところがちょっとした工夫。そのことはさておき、特に物語の前半、あまりにも説明的なのが気になる。また、母親と主人公の置かれている状況に関するねたばれが早すぎるのはどうかと思う。これはこの劇団の良いところでもあり、悪いところでもあるのだが、観客に対して親切すぎる。謎解きは大体クライマックスと相場が決まっているもの。ラストは、アサミにあたっているスポットが徐々に暗くなると同時に、安部、豊川といった主要登場人物の声がかかり、スポットがあたり、そして照明を一気に明るくして終わり、とか、そういった、照明を使った工夫があったらどうだったのかと思う。この劇団の芝居ではいつも思うのだけれど、照明、下手ではないのだけれど、もっともっと効果的に使えると思う。これは技術的な問題ではなく、演出の問題なのだが。演出サイドに「照明をとことん効果的に使ってやろう」という貪欲さがないのかもしれない。

膝に故障を抱えたラガーマンの話なのだが、杖のつき方などは上手に表現していたと思う。実際に一年以上びっこで、松葉杖との付き合いが長い僕が見ても違和感はなかった。ときどき左脚が悪いのに松葉杖を左側につくというとんでもない演出にぶち当たったりするのだけれど、この芝居はそんなことはなかった。一方、故障の大きさと競技への影響に関する考察についてはイマイチと言えるかもしれない。再起不能の大怪我が初めての靭帯断裂、という設定はかなり違和感がある。靭帯断裂というのは僕もやっているが、決して選手生命が途絶えるような怪我ではない。スキーで見ても、一流どころの選手はほとんど靭帯断裂を経験している。また、サッカーでも珍しくない。ラグビーはサッカーやスキーに比べたら接触の機会は確かに多いが、選手生命が終了というのは大げさだ。

役者では、岡田♂が結構良かったと思う。今までの彼の演技の中では一番印象が良い。もともとひいきの前田さんは今まで通りの存在感なのだが、怪演というほどのはちきれ方がなく、やや型にはまってしまっている印象。今回の役柄なら、もうちょっと外れる演出があったらどうだったのか。

芝居初心者には結構お勧めできるが、芝居を見慣れている人にとってはやや物足りなさがあると思う。しかし、これは劇団のキャラクターでもある。結果的に飽きが早い、ということにつながるのだが(笑)。

評価はトータルで☆2つ。前から7、8列目程度なら4000円払う価値があるが、それより後ろだと、ちょっと厳しい。

と、ここまでは普通のレビュー。しかし、この芝居の評価はここで終わりません。かなり厳しい評価が続きますので、読みたくない人はさようなら。ねたばれを含みますので、ねたばれが嫌な人もサヨウナラ。


なお、トラックバックの都合があるので製作総指揮の加藤さんのブログにリンクをはっておきます。

ハーフタイムシアター、最高の初日開く!!  続きを読む
Posted by buu2 at 15:36Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年05月29日

シアターアプル閉館(;_;)

コマ劇場には別に思いいれ、ないんだけど、シアターアプルはねぇ・・・・・。

新宿コマ劇場、年内で閉館

シアターアプルはなくなり、夢の遊眠社は解散しても、92年11月23日のあのステージの「少年はいつも動かない、世界ばかりが沈んでいくんだ」の名セリフは一生忘れないと思います。  
Posted by buu2 at 15:03Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年05月17日

きみがいた時間 ぼくのいく時間(ただしテレビ)

いつもブロガー招待枠によってただで観ているのだけれど、上川隆也さんが出演するということでチケットが取りづらく、観ることができなかった本作。たまたま夜中にテレビでやっていたので観てみた。

最初に書いておくけれど、芝居というのはあくまでも生で観るべきもの。テレビで観ることを前提として作られていないので、その内容についてテレビを観てあーだこーだ言うのは正当ではない。しかし、公演が終了してすぐにこうやってNHKで放映するのは、大河ドラマに出演していた上川さんの影響がなかったとは言えず、また制作がNHKだったことから、それなりにお金もかかっていることが予想され、多分に営業的側面があり、「テレビで放映することによって批判されることを念頭に入れたコンテンツである」と判断した。

さて、本作はここ数年キャラメルボックスがはまっている梶尾真治さんの短編小説シリーズ「クロノス・ジョウンターの伝説」が原作。キャラメルボックスはこのシリーズ作品を「日本のSF史に残る傑作」などと評しているのだけれど、とんでもない。突っ込みどころ満載で考証が甘い、かなりトンデモ系の作品である。そうした原作を使っているので、本作の内容もかなりいけてない。「タイムマシンの製作」という部分を非常に軽く扱っているのは良いとして、何よりその性能や与える影響についての考え方が非常にご都合主義。例えば、時間旅行については物語にとって都合の良い影響(カメオが消えてなくなるとか)だけがクローズアップされ、都合の悪い影響についてはスルーする。それでいて「バタフライ効果だ」などとそれっぽいキーワードを盛り込んだりするものだから、浅はかさが助長されてしまう。つじつまが合わないところは山ほどあって、例えば、伏線として盛り込まれていたいくつかの事象が発生している以上、前半で描かれていた部分は「時間旅行」の成功が前提になっているのだから、後半で「時間旅行の影響で世界が変わってしまう」ということ自体がおかしい。こうした詰めの甘さが観ているそばから「どっちらけ感を醸成してしまう。科学的にも突っ込みどころ満載で、人物描写的にも浅く、一口に言ってしまうと「つまらない」内容である。何かそんなものを観たよなぁ、と思い返すと、「日本沈没」であり、「クロサギ」である。

さて、こうした駄目な原作を、原作モノが苦手な成井豊さんが脚本化するのだから、物語として面白いものになるはずがない。とにかく説明的で(わざわざ説明をする狂言回し役がいるくらいに説明的)、見え見え過ぎてとても伏線とは言えないような伏線を張り、登場人物たちはいつもと変わらない役柄をこなしている。どうしてこの劇団はこうやって同じ役者に同じような役をやらせるのかなぁと不思議で仕方がないのだけれど、西川浩幸さん、坂口理恵さん、岡内美喜子さんといったベテラン、中堅どころはデ・ジャヴュかと思うような、いつかどこかで観たような芝居を展開する。

さらに、これはテレビで観たから余計に強く感じるのだろうが、とにかく怒鳴る演技が多い。これも成井さんの演出の特徴なのだが、緩急がなくて(正確には緩急はあるのだけれど、それがアナログではなくデジタル。「普通」と「強」しかなく、その中間が全くない)とにかく押し付けるように台詞をしゃべる。テレビでは生の臨場感とかがなく、第三者的な視点で観てしまうので、その「空回り感」が一層強くなる。あぁ、また怒鳴っているよ、というような。

そうした中、光っていたのはやはり上川さん。30代前半から70代までの男性をほとんど小道具を使わずに(杖は使ったけれど)、喋りで演じ分けていたのはなかなかに大したもの。彼にだけは緩急がきちんと存在していて、他の役者とは全く違う次元での表現力があることがわかる。もちろん、西川さんや坂口さんにもそうした表現力はあるのかもしれないが、それが演出の悪さによって顕在化しないのか、そもそも能力がないのか、そのあたりはわからない。とにかく、上川さんの演技はさすがと思わせるところがあった。その他で良かったのは完全な脇役、チョイ役だけれど、青山千洋さんだろうか。最近彼女は体を張った演技が多いのだけれど、本作でもそういった役どころ。それをきっちりとこなしていた。上にも書いたように成井さんの演出は同じ役者に同じような役ということを続けるのが特徴なのだけれど、彼女にはもうちょっと違う役を演じさせたらどうなんだろう。

客演でヒロインを演じた西山繭子さんについてはその実力のほどは不明。というのは、観たのがテレビだから。ただ、テレビで観ている範囲では標準的なところだったと思う。少なくとも、舞台の雰囲気を壊してしまうということはなかった。しかし、こう言っては失礼かもしれないけれど、西山繭子さんの登用によって営業的に大きなプラスがあったとは思えず、「それならなぜ劇団内でヒロインを配役できないの?」と思ってしまう。

シナリオのつめが甘く、展開がステレオタイプ。怒鳴るばかりで迫力もない。これといった深い人物描写もないままに恋人のために人生を投げ打って過去にすっ飛んで行ってしまう(大体いつも過去に行く人は舞台上の登場人物とだけしか人間関係がない、かなり特殊な人たちばかり)ので、感情移入も出来ない。おかげで科学的考証の甘さとか、演出のマズいところばかりに目が行ってしまう。かなりとほほな感じで、タダなら良いけどお金を払って観るのはちょっとなぁ、というのが正直なところ。  
Posted by buu2 at 10:08Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年05月02日

空中ブランコ

070c1c32.JPG
宮迫博之、佐藤江梨子の競演で空中ブランコ。これは面白いかな?と思って、ちょっと高いけれど行ってみた。場所は池袋の東京芸術劇場・中ホール。

うーーーん、どうですかね、原作の方が大分面白いかな。

宮迫さんは初見ですけど、結構良い感じで伊良部を演じていたと思う。問題は脚本の方にあると思うのですね。何故かって、伊良部の活躍が今一歩だから。芝居だから、どうしたって主役以外の登場人物にも色々厚みを持たせなくちゃならなくて、おかげで主人公の伊良部の濃さが薄くなってしまうのは仕方ないんだけれど、それにしても脇役化が著しいというか、主役が完全に伊良部じゃなくなっちゃってるんですね。そういう脇役での伊良部ももちろん悪くはないんだけれど、「奥田の空中ブランコ」となって、主役が宮迫さんっていうのなら、嫌が上でも期待してしまうわけで。その期待を悪い意味で裏切られてしまったかな、という感じ。別に宮迫さんが下手なんじゃないんです。そこがまたもったいない。あとね、やっぱ、伊良部はデブじゃなくちゃね。確かに上半身裸になったときのしまりのない体は「ちょこっとデブ」って雰囲気がないわけじゃない。でも、あれじゃぁ駄目でしょ。どうせなら役作りのためにあと30キロは太って欲しかった。

佐藤江梨子さんは逆に、存在感がありすぎ(笑)。原作のマユミの良さは何もしないんだけど露出に目が行ってしまう、というところだと思うんだけれど、舞台では露出は抑え目、そのくせ色々活躍しちゃうので存在感はある、という感じ。こちらは原作のキャラをいじりすぎてしまって味をなくしてしまった感じがする。

と、メインの二人はこんな感じでちょっと演出、脚本上のマイナスが目立ったんだけれど、一方で演劇としてのストーリーはなかなかだったと思う。サーカスの中でのやり取りがかなりきちんと描かれていたので、物語が破綻しない。原作を読んでない人、原作のファンではない人には親切なつくりだったと思う。

が、それより何よりいただけなかったのは、この舞台のスピーカー設定。芝居の素人を揃えたにも関わらず箱が大きい、というのが理由なのかも知れないのだけれど、この芝居はマイク利用の芝居。マイク利用の芝居を一概に駄目だと切り捨てる気はないのだけれど、それがスピーカーを通して再現されたとき、音像が滅茶苦茶なのである。目をつぶって音だけを聞いていると、とんでもない方向から台詞が聞こえてくる。しゃべっている人は舞台の中央にいるのに、台詞は舞台の左端から聞こえてきてしまう。もちろんこれは座席の場所によるのだろうけれど(今回の僕の座席は前から10列目、ややサイド寄り)、じゃぁ、どの場所でこの芝居を観れば良かったのか、ということになる。結局、最初から最後まで、この違和感はなくならなかった。それならもうちょっと小さい箱で、マイクなしでやれば良いのになぁ、と思うのだけれど、出演者のギャラを考えるとそれは無理なのかもしれない。でもね、あの箱でマイクナシでやれないってことは、やっぱり役者としてそれだけの能力がないってこと。そういう役者に対してあれだけのお金を払ってしまう観客がいるから悪い、ということになる。そして、もちろん僕もその芝居にお金を払ってしまったのだけれど。やはり、芝居の人間じゃない人が大きな箱でやる芝居というのは、なかなか難しいところがあると感じた次第。

そして、最後に。あのラスト。ラストは、やっぱり伊良部が飛ばなくちゃ駄目でしょう。あの演出方法なら、伊良部だって飛べたはず。

ということで、評価は☆1つ半。  
Posted by buu2 at 21:56Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年04月23日

どん底(二回目)

6927de15.jpg文化村でやっているケラの「どん底」、二回目を観てきた。

なるほど、一回目とこうも印象が変わる舞台も珍しい。印象が変わった理由は、

1.観た場所
一回目は三列目の一番はじっこ。今回は10列目の真ん中。前回は前過ぎて見切れちゃったところがあったり、手前にいる役者さんにどうしても目が行ってしまって、全体を把握できなかった。また、スピーカーのそばすぎて、音像が結びにくかったこともあるかもしれない。二回目のオープニングでは「こんなに色々音が盛り込まれていたんだ」と驚いた。

2.芝居の熟成度
もともとかなり熟成度は高かったのだが、やはりきちんと息が合ってきていた。プロデュース公演なので、そこはいつも一緒にやっている劇団公演とは違う。以前は微妙にちぐはぐなところがあった気がしたのだが、今回はそういったところがほとんど見受けられなかった。

3.観る側の熟成度
まだ、観る側のレベルはやる側のレベルに追いついていない。追いついていないのだが、それでも前回に比べるとはるかに良い。笑っていいところ、笑うべきところでそこそこ笑いが生じていた。前回は「え?この芝居で、ここで笑って良いの?」という手探り感が非常に強かったのだけれど、それが随分緩和されていた。

といったことろか。こうして最初に列挙した一回目と二回目の違いからも類推できると思うのだが、二回目の舞台は非常に出来が良かった。これまで僕が観た「どん底」では、トップに位置すると思う。途中で出てきて途中でいなくなってしまう段田安則の演技はいつもながらに安定していて素晴らしい。犬山イヌコが上手なのはもちろんだが、緒川たまき、荻野目慶子の姉妹も良い味を出していた。江口洋介を舞台で観たのは初めてかもしれないが、彼も丁寧な演技をしていたし、他の出演者達もあまり隙がない。

全体の構成がわかっていたので、途中に配置された伏線も良くわかった。一回目では良くわからなかった大家の死ぬシーンも、誰が殺したのかをチェックできた。

ラインティングを含めた舞台美術はさすがに文化村の公演。素晴らしかったと思う。

ということで、前回の評価は☆2つ半だったけれど、今回は☆3つ。これなら9000円でも惜しくない。27日まで。チケットはこちらでどうぞ。  
Posted by buu2 at 23:04Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年04月11日

野田地図 NODA・MAP ウェブサイトリニューアル

あたり、はずれはもちろんあるものの、結局自分はここに戻ってきちゃうんだよな、という野田ワールド。考えてみれば、なんとなくぴあの優先予約で夢の遊眠社を見つけて、どうという理由もなくフラッとチケットを取ろうと思い立ち、電話をしてみたらなぜかワンコールでつながってしまい、そこで取ったチケットが一列目のど真ん中。そこでど迫力の芝居を観てしまったのが僕の演劇鑑賞の一番最初だった。昔はチケットが取りやすかった、などということはきっとなかっただろうから、やはり運命の出会いみたいなものなんだろう。通い続けているうちに贔屓の役者さんができて、どういうわけか役者さんから連絡をもらい、どういうわけか良い席のチケットを売ってもらえるようになり、劇団が解散してからも元劇団員の人の芝居はつらつら観に行ったりしているわけだ。

さて、そんな野田地図が北村プロデューサーの手から離れたのが今年。どういう活躍を見せてくれるのかな、と楽しみにしているのだけれど、その第一弾というか、なんというか、野田地図のウェブサイトがリニューアルした。このサイト、デザインやシステム面はともかくとしてコンテンツが良い。特にポイントが高いのはコラムの「当日パンフレット」というコンテンツ。野田氏が書いてきたコラムが掲載されている。僕はここ数年、パンフレットと言うものを買わなくなってしまった。コラムは読みたいのだけれど、コラムだけのためにお金を払うのはちょっと、という気分だったのだ。写真には別に興味がないし、役者さんにも特段の興味はない。芝居を観てもその余韻はパンフレットに頼らずとも楽しむことができる。じゃぁ、いらないじゃん、と思っていたのである。

そういうわけで、しばらく野田氏の演劇関連コラムは読む機会がなかったのだ。ありがたや、ありがたや。

野田地図  
Posted by buu2 at 14:09Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年04月08日

どん底

8f5f3200.JPG日本人が大好きなゴーリキーの「どん底」を豪華メンバーでやってみようというこの企画。演出はケラ。さて、どんな感じになるのかな、と楽しみにしていたわけだけれど、なかなかに面白かった。ただ、価格(9000円)相応かというと正直微妙。僕自身は前から3列目という特等席で観てきたので、特に不満はなかったのだけれど、シアターコクーンの後ろのほうでこの価格だとちょっと、という気持ちになりそう。このあたりがシアターコクーンの難しいところ。

芝居は全体の流れは原作そのままに、乾いた、ちょっとした笑いをいろいろと盛り込んだ前半。そしてややシリアスに、というか、どん底の雰囲気を比較的そのままに再現した後半、という感じ。

役者さんたちは上手な人たちがそろっているので、安心して観ていられる。逆に言えば柱になる人がいなくて、群像劇そのままになっているのだけれど、これは当たり前といえば当たり前。主役のはずの段田さんが出てくるまでに凄い時間がかかった(笑)。

公演が始まってすぐということもあって、まだ観客も「ここは笑うところなのかなぁ」と考えているところがあるみたい。おかげでまだ舞台と観客との一体感がなくて、双方に戸惑いがあるような印象。4月半ばくらいになるとまた違った状況になってくるかもしれない。

評価は後半への期待も含め、☆2つ半といったところ。  
Posted by buu2 at 13:59Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年04月07日

(紙の上の)ユグドラシル(二回目)

夜はシアターコクーンで「どん底」を観るんだけれど、なぜかその昼間に表参道で「(紙の上の)ユグドラシル」を観た(笑)。しかも、二回目である(笑)。

そんなに凄く気に入ったんですか?と思われそうだけれど、正直に言えばそうではない。実は、最初に4日のチケットをとったんだけれど、良く考えてみたらその日はスキーの大会の前日。僕は大会の前日は必ずスキー場に入っていることにしているので(交通事情などで大会に間に合わないとかがあると困るから)、「芝居を観てから車で野辺山まで行くのは大変だよなぁ」と思い、7日のチケットを取ることにしたのである。この公演、4日スタートで7日のマチネで終了と言うスピード公演なのだ。それで、7日の千秋楽公演のチケットを確保したので、4日の分を知り合いに譲ったんだけれど、その知り合いが一緒に行く人からキャンセルを食らってしまい、結局僕が4日も行くことになった、と。

でも、この芝居は二回観て良かった。前回レビューで書いたようにかなりてんこ盛りの内容だったので、一回目はどうしても手元の人物相関図をチラチラ観ながらの観劇となってしまった。さすがに二回目なので物語の構造とか、きちんとわかっていて、手元のカンペーにお世話にならずにしっかりと観ることができた。そうして落ち着いてみると、前回は見えてこなかった部分とかも色々見えたりして。悪役だと思っていたロキはそれほど悪役じゃなかったりとか。この内容、この演出で、たった7、8回で終わってしまうのはちょっともったいない気もする。しかしまぁ、そういう苦しいところが演劇界の現状なんだろうねぇ。  
Posted by buu2 at 18:15Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年04月04日

(紙の上の)ユグドラシル

97bce0b6.JPG「そろそろ新しい贔屓劇団を見つけようじゃないか」シリーズの一環でinnerchildの『(紙の上の)ユグドラシル』を観てきた。

もちろん、めくら滅法に観にいく演劇を決めているわけじゃなくて、今回は大内厚雄さんと石村みかさんが出演しているから。青山円形劇場という特殊かつ小さな舞台の面白さ、実力派をそろえた役者陣ということで、それなりの質は担保されているかな、と思ったわけだ。

それで、結論から言うとアタリだった。やはり、役者の質というのは舞台の質に大きな影響を及ぼす。小さな箱なら多少能力が低い役者でもそれなりに楽しめる、というのが僕の持論ではあるのだけれど、小さな箱で能力の高い役者が出演すれば当然のことながら舞台の質は高くなる。今回の芝居はストーリー的にはかなり盛り込みすぎの部分があり、それでいて複数の時代に散りばめられた重層的な世界同士の関わりが結果的にあまり干渉しあわないという、「いまひとつ役に立たない伏線の張りすぎ」的な状態になってしまっているのが非常に残念なのだけれど、そうしたストーリーの拡散具合(決して複雑なのではない。このあたりが重要)を補ってあまりある役者達の存在感だった。

大内さんが安定した演技をしているのはいつものことだけれど、それに加えて武智健二さんの悪役っぷりがなかなか良い。上杉祥三や唐沢寿明のような顔つきだけでかなりアピールできるのだが、加えて声も動きも切れがある。脇役っぽく見せておいて実は一番オイシイところを持っていっている小手伸也さんと菊岡理紗さんも存在感がある。というか、存在感がありすぎで、ちょっとナルシストに見えてしまうくらいなのだけれど。物語の中軸になる石村さんもかなり安定していたと思う。役者の質が高いところで『完全』に統一されているかと言うとそうとも言い切れないのだけれど、それはこの価格なんだから仕方ない。シアターコクーンで9000円でやるどん底とは全然違うのだ。主要な登場人物がかなり高いレベルで舞台を引っ張っているので、非常にまとまりが良く見える。

舞台自体は緩急を取り混ぜた演出で、ちょっと野田秀樹の影響のようなものを感じないでもない。考えてみれば演出をやっている小手伸也さんは『オイル』や『透明人間の蒸気』で野田作品に出演しているわけで、その影響を受けていても全然不思議じゃないのだけれど。特にオープニングのところでのスローモーションの多用は凄く格好が良い。

また、複数の登場人物が同時に声を合わせて同じ台詞を喋るのを多用するのは第三舞台っぽいのだけれど、驚いたのはその台詞が非常に聞き取りやすいと言うこと。第三舞台の芝居では声があってないのか、中心になる声がしっかりしていないのか、理由はわからないけれど何を言っているのかわからないことが多かった。今日はそんなことは全然なくて、結構感心した。そうか、見せ方によってはこういうことってできるんだなぁ、と感じた次第。

ところで、青山円形の舞台は名前の通り、ど真ん中に円形の舞台があって、それを観客がぐるっと囲むような構造になっている。今回はその円形の舞台の真ん中にかなり背の高い構造物が配置されていた。おかげでその向こう側で何かが行われていると、こちらからは声しか聞こえないという状態になった。そこの部分は観客の想像力で補ってくれ、ということなんだろう。僕が観たCブロックは一番良い場所だったようで、ラストの重要なシーンで主要な登場人物二人を正面から観ることができるポジションだった。それはそれで良いのだが「向こう側からじゃ、この二人の様子が全然わからないんじゃないかなぁ」と心配になった。余計なお世話だけど(笑)。

他に気になったことといえば、上にも書いたけれどかなりストーリーが拡散していて、手元に登場人物の相関図がないと何がなんだかわからなくなってしまいそう、ということがある。きっちりと時間軸どおりに並べてしまうという手もあったかもしれないのだが、そうすると後半に向けたつながりがうまく行かなくなってしまう。それで手元に「相関図」を配るという手段を講じたのだと思うのだけれど、衣装とか、舞台装置などでもうちょっとわかりやすく「今、どの時代を観ているのか」を直感的にわかるようにしてくれたら良かった(もちろん演技でそれが直感的にわかれば一番なんだけれど)のになぁと思わないでもない。観客席が明るかったおかげで相関図はいつでも確認することができたから、実害はなかったのだけれど。

この手の芝居としてはあまりに格好良すぎるオープニングと、ラストのあたりで「ちょっと格好つけすぎじゃないかなー(笑)」と思ってしまうところがなかったとは言えないのだけれど、劇団10周年記念公演ということなので(笑)。

評価は☆2つ半。月曜日にもう一度観にいきます。  
Posted by buu2 at 23:26Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年02月07日

野田秀樹氏のシス・カンパニーからの離脱を歓迎する

このブログでは散々シス・カンパニーの北村社長のプロデュースについて悪口を書いてきたのだけれど、ようやく先月をもって野田秀樹氏がシス・カンパニーを離れることになった。

ZAKZAKの「大竹しのぶ「野田さん辞めるなら」エイベックス移籍か」という記事によると

その理由についてある舞台スタッフは「メジャー作品を軸にプロデュースしてきた社長と、時折マイナー作品もやりたがる野田さんの間で、方向性の違いが広がっていた」と指摘する。


とのこと。キルを観た時の劇評では

実際、野田秀樹氏は、劇団という枠が取り払われて、その可能性を大きくひろげ、そして自分の潜在能力を顕在化することに成功したと思う。それが初演のキルであり、赤鬼であり、農業少女であり、研辰の討たれであり、ロープだったと思う。しかし、その一方で首を傾げたくなるような作品も増えたと思う。そして、そのほとんどは役者に足を引っ張られているケース(一部は箱に原因があると思う)だと思う。

解散直後に演じた「キル」が傑作だったことが、劇団解散をファンに納得させることに一役買ったことは間違いない。しかし、初演から約15年経って、その作品がこんな形で再演されてしまったことは皮肉であるとしか言いようがない。

野田さん、劇団を解散してまでやりたかったのは、本当にこれですか?


と書いたわけだけど、上のZAKZAKの記事をそのまま信用すれば、野田秀樹氏自身も「これはちょっとやりたいことと違う」と感じていたようである。

メジャー志向作品の中に「ロープ」や初演の「キル」のような傑作があったことも確かだが、メジャー志向作品の中にハズレが多かったのも間違いない。北村体制から離れた野田地図が今後どういった展開を見せていくのかは現時点ではさっぱりわからないのだけれど、今後に対する期待感は高まるばかりである。  
Posted by buu2 at 23:10Comments(2)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年02月06日

路地裏の優しい猫

0fbe517c.jpg赤坂レッドシアターでやっていた「路地裏の優しい猫」を鑑賞。

最近のキャラメルボックスはハズレばかりですっかり観る気がなくなってしまった。しかし、大内厚雄さんはコンスタントに良い演技をしているので、「じゃぁちょっと大内さんを観にいってこようかな」と思ってチケットを買ったのがこの舞台。

結論から言えばまぁハズレ(笑)。

もう、冒頭の猫のダンスのところで個人的にはアウツ。芝居にダンスシーンがあっても別に構わないし、導入でそれをやってももちろん構わないとは思うのだけれど、まず踊りが下手。上手な人もいるんだけど、その数が過半数を超えないのでバラバラな印象。加えて、アッシ(宮地真緒さん)の歌の歌唱力がいまひとつ。カツゼツも悪く、英語の歌は何を言っているのか正直良くわからない。いや、これはカツゼツじゃなくて発音の問題もあるのかもしれないけれど。最初、フランス語かと思った(汗)。

あんまり色々書いても可哀想なんだけど、この舞台の一番のポイントになるアッシさんは歌に限らずどうにも実力不足。熱演はしているんだろうけれど、空回りというか、力が入りすぎというか。小さい箱なんだから、そこまで力を入れなくてもと思うのだけれど、つまりはまだ八分目の演技というのができなくて、いつも100%で余裕がない。余裕がないのが見えちゃうから、観ている方が引いちゃう。狂言回しの重要な役なので、もうちょっとなんとか、と思わないでもない。

それから、シャボンさんもイマイチ。無邪気さはある程度表現できても悲しみが表現できない。良い場面で空々しくなってしまうのが残念。

結構頑張っていたのは後妻役の人。演技にも余裕があるし、声も通るし、ダンスも上手。それと、意外と(って書いてしまっては申し訳ないけれど(笑))黒川さんも頑張っていたと思う。どうもハルカの妹っていうイメージが強くて、テレビは良いけど、舞台はどうなの?みたいな気持ちで考えていたんだけれど、実際はなかなかどうして、頑張っていたと思う。

しかしまぁ、女優陣は「もうちょっとがんばりましょう」という感じだったのだけれど、男優の方はなかなか。贔屓の大内さんは相変わらず安定して良い演技をしているし、それを支える周りの役者さん達もなかなか頑張っている人が多かった。

ということで、結果的に男たちの魅力のある芝居の間にちょっと力不足の女たちの芝居が挟まる、という構成になってしまい、しかもその女たちの芝居がストーリー上それなりに存在感があったものだから、全体的にイマイチ感の強いものになってしまった。猫の世界の話はなかった方がずっと良かったと思う。が、それじゃぁ演劇が成り立たなくなってしまうし(笑)。なんかね、もう、動きが全然猫っぽくないんですよ。猫の真似をした人間なの。これが致命的。

ストーリー的には不もなく可もなく。特に変わった趣向もなく、演劇ならではの展開もない。どうせならもうちょっと過去と現在を行ったり来たりした方が面白みが出た気もするのだけれど、そのあたりはまぁ人それぞれかな。先妻との別れがかなりあっさりしていて、それはそれでちょっと拍子抜けでもない。あのあたりをもっとしっかり書き込めば、また別の印象になったと思うのだけれど。

うーーーん、うーーーん、☆半分。かなりバランスが悪い感じ。女優さんたちはみんな可愛いんだけどね(笑)。

11日まで。9日、10日のチケットはまだ少し残っているようです。箱は小さいので、席が悪くてもそれなりに楽しめる(声が届かないとか、表情が見えないとか、そういうことはない、という意味で)と思います。  
Posted by buu2 at 00:30Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2008年01月07日

第7回朝日舞台芸術賞

朝日舞台芸術賞のグランプリにTHE BEEが選出された

日本バージョン、ロンドンバージョンの二つで受賞と言う形を取っているが、実際、この作品は日本バージョン、ロンドンバージョンの二つを並べて観ることによって、その意図するところがより明確になる性質を持っていた。一つだけでも十分にアピールするのだけれど、違う方向から光を当てることによってそれぞれの意図するところがよりはっきりするという仕掛け。

ロンドンバージョンは日本では無名の役者さんを使っていたからだろうか(ハリポタとかにも出ていましたけどね)、世田谷パブリックシアター/シアタートラムという決して大きくない箱にも関わらず、空席がちらほら目に付く状態だった。有名俳優が出演すればシアターコクーンだろうが新国立だろうが満員御礼、場合によっては立ち見まで出る野田地図公演なので、「あれ?」という感じだった。野田秀樹氏自身もその手ごたえのなさを意外に感じていた様子で、カーテンコールでは「まだチケットがありますので、観に来てください」と宣伝していたくらいである。やはりなんだかんだ言っても日本の観客というのは芝居を観に来るのではなく役者を、それも、テレビで活躍している役者を観に来ているんだろうなぁ、と感じたわけだけれど、それはそれ。日本バージョンとロンドンバージョンを並べて観た人がどの程度いたのかはわからないのだけれど、生ものである芝居をあとになって「良かったらしいよ」と言われてももうどうにもならないわけで、グランプリを獲るような芝居をきちんとチェックしてあったのは去年のヒットだったかも知れない。

しかしまぁ、これからグランプリの記念公演をやるわけにもいかず、別の面子でやればそれはそれで別の舞台になってしまうこともあり、この手の演劇賞っていうのは何のためかといえば少なくとも観客のためではない。やはり受賞した当事者のモチベーションの維持のためなんだろう。そういう意味では野田秀樹さんはおめでとうございます。賞金は200万円。

野田公演の、野田地図以来の特性として「小規模公演、番外公演が高く評価される」というものがある。「し」しかり、「赤鬼」しかり、「Right Eye」しかり、「農業少女」しかり、そして、THE BEEである。小さい劇場での公演はほぼ百発百中。

一方でシアターコクーンや新国立(厳密にはこれは新国立の公演であって、野田地図公演ではないのだが)でやったものはハズレが多い。特にこれらの劇場で上演される再演ものはほぼ百発百ハズレである。それは、作や演出に問題があるのではなく、プロデュースに問題があるのは明白である。今やっている「キル」も、主演二人の能力不足でグダグダになってしまっているのはこのブログでも書いたとおり

ただ、世の中のブログの記事などを読んでいると、このグダグダな駄目芝居を絶賛している人が少なからずいるわけで、それはそれで「へぇ(苦笑)」とは思うけれど、「こいつら馬鹿じゃないの(爆笑)?」とは思わない。なぜかといえば、キルの主演の二人の演技は単に射程距離が短いだけの話で、5列目ぐらいより前で観ればきっとそれなりに楽しめると思うからだ。また、「妻夫木君大好き〜」とか、「広末ちゃん大好き〜」と目がハートになっている人たちであれば二階席からオペラグラスで観ているだけでも満足できるのかもしれない。チケットゲットに全力を注ぐほどでもなく、妻夫木君や広末ちゃんを観たいわけでもないごくごく普通の演劇ファンであっても、やはりその多くは「野田秀樹って面白いねぇ」という感想を持つのかもしれない。置いてきぼりを食うのは、野田秀樹の本当の実力を知っている昔からの演劇ファン、それでいてチケットを取るのに注力するほどの情熱はない人だけ、と言うことなのかもしれないが、THE BEEロンドンバージョンに足を運ぶ客が少なかったことを考えれば、その手の観客と言うのは意外と少ないのかも知れない。

野田地図の北村プロデューサーの戦略というのは以前から明確である。舞台に立つ(←これ、重要)役者としての能力はイマイチだけれど、人気はあって動員力を期待できる客寄せパンダを前面に出した公演を大きな箱でやって従業員の給料を払う。その一方で昔からのファンや評論家に向けては小さい箱を使ってきちんとしたものを提供する。価値観の多様化に対応して提供するものも色々変えていくということである。以前は「遊眠社のファン」だけを的にしておいたわけだが、劇団を解散して的のバリエーションを増やした。

芝居を観る側は「的」なので、いつだって「ちゃんとオレに当ててくれ」と思うけれど、射るほうは「いや、今回はこちらを標的にしたいので」ということでそっぽを向いてしまうかも知れない。射手がどちらを向いているのかが的からはわからないことが最大の問題点ではあるものの、観てみて「あぁ、自分は的じゃなかったのか」と初めて気付かされるというのは、これはもうどうしようもないリスクなのかも知れない。

今回の受賞を知って、「観ておけば良かった!」と思っている人も結構いるかもしれない。でもね、これを観ていたというのは決して運ではないんですよ。これを観ていた背後には、随分と色々な投資があるわけです。それに、評論家が評価したからって、だからどうした、ってこともありますよね。評論家が評価したから良い演劇だったのかって言えば、そうとは限らないわけで。あぁ、僕がこう評価した芝居を、評論家と言われる人たちはこう評価するのか、という、自分の立ち位置の明確化。実際のところはこの程度の意味しかないわけです。何にしても、自分がその芝居を観ていなければ何の役にも立たないわけで、「やっぱり、芝居はそこで観ないとね」と思うわけです。

ということで、評論家の皆さんが評価した芝居を自分はどう評価していたのか、ちょっと読み直してみました。あー、ブログって便利だなぁ。

日本バージョン感想
ロンドンバージョン感想  
Posted by buu2 at 11:33Comments(0)TrackBack(2)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2007年12月30日

どん底

134b46ac.jpg来年、段田さん主演でどん底があるわけですが、その前に下町ダニーローズ第8回公演「どん底〜化け物達の晩餐会」というのがあって、観てきました。

なんか、色々チェックしている一環のように見えますけれど、僕はもう小劇場系の演劇ってすっかりご無沙汰でして、遊眠社、第三舞台、第三エロチカ、自転車キンクリート、全自動シアター、離風霊船あたりが解散やら何やらで定期公演をきちんとうたなくなってからは紀伊国屋ホールにしても本多劇場にしてもスズナリにしてもすっかりご無沙汰です。すっかり保守的になって、野田地図とか、キャラメル・ボックスなどのそこそこ安心して観ることができるものが観劇対象の中心なわけですね。

それで、なんで突然「下町ダニーローズなんですか?」って、いや、この劇団名すら知りませんでした(笑)。どうして観る気になったかって、昔大好きで録画してまで観ていた「ウルトラマン・ネクサス」でヒロイン役で出ていたお姉さんの五藤圭子さんがブログで「出ますー」って書いていたから(笑)。いやぁ、ブログでのプロモーションと言うのもやっぱり効果、ありますね。少なくとも観客が二人増えました。

それで、観てきました、どん底。原作はゴーリキーですが、僕は古典戯曲をあまり知らないので、もちろんこれも良く知りません(笑)。

でね、結論から言うと、3500円の今回の演劇の方が9500円の野田地図のキルよりもずっと面白かったです。

いや、正直、役者さんの個々の実力を比較したら、そりゃやっぱり野田地図の方が上ですよ。野田、勝村、高田の演技の方がずっと素晴らしいし、美術とか、衣装とか、照明とか、音楽とか、一つ一つはどこをとっても野田地図の方が上。でも、演劇としての完成度はこちらの方が上だったな。なぜかといえば、箱が小さいから。役者さんたちの力量が不足していたとしても、箱が小さいからちゃんと一番後ろの席まで芝居が届くんですね。僕は今日は後ろから2列目だったかな?前から5列目ぐらいのところで観ていましたが、全然問題なし。声も届くし、表情もわかる。演技がきちんと伝わってくるんですね。演劇で一番重要なのはこれ。野田地図が今やっているキルは、これが後ろまで届かない。もちろん、キルだって前から3列目とかで観ていれば全然問題なく楽しめるんだろうけれど、ちょっと後ろになってしまったらもう駄目。ところが、今日の芝居は観ている人ほぼ全員にきちんと同じように届いているんですね。これこそが小劇場の良さのはず。

「汗が飛んでくる」「つばが飛んでくる」というパワフルな芝居ではなかったけれど、役者さんたちそれぞれがきちんと自分の個性を発揮していて、なかなかに楽しめたと思います。少なくとも3500円の価値はありました。台詞重視の芝居の中でやや舌滑の点で問題がある部分もあったとは思うけれど、十分に許容範囲。あと、折角色々と手を加えているのだから、もうちょっと前半で笑わせてくれても良いかな、と思ったんですが、このあたりは人それぞれでしょうね。僕とかだと、もうちょっと前半と後半で落差があっても良いかな、とかは思いますが。

五藤さんは自分のブログで「出番はちょっとしかなくて、なんかずっと不機嫌な顔をしている役なんですが‥」と書いていましたが、僕が思ったよりもずっと出番も多かったし、不機嫌な顔じゃないシーンもあったと思います。貞子さんの方がずっと出番がなくて、不憫な役だったと思うし、ロリィタ族。さんみたいにイッチャう役でもなくて、安心して観ていられました。大体、「不機嫌な顔をしている」のは五藤さんだけじゃなくて、ほぼ全出演者ですよね。

どうでも良い話ですが、ロビーに練習風景(ゲネプロのときに撮ったものが中心だったのかな?)の写真があったんですが、貞子さんをやっていた原田果奈さんがなかなか可愛らしくてびっくりしました(笑)。あれはちょっと、いや、かなり役柄で損をしてますね(笑)。もちろん五藤さんの写真が一番良かったですけどね(笑)。

ということで、演劇の評価は☆2つ、と言いたいところですが、五藤さんにおまけして☆2つ半。

芝居のあと、差し入れでキビダンゴを置いてきました。なぜキビダンゴなのかは舞台を観てのお楽しみ。というのは嘘で(笑)、先日、岡山の大学で講義をしてきた帰りにお土産で買ってきたものです。五藤さんは広島出身なので、あんまり関係ないのですが、東京の人間から見ればほぼ一緒、みたいな。代わりにサイン入りの生写真をいただきました。サインしてくれるなら、ネクサスのDVDを持っていって、そちらにもサインしてもらえば良かったな(^^  
Posted by buu2 at 00:34Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2007年12月28日

朝日新聞の山口宏子編集委員には大笑い

28日の朝日新聞夕刊にキルの劇評が掲載されていたわけだけれど、いわく、

初舞台の妻夫木は、前半の無邪気さと、中盤以降の勢力拡大しか考えない憑かれたような形相との対比が鮮やかでスケールが大きい


だって。

「スケールが大きい」

笑った。  
Posted by buu2 at 23:23Comments(0)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集

2007年12月09日

野田地図第13回公演「キル」

032a12a4.JPG
以下、超ネタばれ感想。

ここ数年、僕がほぼ欠かさずに見ているのは野田地図の芝居とキャラメルボックスの芝居。しかし、キャラメルボックスはここ2年ほど、当たりハズレの波が大きく(というか、ほとんどハズレ寄り)、お金を払って見るケースがあまりない。ほとんど全てタダで見に行っているし、先日はタダで、時間もあったのに見なかった。野田地図はというと「ロープ」とか「THE BEE」とかはなかなかで、「なんだかんだ言っても、日本の演劇を引っ張って行っているのは野田秀樹なんだなぁ」と思っている。今日はその第13回公演「キル」を見てきた。

「キル」は、野田秀樹が夢の遊眠社を解散して、第一回の公演で新作として上演したもの。最初の舞台が94年で、このときのキャストは堤真一、羽野晶紀、渡辺いっけい。このブログで散々野田秀樹の舞台の作り方については言及しているけれど、野田秀樹は三谷幸喜と並んで日本を代表する「あてがき」作家。なので、キルはこの3人でなければベストにはならない。97年の第二回公演では主役の堤真一はそのままに、深津絵里、古田新太を配しての舞台となったが、深津絵里が能力不足という感じで、舞台をやや壊してしまった。しかし、深津絵里は農業少女で素晴らしい演技を見せているので、やはり羽野の役をこなすことができなかったというか、羽野のための役にはどうしてもフィットしなかったということだと思う。今回は10年振りの再々演ということで配役を一新しての上演だった。ちなみに僕は初演、再演ともに生で2回ずつ見ている。

この「配役を一新しての上演」というのは上にも書いた「あてがき」という部分からして大きな冒険になる。野田秀樹の作・演出の最大の特徴は、「役者の良さ、魅力を最大限に引き出す」という部分で、その才能は初演だろうが再演だろうが当然発揮されるのだけれど、どうしても再演の場合は制約が大きくなる。夢の遊眠社という枠組みの中での再演ではそれでもある程度の質が確保できていたのだけれど、野田地図になってからは「再演はまず間違いなく劣化バージョン」という印象が強い。そういう事情があって、今回の舞台は正直あまり期待していなかった。

さて、見た結果であるが、もう、舞台の第一声から「あぁ、やっぱり駄目だった」というのが正直な感想。何といってもまず妻夫木聡が全然駄目である。テレビや映画では通用するかもしれないが、決して小さくはないシアターコクーンという場は、彼には明らかに大きすぎる。彼のポテンシャルが高いか低いかはわからないから、もちろん数年後にはここでバリバリやっていける役者に成長しているかもしれない。しかし、今は無理。そして、その相手役の広末涼子も駄目。妻夫木と同じく、彼女にとってもシアターコクーンは大きすぎる。この箱は、決して誰でもがうまく使える箱ではない。紀伊国屋ホールとは明らかに違うのである。「キル」自体はシアターコクーンの設備を前提として書かれているから、当然ここで上演すべき本ではあるが、このキャストでやるべき芝居ではない。それは、開演5分後ですでにわかってしまった。広末は以前毬谷友子が「贋作 桜の森の満開の下」でやったような声の使い分けにもチャレンジしていたが、ベースの声さえ通らないのに裏声が通用するわけがない。その使い分けという演出は野田の指示かもしれないが、完全に失敗していたと思う。何しろ、テムジンは世界を征服しようとする野心家であり、シルクはそのテムジンを一目ぼれさせるだけの美貌と高貴さを兼ね備えていなくてはならない。両者とも舞台の中でそのカリスマ性をほとばしらせる必要があるというのに、立ち居振る舞いも、声も、全てにおいて脇役であるはずの結髪に圧倒されている。例えばテムジンの「ミシンを踏めっ」という台詞に全く迫力がないのだから、話にならない。

今、ちょうど映画館でやっている「椿三十郎」。この映画のネットでの評価は、「やはり映画は脚本。役者がタコでも脚本がしっかりしていればちゃんと楽しめる。織田は駄目だが、この作品は脚本を旧作と全く変えていない。おかげでエンターテイメントとして成立している」というもの。多くの観客が、旧作とは別物だが、それはそれで楽しめる、と書いているようだ。

しかし、残念ながら芝居は違う。どんなに素晴らしい脚本であっても、それを演じる役者がタコだったらやっぱりだめだ。今回は、夢の遊眠社のライバルとして小劇場界を引っ張っていた第三舞台のOB、勝村政信と、同じ時期に活躍し、野田地図の芝居にも多くの役者を出している劇団☆新感線から、高田聖子が参加し、舞台を強力に支えている。この二人の活躍はもちろん期待通り素晴らしいと思うが、それが素晴らしければ素晴らしいほど、主役二人の弱さが際立ってしまう。実際のところ、勝村、高田は自分達が目立ちすぎないように、特に高田は気を遣って存在感を消すような努力をしていると思うのだけれど、そんな努力もどこへやら。恐らくはプロデューサーや演出者の想像以上に主役二人の力は不足していたんだと思う。

一気にラストまで全速力で走りきる。難解でもやもやとした感覚の中にキラキラと輝く台詞が散りばめられ、イメージを拡散させるような言葉遊びを盛り込みつつ、ラストの決め台詞で観客にカタルシスを与える、それが野田演劇の魅力だと思う。「少年はいつも動かない。 世界ばかりが沈んでいくんだ。」「いやあ、まいった、まいった」「海の向こうには、妹の絶望が沈んでいます」「びしょびしょになったタマシイが、どうか姿をみせますように」といった名台詞に行き着くまでの2時間を、緊張しながら楽しむような。

しかし、今日の芝居を見て、わかった。誰もがそのラストへ観客を導くことができるわけではないということを。同じレールの上を走り、同じ終着駅を目指していて、一見同じように走っているのに、到着したのは全然違う場所だったのだ。そこには感動はない。わきあがる感情は、「あれ?キルって、こんな作品だったっけ?」というもの。スピード感がなく、迫力もない。疾走感が全く失われてしまっているのだ。一緒に2時間を走り終えた充実感などは全くなく、自室で寝転んでみかんを食べながら漫画を読み、つけっぱなしのテレビで放送されているマラソン中継のゴールシーンを見ているような、そんな第三者感。その視点から初めて「キル」を見て、「なぁんだ」という思いも寄らぬ感想を持ってしまった。最後にゴールに到着した自分を客観的に見て、「あれ?こんなところで何をしているんだろう?」と戸惑うような。全体を通しての衣装や舞台芸術は素晴らしい。照明も見事だ。そしてそれらが作り上げていくラストシーンの「蒼」は本当に美しい。もちろん、「とびっきりのこの蒼空を着せてあげて下さいよ」という台詞も美しい。しかし、それが心に響いてこない。

僕は夢の遊眠社のOB数人と知り合いで、頻度はそれほど多くはないけれど、飲みに行ったりすることもある。しらふのままでは聞きにくいのだけれど、お酒が入るとついつい昔の話を聞いたりもする。そして、彼らから感じるのは、「まだまだやりかたったな」という不完全燃焼感である。もちろん役者のみんながそういう気持ちを持っているわけではないと思う。上杉さんなどはさっさと劇団という枠から飛び出して自力でやっていきたかった部類なのかも知れない。しかし、そうではなかった人たちも少なからずいたんじゃないだろうか。でも、彼らは「大将がやりたいことは別のことだから仕方がない」という気持ちだったと想像している。野田秀樹という才能がもっともっと大きく開花することを楽しみにして、劇団の解散を受け止めたんじゃないかと。そして、それはファンも同じ気持ちだったと思う。「なんで解散しちゃうんだろう」「もっと遊眠社としてやってくれ」と思いつつ、野田秀樹が見せてくれるであろう新しい世界を楽しみにして、解散を受け止めた。少なくとも、僕はそうだった。

実際、野田秀樹氏は、劇団という枠が取り払われて、その可能性を大きくひろげ、そして自分の潜在能力を顕在化することに成功したと思う。それが初演のキルであり、赤鬼であり、農業少女であり、研辰の討たれであり、ロープだったと思う。しかし、その一方で首を傾げたくなるような作品も増えたと思う。そして、そのほとんどは役者に足を引っ張られているケース(一部は箱に原因があると思う)だと思う。

解散直後に演じた「キル」が傑作だったことが、劇団解散をファンに納得させることに一役買ったことは間違いない。しかし、初演から約15年経って、その作品がこんな形で再演されてしまったことは皮肉であるとしか言いようがない。

野田さん、劇団を解散してまでやりたかったのは、本当にこれですか?  
Posted by buu2 at 16:36Comments(11)TrackBack(0)演劇

このエントリーをはてなブックマークに追加 編集